先月あたりからちょっと、身辺が騒がしくなり、なんとか続けて創作していこうと思ってましたが、なかなかメドが立たなくなってきたので、とりあえず年内休止とさせていただきます。
書ける時には、書き溜めておいて、年明けにでもまとめて更新させていただきます。
2013年11月13日水曜日
2013年10月13日日曜日
「Nコン!」第9コーラス目「家族!」
読むための所要時間:約5分
「真湖、ご飯よー!」
階下から母の呼ぶ声がする。
「はーい!」
呼ばれて、居間に向かうとすでに父が食卓に着いて新聞を読んでいた。
「お父さんお帰りなさい」
「おう。ただいま。なんか、部屋で叫び声が聞こえたんだが?」
「うん、発声練習。合唱部に入ることにしたんだ」
「ほう、そうか。そう言えば、翔平も合唱部やってたんだったな。影響されやすいな、真湖は」
「真湖、部活なんかやってて、勉強大丈夫?」
寛容な父に対して、スパルタママな母が最初に気にしたのはそこだった。
「大丈夫だよー。運動部みたいに、夜遅くまで練習するとかないし」
「そう? 紺上さんとこはもう塾に通い始めてるって聞いてるしねぇ……」
「灯と比較しないでよ。まさか、あたしが石東とか入れるとでも思ってる?」
「そりゃあ、岩東は無理にしても、行く高校ないとかなったら困るでしょ? 去年までは翔ちゃんに教えてもらえたけど、もう勉強みてくれる人もいないんだからね。しっかりしてよ。もう小学生じゃないんだし……」
「はいはい」
真湖は適当に話を切り上げて、洗面所に逃げた。
「どこ行くの?」
「手ぇ、洗ってきますー」
「まったく……誰に似たんだか……」
母は深い溜息をついた。真湖の両親は共に公務員の共働き。できれば娘も公務員にさせたいとは思っているのだが、真湖の小学生時の様子を思うに、このままだと、地元市役所だって危ない。いくら女の子とは言え、共働きが当たり前のこの世の中ではやはり学歴が大切だと母は思っている。
逆に父は娘に甘い。もちろんできることならば公務員の方が安定はしているとは思いつつも、できれば、一人娘には伸び伸びと育ってほしいと願っている。あまりギスギスした性格になるくらいなら、多少学力がどうであろうと。今のところは父の思いが勝った育ち方をしているのだが、さすがに中学生ともなると、母の言い分が勝ってきており、自分に対する風当たりが強くなってきているのを真湖も感じてきているのだった。
「夜中にあんまり大声出すと、近所にも迷惑だからね、気を付けなさいよ」
洗面所から戻ってきた真湖に母が苦言をおとす。
「大丈夫、隣、阿修羅だから、気にしないっしょ。いっただっきまーす」
今晩のおかずは、真湖の大好きな肉じゃが。父も一緒に箸を付け始めた。
一方、阿修羅の家。野球部の練習から帰ってきたばかりの阿修羅が居間に顔を出す。全身泥だらけである。
「ただいまー。今日のご飯なにー?」
「ちょっと、外でちゃんと服ほろってから入ってきなさいね! ユニフォームにまだ泥ついてるわよ!」
妹たちにご飯を食べさせながら、母は怒鳴った。
「へーい」
「今日はとんかつだよ」
「やっほーい!」
「先にお風呂入ってきなさいね。用意できてるから」
「ほーい」
阿修羅は言われた通りに、一度玄関を出る。母は苦笑した。
「本当に、お兄ちゃんったら、困ったもんでしゅねー」
と、双子の妹達にご飯を順に食べさせる。阿修羅の妹たちは3歳になったばかりでまだまだ手がかかる。近所では肝っ玉母さんで通っているこの母も、ここ数年は妹たちの世話で手一杯だった。それでも、心優しい長男は手が空いていれば妹たちの世話を自主的に行うのがせめてもの救いだったのだが、野球少年の業というか、年中練習に明け暮れているため、夏の間はなかなか時間が取れないのが玉に瑕。なにより、洗濯物の量が年々増えているのが苦労の元であった。
阿修羅は脱衣所で泥だらけになったユニフォームを脱ぎ、風呂場に飛び込んだ。ざっとだけ掛け湯をかぶり、湯船に浸かった。
「ふー」
深い溜息をついた。練習の疲れもあったのだが、気になるのは合唱部の動向だった。いや、正直に言うと、真湖の動向というのか。いやいやいやと否定しようとも思うのだが、結局思い至るのは、あのハーフの転校生、塩利己翔(えんりこ しょう)なのだ。
「べ、別に、真湖のことがなんだっていう訳じゃねーから……」
と、口では言ってみたものの、心の中では忸怩たるものがあった。阿修羅自身としては、幼馴染みを特別な関係とは思っていない。ただ、たまたま隣に住んでたってだけの話だ。真湖が好きとか嫌いとか、そういう次元でもないと自分では思っている。確かに真湖は良いヤツだが、それ以上の感情があったかというと自分でも分からない。あの時言った、『一応幼馴染み』という言葉は、そういった、自分の中でもまだはっきりしていない部分をさらけ出してしまった結果だった。けれど、自分たちが一緒に過ごした時間をすっかり飛び越えてこの輪の中にすっぽりと入ってきた翔のことを認める気にもなれない。そんな複雑な感情をまだ整理できずにいたのだ。
「ただいま」
灯が塾から帰ってくると、すでに両親は寝床についていた。食卓テーブルの上にはいつもの様に夕食が置かれ、フキンが被せてあった。その上に走り書きで、『冷蔵庫にほうれん草のおひたしが入ってます』とメモがついていた。灯は制服を着替えもせずにそのまま冷蔵庫に向い、おひたしをとって、ご飯をよそった。灯の家の食卓は昭和のにおいのする畳敷きの居間で、正座して食事を始める。
両親は共に農業に従事しており、陽が落ちれば就寝し、陽が昇る前に畑に出る生活を長年続けてきた。とは言っても、小作でしかなく、生活も豊かとは言えなかった。母が灯を産んだのは高齢出産と呼ばれる頃で、そのため、二人共に灯にかける期待は高く、幼少のころから学業には手をかけてきた方だった。灯自身も物心がつくようになり、他の子たちと比較して家が貧しいことに気がついた頃から勉強に打ち込むようになった。将来は自力でなんとかしなければならない、両親の面倒も自分が見なければならないと自然に考えるようになったのだ。
