2013年7月31日水曜日

「竹取の」第16夜<十六夜>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「電話、誰から?」
 台所から出てきたママが晩ご飯の用意をしながらわたしに聞いてきた。
「りょ……段逆くん。なんか、参考書学校に忘れてきたから、貸してほしいって」
 わたしはとっさに嘘をついた。
「あら、お忘れ物? あんな優秀そうに見える子でも忘れ物なんかするのね?」
 ママは少し不思議そうな顔をしたけれど、それ以上は追求しなかった。それから5分しないくらいに玄関のベルがなった。
「わたし出るね」
 わたしは鞄を持って玄関に出た。扉を開けると、息を切らした亮くんがいた。
「ごめんな、遅くに。両親、大丈夫か? アレ出てない?」
「大丈夫。パパはまだ帰ってきてないし、ママには亮くんが参考書を借りに来たって、説明してあるから」
「あ、そっか。なら変に怪しまれることはないか。じゃ、手短かに話するけど、アメツチのことは信用するな。それからあの儀式も続きは絶対にやっちゃダメだ。いいな」
 亮くんは一息でそう言い切った。
「大変なことが分かったって、さっき言ってたわよね? それに何か関係あるの?」
「ああ、大ありさ。おい、来いよ」
 亮くんは、そう言って右手を挙げた。すると、門の影から人影が現れた。素早い動きで現れたその人は、小柄な男性で全身黒ずくめだった。わたしはピンときた。
「あなた、この前の?」
「先日は大変失礼をいたしました。わたくしは、富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)の富士信嗣(ふじのぶおみ)と申す者。以後お見知りおきを」
 その男の人は、わたしの前で片膝をついて深々と頭を下げた。
「そう、俺が例の式神で追っ払った奴だ。そして、多分竹泉を襲った暴漢その人」
「襲ったつもりは毛頭ございませんでした。確かに手荒なやり方ではございました。お詫び申し上げます」
 その黒づくめの男は額が地面に着くのではないかと思われるくらい平身低頭した。
「パパを襲ったのもあなたなの?」
「いえ、わたくしは……」
「その辺なんだよな……どうもアメツチの話と辻褄が合わないんだ」
「でも、家族を失いたくないならって言ったわよね?」
「わたくしはご忠告を申し上げたまでで……」
 と、言いかけた時、富士と名乗った男はおもむろに頭を上げ、口早に呪文のような言葉を呟いた。それに呼応するかのように、頭上で声がした。
「やはり、お前か」
 その目線の先を追って後ろを振り向くと、ちょうどわたしの部屋のベランダに、いつもの姿があった。ただ、少し遠くてその表情までは伺えなかった。
「その祓詞は富士氏の者だな……。そうやっていつもボク達の邪魔をする」
「あなたがアメツチノオオワカノミコですね? 人づてでは聞いておりましたが……」
「そうさな……前に対峙したのは300年程前のことだからね……」
 双方ものすごい殺気を放っていたのは、私たちでも十分に分かった。亮くんがさりげなくわたしの前に立ちはだかった。
「瑠璃ちゃんそいつの言うことを聞いてはいけないよ……」
「それは、こちらの台詞!」
 と言うが早いか、二人はお互いに何か鬼火のようなものを放った。赤と青の炎にも似たそれはそれぞれに交差して、相手の姿を飲み込んだ。
「ぎゃ!」
「うお!」
 相打ちだったのか、それぞれの姿は炎に包まれ、そして消えていった。
「な……なんだったんだ……?」
 亮くんは唖然としてそう言った。わたしも呆気にとられて何も言えなかった。
「コレデスウジツハアメツチノオオワカミコハアラワレナイハズデス」
 呆然としているわたしたちの足下から声がした。人型の紙人形だった。
「のぶおみさんですか?」
 亮くんがその紙人形に話しかけた。
「ソウデス。コレハワタシノホンタイデハアリマセン。ホンタイハマダフジサンノフモト。シキガミニミヲカエテアナタガタヲオマモリシマシタ。シカ……ガ……ニ……」
 カタコトの言葉でその式神がわたしたちにメッセージを残そうとしていたらしいが、その言葉の途中でその紙人形は青い炎に包まれて消えた。
「ただいまぁ……なんだ、随分賑やかだな?」
 緊迫しているわたしたちの前に、今度はやたらとのんびりとした口調で現れたのはパパだった。
「あ、お……おかえりなさい……」
「こ、こんばんは……」
 わたしたちは逢い引きを目撃されたカップルよろしく、挙動不審気味に挨拶した。
「やあ、君は……えっと、ダンダン……くんだっけ?」
「段逆です」
 パパったら、ダンダンって、どんな名字なの。とツっこみたかったけど、実はそんな余裕もなく。
「すみません。竹泉さんに参考書を貸してもらいに来ました」
「そうか……。こんなところじゃなんだから、上がっていけば?」
 パパはいつもの口調で亮くんにそう言った。
「いえ、もう遅いですし。竹泉さん、これありがとう」
 そう言って、亮くんは自分の鞄から参考書を取り出して、わたしに礼をした。
「ううん……また必要だったら言って」
「じゃ、お邪魔しました」
 亮くんは、パパに頭を下げてから門の方に向かった。わたしはその後ろ姿に手を振った。
「礼儀の正しい、良い子だな」
 パパは呑気に亮くんについてそんな感想を述べた。わたしはというと、さっきまでの異世界の者たちのバトルに引き続き、亮くんと二人きりでいるところをパパに見られて、心臓がバックンバックン言って、今にも口から飛び出しそうになっていた。
「う……うん、そうね」
「家入るぞ」
「あ、はい」
 と、玄関の扉を開いて待っているパパを追いかけた。わたしは門を出た亮くんが気になったけれど、振り返ることはしないで、玄関に入った。
「おかえりなさい。あら? 彼は?」
 居間に入るとママが晩ご飯の支度を終えてわたしたちを待っていた。
「ああ、もう帰るって。段逆くんっていったっけ?」
「そうそう。あら、もう帰ったの?」
「ただ参考書取りに来ただけだもの」
 わたしは焦って、そんな言い訳をした。
「二人とも、手洗って、着替えてらっしゃい。晩ご飯の用意できてるわよ」
「はーい」
 わたしとパパは一緒に仲良く返事した。わたしはそのまま居間を出て、後ろ手に扉を閉め、深く溜息をついた。怒濤の一日だった。最後におまけまでついて。わたしは頭の中がグチャグチャになっていて、収拾がつかなくなっていた。少しそのままでいると、携帯が鳴った。メールだった。亮くんからだ。
 『さっきは遅くにごめん。とりあえず、これから数日はアメツチは現れないらしいので安心してもいいと思う。もし現れたらすぐ電話くれ。絶対に儀式はやっちゃダメだよ。また明日』
 結局、センゲン大社のことはほとんど説明を聞けないままだったけれど、とにかく結論は数日先延ばしできたということなのだろうか。わたしは恐る恐る自室に上がった。部屋の中の気配を伺ったけれど、特に物音はしなかった。そっと扉を開けてみる。そこにはあの姿はなく、いつも通りのわたしの部屋だった。
「よかった……」
 わたしはまた大きな溜息をついて鞄を机に置いた。
「疲れた……」
 そのままベッドに潜り込んでしまいたかったけれど、ご飯の用意もできているみたいだし、このまま下りないとパパが不審がるかと思い、着替えを始めた。制服をハンガーに掛けていると、また携帯が鳴った。今度はちいちゃんだった。
「瑠璃ちゃーん、大丈夫ー?」
「うん、大丈夫。昼はありがとうね」
「それより、亮ちゃんから聞いたよ。なんか大変だったみたいだね?」
「なんか、わたしももうよく分からなくなってきた」
「わたしもー。完全に頭がウニー!」
「でも、とにかく、部屋にはアメツチいなかったから安心してって、亮くんに伝えてもらえる?」
「ラジャー! 亮ちゃん、瑠璃ちゃんに謝っておいてって言ってたわよー」
「謝る? どうして? わたし亮くんに助けてもらったんだよ」
「遅くに行ったし、お父様にも勘違いされたかもって、心配してたわよ」
「だって、それはわたしのためだし……パパは何も気にしてなかったわよ」
「そう? ならいいんだけどー。とにかく今日はゆっくり休んでね。明日学校出たら、連休だからさ。あと一日頑張ろー?」
 そっか、もう連休に入るんだ。
「そうね。頑張るね」
「じゃあ、また明日ー」
「うん、また明日」
 わたしは電話を切ってから部屋着に着替え、部屋を出て一階に向かった。
「ねぇ、パパ、センゲンタイシャって、何か知ってる?」
「センゲンタイシャ?」
 食事中にわたしはさっき聞いた、聞き慣れない言葉をパパに聞いてみた。ママはわたしの言葉を復唱して首を傾げただけだった。
「センゲン…ねぇ…。大社っていうからには、神社のことかな?」
「富士山なんとかセンゲン大社って……」
「富士山ってことは……ああ、浅間神社のことかな?」
「浅間って、浅間山のことじゃなく?」
「浅間山じゃなく、富士山の信仰のことを、浅間信仰っていうはずだな……。あさまじんじゃとか、せんげんじんじゃっていうはずだな。瑠璃、なんでそんなことを興味持ったんだ?」
「へぇ……センゲンって、富士山の信仰のことなんだ……。んー……テレビで言ってた言葉が意味分からなくって」
「そっか。瑠璃も色々興味を持つようになったな。……浅間信仰と言えば、浦城先生の小説でも、浅間信仰を扱う作品があったはずだな……」
 浦城先生と言えば、連休後半に一緒に海に連れて行ってもらえることになっていたなぁと朧気に思い出した。だけど、こんな状態だったら、とてもそんな観光気分になれないかも知れないとわたしは思った。もし断るなら、早いほうがいいのかな。
「浦城先生、今日も店に来てたぞ。来週楽しみにしてるって」
 パパはなんだか嬉しそうにそう言った。わたしはそれに合わせて笑顔を返したけれど、少し引きつっていたかも知れない。
「おー。今日も勝ったな! このルーキー、優秀だな」
 と、パパはテレビの野球結果を見て話題が変わった。わたしはこの話題についてこれ以上は触れないようにした。

 食後、わたしはパソコンで少し富士山本宮浅間大社について調べてみた。
 『浅間神社富士山に対する信仰(富士信仰、特に浅間信仰)の神社である。……富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と見てこれを祀る神社である。……富士山南麓の静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社が総本宮とされている』とあった。大昔に富士山が大噴火した時、それを鎮めるために祀られたのが起源らしい。

「月と、富士山……かぁ……。どうして、お月様と富士山が喧嘩するんだろう?」
 わたしの頭にはこの二つが全く結びつかなかった。そのうちに、眠気が襲ってきてわたしはベッドに潜り込んだ。久しぶりに深い眠りにつけそうだった。
 この時のわたしは、この数日の異変がもっと深刻な事態に繋がる、単なる序章でしかないということを全く予想もしていなかった。

(作曲:てけさん)

2013年7月30日火曜日

「竹取の」第15夜<望月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「ひ……め……。ひ……め……さま……」
 誰かがわたしを呼ぶ声が聞こえてきた。その声は遠くから聞こえてきた。どこか馴染みのある声だった。懐かしくもあり悲しくもあり。遠い昔に聞いたような気もすれば、つい最近聞いたばかりのような気もする。男性の声のようにも思えるし、女性の声にも思える。
「ひめ……ひめさまは……いずこに……?」
 その声はわたしを探しているようにも思えるし、全くの別人を探しているようにも思える。遠くに聞こえたかと思えば、すぐ耳元から囁かれているかのようにも思える。けれど、その姿はいっこうに見える気配はない。わたしは目を閉じているのか開けているのかも分からない。闇の中にいるのか、それとも何もない真っ白な空間に佇んでいるのか。
 ただ分かるのは、その声の主がわたしを探しているということだけだった。

「瑠璃ちゃん…?る……り……ちゃん?」
 目を開けると、ベッドの横にちいちゃんが座ってわたしの手を握っていてくれていた。
「先生、気がつきました」
 ちいちゃんはわたしと目が合うと、すぐに振り返って、そう叫んだ。ここ…どこだろう? 保健室だと気がついたのは目を開けてしばらくしてから。
「ちい……ちゃん?」
「そうよ、わたしよ。分かる?瑠璃ちゃん、貧血だったみたい。先生の目の前で倒れたんだって」
「いま、何時?」
「んと……ちょうどお昼。授業終わってすぐに駆けつけてきたんだ。林戸さんが連れて来てくれたんだよ。覚えてる? 保健室に着いたらすぐに瑠璃ちゃん倒れちゃったんだって」
 わたしは記憶を辿っていく。確かに具合が悪くなって教室を出たところまでは覚えている。でも、その後保健室に辿り着いたところあたりから思い出せない。しかも、貧血? 倒れたんだ、わたし。
「竹泉さん、大丈夫? 気分はどう?」
「あ。も、もう大丈夫だと思います。まだちょっと頭がぼんやりしてますけど」
「救急車呼ぶところだったのよ。でも、瑠璃ちゃんが大丈夫だって言うからとりあえず寝かせておこうっていうことになったらしいのー」
「もし、まだ具合悪いようなら、病院に行った方がいいんじゃないかな?」
 保健師の先生はそう言って、心配そうにわたしを見た。
「さっきよりは大分いいです。少し寝て良くなったんじゃないかと」
 確かに、教室で感じたような吐き気はもうなかった。少し頭がクラクラするくらい。
「早退する? ご両親には連絡した方がいいかしら?」
 先生がそう尋ねてきた。さっきよりかは具合は悪くはないけれど、授業に出られるほど楽にはなっていない。わたしは早退することにした。
「じゃあ……今日は帰ります。母は夕方まで勤めなので、わたしがメールいれておきます」
「そう。じゃあ、担任の先生にそう連絡しておくわね」
「お願いします」
「じゃあ、わたし、教室から瑠璃ちゃんの鞄持ってくるわねー」
「あ、ちいちゃん、大丈夫。わたし自分で行けるから」
「大丈夫、大丈夫。瑠璃ちゃんはここで待っててねー」
 そう言うと、ちいちゃんは、保健室から駆けて出て行った。
「じゃあ、ここにクラスと番号と名前を書いて」
 先生は内線で担任に電話をしてから、早退届の紙をわたしに差し出した。わたしがその紙に書き終わった頃、ちいちゃんが戻ってきた。
「たっだいまー! 瑠璃ちゃん、はいこれ」
 と、その後ろから男子の影がついてきた。保健室には入らずにいたけれど、亮くんなのは分かった。ちいちゃん、亮くんを呼びに行ってたのか。それで……。
「ちいちゃん、ありがとう。先生、ありがとうございました。失礼します」
「あんまり無理しないでね。具合悪かったら、病院に行くのよ?」
「はい、わかりました」
 わたしは、後ろ手に保健室の扉を閉めた。
「竹泉、大丈夫か?」
 亮くんは、すぐにそう言って。心配そうな顔をした。
「うん、もう吐き気もないし。大丈夫」
「いや、そうじゃなくって……ちいから聞いたんだけど。何かおかしくないか?」
「聞いたって……」
 ちいちゃんの顔を見ると、ちいちゃんは片手を前に突き出してごめんの合図。
「おかしいって……何が?」
「何がじゃないだろ。明らかにおかしいだろ。急にそんな……告られるとか、ラブレター大量にもらうとか。しかも、昨日の今日だからな」
 ああ、そう言われてみれば、そんなこともあったかと我に返った。そうだった、気持ち悪くなる前にそんなこともあったんだった。生徒会長に告白され、下駄箱には沢山の手紙。教室でも男子生徒に囲まれて。おかしなことに、その辺の記憶がさっきまですっかり抜け落ちていた。
「いや、その……竹泉がモテないとか、そう言うことを言ってるんじゃなくって……その急に変だっていう意味でな」
 亮くんは何故か言い訳のような言い方をした。
「うん、そうね。おかしいわよね。急にこんなになるなんて」
「竹泉、昨日の夜、俺達が帰った後、アメツチは現れたか?」
「うん、来たよ」
「まさか、あの儀式やったのか?」
「やったけど……どうして?」
「しまった……。ちゃんと止めておけばよかった。いや、これは俺のミスでもある。いいか、確かに昨日あの男を追っ払ったのは、アメツチの式神だったが、だからと言ってアメツチが信用できるかどうかっていうのは別モノだ。しかも、昨日また儀式やった結果、こうやって竹泉の周りで変化が起きている。これがあの儀式と関係がないとは言い切れない。いや、むしろ、関係あると思った方がいい」
 そう言われてみると、胸が悪くなったり、吐き気がするようになったのは、あの儀式が始まったあたりからだった。関係ないどころか、それがきっかけだと言われれば、そうも思う。
「とにかく、もし、今晩アメツチが現れたら、具合が悪いとかそう言って、今晩だけは断れ。いいな?」
「う、うん……わかった」
 わたしはあんまり自信はなかったけれど、確かにこれ以上具合が悪くなるようなら困るし、一日くらいあの儀式がなかったところで、アメツチに支障はないだろうと思い、亮くんの言う通りにすることにした。
「今晩電話するよ」
 亮くんは、耳に電話を掲げるようなジェスチャーをした。
「うん」
「あ、それと……」
「ん?」
 玄関に着いて、下駄箱を開けた時に、亮くんがまた後ろから声を掛けてきた。
「帰り道気をつけて。……その……男の人にはできるだけ近づかないようにした方がいい」
「……?」
 わたしが意味をよく分からずにいると、
「その……俺もよく分からないんだが、その儀式の影響で、その……男性を誘うフェロモンっていうのか……そういうのが出てるような気がするんだ……」
「ふぇ……」
 男性を誘うとか、フェロモンとか、聞いただけで恥ずかしくなるような言葉だった。亮くんもなんとなく顔を紅くしていた。亮くんもそう感じるのだろうか。だとしたら、もっと恥ずかしい。
「分かったわ。気をつける」
 一応、亮くんの忠告は素直に聞くことにした。
「じゃあ、帰り気をつけてねー!」
 ちいちゃんが大きく手を振って見送ってくれた。わたしは誰もいない校門をくぐって、帰宅の途についた。学校からの一本道は誰もいなかったが、駅前に近づくと人影が見えてきた。わたしは気だるい足つきで歩いていた。時々、こちらをちらちらを見る男性が少し気になった。確かに亮くんが言うように、わたしに何かの変化があったのかも知れない。いつもなら、町の一風景として溶け込んでいるはずのわたしが今は人の目線を集め始めているみたい。やがて、明らかにこちらを凝視する男性が現れ始めたので、わたしは急ぎ足で駅前を抜けた。時々、通りすがりに声を掛けようとしてくる男性さえいる。
 確かに異常だ。亮くんに言われるまでもなく、わたしは今朝の時点でこの異常に気がついていたはずなのだ。なのに、さっき倒れてから、すっかりその部分が抜け落ちていた。
 駅前を過ぎて人が少なくなったあたりで少し歩を緩めた。せっかく保健室で休めたのに、また元通り。息は切れるし、動悸も高鳴った。わたしは急いで家に向かった。家に着くと、急いで鍵を出し、玄関に駆け込んだ。誰かに後を着けられてはいないはずだけれど、念のため二重に鍵をかける。
 わたしは二階に上がる気力さえなく、そのまま居間に転がり込んで、そのままソファに寝転がった。ママにメールもしないまま、わたしは目を閉じた。

