2013年8月6日火曜日

「竹取の」第22夜<二十二夜月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 幸いというか日頃の行いの所為なのか、晴天に恵まれ、遠くに富士山の雄姿が垣間見えた。こんなに間近で富士山を見るのは初めてだったかも知れない。普段から山間に住んでいるわたしたちからすれば、山を見るのは空気を吸うのと同じ意味で、逆に山のない風景は何か物足りないものを感じるくらい。けれども、富士山のある風景はまた違ったものだった。霊峰、富嶽とも呼ばれるその山は神秘的と言ってしまっては簡単すぎるくらい不思議な雰囲気を醸し出していた。わたしはしばらく富士山に見惚れていた。間もなく世界遺産に認定されるという話も聞くけれど、これは世界的にも価値ある自然遺産だとわたしにも確信がもてる。
 しばらく、富士山のパノラマを楽しんだ後、車は街中に入った。住宅街を抜けると、そのど真ん中に小さな森が出現した。
「ここが浅間大社だよ」
 『富士山本宮浅間大社』と書かれた石柱が立っていた。こんな住宅地の真ん中にあるんだ。富士山の麓と聞いていたので、もっと森林の深いとこにあるのかと思っていた。先生は車を駐車場に止めた。表参道に鎮座する大きな朱い鳥居の後ろに富士山が見える。確かに昔は森の中にあったのかも知れないなと想像できる風景だった。駐車場から参道にかけて、たくさんの観光客らしき人達がいた。
「ここが本宮になるんですね?」
「そうだね。本殿は徳川家康による造営らしい。そもそもこの大社の起源は第11代垂仁天皇の御代に祀られたのが最初ということになっているが、垂仁天皇自体存在が疑問視されているから、その辺はなんとも。最も史実に近いと言われているのは、坂上田村麻呂による造営だという話だ。ここに決めたのは富士山の神水が湧くからだそうだ。つまり、水の神様であるコノハナサクヤビメにふさわしい場所だとされたのだろうな」
 確かに大社の敷地の脇には湧き水によるものと思われる溜め池があった。透明度の高い、清らかな水が蕩々と湧き出ているようだ。
「建造は西暦806年、西暦800年に延暦大噴火があったから、それを鎮めるために建立されたとみるのが妥当かな」
 わたしたちは参道を一緒に歩いた。途中途中先生の解説が入りながら。
「それで、その富士信嗣という人は、確かにここの者だと言っていたんだよね?」
「はい、確かにそう言っていました」
 亮くんはそう言って頷いた。
「じゃあ、参拝した後、社務所で聞いてみよう。もし会えるようなら話を聞いてみたい」
「そうですね。ただ、気になるのは、富士氏というのは確かにここの大宮司の家系ではあるみたいなんですけど、第44代富士重本で途絶えているんですよね?」
「段逆くんも調べたんだね?そうらしい。だから、ボクもちょっと不思議に思ったんだ。ただ、もしかしかしたら傍系の者が残っているのかも知れない。とにかく聞いてみよう」
 わたしたちは本殿で揃って参拝をした。ここにコノハナサクヤビメが祀られているのか…。わたしは、わたしの中に眠る、サクヤヒメなのかかぐや姫なのか分からないけれど、その人達の為に祈った。
「瑠璃ちゃん、何か感じるかい?」
 参拝を終えて、本殿を離れると、先生はわたしにそう訊いた。
「いいえ。特には……」
 参拝の時にも特に異常は感じられなかった。あの儀式の後のような気持ち悪さなどは全く。
「そうか」
 先生は少し悩むような格好をした。それから皆で社務所に向かった。
「すみません。ちょっとお尋ねしたいのですが。こちらにフジノブオミさんという方はいらっしゃいますか?」
 社務所の受付の人は少し不思議そうな顔をしてから少しお待ち下さいと、奥の方に行き、しばらくして戻ってきてから、こちらにはそのような者はおりませんが、と丁寧に言った。
「いませんでしたね?」
「うむ……」
 亮くんと先生は残念そうで、狐につままれたような顔をした。
「あれは、嘘だったんでしょうか?」
「浅間神社も全国に沢山あるから、別の神社だったってことは?」
「浅間『大社』はここだけですよね? 確かに『たいしゃ』と言ってました。それに、彼が残した式神が『富士の麓にいる』って言ってましたし」
「そうなると、なんらかの理由でそういう嘘をつかなければならない事情があったとかなのか?」
「そう言えば、アメツチは、富士さんのことを『邪教』って呼んでましたよね-? 同じ神道なのに、邪教って言うのって変だなーと思ったんですけどー?」
 先生と亮くんの会話を聞きながら、ふと、ちいちゃんが思い出したかのように言った。確かに、邪教って言ってたわ。
「それは、月読の一族から見てっていう意味で言ったんじゃないのか? コノハナサクヤビメの一派と争いをしているって言ってたから」
「コノハナサクヤビメの祀られてる神社って、他にないのー?」
「あるけど、全部九州だ。富士の麓には浅間神社しかないよ」
「そう、コノハナサクヤビメは元々九州の一族、隼人の一族だったという説が有力だからね。古墳も宮崎にある」
「それがどうして富士山に祀られているんですかー?」
 わたしたちは参道を駐車場に向けて歩きながら検討を重ねた。主にちいちゃんが質問係のような感じになっているけれど。
「コノハナサクヤビメには、『火中出産』の伝説があってね、火の神とされていて、父親であるオオヤマツミから富士山を譲られたと言われている。ところが、この大社ではコノハナサクヤビメは水の神として、富士山を鎮める神として祀られている。実はここに矛盾があるんだが」
「『火中出産』の伝説ってなんですかー?」
「それはね、コノハナサクヤビメが天孫ニニギに嫁いだ後に、子供を授かったんだが、別の男の子供ではないのではないかという嫌疑を受けたんだ。そしたら、コノハナサクヤビメは、『もしこの子供達が天から降りてきた神である貴方の子供なら、どんなことがあっても無事に産めるはず』と言って、自ら産屋に火を放ってそこで三人の子供を産んだっていう伝説だよ」
「うわー。疑いを晴らすために自分からー? すごーい。サクヤ姫って、すごい美人さんなんですよね?」
「そうだね、多分なんだけど、サクヤ姫が天孫に選ばれたのは、美人であったこともそうなんだけど、そういった毅然とした性格であったことも理由だったんじゃないかとは言われている」
「肝っ玉母さんってことですかねー?」
「まあ、今だと、そういう感じかもね」
 ちいちゃんの捉え方も独特で、故事もなんだかどこかのバラエティ番組のようにも聞こえてしまう。わたしは少し苦笑いした。にしても、サクヤ姫って、すごい神様だったんだなと、今更ながらにわたしは感心した。
「とりあえず、ここでの収穫はなさそうだ。まずはまっすぐ別荘に入ってしまおうか?」
「わーい! 海だ! 海だー!」
 ずっと海を楽しみにしてきたちいちゃんがいよいよテンションMAXになってきた。
 浅間大社を出て、さらに2時間に満たないドライブの末、着いたのは確かに海辺だった。先生の別荘は富士山の麓というより、それを大きく迂回して、半島に向かったところにあった。つまり、内湾を間にして海の向こうに富士山が見えるロケーションなのだった。あたしはてっきり、海と反対に富士山が見えるところだと思い込んでいたので、少し驚いた。
「きゃー素敵-! 綺麗ですねー!」
 ちいちゃんは到着するや否や、車を飛び出して海に向かって叫んだ。よっぽど楽しいのだろう。わたしも彼女を追って行く。別荘は少し高台になっていて、海辺に行くには階段を降りて行かなければならないらしい。高台からも十分富士山の雄姿を望むことはできた。陽はすでに傾きかけていて、凪いだ内湾をキラキラと照らしていた。
「女の子達は、しばらく外で遊んでいてくれるかな? 段逆くん、ちょっと手伝ってもらえるかい」
「はい」
「はーい! じゃあ、海に降りていてきてもいいですか?」
「いいよ。階段が急だから気をつけて降りてくれよ」
「はーい」
 ちいちゃんはそう言いながらも、すごい勢いで階段を降りて行った。わたしはゆっくりそれに着いていく。ちいちゃんは海に降りるとワンピースのまま海に入ってはしゃぎ始めた。裾は引いているけれど、明らかに濡れている。わたしはその様子を海辺から眺めていた。
「瑠璃ちゃんもおいでよー!」
 しばらくわたしはただ眺めているだけだったけれど、ついついちいちゃんにつられて足だけ海に浸かった。まだ海の水は冷たかったけれど、今日の天気が良かったので、気持ちがよかった。
「おーい。戻って来いよ!」
 30分くらいはそうして遊んでいたろうか。高台から亮くんが呼ぶ声が聞こえた。呼ぶ声に従って別荘に戻ると、下準備は終わったようで、先生はリビングでくつろいでいた。リビングは、海に面した大きな窓があり、内湾と富士山が一望できるようになっていた。白を基調にした部屋は普段ほとんど使われていないであろうことがすぐに分かるくらい新品で揃っていた。