小学校では神童と呼ばれていたが、けっして灯は天才肌ではなかった。例えば、真湖の従兄である翔平などと比べると雲泥の差で、ひらめきも思考の柔軟さもない。ここまでの成績はあくまでも毎日の努力で積み重ねてきたものだ。けれど、特に勉強が好きというわけでもない。年老いた両親が苦労しているところを何度も見聞きしているうちに、脅迫的に身についたものなのである。
家計が苦しくても、自分の教育費だけには出費を惜しまない両親には感謝もしている。ただ、これ以上の負担はかけたくなかったので、札幌の中学を受験することは断念した。
灯の最近の悩みは、中学に入る前あたりから徐々に成績が落ち始めていることだ。自分に才能がないことは分かっているだけに、時間をかけて覚えて予習復習をしても、難関校レベルの応用問題が解けないことが多くなってきていた。
食事を終えると食器を台所に片付け、食卓テーブルの上で塾の宿題と翌日の予習を始めた。
乃愛琉は両親が寝静まったことを確認すると、そっと階段を降りた。朝の早い両親の就寝時間より自分の方が遅くなり始めたのはいつからだろう。兄が中学にのぼった頃からだろうか。乃愛琉の兄は3つ上で今年高校入学したばかりだから、4年生の頃からだろうか。それでも、最初のうちは一旦寝たふりをしていたのだが、自然と両親の方が先に寝るようになった。
居間につくと、そっとPCデスクの前に座り電源を入れる。真っ暗な部屋の中にぼぅっと液晶画面の灯りがともる。自宅のPCは居間にしかない。両親の方針から、子供達の部屋には置かないことになっているのだ。もともとこのPCは兄のものだったのだが、高校入学のお祝いにスマホをプレゼントされてから本人が使うことがあまりなくなった。そのため、最近はほとんど乃愛琉が使うようになっていた。
『こんばんは』
PCが起動され、ブラウザが開かれると、早速乃愛琉はチャットを開始する。週に1度程度訪れるサイトだ。アニメとかラノベ小説とかのファンが集うサイトで、高校、大学生が中心のSNSだった。乃愛琉も高校生と嘘をついて参加している。今日は10人くらいがチャットに集まっているようだ。大学生が多いので、大体深夜にならないとメンバーが集合しない。すでにログインしている仲間達が一斉に挨拶に応えてくれた。まずは近況と雑談。合唱部を始めたことを報告すると、皆一様に驚きと称嘆のメッセージを送ってくれる。
乃愛琉が参加しているルームは主に恋愛系のストーリー好きの集まりだった。男女比が圧倒的に男子の方が多いこのサイトでは女子はもてはやされる。元々おませな乃愛琉は、『翔んだ』女子高生を演じているため、特に人気が高い。今日も身近で起きた恋バナを演出をふんだんに添えて報告した。真湖に塩利己翔の告白、阿修羅の嫉妬、密かに阿修羅を想う灯との四角関係等をさもドロドロの恋愛劇のようにして2倍にも3倍にも膨らませる。もちろん実名が伏せるけれど。
『で、サンタちゃんはどうなのよ?』
乃愛琉のハンドルネームを名指しされた。
『そっりゃあ、カレシとラブラブよ』
と、創作された架空のカレシとの恋愛話をでっち上げる。どうせ出会うことなんてないんだから、多少の嘘だって、方便のうち。
乃愛琉は男女間の心の動きに敏い。だから、真湖の気持ちとか、阿修羅とか、翔とか灯の関係は手に取るように分かるのだ。そのくせ本人はどの男子にもときめいたことがなかった。
できる兄を持つとカレシができにくいなんていうラノベもあったけれど、確かに兄と比べると同級の男子はかなり見劣りするのだ。一時、自分はかなりのブラコンなのかと悩んだこともあったくらい。
確かに自分たちは兄妹仲はいい方だと思うし、兄も男前で、中高では共にモテる方のようだし。しかし兄は所謂八方美人タイプで、誰にでも優しくする。もちろん妹には人一倍優しくはしてくれるけれど、兄妹以上の態度は取らない。乃愛琉もその辺の節度はわきまえているつもりだ。
だから、背伸びしたがるのかも知れない。正直同級の男子と話をするより、大学生やそれ以上の男の人達とチャットする方がずっと楽しいのだ。
しかし、チャットの中では自分が作り上げた架空の自分を創作しているだけであって、あくまでも自分は主役ではなかった。脇役に徹する。それが乃愛琉だった。リアルの世界でも、真湖が主役でその後ろにいつもついているのが自分だと、役回りを決めてしまっているのだ。
その夜、真湖は夢を見た。それは自分のことではなく、翔平のことだった。いつか見た翔平の過去。イメージの中で翔平は西光中学の制服を着ていたので、それは中学生時代の翔平だったと思われる。コンクール会場での場面。一所懸命に歌う部員達。審査を待ち、そして発表の瞬間。抱き合う仲間達。断片的ではあるが、コンクールで優勝した時の記憶なのだろう。
その時の翔平の気持ちを自分も味わいたい。そう思ったから、合唱部をつくろうと思ったのだろう。そして、コンクールの最後に会場全体で唄う、『大地讃頌』が心に響く。けれどその響きは翔平の心の響きでしかない。実際に自分の耳で聞いて感動したい。それが真湖の今の願いだった。
そして、それぞれの夜が過ぎていく。
階下から母の呼ぶ声がする。
「はーい!」
呼ばれて、居間に向かうとすでに父が食卓に着いて新聞を読んでいた。
「お父さんお帰りなさい」
「おう。ただいま。なんか、部屋で叫び声が聞こえたんだが?」
「うん、発声練習。合唱部に入ることにしたんだ」
「ほう、そうか。そう言えば、翔平も合唱部やってたんだったな。影響されやすいな、真湖は」
「真湖、部活なんかやってて、勉強大丈夫?」
寛容な父に対して、スパルタママな母が最初に気にしたのはそこだった。
「大丈夫だよー。運動部みたいに、夜遅くまで練習するとかないし」
「そう? 紺上さんとこはもう塾に通い始めてるって聞いてるしねぇ……」
「灯と比較しないでよ。まさか、あたしが石東とか入れるとでも思ってる?」
「そりゃあ、岩東は無理にしても、行く高校ないとかなったら困るでしょ? 去年までは翔ちゃんに教えてもらえたけど、もう勉強みてくれる人もいないんだからね。しっかりしてよ。もう小学生じゃないんだし……」
「はいはい」
真湖は適当に話を切り上げて、洗面所に逃げた。
「どこ行くの?」
「手ぇ、洗ってきますー」
「まったく……誰に似たんだか……」
