2013年8月30日金曜日

短編「哀しき未亡人」アップしました。

短編「哀しき未亡人」アップしました。右のリストからどうぞ。 
これもオチとしては、及第点だと思う作品です。 お題、必須要素もうまく拾えたと思っています。

2013年8月16日金曜日

「竹取の」第31夜<あとがき>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 「竹取の」最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

 まだの方は、是非お読みいただいてから、あとがきをお読みくださいね(笑



 さて、この「竹取の」ですが、「即興小説トレーニング」というサイトで連作として書いたものを加筆訂正の上、こちらにアップしたものです。
 「即興小説トレーニング」とは、あるお題と必須項目(これは選べます)を元に制限時間(15分~4時間を選べるようになっています)内に即興小説を書き終えるという内容のサイトです。ここに投稿するようになったのは今年、2013年3月頃でした。それまでは、まともに小説なんて書いたことなく、某人狼ゲームでPR(ロールプレイ)する程度。あとは、チャットとかは好きでしたけど。人狼繋がりで、他の方がやっているのを見て、面白そうだな~程度で始めたのが、数ヶ月前です。
 そこで、何名か気に入った作者さんがいらっしゃって、その中のお一方が連作をやっているのをみて、ああ、こういう使い方もあるんだな~と、なんとなくマネしてみたのが、第一作目の作品でした。これは、追々こちらのサイトにもアップしてみようかなとは思ってますが、恋愛モノでした。二作目もなんとなく恋愛チックな、婚活ストーリーと銘打ってました。そして、三作目の連作がこの「竹取の」でした。実は、この作品、全くのノープランから始めて(前作2作もそうでしたけどw)、ここまできちゃいました。最初のお題が「死にかけの月」というものでした。さらに必須要素が「英検」なので、最初のシーンは英検前夜だったのです。さらに、月→かぐや姫→ファンタジー書きたい→月面人が現れる、みたいな感じで至ってシンプルに、「竹取の」と題して、第一話を書き下ろしました。
 ところが、です。改めて「竹取物語」を調べてみると、これが実に奥深い、かつ神秘的で謎の多い物語だということが分かったのです。ただのお伽噺だと思っていたのが、実は全くそんなことはなく、日本最古のSF小説であり、未だに沢山の謎に包まれた作品だったのです。さて、こんな大変なモチーフにしてしまっていいのだろうかと考え直してもみましたが、逆にネタとしておもしろいなと思いつつ、続けて話を展開していくことにしました。特に、小説内でもありますが、「竹取物語」の終盤には、帝が不死の薬を富士山に投げ入れるように指示したため、「不死の山」=「富士山」となったという伝説があります。あたしは今回この作品を書くにあたって、調べている内に初めて知った部分でした。意外に知られていないのではないかと思い、この部分をうまく使いたいという方針で序盤は進めました。
 また、太古の謎を調べていくうちに、古事記や日本書紀にもあたり、これは日本神話も混ぜていくと面白そうだなと。特に「竹取物語」に出てくる月の使者の属するお月様を司る神様「ツクヨミ」については、あまり記述がないようなので、この辺を膨らませてみることにしました。また、富士山の伝説繋がりで、「コノハナサクヤヒメ」を主軸にもっていくことに。実は、富士山伝説では、コノハナサクヤヒメ=かぐや姫は定説らしいのですね。
 しかしながら、この設定を後悔し始めたのは10話前後あたりからでしょうか。調べれば調べる程、日本神話体系や竹取物語の奥深さに打ちのめされました。こんな単純な発想でやってていいの?とか考え始めました。この辺で、一度挫折しかけまして、途中で打ち切ろうと思ったこともありました。けれど、毎回読んで感想を述べていただける方が数名いらっしゃいまして、なんとか挫折せずに済みました。本当にありがたいことです。おかげで、何とか無理やりにでもこじつけて話を進めることができました。最終的にはそれほど矛盾がでないようにはできたと思ってます。ただ、神話研究とかされている方からすると、突っ込みどころは満載だと思いますけど。まあ、そこは、ファンタジーなので、ご勘弁を。
 終盤にかけて、読んでくれている方から、「もふさん、なんか降りてない?」と言われるほどのめり込んでいた部分があったようです。特にサクヤ姫やイワナガ姫が頻繁に出てくるあたりだったかと思います。
 話の中にも出てきますが、イワナガ姫はサクヤ姫と姉妹なのですが、醜いという理由でニニギノミコトから拒否されるのです。これは、天皇の末裔が神の血族なのに、なぜ寿命をもっているのかという理由づけではあるのですが、それにしても、酷い逸話ですよね。しかも、イワナガ姫のその後については、古事記にも記述がないようなのです。そこで、このお姫様にもスポットを当てたいなと思って、こういう流れになったのです。もしかしたら、イワナガ姫がちょこっとばかし、あたしに降りたのかも知れませんね。イワナガ姫がその名の通り、「岩」を司る神様のようなので、そっくりそのまま富士山にもってきて、実は富士山はサクヤ姫ではなく、イワナガ姫そのものだったという結末に、この小説では収めてます。実際、サクヤ姫は水の神様なのに、何故か富士山信仰では火の神様になっているのです。
 今年、富士山は世界遺産に認定されましたね。世界に誇る美しい山が、実は大昔醜いと言われて突き返された神様だったという結末で、ハッピーエンドになればいいなとの思いも込めて。

 話は変わりますが、この物語のもう一方の主軸は、主人公の瑠璃ちゃん、ちいちゃんと亮くんの三角関係です。ちいちゃんと亮くんは従兄妹で幼馴染み。瑠璃ちゃんとちいちゃんは大の親友という関係。オーソドックスな恋物語の予定でしたけど、ちいちゃんの存在が意外に大きく、思ったよりは色々紆余曲折がありました。ただ、即興小説サイトで公開した時には、特にちいちゃんと瑠璃ちゃんの思いとか関係とかがあまり深く描けなかったため、ラストシーンが若干唐突な感じになってしまったのではないかという指摘もいただき、確かに自分で読み返してもそう思ったので、この辺はかなり加筆しました。特に別荘での夜にちいちゃんと瑠璃ちゃんの会話をさらりと流していた部分をかなり深く描写するようにしました。これで二人の思いが読者の方々にも分かるようになったのではないかと思います。
 あと、心残りがあるとすれば、亮ちゃんの心理描写がもう少しできたらなとは思いましたが、一人称で始めてしまったために、どうしてもここは描くのが難しかったですね。余裕があれば、短編で亮くん視点のサイドストーリーみたいなものを書ければいいなぁ~とは思ってますが。いつのことになるやら…(笑
 扉絵を描いていただきました、ららんさんと、OPED曲を作曲していただいた、てけさんには、感謝です!

 次回作は、今、即興で短編でいくつか書き始めてますが、中学生を主人公にしようと考えてます。今まではできるだけ登場人物を少なくして、キャラを分かりやすくすることに専念してきたのですが、今度は少しキャラを増やして、群像劇っぽくしたものに挑戦してみたいなと考えてます。ですので、三人称でチャレンジです。今回はプロットもそこそこきちんとして書くつもりなので、ここと、あと別サイトでの公開になるかも知れません。即興の方は、キャラ設定とか、サイドストーリーを束ねる役目にしようかと思ってます。題名だけはすでに決まってまして、「Ncon!」の予定です。えぬこん!と読みます。どんなストーリーになるかはお楽しみ。
 では、長々とありがとうございます。「竹取の」の感想など、本当に簡単なもの、一言でも結構ですが、残していっていただけると嬉しいなと思います。では、皆様にもコノハナサクヤヒメのご加護がありますように!

2013.8.16
もふもふ

(作曲:てけさん)

2013年8月14日水曜日

「竹取の」第30夜<晦日>(最終回)

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 そのままどうということない話を二人でお喋りしているうちに、いつの間にかまた眠っていたらしい。次に気がつくと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。隣にはちいちゃんが軽い寝息を立てながら寝ていた。軽いウェーブのかかった髪が朝日の光線を受けてにうっすらと金色に光る。鼻が高いなー。肌が綺麗だなー。なんて眺めているうちに、ちいちゃんが寝返りをうった。
「……朝?」
 目をうっすらと開いてわたしに訊いた。
「みたい。もう結構いい時間かも。起きる?」
「うん」
 二人で一緒に、せいので起きた。二人とも昨日の服を着たままだった。わたしたちは顔を見合わせて笑った。それから部屋を出てリビングに向かうと、すでに先生と亮くんが朝食をとっていた。
「おはよう。瑠璃ちゃん、大丈夫かい? もし具合が悪いようなら病院に?」
「いえ、大丈夫です。あの……先生、色々ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
 わたしは改めて謝罪した。結局先生には色々お世話になってしまった。
「全然気にすることないよ。瑠璃ちゃんのせいじゃないし。
 前にも言ったけれど、取材だと思ってるし。というか、実は今回のことを新しい作品にしようと思ってるんだ。……まあ、二人とも座りなさいな」
 わたしたちは二人揃って席についた。美貴さんがそれぞれに朝食のセットをしてくれる。
「あの……それで、どうなったんですか? わたしは途中から覚えていないし、ちいちゃんに聞いたら、全部終わったって……」
 その新しい作品とやらは気になるのだけれど、とりあえず、昨夜の顛末だけは聞いてみたい。
「うん、そうだね。先の話をするより昨夜の話をとりまとめなければだね」
 先生は胸元からいつもの手帳を取り出して、テーブルの上に置いた。
「これはサクヤ姫から聞いた話ではあるけれど……」
 と、前置きして、テーブルの上に置いた手帳を開くまでもなく話を続けた。
「イワナガヒメは富士山に戻り、アメツチ王も月に帰った。それぞれあるべき処に戻ったというところか。アメツチ王は月に戻ってツキヨミを説得すると言っていた。いずれツキヨミの怒りが解消することになれば、イワナガヒメも月に戻れるかも知れないと王は言っていたそうだ。それまでは富士山はしばらく活火山であり続けるだろうけれど、と」
「いつまで続くんでしょうか?」
「さあてね。100年なのか、1000年なのか。何せ神様の時間の流れはボク達とは桁が違うからね」
 確かに、神話の時代から永遠と続いてきたすれ違いがようやく解消したばかりなのだから、月の神様の機嫌が直るのにもまた永遠に近い時間がかかるのかも知れない。
「サクヤ姫は?」
 わたしは一番気になっていることを訊いた。
「まだキミの中にいるよ。サクヤ姫と瑠璃ちゃんは一心同体みたいなものだからね。ただし、自らを封印し前と同じように繭の中にいるから、一生出てくることはないとは言っていたけれどね」
「ああ……そうなんですか」
 姫には悪いけれどわたしはちょっとがっかりした。一心同体。確かに姫もそういうような事は言っていた。けっして切り離すことができない魂の関係なのだろう。何事もなければ、もう二度とあの繭から出てくることはないのか。
「そして、さっきのボクの新作の話なんだが。サクヤ姫によると、活火山である富士山の噴火を完全に止めることはできないけれど、ただ一つだけ、その活動を弱めるというか抑える方法があると聞いたんだ」
 亮くんが横で頷いた。さっきまでその話をしていたらしい。
「今の伝説によると、富士山はコノハナサクヤヒメの化身とされているけれど、実はそれはイワナガヒメだった。つまり信仰されるべき神が違うということなんだ。本来はイワナガヒメが祀られるべきところをサクヤ姫が祀られている。確かに水の神であるサクヤ姫が富士山、つまりイワナガヒメを抑える力はあるのだが、それは完全ではない。では、どうしたらいいか。それは、イワナガヒメが富士山にいるという信仰を信じる者が増えればさらに富士山の活動を抑えることができるということだった」
「それで、先生は新作でイワナガヒメにまつわる話を書いて出版すれば、ファンの人達に富士山に参拝に行かせるようなことができるんじゃないかって」
 亮くんは補足した。
「最近じゃ、『聖地巡礼』ていうのがあるんだってね。次の新作は前にも言ったけれど、中高生向けの作品になる予定なんだ。これが映画化とかアニメ化されれば、一気にそういうファンが増える可能性もある。実はイワナガヒメは美人だったなんて説だと、イマドキの子にはウケるんじゃないかと。これは、段逆くんのアイディアなんだけどね」
「さすが、厨二……」
 ちいちゃんはくすくすと笑って呟いた。
「こら、ちい!」
「いや、そのアイディアはいいと思ってる。例えば、今更『古事記』や『古今和歌集』の新解釈をボクが発表したところで学会では誰も信じる者はいない。かと言って、今回のことをそのまま世間に公表するわけにもいかないだろう。けれど今のボクの実力なら、新作を実写化にすることは無理にしてもアニメ化くらいならいけるんじゃないかと思ってる」
 軽くアニメ化とか言えるところがさすがに人気作家といったところなのだろうか。
「まあ、それでどの程度の人達がファンになってくれるかは未知数だが、ボクにやれることと言ったらこれくらいのことしかないからね」
「それ以上のことができる人なんていませんよ」
 亮くんは断言した。それはわたしもそう思う。
「という訳で、キミたちをモデルにした作品を書いて発表したいんだけれど、許可もらえるかな? もちろん名前も舞台もまるっきり変えるし、脚色も入れるし、ストーリーとしては全く異なったものになるけれどね。ただ、発想の元となったこの事件はキミ達が関わってきたことだから、一応は確認をと思ってね」
「それは……」
 これだけお世話になった恩人に断ることなどできるはずもなく。またそれで少しでも富士山の噴火が先延ばしにできるのであればいくらでも協力はすべきだとは思う。
「もちろん。わたしたちがどうのと言えることではありませんし」
「ぜんぜん、かまわないと思いまーす!」
 一瞬口ごもったわたしに対して、ちいちゃんはなんの躊躇もなかった。
「よし決まった。もうプロットはできてるんだ。あとは出版社との打ち合わせで、オッケーが出れば、早速執筆にとりかかるとしよう」
 先生は手帳を胸元にしまって元気に言った。
「じゃあ、朝食を食べたら出発しよう。帰るよ」
 それから先生のポルシェで帰宅の途についた。



 連休明けのクラスは全く以前の通りに戻っていた。まるであの時のことをみんな忘れてしまったかのように、男子は一様にわたしの前を空気のように通り過ぎていったし、告白してきた数名もすっかりわたしのことを忘れてしまったかのようだった。それに伴って女子からの意地悪もなくなり、それ以前の空気に戻っていた。