「おかえり。楽しかったかい?」
「はーい! 楽しかったですー!」
「はい。ありがとうございます」
 ちいちゃんはワンピースの裾を濡らしたままリビングに入ってきた。
「おい、ちい、ダメじゃないか、その辺濡れちまう。着替えろよ」
 亮くんはどこからか雑巾のようなものを持ってきて床を拭いていた。
「お風呂場で着替えたらいいよ」
 先生はソファに座りながら奥の方を指さした。ちいちゃんと亮くんは二人で荷物を運びながら、そちらの方に向かった。
「さて、さっき、車の中で言っていた、絵っていうのをちょっと見せてもらえるかい?」
 リビングで先生とふたりっきりになると、そう促され、わたしはさっき亮くんに見せたように、ポシェットから絵を出して先生に渡した。
「ふむ……降灰の図ってことか……。 これを小学生の時に?」
「わたしは覚えていないのですが、両親に訊いたら、そんなこともあったかも? って。両親のうろ覚えみたいでした。ただ……」
「ただ……?」
「昨日それを見つける前に、うたた寝していた時に見た夢がそれに似た感じだったんです」
「夢? どんな夢だい?」
 わたしはその夢の記憶を朧気ながらに説明した。それと、その後にアメツチが現れて、声だけしたことも一緒に説明した。
「300年……降灰……地震……。なるほど。それは、宝永大噴火のことかも知れないな」
「ほうえい……だいふんかですか?」
 さっき浅間大社でも聞いたような気がする。
「富士山三大噴火のひとつで、江戸時代、元禄の頃に富士山が大噴火した時のことだよ。わたしもあまりその頃のことは詳しくはないんだが、後でちょっと調べておくよ。確か、ちょうど300年くらい前になるはずだ。となると、多分この絵はその時の記憶から描いたものの可能性は高い。
 転生の場合、幼少の頃の方が転生前の記憶が強く残っているという研究者もいる。つまり、脳がきちんと発達していない頃だと、前世の記憶が出やすい。逆に脳が完全に育ってしまうと、脳が現世の記憶に埋め尽くされてしまい、それを思い出しにくくなるということらしい。
 しかし、富士山噴火の絵が描かれていないところをみると、富士山の近くにいたわけじゃなさそうだな。江戸でも降灰の記録があったらしいから、もしかしたらそこかも知れない」
 つまり、小学生1年生のわたしは、その江戸の頃の記憶を元にこの絵を描いたということなのだろうか。
「そうなると、その、アメツチという月面人が300年前に姫とやらを覚醒させたことがある。そして、覚醒させた結果、富士山の噴火が起こったということか。そして、それは月と地球の距離にも関係してくると……。ふむ……」
「富士山三大噴火っていうことは、あと二回噴火してるってことですか?」
 先生は懐からメモを取り出して、ペラペラとページをめくった。
「さっき、大社でも言ったけれど、延暦大噴火。そして貞観大噴火の二回だね」
 ああ、さっき言っていたのは『延暦』の方か。
「延暦大噴火は800年、貞観大噴火は864年。800年代に二回も大噴火している。宝永大噴火が1707年だから、それから1000年近く何度か噴火はしているんだが、大規模なのは起きていないことになっている。小噴火は、999年、1033年、1083年、1435年、1511年、1704年。1707年以降は噴火らしい噴火は起こってない。分かるのは、周期と呼べるようなものはないようだってことくらいかな。ただ、800年代以降300年間も全く噴火がないのは今だけだ」
 詳しくないと言いながらも、すでにかなり調べているのは明白だった。さすが人気作家だけあるなぁと。
「ところで、これはなんだろうか?」
 先生は、その絵の中に描かれている、長い紐状のものを指さした。
「わかりません……けど、龍みたいななにか……?」
 わたしは自分が感じたそのままを伝えた。
「龍は神の使い、もしくは蛇の化身、水の神だとも言われているからな。そっちの方なのかな?」
「どうなんでしょうか……」
 わたしも記憶が定かではないのでなんとも言えなかった。
「その富士氏の情報がもう少し欲しいところだな…。大社に行けば何か分かるかと思ったんだが、その辺が計算違いだったな」
 先生は左手で髪をくしゃくしゃと掻いた。
「戻りました」
 亮くんと、着替えが終わったちいちゃんが戻ってきた。
「何か話は進展しましたか?」
「300年前にも同じようなことがあったらしいということまでかな。ただ、これだけでは過去と関連性が薄いんだよな」
 先生は今度はペンを加え始めた。
「それより、腹減ったな。何か食べようか」
「わたしもお腹ペコペコです!」
「この近くにおいしい魚を食べさせてくれる店があるんだ。少し早いけど、多分やってるんじゃないかな」
「腹が減っては戦はできないって言いますしね。じゃあ、先に荷物を片付けてきます」
 わたしちは、それぞれに与えられた部屋に荷物をしまいに行くと、すぐに戻って車で町の方に戻った。先生のお勧めの店は、まだ開店前で準備中だったけれど、先生が声を掛けると店に入れてくれた。先生の言う通り、お魚が新鮮で、刺身も焼き魚もどれもおいしかった。みんなでお腹いっぱいになる頃には、空もようやく薄暗くなってきた頃だった。
 全員お腹いっぱいになって、お見せを出て駐車場に戻ろうとした時の事だった。
「姫。お待ちしておりました」
 先生のポルシェの横に人の姿があった。あの黒づくめの男だった。薄暗がりに紛れて見落としそうになるくらい存在感を消した状態だった。
「信嗣さん!?」
「彼が、富士信嗣かい?」
「はい、わたしが富士信嗣です。こちらは?」
 信嗣は亮くんに、先生のことを尋ねた。
「こちらは、小説家の浦城光太郎さん。俺達をここまで連れてきてくれたんだ」
「お初にお目にかかります。富士信嗣と申します。姫をここまでお連れいただき、ありがとうございます」
「富士信嗣さん。早速だけれど質問していいかな?」
 先生は、わたしたちを庇うように彼の前に出た。
「はい、なんなりと」
 信嗣さんは腰を折って答えた。
「さっき、富士山本宮浅間大社に行ってきたんだが、富士信嗣という者はいないと言われた。これはどういうことなんだい?」
「それについては、少々ご説明が必要かと。できましたら、皆様を私共の社にお連れしたいと考えますが。実はこの姿も、式神によるもので、わたしの本体は社にあります故」
「社というのは、富士山本宮浅間大社ではないのか?」
「大宮の社という意味でしたら、否。私共の社は、この近くにございます」
「この近く?ここは、富士ではなく、沼津になるんだが?」
「はい。それをご存知でこちらにいらっしゃった訳ではないのですか?」
「いや、偶然だ。本当にこの近くに、その…本体がいるっていうんだな? しかも社に?」
「はい。車であれば、5分もしないところにございます」
「先生、どうします?」
 亮くんが先生の背後に回って小声で訊いた。
「このために来たんだからな。虎穴に入れずんば虎児を得ず。行ってみよう」
「では、この式神が先導いたします」
 私たちは車に乗り込み、空中を浮遊するかの如くに前を先導する式神を追った。式神が言う通り、5分ほどで止まった。先生の別荘と同じように高台にある海に向かって建っている、小さな鳥居があるだけの小さな神社だった。石柱さえなく、神社の名称が分からないほどの。
「こちらでございます」
 わたしたちが車から降りると、式神がさらにその先を先導した。社の本殿と思われる建物はかなり古いものと思われ、所々朽ちて壊れていた。
「ここが、大社だと言うのか?」
 亮くんは堪らずそう言った。式神は何も答えずにその先を進んだ。わたしたちは、式神に誘われるように、本殿にあがった。そこには一人の男性が座っていた。さきほどの式神と同じ顔つきで、しかしながら服装は黒づくめではなく、いわゆる神主の格好をした者だった。しかし、年の頃はすでに青年とは言えぬ、老齢、いやもうすでに鬼籍に入ってもおかしくなさそうな、よぼよぼの老人だった。いや、むしろはっきり言うのなら、ミイラそのものだった。
「このようなところまでお越し戴き、誠に恐縮でございます。が、何分にもこのような状態でございまして、姫のところまでお伺いすること叶わぬ身なれば、何卒ご容赦くださいませ」
「あなたが富士信嗣さんでいらっしゃる?」
「左様で。まずは、何故ここが富士山本宮浅間大社であるかをご説明差し上げましょう。このようなちいさな宗教施設と相成ってしまいましたが。正確には、裏浅間大社とでも呼ぶべきなのでしょうな……」
 富士信嗣はそう前置きをしてから説明を始めた。

