2013年10月13日日曜日

「Nコン!」第9コーラス目「家族!」

読むための所要時間:約5分

「真湖、ご飯よー!」
 階下から母の呼ぶ声がする。
「はーい!」
 呼ばれて、居間に向かうとすでに父が食卓に着いて新聞を読んでいた。
「お父さんお帰りなさい」
「おう。ただいま。なんか、部屋で叫び声が聞こえたんだが?」
「うん、発声練習。合唱部に入ることにしたんだ」
「ほう、そうか。そう言えば、翔平も合唱部やってたんだったな。影響されやすいな、真湖は」
「真湖、部活なんかやってて、勉強大丈夫?」
 寛容な父に対して、スパルタママな母が最初に気にしたのはそこだった。
「大丈夫だよー。運動部みたいに、夜遅くまで練習するとかないし」
「そう? 紺上さんとこはもう塾に通い始めてるって聞いてるしねぇ……」
「灯と比較しないでよ。まさか、あたしが石東とか入れるとでも思ってる?」
「そりゃあ、岩東は無理にしても、行く高校ないとかなったら困るでしょ? 去年までは翔ちゃんに教えてもらえたけど、もう勉強みてくれる人もいないんだからね。しっかりしてよ。もう小学生じゃないんだし……」
「はいはい」
 真湖は適当に話を切り上げて、洗面所に逃げた。
「どこ行くの?」
「手ぇ、洗ってきますー」
「まったく……誰に似たんだか……」
 母は深い溜息をついた。真湖の両親は共に公務員の共働き。できれば娘も公務員にさせたいとは思っているのだが、真湖の小学生時の様子を思うに、このままだと、地元市役所だって危ない。いくら女の子とは言え、共働きが当たり前のこの世の中ではやはり学歴が大切だと母は思っている。
 逆に父は娘に甘い。もちろんできることならば公務員の方が安定はしているとは思いつつも、できれば、一人娘には伸び伸びと育ってほしいと願っている。あまりギスギスした性格になるくらいなら、多少学力がどうであろうと。今のところは父の思いが勝った育ち方をしているのだが、さすがに中学生ともなると、母の言い分が勝ってきており、自分に対する風当たりが強くなってきているのを真湖も感じてきているのだった。
「夜中にあんまり大声出すと、近所にも迷惑だからね、気を付けなさいよ」
 洗面所から戻ってきた真湖に母が苦言をおとす。
「大丈夫、隣、阿修羅だから、気にしないっしょ。いっただっきまーす」
 今晩のおかずは、真湖の大好きな肉じゃが。父も一緒に箸を付け始めた。


 一方、阿修羅の家。野球部の練習から帰ってきたばかりの阿修羅が居間に顔を出す。全身泥だらけである。
「ただいまー。今日のご飯なにー?」
「ちょっと、外でちゃんと服ほろってから入ってきなさいね! ユニフォームにまだ泥ついてるわよ!」
 妹たちにご飯を食べさせながら、母は怒鳴った。
「へーい」
「今日はとんかつだよ」
「やっほーい!」
「先にお風呂入ってきなさいね。用意できてるから」
「ほーい」
 阿修羅は言われた通りに、一度玄関を出る。母は苦笑した。
「本当に、お兄ちゃんったら、困ったもんでしゅねー」
 と、双子の妹達にご飯を順に食べさせる。阿修羅の妹たちは3歳になったばかりでまだまだ手がかかる。近所では肝っ玉母さんで通っているこの母も、ここ数年は妹たちの世話で手一杯だった。それでも、心優しい長男は手が空いていれば妹たちの世話を自主的に行うのがせめてもの救いだったのだが、野球少年の業というか、年中練習に明け暮れているため、夏の間はなかなか時間が取れないのが玉に瑕。なにより、洗濯物の量が年々増えているのが苦労の元であった。
 阿修羅は脱衣所で泥だらけになったユニフォームを脱ぎ、風呂場に飛び込んだ。ざっとだけ掛け湯をかぶり、湯船に浸かった。
「ふー」
 深い溜息をついた。練習の疲れもあったのだが、気になるのは合唱部の動向だった。いや、正直に言うと、真湖の動向というのか。いやいやいやと否定しようとも思うのだが、結局思い至るのは、あのハーフの転校生、塩利己翔(えんりこ しょう)なのだ。
「べ、別に、真湖のことがなんだっていう訳じゃねーから……」
 と、口では言ってみたものの、心の中では忸怩たるものがあった。阿修羅自身としては、幼馴染みを特別な関係とは思っていない。ただ、たまたま隣に住んでたってだけの話だ。真湖が好きとか嫌いとか、そういう次元でもないと自分では思っている。確かに真湖は良いヤツだが、それ以上の感情があったかというと自分でも分からない。あの時言った、『一応幼馴染み』という言葉は、そういった、自分の中でもまだはっきりしていない部分をさらけ出してしまった結果だった。けれど、自分たちが一緒に過ごした時間をすっかり飛び越えてこの輪の中にすっぽりと入ってきた翔のことを認める気にもなれない。そんな複雑な感情をまだ整理できずにいたのだ。