 その後、亮くんと話をする機会がめっきり減ってしまった。亮くんは毎日放課後は予備校通いだったし、もちろん夏休みも休みなく通っていたらしい、ということはちいちゃんからは聞いていた。どうやら志望している大学はわたしの思っていたよりずっと上のランクらしく、亮くんでさえかなり頑張らないと難しい難関校なのだという。ちいちゃんでさえ、滅多に会わないという。
「もうね、完全にレアキャラね、あれ」
「なにそれ」
 わたしはちいちゃんの言葉に笑った。けれど、少し寂しかった。どうもわたしには亮くんがわたしのことを避けているようにしか見えなかったから。時々見かけても、気がつかないフリをしているようにしか見えなかったし。もしかしたら、単なる被害妄想なのかも知れないけれど。でも、時々ちいちゃんが両親から聞いた話を元に状況報告してくれたりするのが支えだった。
「もしかしたら、卒業まで黙ってるつもりかも、あの唐変木」
 時々亮くんへの不満を漏らしたりしてるちいちゃんをわたしは微笑ましく見ていた。
「でも、瑠璃ちゃんのこと気にしてるから。わたしの勘は絶対だからね」
 と、わたしを安心させようとしてくれるちいちゃん。でも、さすがに秋を過ぎることになると、わたしも若干諦めかけていた。どの道、亮くんは進学で東京へ行くわけだし、わたしは地元の短大にほぼ決まりなんだし。
 それに、ちいちゃんが言うとおり少しでもわたしのことを想ってくれているなら、こんなに放っておくことができるものなのだろうかと思ったり。ちいちゃんの応援を受けてもやっぱり悲観的な考えにしかならない、悶々とする日々が続いた。時々学校内で亮くんを見かけても、こちらに視線を合わせてくれなかったこともさらに拍車をかけていた。

 それから数ヶ月が過ぎ、年末の声が聞こえ始めた頃、そろそろ志望校を決定しろと先生に迫られたり、模試を受けたりと立て続けに多忙な日々を過ごしていたある日。亮くんからメールが入った。
『浦城先生の本が出た。同時にアニメ化も決定したらしい』
 と、ごくごく簡単なメールだった。短いメールではあったけれど、わたしのこととか、あの出来事を忘れてしまったとか、そういうことではないことが分かって、少し嬉しかった。
 『お知らせありがとう』
 とまで返信を打って止まった。その後に色々聞きたいことが沢山あったはずなのに、なんて打てばいいのかが分からない。色々迷って、そのまま送り返した。ひどく素っ気のない返事で気分を害したのではないかと心配するくらいだった。ところが、その後にすぐにまた返信がきた。
 『クリスマスイブに会えないか?』
 また短文だった。わたしはドキっとした。これって期待していいことなんだろうか。いや、半年もまともに会ってない相手に何を期待しろというのか。わたしはまた悩んで、短い返事を送った。
 『いいよ』
 送り返してから、すぐにアドレス帳からちいちゃんの電話番号を検索して、電話をかけた。
「それ絶対、告白だから! 絶対OKするのよ!」
 ちいちゃんは元気にそう言った。電話の向こうでサムズアップする姿が想い浮かんだ。ちょっと後ろめたさもないわけではなかったけれど、あの夜二人で語った二人の想いに偽りはないと確信して。



 ────────そしてクリスマスイブの夜。

「あのことは、ちいには内緒なんだ……」
 亮くんは顔を赤らめながら、開口一番にそう言った。予備校が終わってから会ったので、すでに外は暗かった。
 わたしたちは、駅前のカフェで会った。外は昨夜降った雪がうっすらと路面を白く染めている。このカフェは以前に亮くんと一緒に来たことがあった。今度は奥のテーブル席に座っているところが違うけれど。
「あのことって?」
 わたしは最初何のことか分からなかった。
「竹泉、見てたんだろ?……その……俺とちいが……いや、アメツチ王とイワナガヒメの……キス……」
「え!」
 思わず大声が出てしまった。
「あ、ごめんなさい」
 わたしは俯いて黙った。顔が紅潮しているのが自分でも分かった。
「やっぱりか。見てたんだな…。実は俺もあの時意識があって。なかったのはちいだけらしい」
 あ、そうなんだ。ちいちゃんだけ? 亮くんは覚えているのに、ちいちゃんだけ知らないってこと、あるんだろうか。
「竹泉から言ったか? その話?」
 わたしは俯いたままブンブンと首を振った。実は言いかけたとかはここでは言えない。
「そっか。じゃあ、それはずっと黙っておいてくれ。なかったことにするっていうか」
 わたしはコクコクと頭を縦に振った。
「あ、今日話したいのはその事じゃないんだ。……その、サクヤ姫って、あれから出てくるか?」
「サクヤ姫? ううん。あれからは全然でてこないよ。夢にもでてこなくなったし」
「そっか。ならいいんだ……」
 わたしはちょっとだけ頭を上げた。亮くんはわたしから目線を外して、壁の方にやった。なんとなくそわそわしているように見える。
「あの……さ。……今言うべきことではないのは重々承知してるんだが……」
 一旦外した目線をまたわたしに戻して、亮くんは口ごもった。それから、目を白黒させて、思い切ったように口を開いた。

「俺と付き合ってくれないか?」

 わたしは、頭が真っ白になった。

 まるで宇宙空間にでもいるような、ふわふわした感覚。
 え、何? 今なんて言ったの? マジ? 信じられない。あり得ない。聞き間違い? 勘違い?
 わたしの頭の中を色んな考えが回り回って、考えがまとまらない。ちいちゃんに予め言われていたにもかかわらず、いざそう言われると、緊張して、何と答えていいのかが分からない。
「ダメか? そりゃ、そうだよな、こんな時期に。受験前だっていうのにさ。……分かってたんだ……ごめんな」
 わたしが黙っているのを否定ととったのか、亮くんは悲しそうな顔でそう言った。
 ブンブンブンブン。
 わたしは黙って首を横に振った。ダメなわけない。ダメはわけない。
「あ……あの…い、いいよ。ううん…お願いします」
 わたしは頭を下げた。
「そっか。よかった……」
 亮くんはほっとため息をついた。
「で、でも、何で?」
 何故わたしなのか、それが聞きたかった。
「だよな。何で今かって……その……俺は、サクヤ姫の魅力のせいで竹泉を好きになったのか、どうかってずっと悩んでいたんだ。そんなことないってずっと思ってた。でも、自信なくって。だから、時間置いて、それでも好きだったら、告白しようって思ってた。それに、あの時、護ってやるっていう約束果たせなかったから、今度こそ護ってやるって言えるようになったらって思ってた」
 わたしが聞いたのは、何故今かということではなかったのだれど。亮くんはそのまま続けた。
「俺の志望校さ、結構ギリギリで。あの事件があってから、ちょっと一時的に学力が落ちてさ……あ、それは竹泉のせいじゃないからな」
 そうだったんだ。わたしのせいって言おうとしたけれど、先を越されてしまった。
「それから、俺かなり頑張ったんだ。目標も設定して。夏休みもほとんど予備校に缶詰だったし。それで、今回の模試、かなり良かったんだ。ようやく合格圏内に入れそうだって、予備校の先生からもお墨付きをもらえた。それで、目標に達したら竹泉に告白しようと思ってた。その目標にようやく辿り着いたところだったんだ」
 真剣にわたしのことを想ってくれたということだけでわたしは胸いっぱいだった。
「それにもう一つ、今じゃなきゃならない理由があるんだ。竹泉、一緒に東京に出ないか? 東京だって、短大は沢山ある。そうしたら、遠距離じゃなくても済む。できれば一緒に住んだ方が経済的にはいいんだろうけど、さすがにそこまでは言えないしな。
 今ならまだ願書提出間に合うだろ?」
「え?」
 わたしは一面ピンクの世界にいた。いたような気がした。亮くんと一緒に東京。もう甘い将来しか想像できなかった。しかも、いきなり同棲とか、恥ずかしすぎる。
「そうだよな、急にそんなこと言われても、だよな。ごめん、なんか一足飛びな話で」
 そう言って亮くんはコーヒーカップを持ち上げた。若干カップが揺れていた。
 わたしはブンブンと首を振って、
「そんなことない!わたし一緒に行きたい。聞いてみる。パパとママにも。……さすがに一緒に住むのは……アレだけど……」
 わたしは俯きながら、そう言った。
「はは……そっか。よかった。必要なら、俺も説得に行くよ」
 亮くんと一緒だと、マズいと思う。絶対。あの優しいパパがどう豹変するか分かったもんじゃない。
「あの……ね、亮くん。一つ聞いていい?」
「ん? なんだ?」
「どうして、わたしのこと好きになってくれたの? いつから?」
 どうしてもここは聞いておきたかった。
「ん……ああ……。いつだったっけ。ちいの家に遊びに来ていた時さ。一度会っただろ? あれ、中学に入る前だったはずだな。竹泉がまだ三つ編みの頃だよ」
 え? 高校入る前に会ってたんだっけ? 全然覚えてない。しかも、亮くんわたしが三つ編みしてた頃知らないって言ってたのに。
「そん時は、それほどでもなかったんだけどさ、まあ、ちょっと気になるって程度かな。で、高校入ったときに、ちいの友達って、紹介された時かな。どうしてって言われても、分かんねぇ。好きなんだから、好き。……じゃダメか?」
 亮くんは照れた顔で、ぶっきらぼうにそう言った。
「ううん。ありがとう」
「あ、ただ、本当にサクヤ姫のせいじゃないからな。サクヤ姫が出てくるずっと前からだからな」
 続けて言い訳のようにそう言った。この点はこだわって引けない一線らしい。それはそれで嬉しかったけれど。
「それに……うちの高校選んだのは、そのせいもあるし……。もちろん近いっていうのもあるんだけどな」
 最後にボソボソとそう呟いたのを聞いて、わたしはむしろ恥ずかしくなった。そんな前から。しかも、一度会っただけなのに。恥ずかしさを紛らわすようにわたしはふと外に目をやった。
「あ」
 わたしのピンクに染まった瞳に、少し欠け始めた丸い月が映った。
「月、きれいだね」
 今頃、アメツチはどうしてるのかな。なんて思いながら。
「あ、ああ。そうだな」
 亮くんも頷いて、わたしに手を差し伸べた。

 月はまるでわたしたちのことを祝福しているかのように、目を細めていたように思えた。わたしは今遠い、富士山に月が重なる景色を想像しながら、亮くんの手を握った。

<Fin>

(作曲:てけさん)

2013年8月13日火曜日

「竹取の」第29夜<残月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 太古の昔。ある男の神と女の神が恋に落ちた。男神の名をアメツチノオオワカミコといい、月の神であるツクヨミの子にして、月の王。女神の名をコノハナサクヤヒメといい、オオヤマミツの娘にして、葦原中国一の美貌をもつ者として高天原でも有名であった。オオヤマミツはそれを知って、姉のイワナガヒメと妹を月に嫁つがせる約束をした。アメツチノオオワカミコはツクヨミが月(天)と地を繋げる者として育てあげ、いずれは葦原中国をも統べるつもりでいた。しかし、天津のアマテラスが先に葦原中国を平定してしまったため、太陽が昼を司り、月がより黄泉に近い夜を司ることになってしまった。オオヤマミツは天津国の勢いを感じ、ツクヨミとの約束を破棄し、娘を見初めた天孫ニニギに姉も含めて差し出した。ところが、ニニギは姉のイワナガヒメが醜いことを理由に、オオヤマミツに差し戻した。オオヤマミツは、イワナガヒメの子は永年の寿命を享受できるであろうと申し出たが、ニニギは耳を貸さなかった。そこでオオヤマミツは婚約を破棄したアメツチノオオワカミコにイワナガヒメを再度差し出し、ツクヨミはそれを受諾した。
 コノハナサクヤヒメがニニギに嫁ぐ夜、人に隠れてサクヤヒメとアメツチ王は天の川で逢瀬した。親の勝手によって引き裂かれてしまった二人は、いつかまたどこかで巡り逢うことを信じて契りを交わした。しかし、その逢瀬は姉のイワナガヒメに見られていたのであった。サクヤヒメとニニギの婚儀の日、同じく月ではアメツチとイワナガヒメの婚礼の儀が執り行われた。誓いの儀を終えたイワナガヒメは初夜の伽の際にサクヤ姫との逢瀬についてアメツチ王に釈明を求めた。しかしアメツチは頑として答えることをしなかった。怒り狂ったイワナガヒメはアメツチ王に呪いをかけ、過去の記憶を消し、従者としてその位を落とした。それを知ったツクヨミはイワナガヒメを問責した。イワナガヒメは二人の「罪」について訴えたが、ツクヨミはそれを受け入れず、イワナガヒメを日本一高い山に封印した。それが富士山である。しかし、ツクヨミでさえ、従者に落とされたアメツチ王の呪い解くことができず、以来月に王が不在となる。
 時を同じくして、ニニギに嫁いだサクヤヒメは伽の翌日に子を孕んだ。ニニギはそれを怪しんだが、サクヤヒメは産屋に火を放って子を産み、その嫌疑を払った。しかしニニギはそれ以降もサクヤヒメを信用せず富士の麓に追いやってしまったのだった。富士山の麓に辿り着いたサクヤヒメはイワナガヒメの呪いに逢い、姫の記憶は封印され各地に飛ばされてしまった。
 それから何千年もの時の間ツクヨミはアメツチ王の呪いを解く方法を探していたが、どうやらそれはサクヤヒメとの関係ではないかと気づく。そこでツクヨミはサクヤ姫の魂を月に復活させ、イワナガヒメの言う「罪」を質すべく、竹の娘として地に落とし試練を与えた。成人した竹取の娘を迎える従者として、アメツチ王を向かわせてもみたが王の記憶は戻ることはなかった。その代わりに月に去る二人を目撃したイワナガヒメは嫉妬のあまり、富士山を噴火させたのである。ツクヨミはアメツチ王の記憶を取り戻すために何度もその試みを続けたが、何度やっても同じ結果にしかならず、結局は失敗に終わってしまう。その試みをする度に悲しい思いをすることになったサクヤヒメはアメツチ王に見つけ出されぬよう、地味に普通に生きていけるよう深く思った。その思いが作り上げたのが竹泉瑠璃という、別人格であり別の魂であった。サクヤヒメは自らを繭の中に封印しわたしの中に隠れた。