(作曲:てけさん)

2013年8月5日月曜日

「竹取の」第21夜<二十一夜月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 車は高速道路を南に向けて走っていた。谷間を抜けていくその有料道路は両側をなだらかな丘陵地地帯で埋め尽くされていて、地元の人間にとってはいつもの見慣れた風景がただひたすら続いていくだけのものだった。時折長短あるトンネルをくぐるので、若干のメリハリはあるのだけれど、コンクリートの壁はどこか冷たく、気持ちを昂ぶるものではなかった。
 なにより、わたしの隣に座っている亮くんが気になってしまい、ドライブを楽しめていないのが原因だった。わたしは窓の外を眺めているフリはしているけれど、神経は右側面に集中していて、亮くんが時折居ずまいを正すためにほんの少し体を寄せたりする動きでさえ感知してしまう。まるで敏感なコンビニの自動ドアが、ドア前のお客さんのちょっとした動きに反応するかのように。
 正直総革張りのシートは座りやすかった。体にフィットするように作られているのだろう、まるで体に吸い付くように受け入れてくれる。これなら長時間のドライブも体にこたえることはないだろう。けれど、たった一つ、困る……いや、本当は困らないのだけれど……いややっぱり困っちゃう。後部座席がものすごく狭いの。こんなに大きな車なのに何故? と思うくらいにわたしと亮くんの座るスペースが小さい。ただ、二人を遮るセンターの凸部分があるので、密着は回避できるのだけれど、少し気を抜くと亮くんの投げ出した左手に触れそうな、そんな距離感がすごく微妙で、やっぱり困る。
「これ、なんですかー?」
「これかい?これはね……」
 なんて、前の座席でちいちゃんがなにやら楽しげに浦城先生に運転席のコンソールのボタンを指さしながら何かを訊いていた。それを見て、亮くんは少し憮然とした顔をしているに違いない。ちいちゃんがわたしと一緒に後部座席に座ってくれれば万事解決だったのに!

 それは今朝のこと。浦城先生はまずわたしの家にお迎えに来てくれた。パパから買った外国製のピカピカな車。大きな車体。さすがのわたしでも、ポルシェという車は知っていた。とても高いはず。パパはわたしたちの家の玄関先に止まったその車を見て、まるで我が子を見るように破顔していた。
「どうですか調子は?」
「まだほとんど乗ってませんので、これが慣らし運転になりそうですね」
「富士でしたっけ?行って帰ってきてちょうど300キロちょっとくらいですね。途中寄り道しても400キロ前後なら、最初の慣らしとしてはちょうどいいんじゃないですか? お戻りになったら、一度ピットまでお持ち下さい。状態みてみますから」
 パパはほくほく顔でそう言った。
「瑠璃ちゃん、助手席に乗ってみるかい?」
 浦城先生がわたしにそう訊いた。わたしがパパを見返すと、パパ頷いてあたしを助手席に導いてくれた。浦城さんの車はドアが2枚しかないタイプで、後部座席に座るには前の座席を倒さなければならないらしい。前にパパが話していたような気がする。わたしはパパに勧められるように右側から乗り込み、助手席に座った。パパはわたしのキャリーバッグをトランクにしまってくれた。新品の革張りシートは、固くもなくしっとりとしていてわたしの躯を包み込むようにしてくれる。車に乗り込むと真新しい臭いがした。
「キミが最初の助手席(ナビ)だよ」
 浦城先生が左座席に乗り込むと、そう言った。
「え? ええ? いいんですか?」
「もちろんだよ。この車を薦めてくれた竹泉さんのお嬢さんを最初に迎えることができるなんて、僕は嬉しいよ」
 浦城先生はまるで少年のような笑顔でそう言った。新車に乗る喜びをその表情が表現していた。本当に車が好きなんだな、パパと一緒だ。なんて単純なことをわたしは考えていた。
「では、お嬢さんをお預かりいたします」
「はい、よろしくお願いします。瑠璃、ちゃんと言うことをきくのよ?」
「はい。行ってきます」
 エンジンを掛けると、重量感のある低音のエンジン音が車内に鳴り響いた。けれど嫌な感じはなく、むしろ力強い騎士に護られるお姫様の気分を味わうと言った方が良いような気がした。
「このエンジン音がいいんだよね」
 浦城先生はそう言ってハンドルを握った。
「シートベルトはちゃんと締めてね。馬鹿な死に方はさせたくないからね」
「はい、大丈夫です」
 車はまるで王者が神輿に載って進み出すかのようにゆっくりと動き出した。住宅地のど真ん中であることもあるのだろうけれど、最初の慣らしということもあるのだろうか。先生の両腕は慎重にゆっくりと動作を一つづつ確認するかのように動いた。
「そこをまっすぐです。次を右に。その角を左にお願いします」
 わたしはちいちゃんの家への慣れた道を案内していく。やがてちいちゃんの家に到着すると、ちいちゃんと亮くんが家の前で待っていた。
「ちいちゃん!」
 わたしは車から降りて二人のところに行った。先生も一緒に降りてきた。
「せんせー、格好いい車ですねー。なんていうんですかー?」
「見るからに、ポルシェだろ、これ」
 亮くんが青ざめた顔してそう言った。
「へー、これがポルシェなんだー? さすがに人気作家さんなんですねー!?」
「いや-。それほどでもないよ」
 先生はちいちゃんに褒められて素直に照れた。
「ねぇ、これって、どれくらいするの?」
 どうやら亮くんはこの車の価値が分かるようなので、こっそり訊いてみた。さすがにパパには訊けないものね。
「俺も詳しくはわからないけど……多分、これ、911カレラのはずだから……新車なら多分1500万は下らないと思うぜ……」
「え……」
 わたしもさすがに絶句した。そりゃあ、パパ有頂天になるわよね。臨時ボーナスも出るわよね。ママも喜ぶわよね。ついでにわたしもお小遣いが出たから喜んだクチだけれどね。
「家買えちゃう?」
「安いのなら買えるかもな」
 わたしは改めて振り返ってそのポルシェを見た。家一件分。
「まあ、考えてみれば、別荘持てるんだから、当たり前っちゃあ、当たり前なのかもな」
 けれど、高校生の分際からすると、想像もつかない金額だった。
「すみません、お世話になります」
 亮くんは改めて先生に頭を下げた。
「うちら、両親ともに日曜祝日関係ない職業なんで、挨拶できませんけど」
「ああ、気にしないで。竹泉さんからは聞いてるから」
 昨日の夜、両家からはうちに電話が入っていて、先生には重々よろしくお伝えくださいと言われていた。
「荷物あるかい?小さいけどトランクあるから」
 先生はトランクを開けた。
「はい。あります。ちい、貸せ」
 亮くんはちいちゃんの分の荷物も一緒に持って車の後部に行く。
「あれ?小さいね、荷物。二人とも」
「あ? ああ、俺は男だしな」
 にしても、ちいちゃんの荷物もわたしのよりは一回り小さい。確かに普通の乗用車に比べれば小さい先生の車のトランクは三人分の荷物で埋まった。
「あれ?先生のお荷物は?」
「ボクの必要な物はほとんど別荘にあるから、財布さえあれば大丈夫。じゃあ、乗って」
 先生が運転席に戻ると、わたしと亮くんも右回りに前へ。と。
「ちい、なんでそこに乗ってるの?」
「えー? だってー、ここ格好良いんだものー。わたし、こことっぴー!」
 ちいちゃんはすでに助手席に座っていて、座席を前に倒してわたしたちを後部座席に乗せる準備をしていた。
「お前、竹泉と一緒に後ろに乗れよ」
「やーだもん。わたしはここがいいんだもん」
 わいわいやっている二人を尻目に、わたしはこっそり後部座席に乗り込んだ。運転席の後ろ側。
「狭くないかい?」
 ちいちゃんと亮くんのやりとりを楽しげに見ながら先生はわたしに訊いた。
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
 普通乗用車から比べると少し狭くは感じるけれど、助手席同様総革張りのシートはやっぱり高級感を感じさせる。そりゃあ、1500万だもの……と考えると緊張する。皮に傷とか付けたら大変だなと思いつつ。
「もう、分かったよ!」
 ついに亮くんの方が折れたらしく、ちいちゃんが助手席のまま彼の方が後部座席に座った。わたしは嬉しいような、なんというか複雑な気持ちだった。ドアを閉めると、ちいちゃんがわたしに向かってちいさくピースサインを送ってきた。だから、余計なことしないで、ちいちゃん! いや、余計でもないんだけど、だけど、だけど。