 次に気がついたのは、外も薄暗くなってきた頃のこと。携帯の呼び出し音で気がついた。
「もしもし…竹泉か? 大丈夫か?」
 電話の主は亮くんだった。
「うん、今まで寝てた」
「そっか、寝られたならよかった。あ……ごめん、起こしたか?」
「ううん……そろそろ起きなきゃって思ってたとこ。ママにも連絡しておかなきゃならないし」
「まだ、アメツチは現れてないよな?」
「うん。まだ見てない」
「さっきも言ったけど、今日は絶対儀式やっちゃダメだぞ。今日少し調べたいこともあるし。また連絡するよ」
「うん。分かってる。あ……亮くん……」
 電話を切りかけた時に、
「ん?どうした?」
「ありがとうね」
「ああ。どういたしまして」
 そう言って、亮くんは電話を切った。わたしはそれからソファから起きて、ママにメールを送ろうとした。けれど、もうこんな時間。いまさら連絡しても、心配させるだけかも知れないなと思って、送るのをやめた。制服から着替えたいと思ったけれど、体が重いのと、部屋に上がるとアメツチがいそうな気がして、そのままソファに寝転がった。

「瑠璃……るり……」
 いつの間にかまた寝てしまっていたようで、ママがわたしの体を揺すって起こそうとしていた。
「こんなとこで寝てたら、風邪ひくわよ」
「あ、ママ、お帰り」
「どうしたの?しかも制服のままで」
「ん……ちょっと、眠くなっちゃって。今何時?」
「もう八時よ。パパももうすぐ帰ってくるわ。着替えちゃいなさい」
 ママはそう言って、台所に入っていった。
「あ、そうそう、玄関にあった薔薇、どこにいったか知らない?」
 ママは台所から顔だけ出してわたしに聞いた。
「知らない……」
 そう言いながらも、わたしはそのままソファに座り込んだ。テレビのリモコンを手にとって、テレビを点けた。テレビでは特におもしろくもないバラエティ番組をやっていた。わたしはなんとなく、ぼーっとそれを見ていたが、携帯の呼び出し音に、急いでテレビの音声を止めた。
「何度もごめん、俺。アメツチ現れたか?」
 また亮くんだった。今度は息を切らせている様子だった。
「ううん……。まだ部屋に上がってないんだ」
「そうか、よかった……。大変なことが分かった。これから出られないか? 5分でいい。玄関先でもいいから。直接話したい。今からそっちに向かうから」
「え、でも、もうこんな時間……」
「とにかく、アメツチに会う前に! すぐに行くから!」
 そう言って、亮くんは電話を切った。一体何があったのだろう。わたしは動悸を押さえきれないまま携帯を握りしめた。

(作曲:てけさん)

2013年7月29日月曜日

「竹取の」第14夜<待宵月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 異変とは言っても、それは些細なものだった。いや、わたしにとっては些細とは言えなかったのだけれど。
 まず最初の異変は、いつもの通りにちいちゃんと一緒に学校に登校している最中のことだった。駅前を過ぎて学校に向かう一本道に差し掛かる頃、周りはほぼうちの高校に登校する生徒で占められている。わたしとちいちゃんは昨日の出来事で話が盛り上がっていたところだった。
「しきがみさんっていうの?それがね、ここからぴょーんって出てきて、びゃーって飛んで、そのちっちゃい人をあっと言う間に追っ払っちゃったのよー」
 ちいちゃんは興奮気味にそう説明してくれた。相変わらず擬音が多いのはご愛敬。その右腕には昨日アメツチに渡された白い紐がつけられたままだった。こんなところから、式神とやらが出てきたとは、わたしにとっては至極不思議なのだけれど。とりあえず、あの猫もどきの善行であったことは幸いだった。
「とにかく、何事もなくてよかったわ」
「お父様はもう大丈夫ー?」
「うん、ありがとう。今朝はピンピンして出勤して行ったわ」
「そっかー。じゃあ、あとはかぐや姫さんを起こしてお月様を助ければ、万事めでたしということねー?」
 と、ちいちゃんが超楽観的な観測を述べた。
「かぐや姫……なのかしら?」
 そう言われてみると、あの繭はかぐや姫そのものなのかも知れないと思い至った。千年も前に地球に降臨し、十五夜に月に帰って行った伝説の人。お伽噺だとばっかり思っていたその古典文学が実は実話であったことは、この地球上わたしたち三人だけしか知らない秘密なのだった。けれど、もしあれがかぐや姫なのだとしたら、何故封印されてしまったのか。何故起こしてほしくないと願ったのか。実は全然解決されていない疑問ばかりなのだということに今更ながら気がついた。だからと言って、わたしが何かを出来るわけでもないのだけれど。
「竹泉瑠璃……さん?」
 そんな感じで、わたしがぼんやりと考えごとをしながら登校していると、後ろから声を掛けられた。
「あ、はい……そうですけど……」
 振り返ると、背の高い男子生徒がわたしに声を掛けてきていた。どこかで見たことのある人。制服に着けられた袖の色から三年生だと分かった。同級生だったみたい。でも同じくクラスになったことはないと思う。
「僕は祥雲寺礼(しょううんじれい)。去年から生徒会長をやってるんだけど……知ってるよね?」
 道理で見たことがあると思った。生徒会長だったのか。普段生徒会と関わりない生活をしていると、こういうことに疎くなる。そう言えば、今年はイケメン生徒会長だとかいうことをクラスの女子が騒いでいたような記憶はある。たしかに端正な顔つきで、背も高いし、女子に人気があるのは分かるような気がする。
「あ、あの…生徒会長さんが、どのようなご用事で?」
 わたし、何かやっただろかと思い返すも、特に生徒会長からお叱りを受けるようなことをやった記憶はどうしても出てこなかった。
「あ、いや、ごめん。今朝は、生徒会長としての僕じゃなく、祥雲寺礼個人としてお話させてもらいたかったんだ」
 まるで歯磨き粉のCMに出演しているアイドルのように、今にも口元がキラリと光り出しそうな満面の笑顔で生徒会長さんは言った。登校途中の生徒達がなんだろうかと私たちを眺め始めているのに気がついた。注目されているのはわたしではなく、このイケメン生徒会長さんだということは十分に分かっているのだけれど、なんかすごく恥ずかしかった。
「は、はあ……」
 生徒会長さんはわたしの言葉を待っていたようだけれど、わたしは二の句を継ぐことができずに、そう相槌を打つしかできなかった。
「君、誰か付き合っている人はいるかい?」
「は?」
 もしわたしが少女漫画の主人公だったら、多分口か目かどちらからか星が飛び出していたに違いない。けれど、そんなことはなかったので、口をあんぐりと開けてしまっているだけのとてもお間抜けな顔つきであったはず。ちなみに、隣のちいちゃんも同様の反応だったみたい。
「竹泉さんって、愛らしいよね。その口元といい。僕には天使のように見えるよ。
 もし、付き合っている人がいないなら、僕と付き合ってもらえないかな? ……という、交際の申し出なんだけど……?」
 生徒会長さんは、わたしたちの反応にもお構いなしで自分の言いたいことは言うタイプらしく、とびっきりの気障な台詞ととりあえずのご用件は、お伺いいたしました。もちろん、わたしは飛び上がりましたけどね。……というか、心の中で飛び上がりましたよ。
「え……? あ、あの……」
 わたしがしどろもどろとと返答できずにいると、祥雲寺さんは少し困った顔をしてこう言った。
「……その、急にこんなこと言われても、返事しようがないよな。うん、いや、返事はいつでもいいよ。ゆっくり考えてもらって構わないから。僕は放課後はいつも生徒会室にいるから、よかったら遊びに来てくれ。じゃ」
 彼はさっと右手を自分の額の上に差し出し、一差し指と中指だけ二本指を立てた。こんな気障なジェスチャー映画でしか見たことない。実際にやる人がいるなんて。なんてことを思っている内に、生徒会長さんは風のように立ち去っていった。
「な、なんなの、あれ?」
「さぁ?」
 ちいちゃんとわたしはお互いに見つめ合って、きょとんとした。
「全然知らない人にいきなり付き合ってとか言われても……ねぇ?」
「でも、あんなイケメンに言われたらー、キュンとこない? あの人結構モテるみたいだよー」
 と、モテる女子代表のちいちゃんがそんなことを言って、わたしをからかった。
「っていうか、人違いなんじゃないの?」
 わたしにはそうとしか思えないのだけれど。
「でも、ちゃんと、瑠璃ちゃんの名前呼んでたよ?」
 確かに、最初にわたしの名前を呼んでたわけで。人違いってことはないのかと。
「おはよう。何やってんだ、お前達? 何この人だかり」
 と、そこに亮くんが現れた。確かに、わたちたちの周りには人垣ができあがっていた。
「ううん…なんでもない。行こう」
 わたしはみんなに見られている恥ずかしさと、とてもじゃないけど、今の話を亮くんにはできないという後ろめたさに苛まれ、ちいちゃんの手を引っ張って、走り出した。
「おい、どうしたよ?」
 亮くんは狐につままれたかのような顔つきでわたしたちを見たけれど、だからと言って追ってくるわけでもなく、いつも通りのペースで歩き始めた。わたしはちょっと安心した。
「ちょ、ちょっと、瑠璃ちゃん、どうしたのよ-?」
 その代わり、ちいちゃんが驚いた様子で前のめりになっていた。
「あ、ごめん」
 わたしはちいちゃんの手を離して少し進むスピードを緩めた。
「なんか、瑠璃ちゃん、すっごく注目されてたよね。可笑しい、ふふふ」
 日頃から注目されている人はすごいなと感心。あの程度だと全然動じないちいちゃんが頼もしくもあり、空恐ろしくもあった。玄関に着くとわたしが先に下駄箱を開けた。
 ドサドサ。
 よく見かける光景。手紙が束に落ちた。が、今日は何かが違う。
「あれぇ? わたし、下駄箱間違えた?」
 ちいちゃんの下駄箱と間違えたのだろうか。と、箱の上を見ると、確かにわたしの名前が書かれている。ふと、隣を見ると、ちいちゃんの下駄箱には一通の手紙だけが入れられていた。ちいちゃんはそれをつまんで。
「あらぁ、わたし負けたわねー」
 と、気にした風もなくそう言った。
「え? え?」
 わたしは落ちた手紙を慌てて拾った。何枚かをひっくり返してみると、確かに「竹泉瑠璃様」「るりちゃんへ」「瑠璃様」と、どう見てもわたし宛の手紙だった。人生で初めてもらった文が十把一絡げに下駄箱に入れられているとは、なんともはや。
「一体、どうなってるのかしら?」
「うちの男子もいよいよ、瑠璃ちゃんの魅力に気がついたってとこかしらねー?」
 ちいちゃんはケラケラと笑った。
「どうしよう、カミソリとか入ってたら……」
 わたしは悩む方向が違っていた。
「大丈夫、後で磁石で調べてあげるからー」
 と、いとも簡単に言ってのけるちいちゃん。即答でそういう回答が出てくるあたり、いろんな意味で経験豊富な先輩だった。
「にしても……」
 あまりにも事が急すぎる。わたしは嬉しいという感情は一つも感じず不安で一杯だった。一体何が起こってるのだろうか。
「おはよー」
 クラスに入ると、みんながわたしたちに注目した。ちいちゃんが注目を集めるのはいつものこと。
「よー。竹泉。今朝生徒会長に告られたんだって?」
 ところが、男子が寄ってきたのはわたしの方だった。いつもなら、ちいちゃんをチヤホヤしてきた男子連中だった。しかも、ついさっきの話がすでに噂として広まっていた。
「マジ? マジ? 俺先に告っておけばよかったかなー?」
「お前なんて、無理無理」
「え、竹泉、もう返事したの?」
「これから告白する余地とかあんのかよ?」
 いつもならちいちゃんの周りに集まる男子たちがわたしの周りに人だかりをつくった。わたしは慣れない異様な光景に目が回りそうだった。気持ちが悪い。遠目に見る女子の視線がすごく痛かった。
「はいはい、そこにたむろしなーい。散って、散ってー」
 ちいちゃんはそんな軽率な男子たちを軽くあしらった。
「瑠璃ちゃん、大丈夫? 顔色悪いわよ?」
「……うん、大丈夫」
 人だかりが去って、席に座ると少し落ち着いたような気がしたが、顔色にも出たらしい。変な脂汗が額から流れるのを感じた。やがて担任が来て、ホームルームが一通り過ぎ一時限目が開始された。授業が始まっても気持ちの悪さが治らずにいた。ふと、指折り数えてみたけれど、あの日まではまだ遠い。少し吐き気がしたりすることもあるけれど、いつもはそんなに重いこともないし。そのせいじゃなさそう。
「先生、竹泉さんが顔色悪いので、保健室に連れて行ってもいいですか?」
 と、隣の林戸さんが立ち上がって手を挙げた。前の席のちいちゃんが少し驚いた顔をして振り向いた。
「林戸さん、保健係でしたっけ?」
「はい、そうです」
 数学の先生がそう尋ねると、林戸さんはそう答えた。林戸さんは、ちいちゃんに負けず劣らずの美人さん。多分クラスを二分する人気者。ちいちゃんのほんわかイメージに対して、クールビューティーな女の子。
 それにしても、そんなに顔色に出てたのかしら。でも、助かった。
「じゃあ、林戸さん、お願い」
「瑠璃ちゃん、行きましょう」
 わたしは林戸さんに差し出された手を掴んで机から立ち上がった。思ったより体が重かった。一人では立ち上がれなかったかも知れない。
「瑠璃ちゃん、大丈夫?」
 ちいちゃんが心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。
「うん……」
 わたしは短くそう言って、教室を出た。
「ありがとうね、林戸さん……」
「ううん。大丈夫。係の仕事だし。それに、瑠璃ちゃん、本当に顔色悪いわよ」
 林戸さんは手短ではあるけれど、優しくそう言ってくれた。
「入ります」
 林戸さんは保健室の戸をノックして、わたしを部屋に入れた。
「先生?」
 部屋からは返事はなかった。林戸さんは中に人がいないのを確認して、後ろ手に扉を閉めた。
「はやしど……さん?」
 わたしは思わず振り返った。林戸さんは、俯いたまま呟いた。
「泥棒猫」
「え?」
 その表情は伺えなかったけれど、明らかに冷たい口調でその言葉は吐かれた。
「知ってたんでしょ? 祥雲寺さんとわたしが付き合ってるの」
 最初、林戸さんが何を言っているのかが分からなかった。だって、今朝会ったときに誰だか分からなかったような男子が誰と付き合っているなんて知っているわけもなく。大体、生徒会長だということさえ今朝まで知らなかったのだから。
「……え……う……」
 わたしは口を押さえながら、何か言わなきゃと焦った。けれどそれは声にならずに。
「あんたのせいで、振られたわ。今日になって急に。『好きな人ができた』って。誰かと思えば、あんただったなんて……。酷いわ……」
 林戸さんは泣いていた。それ以上に怒っていた。声が震えていた。
「ち、ちが……う……の……」
 わたしは声にならない声で彼女を鎮めようとしたけれど、それは届かず。
「それを知ってて、あんな態度で! 酷いわ! そこまでわたしを貶めようとするの?」
 彼女が何を言っているのかさえ分からなくなった。激しい吐き気がした。喉元まで押し上げてくるそれを、わたしは必死に押さえようとする。
「やめて!」
 わたしはようやく必死に出した声が、それだった。
「どうしたの?」
 わたしの叫び声が聞こえたのだろうか、部屋を出ていた保健師の先生が戻ってきた。林戸さんは入れ替わりに保健室を出て行った。
「……あ……の……」
 出て行く林戸さんを追うように手を差しのばしたが、全くそれは届くはずもなく、そのままわたしは意識を失った。