 だからわたしはサクヤヒメであり、サクヤヒメではない。サクヤヒメはわたしであって、わたしではない。

「ボクが月の王?」
 人の姿をしたアメツチ(姿は亮くん)が脱力したように膝をついた。
「姉上、イザナギ、イザナミに誓って申し上げます。確かにかつては王とわたしは愛し合った仲ではございますし、あの夜わたしたちは人を忍んで逢瀬をいたしましたが、一切の過ちはございません。親の勝手によって引き離された身とはいえ、神として恥じる行いはできませぬ。王を信じてください。そして、あなたの実の妹のことを。
 王にはいつかあの償いはしたいとは思ってはおります。いえ、だからこそわたしはここまで我慢できたのかも知れませぬ。この何千年もの間、何故かは分からないまま試練と思って耐えて参りました。しかし、全ての記憶を思い出した今となって思うのです。わたしだけではなく、わたしたち三人の単なる誤解が原因でこの地上の人々を苦しめることがあっていいのかと」
 イワナガヒメ(姿はちいちゃん)は、その場に伏したまま、きっとサクヤヒメ(姿はわたし)を睨み付け、
「そんなことはとうに分かっている! しかし、わたしはニニギノミコトが憎かった。そしてその子孫達も憎い。憎んでも憎みきれない。だから知っているのだ、全ては八つ当たりであると。ふたりに何もなかったことも薄々は知っていた。けれど、王はわたしの叱責に答えてはくれなんだ。あの時、わたしの言を否定してくれれば、どんなに楽であったか! しかし、それはわたしの我が儘であったことは自分でも分かっているのだ。こんな醜い者を愛してくれる者はいないということは、もうずっと前から……」
 イワナガヒメはそう言って号泣した。それを見て、アメツチ王は立ち上がりそっとイワナガヒメのそばに寄った。
「姫。姿はその人そのものではございませぬ。いつわたしがあなたのことを愛しておらぬと申しました? 確かにサクヤヒメとはご縁がありませんでしたが、それがあなたを愛さぬ理由にはなりません」
「王……思い出されたのですか?」
「姉上がため込んでいた気持ちを全て吐きだしたせいでございましょう」
 姉に向かってサクヤヒメが優しく呟いた。アメツチ王はそれに同意するように頷いた。
「王……。わたしを許してくれるのですか?」
 イワナガヒメは、アメツチ王にしなだれて、泣き崩れた。
「もちろんです」
 永く永く止まっていた時間がようやく動き出した瞬間だった。ようやくこの神達の神話が終わった、いや、それは新しい神話の始まりなのかも知れない。
「イワナガヒメ。わたしはあなたの心の裡を知っておりました。だからこそあなたがわたしに呪いをかけた時もそれを甘んじてお受けいたしました。それはいつかあなたの怒りや無念が解ける日が来るまで待とうと決心したからでありますよ」
「それを知ってでおいででしたと?」
「確かに婚儀の前夜わたしがサクヤ姫と逢ったのは事実でしたが、後ろめたいことはありませんでした。しかしあの時わたしがどんな申し開きをしようと、あなたはわたしを許すことはなかったでしょう。そして、ニニギノミコトによって傷つけられたあなたの心を癒すにはそれ相応の時間が必要だろうとわたしは思ったのです。さすがにここまで長い刻が必要だったとはわたしも思ってはおりませんでしたが」
「なんと……」
 イワナガヒメは目を見開いた。
「最初からわたしのことを見透かされておいででしたか……わたしは自分のことを恥ずかしく思います。わたしは姿だけではなく心も醜い外道として身を堕としてしまったのですね……」
「そんなことはありませぬ。ご覧なさい。月に照らされた貴女の今のお姿を」
 アメツチ王はイワナガヒメを抱き起こし、富士山の方向を指さした。それは、月明かりに照らされた富士山の姿であった。それは、まさに世界遺産登録を前にした絶景であり、世界も認める美しさであった。
「お顔を上げなさいませ。姿の美しさだけで言えば、今の貴女のお姿は葦原中国一でございます」
「わたしを美しいと仰っていただけると!?」
「はい。しかし、今の姫のお心ではわたしは貴女を愛することはできないでしょう。妹君をお許しなさいませ。そして、ニニギノミコトの子孫達もお許しなさいませ。その許しがあれば、きっとツキヨミはあなたをも許すでしょう」
「わかりました。ここまで待っていただいた、王を裏切るようなことはできますまい。
 サクヤ。わたしはあなたを信じましょう。あの夜二人には何もなかったことを。
 そして、あなたの姉を許しておくれ。たった一人の妹のことを信じられなかったこの姉を。そして、あなたに嫉妬してしまったこの姉のことを」
「もちろんですわ、姉上。そして、わたしの夫であるニニギノミコト、そしてその子孫達のこともお許しください」
「そうですね。わたしは皆を許します。そして、皆に許しを請うでしょう」
 二人は手に手をとって、お互いの積年の想いを解放した。イワナガ姫を包んでいたドス黒い障気のようなものがどんどんと晴れていくようだった。「お互いを許し合う」という心の和解が神にとってもどんなにか難しいことだったのか。
 サクヤ姫は姉の手を離し、再びアメツチ王の方へと導いた。
「月の王、アメツチノオオワカミコよ、わたしの悪行がこの程度で許されるとは思っておりませぬ。しかしできることでしたら、わたしのことを許してほしい。刻を戻すことは叶いますまいが、また一からやり直させてはいただけませぬか?」
 アメツチ王は、イワナガ姫の手を取り、優しく微笑んだ。
「はい。また一からやり直しましょう。わたしはすぐに月に戻り、ツキヨミを説得いたしましょう。どんなに時間がかかったとしても、あなたを再び月にお連れいたします」
 イワナガ姫はアメツチ王の元にしなだれて号泣した。
 号泣するイワナガヒメ(姿はちいちゃん)を抱き起こし、アメツチ王(姿は亮くん)は抱きしめた。
 (ぎゃー!)
 わたしはそれを直視できなかった。……はずなのに、サクヤ姫はこの二人を微笑ましく眺めている。だからわたしの視界にも入ってしまう。わたしは心の中で絶叫をあげるしかできなかった。
「姫、もう泣きなさるな。その度に地が騒いでしまう」
 それから、アメツチ王(姿は亮くん)は両の手でイワナガヒメ(姿はちいちゃん)の頬に流れる涙を拭い、

 口づけをした。

 

 そこからわたしの記憶は途切れた。



 次に気がついたのは、先生の別荘のベッドの上。傍らにはちいちゃんが座っていた。
「瑠璃ちゃん、気がついた?」
 ちいちゃんは心配そうにわたしを覗き込んだ。外はまだ真っ暗だった。
「今、何時?」
「ん? 二時くらいかなー? 瑠璃ちゃんが起きなかったら、わたしも寝ちゃおうかなーって思ってたとこ。多分サクヤ姫に憑依されてて疲れただけじゃないかって、浦城先生が言ってたー」
 口調はいつものちいちゃんに戻っていた。
「で、どうなったの?」
 ベッドに起き上がって、わたしはちいちゃんに気になったことを聞いた。彼らはどうなったのだろうか。
「んー。わたしもよく分かんないんだけどー、ふたりともそれぞれのところに戻ったみたい。あれから地震もなくなったよ」
 ふたり?
「ちいちゃんは、どこからどこまで覚えているの?」
 ちょっと心配になって聞いてみた。
「ん? おイワちゃんが入ってから? あとは全然覚えてないなー。気がついたら、先生の車の中だったし。全部終わったって言われただけだし。詳しくは明日の朝説明してくれるって、先生がー」
 わたしはため息をついた。ほっとした。ちいちゃんの場合、憑依されている間の意識はなかったらしい。『ふたり』ということは、亮くんがアメツチに憑依されたことは知らないということみたいだし。わたしは胸をなで下ろした。どうしてわたしは安心したのんだろう? と、わたしは改めて思い出す。
「あ……」
 アメツチ王(姿は亮くん)とイワナガヒメ(姿はちいちゃん)が口づけをするシーンをはっきりくっきりと思い出した。
「ん? どうしたの? 瑠璃ちゃん?」
 ちいちゃんが心配そうに訊いた。
「ううん、なんでもないなんでもないの」
 わたしは必死に誤魔化そうとした。顔が火照るのが分かった。ちいちゃんがあの時のことを覚えていないことを認識した時に安堵したということは、つまりどういうことなのだろう? 憑依された二人が意志とは関係なくそういう行為に及んだことに対して、知らない方がいいと思ったのだろうか。それとも、嫉妬……なのだろうか。わたしは自分自身が恥ずかしかった。ちいちゃんは亮くんのことが好き。だけどわたしが亮くんを好きなのを知っているから、わたしたちが相思相愛であることが嬉しいと言ってくれた。翻って、わたしはちいちゃんと亮くんが口づけしているのを見て発狂しそうになった。二人はただ神様に憑依されていただけだというのに。こんなに心が広いちいちゃんと、心の狭いわたし。わたしは自責の念にとらわれた。
「そう? 瑠璃ちゃん、また寝られそう?」
「うん、大丈夫だと思う」
 と言ったのはいいけれど、さっきのシーンを思い出したせいで、なんだか目が冴えたような気もする。
「一緒に寝よっか?」
 昨日の夜と同じようにちいちゃんはそのまま私の隣に潜り込んできた。
「ここ数日、毎日がドキドキだったねー。でも、なんとか無事に終わってよかったね」
 ちいちゃんはなんとも感慨深くそう言った。
「わたしはもうドキドキどころじゃなかったよ-! もうこんなの二度とゴメンよー」
 わたしは少し冗談めかして言ったけれど、本気でこういう事件には二度と関わりたくはなかった。全部終わったと先生は言っていたらしい。となると、サクヤ姫ももうわたしの中にはいないのだろうか。できればそうであってほしいとは思う。
「そうね。瑠璃ちゃんは大変だったよね。頑張った、頑張ったー。いい子いい子ー」
 ちいちゃんはわたしの頭を撫で撫でしてくれた。こそばゆかったけれど、嬉しかった。
「わたしが瑠璃ちゃんの立場だったら、同じようにできなかったと思うよー」
「そ、そんなことないよ……わたしは何もできなかったし」
「ううん。多分わたしだったらあんなに我慢できなかったと思う。途中で放っちゃうよ。憑依されるって、あんなに大変だとは思わなかったもの」
 ちいちゃんも相当我慢していたんだ。
「その間何が起こったかは全然覚えてないけど、とにかく気持ち悪かったってことだけは覚えているのねー。なんていうかね、とにかくイヤなことばっかり思いついて」
「え? そうなの?」
 イワナガヒメの怒りや嫉妬、そんな感情がちいちゃんの心に逆流してきたのかも知れない。何千年にも及ぶ黒い感情はどれほどのものだったのだろうか。
「瑠璃ちゃん、ごめん」
「え? ど、どうしたの?」
 いきなりちいちゃんに謝られて驚いた。
「憑依されている間、わたし沢山のことを考えていたの。正直に言っちゃう」
「う、うん……」
 何を言われるのだろうかとわたしは身構えた。
「亮ちゃんのことね。わたしやっぱり好きなんだと思う」
 思いも寄らぬ言葉でわたしは一瞬目が泳いだと思う。ああ、やっぱり、という思いと、そんな昨日と言っていることが違うじゃない、という思いとが交錯した。
「ううん、好き『だった』かな。過去形なの。でも、その気持ちはまだ埋み火みたいに残っていて、それが悪い方へ悪い方へ考えが流れていって、どうしてわたしがこの気持ちを譲らなきゃならないのって、疑問になって、瑠璃ちゃんなんか大嫌いって思うようになって、でも、そんなこと言ったら、自分からそういうことを言ったんじゃないって、結局自分を責めることになって、もう収集つかなくなっちゃって」
 ちいちゃんがいつもとは違う口調でまくし立てた。イワナガヒメの気持ちがなんらかの形で影響しているのか、それとも、これが本来のちいちゃんの想いだったのだろうか。
「偽善者面してる自分が許せなくて。そんな気持ちが、逆に亮ちゃんも嫌い、瑠璃ちゃんも嫌いってなって。どんどん誰も嫌いになっちゃうの」
 そう言ったかと思うと、ちいちゃんがブルブルと震え始めた。わたしはちいちゃんの手をとって握りしめた。
「でもね、その気持ちを抑えてくれたのが亮ちゃんだったの。夢見てたのかな? 大丈夫だよって言ってくれた。それから、瑠璃ちゃんも出てきてね。二人して、大丈夫だよ、大丈夫だよって」
 急に震えが収まった。わたしはついに、それは夢じゃないの、本当にあったことなんだからとは言えなかった。
「で、結局わたしは三人でいることが一番居心地がいいんだって気がついたの。だから、この関係が崩れることが一番怖かったんだって。
 でもね、一瞬でも瑠璃ちゃんのこと嫌いになった、ってことを本当に謝りたかったの」
 なんて素敵な娘なのだろう。確かにイワナガヒメの影響で一時的に暗い感情に囚われてしまったのだろうけれど、それを正直にわたしに話してくれて、それでいて結果的に全てをはねのけてしまったのだから。
「そんなことない。そんなことない。わたしだって、ちいちゃんのこと嫉妬したり、何度もしたもの。お互い様だよ」
 お互い親友として付き合ってきたけれど、ここまで腹を割って話したことはなかったかも知れない。
「そうなの?」
「そうだよ。だって、二人で話している時なんて、まるで夫婦みたいに、あうんの呼吸だし、わたしなんて間に入れる隙間ないなんて思ってたし」
「夫婦みたい……だなんて。でも確かにそうかも。わたしって、亮ちゃんの近くに居すぎたのかも。だから恋愛感情にならなかったんだと思う。亮ちゃんも同じなんじゃないかなー」
 ちいちゃんはくすっと笑った。
「だから、昨日の夜ここでちいちゃんに、嬉しいって言われて、正直ホッとしたのよ。だけど、やっぱり本当かなって思ったりしてるわたしがなんかイヤだったの。でも、今、ちいちゃんの本当の気持ち聞けた気がしてる」
「あははー。ぶっちゃけちゃったもんねー」
 大笑いするちいちゃんにわたしももらい笑いした。もうちいちゃんの手は震えてはいなかった。
「あー、でもこれですっきりしたー」
 破顔するちいちゃんにわたしは和んだ。

(作曲:てけさん)