 というやりとりがあって、今に至るみたいな話なのだけれど、それ以来亮くんはずっと憮然としてるし、わたしからもなかなか話しかけられない時間が長く続いた。
『安心しろ、俺が護ってやるから』
 昨日の夜のあの言葉が忘れられない。亮くんは勢いで言ってしまったのだろうけれど、でも、本当に嬉しかった。その気持ちをいつかどこかで伝えたいと思っているのだけれど、この雰囲気では言い出せないし、言ってしまったらまるで告白のようになってしまいそうで、言い出せなかった。
 そんな緊張の時間はそれほど長くはなかった。高速道路にのったかと思うと、しばらくして車はパーキングエリアに止まった。
「急ぐ旅でもないし、ゆっくり行こうか」
 そう言って先生は車から降りた。わたしは気持ち的にすごく助かった。それに、ちいちゃんに言いたいこともあったし。
「ちいちゃん、ちょっと」
 ちいちゃんの手を取って一緒に女子トイレに向かう。
「どうしたの瑠璃ちゃん?」
「どうしたのじゃないでしょ。こっちが聞きたいわ。どうして一緒に後ろに座ってくれなかったの? 亮くん怒ってたわよ」
「あ。ああー。あれね、怒ってるんじゃなくって、照れてるのよ」
「え?」
「本当はね、瑠璃ちゃんのことすっごく心配で心配で仕方ないみたい。昨日の夜も、何度も電話きて、大丈夫かな、大丈夫かなって、うるさいくらい言ってくるのよ。だったら、瑠璃ちゃんに電話すればいいじゃないって言っても、さっきかけたばかりだから、ウザくないかとか、変な心配してるのよね。全く、男らしくないんだから」
「そんなに、わたしのことを……?」
「瑠璃ちゃん、封印が解けてきてるせいでフェロモンむんむんだって言ってたじゃない? どうも亮ちゃんってば、逆に遠慮してるみたいなのよね。自分は絶対そのせいじゃないとかって思ってるんじゃないかなー?」
「むんむんは言ってなかったと思うけど……」
「多分、他の男の子達と同じに感じるみたいね。それを自分で自制してるつもりみたいよ。無理しちゃってね」
 そうだったのか。でも、わたしにすれば、むしろそういうところが男らしいと思うのだけれど。
「瑠璃ちゃんがイヤだったら、わたし後ろに座るよー?」
「イヤってわけじゃ……ないんだけど……」
 そう言われると、なんとも返しようがなかったり。
「じゃあ、わかったー」
 そう言ったかと思うと、ちいちゃんは回れ右して、車の方に戻った。
「あ、ちいちゃん!」
 かと思うと、亮くんの方に駆け寄って、なにやら耳打ちした。亮くんは何か驚いた風なジェスチャーをしたが、すぐにいつも通りの風に戻って、頷いた。ちいちゃん、一体何を言ったの!?
「じゃあ、行くかい?」
 先生の声を合図にまた皆車に戻った。結局座った位置は前のままだった。
「竹泉、昨日言ってた絵って持ってきたか?」
 乗るとすぐに亮くんの方から話しかけてきた。さっきより表情は和らいだような気もする。
「うん……持ってきたよ。これ……」
 わたしはポシェットにしまい込んでいたその絵を出した。四つ折りにしたまま封筒に入れて持ってきたのだ。わたしは封筒からその絵を取り出して、亮くんに広げて見せた。
「これ……いつ描いたんだ?」
 わたしは覚えてないんだけど、一緒にしまってあった賞状には1年生って書いてあったから、小学1年の時みたい」
「小学1年生の絵には見えないよな……。これ、何描いてあるんだ? ……その、つまりどんな前世の記憶なのか、分かるか?」
「ううん……なんとなく、昨日うたた寝してたときの夢がこんな感じだったような気がしただけで、具体的にはどんな事があったかは分からないの」
「そっか……。後でこの絵を先生にも見てもらおうか……」
 亮くんは、その絵をできるだけきれいに畳んで私に返してくれた。わたしはそれを封筒にしまって、ポシェットに戻した。
「あ、そう言えば、昨日の夜、アメツチが現れたわ」
「え? 何故それを早く言わないんだ!?」
 亮くんは大声で怒鳴った。
「あ……ごめんなさい」
 わたしは驚いて小さくなった。
「あ……ごめん。俺こそ」
 亮くんは声を落としてそう言った。
「どうしたい?」
 先生が気にして声をかけてきた。車が若干左右に揺れた。思ったより結構スピードが出てるみたいだった。
「あ、いえ、昨日またアメツチが出たって言うんで……」
「でも、姿は見えなかったんです。声だけで……」
「そうなんだ? 声だけ? ふうん……」
 先生は何かを考え込むように言葉を切った。
「声だけだったんだ?」
「うん……でも、何も教えてくれなかった。ただ、『富士の者を信じるな』ってだけ」
「『富士の者を信じるな』……か」
「それは、もしかして、ボク達が富士に行くことを予測してのことかも知れないね」
 先生はぼそっと言った。
「とにかく、詳しい話は別荘に着いてから、詳しく聞こうか」
 そう言って、先生はその話を締めた。
「竹泉、ごめんな、大きな声出してしまって」
「ううん……わたしも言ってなかったし。昨日のうちに言っておけばよかったよね」
 わたしたちはしばらくお互いを見つめ合った。
「ほら、富士が見えてきたぞ」
 高速道路を下りてからしばらくして、先生がわたしたちに声を掛けてきた。振り返ると、左手前方にうっすらと綺麗な円錐形が見えてきた。まだ山頂は雪を戴いている。
 その姿が何故かわたしには懐かしく感じられた。

(作曲:てけさん)