「ただいま」
 灯が塾から帰ってくると、すでに両親は寝床についていた。食卓テーブルの上にはいつもの様に夕食が置かれ、フキンが被せてあった。その上に走り書きで、『冷蔵庫にほうれん草のおひたしが入ってます』とメモがついていた。灯は制服を着替えもせずにそのまま冷蔵庫に向い、おひたしをとって、ご飯をよそった。灯の家の食卓は昭和のにおいのする畳敷きの居間で、正座して食事を始める。
 両親は共に農業に従事しており、陽が落ちれば就寝し、陽が昇る前に畑に出る生活を長年続けてきた。とは言っても、小作でしかなく、生活も豊かとは言えなかった。母が灯を産んだのは高齢出産と呼ばれる頃で、そのため、二人共に灯にかける期待は高く、幼少のころから学業には手をかけてきた方だった。灯自身も物心がつくようになり、他の子たちと比較して家が貧しいことに気がついた頃から勉強に打ち込むようになった。将来は自力でなんとかしなければならない、両親の面倒も自分が見なければならないと自然に考えるようになったのだ。
 小学校では神童と呼ばれていたが、けっして灯は天才肌ではなかった。例えば、真湖の従兄である翔平などと比べると雲泥の差で、ひらめきも思考の柔軟さもない。ここまでの成績はあくまでも毎日の努力で積み重ねてきたものだ。けれど、特に勉強が好きというわけでもない。年老いた両親が苦労しているところを何度も見聞きしているうちに、脅迫的に身についたものなのである。
 家計が苦しくても、自分の教育費だけには出費を惜しまない両親には感謝もしている。ただ、これ以上の負担はかけたくなかったので、札幌の中学を受験することは断念した。
 灯の最近の悩みは、中学に入る前あたりから徐々に成績が落ち始めていることだ。自分に才能がないことは分かっているだけに、時間をかけて覚えて予習復習をしても、難関校レベルの応用問題が解けないことが多くなってきていた。
 食事を終えると食器を台所に片付け、食卓テーブルの上で塾の宿題と翌日の予習を始めた。