母は深い溜息をついた。真湖の両親は共に公務員の共働き。できれば娘も公務員にさせたいとは思っているのだが、真湖の小学生時の様子を思うに、このままだと、地元市役所だって危ない。いくら女の子とは言え、共働きが当たり前のこの世の中ではやはり学歴が大切だと母は思っている。
逆に父は娘に甘い。もちろんできることならば公務員の方が安定はしているとは思いつつも、できれば、一人娘には伸び伸びと育ってほしいと願っている。あまりギスギスした性格になるくらいなら、多少学力がどうであろうと。今のところは父の思いが勝った育ち方をしているのだが、さすがに中学生ともなると、母の言い分が勝ってきており、自分に対する風当たりが強くなってきているのを真湖も感じてきているのだった。
「夜中にあんまり大声出すと、近所にも迷惑だからね、気を付けなさいよ」
洗面所から戻ってきた真湖に母が苦言をおとす。
「大丈夫、隣、阿修羅だから、気にしないっしょ。いっただっきまーす」
今晩のおかずは、真湖の大好きな肉じゃが。父も一緒に箸を付け始めた。
一方、阿修羅の家。野球部の練習から帰ってきたばかりの阿修羅が居間に顔を出す。全身泥だらけである。
「ただいまー。今日のご飯なにー?」
「ちょっと、外でちゃんと服ほろってから入ってきなさいね! ユニフォームにまだ泥ついてるわよ!」
妹たちにご飯を食べさせながら、母は怒鳴った。
「へーい」
「今日はとんかつだよ」
「やっほーい!」
「先にお風呂入ってきなさいね。用意できてるから」
「ほーい」
阿修羅は言われた通りに、一度玄関を出る。母は苦笑した。
「本当に、お兄ちゃんったら、困ったもんでしゅねー」
と、双子の妹達にご飯を順に食べさせる。阿修羅の妹たちは3歳になったばかりでまだまだ手がかかる。近所では肝っ玉母さんで通っているこの母も、ここ数年は妹たちの世話で手一杯だった。それでも、心優しい長男は手が空いていれば妹たちの世話を自主的に行うのがせめてもの救いだったのだが、野球少年の業というか、年中練習に明け暮れているため、夏の間はなかなか時間が取れないのが玉に瑕。なにより、洗濯物の量が年々増えているのが苦労の元であった。
阿修羅は脱衣所で泥だらけになったユニフォームを脱ぎ、風呂場に飛び込んだ。ざっとだけ掛け湯をかぶり、湯船に浸かった。
「ふー」
深い溜息をついた。練習の疲れもあったのだが、気になるのは合唱部の動向だった。いや、正直に言うと、真湖の動向というのか。いやいやいやと否定しようとも思うのだが、結局思い至るのは、あのハーフの転校生、塩利己翔(えんりこ しょう)なのだ。
「べ、別に、真湖のことがなんだっていう訳じゃねーから……」
と、口では言ってみたものの、心の中では忸怩たるものがあった。阿修羅自身としては、幼馴染みを特別な関係とは思っていない。ただ、たまたま隣に住んでたってだけの話だ。真湖が好きとか嫌いとか、そういう次元でもないと自分では思っている。確かに真湖は良いヤツだが、それ以上の感情があったかというと自分でも分からない。あの時言った、『一応幼馴染み』という言葉は、そういった、自分の中でもまだはっきりしていない部分をさらけ出してしまった結果だった。けれど、自分たちが一緒に過ごした時間をすっかり飛び越えてこの輪の中にすっぽりと入ってきた翔のことを認める気にもなれない。そんな複雑な感情をまだ整理できずにいたのだ。
「ただいま」
灯が塾から帰ってくると、すでに両親は寝床についていた。食卓テーブルの上にはいつもの様に夕食が置かれ、フキンが被せてあった。その上に走り書きで、『冷蔵庫にほうれん草のおひたしが入ってます』とメモがついていた。灯は制服を着替えもせずにそのまま冷蔵庫に向い、おひたしをとって、ご飯をよそった。灯の家の食卓は昭和のにおいのする畳敷きの居間で、正座して食事を始める。
両親は共に農業に従事しており、陽が落ちれば就寝し、陽が昇る前に畑に出る生活を長年続けてきた。とは言っても、小作でしかなく、生活も豊かとは言えなかった。母が灯を産んだのは高齢出産と呼ばれる頃で、そのため、二人共に灯にかける期待は高く、幼少のころから学業には手をかけてきた方だった。灯自身も物心がつくようになり、他の子たちと比較して家が貧しいことに気がついた頃から勉強に打ち込むようになった。将来は自力でなんとかしなければならない、両親の面倒も自分が見なければならないと自然に考えるようになったのだ。
小学校では神童と呼ばれていたが、けっして灯は天才肌ではなかった。例えば、真湖の従兄である翔平などと比べると雲泥の差で、ひらめきも思考の柔軟さもない。ここまでの成績はあくまでも毎日の努力で積み重ねてきたものだ。けれど、特に勉強が好きというわけでもない。年老いた両親が苦労しているところを何度も見聞きしているうちに、脅迫的に身についたものなのである。
家計が苦しくても、自分の教育費だけには出費を惜しまない両親には感謝もしている。ただ、これ以上の負担はかけたくなかったので、札幌の中学を受験することは断念した。
灯の最近の悩みは、中学に入る前あたりから徐々に成績が落ち始めていることだ。自分に才能がないことは分かっているだけに、時間をかけて覚えて予習復習をしても、難関校レベルの応用問題が解けないことが多くなってきていた。
食事を終えると食器を台所に片付け、食卓テーブルの上で塾の宿題と翌日の予習を始めた。
乃愛琉は両親が寝静まったことを確認すると、そっと階段を降りた。朝の早い両親の就寝時間より自分の方が遅くなり始めたのはいつからだろう。兄が中学にのぼった頃からだろうか。乃愛琉の兄は3つ上で今年高校入学したばかりだから、4年生の頃からだろうか。それでも、最初のうちは一旦寝たふりをしていたのだが、自然と両親の方が先に寝るようになった。
居間につくと、そっとPCデスクの前に座り電源を入れる。真っ暗な部屋の中にぼぅっと液晶画面の灯りがともる。自宅のPCは居間にしかない。両親の方針から、子供達の部屋には置かないことになっているのだ。もともとこのPCは兄のものだったのだが、高校入学のお祝いにスマホをプレゼントされてから本人が使うことがあまりなくなった。そのため、最近はほとんど乃愛琉が使うようになっていた。