2013年8月4日日曜日

「竹取の」第20夜<更待月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 ちいちゃんのメールの持ち物一覧に基づいて、あらかた荷物をキャリーバッグに納めた頃、階下で物音がして、パパとママが帰ってきたのが分かった。わたしは階段を下りて居間に入った。
「おかえりなさい」
「ただいま。今すぐにご飯の準備するからね。ちょっと待っててね」
「うん、大丈夫。さっきちょっと食べたから」
 謙さんの喫茶店『無頼人』でお菓子をご馳走になったのだった。
「で、急に旅行の予定前倒しになったんだって? どうしたの急に?」
「うん。放課後にね、みんなで旅行の打ち合わせしようって、ちいちゃんたちのイトコさんがやってる喫茶店で集まったんだけど、そこで偶然浦城先生に会ってね。先生の行きつけらしいの。時々そこで原稿書いたりもしてるんだって。それで、色々話しをしてるうちに、できれば連休前半の方が都合がいいらしいって話になって……」
「ふうん、そうなんだ」
 ママはさほど不思議そうには思わなかった様子だった。
「その喫茶店って、どこにあるんだい? パパも行ってみたいな」
 パパはそっちに興味がある様子。
「ダメよ。先生、秘密の隠れ家だって言ってたもの」
「そっかぁ?」
 パパは少し残念そうにそう言った。ごめんね。パパが行くと色々バレちゃいそうなので、教えられないの。
「わたしも手伝う」
 そう言ってわたしは皿を運んだりを手伝った。パパは早速ビールを開けて晩酌を始めた。テレビではプロ野球の中継が佳境を迎えているみたい。いつも通りの風景、いつも通りのパパとママ。全てがいつも通りだった。いつも通りの普通。こんな普通のことがこんなにも愛おしくて、大事で、大切で、本当は得がたい貴いものであることにわたしは初めて気がついた。人は普段は気がつかない、当然あってしかるべきものを、失ったもしくは失うと分かったときに初めてその価値に気がつくのかも知れない。
「どっち勝ってるの?」
 ママがパパにさりげなく聞く。パパの贔屓のチームが勝っているは見れば分かることなのだけど。
「ファイヤーズが勝ってるよ。2対1。このまま9回を締めれば勝ちだよ」
 パパが機嫌が良いとママも良いし、わたしも嬉しい。今ここで二人に『幸せ?』って聞いたらもちろん二人は頷くと思うし、わたしもそう思う。
「わたし、パパとママの子供で良かった」
 思わずわたしは心の言葉を吐露してしまった。
「どうしたの急に?」
 ママはちょっとびっくりした顔してわたしを見た。
「パパも、瑠璃がうちの子で良かったよ。なあ、ママ」
「もちろんよ。瑠璃、何かあった?」
「ううん、なんでもない」
 泣いちゃダメ。泣いちゃ……。そう思えば思うほど涙腺から溢れ出てくる幸せの泉。普通で幸せであることがこんなにも心を動かすものなのだろうか。わたしの感情を衝き動かすものが何なのかは分からない。けれどそれは不安からくるものではないことだけは分かる。何故なら、それは『わたし』がずっと昔から長いことかけて望んできたことだからなのだと思った。この『わたし』は誰なのか。『わたし』であって、わたしではない『わたし』。昔っていつのことだろう? いつからこの日を待ち望んでいたのだろう。儚い記憶がふつふつと沸いては消える。まるで汀の泡のように。
「何かあったの?」
 ママは優しく私の手に自分のそれを重ねてくれた。わたしは反対の手で涙を拭った。パパがオロオロするのを見て、わたしはできるだけ笑顔で返した。
「ううん。何もないの。なんかね、よく分からないけど、嬉しくなっちゃって。パパも元気になったしね」
「そ、そうね……。パパも何にもなくてよかったわよね。本当、わたしもあの時はどうなるかと思ったわ。瑠璃も今頃その時のショックがきたのかもね」
「あ……ああ、そういうことか。もう大丈夫だよ。これからはパパも気をつけるしな。瑠璃もな、気をつけてな」
 確かにそれも事実かもしれない。あの時パパになんかがあったとしたらと考えると。二人はそれで納得したようで、わたしに笑顔を向けた。わたしも笑顔で返事をする。
「明日から久しぶりのお泊まりでしょ? それで緊張してるのかもよ?」
 わたしが居間から出ると、ママはそっとパパにそう言ったのが聞こえた。
「高校生にもなってか?」
「女の子ですからね。いろいろあるのよ」
 パパはあまり納得した感じではなかったけれど、それ以上は何も言わなかった。わたしは階段を上がって自分の部屋に戻った。部屋に戻ると、カーテンを開いて窓を開けた。確かに月はいつもよりは大きいような気がする。とは言っても、35万キロが30万キロになったところで、わたしの目にはそれほど変わりはない。大きいと言われれば大きいような気もするし、小さいと言われればそう思うかも知れない。ましてや満月ではなく三日月の状態では違いはいかほどか。
 けれど、先ほど感じた哀愁というか悲哀は、月の大きさに由来するもではない。先ほど感じた過去の記憶のせいなのだろうか。わたしの中に存在する、あの繭の中にいる人はかつてあの月にいたのだろうか。その人の感じる郷愁がわたしに影響しているのだろうか。あの人は起こしてくれるなと言った。もし帰りたいのなら、そうは言わないのではないかとも思う。結局かぐや姫の帰郷も、帝の力をもってしても止めることはできなかったのだ。あるいは、その運命というか、業に対しての悲しみだったのかも知れない。
「姫……行ってしまわれるのですか?」
 ビクリとした。アメツチの声だった。わたしは即座に携帯を取り上げて周りを見回した。けれどアメツチの姿はどこにも見当たらなかった。
「ご安心を。ボクの姿は姫には見えません。富士の者の封印がまだ完全に解けてませんし、月があのようでは力も出せません」
 いつものような、甘えたような言い方とは打って変わって、まるで従者のような言い回しだった。
「アメツチなの?」
「ええ、そうですよ。声だけは聞こえるようですね。姫、お願いです。早く目を覚ましてくださいませ。もうかれこれ300年は眠られたままなのですよ」
「わたしはあなたの姫ではありませんよ。わたしはただの人間です。それに、あなたの姫は起こして欲しくないと言っています。放っておいてもらえませんか?」
「そうはいきません。それはわたしの役割であり、宿命でもあるからです」
「あなたは本当は何者なの? わたしの中にいる人は誰なの?」
「ボクはアメツチノオオワカノミコ……。月から来た使者。姫を覚醒させるために使わされました……」
 アメツチノ言葉は段々と弱くなってきた。
「ねぇ! 姫を起こしたら大変なことになるんじゃないの? 本当のことを教えて?」
「富士の者を信じてはなりませぬ……。彼らは……」
 それっきりアメツチの声は途切れた。

 その夜わたしはまた夢を見た。
「姫、それは誠にございますか?」
 その男は驚きを隠さずに叫んだ。
「ええ……。先日笠沙の岬にてお会いした方でございます」
「天津から使わされた御人でございますな?」
「父はそう申しておりました。高天原から参られた方であれば、お断りすることも敵いますまい」
「しかし、すでにお父上にはこちらが先にお許しを頂いたはずではありませぬか?」
 その男は納得いかぬ様子で、地団駄を踏んだ。
「葦原中国平定以降、天津国の勢いは増すばかりでございます。ましてや天照のお孫様とあらば、なおのこと。お父上は、わたくしとお姉様を嫁がせると」
「姉上までも? お父上は正気か? この国ごと売り渡すつもりか?」
「この国もさらに栄えるであろうと喜んでおりました」
「天孫と言えども、葦原中国に下ったものであろう? 儂ら月読国とは格が違おう?」
「豊葦原中国において天津の力はすでに強大になっております。我ら国津の神ではもはや敵いますまい」
「嘆かわし事じゃ」
「お父上の気持ちも何卒お察し下さいませ」
「それで姫はよろしいのか?」
「それが、お父上のご意志とあらば」
 二人はそれからもしばらく抱き合い、互いに慰め合った。お互いの立場、境遇から叶わぬ恋と知りながら……。
「この償いは、いつか……必ず……」
 波の音がこの言の葉を載せ、言霊として二人を呪縛していく。それは、永遠(とわ)かと思うほどの永い永い時間───────。

(作曲:てけさん)