2013年8月12日月曜日

「竹取の」第28夜<二十八夜>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「今度のは大きいぞ!」
 浦城先生が叫んだ。わたしたちもすぐさまテーブルの下に隠れる。さすがに今度は美貴さんもキッチンで小さな叫び声を上げた。食器が大きな音を立ててガチャガチャいった。
「富士山が噴煙を上げてます!」
 皆は激しい揺れに耐えながら、亮くんが指差した先を見た。夕日に照らされ、赤く染められた富士の山頂近くから細くはあるけれど、黒煙がたなびているのが見えた。その風景はまるで怒りに満ちた岩神姫がわたしたちに何かを訴えかけようとしているかのようだった。
「姫、これからどうすればいいんですか?」
 揺れが収まると、先生は姫にそう尋ねた。揺れは激しかったけれど、時間としては長くはなかった。
「姉上を鎮めなければなりません。裏浅間大社に向かってはいただけませんか? 富士殿に助力を求めなければなりません。恐らく信嗣さんの肉体は滅びてしまってはいるでしょうが、その魂の存在が大社の方向に感じられます」
「信嗣さんの魂があそこにあると? しかし、あの人は姫を襲おうとしたのですよ?」
「それも、本当のことを全て理解すれば必ず味方となりましょう。あの方はわたしの使徒でもあるわけですから」
「まあ、確かに。……分かりました。では、すぐに向かいましょう。段逆くんと、茅衣子ちゃんはここで美貴さんと一緒に待っていてくれ」
「いえ、俺も行きます!」
「わたしも!」
「しかし、キミたちをこれ以上危険な目に遭わせるわけには……」
 先生は珍しく躊躇した。
「俺は……その……竹泉と約束したんです。『必ず護る』って。……それに、先生一人では何かと不便なはずです。絶対に足手まといにならないうようにしますから」
「瑠璃ちゃんはわたしの親友です。わたしも必ず一緒にいます! 絶対着いて行きます!」
 わたしの心は感涙に咽んだ。もしこの時体が言うことをきいていれば、絶対泣いたと思う。何より亮くんの思いが嬉しかった。
「いいお友達をお持ちね、瑠璃さん……」
 そんな二人を見て、姫はそう呟いた。それを聞いて、先生は仕方ないなという顔をした。
「二人とも若いというか、青いな……。まあいい、分かった。けれど、二人はけっして無理はしないこと。特に段逆くんは昨日みたいな無茶はしないと約束してくれ」
「わかりました」
「はーい! よかった。ね、瑠璃ちゃん?」
 ちいちゃんは姫に向かってそう言った。わたしは返事したかったけれど、できなくてもどかしかった。
「瑠璃さんも喜んでますよ? ちいさん」
 姫はそう言って、ちいちゃんに微笑んだ。

 裏浅間大社は想像以上にひどい有様だった。元々が廃墟であったとは言え、残った残骸はほぼ瓦礫となり、元々の姿は見る影もなかった。大社だけではなく、その周りに多い茂っていた草木も悉くなぎ倒され、昨夜の争いがいかに激しかったかを物語っていた。唯一そこに大社があった痕跡としては、粉々になった木々や木っ端だけであった。それも大半は吹き飛ばされたのか、てんでバラバラになっていたのだけれど、その中に元は鳥居であったであろう部分が手前に落ちていて、それを目印になんとか裏大社を探し当てたところだった。日はかなり沈みかけていて、場所の特定に時間がかかったのもある。その間もひっきりなしに大小の地響きと揺れがわたしたちを襲った。
 姫は大社があったはずの場所に向かって膝を折り祈り始めた。三人とわたしは黙ってその様子を見ていた。
「歌? もしくは祝詞のようなものでしょうか?」
 亮くんは姫の口から奏でられる美しい旋律を耳にしてそう言った」
「そうだな。けれど、ボクも聞いたことのない言葉だ。これが神の歌なのかも知れないな」
 しばらく姫が祈りを続けると、地面からぽぅっと鬼火が現れた。昨日の夜見た、信嗣さんの光と同じだった。その火の玉はやがて地面に広がり、今度は縦に伸びていく。ちょうどわたしたちと同じくらいの大きさになると、人の形になった。それは、まるでホログラムのような透明な姿で、信嗣さん式神と同じ、若い男の姿だった。
「姫、お目覚めでございますか。昨夜は大変失礼をいたしました」
「いえ、使徒とは言え300年もの長い間ご苦労であった。今宵は何千年も続いたこの悲しい宿命を終わらせる。手伝ってはくれまいか?」
 二人は主と従者との関係がはっきり分かる立ち位置で相対峙した。信嗣さんは片膝を折り頭を垂れた。姫は立ち上がりそれに応えた。
「もったいないお言葉を。富士を鎮めるためでしたら、この身が滅びようとも、魂が黄泉の国に参ろうが、姫の御為に尽くす所存にございます」
「相すまぬ。では、姉上をここにお呼びすることはできるであろうか?」
「ここにでございますか? 寄り処がございますれば」
「寄り処が必要か……?」
「は、大社がこのような姿になってしまいました故。大変申し訳ございませぬ。大宮の大社に参りますれば、降臨も可能かとは存じますが」
「いや、それはそなたのせいではありませぬ。しかし、大宮まで行っている時間はありますまい」
 姫は少し困った顔をした。
「どうしたのですか?」
 姫の困った顔を見て、先生が訊いた。
「姉上を降臨させたかったのですが、この有様では無理らしいのです。それ以外の方法としては、人に降りてきてもらう必要があるというのです」
「人に降りて……つまり、誰かに憑依させるということですか?」
 姫は頷いた。
「じゃあ、わたしがー!」
 ちいちゃんが毅然とした態度で手を挙げた。
「いや、そんな訳にはいかない。ボクがやろう」
「いえ、先生はダメです。何かあったときに運転できる人がいなければなりませんから」
 亮くんの言葉にそれもそうだと先生は頷いた。
「では、お願いしてもよろしいですか?」
 ちいちゃんに向き合って、姫は最後の確認をした。ちいちゃんは多少への字口で大きく頭を縦に振った。両手は力強く握られていた。姫が信嗣さんに向かって目配せをすると、薄火に包まれた彼は一旦空に舞い上がったかと思うと、また舞い降りてきてちいちゃんを取り巻くようにその周りを回り始めた。その光の速度が上がっていくに従って、ちいちゃんの表情は変わっていった。力が篭っていた手が緩み、目を閉じた。火の玉が速度を緩め、また先程の位置に戻ったころには、ちいちゃんはまた目を開けた。
「お久しぶりでございます、イワナガの姉上」
 姫はその場に跪いた。
「何百年振りかの?」
「300年ほどでございます。しかしながら、サクヤとして全ての記憶を取り戻しての対面は数千年ぶりのはずでございます」
「そうか……。記憶の欠片を取りに奥宮まで参ったのか」
「はい、あのへこりぷたという天を舞う乗り物にて参りました。天の羽衣がなくても参ることができるようになるとは、時代も変わりましてございます」
 姫は平身低頭にて姉の憑依したちいちゃんに相対した。
「数千年を超えて、姉妹が再会を果たした場面に立ち会えるとは……」
 先生は興奮を抑えられないように呟いた。
「して、姉上。一つお伺いしたいことがございます」
 サクヤ姫が立ち上がって姉に目線を戻した。その顔は怒っているのか、若干憮然とした表情であった。
「何故わたしの記憶を封印なさったのですか? そして、月の王に呪いをかけましたね? 何故ですか?」
「そのようなこと、貴女の方がよく分かっておるではないか?」
「分かりませぬ!」
 まるでそれは、何世紀にも亘った姉妹喧嘩だった。
「ならば言おう。お主たちがわたしを謀ったからではないか。天孫と共にわたしを嘲り、そしてわたしの主たる王を誘惑し貶めた、貴女が憎かった! だから二人に永遠の苦行を与えたのです!」
「姉上!それは誤解でございます。サクヤは決して姉上を哂うことなどしませんでしたし、王を誘ったこともございません」
「嘘を申すな!」
 イワナガ姫はサクヤ姫の胸倉を捕まえて、その頬を平手打ちした。痛い。
「嘘ではございませぬ! 王に聞いてご覧なさいませ」
 サクヤ姫はそれでも動じなかった。わたしは泣きそうになったけれど。痛いのだけ共有されるとか酷い。ただ、その痛みから、イワナガ姫が本気で叩いたわけではないのはわたしにもとれた。つまり、イワナガ姫の懐疑は確証のあるものではなく、単に感情の縺れからこうなったのではないかと、わたしは直感的に感じた。
「王も同じことを仰せになられましたが、そんなことを信じられるわけもない!」
「では、ここに王を連れて参りましょう。長年の誤解を解くべき時が来たのです!」
「やめなされ! 王を覚ましてはならぬ!」
 イワナガ姫は胸元をさらに引いた。
「どうしてでございますか!?」
「それは……」
 一瞬イワナガ姫は口ごもった。
「いつまでも姉上が王を縛っていては何も変わりませぬ! それに、このままではわたしたちが諍いをするたびに葦原中原の者達は悲しい思いをするのですよ!」
 そう言うかと思うと、サクヤ姫はきっと、亮くんの方に顔を向け。
「お願いです、王の寄り処となってもらえませぬか?」
 亮くんは一瞬で意味を知ったらしく、すぐに頷いて、信嗣さんに向かって行った。信嗣さんも一つ会釈をすると、先程の儀式と同じく亮くんを光で包み込んだ。
「やめなさい!」
 イワナガ姫はサクヤ姫から手を離して亮くんの方に進もうとしたが、それをサクヤ姫が抱きついて止めた。そして儀式が終わるまで、サクヤ姫はものすごい力で姉を抱きしめた。わたしのどこにこんな力があったのかと思うほど。けれど、信嗣さんの儀式が終わりを告げる頃、サクヤ姫はその力を緩めた。それに呼応するかのように、イワナガ姫はその場に崩れた。
「王。お久しぶりでございます」
 サクヤ姫はその場に膝をついた。
「ここは……? 貴女はサクヤ姫なのでございますか? 王とは何のことでございますか? お戯れを。わたくしはアメツチにございます。貴女様の従者でございます。お直りください」
 どうしてアメツチ? わたしは一瞬混乱した。亮くん、いや、月の王に憑依された彼がサクヤ姫に手を差し伸べた。つまり、アメツチが月の王? え、一体どうなってるの?
 サクヤ姫は顔を上げると、懐かしいものを見るかのような表情をした。
「アメツチノオオワカミコ、月の王の魂を持つ者よ。今その呪いを解きましょう」
 そう言うと、サクヤ姫は右手を差し出した。その手から薄い光が発光し、やがて亮くんを包み込んだ。背後でイワナガ姫の叫び声が上がった。

(作曲:てけさん)