『こんばんは』
PCが起動され、ブラウザが開かれると、早速乃愛琉はチャットを開始する。週に1度程度訪れるサイトだ。アニメとかラノベ小説とかのファンが集うサイトで、高校、大学生が中心のSNSだった。乃愛琉も高校生と嘘をついて参加している。今日は10人くらいがチャットに集まっているようだ。大学生が多いので、大体深夜にならないとメンバーが集合しない。すでにログインしている仲間達が一斉に挨拶に応えてくれた。まずは近況と雑談。合唱部を始めたことを報告すると、皆一様に驚きと称嘆のメッセージを送ってくれる。
乃愛琉が参加しているルームは主に恋愛系のストーリー好きの集まりだった。男女比が圧倒的に男子の方が多いこのサイトでは女子はもてはやされる。元々おませな乃愛琉は、『翔んだ』女子高生を演じているため、特に人気が高い。今日も身近で起きた恋バナを演出をふんだんに添えて報告した。真湖に塩利己翔の告白、阿修羅の嫉妬、密かに阿修羅を想う灯との四角関係等をさもドロドロの恋愛劇のようにして2倍にも3倍にも膨らませる。もちろん実名が伏せるけれど。
『で、サンタちゃんはどうなのよ?』
乃愛琉のハンドルネームを名指しされた。
『そっりゃあ、カレシとラブラブよ』
と、創作された架空のカレシとの恋愛話をでっち上げる。どうせ出会うことなんてないんだから、多少の嘘だって、方便のうち。
乃愛琉は男女間の心の動きに敏い。だから、真湖の気持ちとか、阿修羅とか、翔とか灯の関係は手に取るように分かるのだ。そのくせ本人はどの男子にもときめいたことがなかった。
できる兄を持つとカレシができにくいなんていうラノベもあったけれど、確かに兄と比べると同級の男子はかなり見劣りするのだ。一時、自分はかなりのブラコンなのかと悩んだこともあったくらい。
確かに自分たちは兄妹仲はいい方だと思うし、兄も男前で、中高では共にモテる方のようだし。しかし兄は所謂八方美人タイプで、誰にでも優しくする。もちろん妹には人一倍優しくはしてくれるけれど、兄妹以上の態度は取らない。乃愛琉もその辺の節度はわきまえているつもりだ。
だから、背伸びしたがるのかも知れない。正直同級の男子と話をするより、大学生やそれ以上の男の人達とチャットする方がずっと楽しいのだ。
しかし、チャットの中では自分が作り上げた架空の自分を創作しているだけであって、あくまでも自分は主役ではなかった。脇役に徹する。それが乃愛琉だった。リアルの世界でも、真湖が主役でその後ろにいつもついているのが自分だと、役回りを決めてしまっているのだ。
その夜、真湖は夢を見た。それは自分のことではなく、翔平のことだった。いつか見た翔平の過去。イメージの中で翔平は西光中学の制服を着ていたので、それは中学生時代の翔平だったと思われる。コンクール会場での場面。一所懸命に歌う部員達。審査を待ち、そして発表の瞬間。抱き合う仲間達。断片的ではあるが、コンクールで優勝した時の記憶なのだろう。
その時の翔平の気持ちを自分も味わいたい。そう思ったから、合唱部をつくろうと思ったのだろう。そして、コンクールの最後に会場全体で唄う、『大地讃頌』が心に響く。けれどその響きは翔平の心の響きでしかない。実際に自分の耳で聞いて感動したい。それが真湖の今の願いだった。
そして、それぞれの夜が過ぎていく。
2013年10月2日水曜日
小説家になろうサイトにて、「人生こんなところで終わらせてたまるか!」連載中です
小説家になろうサイトにて、即興小説で書いた過去作から、
人生こんなところで終わらせてたまるか!
を、加筆訂正の上、アップさせていただいております。
これが意外にアクセス数を稼いでおりまして、昨日の時点で1日300PVを超えました。
嬉しい限りでございます。
こちらの方の加筆作業が終わりましたので、「Nコン!」の方をまた少しづつですが、進めていこうと思ってます。
「人生こんなところで終わらせてたまるか!」は、いずれこちらのサイトでも公開したいと思ってます。
人生こんなところで終わらせてたまるか!
を、加筆訂正の上、アップさせていただいております。
これが意外にアクセス数を稼いでおりまして、昨日の時点で1日300PVを超えました。
嬉しい限りでございます。
こちらの方の加筆作業が終わりましたので、「Nコン!」の方をまた少しづつですが、進めていこうと思ってます。
「人生こんなところで終わらせてたまるか!」は、いずれこちらのサイトでも公開したいと思ってます。
2013年9月26日木曜日
「Nコン!」連載期間、かなりユルくなります。
リアル事情的な理由もあるのですが、ちょっとここんとこ筆が進みません。
もう一つの理由としては、今、プロットの再構成をしているというのもあります。
あと、気分が乗らないというのも……。
先は長いので、ここらで少し休憩というのもアリかなと……。
続けて読んでいただいている方々には大変申し訳なく思いますが、まったりお待ちいただければ幸いかと。よろしくお願いします。
もう一つの理由としては、今、プロットの再構成をしているというのもあります。
あと、気分が乗らないというのも……。
先は長いので、ここらで少し休憩というのもアリかなと……。
続けて読んでいただいている方々には大変申し訳なく思いますが、まったりお待ちいただければ幸いかと。よろしくお願いします。
2013年9月20日金曜日
「Nコン!」第8コーラス目「発声!」
読むための所要時間:約5分
「じゃあ、腹式呼吸ってできる?」
「腹式呼吸って、なんですか?」
『できるわよね?』と言おうとしていた現(うつつ)であったが、はっきりと否定され、がっかりだった。しょっぱなからこれでは先が思いやられる。実は三人が三人ともにド素人だったわけだ。あれだけ大騒ぎして合唱部を創るとしてきた煌輝(きらめき)でさえ、合唱、コーラスの基本中の基本である腹式呼吸さえ知らないのだというのだから。
「いい? 合唱の基本はまずは発声。声をどうやって出すかによって歌が全然変わるから」