(作曲:てけさん)

2013年7月28日日曜日

「竹取の」第13夜<十三夜月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 二人が家を出てからしばらくして、わたしが自室で一人まんじりもせずに待っていると、ちいちゃんから電話が入った。
「きたきた、きたよー!」
 ちいちゃんはやたらとハイテンションだった。
「すっごかったよー!アレが出てきて、ひゅーんって飛んでいって、ばかーんって。で、逃げてったわよー…」
 と、そこでがさごそ音がして、
「ちょっと貸せ……竹泉か?俺だ。今のじゃ何だか分からんかったろ? えっとだな……アメツチの言う通り、奴が出た。多分竹泉の言っていた奴と同じじゃないかな。他に人影がなくなったあたりを狙ってきたみたいだ。あんまり素早くて姿はきちんと見れなかったが、黒づくめの小さい奴だった。渡された腕紐から何か白い物が出てきて、そいつを追い払った。アメツチの言っていた式神ってのが、アレみたいだな。初めて見たよあんなの」
 どことなく、亮くんの声は興奮冷めやらぬといった風に高ぶっていた。
「とにかく、なんか癪ではあるが、アメツチの言う通りのようだ。少なくとも、これ以上は竹泉の周りに被害が及ぶことはないんじゃないかな」
 わたしは少し安心した。
「そ、そう……。よかった。ちいちゃんも大丈夫?」
「大丈夫どころか、やたらとハイテンションだよ、こいつ」
 横でちいちゃんがなにやら叫んでいるのが聞こえた。わたしは思わず吹き出した。
「亮くん、ありがとうね」
「いや、礼には及ばないさ。大変なのは竹泉の方だろうし」
「わたしは大丈夫だから。心配してくれてありがとう」
「本当のことを言うと、今の男もとっ捕まえて、話聞きたかったところなんだが、そんな余裕はなかったな……」
「あんまり危ないマネはしないでね」
「ああ。俺も暴力沙汰には自信ないしな……あ、代わるよ」
 電話の向こうで携帯を渡す音がした。
「瑠璃ちゃん、安心して。私たちは大丈夫だからー」
「ちいちゃんもありがとうね。でも、本当に気をつけてね」
「亮ちゃんが送ってくれるから大丈夫だよー。瑠璃ちゃんも気をつけてねー。また明日ー。月に代わっておしおきよ!」
 電話を切るとわたしはため息をついた。ちいちゃん、それ古いから。
「ほら、ご覧よ。ボクの言った通りだったろ?」
 いつの間にか部屋の中にアメツチがいた。
「まだいたの?」
「お言葉だね」
 アメツチはまた猫のような仕草をした。その仕草が気に入ったのだろうか。
「これでボクの言うこと信用してくれたかい?」
「ええ。まあ」
 わたしは曖昧に答えた。
「じゃあ、儀式の続きを……」
 アメツチは昨日わたしにくれた黒い紐状の物をまた差し出した。わたしは一瞬躊躇した。確かにアメツチの言う通りに亮くんとちいちゃんを護ってはくれたけれど、それで本当にアメツチが信用できるかというと、それはまた別のような気がした。
「どうしたんだい? ボクの言うことが聞けないのかい? キミのお友達は護ったじゃないか。だから、ボクたちの星も護ってよ」
 そう言われると、返す言葉がなかった。
「わかったわ……」
 わたしは観念して、その紐を受け取って、昨日と同じように右腕につけた。
「じゃあ、始めるよ」
 昨日と同じように、アメツチの言葉に呼応するかのように、周りから音が消えた。わたしは昨夜アメツチから言われたように、手を合わせて目を閉じた。
「早く思い出して……おくれ……か……め……」
 アメツチが呟いた言葉は最後まで聞こえないままに、わたしはまた漆黒の闇の中に落ちていく。宇宙空間を彷徨うスペースデブリのように宛もなく彷徨い続ける欠片になったかのように。そして、意識が肉体と離別したかのようにわたしの五感がてんでばらばらになった錯覚に陥る。そしてわたしは意識を手放した。

 気がつくと、わたしの目の前にあの繭があった。
「誰?」
 あの繭がわたしに尋ねた。これがカグヤエネルギーというものなのだろうか。しかも、意思疎通ができるなんて。
「誰なの?」
「わ、わたしは……」
「起こさないで。わたしを起こさないで」
「でも、月の人達が困ってるんですよ?」
「いいの。放っておいて。わたしはもう……ここからは出ない方がいいのです」
「そんなことありませんよ。皆さんが待ってますから」
 わたしは誰がこのエネルギー体を待っているのかなんて全然分からなかったけれど、何となくそう言ってみただけ。分かっているのは、アメツチという月面人が待っているらしいこと。
 わたしは昨日そうしたようにゆっくりと繭から糸を解いていく。
「やめて、お願い。せっかく、こうして安寧の中に落ち着いたというのに……。静かに眠らせて……」
「こちらはそうもいかないのよ……。約束もしちゃったし」
 わたしはなんとか説得しようと、そう言葉をかけながら繭から糸を引っ張りだす。
「わたしの罪はまだ終わっていないというの? それとも……?」
 それはわたしの言葉を全く耳にしていない様子。繭はそれからも同じような言葉を何度も何度も繰り返した。
「ねぇ、あなたは何故わたしの中にいるの?」
「起こさないで。わたしを起こさないで」
 わたしはふと思ったことを訊いた。しかし、その答えは返ってこなかった。相変わらず同じことを繰り返すばかり。
「やめて、お願い。せっかく、こうして安寧の中に落ち着いたというのに……。静かに眠らせて……」
 だんだんと作業が単純になっていき、わたしもなんだか疲れてきた。別に実際の作業をしているわけでもないのだろうけれど。気力疲れというか、精神的に疲労を感じるようになってきた。しかも、糸を手繰る度に、繭の中の声が大きくなってきたようにも感じる。
「目立たないように、普通に……普通に……」
 繭の糸がわたしの足下に何重にも積み重なっていくと、その繭から発せられる言葉が少しづつ変わってきたように思えた。
「見つからないように……」
 何から見つからないようにというのか。つまりはアメツチ達、月面人からということなのだろうか?けれど、アメツチの話では元々この子(と言っていいのか分からないけれど)は月にいたもののはずなんだけれど。
「罪滅ぼしは終わったのよ……」
 罪ってなんだろう? わたしはなんのことやらさっぱり分からないけれど、この子が悲しい思いをしてきたのだということは何となく感じてきた。ずっと逃げ回ってきたのだろうか。けれど、月の人達にとってはこの子が必要なわけで、可哀想にも思えるけど、多分このままだともっと沢山の人達が可哀想になってしまうのではないかとも思う。
 ようやく繭の大きさが半分くらいになったような気がした。あくまでも気がしただけ。計ったわけじゃないし。その辺でついにわたしの気力も底をつきた。
「もうダメ……」
 わたしはその場に倒れた。

 気がつくとわたしの部屋だった。わたしは床に寝転がった状態だった。やっぱり胸が苦しい。
「お疲れ様。もう一回くらいかな……」
 アメツチは至極事務的な口調でそう言った。
「ま、まだやるの?」
 わたしは起き上がりながらアメツチにそう訊いた。心臓が高鳴ったまま動悸が止まらない。
「そりゃそうだよ。封印が全部解けないと、先には進まないからね」
「あれって、何の繭なの?」
「繭?」
 アメツチは少し首をかしげるようにして。
「キミには繭に見えるのか。視覚化は人それぞれだからね。それがボクの言った『カグヤエネルギー』だよ。それがボク達には必要なんだ。
「でも、あの子『起こさないで』って何度も言っていたわ」
「うん。でも、気にしなくてもいいよ。いつものことだから」
 アメツチは冷たい声でそう言った。
「でも、なんか、可哀想な感じで……」
「そりゃぁ……キミが……、いや何でもない……」
 珍しく一瞬アメツチが取り乱したかのように見えた。
「わたしがなんなの?」
「気のせいだよ。キミの気のせいだよ。とにかく、あと一回。あと一回で封印は解けるはず。そうしたら、キミも責任から逃れられるんだから、頑張ってくれないか。もちろんキミの周りはボクが責任を持って護るから。これは約束だ」
 そして、アメツチは一方的に話を終わらせて、また窓から飛び出して行った。それを合図にしたかのように、また時の流れる音がした。
「なんなのいったい?」
 わたしは釈然としないまま、その後ろ姿を眺めるしかなかった。

「瑠璃ー。ご飯よー」
 わたしが一人部屋でぼんやりしていると、下からママの声がした。
「は、はーい」
 階下に降りると、パパもすでに食卓についていて、テレビを観ていた。珍しくバラエティ番組を観ていた。
「パパ、もう大丈夫?」
「大丈夫だってば。ははは」
「でも、さっきはソファで寝てたじゃない」
「まあ、一応医者からは安静にしていろって言われたからね。でも、本当に大丈夫だから」
 テレビでは、天文の話題になっていて、今年のスーパームーンは6月23日の日曜日ですと、アナウンサーが説明していた。
「でも、電話もらった時は本当にびっくりしたんだから」
 ママが台所からお箸と小皿を持って来た。
「うん、ママ、すごい顔してたもの」
「だって、心臓止まると思ったくらいだもの」
「おいおい。本当に大げさなんだから……」
「そういうけどね、あなた……」
 わたしは二人の会話を上の空で聞いていた。やっぱり胸が悪かったのもそうだけれど、あの繭がわたしに語りかけてきた言葉の数々が何か心のどこかに引っかかっていた。
 言葉にはならないけれど、何か重要なことを思い出さなければならないような気になる。何か忘れているのか、それとも何か気づくべきことがあるのか。わたしの心にもやもやが広がった。数日前から続く一抹の不安が、この頃にはわたしの中で膨れあがっていた。ついさっき、友人達の安全を確認して安心したばかりなのに、拭いきれない何か。その何かが分からないままだった。

 そして、異変は翌日起こった。

(作曲:てけさん)

2013年7月27日土曜日

「竹取の」第12夜<十二月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 じゃあ、ボクたち月面人の成り立ちから説明した方がいいかな。実はキミたち日本人とボクたち月面人は起源を同じくする同種民族だと、ボクは教えられてきた。その起源は「古事記」に遡る。イザナギはアマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノオノミコトの三人の子供を産んだ。スサノオノミコトの子孫である大国主神が日本の国と造り、アマテラスオオミカミとタカミムスビの子孫である神武天皇が最初の天皇となった。
 そして、ツクヨミノミコトの子孫がボクたち月面人の起源となった。ちなみに、ボクたちは自分たちのことを、月読人(ツクヨミビト)と呼んでいる。ボクたちが言う「月」とはキミたちの言う「地球」のことなんだけどね。だから、ボクたちから見ると、キミ達の方が「月面人」なわけだ。
 そもそも、ボクたちの起源である神々は永遠の命を持っていたけれど、神武天皇の親である天孫「ニニギ」が命に限りのあるコノハナノサクヤヒメを娶ったため、神武天皇以降の日本人は寿命をもつようになった。
 もともと、ボクたちの月読の世界は、葦原中津国の中でも高天原に近い位置にあり、キミたちの言う神話の世界にずっと近い。そうだな…キミたちの分かりやすい言葉で言うなら、「アストラル界」というべきか。高天原はもっと純度の高い精神世界「エーテル界」に属する。そのため、ボクたち月読人は地球に住む者たちよりずっと長寿なんだ。
 これは仮の姿と言ったけれど、そもそもボクにはキミたちのような肉体のないアストラル体なのだよ。可視的に見えるようにならばどんな姿にでもなれる。
 これがキミたちの言う、「月面人」の説明。
 次に、月の現状を説明しよう。死にかけているというのは少し説明が足りなかったかも知れない。ご存知の通り、月は地球の唯一の衛星であり、直径比率で地球の1/4という他に類を見ない大きさだ。その均衡は非常に微妙な物理界の力学とエーテル界のエネルギーによって保たれている。そのエネルギーのことを、ボクたちは「カグヤエネルギー」と呼んでいる。カグヤエネルギーは月と地球の間を行き来しており、そのエネルギーの交換によって、月と地球の感覚は平均的に保たれている。カグヤエネルギーは何十年間に一度不定期に地球に下り、月を引っ張る原動力になっている。
 ところが、ここ数百年カグヤエネルギーは地球に下りたままにもかかわらず、月を引く力を発揮しないままどこかに雲隠れしてしまった。そのため、地球と月の間隔がここ数百年徐々に広がってきてしまった。そこでボクが派遣されてきたというわけ。
 カグヤエネルギーは、何千年にも亘って日本人の肉体に宿り、転生を重ねてきた。その中の一回が「竹取物語」で出てくるかぐや姫らしい。その時にはボクのおじいさんがかぐや姫をお迎えにあがったのだけれど。「カグヤエネルギー」は、あまり長いこと地球に存在してもいけなかったからだ。
 そして、ボクの調べでようやく瑠璃ちゃんの中にカグヤエネルギーが宿っていることが分かったんだ。けれど、その力は封印されてしまっていた。それを解放してもらうために、この前の儀式をしてもらったというわけさ。
 これで説明になっただろうか?