2013年8月3日土曜日

「竹取の」第19夜<寝待月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 宝永4年11月23日(太陽暦では1707年12月16日)、年の終わりも差し迫る頃、富士山の火口が火を噴いた。後に『宝永大噴火』と呼ばれる富士山三大噴火の一つである。その49日前、遠州沖を震源とする東海地震と紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生した。死者2万人以上に達した『宝永地震』と呼ばれる巨大地震である。
 その時お絹は江戸にいた。
 昼に始まった富士の噴火は、この江戸にも大変な影響を及ぼした。噴火とともに地震が発生し、住民を脅かした。二月ほど前にも大地震が発生し、その後も余震が続き、赤子は毎晩のように泣き叫び夜も安心して眠ることができない日々が続いた。また、東海道から紀伊国に遠戚があった者や身内の者が商いで遠出をしていて消息の分からない者がいたりで、遅々として進まない便りに毎日まんじりともせず夜を過ごす者も多かった。毎日のように瓦版が出てはいたが、人々の不安を煽るものばかりで、知りたい便りが含まれることはなかった。街角の辻辻では托鉢僧などが末世を叫び人々の恐れを否が応でもかき立てた。
 昼前から雷鳴が聞こえてくると、何度も有感地震が起こり、昼過ぎには白い灰が降り始めていた。夜には白い灰が徐々に黒色に変わっていった。
「もう、おやめくださいませ」
 お絹は真っ黒な雲に覆われた江戸の空を見上げながら力なく呟いた。雲間からうっすらとだけ月の欠片が覗いていた。
「これは自然の摂理でございます。姫がどのように思われようと、これを防ぐことは人の子には敵いませぬ」
 隣に付き従う従者が、膝を折りそのように言った。そこにはなんら感情もないかのように淡々と。
「わたしはコノハナノサクヤビメであるのですよね?」
 お絹は白い灰を浴びながらも、じっとして空を仰いだまま。
「は……。しかして、今は人の子として現示されたからには……」
「では、何故、わたしを起こしたのです? いえ、何故ご神体を起こしたのですか? 起こさなければこんなことにはならなかったろうに……」
「ツキヨミノミコト様の御心とあらば……」
「月読の一族なのですね……?」
「地と月は表裏一体であります故。これだけは姫のでありましょうとも、ツキヨミ様であろうとも変えられぬ運命でございます」
「月の者達のためにこのような所行が許されるとでも?」
「恐れながら。しかしながら、ここの平安が続けば、月の世に被害が及びます故」
「見つけたぞ!」
「浅間の者か……?」
 従者は立ち上がり、脇差しに手をやった。振り返ると、若い青年が立っていた。修行僧のような風体をしているが、全身ボロボロの格好だ。多分富士からここまで何日もかけて来たのだろう。
「そうだ。お主がアメツチノオオワカノミコじゃな? よくも我らの同胞を、ご神体を!」
「もう遅い。全ては終わった。後は姫を月へとお迎えするだけだ。お命を粗末になさるな」
 従者はあくまでも冷静に、ゆっくりと話をする。手は脇差しにかけたまま。
「仲間の敵を討ちに来た。そして、ご神体を返してもらう。姫、一緒にお越し下さいませ!」
「主に何ができる? その体、満身創痍ではないか。社に戻る前に死んでしまうぞ。黙って姫のお帰りを見送るがいい」
「富士殿……申し訳ございませぬ。此度はわたしにもどうしようもできませぬ。そのままお帰りくださいまし」
 お絹は富士から来たその青年を見ると、はらはらと涙を流した。そして、その場にうずくまってしまった。
「姫。わたくしと一緒に社にお戻り下さいませ。一刻も早く浅間の活動を止めなければ、被害がさらに広がってしまいます」
「だから、もう遅いと申しておる。ちょうど今夜は二十三夜。富士の活動は次の朔まで続くであろう」
 そう言うかと思うと従者はお絹を小脇に抱えた。その時長屋から一人の老人が出てきた。
「お絹! お絹をどうするつもりでぇ?」
 従者はそれには構わず、お絹を抱えたまま軽々と長屋の屋根に飛び上がった。
「待て!」
 富士の青年はそれを追おうとしたが遅かった。
「いってぇ、どうしたんで? ありゃあ、どいつだ? どこへいきなさる?」
 老人は一体何が起こったのか分からず、オロオロするばかり。
「では、ごめん」
 従者の姿はすでに人間のものではなかった。龍か麒麟かと見まごうばかりの巨大な生き物に変化した。
「なんでぇ、ありゃ?」
 老人は腰を抜かして、その場にへたり込んだ。若者はなすすべもなく呆然とそこに佇んだまま。
「おっとっつぁん…」
 それがお絹の最後の言葉だった。天に昇るに従い、お絹であった記憶も消されていく。
「姫……」
 先ほどまで従者であったそれは、初めて悲しげな表情をした。

 
 目を覚ますと、わたしはベッドに寄りかかったまま寝ていたようだ。何故か瞳が潤んでいた。何か夢を見ていたような気がするけれど、どんな内容だったかがうろ覚えだった。真っ白な雪降る場所で何か大変な事が起こっていたような気はするのだけれど、具体的にどんなことだったのかが記憶の彼方だった。
「……寝ちゃってたのかな……」
 ふと外を見ると大きな三日月が窓の外に見えた。心なしかいつもより大きな気がした。脇には鞄と携帯が投げられていた。携帯のLEDが点滅していて、着信を知らせていた。携帯を開いてみると、ちいちゃんからのメールだった。明日の準備について細かく書かれてあった。洗面道具一式は全て用意、バスタオルも持参のことと。あれからわたしは先に喫茶店を辞して一人家に帰ったのだった。注意事項があれば後でメールするとちいちゃんから言われていたのを思い出した。
「相変わらず、ちいちゃんは細かいなぁ」
 見かけによらず、ちいちゃんは細かい人だった。まるで修学旅行に行くためのしおりのように、シャンプー、歯ブラシ、歯磨き粉のはてまで書かれてあった。予定は三泊二日になっていて、連休の前半をめいっぱい使う予定になっている。
「これは思ったより荷物多くなりそうだなぁ……」
 去年修学旅行に行ったときに使ったキャスター付きのキャリーバッグがあったはず、と押し入れを開いた。
「確かここにしまったはずなんだけどな……」
 押し入れの中を探していると、中に赤いキャリーバッグが見つかった。それを引き出そうとすると、隅にある段ボール箱が引っかかって一緒に出てきた。
「あれ? なんだろこの箱……」
 見覚えがあるようなないような。子供の頃に使っていたような気もする。箱を開いてみると、わたしが卒業した小学校の校章のマークとわたしの名前が見えた。卒業アルバムのようだった。
「懐かしい……」
 とは言っても、まだ5年くらい前のことでしかない。なのに、とても懐かしい気がする。わたしは卒業アルバムを取り出して中を眺めてみる。クラスメートの中にちいちゃんもいた。とても可愛いお人形さんのようだった。わたしはまだ三つ編みの頃で、思ったより地味目で自分で探すのさえ一苦労だったりして、自嘲気味な笑いが出てしまった。
「なんだろう、これ……」
 卒業アルバムを箱の中にしまおうとして箱の中を覗いた時、中に見覚えのないケースが目に入った。表面には県の紋章がプリントされており、中に小型の額縁のようなものが入っていた。どうやら賞状のようだった。
「賞状なんてもらったことあったな?」
 中を開けてみると確かに賞状だった。小中通してなんとか賞等というものに縁のないわたしのはずなのに、と中を見てみると、確かにわたしの名前が書き込まれた賞状であった。学年が1年生になっているので、小学一年生の頃のものだろうか。県主催の絵の展覧会に入賞したらしい。どんな絵だったのだろうと思いつつ、賞状の入った額縁を取り出すと、額縁の下から一枚の絵が出てきた。クレヨンか何かで描かれたと思われる絵は、四つに畳まれて一緒のケースにしまわれていたらしい。わたしはその絵を開いてみた。
「……!!」
 そこには、真っ黒な夜空の中、真っ白い雪のようなものが降ってくる中を、一人の少女と不思議な生物が天に昇っていく姿が描かれていた。不器用な絵ではあるが、龍のような生き物に女の子が乗っている、もしくは抱きかかえられている様子が窺えた。そして、闇が広がる空には黄色い半月のようなものが浮かび、点々と白い粉雪のようなものが浮遊している。
「……」
 わたしは目眩がした。ついさっきこの夢を見たような気がした。それは雪ではなく灰だったように思う。何故かそう思った。
 ブイーン。
 その時、わたしの携帯が鳴った。わたしはビクっとした。音を消してあったので、バイブレーション音だけが部屋の中に響いた。
「もしもし?」
「あ、竹泉か?俺だ、段逆。今、テレビ観られるか?」
「あ…いま、部屋なの。下に降りるね」
「月見たか?」
「ん? 月……?見たよ。三日月だった」
「アメツチは?」
「今日はまだ出てないよ」
「そうか、それならいいんだが」
「どうしたの? ……着いたよ。テレビつけた」
 居間に着いたら、すぐにリモコンの電源ボタンを押した。
「10チャンネル。今、ニュースやってるんだが……」
 わたしはすぐにチャンネルを10チャンネルに合わせた。ニュースキャスターではなく、解説者らしい人が話をしていた。テロップでは、どこかの大学の教授らしい。
「……ですが、通常の軌道でいきますと、再来月の23日に最接近する予定だったのです。その場合で月と地球の距離は約35万7,000キロメートルの距離になるのですが、すでに現在、35万キロメートルを切っており、常識では考えられないことになっております」
「通常月と地球はどのくらい離れているのですか?」
 キャスターの男性が質問を投げかける。
「通常、月は楕円軌道を描いておりまして、一番離れている時で40万メートル前後、最接近で36万キロメートル弱です」
「それが先日の地震に何らかの影響を及ぼしているという噂もありますが?」
「月や太陽の地場や引力の影響によって、地球の天変地異が起こるという説もありますが、それについてはまだ実証はされておりせんので、なんとも言えません」
「ありがとうございました……では、次の話題です……」
「聞いたか?」
 亮くんが電話の向こうで溜息をつきながらわたしに聞いた。
「うん。……これって……?」
「もしかしたら、だけど……封印が解けてきたせいもあるのかも知れないと思って。だって、アメツチは、遠くなっていた月を戻すために封印を解くんだって言ってたんだろ?」
 亮くんの言葉は少し焦りを感じた様子だった。さすがの亮くんでさえ、天体をも動かす力がわたしの中にあると思えば、恐ろしくもなるのだろう。わたしは、少し躊躇したけれど、さっきの夢の話をしようと思った。
「あの、亮くん……わたし、何か思い出したかも知れない」
「何?何を思いだしたって?」
「なにか分からないけど……灰が降っていたの。それから、地震。すごく揺れてた。ずっと昔のことだと思う」
「灰? ずっとって…?」
「多分、生まれるずっと前」
「転生前の記憶を思い出したっていうのか?」
「わからない。でも、さっき、夢の中に出てきて。今、小学生のころに描いた絵が出てきたんだけど、それがその時のことにそっくりなの」
「ん……分かった。その絵、明日持ってきてもらえるか? 何かのヒントになるかも知れない」
「うん、わかった」
「あと……な……」
「うん?」
 亮くんは一呼吸置いてから、
「安心しろ、俺が護ってやるから」
 と、短く言った。わたしは一瞬ドキっとして言葉を失ったけれど、
「うん。ありがとう」
 天をもひっくり返すかも知れないこのわたしの中の力を知ってもなお、そう言ってくれる亮くんが素敵だった。ものすごく嬉しかった。涙が出そうになった。
「じゃあ、明日な」
「うん、じゃあ、また明日」
 そして、わたしは電話を切った。
 窓から外を見ると、確かにいつもよりは大きな三日月がこちらを眺めていた。何故だかとても悲しそうに見えた。