とは言っても、現自身きちんと指導を受けたのは、2年前に三越先生が亡くなるまでの期間だけ。人に指導できるほどのものはないと自分では思っているが、少なくとも、全くの素人相手であれば、自分の方が遙かに知識はあるはず。三越先生がどう言っていたのかを思い出しながら、話を続ける。
「腹式呼吸は、お腹から声を出すの。肺呼吸で声を出すには限界があるから。普通に、『あー』って出すのと、お腹に力を入れて『あー』って発声するのと、ほら、全然違うでしょ?」
実際に実演してみせる。
「ぜんぜん違いますね!」
明らかに後者の方が大きいし、迫力があるのが真湖達にも分かる。
「あなたたちもやってごらん?」
同じように、『あー』と、3人揃って声を出してみる。が、当然のことながら、全くバラバラで現のような声は出ない。その時、現の目が瞬いた。
「エンリコくんだっけ? ちょっと、もう一回声出してもらえる? 同じ感じでいいから」
「はい? えっと。『あー』」
「じゃあ、わたしの音に合わせて、『あー』」
「はい。『あー』」
「もっと高く。『あー』」
何度も何度も音程を上げていく。どんどんと上がっていき、現が苦しくなってきても、翔の声はまだまだ上がる。
「ちょっと、キミって、声変わりしてないの?」
「はい、まだ変声期はきてないみたいですね」
確かに、彼の声は前に会った時から高いと思ってはいたが、ここまでとは。現は比較的女子としては低めの声なので、アルトパートではあるのだが、女子より高い声が出るのには驚いた。小学生の時にはクラスに1名程度男子でも高い声の子はいたが、中学生になってもとは。
逆に、現は今度は低い声を試してみた。今度は翔の方が先に声が出なくなった。完全にソプラノ域である。変声期を過ぎていないということならば、いわゆるボーイソプラノだ。良く見ると、彼の喉の凹凸は同年齢と比較しても平坦であるし、ハーフの割には顔も童顔っぽい。他の男子に比べて成長が遅いのだろうか。彼の問題はいつ変声期を迎えるかだが、当座のところは女子パートを担当させることでこちらとしては問題はないだろう。
「じゃあ、あななたちは?」
合わせて、真湖と乃愛琉にも声出しさせてみる。真湖はソプラノ域、乃愛琉は若干アルト向きのようだった。
現在合唱部入部希望者は全部で10名。女子が現、如月、外園、真湖、乃愛琉の5名、男子が栗花落、保家、射原兄弟の4名にエンリコの予定だったのだが、男子パート4対女性パート6になってしまう。5対5を予想していたので、現には若干の失望感が漂った。
ただ、現状だけの話としては、1年生3人ともに女子パートの練習だけで済むのだから、考えようによっては良かったとも言える。来週の勧誘会は、校歌で、混声二部合唱なので問題はなさそうだ。あとは勧誘で男子も同じように集まってくれるかどうかだ。概ね全国的にみて、合唱部は男子が集まりにくい傾向にある。
「じゃあ、思いっきり、お腹に力を入れて、大声を出してみて」
現がそう指示すると、三者三様に大声を張り上げる。
「はいはい、それじゃ、ただのがなり声。しかも、お腹に力が入ってない!」
しばらく考え込む現。三越先生に指導された時のことを思い出す。
「そしたらね、三人とも、そこに仰向けに寝っ転がって。それから、足をちょっとだけ上げて。5センチくらい浮かせる感じで……本当はそのまま90度上げるといいんだけ……ど」
現の言う通りに、三人はその場に寝転がり足を上げる。が、真湖がその言葉通りに、ひょいと足を天井めがけて上げようとした。
「真湖ちゃん!」
乃愛琉が気がついてすぐにその足を戻そうとしたが、時遅く、すっかりスカートがまくれてしまった。慌てて足を下ろさせる乃愛琉。栗花落の目を押さえる現。何事かと、驚いて起き上がる翔。ほんの少しの間時間が止まった。
「あ、ごめーん、スカートだったの忘れてたー」
小学校の時は、特別な行事の時以外はほとんどジャージかパンツだったこともあって、いまだに動作がやんちゃな真湖であった。頭を掻きながら乃愛琉に謝る。
「縞パン……」
すぱこーん!
栗花落の言葉に、現のビンタが飛んだ。
「そしたら、明日から1年生は猛特訓だからね! 必ずジャージを持ってくること。それから家に帰ったら、さっきの練習を最低一時間はやること。いいわね?」
現は、三越先生から教わった、腹式呼吸の練習方法を3人に見よう見まねで教え、帰宅後も復習するようにさせることにした。校歌については、2年、3年は間違いなく歌えるので、1年生3人にどこまで教え込むかが鍵となる。焼き付け刃になるのは致し方ないとしても、まずは声量の問題だけはクリアしておきたいと考えたのだ。かといって、今から腹筋を鍛えるとか、体力をつけるとかの長期課題は難しく、一番効果があるのが、腹式呼吸を「なんちゃって」でもいいから覚えさせることを最優先にすることにした。
「あと、これ、校歌を録音したCD。それぞれ貸してあげるから、明日までにコピーするかして、自分で毎日聴けるようにしてちょうだい」
『石見沢市立西光中学校歌』と手書きされたCD-Rを三人に手渡した。
「うち、パソコンとかないんですよ」
翔が残念そうに言い、真湖も頷いて、乃愛琉の方を見る。
「じゃあ、わたしがコピーしてあげる。うち、パソコンがあるから」
乃愛琉がそう言って、現が差し出したCDの内、一枚だけを受け取った。
「CDプレイヤーとかもないの?」
「ないですね」
「あたしのとこは、プレイヤーはあったと思います」
確か、真湖の両親の部屋に古いプレーヤーを置いていた記憶がある。
「じゃあ、煌輝さんには、これ貸してあげる。来週の発表まで持ってていいわよ」
「ありがとうございます」
「エンリコくんは、MP3プレーヤーとか、何かある?」
乃愛琉がCDを鞄にしまいながら翔に尋ねる。
「ないなぁ」
今時、音楽プレーヤーを持ってない中学生がいた。
「FSFとか、携帯ゲーム機とかは?」
「ゲームもやらないしなぁ」
「じゃあ、わたしのお兄ちゃんのiFodで使ってないのがあったはずだから、それ貸してあげる。シャッフルだけど、一曲だけなら、問題ないわよね?」
「シャッフル? よくわかんないけど、聴ければいいんじゃないかな? ありがとう」
「ううん」