 乃愛琉は両親が寝静まったことを確認すると、そっと階段を降りた。朝の早い両親の就寝時間より自分の方が遅くなり始めたのはいつからだろう。兄が中学にのぼった頃からだろうか。乃愛琉の兄は3つ上で今年高校入学したばかりだから、4年生の頃からだろうか。それでも、最初のうちは一旦寝たふりをしていたのだが、自然と両親の方が先に寝るようになった。
 居間につくと、そっとPCデスクの前に座り電源を入れる。真っ暗な部屋の中にぼぅっと液晶画面の灯りがともる。自宅のPCは居間にしかない。両親の方針から、子供達の部屋には置かないことになっているのだ。もともとこのPCは兄のものだったのだが、高校入学のお祝いにスマホをプレゼントされてから本人が使うことがあまりなくなった。そのため、最近はほとんど乃愛琉が使うようになっていた。
『こんばんは』
 PCが起動され、ブラウザが開かれると、早速乃愛琉はチャットを開始する。週に1度程度訪れるサイトだ。アニメとかラノベ小説とかのファンが集うサイトで、高校、大学生が中心のSNSだった。乃愛琉も高校生と嘘をついて参加している。今日は10人くらいがチャットに集まっているようだ。大学生が多いので、大体深夜にならないとメンバーが集合しない。すでにログインしている仲間達が一斉に挨拶に応えてくれた。まずは近況と雑談。合唱部を始めたことを報告すると、皆一様に驚きと称嘆のメッセージを送ってくれる。
 乃愛琉が参加しているルームは主に恋愛系のストーリー好きの集まりだった。男女比が圧倒的に男子の方が多いこのサイトでは女子はもてはやされる。元々おませな乃愛琉は、『翔んだ』女子高生を演じているため、特に人気が高い。今日も身近で起きた恋バナを演出をふんだんに添えて報告した。真湖に塩利己翔の告白、阿修羅の嫉妬、密かに阿修羅を想う灯との四角関係等をさもドロドロの恋愛劇のようにして2倍にも3倍にも膨らませる。もちろん実名が伏せるけれど。
『で、サンタちゃんはどうなのよ?』
 乃愛琉のハンドルネームを名指しされた。
『そっりゃあ、カレシとラブラブよ』
 と、創作された架空のカレシとの恋愛話をでっち上げる。どうせ出会うことなんてないんだから、多少の嘘だって、方便のうち。
 乃愛琉は男女間の心の動きに敏い。だから、真湖の気持ちとか、阿修羅とか、翔とか灯の関係は手に取るように分かるのだ。そのくせ本人はどの男子にもときめいたことがなかった。
 できる兄を持つとカレシができにくいなんていうラノベもあったけれど、確かに兄と比べると同級の男子はかなり見劣りするのだ。一時、自分はかなりのブラコンなのかと悩んだこともあったくらい。
 確かに自分たちは兄妹仲はいい方だと思うし、兄も男前で、中高では共にモテる方のようだし。しかし兄は所謂八方美人タイプで、誰にでも優しくする。もちろん妹には人一倍優しくはしてくれるけれど、兄妹以上の態度は取らない。乃愛琉もその辺の節度はわきまえているつもりだ。
 だから、背伸びしたがるのかも知れない。正直同級の男子と話をするより、大学生やそれ以上の男の人達とチャットする方がずっと楽しいのだ。
 しかし、チャットの中では自分が作り上げた架空の自分を創作しているだけであって、あくまでも自分は主役ではなかった。脇役に徹する。それが乃愛琉だった。リアルの世界でも、真湖が主役でその後ろにいつもついているのが自分だと、役回りを決めてしまっているのだ。


 その夜、真湖は夢を見た。それは自分のことではなく、翔平のことだった。いつか見た翔平の過去。イメージの中で翔平は西光中学の制服を着ていたので、それは中学生時代の翔平だったと思われる。コンクール会場での場面。一所懸命に歌う部員達。審査を待ち、そして発表の瞬間。抱き合う仲間達。断片的ではあるが、コンクールで優勝した時の記憶なのだろう。
 その時の翔平の気持ちを自分も味わいたい。そう思ったから、合唱部をつくろうと思ったのだろう。そして、コンクールの最後に会場全体で唄う、『大地讃頌』が心に響く。けれどその響きは翔平の心の響きでしかない。実際に自分の耳で聞いて感動したい。それが真湖の今の願いだった。


 そして、それぞれの夜が過ぎていく。

2013年10月2日水曜日

小説家になろうサイトにて、「人生こんなところで終わらせてたまるか!」連載中です

小説家になろうサイトにて、即興小説で書いた過去作から、
人生こんなところで終わらせてたまるか!
を、加筆訂正の上、アップさせていただいております。
これが意外にアクセス数を稼いでおりまして、昨日の時点で1日300PVを超えました。
嬉しい限りでございます。

こちらの方の加筆作業が終わりましたので、「Nコン!」の方をまた少しづつですが、進めていこうと思ってます。
「人生こんなところで終わらせてたまるか!」は、いずれこちらのサイトでも公開したいと思ってます。