(作曲:てけさん)

2013年8月2日金曜日

「竹取の」第18夜<居待月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「信嗣さんの話では、彼らが仕えている浅間大社と、アメツチの属しているらしい月読の一族とは長年対立しているらしい。ただ、彼が言うには、アメツチたちのことを月読の一族としか言わず、月面人という言い方ではなかった。浅間大社の主神であるコノハナノサクヤビメとツクヨミの対立が太古の昔から続いているっていう話なんだ」
「コノハナノ……サクヤビメ?」
 ちいちゃんは舌をかみそうになりながら、その神様の名前を復唱した。コノハナノサクヤビメは浅間大社に祀られている神様で、ツクヨミはお月様の神様だったはず。
「アメツチの説明を覚えていないか? 日本人と月面人の分岐となったのが、古事記に出てくる天孫ニニギがコノハナノサクヤビメと結婚したため、寿命が短くなったっていう説明」
「そう言えば、そんなこと言ってたっけー?」
 ちいちゃんは首をかしげた。
「そう、コノハナノサクヤビメはアマテラスの孫であるニニギの妻であり、浅間大社の主神なんだ。そしてこの二人のひ孫がヤマト・イワレヒコ、初代天皇である神武天皇なんだ」
「じゃあ、神話の世からずっと対立しているってことー?」
「対立の謂われについては信嗣さんもよく分かってないみたいだけど、彼が言うには竹泉の中に封印されているのはコノハナノサクヤビメの魂だって言うんだ。ここもアメツチの説明とは違う」
 『コノハナノサクヤビメの魂の封印を解いてはいけませぬ。もし解いてしまうと、コノハナノサクヤビメが示現し、瑠璃様はもう元には戻れなくなりますぞ』
 亮くんは信嗣さんから聞いた言葉をそのままなぞった。
「じゃあ、大変がことが分かったっていうのは、そのことなの?」
 わたしはいてもたってもいられない気持ちになった。私の中にカグヤエネルギーがあるだの、神様がいるだの、話を聞いているだけでもう気持ちが落ち着かない。
「ああ。アメツチはまた封印すれば元に戻ると言ったが、信嗣さんは戻らないと言っている。もし信嗣さんの言が正しいなら、封印は解くべきじゃない」
「二人とも、言っていることが違うのね。亮ちゃんなら、どっちを信じるの?」
「正直俺も分からん。あまりにもリスクがありすぎるから、どちらを信じるとか判断するのは難しいと思う」
 亮くんは深く悩んだ顔をしていた。そこに、譲さんがカウンター越しにコーヒーを差し出した。
「お前ら、何の話をしてんだ? 古事記とか、神話の話とか亮は相変わらずだなぁ…。はい、ロシア式の悪意どうぞ」
 わたしたちはコーヒーをそれぞれに受け取って手元に置いた。
「このブレンド、苦めだから、苦手な人は砂糖ミルクどうぞ」
 わたしは言われるままに、ミルクをたっぷりめに入れ、ノンシュガーを少し入れた。ドリップしたてのコーヒーのいい香りが広がった。
「謙さんは神話の世界とか信じるー?」
「んだよ、ちいまでそんなんかよ。……まあ、信じないこともないけどな……。ただ、俺もそういうことを素直に信じられるほどピュアな年頃じゃあねえんだよな。……ところで、竹泉さんって言ったっけ? かわいいよね」
 わたしはそんな謙さんの言葉に愛想笑いで応えた。わたしも大分慣れてきたのかな。
「おい、エロオヤジ。未成年にまで手ぇだしてんじゃねぇよ。だから来たくなかったんだよなぁ……」
「なに、亮の彼女なのか?」
 わたしはコーヒーを吹きそうになった。
「ち、ちげぇよ!」
 亮くんは思いっきり否定した。確かにそうではないけれど、そこまで否定されるとそれなりに傷つくんだけどなぁ。
「じゃあ、いいじゃんよ?」
「良くねぇよ。お前が手出したら、犯罪だ」
「じゃあ、2年もしたら成人だからいいよな?」
「いくつ離れてると思ってるんだ!?」
「お前と同じ年ってことは……15か? まあ、範囲内だよな」
「お前なぁ…」
 なんだかこの二人、親子漫才でもしてるような。なんか私は可笑しくなってくすりと笑ってしまった。
「ところで、さっきの神話の話だけど、そういうの詳しい人いるぜ。話聞きたいなら……そうだな……今日は来るかな……来るとしたら、多分もうすぐ現れるじゃないかな……」
「いや、いいよ。他人に話しするような事じゃないから。ああ……譲さん、今日俺達ここで話したことは他言無用で頼むよ」
「大丈夫、俺まで中二病には思われたくないからな」
「おま……」
 亮くんは顔を紅くした。
「ねぇ。この二人って、いっつもこんな感じなの?」
 わたしはこっそりちいちゃんに聞いてみた。
「うん、いっつもこんな感じー。可笑しいでしょ?」
 わたしたちは二人でくすくす笑った。
「もう、お前、あっち行ってろよ!」
「はいはい。じゃあ、ちょっと買い出し行ってくるから留守番頼むよ」
 そう言って、譲さんは店を出て行った。
「いいの? 出て行っちゃったけど」
「どうせこの時間は客も来ないからいいんじゃねぇの? 俺、昼間客がいるの見たことないし」
「よくそれで経営していけるね」
「ここ、おじさんの建物だからね。謙さんの親父さんな」
「あ、そうなの……?」
「譲さんの親、お医者さんなんだー。そこにあるみどりクリニックって病院あるでしょ?あそこの院長なのよ-」
「お医者さんなんだ? すごいね」
「まあ、地元によくいる当たり前の医者だけどな」
 道理で亮くんは頭がいいと思った。そういう家系なのね。
「ところで、さっきの話、今の地震とどういう関係があるのー?」
 ちいちゃんが話を元に戻した。
「ん。富士山本宮浅間大社というのは、元々富士山を鎮める為の神社なんだ。富士山っていまだに活火山なのは知ってるよな?」
「休火山じゃなかったの?」
「学校で教わったろ?」
「覚えてないー」
「確かに300年くらい噴火活動はしてないけれど、立派な活火山だよ。その噴火を抑えているのが富士山本宮浅間大社の主神であるコノハナノサクヤビメ。浅間大社のご神体は富士山そのものではあるんだが、その反面その活動を抑える役目を担っているのもこの神社だということだな」
「それで?」
「過去に富士山が噴火した時には必ず何らかの形でコノハナノサクヤビメが示現しているっていう話だ。つまり、コノハナノサクヤビメの封印を解くと、富士山が噴火するっていうこと」
「それがさっきの地震と関係があるっていうの?」
「まあ、俺もあんまり信じられなかったんだが、実際にさっきの地震は富士山が震源らしい」
 亮くんは携帯のブラウザで地震情報を表示した。たしかに震源は富士山の地域になっている。
「偶然にしてはできすぎだろ?」
「できすぎだね。その話もう少し詳しく教えてもらえないかな?」
 と、わたしたちの後ろから男性の声がした。いつの間に?振り向くと、そこには見たことのある顔があった。
「浦城先生!?」
 亮くんは素っ頓狂な声を上げた。
「やあ。久しぶりだね。ちょうど連絡しようと思ってたとこなんだ。……ところで、マスターはどこに行ったんだい?」
 確かに先日わたしの家に遊びに来ていた浦城先生だった。多少無精髭が濃くなっているので、少し印象は違ったけれど、確かにあの時に会った人だった。けど、ベルのついた扉の開いた音はしなかったのに。
「あ、謙さんですか? ちょっと、買い物に……先生、どうして? いつの間に店にいらっしゃったんですか?」
「あ、ああ……一応、ボクここの常連でね。あ……ああ、ちょっと裏口から。表から入るといろいろちょっとね。面割れてるもんだから。それで、いつも裏口から入らせてもらってるんだ」
 道理で物音がないまま入れたのか。
「それより、さっきの話続き聞かせてもらえないかな。すごく興味があるよ」
「あ……いえ……」
 亮くんは一瞬口ごもった。
「あ、もちろん、ボクは口外はしないよ。内緒だって言うんならここだけの話にしておいてあげるよ」
「そ、そうですか……。竹泉、どうする?いいのか?」
 亮くんはわたしに許可を求めた。わたしは黙って頷いた。どうせここまで知られたなら、あまり変わらないと思ったし、何より博識の亮くんにとっても難題だということが分かった今としては、少しでも多くの協力者がいた方が良いと思ったから。しかも、SF作家となれば、理解の範疇かどうかは別として、多少の不思議事象を含んでくれる気がしたから。
「じゃあ、最初からお話します。……事の始まりは、先日先生と初めてお会いした日の前日のことなんですが……」
 亮くんはわたしはアメツチに最初に遭遇した時のことから話し始めた。浦城先生は黙って彼の言葉をじっくりと聞いていた。しばらくすると、懐からメモ帳を取り出してなにかメモを始めた。わたしは黙って二人の様子を見ていた。