 アメツチの説明が終わると、亮くんは腕を組んで考えこんだ。
「まあ、一応筋は通っているけどな……」
 わたしには、どんな筋が通っているのかがぜんぜん分からなかった。月面人ってだけでパニくってるっていうのに、カグヤエネルギーとか、アストラル体とか、全くちんぷんかんぷんで何のことを言っているのやらさっぱりだった。
「じゃあ、その封印を解いたとして、かぐや姫の時のように竹泉を月に連れて帰るっていうのか?」
「ううん。かぐや姫の場合、そもそも月読人そのものが地球に下り、その肉体にカグヤエネルギーが宿ったという極めて特殊な事例だったんだ。だから、月に戻るべくお迎えにあがったと、ボクは聞いている」
「お前たちは、肉体を持たないんじゃなかったか?」
「……カグヤエネルギーの宿るアストラル体に限って肉体を持つことができるんだよ」
 アメツチの言葉に少し詰まりがあったような気がしたけれど、わたしは話についていけずに黙って様子を見ていた。
「じゃあ、つまりその肉体を持たないお前は月明かりの下でしか活動できないっていうことなのか?」
 わたしも勘づいていたことを亮くんも質問にした。
「まあ、そういうことだね」
 アメツチはあっさりと認めた。だから、夜だけ出没するんだ。
「じゃあ、封印が解けたら、竹泉はどうなるんだ? それと、月との地球の均衡がとれたら、どうするつもりなんだ?」
「また、封印は解けても何も変わりはないさ。均衡がとれたら、またカグヤエネルギーを封印して終わりさ」
「本当に、それだけで終わりなのか?」
「それ以上はボクを信用してもらうしかないな」
「だが、それだと竹泉が一方的に大変な思いをするだけじゃないか?」
「大変なって?」
 アメツチはきょとんとした顔をして、わたしを見た。
「結構苦しかったのよ、あれ……」
 実際、儀式が終わった後は胸が苦しくなった。
「おかしいな。そんなことはないはずなのに……。だいたい、その後オムライスとやらをペロっと平らげたじゃないか?」
「み、見てたの?」
 わたしは慌てた。あの後、すぐにアメツチがいなくなったと思っていたから。
「どうせお前達の世界は時間の流れは俺たちと違うんだろ?そのカグヤエネルギーとやらが次に転生した時にその人に頼むんじゃ遅いのか?」
「やっと見つけたっていうのに……。次の転生で見つかる保障はないし、そうしたら次はまた何百年後になるかも知れないんだよ?そうなったら手遅れになる可能性だって……」
「じゃあ、最後にもう一つ」
 亮くんは人差し指をアメツチに突きつけて真剣な顔つきで言った。
「昨日の夜お前に協力した後、竹泉は暴徒に襲われた。お前に関わるなら、竹泉の家族に手を出すと忠告しにきたと言ったらしい。実際にそれで竹泉の父さんが怪我をした。あいつらは何者だ?」
 アメツチは大きな目をさらに大きくした。
「ああ……。あいつら気がついたんだ……」
「あいつらってことは、知ってるんだな? 複数?」
「ああ。あいつらは、ボク達の邪魔をする団体だ。で、瑠璃ちゃんの父上に怪我をさせたとあいつらが言ったのかい?」
「ああ、そう言ったらしい」
「ふーん」
 アメツチはまた目を細めた。
「分かった、それはボクがなんとかしよう。ボクのことを信用してくれて、儀式を進行させてもらえるなら、瑠璃ちゃんの家族はボクが護ろう」
「お前、昼間はここでは動けないんだろ?」
「ボクが出ない間は護衛をつけるよ。でも、あいつらも、公衆面前で白昼堂々とは出てこないと思うけどね」
 そう言うと、アメツチはまた紐のような物を取り出しだした。今後は白い紐で、いくつかの紋様を織り込んだようなものだった。
「これをつけておけば、もしあいつらが来ても、ボクの護衛がキミを護るから。いわゆる式神のようなものだ」
「その団体って何者なんだ?」
「邪教の奴らさ。詳しくはいずれ話すよ。とにかく瑠璃ちゃんと家族は必ず護るから」
「邪教って……。本当に大丈夫なんだろうな?」
「じゃあ、キミたちにもこれを渡そう」
 アメツチはわたしにくれた紐と同じ物を亮くんとちいちゃんにも渡した。
「今日ここから帰る道すがら、キミたちの前にも必ずあいつらが現れる。そうしたら、それがキミ達を護るから。そうしたら、ボクのことを信用してもらえるかな?」
 アメツチはなにかの小説に出てくる猫のように、後ろ足だけで立ち上がってそう言った。少し気味が悪い。
「どうしてあの暴漢が今晩現れるって、分かるの?それにちいちゃん達が危ない目に遭うのはわたしはイヤよ」
「あいつらのことだ。何百年も戦ってきたボクには分かるんだ。それに、危ない目には遭わないよ。そのお守りを着けている限りはね」
 それを聞いて亮くんは立ち上がった。
「いいだろう。それが確認できたら、竹泉が協力するってことでいいか?」
「でも……」
 わたしはちいちゃんの方も見た。
「わたしたちは大丈夫よー。亮ちゃんもいるしねー」
 亮くんも一緒に頷いた。
「なら……」
 わたしがそう言うと、さっきまで止まっていた時間が動き出した。
「とにかく瑠璃ちゃんが納得してくれないと封印は解けないからね。じゃあ、じゃあ、今日のところはボクは退散するよ。納得したらまた呼んでおくれ」
 アメツチはそう言って、またいつものように窓から出て行った。
「ちいちゃん、亮くん、本当にそれでいいの?」
「ああ、大丈夫だ。これであいつの言っていることが本当かどうかを試せるからな」
「でも、本当に危ないことしないでね、お願い」
「もちろん。分かってるさ。じゃあ、今日のところは帰るよ」
「うん、気をつけてね」
 三人一緒に部屋を出た。
「お邪魔しましたー」
「失礼します」
 二人が居間を覗きながら挨拶していく。
「おや?もう帰るのかい?今来たばかりだろう?」
 そう言えば、アメツチが時間を止めてたんだっけ。
「うん、答え合わせだけだから、早く終わったの。玄関先まで送っていくね」
「そっか。気をつけてお帰り」
 パパは大して不思議そうでもない様子で二人に手を振った。
「じゃあ、本当に気をつけてね……」
「大丈夫だって。心配すんな。これがあれば大丈夫だっていうしな。もし俺達になにかあったら、困るのはアメツチの方だろ?」
「そりゃ、そうなんだけど」
「大丈夫だよー。何かあったら、すぐに電話するからね」
 二人はそう言って、わたしの家から家路に着いた。
 そして、アメツチの言うことの真偽がはっきりしたのは、それから間もなくのことだった。

(作曲:てけさん)

「竹取の」第11夜<十一月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「ドイツ式のコウモリ?」
 わたしは首を傾げて亮くんに訊いた。
「いや、その言葉には大して意味はないんだけどな」
「ないんかいー」
 ちいちゃんは夫婦漫才よろしく亮くんにツっこんだ。
「いや、ないわけじゃないんだけどな。コウモリっていうのはさ、見た目鳥類なんだけど、本当は哺乳類なんだ。イソップの寓話にもあるだろう?」
「卑怯なコウモリだっけー?誰にも信用されなくなるっていうあれよね?」
「そう。でも実はコウモリが卑怯だということを言いたいんじゃないんだ。あの寓話の本来のストーリーはイタチに捕まった時に自分はネズミだと言い、ネズミが敵だというまた別のイタチに捕まった時に、自分はコウモリだと言って逃がしてもらうんだ。つまり、嘘も方便というか、状況に合わせて変化することで生き抜くみたいな教訓を含んでいるんだ。つまり、そいつらが敵対しているのであれば、それぞれの状況に合わせて対処すべきってこと」
 さすがに亮くんは博識だな、なんて感心して聞いていると、ちいちゃんがさらにツっこんだ
「でー?ドイツ式っていうのは?」
「それは特に意味はない。付けたら格好いいかと思って。そ、それより、早く出よう。あんまり遅くもなれないだろうし」
 亮くんは持ってきたグラスからお茶を一気のみして、テーブルに置いた。
「ちょっと待ってー、わたし着替えてくるー」
「別に制服のままでもいいじゃないか」
「そういう訳にもいかないのよ、女の子はー。あれだったら、先に行っててもいいのよ?」
「いや、別々に行動して何かあったらイヤだから待ってるよ。早くしてくれ」
 ちいちゃんは居間を出て自室に引っ込んだ。
「なんか、大変だったみたいだな、竹泉。父さん大丈夫なのか?」
「う、うん。本人はケロっとしてる。今日退院するっていうから、きっとうちに来たらいるわよ。……それより、わたしのこと信じてくれるの?」
 わたしは思い切って聞いてみた。
「ん?その月面人のことか?」
 亮くんは意外そうな顔をした。
「うん」
「それが本当に存在するかどうかは俺が直接見れば分かることで。ただ……」
 と言って、亮くんは一呼吸おいてから、
「ちいならともかく、竹泉はそういうことを冗談でも言うタイプじゃないだろ?」
「ちいちゃんならって……、ちいちゃんだって、そんなこと言わないわよ?」
「いや、俺は何度かやられてるからな……」
 亮くんは少し赤い顔して鼻の頭を掻いた。
「宇宙人が来ただの、地底人が来ただの。何度騙されたことか。あの女、狼少年だからな。竹泉も気をつけた方がいいぞ」
 ちいちゃんの中二病発言といい、亮くんの狼少年扱いといい、二人の意外な側面を聞いたような気がした。まるで兄妹みたいで楽しくもあった。とは言っても、わたしには兄弟姉妹がいないから分からないけれど。
「ちいの言うことなら絶対信じないけど、竹泉が言ったなら俺は信じるぞ」
 軽く付け足すかのように、亮くんはぼそっと呟いた。わたしは改めてそう言われるとすごく照れた。ちいちゃんに同じことを言われるのとは全然意味合いが違って聞こえちゃった。
「あ、あ、ありがとう」
 わたしは焦ってそう返事することしかできなかった。それからしばらくわたしたちはお互いに落ち着かない感じで、どちらからともなく目線を逸らして、しばらく沈黙が続いた。
「おまたせー」
 着替えが終わったちいちゃんが居間に戻ってきた。フリフリスカートのワンピース。
「よし、行くぞ」
 待ってましたとでも言うように亮くんは立ち上がり、玄関に向かった。
「よーし! 行こう行こう!」
 ちいちゃんもそれに合わせて元気に手を挙げた。わたしはそんな元気な二人についてちいちゃんの家を出た。ちいちゃんの家を出ると、いつものように亮くんが少し前を歩き、その後をわたしとちいちゃんが着いていくように歩いていった。
「ね、ちいちゃん? 亮くんがちいちゃんのこと狼少年だって言ってたわよ」
「なにそれ? もしかして、宇宙人とか地底人の話? あれって、小学生あがる前の話だよー。わたしもすっかり忘れてたのにね。もう、亮ちゃんったら、いつまで根に持つつもりかしら?」
 どうやら、さっき台所でそんな話になったのではないかと思われるような話の流れだった。
「でも、いまだに信じてるのよ。だから余計に怒んのよー。そういうんだから中二病だっていうの。さっきも瑠璃ちゃんの話したら、嬉々とした目つきしてたくせにさー」
 わたしはなんだかおかしくなって笑ってしまった。
「ホント可笑しいよねー」
 ちいちゃんも一緒に笑った。
「おーい、早くしろよ!」
 向こうで亮くんの叫ぶ声がした。
「はーい!」
 わたしたちは二人揃って、それに返事した。

 家に着くと私は先に入って、パパの様子を伺うことにした。
「ただいま」
 私が居間に入ると、パパはソファーに寝そべっていた。
「おかえり」
「パパ大丈夫? 」
「ああ、検査の結果も大丈夫だった。もう心配することないよ。ただ、念のため今日はゆっくりしておけって言われてね。ママは一度さっき帰ってきたけど、また仕事に出たよ」
「よかった。じゃあ、もう安心ね。あのね、友達連れてきたんだけど、入れていい?わたしの部屋で……一緒に勉強しようって約束しちゃって」
 わたしは、思わず嘘をついた。
「もちろん、入ってもらいなさい。そうか、そろそろ試験も近いのかい?」
「ううん、この前の英検のおさらいしようって」
「そうか、そうか」
 英検に行ったメンバーではあるから、そう外れてもいないと思うし。
「じゃあ、わたしの部屋にあがってもらうね」
 わたしはそう言って、一度玄関に出て二人を迎え入れた。
「入って。パパは居間で横になってるから、今の内」
 わたしはそっと二人に囁いた。
「お邪魔しまーす」
 二人は一応廊下から挨拶した。居間からはパパの声が聞こえてきた。
「じゃあ、あがって」
 三人揃って二階に上がる。そう言えば、亮くんを部屋に入れるのは初めてだった。
「あ、ごめん、ちょっとここで待っててくれる? 部屋片付けてくるから。す、すぐに片付けるから」
 わたしはそう言って二人を待たせて、先に部屋に入ろうとした。
「ちょっと待って。一応念のためだけど、その…アメなんとかがいるかどうかだけ見た方がいいんじゃないかな?」
 亮くんがそれを制止した。
「そ、そう……ね……」
 言われてみれば、その通り。だけど、亮くんに見られたら困るものがそのままになってたりしたら、イヤだなぁ…と困ってしまった。
「じゃあ、瑠璃ちゃんとわたしで先に部屋入るから、亮ちゃんあっち向いていてー。もしいたら、声かけるから」
 ちいちゃんが助け船を出してくれた。
「わーったよ」
 亮くんは少し不満げな顔をしたけれど、一応ちいちゃんの言うことは聞いた。
「じゃ、じゃあ……」
 わたしはドアノブを握る手に力を込めた。はたして。
「あ……」
 そこはいつものわたしの部屋だった。薄暗くなってきた外が窓からくっきりと見えた。
「いないねー」
 ちいちゃんも一緒に部屋に入ってそう言った。
「多分、まだこの時間だといないんじゃないかと思うぜ」
 廊下から亮くんの声がした。
「ちょ、ちょっと待ってね、亮くん」
 わたしは、部屋の中を一回りして、問題のありそうなものをチェックした。とは言っても、そもそもそんなに物が沢山ある部屋じゃないから、パジャマとかをタンスにしまったり、ベッドの掛け布団をかけ直したりする程度。
「おーい、アメアメちゃーん。いないのー?」
 その間ちいちゃんは、部屋の窓から顔を突き出したり、部屋の隅に向かって月面人を呼んでいた。
「亮くん、いいわよ。入って」
 ちょっとした物を片付けてから廊下の亮くんに声を掛けた。
「お邪魔します。お、意外とシンプルだな」
 ちいちゃんの部屋と比べてっていう意味だろうか。確かに素っ気ない部屋ではあるのだけれど。
「で? そいつは、ここから入ってきたのか?」
 亮くんはすぐに窓向かって行き、わたしにそう訊いた。確かに外はもう薄暗いけど、月が見えるか見えないかくらいの薄暮だった。
「う、うん。最初の日はそこにいたの。そのベランダ。次にちいちゃんと入ったときには、ここにいたの」
 と言って、部屋のど真ん中を指さした。
「そっか…。まだ月が見えないな。でも、もう少しってとこかな」
 亮くんはそう独りごちて窓の外を眺めていた。
「もう少し待ってみようか」
「それには及ばないよ」
 亮くんが待とうと言い出した時、どこからかあの声がした。
「ボクをお探しかい?」
「お、お出ましか」
 亮くんは確かに嬉々とした目をして、部屋の中を見回した。
「今日はまた賑やかなことで。お友達かい? 瑠璃ちゃん?」
 ベッドの上に、ぼやんとした白い影が現れたかと思うと、それはあの不思議な生物体に変化した。
「おっと……」
 不意打ちをもらったかのように亮くんは少し驚いた表情をした。けれど、目は輝いていた。
「う、うん。ちいちゃんはこの前会ったわよね。こちらは、ちいちゃんの従兄妹で段逆亮くん」
「へぇ、茅衣子ちゃんのイトコねぇ。よろしく」
「よ、よぉ」
 亮くんは興味深げにアメツチの姿を眺めた。
「でも、他の人には内緒だよって言ったよね?」
 アメツチは少し低い声でわたしに向かって言った。目が怒っているのか、悲しんでいるのか、笑っているのかが分からない。
「ごめーん。わたしは言っちゃったんだー」
 ちいちゃんはすぐにそう切り返した。悪意のない笑顔で頭を掻きながら。アメツチは少し間を置いてから。
「そうか、じゃあ仕方ないなぁ……。でも、ボクの邪魔はしないでもらえる……よね?」
「邪魔はしないが、ちゃんとした説明をしてもらうためにここに来た」
 今度は亮くんが割って入ってきた。
「説明?」
「そうさ。竹泉はおとなしいからさ、何も言わずにお前の要求を飲んだんだろうけど、ちゃんとした説明もなしに人に協力を求めるのは、俺達人間の世界では常識外れっていうものでさ。協力してもらいたいなら、納得できる説明をしてやりなよ」
「ほう……そういうことだね。わかったよ。では、どこから説明を始めたらいいのかな?」
 アメツチは大きな目を細めてそう言った。亮くんとアメツチの間で緊迫した空気が流れた。
「まずは……アメツチって呼んでいいのか?俺は亮でいい」
「はい、アメツチノオオワカミコだけど、言い辛ければアメツチでも、オオワカミコでも。よろしく、亮」
「じゃあ、アメツチ。月面人だってな?それが本来の姿なのか?」
「そうだよ月面人だよ。それとこれは仮の姿。ボクたち月面人はどんな姿にでもなれるんだ」
「じゃあ、何故人間と同じ姿で現れない?」
「こんなところに人間の姿で現れたら、単なる強盗か痴漢扱いされるじゃないか。だから、猫の姿で入ってきたんだ。これならまず怪しまれることはないだろ?」
「イヤにリアルだな…。ってか、それ、猫じゃねぇから」
「え」
 アメツチは一瞬固まった。
「これ、猫じゃないのか?」
 アメツチはわたしとちいちゃんの方を交互に眺めた。わたしたちは無言で首を振った。
「寒いな…ボク」
「ま、まあ、それはいいや、その姿で慣れたんなら、俺達も別に困らないし。それより本題。月が死にかけているからそれを助けてほしいって、竹泉に言ったんだよな?その意味をもう少し詳しく話せ。どうして月が死にかけているのか? どうしてそれを竹泉が助けることができるのか? 昨日竹泉にやらせた儀式の意味。それをちゃんと説明しろ。納得できなかったら、協力はできない」
 亮くんはそこまでを一気に言い切った。アメツチは、それを聞き終えてから、猫がよくやるような、前足を舐め、顔を拭くような仕草をした。
「いいよ。説明しよう。けど、かなり長くなるから、時間を止めようか。いいかい?」
 アメツチはそう訊いた。わたしたち三人は揃って頷いた。