見た目だけだと、流行に聡そうな翔だったが、音楽プレイヤーどころか携帯ゲームも持っていないというのは珍しかった。真湖たちのクラスメートも、全員なんらかの携帯ゲームは持っていたはずだ。真湖も、『プリティチュア』のFSFを持っているので、乃愛琉からデータをもらえば、それで聴こうと思っていた。
「本当は登下校時にも聴いて欲しいくらいだけど、学校に持ち込みできないから、それは仕方ないわね」
当然学校は携帯、ゲーム、その他の電子機器は持ち込み禁止である。チェックはさほど厳しくはないが、見つかれば没収だった。
「にしても、さっきの校長先生、あっさり部の創設認めてくれましたよね? あんなんだったら、最初からOKしてくれればいいのに」
乃愛琉に持ってきてもらった自分の鞄を持ちながら、真湖が愚痴をこぼした。
「そうは言うけど……」
と、栗花落が言いかけたが、現はなんでもないと打ち消した。実のことを言うと、昨日校長への直談判に2時間はかけた。現がかなり粘ったのを彼氏である栗花落が隣でずっと見ていたのだ。その苦労も知らないで、と内心では思うけれど、そう言ったことを表立って言わない現のことを栗花落は改めて好きだなと思った。
ただ、校長が彼らの要求を飲んだ時も、奥歯に何か挟まっているような言い方をしていたのを栗花落は見ていた。合唱部創部には校長や教職員の事情も何かしらあるのかも知れないとは思わないでもない。けれど、とりあえず来週の勧誘会で10名集めることができれば、創部との約束を取り付けたことは大きい。
「じゃあ、また明日」
「ありがとうございました」
3人が音楽室を出ていく。と、また真湖が扉から顔を出して、
「現先輩、本当にありがとうございました!」
と、額が膝につくかと思われるくらい、深いお辞儀をした。ポニーテールが床についた。
「明日から頑張ってね」
と返す。
「現先輩って、いい人だよねー!?」
帰り道、真湖が陽気に叫んだ。
「そうだね。美人だしね」
「あら、エンリコくん、もう心変わり?」
「ううん。俺は真湖ちゃん一途だからね。あくまでも一般論」
乃愛琉のからかいにも全く動じない翔。
確かに、美人か美人でないかというと、現は美人ではあると言えるくらい、顔立ちは整っているし、田舎の中学生にしては垢抜けたところがある。クール系を少し通り越して、後輩達からすると少し怖いイメージを感じ取るかも知れない。
それより、アンバランスなのは彼氏の方で、見るからに優柔不断で優男の栗花落が何故彼氏なのかが乃愛琉には不思議だった。真湖はあんまりそういうところに頓着しないので、多分自分だけそう感じているのかも知れないなとは思いつつ。
「ねぇ、エンリコくんは真湖ちゃんのどこが好きなの?」
「乃愛琉、そういうの止めようよー」
突然自分に振られて、あわあわする真湖。
「んー? 縞パンなとこ?」
一気に真湖の顔が赤くなる。
「み、見てたの? ばかばかばか!」
「だって、あれは、事故でしょ! あれだけめくれたら、見えるってば。」
鞄で翔を叩くが、翔もあえて逃げはしない。
今朝下着を選んだ時に、春先に母に買ってもらった新しいピンクの縞模様のを選んでいた。小学校の頃から履いているキャラクターもののじゃなくてよかったと今更ながらに安堵していたとかは内緒の話。
「ま、まあ、それは冗談として、真湖ちゃん可愛いじゃん。あ、もちろん、乃愛琉ちゃんも可愛いけど、真湖ちゃんは、積極的っていうのかな。思いっきりがいいっていうのかな。そういうとこが好き」
さすが自分へのフォローも忘れずに加えるところが日本人離れしていると乃愛琉は思う。しかも、好きとかを恥ずかしげもなく言うのは相変わらずというか。
真湖も自分も、美人とは言えないが、まあ、なんとか『可愛い』部類かとは思う。真湖本人はそばかすを気にしているけれど、それを除けば目鼻立ちはいい。女の子同士ではあるけれど、時々抱きつきたくなるオーラを持っている。それは、誰に対してでも発揮されていて、いつの間にか真湖が人の輪の中心にいることが多いのは、そのせいなのだろう。
「乃愛琉もそういうのやめようよー。もう」
今度は、乃愛琉の陰に隠れる真湖だった。翔にそういうことを言われると、なんだか恥ずかしい。自分は全く可愛いとも思ってないし、むしろ、乃愛琉の方がずっと可愛いと思っている。乃愛琉はクラスではあまり目立つタイプではないけれど、男子に好かれるタイプだというのは真湖が勝手に思っていることだが、顔もそうだけれど、優しいし、思いやりがあるし、よく教科書に載っている『昔の貞淑な妻』にはぴったりだと思っている。
「じゃ、また明日ね!」
真湖は、翔との分かれ道が見えてきた辺りで、乃愛琉の手を引っ張って、走り出した。完全に照れ隠しである。けれど、翔は微笑みで見送る。
「うん、じゃあまた明日ね!」
帰宅後、3人は現に教わった通りに、発声練習を始めた。
腹式呼吸を意識するためには、まず腹筋に力を入れることを意識する必要がある。よく、「腹で息をする」などと表現されることがあるが、実際に腹で息が吸えるわけではなく、そういうイメージを持つというだけの話である。ただ、全くの素人の場合、そのイメージは付きづらく、むしろ変な癖をつけることになってしまう。一番意識しやすい方法として、亡き三越先生が指導していたのが、彼らに教えたように、寝た状態で足を軽く上げならが発声をする方法だった。これだと、無理なく自然に腹筋に力が入り、意識をしやすい上、同時に腹筋を鍛えることができる。
「あー」
真湖は現に言われた通りに自室で声を上げる。足を5センチくらい上げておくときついので、最初は足を上げ下げする方法をと薦められたので、足をあげては下げ、下げては上げる。足を曲げないようにと注意された。これを10セット。
「あたたた」
単純に腹筋体操を10回やるよりキツイ。
「明日、筋肉痛になっちゃうよー」
練習初日から、前途多難な真湖であった。
「腹式呼吸って、なんですか?」
『できるわよね?』と言おうとしていた現(うつつ)であったが、はっきりと否定され、がっかりだった。しょっぱなからこれでは先が思いやられる。実は三人が三人ともにド素人だったわけだ。あれだけ大騒ぎして合唱部を創るとしてきた煌輝(きらめき)でさえ、合唱、コーラスの基本中の基本である腹式呼吸さえ知らないのだというのだから。