「ふむ……。まず、その話を信じる信じないは別として……ボクはまだその両者を見ていないわけだし……その話を少しボクなりにまとめてみようか」
 そう言って、浦城先生はメモに何かを書き足していた。
「キミたちは竹取物語は知ってるよな? 『かぐや姫』の話だ」
 先生はそう言って一呼吸置いた。わたしたちは、一緒に頷いた。アメツチノオオワカノミコことアメツチはそのかぐや姫の従者の末裔だと言っていた。
「かぐや姫は、竹から生まれて三ヶ月で成人し、不思議な力でおじいさんとおばあさんを裕福にした。複数の求婚者に対し難題を押しつけて失敗させ、天皇の求婚さえ拒否したという。そして十五夜の夜に従者に従い羽衣を着て月に戻るっていうのが、まあ一般的に知られているあらすじなんだが」
 わたしたちはうんうんと頷いた。
「実はこの話はかぐや姫が月に戻った後の後日伝もあるんだが、知ってるかい?」
「そうなんですかー? わたしはそこで終わりなんだと思ってましたー」
「その、富士氏が富士浅間大社と言ったという話を聞いた時にピンときたんだ。その……アメツチという月面人の言う月と、彼らの信仰する富士山との関係なんだが」
「そうなんです、そのあたりがよく分からないんです」
 それについては、わたしも疑問だった。
「かぐや姫が月に戻る時に天皇に残したものがある。不死の薬だ。帝はそれを受け取ったが、かぐや姫のいない世に不死の薬は用がないとして、天に一番近い山の火口に棄てるように家来に命じたという言い伝えがあるんだ。不死の薬を燃やした山だから、不死山、富士山となったという。それ以来その煙は天に向かって昇っているといわれている、というところで締めくくられている」
 その逸話はわたしも初めて聞いた話だった。
「さらに、竹取物語を研究している人の中には、かぐや姫はコノハナノサクヤビメが示現した姿だったとしている人もいる。確か、富士山本宮浅間大社には竹取物語と類似した伝承があって、やはり竹取をする翁が竹の中から生まれた子を育てたところ、富士まで行幸してきた帝に見初められ、後にコノハナノサクヤビメその人であったことが明らかにされるという話だったはずだ。それで、かぐや姫イコール、コノハナノサクヤビメという説になった。もしこの説が正しいならば、月と浅間大社の双方の言い分は一致していることになる。つまり、竹泉さんの中にかぐや姫、そしてコノハナノサクヤビメの魂が宿っているということになるな。ただし、ボクはその場合、示現という言い回しではなく、転生と言った方が正しいとは思うんだが」
「つまり、竹泉自身がかぐや姫の生まれ変わりってことですか?」
「まあ、その故事が事実であって、その節が正しければという仮定の下だが」
「でも、前にお話した時、『竹取物語』は史実に基づいていると仰ってましたよね?」
「それはあくまでもボク個人の考え方だからね。実際はどうだったかまでは分からない」
「でも実際にこれだけのことが起きてるんですよ?」
「悪いがボクが目の前でそれを見ないと信じることはできないな。ボクはね、現実と虚構を切り分けられるからこそありえない物語として小説を書いてきたんだよ。ある意味、それが虚構でなければボクの創作は成り立たないわけだからね」
 浦城先生は思ったより現実的な人だった。
「但し、逆を言えば、ボクが実際に目にすることがあれば、十分その話は信じることができるということだよ。それに、その封印を解くに従って、男の子を惹き付ける力が強くなってきているというのは、『竹取物語』になぞらえて考えると納得もいく」
 と思ったら、そうでもなかった。つまり自分でも見たいっていう意味かしらと思った。亮くんと似たタイプなのかしら。
「確かに、僕もあれを見るまでは半信半疑でしたから……」
 ちいちゃんに話を聞いて、嬉々としてわたしの家に来たのは誰だったかしらとツっこみたくなった。
「富士山の浅間大社に行ってみるのが手っ取り早いかも知れないな。来週ボクの別荘に行くときに寄ってみようか。前に話しただろう? ボクの別荘は富士市の海沿いにあるんだ。本殿であればそのまま車でも参拝できるところにある。奥宮は山頂だからさすがに無理だけどね。それより、明日から君たちも連休だろ? 明日から行くってわけにいかないのか?」
 確か、亮くんは予備校があるからと言っていたはず。
「大丈夫です。僕もできれば早い方が良いと思ってました」
「うちも大丈夫ですー!」
 ちいちゃんも即答した。
「わたしは……一応、親に聞いてみないと……」
 うちも連休の前半だろうが後半だろうが、両親ともに仕事なのは変わらないのだけれど。
「亮くん、予備校は?」
 わたしは念のために聞いてみた。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。勉強はいつでもできるし。それより、先生は大丈夫なんですか?」
「ボクはどこにいても仕事はできるからね」
「すみません……」
 わたしは頭を下げた。
「いや、気にしなくてもいいよ。それよりご両親がOK出してくれるといいね。あ、ボクの都合でって言っていいよ」
「あ、はい。一応メール送っておきます」
 わたしはママ宛にメールを送った。浦城先生の都合で日にちが変更になったと言い訳して。間もなくメールが返ってきて、明日からの富士旅行が決まった。

(作曲:てけさん)