(作曲:てけさん)

2013年7月26日金曜日

「竹取の」第10夜<十日夜>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「月面人ねぇ……」
 ちいちゃんは長いストローからオレンジジュースを吸い込んでからそう呟いた。翌日の放課後、わたしはちいちゃんを誘って近くのファミレスにいた。この前わたしの家に遊びに来た時に、わたしの部屋で二人が出会った月面人の話を、順を追って説明した。途中まではちいちゃんも覚えていて、確かに二人で二階に上がったところまでは記憶が一致していた。ところがそこにいた不思議な生物の存在だけすっぽりとちいちゃんの記憶から抜けてしまっていたらしい。
「ただ、前後の話を繋げていくとー、なにか抜けているような気もするのよねー。なんて言うか、そこだけ切り取られたみたいにー? 確かにわたしは、卒業した後の進路について瑠璃ちゃんに話しようとして一緒に居間を出て二階に上がったところまでは覚えているしー、でも、その後なにか空洞みたいになってー、その後内緒にしてねっていう話をしているような気がするのねー」
 ちいちゃんは、飲み干したグラスからストローを使って水滴を取り出し、テーブルの上のストロー袋に垂らした。蛇のようにそれはにゅるにゅると伸びていった。
「でも、さすがにその後月面人と話したとかは、信じられないわよね?」
「ううん。瑠璃ちゃんがそう言うなら、わたしは信じるよー」
 ちいちゃんは真剣な眼差しでわたしを見た。いつも通りののほほんとした口調ではあったけれど、その真摯な気持ちは伝わってきた。
「ありがとう。もうね、わたしもどうしたらいいのか分からなくなってきたの」
「そりゃー、そうよねー。いきなり宇宙人ですー、よろしくーとか言われても困るわよねー。例えば今日は黄色い大雪が降りますって天気予報で言われても、すぐには信用できないわよね」
 それから、わたしはアメツチに頼まれた内容と、実際に祈りをした時の状況などをできるだけ詳細にちいちゃんに伝えた。加えて、パパの交通事故の件とその帰り道であった暴漢のことも。アメツチには他の人には内緒と言われていたが、それはちいちゃんと一緒の時だから、ちいちゃんは除外すると考えていいはず。
「わたし、頭悪いからよくわかんないんだけど、つまりー、アメツチとその男が対立していてー、その男は瑠璃ちゃんにアメツチと関わってほしくないから瑠璃ちゃんのお父様を事故に遭わせたってことになるのかしら?」
「それしか思いつかないのよね。で、どうしたらいいのかなと悩んでるのよ」
「んー」
 ちいちゃんは腕を組んで悩み始めた。
「お母様に話してみるとか?」
「ちいちゃんみたいには信用してくれないわよ」
「そっか-。そうよね-。大人がこんなこと信じるわけないわよね」
 いえ、子供でも信じませんけどね。
「わたしも頭ウニだわー。どうしたらいいのかは分からないー」
 ついにちいちゃんもギブアップした。そりゃそうよね。
「でもー。このままじゃ瑠璃ちゃんも困るよねー。どうしたらいいのかしらー?」
 それから一時間近く二人で頭突き合わせて考えたけれど、結論には至らなかった。同じところを堂々巡りしているかのようにわたしたちの会話は迷走していた。そして、かれこれレストランに入ってから4時間以上が経過していた頃、まだ夕食の混雑する時間にはまだ時間はあったけれど、店員さんの目がそろそろ気になり始めた。そんな時、ちいちゃんが一つ新しい提案を持ち出した。
「ね、たとえばだけどー。亮ちゃんに相談してみるとか?」
「亮くん? え……どうだろう……。『アホか』って言われて終わりそうな気がするけど?」
 と言うか、そんなアホな話を亮くんにするのが恥ずかしいというか。
「そんなことないよー。実は亮ちゃんってば結構オカルト好きだし中二病はいってんのよ」
 ちいちゃんはケラケラ笑いながらそんなことを言った。
「真面目な顔して、『宇宙人はいる』とか、『古代大和民族は宇宙から来た』とか、平気で言うのよー。痛いよねー、アイツ。もちろん学校ではそんなこと言わないけどねー」
 ちいちゃんは、亮くんのモノマネをしながら、眼鏡を押し上げる仕草をした。特徴は掴んでる。それにしても、あの亮くんにそんな面があったとは知らなかった。そう言われてみれば、浦城先生と話し込んでいる時すごく嬉しそうだったし、古事記とかの話をしていた時、どの辺までが史実なのかとかやたらにこだわってたところはあったけど。
「こんな話したら、あんまり食いついてきてかえってやぶ蛇になったらイヤだなーって思って控えてたんだけど、他にこういうネタ話せる相手いないし。あんまりアイツに頼るのも、なんだかなーって感じなんだけどー」
 そう言って、ちいちゃんは、何杯目かのミックスジュースを飲み干した。確か最後はカルピスとメロンソーダの黄金割り。もうわたしもお腹がジュースでたぷんたぷんになっていた。にしても、ちいちゃんが亮くんのこと「アイツ」呼ばわりするのも珍しい。でも、何かあったのかなと思うのではなく、すごく妬けてしまうのは何故だろう。
「でも、アメツチが、他の人には内緒って言ってたけど、大丈夫かしら?」
「大丈夫じゃないー? そしたら、うち来ない?瑠璃ちゃん家だったら、アメツチなんちゃらが来るかも知れないけど、わたしの家なら大丈夫じゃないかしら? 亮ちゃんもうちに呼ぶからさ」
 そう言いながら、ちいちゃんは携帯を取り出してメールを打ち始めた。そんな安易な発想でいいのかしらとは思ったけれど、わたしの部屋だと確実にアイツがいるのは確かなので、ちいちゃんの申し出は嬉しかった。それに、亮くんがいてくれるのは心強いとも思った。ちいちゃんがメールを送ってからしばらくすると返信が返ってきた。
「オッケーだって。予備校終わってからだから、少し遅くなるけどって。先にうちに行ってようか? そろそろ店員さんの目も気になってきたしね」
 ちいちゃんはそう言って、ウインクした。亮くんにはどんなメールを送ったのかしら。ちょっとだけ心配。
「それよりさ、夕べの暴漢の方が心配よね。言うこと聞かなかったら、瑠璃ちゃんの家族とかに手出すっていう意味でしょ? あれってさ」
 ちいちゃんは店を出てから、わたしに呟いた。わたしの心配もそこで、パパはとりあえず今日は退院できることになってるし、昨夜の話ではアメツチに関わりさえしなければ手は出さないという意味だろうから、今晩家に帰るまでは安心なのだけれど、その後家に帰れば多分アメツチに出会うことになるはず。そうなると昨日の男がどういう行動にでるか分からない。というのが、ちいちゃんとわたしの結論だった。
「今晩うちに泊まっちゃう?」
「そうしたいのは山々だけど、今日パパが退院するから早く帰ってくるようにってママから言われてたのよね。本当のことを言うと、そろそろ帰らないとママから催促がきそう」
「それなら、わたしからお母様にお話してあげるから、心配しないでー」
 ちいちゃんは自分の胸をドンと叩いて請け負った。そう言えば、連休の遠出の件もどうやってかママを説き伏せてくれてたっけ。一体ちいちゃんってどんな話をして、今度はどんな説得をするつもりなのだろう。またちいちゃんの七不思議が増えそう。
 ちいちゃんの家に着くと、彼女は鞄から鍵を取り出して扉を開けた。お互い小学生の頃から同じ鍵っ子仲間。
「入って。一応、わたし先に自分の部屋見てくる。アメツチがいないかだけ調べてくるね」
 そう言ってちいちゃんは自分の部屋に上がっていった。わたしは玄関口でそれを待った。まだ夕方前で外も明るい。何故だかわたしはまだあの月面人は現れないような気がした。しばらくして、ちいちゃんは部屋から出てきてわたしに向かってOKサインを出した。わたしは玄関から上がってちいちゃんの部屋に入った。
「おじゃましまーす」
 ちいちゃんの部屋は、殺風景なわたしの部屋とは違って、女の子女の子していた。ピンクを貴重にした部屋はほんわかとしたちいちゃんのキャラクターそのものだった。それからしばらくわたしたちは何でもない話に花を咲かせ、二人で笑い転げたりしていた。夕日も沈みかけてきた頃、玄関のチャイムの音が鳴った。わたしたちは一緒に玄関に下りていった。玄関を開けると亮くんがいつも通りにクールな顔つきで立っていた。
「なんだ、竹泉も一緒だったのか」
 亮くんは意外そうな顔つきでわたしにそう言った。
「なんだって何よー。とりあえず入って。わたしの部屋」
「あのさ。居間じゃダメか?ちいの部屋入り辛いんだよな。ピンキーすぎて」
「あらー、お言葉ね。仕方ないわね。いいわよ、居間でも。どうせ二人とも帰り遅いはずだし。まあ、亮ちゃんがいても別に問題ないけどね」
 わたしたちはそのまま居間の方に向かった。ちいちゃんの家の居間は居間というより、客間、むしろ応接間とでも言うべきなのだろうか、立派なダイニングテーブルが中心に据えられ、周りにはどっしりとしたヨーロピアンな家具が据えられている。時々商談とかに使うらしく、うちの居間とは雲泥の差だった。
「なんか、冷たい飲み物ないか?」
「わたしたちはもう沢山飲んだからー。たっぷんたっぷんー」
「ちいのことは聞いてねぇ。俺が喉渇いたんだってば。じゃあ、勝手にもらぞ」
 そう言って、亮くんは一度居間を出た。ちいちゃんはてへぺろして、ソファに座った。わたしもそれに倣う。
「わたしがいること言ってなかったの?」
「うん。ただ呼び出しかけただけー」
 呼び出しって、半グレヤンキーの集会じゃないんだから。
「あ、ちょっと待っててね」
 ちいちゃんは何かを思い出したかのようにソファから飛び上がって、居間から駆けだして行った。
「う、うん……」
 わたしはそう言うのが精一杯だった。それから5分程度待たされただろうか。遅いなと思い、台所の方に向かおうかなとソファから立ち上がろうとした時、二人が戻ってきた。亮くんの片手には冷たいお茶が入ったコップが握られていた。
「竹泉。今ちいから話は聞いた。相談に乗るよ」
 開口一番、亮くんはそう言ってわたしの向かいに座った。だから、ちいちゃんはどうやってこの人を説得したの!? と、わたしはちいちゃんに目で訴えたけれど、ちいちゃんは小さく微笑んだだけだった。
「まずはアレだな。そのアメツチなんとかという月面人と話してみないとだな。俺が一緒に会うよ」
「えっと…それって、大丈夫かしら?」
「ちいが出会ったのも多分偶然だろう。聞いた話によると、あくまでも目的は竹泉だと思う。たまたま居合わせたからちいにも話したって感じだ。じゃあ、今度もたまたま俺が居合わせたことにすればいい。もちろん俺は他の人には口外しないと誓う。それから、できるだけ早いうちに竹泉の家に行こう。もし今日現れるとしたら多分日没後だ。日没までもう時間がない」
 亮くんもあの生物が日没後に現れると予想している。わたしの勘と同じだ。
「瑠璃ちゃん-、そうしてもらいなよー。亮ちゃんには作戦があるらしいんだ-」
「作戦?」
 作戦ってなんだろう。
「そう、作戦名、名付けて『ドイツ式のコウモリ』!」
 亮くんは、トレードマークの黒縁眼鏡を押し上げながら、ビシっとクールに決めた。

(作曲:てけさん)