2013年8月11日日曜日

「竹取の」第27夜<二十七夜>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「話は太古の時代に遡ります」
 夕刻前、別荘に着くと早速先生が催促するに併せて、姫が説明を始めた。リビングでは、わたしに向かい皆が相対するように座った。けれど、わたしの意識は宙に浮いているようで、むしろ皆と一緒に、第三者として自分を見つめいているような感覚だった。わたしが向かい合っているわたしの中身はわたしではなく、サクヤ姫なのだった。とても奇妙な体験だった。
「わたしが天孫に嫁いだお話はご存知で?」
「ニニギノミコトですね。お父上のオオヤマツミは貴女と、姉上のイワナガ姫を差し出したが、天孫ニニギは貴女のみを娶ったと、古文書にはありますが」
「そうです。その後、姉上がどうされたかはお分かりですか?」
「確かそれについては記述はないはずです」
 亮くんは、先生から預かっていた本を開きながら、そう答えた。その本のいろんなところに付箋が貼り付けてあり、待っている間ずっとその本とつきっきりだったことが伺えた。
「実を申しますと、わたしと姉は元々月の一族に嫁ぐ予定でございましたが、天孫に見初められたことを知った父は心変わりをしたのです」
「そうなんですか!? それは驚きだ」
 先生は慌ててメモを開き、何かを書き込み始めた。
「当時、天津国は葦原中国を平定し、その最後の仕上げとして天孫を遣わしました。それまでは天津国と月読国は葦原中国に対しほぼ対等の力をもっておりましたが、天津国が圧倒的に力を及ぼすことになったのです」
「天津国というのは神の国、つまり天界のことで、葦原中国がこの地上のこと。月読国というのは古文書にはでてこないが、アメツチのいう月世界のことなんじゃないかな」
 と、亮くんが補足した。ちいちゃんがなるほどと頷いた。
「そういう理解でよろしいかと思います。そもそも、ツクヨミはアマテラスと共に生まれた三貴神ですから、天津国と月読国は対等であるとの認識であったのです。ところが地に下りた天津神に妻を横取りされた形になり、ツクヨミ様は大変お怒りになったと聞いております。さらにその怒りに油を注いだのが、天孫が姉上をお戻しになったことでした」
「可愛くないからって、結婚しなかったっていう、あの話ですかー?」
 ちいちゃんがその話だけには反応した。サクヤ姫は黙って頷くことでそれに答えた。
「それで、姉上はどうされたのですか?」
 先生は取材に勤しむ新聞記者さながらメモにペンを走らせながら聞いた。
「最初の予定通り月の王に嫁ぎました。心情複雑であったと思います」
「だから、月の一族の寿命は長いんですね? イワナガ姫と結婚すれば、その子は岩のように長い寿命をもつことになるとオオヤマミツは言っていました」
 と、亮くんが補足したところで、美貴さんがサンドイッチを大皿に盛ってテーブルの上に置いた。
「みなさん、お昼食べてないんでしょ? お話されながらおつまみになったらいかがですか?」
 もちろん美貴さんはサクヤ姫のことは知らないはずだけれど、今ここで話をしている話題に特に気にした様子もなくごく普通に振舞っていた。不思議に思わないのだろうか? それとも、先生に慣らされているのだろうか。
 美貴さんがサンドイッチの皿をテーブルに置き終わった頃、また地震が起きた。唯一立った状態だった美貴さんが、
「あら、また揺れましたね。今日はずいぶん地震のある日ですね」
 と、ケロっとした顔で言った。どうやらこういう性格の人らしい。
「わーい。いただきまーす」
 そういう性格の人がもう一人いた。ちいちゃんは緊迫したシーンでもちゃんと食欲が沸く人だった。わたしはというと、朝ごはんを戻してしまったため、完璧に空腹であったのだけれど、身体が言うこと効かないためにそれを我慢していなければならない状態だったのだけれど。そんなわたしの目の前でおいしそうにサンドイッチにパクつくちいちゃんであった。
「よくお調べのご様子ですね」
 サクヤ姫は亮くんに感心したようにそう言った。
「けれど、古文書はあくまでも伝承であったりしますから、確かではなかったり、抜け落ちたりしてる部分も多いです。特にツクヨミについては古事記も日本書紀も詳しくは書いてない。やはり順を追ってお話いただくのが肝要かと。ただ、もしできるのでしたら、月の一族と浅間大社の間での対立の切欠をご存知なのでしたら、そのあたりを詳しく教えていただけるとありがたい。この諍いの原因が分かれば多少は解決の糸口が見えるかも知れないと。例えばそれは、イワナガ姫が月の一族に嫁いだことと何か関係があるのですか?」
「分かりました。その辺を詳しくお話しましょう」
 一呼吸置いて、サクヤ姫は口を開いた。
「……実を言うと、本来そこには何の対立もないのです。敢えて言うならば、全てはわたしのせいなのです」
「対立がない……?」
「はい。記憶を封印されていたわたしも、永くそう記憶しておりましたが、記憶の欠片を得た今ははっきりと申し上げられます。わたしが転生する度に月がその力に引き寄せられること、それによって富士山が噴火することはないのです」
「え?でも、実際、今も地震も起きてますし?」
「これは姉上の力によるものです。富士山は姉上の寄り処なのです」
「なんですって?  浅間大社で祀られているのは、誰でもない貴女なのですよ?」
「わたしは元々水を司る神でありましたのよ? それが火の源であるわたしが富士山そのものであるわけがございません」
「確かに、浅間大社では姫は水の神として、富士山を鎮める役目として祀られていますね。……もしかして、『火中出産』の逸話から火の神と勘違いされたとかいうことではありませんか?」
 大発見をしたかのように先生は立ち上がった。
「おそらくそうでしょう。そして、わたしは姉上の寄り処である富士山を鎮めるためにあの大社に身を寄せていたのです。
『火中出産』と言われるお話ですね。その話を避けることはできませんね。わたしはニニギノミコトに嫁いだ翌日天孫の子を身篭りました。それを天孫は他の殿方の子ではないかと疑ったのです。しかし、それを疑ったのは夫だけではなかったのです。月に嫁いだ姉上もそれを疑ったのです。つまり、自分の夫──月の王──との子ではないかと。そして、姉上は嫉妬のあまり月の王を幽閉してしまい、さらに呪いをかけたのです。
 数百年後わたしはかぐや姫として転生しました。月の一族として。姉上は言われました。
『あなたは罪を犯しました。その罪滅ぼしに、地に墜ち、様々な試練を受けるのです』
 わたしはその罪とは何なのかを何度も問いただしました。れけども姉上は何も答えてはくれませんでした。ただ、最後に
『わたしの情けとして、あなたが本当に愛した人を従者として迎えに遣しましょう』
 とだけ申しました。そしてわたしは竹取の娘として地に遣わされました」
 まるで寓話のような話だった。いや、神話自体今のわたしたちにとっては全て寓話でしかないわけだから、その続きとして捉えるべきなのだろうか。
 姫は続けた。
「その時にわたしは姉上の言う『罪』の意味に気がつけばよかったのですが、それに気がつくこともなく竹に生まれた幼子に戻りました。一旦記憶を戻されたわたしは急ぎ成人となり、姉上の言う意味を探るために、沢山の殿方にお願いをしてサクヤ姫の時の記憶の欠片を集めていただきました。それは時には珠であったり様々な形に形を変えておりました」
「確かに、竹取物語では、月の従者がかぐや姫の『罪』に言及する場面がある。あれは唐突な話であったし、それ結局その罪が何の罪であったかの言及がされないまま物語は終わっている。ボクも気にはなっていたんだが……。そして、その記憶の欠片探しが、求婚者に対する無理難題になってたというわけか」
 先生は納得したような顔をした。
「その記憶の欠片を全て集めた時、わたしは気がついたのです。姉上は月の王とわたしの約束に気がついていたのではないかということを」
「約束?」
「わたしが天孫に嫁ぐ前に、月の王と次の世では結ばれようと永遠の約束をしたのです」
「つまり、サクヤ姫としては、月の王とはなにもなかったと?」
「もちろんその時はなにもありませんでした。イザナギ、イザナミに誓って」
「しかし、月の神はその約束を忘れていなかったのでは?」
 先生とサクヤ姫とのやりとりをわたしたちはただ聞いているしかなかった。
「かも知れません。……そして、姉上もそれに気がついていらっしゃった。そこでわたしは月界に戻って、記憶を消される前に『不死の薬』と称して帝に、集めたサクヤ姫の記憶の欠片を全て薬瓶に封印してお渡しいたしました。次の世でそれに気がつくために」
「確かに竹取物語では天の羽衣を着た時に記憶を消されたとなってますね。その『記憶の欠片』を、帝は富士山の火口に捨てたために、奥宮に置かれてしまったと?」
「そうです。奥宮がわたしにとって回収すべき過去の記憶の床となったのです。それを帝が飲んでいただいておりましたら、もっと前に京にて回収できましたことを。今更言っても仕方ございませんが。そして、それを回収するまでに1000年を要したということになります。これが先ほどの貴方の質問へのご回答になります。話が長くなって申し訳ありません」
 気が遠くなるような話だった。単なる誤解、勘違い、そして永遠の約束。こんな永い時間をかけなければならない事態になるとは。しかも、その誤解はいまだに解けてはいない。
 『永遠の約束』
 それは乙女心にはキュンとくる言葉だけれど、こう何千年もの間に亘って誤解の源となり、それを信じてきた者にとっては、ある意味苦痛そのものではないかとも思える。
「とんでもない。こちらこそ、根堀り、葉堀り聞いて申し訳ない」
 驚きの表情で、先生はようやくソファに座った。
 ドン!
「!」
 その瞬間、足元から激しく突き上げるような揺れがわたしたちを襲った。

(作曲:てけさん)

2013年8月10日土曜日

「竹取の」第26夜<有明月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 ヘリの中で揉まれる時間が長時間に及び、いよいよ覚悟を決めなければならない時がきたのかと何度も思った。けれどヘリは乱気流にもまれながらも、なんとか富士山上空を抜けた。計器も徐々にグリーンランプに切り代わり、パイロットもようやく落ち着きを取り戻したようだった。ヘリ会社のスタッフも額に大汗をかいているのを手で拭った。
 わたしはというと、サクヤ姫に身体を乗っ取られたまま、激しく揺さぶられたため、今朝食べた朝食を全て備え付けの袋に戻してしまった。
「大丈夫かい?」
 隣で始終わたしの背中を撫でてくれた浦城先生が心配そうに何度もそう言った。わたしは出す物は出してしまったし、ヘリの揺れも収まったところでようやく姫にも開放されたようで、声を出せるようになっていた。
「はい、もう大丈夫です」
 ヘリのモーター音のため、どれだけ先生の耳に入ったかは定かではなかったが、わたしがそう言うと、背中をさすってくれていた手を止めた。
「瑠璃ちゃん……に戻ったのかな?」
 先生はわたしから紙袋を取り上げて、口を閉じてから、ふとわたしにそう訊いた。わたしは、頷いてそれに応えた。先生は少し安心したように溜息をついたような仕草をした。
「いやぁ、あんな乱気流は初めてでした。まるで真冬か、台風でも来たかのようでしたよ」
 パイロットはヘリを無事着陸させてから全ての電源を切ると、興奮したようにそう言った。
「彼は、元自衛隊のヘリパイロットで、うちの登録パイロットの中でもピカ一の腕なんです。彼じゃなかったら、どうなっていたことか……」
 同乗のスタッフがそう説明を加えた。その口調はパイロットへのお世辞の色は全くなく真に迫ったものだったから、本当に間一髪であったのだろうことは容易に想像できた。
「いや、本当に申し訳ない。急なチャーターでしかも、こんな思いまでさせてしまって」
「いえいえ、そういう意味ではありません。それに、あの乱気流は先生のせいではありませんから」
 実際にはわたしたちのせいだったように思うのだけれど、そんなことは口が裂けても言えるはずはなく。
「あの……先生、大変申し訳ないのですが、サインいただけませんでしょうか?」
 ヘリを降りる時に、元自衛隊員だというパイロットが浦城先生におずおずと尋ねた。
「うちの家内が先生の大ファンでして。もしいただけたら、ありがたいと」
「もちろんですよ。命の恩人ですからね。サインくらいならいくらでも。ご住所教えていただければ、最新刊をお送りいたしますよ。サイン入りで。奥様のお名前は?」
 と、先生がそんな話をしているうちに、ちいちゃんと亮くんが駆けつけてきた。
「大丈夫か? 乱気流に巻き込まれたって聞いたけど」
 まずは亮くんが心配そうに聞いた。
「うん。でも、パイロットさんがなんとか切り抜けてくれたわ。わたしたちは、大丈夫」
「ならよかった。ここも酷かったんだ。ちょうどヘリが頂上に着いた頃から地震が何度もきて。どうだった? 何か分かったか? 」
「姫はもう分かったって言ってたけど。地震酷かったの?」
 わたしは頂上で起こったことを粗々でふたりに話した。
「サクヤ姫が出たのか? 今度は夢の中じゃなくって? 揺れ自体は大して大きくはないんだけど、何回も揺れて」
「うん。わたしの身体使って。憑依っていうの? あんなの初めて。気持ち悪かった……」
「そうか……ごめんな、一緒にいてやれなくて」
 あの晩、『護ってやる』と言ってくれた亮くんだった。それに対して謝っているのだろうことはわたしには分かった。
「ううん。大丈夫。それに亮くんのおかげでここまで来られたんだし」
 わたしは強がった。実際、裏大社で亮くんが庇ってくれなかったら、わたしがもし怪我をしていたら、今日頂上に登ることはできなかっただろう。だから、それは大げさな話ではないはず。
「瑠璃ちゃん、顔青いよー?」
「揺られてね……その、今朝の……戻しちゃって」
 わたしはちいちゃんにだけ、小さく囁いた。と、その時、ゆらゆらと地面が揺れた。それが地震によるものなのか、それともヘリの揺れの影響なのかがなんとも判断つきにくかった。
「ほら、こんな感じで揺れてたのー」
 と、ちいちゃんが言った。確かに今のは地震だったみたい。地震と言ってもさほど大きく激しく揺れるものではなく、目眩にも似た大きくゆっくり揺れるものだった。
「さて。次はどうすればいいのかな?」
 先生が事務所から戻ってきて、私の背後から声をかけてきた。
「今晩ですわね。今日の夜で全てが決まります。けれど、ご安心ください。みなさまのおかげで記憶の欠片を回収できましたので、もう大丈夫です。あとは瑠璃さんの頑張り次第で」
 またわたしの口を通して、姫が言った。できれば、突然現れるのだけはよして欲しかったけれど、今はそうもいってられないのだろう。……ってか、姫、今さりげなくすごいプレッシャーをわたしに与えませんでした?
「それ……が、姫なのか?」
 亮くんとちいちゃんが少しポカンとしか顔をした。明らかに普段のわたしと口調が違うからなのか、声のトーンも違うのか、彼らはすぐにわたしではないと気がついた。
「あなた方にも大変ご迷惑をおかけしました。しかし、大変助かりました。お礼を申します」
 姫はそう言って、亮くんとちいちゃんに向かって頭を下げた。
「あ、いえ……」
 亮くんは恐縮したように返事した。
「今晩ですか? 今晩何があるのですか?」
「この揺れは、お姉さまが起きた証拠です。そして、今晩アメツチノオオワカミコは必ず現れるでしょう。そうしましたら、わたしたちの全ての決着をつけなければなりません」
「決着……ですか?」
 先生は不思議そうに聞いた。
「あの、へこりぷたという乗り物は大変便利なものでありますね。わたしが1000年以上かけてなしえなかったことがたった一刻やそこらで到達できてしまったのです。大変な散財をさせてしまったようですが、大変助かりました」
 姫はそう言って、再度先生に対して丁寧に頭を下げた。下げたのはわたしの頭だったのだけど。ちなみに、ヘコリプタではなく、ヘリコプターなんですけど。
「つまり、富士山頂に登るために1000年以上をかけてきたと? 姉上というのは、山頂でも仰ってましたけど、イワナガヒメのことですか? 王とは、誰のことなんですか? それと地震と何か関係が?」
 先生はそんなことは構わず、質問の連発を投げかけた。ずっと先生の中でも疑問であった点が噴出したのだろう。
「その辺のお話をするのには、きちんとした説明が必要かと思います。順を追ってお話いたしましょう。どこか落ち着いてお話ができるところが良いのではないですか?」
「わかりました。では、一度別荘に戻りましょう」
 先生の先導でわたしたちは一緒に車に乗り込んだ。
「瑠璃さん、ごめんなさいね。しばらく身体をお借りしますね」
 車に乗り込みながら、姫はそう呟いた。

(作曲:てけさん)