「いい? 合唱の基本はまずは発声。声をどうやって出すかによって歌が全然変わるから」
とは言っても、現自身きちんと指導を受けたのは、2年前に三越先生が亡くなるまでの期間だけ。人に指導できるほどのものはないと自分では思っているが、少なくとも、全くの素人相手であれば、自分の方が遙かに知識はあるはず。三越先生がどう言っていたのかを思い出しながら、話を続ける。
「腹式呼吸は、お腹から声を出すの。肺呼吸で声を出すには限界があるから。普通に、『あー』って出すのと、お腹に力を入れて『あー』って発声するのと、ほら、全然違うでしょ?」
実際に実演してみせる。
「ぜんぜん違いますね!」
明らかに後者の方が大きいし、迫力があるのが真湖達にも分かる。
「あなたたちもやってごらん?」
同じように、『あー』と、3人揃って声を出してみる。が、当然のことながら、全くバラバラで現のような声は出ない。その時、現の目が瞬いた。
「エンリコくんだっけ? ちょっと、もう一回声出してもらえる? 同じ感じでいいから」
「はい? えっと。『あー』」
「じゃあ、わたしの音に合わせて、『あー』」
「はい。『あー』」
「もっと高く。『あー』」
何度も何度も音程を上げていく。どんどんと上がっていき、現が苦しくなってきても、翔の声はまだまだ上がる。
「ちょっと、キミって、声変わりしてないの?」
「はい、まだ変声期はきてないみたいですね」
確かに、彼の声は前に会った時から高いと思ってはいたが、ここまでとは。現は比較的女子としては低めの声なので、アルトパートではあるのだが、女子より高い声が出るのには驚いた。小学生の時にはクラスに1名程度男子でも高い声の子はいたが、中学生になってもとは。
逆に、現は今度は低い声を試してみた。今度は翔の方が先に声が出なくなった。完全にソプラノ域である。変声期を過ぎていないということならば、いわゆるボーイソプラノだ。良く見ると、彼の喉の凹凸は同年齢と比較しても平坦であるし、ハーフの割には顔も童顔っぽい。他の男子に比べて成長が遅いのだろうか。彼の問題はいつ変声期を迎えるかだが、当座のところは女子パートを担当させることでこちらとしては問題はないだろう。
「じゃあ、あななたちは?」
合わせて、真湖と乃愛琉にも声出しさせてみる。真湖はソプラノ域、乃愛琉は若干アルト向きのようだった。
現在合唱部入部希望者は全部で10名。女子が現、如月、外園、真湖、乃愛琉の5名、男子が栗花落、保家、射原兄弟の4名にエンリコの予定だったのだが、男子パート4対女性パート6になってしまう。5対5を予想していたので、現には若干の失望感が漂った。
ただ、現状だけの話としては、1年生3人ともに女子パートの練習だけで済むのだから、考えようによっては良かったとも言える。来週の勧誘会は、校歌で、混声二部合唱なので問題はなさそうだ。あとは勧誘で男子も同じように集まってくれるかどうかだ。概ね全国的にみて、合唱部は男子が集まりにくい傾向にある。
「じゃあ、思いっきり、お腹に力を入れて、大声を出してみて」
現がそう指示すると、三者三様に大声を張り上げる。
「はいはい、それじゃ、ただのがなり声。しかも、お腹に力が入ってない!」
しばらく考え込む現。三越先生に指導された時のことを思い出す。
「そしたらね、三人とも、そこに仰向けに寝っ転がって。それから、足をちょっとだけ上げて。5センチくらい浮かせる感じで……本当はそのまま90度上げるといいんだけ……ど」
現の言う通りに、三人はその場に寝転がり足を上げる。が、真湖がその言葉通りに、ひょいと足を天井めがけて上げようとした。
「真湖ちゃん!」
乃愛琉が気がついてすぐにその足を戻そうとしたが、時遅く、すっかりスカートがまくれてしまった。慌てて足を下ろさせる乃愛琉。栗花落の目を押さえる現。何事かと、驚いて起き上がる翔。ほんの少しの間時間が止まった。
「あ、ごめーん、スカートだったの忘れてたー」
小学校の時は、特別な行事の時以外はほとんどジャージかパンツだったこともあって、いまだに動作がやんちゃな真湖であった。頭を掻きながら乃愛琉に謝る。
「縞パン……」
すぱこーん!
栗花落の言葉に、現のビンタが飛んだ。
「そしたら、明日から1年生は猛特訓だからね! 必ずジャージを持ってくること。それから家に帰ったら、さっきの練習を最低一時間はやること。いいわね?」
現は、三越先生から教わった、腹式呼吸の練習方法を3人に見よう見まねで教え、帰宅後も復習するようにさせることにした。校歌については、2年、3年は間違いなく歌えるので、1年生3人にどこまで教え込むかが鍵となる。焼き付け刃になるのは致し方ないとしても、まずは声量の問題だけはクリアしておきたいと考えたのだ。かといって、今から腹筋を鍛えるとか、体力をつけるとかの長期課題は難しく、一番効果があるのが、腹式呼吸を「なんちゃって」でもいいから覚えさせることを最優先にすることにした。
「あと、これ、校歌を録音したCD。それぞれ貸してあげるから、明日までにコピーするかして、自分で毎日聴けるようにしてちょうだい」
『石見沢市立西光中学校歌』と手書きされたCD-Rを三人に手渡した。
「うち、パソコンとかないんですよ」
翔が残念そうに言い、真湖も頷いて、乃愛琉の方を見る。
「じゃあ、わたしがコピーしてあげる。うち、パソコンがあるから」
乃愛琉がそう言って、現が差し出したCDの内、一枚だけを受け取った。
「CDプレイヤーとかもないの?」
「ないですね」
「あたしのとこは、プレイヤーはあったと思います」
確か、真湖の両親の部屋に古いプレーヤーを置いていた記憶がある。
「じゃあ、煌輝さんには、これ貸してあげる。来週の発表まで持ってていいわよ」
「ありがとうございます」
「エンリコくんは、MP3プレーヤーとか、何かある?」
乃愛琉がCDを鞄にしまいながら翔に尋ねる。
「ないなぁ」
今時、音楽プレーヤーを持ってない中学生がいた。
「FSFとか、携帯ゲーム機とかは?」
「ゲームもやらないしなぁ」
「じゃあ、わたしのお兄ちゃんのiFodで使ってないのがあったはずだから、それ貸してあげる。シャッフルだけど、一曲だけなら、問題ないわよね?」