「竹取の」第9夜<九夜月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 パパが運ばれたのは、近くの市民病院だった。駅前広場をまたいでちょうどうちから反対側のところにあった。わたしとママはとにかく、取るものも取りあえず自宅を出て走って病院に向かった。途中何度も息を切らせながら走るママを気遣いながら。何年か前までなら、わたしがママの後を追うのが常だったのだけれど、今はわたしがママを先導するようになっていた。そう言えば、ママの身長を抜かしたのはいつのことだったろうか。
「すみません、竹泉と申します、うちの主人は?」
 15分程走って市民病院に駆け込むと、すでに一般受付も外来も終わっていて、暗がりの中受付前にいた看護師さんに向かってママは叫んだ。
「救急の方ですか? ご家族の方?」
「はい、そうです」
「救急の受付はあちらになります」
 看護師さんは右手奥の方を指さして、わたしたちを案内してくれた。ママはすでに息を切らしていたけれど、懸命に歩を進めていた。わたしもそれに続く。『救急受付』と書かれた看板を頼りに進んでいくと、暗い廊下の先に明かりが見えてきた。救急担当の看護師さんらしき人が廊下に立っていて、わたしたちの方を見ていた。
「竹泉です。主人は?」
「ああ、竹泉さんですか。こちらに」
 その看護師さんは、のんびりとした口調でわたしたちを部屋の中に導いた。こんなに緊迫した二人に、アンバランスな感じのする対応だったのが気になったが、そんなことを言っている場合ではなかったので、とにかくその人について行く。
「こちらです」
 看護師さんがドアを開くと、パパがベッドで寝ていた。
「あなた!」
 ママは一瞬入り口で硬直したかのように立ち止まった。が、
「よぉ」
 と、パパが手を挙げて微笑むと、ママはその場にしゃがみこんだ。
「ママ、大丈夫?」
「おいおい、どうしたよ」
 パパは心配そうな顔をしてベッドから起き上がると、こちらに向かって歩き出した。
「パパ、歩けるの?」
 わたしもびっくりした。
「ただのかすり傷だよ。全然大丈夫。おい、立てるか?」
 そう言いながらも、パパは右手と左肘に包帯を巻いている。あと、鼻のあたまにもガーゼが当てられていて、それが痛々しく見える。
「だって……車にはねられたっていうから……てっきり……」
 ママは安心したせいもあってか、腰を抜かしてしまったみたい。腰を抜かすっていう表現は聞いたことあるけれど、実際に目の前で見たのはこれが初めてだった。
「しかし、警察もどんな言い方したんだ? まあ、はねられたというか、車がかすっていったというか。当たったことは確かだからな。結局ひき逃げ事故ということにはあなるらしい。警察の人もさっき帰ったばっかりだよ。」
「よかった……」
 ママは今にも泣きそうな顔をしてパパを見上げた」
「まあ、とりあえず、座れよ」
 パパは、ママを抱き寄せて、ベッド脇にある小さな椅子に座らせた。
「瑠璃も、そこに座りなさい」
 わたしもママの横に座った。
「とりあえず、用心のため検査はしてくれるらしい。だから、帰りは明日になる。だけど、頭打ってるわけじゃないし、ちょっと太もものあたりをぶつけたくらいなんで、心配することはない」
 パパはママに安心しろと言った。確かに話している様子からすると、たいした怪我では無いようなので私も安心した。
「本当に大丈夫?」
 安心しろと言われてもママはまだ心配なようで、何度か同じことを聞いた。パパはその度に、微笑みながらママの頭を撫でた。それからしばらく同じような応酬を続けた後、先ほどの看護師がやってきて、わたしたちに泊まっていくかどうかを尋ねた。パパは必要ないと断った。ママは少し不満そうな顔をしたけれど、もうしばらくここにいることを条件として承諾した。
「じゃあ私は先に帰るわね」
 わたしはママに遠慮して先に帰ることにした。
「遅いけど大丈夫か?」
 パパは少し心配したけれど、もう高校生だよ?とわたしが言うと、パパはそりゃそうだと頷いた。
「じゃあ、ママ、ごゆっくり」
「バカね」
 わたしはそう言って、救急の病棟を出た。さっきの看護師さんに会えば、よろしくお願いいたしますと会釈した。暗い廊下を抜けて、病院を出ると、街灯に照らされた街路樹がワサワサを葉音とたてていた。夜遅いと言っても、駅前だからまだ人は多かった。予備校帰りの学生か、会社帰りの会社員やOLさんか。みなそれぞれが家路についている。
「あれ?」
 ふと、足下を見ると、わたしは右と左と別々の靴を履いていたのに気がついた。いや、恥ずかしい。慌てて出てきたから、全然気がつかなかった。こんな格好して誰かに会ったらイヤだわ。
 わたしは、少し駆け足で家に向かった。
 できるだけ人のいない方にと道を選びながら。いつも使わない小道を抜けようと、建物の間に足を向けた時、わたしは誰かに腕を掴まれ、強く引っ張られた。
 (え?なに?)
 わたしは一瞬恐怖を感じた。
「あの方を起こしてはならない」
 わたしの背後から、低い声がした。男の声。若い。でも学生っぽくはなく。
「これは序の口です。これ以上アレに関わったら、もっと酷い目にあうことになる。家族や大切な人を失いたくないのなら、これ以上は関わらない方がいい」
 痴漢やその類ではなさそう。けど、私の腕を掴む力は強く、後手に固定されたせいで背後を伺うことができなかった。
「だ、誰? アレってなに? 何のことを言ってるの?」
「あなたならお分かりでしょう。これはお預かりしておきます」
 その男は、わたしの右腕からあの紐を引きちぎった。
「痛い……。ダメ、それは!」
「いいですね、これは忠告です。これ以上は関わってはいけません」
 そう言うと、男はわたしの腕の閂を解いた。
「待って!」
 振り向くと、そこには誰もいなかった。
「え?」
 腕を解かれた後すぐに振り返ったはずなのに。いくら足が速くても、こんなに早く視界から消えるなんて、考えられない。
「おまわりさん……」
 一瞬警察に駆け込もうとかとも思ったけれど、特に痴漢にあったわけでもないし、逆に詳しい話を聞かれた時にどうやって答えたらいいのかが分からない。盗られたものと言えば、月面人にもらった不思議な紐で、これ以上関わってはいけないと忠告されたとか、全くもって意味不明なことばかりになってしまう。
「帰ろう…」
 わたしは、駆け足で自宅に戻った。

「ちいちゃん……ごめん、遅くに」
 自宅に着くと、すぐにちいちゃんに電話した。ちいちゃんは少し眠そうな声で返事した。
「ううん、大丈夫だよー。どうしたの?」
「パパが、車にはねられて……」
「えー!? だ、だ、だ、だ、大丈夫なの?」
 ちいちゃんのキンキンに高い声がさらに高くなってわたしの耳に響いた。
「それは、大丈夫なの。かすり傷ですんだから。それでね、病院にお見舞いに行って、あ、そう、パパは明日には退院できるっていうから、心配しないで。それで、病院の帰り道で、変な人に捕まって……」
「変態? 痴漢? だ、大丈夫なの?」
 わたしの説明がチグハグなせいもあって、ちいちゃんは何度も甲高い声を連発した。
「ううん、それも大丈夫だったんだけど、その人が言うのは、『これ以上関わるな』っていうのよ。わたしも何が何だかわからなくなって……」
「関わるなって、なにに?」
「わたしも、よく分からないんだけど、もしかしたら、あの月面人のことかも知れない」
 わたしはついに、あのアメツチのことを口にした。ちいちゃんは一瞬戸惑うように静まってから、
「月面人? 瑠璃ちゃん、何言ってるの?」
 と、うわずった声で言った。
「え? だから、この前ちいちゃんがうちに来たときに、わたしの部屋で見たでしょ? あれよ」
「瑠璃ちゃんの家に行った時に? 瑠璃ちゃんの部屋で? なんのこと?」
 やっぱり、ちいちゃんはあの時のことを覚えていなかった。一体どういうことだろう。
「あ、ごめん、わたしの勘違いだったかな……。あはは……、パパが事故ったりして、わたし混乱してるのかも……。あはは、ごめんねこんな遅くに、変な電話して……」
 わたしは慌てて電話を切ろうとした。
「瑠璃ちゃん……?」
「ん?」
「わたし、全然気にしないよ。瑠璃ちゃんが言うことなら、わたし何でも信じるから。その…月面人のことも。だから、相談したいことあるなら言って」
「あ……うん……。ちょっと、わたしの中でも混乱気味だから、ちょっと整理してから、相談するね。明日放課後時間もらえるかな?」
「うん、いいよ。もちろん、落ちついたら話聞くから、遠慮しないでね」
「うん。じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
「あ、ちいちゃん……?」
「うん? なあに?」
「ありがとね」
「ううん、気にしないで。おやすみ」
「おやすみ」
 ちいちゃんのおかげで少し落ち着いた気になった。
 ちょっと整理してみよう。まずはちいちゃんがアメツチのことを覚えていない。でも、あれは夢ではなかった。はず。さっきここにいたのは確かに夢ではなかった。そして、あの時ちいちゃんとわたしは一緒にアメツチノ話を聞いていたはず。でも、ちいちゃんはあの時も酔ったみたいな感じだった。催眠術とかかけられていたとか、そんな感じだったのだろうか?
 そして、今日さっきわたしを襲ってきた男。『アレに関わるな』というアレとは、アメツチ以外に考えられない。しかもアメツチから渡された紐を盗っていったのだから。あの男は、『あの人を起こしてはならない』とも言っていた。起こす? 誰を? ここは全く分からない。
 問題は、これをアメツチに話すべきなのかどうか。単純に考えて、あの月面人とさっきの夜盗の男は敵対していると考えた方がいい。その話をそのままあいつに話していいものか。月を助けるという手助けはすることにしたけれど、いまだにあの月面人が何者なのかもよく分からないし、信用したわけでもない。ただ、単純に早く終わらせたかったから、言うことを聞いているだけ。かと言って、あの夜盗の言うことも信用できるわけもなく。
「ああん……どうしたらいいのよ……」
 やっぱり、明日ちいちゃんに相談することにした。さっきの様子だと、ある程度のことだったら、理解してくれそうだし。これがある程度のことなのかどうかは疑わしいことだけれど。かと言って、とても一人で解決できそうにないし。
「ただいま」
 とかなんとか、一人で七転八倒していると、玄関からママの声がした。わたしは階段を急いで下りた。
「ママ、おかえり。パパ、どうだった?」
「大丈夫だっての一点張り。追い出されちゃったわ」
 そう言いながらも、ママは笑顔で答えた。
「ご飯食べちゃわないとね」
「あ、そうだった。途中半端だった」
 わたしもすっかり晩ご飯のことは忘れていた。
「すっかり冷めちゃってるわね。チンする?」
「うん」
 オムライスを2度目のレンジにかけて暖める。
「あら? 瑠璃、さっきのミサンガ、どうしたの? つけてたわよね?」
 ママは、自分の右手首を指さして、わたしに訊いた。さっき、気がついていたんだ?
「あ、ああ……その……」
「それ、どうしたの? 赤くなってるわよ?」
 自分の右腕を見ると、さっき夜盗に掴まれたところが少し赤くなっていた。わたしは慌てて、
「あ、さっき、帰り道で転んじゃって。それで、あれも取れちゃったのかも?」
「まったく、ドジなんだから。パパの事故の後なんだから、気をつけなさいよ」
 ママはあっさりと納得してくれた。よかった。
「ミサンガって、取れたら願いが叶うっていうのじゃなかった? もう願い叶うのかしらね? 何か願ったの?」
「ううん、別にお願いしたってわけじゃなく……その、友達がくれたから、つけてみたってだけなんだ」
「あら、そうなの?」
 ママは少し不思議そうにしたけれど、それ以上は追求しなかった。
「それより、さっきの電話。酷かったわよね。警察の人、どんなこと言ってたの?」
「交通事故にあって、市民病院に運ばれましたって言うんだもの。そりゃあ、びっくりするわよね」
 びっくりはするだろうけど、多分、その警察の人はその後に容態とか言うつもりだったんだろうなとは思った。だって、ママったら、話も途中で、凄い形相して電話の子機を叩きつけてたもの。そそっかしいところがあるのよね。
「そうね、そりゃ、びっくりするわよね」
 一応同意しておいた。
「あ、ママ。明日お昼外で食べてもいい?半日授業なんだ、明日」
「いいわよ。なに?お小遣いほしいってこと?」
「かわいい娘に愛の手を」
 わたしは頭を下げて、両手を差し出した。ママは溜息をついてから、お財布から千円札を取り出して、わたしにくれた。
「もう、こういう時だけ。でも、あんまり遅くならないうちに帰ってきなさいよ。パパも退院するんだし」
「へへー。わかりましたー」
 明日は、ちいちゃんとどこかおいしい物食べながら、今日のことを相談することにしよう。少し不安もあったけれど、さっきの電話でちいちゃんに救われたような気がした。

(作曲:てけさん)

2013年7月25日木曜日

「竹取の」第8夜<八日月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 亮くんとお茶会は予想より遅くまで続いた。元々口数の多くない亮くんがここまで話に盛り上がるのはわたしにとっては初めてだった。先日の浦城先生との会食がよほど刺激だったらしく、主に話題は浦城先生の本のことやその時の話だったけれど、わたしはいちいちその話に頷いて聞き役に徹していた。気がつくと、外は少し薄暗くなり始めていた。亮くんは日没に近づいているのにようやく気がついて、話が長くてごめんとわたしに謝った。それからカフェを出て、わたしたちは駅前で別れた。
 亮くんとの初めてのお茶会デートでルンルンなわたしは、思わずスキップして帰りそうになったが、帰宅途中の人達がまだ沢山いるのに気がついて自重した。こんなに長いことふたりっきりでお話をしたのは初めてだったし、何かに夢中になって語りかける亮くんが素敵だった。多少ウキウキした気分になってもバチは当たらないわよね?
 ところが帰宅すると、その気分を全壊させてしまう出来事がわたしを待ちかまえていた。そう、アレがまた現れたの。
「こんばんわ」
 わたしが自室のドアを開けるのを待ちかまえていたかのように、それはわたしの部屋の真ん中で鎮座していた。
「……! あなたどこから入ってきたの?」
 確か出かける時は窓を閉めていったはずなのに。
「お月様を助けて」
 それは、この前と同じ台詞を吐いた。
「勝手に部屋に入ってこないで。ママが見たらびっくりするじゃない」
 わたしは慌てて部屋の扉を閉めた。ママはまだ帰宅していなかったけれど、こんな場面を見られたら大変。
「それは失礼。でも、そろそろ儀式を始めてしまわないとならないんでね。手伝ってもらえるんだよね?」
「はいはい。で、何をすればいいのよ?」
 わたしはさすがに諦めていた。それよりさっさと終わらせた方がよさそうだと思った。
「じゃあ、早速お願いしようかな。これを腕につけて」
 アメツチは前足でミサンガのような紐状の物を差し出した。
「なにこれ?」
「儀式に使うものだよ。これを腕に巻いて、月に向かってお祈りしてくれればいいんだ」
「それだけでいいの?」
「そう、それだけでいいの」
 わたしは言われるままにその紐を左手の手首に巻こうとした。
「それは、右手首にしてくれないかな」
「はいはい。もう、面倒なんだから…」
 右利きのわたしが右手首にそれを巻くのは一苦労だった。
「手伝うよ」
 アメツチは前足を出して、結び目を押さえてきた。ツルっとしてヒンヤリとしたその感触は、動物のそれではなかった。わたしは少し背筋に何か冷たいものを感じたけれど、我慢できない程ではなかったので、早めに済ませようとして紐を結んだ。
「はい、できたわよ。これでいいの?」
「そうだね。じゃあ、邪魔が入らないように、少し時間を止めるよ」
 そう言うと、アメツチは静かに前足を上げ、部屋の絨毯を何度か軽くポンポンと叩いた。特に変化がないような気がしたが、急に音がしなくなったように感じた。部屋の時計の音も、蛍光管のジーっという音も、さっきまで聞こえていたそよ風の音も。ただ、耳鳴りのようにわたしの鼓動の音だけがただ一つ響いていた。
「これで本当に時が止まったの?」
「そうだよ。地球では、ボクとキミだけが動いている状態だよ」
「地球では?」
「そう。地球のあらゆる物質がもつ時間という概念を止めているだけなんだ。宇宙の規模でいうとまた違った作用なんだけど、その辺は別に説明しなくてもいい話」
「そうなの?」
 わたしはソレの言う意味がよく分からないので、特に詮索するつもりもなかった。とにかくこの「儀式」とやらを早く終わらせたかっただけだった。
「で、お月様に向かってお祈りすればいいの? こんな感じでいいのかしら?」
 わたしは、すでに空ていた窓の外に見える月に向かって手を合わせてみた。今日の月はだいぶん欠けてきていた。
「そう、そして、目をつぶってくれるかい?
 わたしは、言われるままに目をつぶった。
「そう、そして願うんだ。死にかけた月を再生することを。キミの中に眠る、力の源を月に送るための儀式として」
 わたしの中に眠る…? 力の源? なんだかよく分からないけれど、とにかくわたしは月が弱っているならば、それが元に戻るようにお願いした。目をつぶると、急に意識が遠のいてきた。上下の感覚もなくなり、わたしはその場で倒れたように感じた。けれど絨毯の感触はない。まるで底なし沼に落ちていくような感覚。どろっとしたぬめりのようなものに包まれ、落ちていくような感覚。ゆっくりだけれど、確実に。落ちているのか上がっているのかも分からない。とにかく一定の場所にとどまっている感触ではない。
「ちょっと、これ、なに?」
 声を発しようとしても声にならない。目を開けようにも開けられない。やがて漆黒の闇に包まれし凶器がわたしの意識と体を分離させた。
「……!」
 わたしの意識が体から離れたと感じたのは錯覚だったのかも知れない。けれど、多分それは本当のよう。一瞬夢? と思ったけれど、意識はしっかりとしていた。
「なにこれ?」
 視覚ではない、なにか別の感覚がわたしの前の何かを感じていた。もしこれを目でみたものに喩えるなら卵? いや、蚕? 繭と言うべきか。幾重にも重ねられた糸に巻き付けられた白い球状の物体。それがわたしの前に現れたのだ。わたしはそれを一本一本ほどいていく。何故その作業をしているのか分からないけれど、何故かそうしなければならないような気がした。けれど、その繭はわたしと同じくらいの大きさをしており、いくら解いても解ききれない。それでもわたしはその糸を解き続けていく。まるで永遠に続く作業であるかのように……。