2013年8月9日金曜日

「竹取の」第25夜<二十五夜>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 翌日の朝、ちいちゃんとほぼ同時に起きたわたしは、まずカーテンを開けて外の天気の様子を見た。外は快晴で、朝から富士山が綺麗に見えた。
「ちいちゃん、富士山が綺麗だよ」
「ほんとだー!」
 わたしたちはふたり揃ってしばらく美しい山の形を堪能した。昨日寝る前にずっとわだかまっていた事をちいちゃんに全部話したおかげでわたしは何だかすっきりした気分だった。
「ちいちゃん、ありがとうね」
 わたしの口から自然に出てきた言葉はそれだった。
「うん」
 ちいちゃんはそれだけ返事して微笑んだ。それ以上は何も言わなくてもちいちゃんとはきちんと通じ合っているような気がした。それからゆっくりと着替えてリビングに向かう。リビングでは、浦城先生が電話をしながら、部屋の中をウロウロしていた。
「だから、頼むよ。そう、そう……。そう……、分かってるって。責任はこちらで取る。もちろん必要な物があるならそちらで用意してくれ。……もちろん。……そう、2倍でも3倍でも払うから。……頼んだよ。手間かけさせて申し訳ない。この埋め合わせはいつかするから。よろしくお願いいたします。じゃ」
 と、先生は電話を切ってわたしたちの方を向いて笑顔を見せた。
「やあ、おはよう。朝ご飯食べるかい?」
「おはようございます。……あ、はい」
「ミキさん、この二人の分もお願いします」
 と、先生は電話機を置きながら、台所に向かって言った。台所には、見知らぬ女性が立っていた。
「はい、かしこまりました。お二人はトーストと卵料理でよろしいですか?」
 先生よりずっと若い、ミキと呼ばれた女性はエプロン姿で、わたしたちにそう訊いた。年の頃は30代かその前後。美人の部類に入ると思われる、端正な顔立ちと清楚な雰囲気。奥様? というより、秘書に近いイメージ。
「ああ、ミキさんは、うちのお手伝いさんなんだ。今朝遅れて到着したんだ」
「そうなんですかー。お世話になっております、京茅衣子です。こっちは、竹泉瑠璃ちゃんでーす!」
「布畑美貴(ぬのはたみき)です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
 美貴さんは丁寧にお辞儀をした。さすが人気作家先生。お手伝いさんを雇ってるのか。しかも、美人で若い。秘書のイメージだったのは、そのせいもあった。
「お二人は、卵はどのような調理がお好みですか? あと、コーヒーと紅茶がございますが?」
「わたしはスクランブルでお願いしまーす。あと、紅茶で」
 ちいちゃんは元気に注文した。
「じゃあ、わたしは、目玉焼きでお願いします。コーヒーでお願いします」
「かしこまりました」
 美貴さんはフライパンを取り出して調理を始めた。パンはトースターに仕込まれた。
「とりあえず、ヘリの手配はしてみた。季節的に山頂は厳しいとは言われたけど、なんとかしてくれって頼んでる」
 マジにヘリコプターの手配してくれたらしい。わたしは面食らった。わたしは、ちいちゃんに肘突きして、小声で囁いた。
「ちょ、ちょっと、ちいちゃん……ヘリコプターって、一体いくらくらいするのかな?」
「さぁ? 亮ちゃんに訊いてみたら?」
「さっき、2倍とか3倍と言ってなかった?」
「言ってたわよね……」
 わたしたちは全く想像つかない状態。ただ、高いであろうということだけしか想像がつかない。
「富士山って、ヘリコプターで登れるもんなんですかー?」
「静岡に、それ専門でやってる航空会社があってね。知り合いのカメラマンが御用達なんだ。登れるのは間違いない。ただ、季節だとか、気象条件だとかによっては、ホバリングが難しいとか、着地が難しいとかがあるし、通常は何ヶ月も前から予約してチャーターするのが普通らしいんで、急遽となると難しいとは言われたんだがね。それで、今なんとかしてくれって、そのカメラマンに交渉を頼んでいるところだ」
「ぶっちゃけ、いくらくらいかかるんですかー?」
 うわー、ちいちゃん、それ聞いちゃう?
「通常のチャーターが200万円くらいらしいね。もちろん条件にもよるけれど」
 また、先生もさらりと言っちゃってくれる。それの3倍払うってことは……。
「あ、あの……わたし、そんなにお金出せませんが……」
 わたしは怖くなってきた。いくらなんでもそこまで世話になるわけにはいかない。けれど、わたしがそんなお金出せるわけもなく。
「心配しなくっていいよ。瑠璃ちゃんに出してもらおうなんて思ってないから」
「でも、そんな金額出してもらうわけには……」
「取材費だよ。……つまり、ボクもその現場を観てみたいし。昨日のアレだって、ボクの想像を遙かに超える現象だったからね。あんなものを見せてもらえるなら、いくらでも払う。いや……いくらでもは言い過ぎか」
「しゅ……ざいひですか……」
「そうだよ、ボクたちはプロだからね、どんな作品を書くにも、相当な費用をかけて取材や資料を集める。だからこそ、素人には書けないような大作を書けるんだ。ちょっと海外にロケハンしようものなら、ン千万なんてあっという間だよ。いい作品を書こうと思ったらね。沢山の人達に読んでもらうためには、それだけの投資も必要だってことだ。
 だからね、心配しなくてもいい。これはある意味、バーターだ。キミたちはボクにネタを提供してくれる。それにボクは取材費としてかかる経費を払う。ドゥー ユー アンダースタンド?」
 その時のわたしたちにはまだ理解できていなかったのだけれど、先生は先生なりに、わたしたちが負担に思わないようにとの配慮からの発言だった。ただ、その時のわたしはまだそこまでの理解力はなく、なんとも複雑な心境であった。つまり、最初のこの話をもちかけられた時と同じように、自分がネタにされるということに対する被害者意識が先行してしまっていた。かと言って、この問題を自分達では解決できないことは十分分かっていたので、異論を述べる隙間さえなかったのは確かであったのだけれど。
「わかりました。すみません、よろしくお願いいたします」
 わたしの言葉は少し棘があったかも知れないが、先生は全く気にしていない様子だった。
「おはようございます」
 遅れて亮くんがリビングにやってきた頃には、わたしたちの朝食が運ばれてきていた。
「亮くん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
 亮くんはあまり機嫌のよくない顔でそう言った。わたしはわたしで、昨夜ちいちゃんとの会話のこともあって、上手く顔を合わせることもできなかった。
「段逆くん。美貴さんが救急セット持ってきてくれたから、あとで包帯巻いてもらいなさい」
「ミキさん?」
「お手伝いさんなんだってー」
 ちいちゃんはいつも通りに振るまっていた。
「布畑美貴です。よろしくね」
 料理を載せた皿を運びながら、美貴さんはさっきと同じように亮くんに向かって丁寧にお辞儀をした。
「あ、段逆亮です。よろしくお願いします」
 亮くんは、少し驚いた様子で頭を下げた。それから亮くんはスクランブルエッグとコーヒーを頼んで、わたしたちと一緒に食卓に座った。ちょうどその頃電話が鳴って、先生はまた話を始めた。今度は短い返答で終わった。
「よし、なんとかチャーターできた。朝食を食べたら出かけるぞ」
「え? チャーターって……もしかして、ヘリですか?」
「そう。ヘリで富士山頂に登る。今日の天気であれば、なんとかいけそうだと。まあ、奮発もしたからな」
「マジですか。すごいな……」
「あ、但し、段逆くんと茅衣子ちゃんは、残念ながら飛行場で留守番だ」
「え……」
「山頂はまだ冠雪してるから、色々装備が必要らしい。急遽だったんで、その装備は2人分しか用意できないんだと。それに、段逆くんは、その怪我があるからね。無理は禁物。と言うわけだ」
「わかりました……」
 かかっている費用のことを考えると、わたしたちに異論を挟む余地はなかった。亮くんもおとなしくそれに従った。
「ごめんね、亮くん。わたしのせいで怪我したのに……」
「いや。気にすんな」
 と言いつつも、亮くんはとても残念そうではあった。

 朝食後、亮くんの処置も終わると、わたしたちはすぐに出発した。ヘリポートは静岡の郊外にあり、別荘からは高速道路で1時間半程度のところだった。
「先生、急に酷いっスよ。なんとかしましたけどね」
 そう言って迎えてくれたのは、郷多と名乗ったカメラマンだった。
「サンキュー助かるよ」
「どうしたんスか? こんな急に富士山だなんて?」
「急にね、インスピレーションが沸いたんだよ。今じゃなきゃダメなんだ」
「そうっスか。作家先生も大変ですね」
「まあね」
 若干嫌みが入っていると思われるカメラマンの言葉も、先生は気にしていない様子だった。
「で、どちらの方がお乗りになられるんですか?」
 ヘリ会社の人が聞いてきた。
「ボクと、この子が乗ります」
 と、先生はわたしを指さして言った。
「……え? えっと……未成年ですよね?」
 わたしは頷いた。
「そうなりますと、保護者の同意書が必要なんですが……」
「ボクの娘ですから。ボクが書きます」
「あ、そうですか。それは失礼しました。では、こちらで手続きをいたしますので、どうぞ」
 ヘリの係員が先導していく。先生は振り返って、わたしにウインクした。まあ、娘がいてもおかしくはないお年ですけど。
 先生と係員が事務所で受付を済ませている間に、他のスタッフらしき人がわたしに装備一式の説明を始めた。ほぼ雪山装備そのものの衣服と、かなりの重量のあるリュックを渡された。万が一ヘリが戻ってこられない、もしくは着陸した後に離陸ができない等の事態に備えてのことだという。
「念のため、自分も一緒に参りますので。ご安心を」
 と、そのスタッフが言った。彼も同じような装備をしていた。
 事務所から戻ってきた先生も同じような装備を渡された様子で、重そうにしながらこちらに戻ってきた。
「いやー、大層なことになってるな」
「万が一に備えてですから」
 スタッフの人が再度そう説明した。
「じゃあ、気をつけてねー!」
 ちいちゃんが両手を振ってわたしたちを見送った。亮くんはというと、出がけに先生から渡された、古代神話に関する分厚い資料を戻るまでに読んでおくようにと先生に言われていて、車の中で必死にその資料を読み込んでいた。
「じゃあ、行ってくるね」
 わたしは、先生とスタッフに着いて一緒にヘリコプターに乗り込んだ。人生初めてのヘリコプター搭乗だった。
 ヘリコプターは思ったより快適だった。ほとんど揺れないし、シートも広い。ただ、騒音が酷くて中ではほとんど会話はできない。ヘリは静岡上空を経由して富士山に向かった。上空に上がると、天気が良いせいもあってすぐに富士山の姿が見えた。
「普段はこんな天気のいい日はないんです! ただ、山頂はどうか分かりませんが」
 同乗したスタッフが叫び声をあげて、そう説明した。
 やがて、富士山がどんどんと近づいていく。山頂は説明の通り、雪がまだまだ積もっているのが分かる。富士山を真横から見ることができるのは滅多にないだろう。滅多にない貴重な時間なのだろうけれど、その時のわたしは緊張のあまりそんなことさえ考えられる余裕はなかった。富士山が近づいていくに従って、心臓の音が激しくなってきた。
 スタッフが心配していた山頂の天候状態は大変良く、ヘリは無事に山頂に到着した。わたしたちは、順次ヘリから降りた。何度かヘリが離着陸した形跡がある場所だった。足跡や物を運んだ跡も見える。雪は緩みかけてはいたが、そのおかげなのか、さほど雪に足をとられずに歩いて行けそうだった。
「珍しいです。こんなに無風に近い状態は滅多にないですよ」
 そのスタッフは驚いたようにそう言い、先の方を指差した。
「奥宮は許可なく入れないので、その辺までしか行けませんが。建物は、あれです。見えますか?」
 遠目にしか見えないけれど、雪に埋もれた建物が見えた。
「瑠璃ちゃん、わかるかい?」
 先生がわたしの傍らについて支えてくれた。それから二人で少し先の方に進んだ。スタッフとパイロットはその場に残った。
「はい、わかります。何故か、はっきりと」
 雪に埋もれているはずの建物が手に取るように分かった。これは姫の力のせいなのだろうか。
 と、わたしの手の中が急に暖かくなった。
「なんだ……?」
 手の平からぼうっと白い光が瞬き始めた。その光はどうやら奥宮の方から少しづつ集まって来ているようだ。
「何か、集まってきている?」
 光の元を見つめながら先生がそう呟いた。わたしたちはしばらくその様子を眺めていた。3分から5分くらい続いただろうか。その光がわたしの手の平いっぱいになった頃、急にわたしの口が勝手に動き出した。
「わたしが探していたのは月の王でした。今思い出しました」
「王……? 瑠璃ちゃん?」
 先生はびっくりした顔をした。声のトーンがわたしのものとは違うことに気がついたのだろうか。
「先生。ありがとうございます。これでわたしも全て記憶の欠片を拾い集めることができました。感謝いたします。これで十分です。戻りましょう」
「い、いいのかい?」
「はい。できれば急いでお戻りください。姉上がお起きになる前に」
「姉? ……もしかして、瑠璃ちゃんじゃないのか?」
 わたしは、自分が何を言っているのか分からなかった。そして、自分の言葉を並べようとしても、言葉にならない。まるで躯が別人に操られているかのようだった。
「はい。わたしは瑠璃さんではありません。……早くお戻りください。姉上がお起きになると、やっかいなことになります故」
「相分かった。すみません、すぐ出発できますか?」
 ヘリの横でわたしたちの様子を伺っていたスタッフとパイロットに向かって、先生が大声で叫んだ。すると、それに呼応するかのように周りで雪煙が舞い上がり始めた。それを見て二人は慌てた。
「すぐですか? もう良いんですか? 分かりました。すぐに準備します」
 パイロットが急ぎヘリに戻る。スタッフがわたしたちを誘導して、ヘリに乗せた。ローターが回り出す。風は勢いを増してきた。それはヘリの風圧によるものだけではなかった。
「風が出てきました! 少し揺れるかも知れませんから、しっかりつかまっててください!」
 スタッフが慌てて大声を出した。さっきまで無風だったはずなのに急に風が吹き出したのだ。慌ててもおかしくはない。ヘリは急上昇を始めた。ヘリは横風に大きく揺さぶられた。ローターの音がさっきとは全く異なる音になり、機体がギシギシ鳴った。計器のいくつかが赤いランプを灯していた。
「なんだこれは!?」
 パイロットもかなりの慌てている様子だった。
「これが、姉上の仕業なのか?」
 先生が私の耳元で叫んだ。
「多分、そうかと思います!」
 サクヤ姫はそう言った。先生にもそれは聞こえた様子。
 機体の異音はさらに激しさを増した。左右上下に揺さぶられ、わたしは吐き気を催してきた。
 計器がエラー音を発し始めた。パイロットが何か大きな叫び声を上げた。
 そして────────── 

(作曲:てけさん)