「シャッフル? よくわかんないけど、聴ければいいんじゃないかな? ありがとう」
「ううん」
見た目だけだと、流行に聡そうな翔だったが、音楽プレイヤーどころか携帯ゲームも持っていないというのは珍しかった。真湖たちのクラスメートも、全員なんらかの携帯ゲームは持っていたはずだ。真湖も、『プリティチュア』のFSFを持っているので、乃愛琉からデータをもらえば、それで聴こうと思っていた。
「本当は登下校時にも聴いて欲しいくらいだけど、学校に持ち込みできないから、それは仕方ないわね」
当然学校は携帯、ゲーム、その他の電子機器は持ち込み禁止である。チェックはさほど厳しくはないが、見つかれば没収だった。
「にしても、さっきの校長先生、あっさり部の創設認めてくれましたよね? あんなんだったら、最初からOKしてくれればいいのに」
乃愛琉に持ってきてもらった自分の鞄を持ちながら、真湖が愚痴をこぼした。
「そうは言うけど……」
と、栗花落が言いかけたが、現はなんでもないと打ち消した。実のことを言うと、昨日校長への直談判に2時間はかけた。現がかなり粘ったのを彼氏である栗花落が隣でずっと見ていたのだ。その苦労も知らないで、と内心では思うけれど、そう言ったことを表立って言わない現のことを栗花落は改めて好きだなと思った。
ただ、校長が彼らの要求を飲んだ時も、奥歯に何か挟まっているような言い方をしていたのを栗花落は見ていた。合唱部創部には校長や教職員の事情も何かしらあるのかも知れないとは思わないでもない。けれど、とりあえず来週の勧誘会で10名集めることができれば、創部との約束を取り付けたことは大きい。
「じゃあ、また明日」
「ありがとうございました」
3人が音楽室を出ていく。と、また真湖が扉から顔を出して、
「現先輩、本当にありがとうございました!」
と、額が膝につくかと思われるくらい、深いお辞儀をした。ポニーテールが床についた。
「明日から頑張ってね」
と返す。
「現先輩って、いい人だよねー!?」
帰り道、真湖が陽気に叫んだ。
「そうだね。美人だしね」
「あら、エンリコくん、もう心変わり?」
「ううん。俺は真湖ちゃん一途だからね。あくまでも一般論」
乃愛琉のからかいにも全く動じない翔。
確かに、美人か美人でないかというと、現は美人ではあると言えるくらい、顔立ちは整っているし、田舎の中学生にしては垢抜けたところがある。クール系を少し通り越して、後輩達からすると少し怖いイメージを感じ取るかも知れない。
それより、アンバランスなのは彼氏の方で、見るからに優柔不断で優男の栗花落が何故彼氏なのかが乃愛琉には不思議だった。真湖はあんまりそういうところに頓着しないので、多分自分だけそう感じているのかも知れないなとは思いつつ。
「ねぇ、エンリコくんは真湖ちゃんのどこが好きなの?」
「乃愛琉、そういうの止めようよー」
突然自分に振られて、あわあわする真湖。
「んー? 縞パンなとこ?」
一気に真湖の顔が赤くなる。
「み、見てたの? ばかばかばか!」
「だって、あれは、事故でしょ! あれだけめくれたら、見えるってば。」
鞄で翔を叩くが、翔もあえて逃げはしない。
今朝下着を選んだ時に、春先に母に買ってもらった新しいピンクの縞模様のを選んでいた。小学校の頃から履いているキャラクターもののじゃなくてよかったと今更ながらに安堵していたとかは内緒の話。
「ま、まあ、それは冗談として、真湖ちゃん可愛いじゃん。あ、もちろん、乃愛琉ちゃんも可愛いけど、真湖ちゃんは、積極的っていうのかな。思いっきりがいいっていうのかな。そういうとこが好き」
さすが自分へのフォローも忘れずに加えるところが日本人離れしていると乃愛琉は思う。しかも、好きとかを恥ずかしげもなく言うのは相変わらずというか。
真湖も自分も、美人とは言えないが、まあ、なんとか『可愛い』部類かとは思う。真湖本人はそばかすを気にしているけれど、それを除けば目鼻立ちはいい。女の子同士ではあるけれど、時々抱きつきたくなるオーラを持っている。それは、誰に対してでも発揮されていて、いつの間にか真湖が人の輪の中心にいることが多いのは、そのせいなのだろう。
「乃愛琉もそういうのやめようよー。もう」
今度は、乃愛琉の陰に隠れる真湖だった。翔にそういうことを言われると、なんだか恥ずかしい。自分は全く可愛いとも思ってないし、むしろ、乃愛琉の方がずっと可愛いと思っている。乃愛琉はクラスではあまり目立つタイプではないけれど、男子に好かれるタイプだというのは真湖が勝手に思っていることだが、顔もそうだけれど、優しいし、思いやりがあるし、よく教科書に載っている『昔の貞淑な妻』にはぴったりだと思っている。
「じゃ、また明日ね!」
真湖は、翔との分かれ道が見えてきた辺りで、乃愛琉の手を引っ張って、走り出した。完全に照れ隠しである。けれど、翔は微笑みで見送る。
「うん、じゃあまた明日ね!」
帰宅後、3人は現に教わった通りに、発声練習を始めた。
腹式呼吸を意識するためには、まず腹筋に力を入れることを意識する必要がある。よく、「腹で息をする」などと表現されることがあるが、実際に腹で息が吸えるわけではなく、そういうイメージを持つというだけの話である。ただ、全くの素人の場合、そのイメージは付きづらく、むしろ変な癖をつけることになってしまう。一番意識しやすい方法として、亡き三越先生が指導していたのが、彼らに教えたように、寝た状態で足を軽く上げならが発声をする方法だった。これだと、無理なく自然に腹筋に力が入り、意識をしやすい上、同時に腹筋を鍛えることができる。
「あー」
真湖は現に言われた通りに自室で声を上げる。足を5センチくらい上げておくときついので、最初は足を上げ下げする方法をと薦められたので、足をあげては下げ、下げては上げる。足を曲げないようにと注意された。これを10セット。
「あたたた」
単純に腹筋体操を10回やるよりキツイ。
「明日、筋肉痛になっちゃうよー」
練習初日から、前途多難な真湖であった。
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