 ふと気付くと、わたしはまた元の姿に戻っていた。聴覚が戻っていた。部屋にある時計の針が一秒一秒を刻んでいた。蛍光官の発光音が響き、外では風が葉を揺らす音が聞こえている。恐る恐る目を開けると、部屋の光が少しまぶしかった。
「……終わったの?」
 目の前に座っているアメツチが不思議そうにこちらを覗いていた。
「予想以上に固いね。今日だけではダメみたい。また明日来るよ」
「え? そうなの? またこんなこと、何度もしなきゃならないの?」
「そうだな……あと2回くらいではなんとかなるとは思うんだけど……。というか、それくらいでなんとかしなきゃ、アイツらが……あ、いや、あと2回でなんとかしよう」
「なんとかって、もう、わたしあんなのイヤよ。なんだかわからないけど、気持ち悪い。車に酔ったみたい」
 胸の奥が苦しかった。吐き気まではなかったけれど、胃が痙攣しているかのように感じた。
「次は大丈夫だと思うよ。これで慣れたはずだから。でも、痛くはなかっただろう?」
「痛くはないけど、お腹が苦しい感じ」
「次はそれほど酷くないはずだから。今晩は早く寝るといい。あ、それと、その紐は着けておいてくれると助かるな。そうしたら、明日はもう少し楽だと思うから」
「そうなの?」
「多分……ね」
「多分って……無責任な言い方……!」
「瑠璃ー? 帰ってるの?」
 その時、階下からママの声がした。
「じゃ、ボクはこの辺で。また明日この時間くらいに来るよ」
「あ…」
 アメツチは逃げるようにして窓から出て行った。
「瑠璃。いるなら返事しなさいな」
 ママがドアをノックしてから、扉を開けた。
「あ、ごめん、ちいちゃんとメールしてたから」
「携帯も、いい加減にしなさいよ。晩ご飯用意するから、下りてきてちょうだい」
「うん、着替えたら、すぐ行く」
「今日はあなたの好きな、『バロン亭』のオムライスよ」
 ママはそう言って、ウインクして部屋を出た。そう言われて、お腹がぐうっとなった。そう言えば、昼からカフェオレを飲んだだけだった。それで胸が悪かったのかなと思い直した。とにかくあと2、3回でこれも終わるならと、我慢することにした。
 制服から部屋着に着替えてから階段を下りて、ダイニングに行くと、ママだけが夕飯の支度をしていた。テーブルの上にはオムライスとお総菜のセットが何個か置かれていた。本日の売れ残りらしい。でも、オムライスはわたしの好物だったから、嬉しかった。
「手洗ってきなさいな」
「はーい」
 いつものように手を洗おうとすると、右手にさっきの紐が巻かれているままになっているのに気がついた。それはミサンガというには少し趣の異なるものだった。東南アジアの民族衣装のような模様で、麻か何かで出来ているのだろうか、ガサガサした感触だった。わたしはそれが濡れないように気をつけて手を洗った。
「お腹ペコペコー」
 わたしは、すぐにダイニングに戻って、席に着いた。
「あれ?パパは?」
「今日は残業だって」
 いつもならば、大体この時間に二人が一緒に帰ってくるのだけれど、今日に限ってパパの方が遅いらしい。
「いただきまーす」
 わたしは、オムライスを電子レンジでチンしてから手を合わせた。
「んー。おいしい」
 売れ残りとは言え、さすがに有名レストランのレシピ。やっぱりおいしい。
「これもどうぞ」
 ママは、総菜セットを差し出してくれた。洋食セットと書かれた総菜は、ポテトとか野菜の煮物みたいなものが入っている。
「お野菜も食べるのよ」
「はーい」
 そんな時、家の電話が鳴った。
「はい、はい。誰かしらね、こんな時間に」
 こんな時間に電話が鳴るなんて珍しい。パパならママの携帯に電話するだろうし、何かの勧誘かなにかだろうか。
「はい、竹泉です」
 ママは子機を取って、返事をした。
「はい……そうですが……なにか………え……? はい……」
 わたしは、ママの声の変調に気付いた。何か良くない知らせなのだろうか。わたしはスプーンを口にしたままママをじっと見つめた。
「……はい、はい……」
 ママは、慌てて電話台の上からペンを取り出して、急いでメモをしていた。
「わかりました。すぐに参ります」
 ママが電話を切ると、
「どうしたの? ママ?」
「パパが……」
 ママの顔が蒼白になっていた。

(作曲:てけさん)

「竹取の」第7夜<上弦の月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)


 それからしばらくの間、平穏な日々が続いた。あの自称月面人の奇妙な生物も現れなかった。奇妙と言えば、ちいちゃんがあの時の事をあまり覚えていない、いや多分覚えていないことだった。とても人前でできる話題ではなかったから、わたしからはその話題に触れることは避けていたのだけれど、二人きりの時にそれとなく触れてみても、ちいちゃんは何のことかわからないかのように反応していた。わたしはそれ以上触れないことにした。正直わたしもあまり思い出したくはないことだったし、あれから数日現れなかったので、やっぱり夢だったのかな…などと考えてみたり。つまりは現実逃避していたのかも知れない。
 そんなある日の放課後。わたしは一人で帰宅した。この曜日はちいちゃんが習い事の日なので、いつもわたしは一人で帰ることになっていた。学校帰りにふと本屋に立ち寄ろうと思い立った。確か好きな漫画の単行本が出る日だったはず。
 駅前の少し大きな本屋に入ると、帰宅途中の学生が数名雑誌を立ち読みしていた。わたしは雑誌コーナーを通り過ぎて、漫画の新刊が並ぶコーナーにまっすぐ向かった。
「あった、あった」
 わたしは目当ての漫画本を手にとって、そのままレジに向かおうとした時、
「竹泉」
 振り返ると、そこには亮くんがいた。
「あ……。こんにちは」
「あれ?ちいは?一緒じゃないの?」
 亮くんは参考書を片手に、そう言って店内を探す素振りをした。
「ちいちゃんは、今日は習い事だって」
「あ、そっか。まだやってるんだ?日舞?」
「うん、そうみたい。わたしもまだ見せてもらったことないんだけど」
「俺もまだないんだよな。まあ、別に興味もないんだが。……そう言えば、この前、お邪魔したな。ご両親によろしく伝えておいてくれ」
 亮くんとはクラスが違うので、学校ではあまり話す機会がない。それに最近は亮くんは放課後は予備校に直行らしいので、帰り道も逆の方向のせいもある。そう言えば、この前家に遊びに来たとき以来だったのか。
「ううん。また遊びに来てって、ママが言ってたわ」
「うん。竹泉の父さんって、楽しいのな。話合うし。なにせ優しいしな。うちのオヤジとはまるっきり正反対だ」
 少なくともわたしは見ていた間、パパはただ頷いていただけで、話が合うとかそういうレベルじゃなかったような気もした。亮くんは主に浦城先生と話をしていただけのようだったし。
「亮くんのお父様って、そんなに怖いの?」
「こええよ。何せ柔道3段の猛者だからな。あれ?知らんかったっけ?うちのオヤジ、警察官」
「え?そうなの?それは怖そう」
 わたしは笑って頷いた。まっすぐで真面目が取り柄の亮くんが警察官の息子だと聞けば、なんとなく頷いちゃう。
「あれ?ちいちゃんとは、お父様の方?」
「いや、母方。どっちもな。母方は元々商売人なんだけどさ、うちはオヤジが頑固一徹の警察官なもんだから、全然違う家風なんだ」
「そうなんだ」
 それで従兄妹同士でもこんなに性格が違うのかと納得した。
「何買うの?」
「あはは…漫画。いっつも買ってるシリーズの最新刊が出たんだ。亮くんは、参考書?」
「そそ。予備校でこれ買えって言われてさ」
「あれ?今日は予備校は?」
「急に休講になったんだ。先生が風邪ひいたらしい」
「そっか…」
 なんとなくそこで話が途切れた。わたしは何か話題がないかと焦った。
「どっかでコーヒーでも飲んでく?」
 わたしが脳内でワタワタしていると、なんと亮くんからお誘いを受けた。
「この前の晩飯のお返しと言ってはなんだけど、奢るよ」
 と言ってから、一呼吸入れて、
「そ、それに、連休のこともあるしさ。浦城先生の別荘の場所とか、聞いてなかっただろ?」
「あ……うん……」
「そしたらさ、俺、もう二、三冊買わなきゃならない本があるんだ。少し待てる?」
「うん、いいよ」
「じゃ、ちょっと、急いで選んでくるよ。その辺で立ち読みでもして待っててくれ」
 そう言うと、亮くんは参考書売り場の方に戻っていった。わたしは持っていた漫画を持って会計を済ませ、会計前にある小説の新刊が並ぶコーナーに目をやった。ふと目に入ったのが、『浦城光太郎新刊!』と帯に書かれた文庫本だった。帯には浦城先生の写真が印刷されていた。
「本物なんだ……」
 確かに先日わたしの家に来た人と同じ人物だった。写真の方が若干若い感じがするが、少し前の写真なのか、それとも撮影の仕方のせいなのか。わたしは浦城先生の新刊本を手に取った。新作のミステリーのようだった。序文だけ読んでみようと最初のページを開いた。
 『夥しい量の雨粒がフロントウインドウを激しく叩きつけていた。台風の接近を告げるラジオの音声が車内に響く。彼の運転するポルシェは雨水をかっ切るかのように暗闇の中を疾走していた…』
 どうやら、いきなり序盤に事件は起きてしまう。しかも読者にはその犯人が誰だか分かってしまうスタイルのよう。ところが単なる交通事故かと思いきや、それはまた大きな事件の序章に繋がっていく。というような解説的な文章が帯にも書かれていた。わたしは、ペラペラとページをめくって、中盤のページに目をやった。結局はその交通事故自体は、血痕が証拠となって犯人は捕まることになるみたい。犯人は悔しそうにその血痕を証拠として決定づける探偵に膝をついた。ところが、事件は終わらなかった……みたいな。
 正直、ミステリーには全く興味のないわたしには、どこがいいのかよく分からなかった。その新刊本を元に戻して、その隣に置かれていた、浦城先生の他の本にも手を伸ばした。何冊か横に並べられた本の中に、『竹取の翁の謎』という本があった。パパが前に話をしていた、映画化もされたという話だったろうか。その本にも手を伸ばして、今度は解説の部分を開いてみる。日本の古典文学の権威らしき大学教授が寄稿していた。その教授は浦城先生の古典文学への研究熱心さと、さらに加えて斬新な発想を加えた本作を褒め称えていた。研究者をも唸らす作品らしい。もちろんSFだから、実際の古典文学の研究とはかけ離れてはいるけれど、という注釈も忘れられてはいなかったけれど。
 そう言えば、アメツチは『かぐや姫の従者の子孫』だと言っていたっけ。もし、それが本当なら、かぐや姫のお話は史実だったことになる。もしそのことが分かったら、すごい発見になるんだろうか。でも、それこそSFの世界よね。
「お待たせ。浦城先生の本かい?」
 わたしはぼんやりそんな事を考えてるところに亮くんが戻ってきた。
「ええ……わたし、先生の本読んだことないから、どんな話書いてるのかなって、気になって」
「それなら、俺持ってるよ。今度貸そうか?」
「そ、そうね……やっぱり、1冊くらいは読んでおかないと、失礼よね」
「あんまりそういうこと気にされる作家さんではないと思うけど、まあ、話に着いていこうと思うなら、少しは読んだらいいかもな」
「じゃあ、今度貸して」
 そう言って、わたしは浦城先生の本を元に戻した。
「隣のカフェでいいかな?」
「わたしはどこでもいいわよ」
「じゃ、隣行こう」
 わたしたちは本屋を出て、隣のカフェに入った。最近できたそのカフェは値段もお手頃なこともあって学生が多かった。亮くんが先に店に入ると、店内の女子高生と思われる数名がそちらを向いた。制服からすると隣の高校の子達みたい。やっぱり、目立つんだなぁ。
「何にする?」
「じゃ……カフェオレで」
 わたしは、周りの視線を気にしながら注文を頼んだ。視線が痛い反面、ちょっと勝ち誇ったような気になった。
 (釣り合わないんじゃない、あの二人…)
 これ見よがしにそんな事を言う子もいたけれど、わたしは聞こえないフリをした。そんなことは百も承知だもの。
「はい、これ」
 わたしは亮くんから紙コップに入ったカフェオレを受け取った。
「そっち」
 亮くんは、窓際のカウンターに座った。隣同士に座るようになっている。わたしはちょっと恥ずかしかったけれど、少し戸惑ってから、隣に座った。
「それでさ…」
 亮くんは、さっき見ていた浦城先生の本の話から始めて、別荘が富士山の麓の海岸線にあるとか、パパから買った車がポルシェだったらしいとか、そんな話をした。わたしは、周りが気になってあんまり話に集中できずにいた。
「あれ?コーヒー好きじゃなかった?」
 わたしがカフェオレに手を付けずにいたら、気にして声を掛けてくれた。
「ううん……あの……猫舌だから……」
「あ、そっか、そう言ってたな」
 理由はそれだけじゃなかったけど、亮くんは納得してくれたので、それでよかった。

 その時、外からわたしたちを見つめる視線があったことさえ、気がつかなかった。

(作曲:てけさん)

2013年7月23日火曜日

「竹取の」第6夜<弓張月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)