2013年8月8日木曜日

「竹取の」第24夜<二十四夜月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「起きて。起きて下さい」
 わたしは誰かの声に目を覚ました。
「ママ、ごめん、もう少し寝かせて……。あと5分……って……あなた……誰?」
 わたしはいつもの通りにベッドで寝ていたつもりだったのだけれど、そうではなかったみたい。
「あれ?ここはどこ?」
 まわりは真っ白で何もない空間。そして、わたしの横には一人の女性が座っていた。
「ここは、あなたの心の中ですよ」
「わたしの……? ってことは、あなたが、繭の中の人?」
「そうです。あなたがずっと起こそうとしていたのがわたしです」
「と言うことは、コノハナサクヤビメ?」
「ええ。コノハナサクヤビメでもあり、また、他にも色々な名前で呼ばれております」
 その人は、よく教科書で見かけるような、古代人というか邪馬台国の人達のような姿形をしていた。麻でできていると思われる単純な衣服を腰紐で止めている感じ。髪は長い髪を両脇で結んでいる。優しそうな顔だけれど、凛とした表情で、高貴ささえ感じられる。
「神様って、こんな姿してるんですか?」
「ああ、これね。……実際にはわたしは実像があるわけではなくて、これはあなたの想像であって、そうね……いわゆるイメージと言う方がいいのかしら。姿だけじゃなく、話し方とか、通じ方とかもね。あなたがわかりやすいように自分で自分のイメージにしているのですよ」
 ということは、わたしの神話の世界の人のイメージがこれという意味らしい。わたしは自分の想像力のなさにがっかりした。
「じゃあ、あなたが繭の中から出てきたということは、封印が解けたということですか?」
「そうね。そうらしいわね。残念ながら……」
「じゃあ、大変! 富士山が噴火しちゃうんじゃないですか!?」
 わたしは慌てた。サクヤ姫の封印が解けたら、富士山噴火するという話をさっき聞いたばかりだったから。
「ああ、でも、それはね、多分大丈夫だと思うの。まだね」
「え? そうなんですか?」
「ええ。富士の山の地脈が活発化するまではまだ別のプロセスが必要なのです。信嗣さんはそれをご存知なかったようです」
「プロセス? そうなんですか? じゃあ、このままであれば、富士山の噴火を止められるのですか?」
 古代の神様がプロセスなんていう言葉を使うのは違和感がないわけではなかったけれど、まあ、分かりやすいことは確か。なんともご都合主義っぽい感じはするけれど。
「そうも言ってはいられないのです。このまま黙っていれば、姉のイワナガヒメが起きてしまいます。そうなれば、いずれはその日がきてしまいます」
「ところで、一つ聞いて良いですか? わたしはあなたの転生なのですか? それとも、わたしとは別の人なのですか?」
 前から聞いておきたいことだった。アメツチの説明では、あくまでもわたしの中にあるエネルギーであるとの説明だったから。
「それは、説明が難しいわね……。わたしはあなたであり、あなたではない。あなたはわたしであり、わたしではない。元々は一つのものから発生しているけれど、別れてしまったもの。そうね……喩えるなら、一卵性双生児は元々は同じ卵子から生まれているけれど、育っていくうちにそれぞれの個性がでて別人になるわよね。あれに似ているかも知れないわ。ただし、あなたは今肉体と持っているけれどわたしにはそれはない。あなたの肉体を借りることはできるけれど、それはあなたの個体。そこが大きな違いですね」
「かぐや姫の中にもあなたがいたのですか?」
「いえ、あの時はまた別です。というより、今が特別なのかも知れません。わたしが現世に現れる際にはわたしの魂そのものが降りて、その人となります。かぐや姫もその一人でした。そして、わたしはこの何千年もの間、何度も何度もこの地に降りて参りました。けれど、その度にここでは不幸が訪れるのです。そこでわたしは300年前にわたしは祈ったのです。次に降りる際にはできるだけ目立たないように、静かに暮らしていくために、何か方法はないかと。その結果今までたくさんの宿り木に自らを封印して現世に降りたのです」
「宿り木……」
「ごめんなさいね。そんな言い方してしまって」
「あ、いいえ」
 とは言ったものの、神様とは言え、わたしという宿り木にに棲まうようになったいきさつを聞くと、わたしの気持ちは複雑だった。
「でも、おかげでこの300年一度も見つからずに済みました。けれど、それは何も解決はしていないということに気がつきました。ただ、結論を先延ばししているだけなのだと」
「結論? 何の結論ですか?」
「その話をするには少し時間がかかるわ。ずっと昔の話から始めなくてはなりません。そして、その記憶は私自身がかけた封印のせいで朧気なのです。その記憶を取り戻すために、お願いがあります。富士山を噴火させないようにするためにもそれは必要なのです」
「もう乗りかかった舟ですから、なんでもやりますよ!」
 もうわたしもヤケだった。
「富士山の頂上に奥宮というのがあります。そこに行ってほしいのです」
「富士山の頂上ですか!?」
 富士登山はここ数年流行しているらしく、年々登山者が増えていると聞く。しかし、さすがに初心者には無理に思えた。しかも、今は4月下旬。
「そこでわたしの記憶の欠片を拾いに行きます。大昔、アメツチノオオワカノミコとわたしと姉上の間で何かがあったはずなのです。大変な何かが。それがこの悲劇を引き起こしているのです。その何かを知るために、わたしは富士山の山頂に登らなくては行けないはずなのです。今のわたしに分かるのはそれだけなのです」
「さすがに今頂上は無理……じゃないかしら……まだ5月にもなってないし」
 わたしは、道中見かけた富士山の姿を思い出した。山頂はまだ深く冠雪していた。
「なんとか行けないかしら」
「多分……無理かと……夏になったら大丈夫だとは思うんだけど?」
「そんな先までは待てないわ」
「そんなこと言われても……」
 わたしが困った風にオロオロしていると、なんだか回りがざわついてきた。さっきまでわたしたち以外の声や音が全くしなかったのが、色々な雑音が四方八方から迫ってきた。
「あ。そろそろあなた、起きる頃になったわ」
「え?」
「頼んだわよ。富士山の山頂。奥宮にわたしを連れていって」
「ちょっと、待ってください。それより、どうやって噴火を止めるんですか?」
「それは、奥宮に着いたら、分かります。頼みましたよ」
 雑音が大きくなっていくに従い、今度はサクヤ姫の姿がすーっと消えて行く。真っ白だった世界が、どんどんと暗くなっていき、やがて真っ暗になった。

「瑠璃ちゃん、瑠璃ちゃん、起きてー」
 目を開けると、ちいちゃんが脇にいて、わたしはベッドに寝ていた。
「ちい……ちゃん?」
「よかったー。瑠璃ちゃん起きたわよ!」
 ちいちゃんは振り向いて、叫んだ。
「竹泉、気がついたか?」
「瑠璃ちゃん、大丈夫かい?」
 すぐに亮くんと浦城先生だと気がついた。
「ここはどこ?」
「ボクの別荘だよ。あれからここまで車で戻ってきたんだ。キミはあの光に包まれて、失神してしまったらしい。もし朝まで起きなかったら病院に運ぶつもりだった」
「あの光……? ああ……」
 そう言われれば、月と富士の戦いに巻き込まれてわたしは気を失ったのを思い出した。
「あれからどうなったんですか?」
「二人とも消えた。一体どうなったのかは全く分からん」
「どうやら、信嗣さんは竹泉のことを……消してしまうつもりだったみたいだ」
 亮くんは、少し寂しそうにそう言った。頭にはタオルのような物を巻いていた。少し血が付いているのが見える。
「亮くん、頭……大丈夫?」
「ここに救急箱とかなくてね。とりあえず、応急処置だけはしたんだが」
「大丈夫です、これくらい。かすり傷ですから」
「亮くん、ごめんね」
「大丈夫だって。心配するな。それより、なんか寝言言ってたみたいだが。サクヤ姫とかなんとか……?」
「あ……。姫の封印が解けたみたいなんです。姫と話をしました」
「なんだって? 姫と話ができるのか?」
「はい。夢……の中なんでしょうか? 前に儀式をした時と同じ、何にもない空間で、わたしとサクヤ姫がいました。わたしの心の中だと、姫は言っていました」
 それから、わたしはサクヤ姫との会話の内容をみんなに伝えた。
「ふむ……。転生はしたけれど、その精神はは別々に育ってきたから、別の人格になってしまったということなのか……。転生前の人格が別人格として現れるという多重人格者の事例も世界には沢山あるからな。理解できないわけではない」
 先生はそう結論着けた。
「それより、富士山の山頂か。それはかなり難しい注文だな……もちろん山開きはまだしてないから、徒歩での登山は不可能だ。しかも、冬山登山となると素人には死ねというのに等しい。ボクは一度だけ登ったことがあるが、夏山でさえ素人にはかなりキツイ。ましてや、まだ山頂に雪が残っている状態では……」
 先生は顎に手をやり長考した。やはり姫の願いは無理難題なのだろうか。かぐや姫の時みたいに。
「ただ、無理というわけではないな」
 長考の後、先生の口からはそんな言葉が漏れた。
「思い当たりがあるんですか?」
 亮くんも驚いた。
「ふむ……前に知り合いのカメラマンが、ヘリコプターで山頂に撮影しに行ったことがあったはずだな……。明日朝聞いてみよう」
 さすがの先生だった。ヘリコプターって言葉が簡単に出るあたり。
「ところで、イワナガヒメって言ったかな? サクヤ姫は」
 話は変わった。
「そのような名前だったように思います。お姉さんだと言っていました」
「確かに、コノハナサクヤビメの姉は、イワナガヒメなんだが。そうか……話はそこまで遡るのか……」
「なんです? イワナガヒメというのは?」
 亮くんはそれに興味を示した。
「イワナガヒメはコノハナサクヤビメの姉で、天孫ニニギに一緒に嫁に出されたのだが、あまりに醜いためにニニギに返されたと言われている」
「姉妹で嫁にやられたということなんですか?」
「古代には、姉妹で同じ夫に嫁ぐということはよくあった。二人の父親であるオオヤマツミは、美人だがその子供は短命に終わるであろうコノハナサクヤビメと、醜いがその子供は長寿を約束されるであろうイワナガヒメを差し出したんだ。だが、ニニギがコノハナサクヤビメだけと結婚したので、それ以降の家系は短命になっているという伝説となっている。一般的には神の子であるはずの天皇に寿命があるのは何故かという疑問に対する理由付けのための逸話だと言われている」
「かわいくないからとかって、ひどーい」
 ちいちゃんは頬を膨らまして怒ったポーズをした。
「まあ、とにかく、イワナガヒメが起きるって言ったんだな?」
「はい、そうです」
「ということは、サクヤ姫の言う、プロセスというのにはイワナガヒメが関係しているってことになるな。しかも、その詳しい内容は富士山頂にまで行かなければ分からないと。こりゃ、困ったな」
「すみません」
「いや、それは、瑠璃ちゃんが謝ることじゃないよ。なんとかしてみる」
 と、その時、グラっと地面が揺れた。
「じ、地震…?」
 揺れはそれほど大きくはないが、部屋の中の物がゴトゴトと揺れた。
「さっきから何度も揺れてるんだ。多分、姫が目覚めたのと関係はあるんだろうな。ただ、即、噴火するわけじゃないと分かれば、少しは安心だが」
「これから、どうします?」
「まずはみんな今晩は休もう。明日朝ボクは知人のカメラマンに連絡してみて、ヘリのチャーターが可能かどうか確認してみる。あと、段逆くんは明日病院に行くか、少なくとも薬局で包帯と薬買って治療した方がいい」
「薬局で十分です。血も止まったみたいだし」
「じゃあ、明日朝リビングに集合ってことで。おやすみ」
 そう言って、先生は部屋を出て行った。
「じゃあ、俺も寝るわ」
「亮くん、ありがとうね」
「いや。竹泉こそ大変だろうけど、頑張れ」
「うん、頑張る」
「ちいは?」
「わたしはもう少し一緒にいるー」
「一緒に寝る?」
「そうねー。久しぶりに一緒に寝ちゃおうかー」
 私たちがキャッキャと盛り上がっているのを尻目に亮くんは部屋を出て行った。
「瑠璃ちゃん、本当に大丈夫?」
「……ん。わかんない。なんか、夢見てるようで、実感沸かないの」
 ちいちゃんは部屋着のままベッドに潜り込んできた。ベッドは大きめのキングサイズだったから、二人転がっても余裕だった。ちいちゃんはわたしの手を握って、
「大丈夫。瑠璃ちゃんは大丈夫だよ」
「うん、ありがとう」
 それからわたしたちは小学生以来のパジャマパーティよろしく、二人でベッドに並んで寝転がった。
「ねぇ、瑠璃ちゃんって、亮ちゃんのことどう思ってる?」
 口火を切ったのはちいちゃんからだった。
「ん? どうしたの急に? どうって……」
 今日パーキングエリアでもそれとなく亮くんのことを言われたこともあって、わたしもずっと気にはなっていたのだけれど。
「だってさ、亮ちゃん見てたら、瑠璃ちゃん好きなのバレバレなんだもの。しかも、ああやって体張って瑠璃ちゃん護って。それで瑠璃ちゃんが全然その気がないなら、亮ちゃん可哀想だなと思ってね。どう? 亮ちゃんのこと好き?」
 わたしは黙ってこくりと頷いた。そりゃあ、前から気にはなっていたし、ああやってわたしのことを護ってくれた姿とか見せられたら、好きにならないわけはない。だけれど、わたしが躊躇したのは、ちいちゃんが亮くんのことをどう思っているかということが未だに気になっていたからだった。
「そっかー、なら良かったー」
 ちいちゃんはそう言って、天井を見ながら布団の上で両手を組んだ。
「で、でも、ちいちゃんはどう思ってるの? 亮くんのこと?」
 わたしはちいちゃんの質問をそのまま返した。ずっと、ずっと気になっていたこと。
「んー? うん、好きだよー」
 胸がチクリと痛んだ。やっぱりそうなんだ。
「でもね、従兄妹としてね。兄妹としての感情以上じゃないと思う。いわゆる家族愛なのかなーって」
「でも、従兄妹だって、結婚できちゃうよ?」
 わたしは追い打ちを掛けてみた。
「できるねー。でも、多分、亮ちゃんとはそういう感情にはならないと思うんだ。それにね、亮ちゃんの心はわたしの方は向いてないし。今は瑠璃ちゃんだけしか見てないよ。わたしは長年見てきてるから分かるの」
 つまりは、ちいちゃんは亮くんに対してずっと片想いだったってことなんだろうか。それはそれで痛い。
「なによりね……」
 ちいちゃんは続けた。
「わたしは亮ちゃんも好きだし、瑠璃ちゃんも大好き。わたしの好きな人同士が好き合っているのが嬉しいの。だから、瑠璃ちゃんが亮ちゃんのこと好きって言ってくれたから、わたしは安心なの」
 わたしは言葉もなかった。
「ちっちゃい時にね、将来は結婚しようねーとか言ってたのよ、わたしたち。でも、それはずっとずっと昔のこと。多分、亮ちゃんも覚えていないし、わたしももうそんなつもりはないよ。
 昼にも言ったけれど、亮ちゃんって変に肩肘張ってるし、そういうとこ素直じゃない人だから、瑠璃ちゃんのこと好きだっていうのいつまでも言わないと思うんだー。特に今はサクヤ姫の影響があるから余計にね。でも、もし瑠璃ちゃんが亮ちゃんのこと好きでいてくれるなら、亮ちゃんから胸の裡を告げられるまで待っててもらえないかなー?」
「も、もちろん。わたしはいつまでも待つつもりだよ。それに、亮くん受験東京でしょ? そうなったら、遠距離とかになっちゃうし……」
「好き合っていたら、距離なんか関係ないよー。多分ね」
 ちいちゃんの語尾はちょっと自信なさげだった。
「ごめんね、ちいちゃん」
 わたしはちいちゃんがこういう話をしてくれたのはとっても嬉しかったし、でも、逆にとっても申し訳なくも感じていた。
「ぜんぜーん。謝らなくていいよー。ホント。わたしは嬉しいんだからね」
 そう言って、ちいちゃんはわたしの方を見た。満面の笑顔で。もし、ちいちゃんと亮くんが従兄妹じゃなかったらどうなっていただろう。そんな仮定の話を考えても詮もないことだとは思うけれど、そんなことを想像してしまう。
「わたし、亮くんのこと好きだよ」
「うん」
「わたし、亮くんのこと好きだよ」
「うん」
 わたしは、何度も何度も自分に言い聞かせるようにして言った。その度にちいちゃんは相槌を打ってくれた。何故だか涙が出た。ちいちゃんはそっとその涙を拭ってくれた。

(作曲:てけさん)

2013年8月7日水曜日

「竹取の」第23夜<下弦の月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 それはすでに神社という体をなしてはいない、ほぼ廃墟と言っていいほどの建物だった。ましてや「大社」とはとても言えない代物。しかし、富士信嗣と自称するその老人はこれを称して「裏浅間大社」と言った。
「ご存知の通り、我ら富士の一族は、富士山本宮浅間大社の大宮司を世襲にて継いで、コノハナサクヤビメをお祀りいたしてまいりました。その起源について今更お話する必要もございますまい。ただ、大社と富士一族との関係、そして大社<ここ>の存在については説明をせねばなりますまい。
 富士一族の始祖は孝昭天皇の後裔であり豪族の和邇部氏と伝わっておりまする。我ら富士一族の役割は、ご存知の通り富士山を鎮めることでございますが、それはもう一つ大切な役目が含まれておりました。それは、コノハナサクヤビメが転成する度にその魂を封印をすることでございました。そして、その封印を解こうとするのが、月読の一族でございます。我らは長年その対立を繰り返して来たと伝承にて受け継いで参りました。
 コノハナサクヤビメの魂は火を抱き、富士山の活動を活発化させると言い伝えられており、我々はそれを阻止する役割を担って参りました。例えば、竹取物語のかぐや姫もコノハナサクヤビメの示現であると言われており、その数年後には富士山が噴火いたしております。その魂を封印することで、コノハナサクヤビメを水の神として祀るのが浅間大社の役目でございました」
 ここまでの話は、亮くんが以前から信嗣さんから聞いた話とほぼ同じだった。そして、アメツチが言っていた話とも辻褄は合う。
「なるほど、本来は火の神であるところを、浅間大社の力で鎮め、水の神としたということか。ということは、月の一族は本来コノハナサクヤビメが持つ火の力を欲しているということになるのだろうか?」
 浦城先生がさっき矛盾と言っていた点だった。ここで合点がいった様子だった。
「わたくしもその辺は詳しくは存じませぬが、月そのものが地球の地脈に影響される故と、伝承では聞いております」
「月の引力により地球では潮の満ち引きがあるように、地球の火山活動が月に影響しているということなのか」
 先生は考えをまとめているように、目を瞑り考えこんだ。信嗣さんはそれを待つように黙り、しばらく沈黙が続いた。
「それともう一つ。先ほど、竹取物語の話が出てきたが、時代背景から言うと、あの物語は奈良時代、多分700年前後の話だと言われているが、延暦大噴火は800年、平安時代になる。実際、坂上田村麻呂が浅間大社を造営したのも806年だ。100年も開きがあるのはどうなんだ?」
「そこはわたくしも存じ上げませんが、そう言い伝わっております」
「まあ、そこはいい。で、ここが浅間大社であるという点は?」
「事は約300年程前に遡りまする」
 信嗣さんは枯れた声でそう続けた。300年前というとあの噴火の事なのだろう。わたしは、持ってきたポシェットに手をやった。
「わたくしは宝永の頃大宮司を務めておりました富士信時の甥にあたり、次代の信安の従兄弟となり申す。
 その時我らは姫の転生に気付くことができなかったのでございます。気がついた時にはすでに遅く、月の者に封印を解かれておりました。その結果、ご存知の通り富士山は大噴火を起こしました。宝永4年のことにございます。わたくしの兄が大宮司の使いとして江戸に渡り、姫の化身である方を探しました。しかし、姫を見つけたのもつかの間、すんでのところでまんまと月の者に連れ去られてしまいました。そして、兄は満身創痍のまま富士に戻り、事の次第だけ報告した後、絶命いたしました。
 この頃わたくしはまだ10代でございました。」
「ちょっと待て。その頃10代って言うと、貴方は300歳以上ということになるが?」
「左様でございます」
「にわかには信じられないが……」
 薄暗がりの中で見えずらいこともあったけれど、確かに良く見ると老人の域は超えていて、むしろミイラと言ってもいいくらいの風体であったことは確かだった。けれど、人間300年も生きられるものなのだろうか。
「わたくしは自ら修行して得た鬼道により、今まで命を永らえて参りました。それも全て今この時の為と言っても過言ではありませぬ。
 宝永4年の大噴火を止めることができなかった我らは、噴火で被害を被った浅間大社の改修作業と共に、ある計画を立てました。この頃江戸幕府からの介入が多く、表立てて姫の転生について対策を立てることは叶わぬ状態でございました。そこで、表立っては徳川家の崇敬を受けつつ、何年か後に来たるであろう次の転生に備えて、この場所にもう一つの大社を建立し、月読の一族との対立に備えることにしたのです。信安は公文・案主と争論の末、大社を去ることになったことになっておりますが、実はわたくしと共にこの大社にて様々な対策を立てておりました。
 あらゆる術を講じました。次に姫が転生しても、月の者には見つけられないようにするための施術、日本全てを覆うように結界を巡らせるなど。途方もない労力を注ぎ込みました。その効果であったのか、今の今まで300年、富士の活動は活発化しておりませぬ」
「鬼道……。卑弥呼が使っていたという伝説の呪術か。そして、コノハナサクヤビメを封印するためだけに造られた大社であるから、それで裏浅間大社だということなのですね? しかも300年も……」
「左様で。しかしわたくしたちも正直に言うと、300年もの間平穏が訪れるとは思ってもおりませんでした。信安も宝暦10年に亡くなり、仕えておりました者達も次々に亡くなり、唯一鬼道を修行したわたくしだけが生き残ったのでございます。あの時の、姫を取り戻すことが叶わなかった兄の悔しさだけが全てでございました」
 300年もの間、無念だけを頼りに生き続けてきたという。わたしは途方もない時間をこの人はどんな思いで今までを生きてきたのだろうかと思ったが、とてもわたしには想像することはできなかった。
「ですから、月の者によって解けかかった姫の封印をここで再度行わせていただければ、富士の噴火は防ぐことができるでしょう。これだけがわたくしの願いであり、今まで生きてきた理由でもあるのです」
「じゃあー、ここで封印してしまえば、もう瑠璃ちゃんの中から姫は出てこないということになるのー?」
 ちいちゃんが緊張感のあるこの場の雰囲気を少し和らげるかのように質問した。
「左様で」
「そっか-。よかったね、瑠璃ちゃん?」
「う、うん……」
 確かにそう言われれば、そう。富士山が噴火してしまうと、わたしたちにはいいことは一つもない。けど、何かひっかかるものがある。
「では、現世はいいとして、もし次の転生の時はどうすればいいんだ?」
 亮くんが信嗣さんに質問した。わたしがひっかかていたのはそこだったのかも知れない。
「残念ながら……。多分、この封印を行えば、わたくしの生命は途切れてしまうことでしょう。そして、この封印の術を継承している者は、今の浅間大社には残っておりますまい」
「それじゃあ、根本的な解決にはならないんじゃないか」
「でも、瑠璃ちゃんは助かるんでしょ? それでいいじゃない?」
「そうだな、後世のことは後世に任せて、今は今しなければならないことをするべきじゃないか」
 先生もちいちゃんに賛成のようだった。亮くんが少し不満そうではあったけれど、それに同意した様子だった。
「では、封印の儀を行いたく……」
「ちょっと待ってくれ。封印を行うと、貴方は……つまり、死ぬと……?」
「ははは……わたくしのこの状態を生きていると表現すべきかどうかも疑問でございます。むしろ、後悔を残して昇天するのではございませぬ。一片の悔いもござらぬ」
「そうですか。では、最後に一つだけ質問をよろしいですか? 一つだけ疑問を解いておきたい」
「どうぞ」
 先生は、わたしに手招きして、ポシェットの絵を出すように言った。わたしは、例の絵を取り出して先生に渡した。
「これは、貴方が江戸で邂逅した月の者の絵ではないですか?」
 先生が信嗣さんの目の前にわたしの描いた絵を差し出した。
「これは……?」
「この子が子供の頃に描いた絵らしいんですが。これは、雪ではなく降灰ではないかと。そして、この龍のようなものに載せられて昇天するのが、月の者かと」
「ふむ……。わたくしも遠い昔でございます故、記憶も定かではございませぬが、確かにそのように映ります」
「やっぱりそうか……。では、貴方の仰ることと、瑠璃ちゃんの前世の記憶は合致する可能性は高いな」
 先生がその絵を戻そうとした時、ぽうっと、その絵から光が散った。
「先生!」
 わたしは思わず叫んだ。
「ん?」
 次の瞬間、その光はぱぁっと広がり、この廃墟ごと包み込んだ。わたしはまぶしさに目を瞑り、両手を目の前にかざした。
「ははははは………!」
「アメツチ!?」
 亮くんが叫んだ。確かにこれはアメツチの声だ。
「信嗣、ようやく見つけたぞ! 姫は封印させぬ!」
「なに?」
 まぶしさに、何が起こっているのかが分からなかった。
「竹泉! 下がれ!」
 わたしの耳元で亮くんの声が聞こえたかと思うと、抱きかかえられた。抱擁を受けたまま、わたしはそのまま後ろに倒れ込んだ。
「亮……くん? 何があったの?」」
「よく分からんが。もしかしたら、あの絵にアメツチが隠れていたのかも知れない。もしくは、あの絵をきっかけにここに現れるようにしたのか。ともかく、逃げた方がいい」
 あの絵から? 亮くんの咄嗟の判断だったようだけれど、その直後にもの凄い激突音がした。そして、頭上からバラバラと何か木のようなものが舞い落ちてきた。
「ちいちゃんは?」
「わたしは大丈夫ー! 先生大丈夫ですかー?」
 ちいちゃんは、先生に庇われたみたい。そして、激突音はどんどんと大きくなっていく。
「あれは……」
 耳元で亮くんが呟いた。わたしは少しづつ目を開いた。空中でまぶしい二つの光が、高速でぶつかり合っていた。元々廃墟であった社が完全に破壊されていた。
「とにかく、ここを出よう!」
 先生がわたしたちに声を掛けてきた。亮くんは私の手をとって立ち上がった。半分抱きかかえられたままわたしは一緒に社を出た。亮くんの手が濡れていた。よく見ると、赤い血がついている。
「亮くん、怪我!?」
「大丈夫だ、ちょっとしたかすり傷だ」
 亮くんは頭に手をやった。わたしを庇ったときに怪我をしたみたいだった。
「しまったな……。ボクのミスだ。あの絵に仕掛けがあったとは……。申し訳ない」
 車の所まで戻ると、先生がわたしに謝った。
「いえ、わたしはあんな物持ってきたから……。それより、亮くんが怪我を!」
 亮くんは頭を抑えたままだった。
「ちょっと待ってろ。とりあえず、これを当てておけ」
 そう言って、先生はポケットから取り出したハンカチを亮くんに渡した。
「あれ? 亮ちゃん、靴は?」
「さっきあそこで脱げた。サンダルだったからな」
「あきれた。なんでサンダルなんか履いてきたの…?」
「んなの、いいだろどうでも……あ、ありがとうございます。多分、ちょっと切っただけなので。大丈夫だと思います。……あれって、アメツチと信嗣さんでしょうか?」
 空中でぶつかり合う光の玉を指さして亮くんは聞いた。
「そうとしか考えられないな。あれが、月の者なのか」
 やがて、光の一つが徐々に球体から伸びていき、蛇か龍かという形になった。
「あれが、絵に描いてあった、龍か?」
 先生がそう叫んだ時、球体の光が叫んだ。
「兄の敵!」
「うぬ、これ以上邪魔をするな!」
 龍もそれに負けてはいない。幻想の戦いが私たちの眼前で行われていた。何度も何度もそれらはぶつかり合い、衝突を繰り返した。時折、龍がその胴体に巻き付けるかのように球体を締め上げるが、球体はするりと抜けだし、また反撃を行う。
「信嗣さんがんばれー!」
 ちいちゃんはプロレスを見物するかのように声援を送った。先生と亮くんは呆然としつつも、目はそれらの動きを一瞬たりとも見逃さないようにというかのように釘付けになっていた。
 しばらく組んず解れつしているうちに、球体の信嗣さんの方球体が光り方を落としてきた。そして、二つの光が同間隔で対峙し、膠着状態が続いた。
「くっ! ならば仕方が無い……」
 そう、信嗣さんの声がしたかと思うと、光は一直線にわたしたちの方に向かってきた。
「大変残念だが、封印を解かれるくらいならば、いっそのこと!」
「待て!」
 それを龍が追った。しかし、それは遅かった。わたしたちを光が包み込む。わたしはその場を動くことができなかった。
「竹泉!」
 亮くんがさっきと同じようにわたしを庇おうとした。光がわたしたち二人を包み込んだ。
「……姫、申し訳ない……」
 わたしは、全身の感覚を失う瞬間に、信嗣さんの囁くような、その声を聞いたような気がした。

(作曲:てけさん)