 アメツチが窓から闇夜に消えて行った後、ちいちゃんはしばらくぼーっと外を見つめていた。
「ちいちゃん?」
「あれ、なんだったんだろうねー?」
「なんだったって、月面人だって……それ信じるってちいちゃん言ってたよね?」
「んー。なんでわたしあんなこと言ったのかしら?」
「ちいちゃん、大丈夫?」
 わたしは、ちいちゃんに近づいてその目を覗きこんだ。ちいちゃんはぼんやりした目つきでわたしを見ていた。まるでお酒に酔ったパパのようだった。
「うーん。大丈夫、大丈夫ー、でも、地球を守るためですものね。協力はしなきゃねー」
 ちいちゃんは焦点の合わない目線でわたしを見ながら、そう呟いた。
「そろそろ、戻る?」
「そうねー。さっきの話お願いね。内緒、内緒ー」
 内緒というのはさっきの進路の話だろうけれど、アメツチのことも含めているのかな。
「内緒ね、うん、わかった、内緒ね」
 ちいちゃんは、ふらふらとして立ち上がって扉に向かって歩き始めた。わたしは慌ててちいちゃんの横に着いて一緒に部屋を出た。一緒に階段を下りていくうちにちいちゃんの表情は戻り始め、1階に着く頃には、表情は普段のちいちゃんに戻っていた。
「なんかー、盛り上がってるみたいだねー」
 ちいちゃんはまるで先ほどの出来事がなかったみたいに、居間の奥で盛り上がっている声に反応した。そのままわたしたちは居間からダイニングに戻った。
「あら、どこに行っていたの?」
 ママがわたしたちを見ると、からかい気味にそう言った。
「内緒話よ。女の子の秘密」
 笑ってわたしもそれに答えた。
「あらそう?じゃあ、ママも呼んでくれなきゃ」
 ママは頬をほんのり紅くしてそう言った。
「あれ?ママも飲んでるの?珍しいわね」
 ママの前にはワイングラスが空になって置かれていた。ママは普段はほとんどお酒を飲まない。何かの記念日とか、お祝いとかがあると、時々パパと一緒に飲むことがあるくらい。お客さんと一緒に飲むなんて初めてみたかも。
「ボクが勧めたんだ。悪かったかな」
 浦城先生がワイングラス片手にそう言いながら、パパにワインをお酌していた。
「いえいえ、とてもいいお話を聞かせていただいて、わたしも楽しかったので、つい」
 こうやって楽しげにしているママは嫌いじゃなかった。飲んだと言っても、多分一杯か二杯くらいだと思う。にしても、いい話って、どんな話をしていたのだろう。
「映画化された作品の解説をしてくれてたんだ。うん、裏話も聞けて楽しかったよ。特に『天才のゲーム』のからくりの話はおもしろかった」
 亮くんがわたしの心を読み取ったかのように説明してくれた。そう言えば、ママもいくつか映画化された作品は観たって言ってたわね。その話かな。なんにしろ、3人にとっては、浦城先生の作品が共通の話題になったようなので、それで盛り上がっていたみたい。
 にしても、初対面にもかかわらず、わたしの両親と亮くんがこんな感じで和気藹々とお話をしているなんて、すごく不思議な感じだった。もし、亮くんがお婿さんにきたら…なんて妄想がわたしの頭の中を漂い始め、わたしはすごく恥ずかしくなって、全力でその妄想を頭の中から追い出した。耳が熱くなっていくのが分かった。
「あら?どうしたの瑠璃?顔が紅いわよ?」
「な、なんでもないわよ!」
 わたしは必死に否定した。どうして、こういう時に限ってママは目ざといのかしら。
「あ……じゃあ、僕たちはそろそろ帰ります」
 亮くんは時計を見ながらそう言った。わたしも携帯の時計を見た。もう8時を過ぎる頃だった。
「じゃあ、ボクもそろそろ…」
「先生はもう少しごゆっくりしていってくださいな」
 合わせて腰を浮かしかけた浦城先生に、パパは両手を差し出して引き留めた。
「じゃあ、先生、お先に失礼します。連休はお世話になりますが、よろしくお願いします」
 亮くんは、丁寧に挨拶して席を立った。連休の予定は亮くんも本気で行くつもりなんだ。
「うん、じゃあ、来週にでも一度電話するよ」
 浦城先生は自分の携帯を取り出して、亮くんにそう言った。もう電話番号交換したんだ。亮くん最初はそんなに乗り気じゃなかったのに、よっぽど先生の話が楽しかったのかな。
「ちい、行こう」
「おじさま、おばさま、お邪魔しました。先生もお先ですー。またよろしくお願いしますー」
 ちいちゃんも亮くんに習って頭を深々と下げた。
「ちいちゃん、また遊びにいらっしゃい。段逆くんもね」
 ママとわたしは亮くんとちいちゃんを見送りに一緒に廊下に出た。浦城先生はパパと一緒にまた席についた。
「遅くまでごめんね」
「いえ。僕こそ、初めてお伺いしたのに、ご馳走にまでなって。お総菜おいしかったです」
「おいしかったでーす。瑠璃ちゃんもありがとうね。また明日学校でねー」
「うん、帰り気をつけてね」
 わたしたちはお互いに手を振り合った。わたしとママは玄関先で二人を見送った。
「段逆くんって、いい子ね」
 二人の姿が見えなくなった頃、ママが小さな声でそう呟いた。
「……う、うん……」
 わたしはなんて言おうか迷って、ただ頷くしかできなかった。
「あの子が瑠璃の彼氏だったら、ママも嬉しいんだけどなー」
「……え……、ママったら、何言ってるの……そんなわけ……」
 突然ママがそんなこと言ってくるものだから、わたしは思いっきり動揺した。否定することもできずに。
「……そんなわけないじゃない。亮くんは学校でもトップで、大学は東京に行くんだって……」
「あー……そうなんだー。そうよねぇ。頭良さそうだものね。そっかー。それは残念ね」
 何が残念なのかよく分からなかったけれど、ママはそれ以上は何も言わずに玄関に戻って行った。
「瑠璃も入りなさい。もう寒いわよ」
 わたしは、ママに言われるように、玄関に向かって行き、家に入った。居間の方から笑い声が響いてきた。パパの笑い声だ。
「わたし、部屋に戻る。明日の予習もあるし」
 予習なんてするつもりはなかったけれど、居間に戻る気にもなれなかった。
「そう?分かったわ。あ、そうそう…連休の話はいいのね?」
 ママが念押ししてきた。
「ん?どうして?」
「なんか、ちいちゃんに無理に押されて、決めたとかじゃないのかなとか思って」
 図星だった。
「まあ、そうよね。あなたみたいな出不精が、自分からそんなこと言うとはママも思わないわ」
「あ、でも…」
「でも、いいんじゃないの?ちいちゃんは乗り気だし。珍しくパパの許可も下りたことだし、こんなことそうそうあるものじゃないわよ。良い思い出になるんじゃない?」
「……うん、そうだね」
「浦城先生も信用できそうな方だし、良かったわね」
 先生が信用できそうという点については異論はなかったけれど、観察対象になるという点については多少の不安はあった。けれど、亮くんも乗り気になっていることを考えると、わたしがそこに水を差すわけにはいかなかった。
「……そうね」
「じゃあ、お勉強頑張ってね」
 そう言ってわたしに手を振って、ママは居間の方に向かった。わたしはそのまま階段を上がって部屋に戻った。
 部屋に戻ると、さっきアメツチが出て行った後のままになっていて、部屋のドアも、窓も開け放したままだった。
「あ……開けっ放しだった……」
 春先とは言え、まだ夜は冷えていた。部屋の中も少し寒いくらい。わたしは、恐る恐る窓際に近づき、小さなベランダを覗き込んだ。そこにはもうあの白い生物はいなかった。わたしは、少し小さな溜息をついて、窓を閉めカーテンを閉じた。
「はぁ……なんか疲れた……」
 わたしは勉強机について、椅子に座ったけれど何をする気力も沸かなかった。
「なんだったんだろう…」
 今朝早く起きたせいもあって、どっと疲れが出た。
「今日は早く寝よう」
 わたしは翌日の準備をして、パジャマに着替えた。まだお客様が帰る様子がないので、シャワーは明日の朝にすることにした。そのままベッドにもぐりこんだ。なんだかいろいろなことがあった一日だった。英検、お好み焼き、亮くんが初めてうちに遊びに来て、有名人と一緒に食事して、連休のお泊まり遠出が決まって……そして、月面人の再来。どれも夢のような話だ。良くも悪くも。夢であってほしいとも思うし、夢だったらとても残念だとも思う。明日の朝起きたら、全部夢だったなんてオチかも知れないし、やっぱり現実だったのかも知れない。それは…明日朝起きてみれば分かることで……。

 その夜、わたしは夢をみたらしい。よく覚えいないけれど。ぼんやりとした抽象画のような。まるで万華鏡を覗き込んでいるような、ぼんやりとしたイメージ。
 喩えるなら、海の中から海面を見上げているよう。波が動くかのように視界はゆらぎ、見ている物が常に変化し一定にならない。わたしは沢山の人達に囲まれていた。いや、一人の人かも知れないし、沢山なのかも知れない。煌びやかな色彩に彩られた着物を纏っている人達がわたしの周りを囲んでいるようにも思えるし、たった一人の人が私を包み込んでいるようにも思える。人なのか、それとも単なる模様なのかさえ分からない。
 耳鳴りのようにも聞こえる人の声。何かを話しているかのようにも聞こえるけれど、ただの雑音でしかないようにも感じる。最後には、それが夢だったのか、それとも夢ではなかったのか、それさえ分からなかった。
 ただ、一つ分かったのは、それを感じているのが「現実のわたしではない」ということだけだった。


(作曲:てけさん)

2013年7月21日日曜日

「竹取の」第5夜<五日月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)


「なにあれ?」
 ちいちゃんが小さな悲鳴を上げたかと思うと、窓に吸い込まれるようにして駆けていった。
「ちいちゃん、ダメ!」
 わたしはちいちゃんに手を差し伸べて止めようとしたけれど、ちいちゃんの動きは予想よりずっと速く、わたしの掌は空を掴むだけだった。ちいちゃんは素早い動きで窓に取り付いた。その動きはまるで夢遊病者のそれのようで、まるで正気を失っているかのようだった。わたしはすぐにちいちゃんを止めようとしたけれど、足が棒のようになって前に出すことができなかった。
 怖い。
 照明を点ける動作さえできず、わたしは自室のドアに張り付いたかのようにちいちゃんの一挙手一投足を眺めることしかできなかった。ちいちゃんは窓に取り付くと、ゆっくりと窓のロックを外し、窓を開け、アメツチに手を差し出した。
 そして。
「きゃー! かわいいー!」
 ちいちゃんは黄色い声を張り上げて、アメツチを抱きしめた。
「なにこれ、かーわーいーいー。スベスベ、もふもふっー!」
 ちいちゃんは幼児がぬいぐるみにするように、アメツチを抱っこして頬擦りした。
「ちょ…ちょっと、ちいちゃん!?」
 わたしは一気に力が抜けてその場にへたり込んだ。
「ねー、瑠璃ちゃん、これどうしたの? 飼ってるの? なんていう動物? どこで買ったの?」
 矢継ぎ早に質問を投げかけてくるちいちゃんに、わたしはなんと返事していいのか分からなかった。まさか、月面人のなれの果てだから触らない方がいいとか言うわけにもいかず。
「そ、それ…わたしが飼ってるんじゃないの。その…昨日から、うちに寄りついてきてるだけで…。どんな病気もってるかどうか分からないから、そんな触らない方がいいんじゃないかしら?」
 と言うのが精一杯。
「えー。こんなかわいいのに病気とか、ないない。どこから来たのかしらねー?」
 ちいちゃんは全然お構いなくアメツチを構っていた。アメツチの方はさもわたしに当てつけるかのように、ちいちゃんに頬擦りされる度に、気持ちよさそうな目をこちらに向けた。わたしはその表情にカチンときた。
「あー。それでね、さっきの話なんだけどねー」
 ちいちゃんはその不思議な生物を抱っこしてなでなでしながら、話題を変えた。
「さっき、お好み焼き屋さんで話したこと、しばらく内緒にして欲しいんだ。特にお母さんにはね」
「さっき、話たこと?」
 わたしは、その場に座り込んだまま、ゆっくりと部屋の扉を閉じた。
「うん、進路の話。就職するっていう。まだ両親には話してないんだ。先生にも。一応去年出した進路希望には、進学って出してあるから」
「え?そうなの?」
「亮ちゃんだけには言ってあるんだけどねー。両親は進学してほしいみたいなんだけど、わたしはもう家業継ぐつもりでいるんだー。どうせ大学に行ったって、遊ぶだけで、授業なんて何の役に立たないしー。それより少しでも早く仕事覚えたいの。うちね、そんなに楽な商売やってないの知ってるんだ。特にここんとこ景気悪くって、従業員もそんなに雇えないからって、毎日二人とも夜遅くまで仕事してるの。わたしが手伝ったところで、どれくらい役に立てるか分からないけど、人の半分くらいにはなるんじゃないかなーって思ってる」
 ちいちゃんは、いつもの雰囲気とはまるきっり変わって、しっかりとした物腰で語った。見た目よりずっとしっかりしているのはわたしも付き合いが長いから知ってはいたけれど、そんなに将来のことを、家族のことを真剣に考えているなんて思ってはいなかった。わたしは自身の考えのなさを思い知らされた。
「さっきは瑠璃ちゃんと亮ちゃんだけだったから、話ちゃったけど、そう言えば、内緒にしておいてもらわなきゃなって、 さっき気がついて。もちろん、瑠璃ちゃんのこと信用してるから。内緒でね。お願い」
「そりゃあ、ちいちゃんに内緒って言われたら、言わないけど…でも、ご両親は進学して欲しいって言ってるんでしょ?」
「うん。わたしが家業継ぐなんて考えてないみたい。でも、せっかく二人で苦労して築きあげた仕事だからさー。なんらかの形で残してあげたいなーって思って。わたしが男だったらよかったのにって思うよ」
「そっか」
 ちいちゃんの両親を思う気持ちも分からないでもない。でも、自分がその立場にいた時に同じ事が言えるかというと、正直自信がない。
「素敵なお友達だね」
「え?」
 突然、第三者の声が私たちの会話に割って入ってきた。さすがのちいちゃんも驚いた。
「その立派な魂を見込んで、お願いがあるんだ」
 もちろん、その声の主はあの月面生物だった。わたしは、額に手をやった。どうしてこのタイミングで話しかけるかな。
「お月様を助けてほしいんだ」
「お……お月様?」
「そう、お月様。月、ムーン。地球の衛星。日本では古来より、ツクヨミが神格とされ、『古事記』では黄泉の国から戻ったイザナギが禊を行った時に右目を洗った際に生まれたとされる。そのお月様」
 わたしにしたのと同じ説明をちいちゃんにもした。
「お月様をどうやって助けるのー?」
「あなたのお友達には、月を助ける力があるんだ。その力を使って僕たちの星を助けてほしいんだ」
「月……あなたたちの星? どういうこと?」
「そうだね、順を追って説明しなきゃならないかな。ボクはアメツチノオオワカノミコ。今はこんな姿をしているけれど、ちょっと事情があってね、これは仮の姿。『竹取物語』は知ってるかい?いわゆるかぐや姫のお話なんだけど、そのかぐや姫をお迎えに上がった従者の子孫なんだ。つまり、現代風に言うと、月面人ってことになるかな」
「月面人?」
「ちいちゃん、そんな奴の言うことなんて聞かなくていいから。そんな話信じられる訳ないじゃない。まして、月面人だなんて…」
 そんな突拍子もない話、信じられるわけもなく。わたしがそう言うと、ちいちゃんはわたしの方を見て、なんとも不思議な表情をした。寄り目に、額に若干の皺をつくり、何かを考え込んでいるかのよう。
「んと…。じゃあ、あなたは、あそこから来たの?」
 ちいちゃんはさっきまでアメツチノ…なんとかを撫でていた手をすっと窓の外に向けて伸ばし、高い夜空に煌々と輝く、まだほぼまん丸に近い月を指さした。
「そうだよ。あそこから来たんだよ」
 その返事を待って、ちいちゃんはすっと、一つ溜息をついた。
「そ、そうよね、そんなの信じられないわよね…」
 わたしは、ちいちゃんにそう言った。わたしが変な人だと思われたらどうしよう。と、それしか考えつかなかった。
 と。
「すごーいー! わたしたち、月の人とお話してるの? 信じられない、ううん…信じちゃう!」
 わたしは思いっきりずっこけた。信じるんですか。本当に信じるんですか?
「そうだよ、月の人……まあ、そう言う言い方でも間違ってはいないかな。えっと、こういうのって、この時代のキミたちの言葉でなんて言うんだったかな。『第三種接近遭遇』っていうのか。いわゆるそういうヤツだ。
 で、本題に入るんだけど、今月は死にかけている。月のパワーが落ちかけているんだ。このままでいくと、月は地球の惑星ではいられなくなる。地球から離れてしまう。もしそうなったら、もちろんボクたちは困るし、地球にとっても大変重要な問題が発生することになる。
 海の満ち引きは月の引力の影響だっていうのは聞いたことあるかい?それ以外にも月があるから起こる自然現象は沢山ある。人間に与える影響も甚大だ。
 そうならないためにも、今手を打たなければならないんだ。協力してくれないか?」
「ち、ちいちゃん…?」
 ちいちゃんは、その大きな瞳をわたしの方に向けた。その目は潤んでいる。
「瑠璃ちゃん! わたしたち、地球を救うんだねー! 瑠璃ちゃんには、その力があるんだって! お手伝いしてあげようよ」
 両手を握りしめてわたしに訴えかけてきた。さっきまでの大人びたちいちゃんはどこへ行ったの?
「え…だけど…」
「世界平和のためだもの、やるわよね? もちろんやるわよね?」
「え…あ…はい」
 ちいちゃんの勢いに押されて、わたしは思わずそう言ってしまった。
「よかったわね、アメツチノオオワカ…ミコミコさん?」
「アメツチでも、オオワカミコでもいいよ。ちいちゃん、ありがとう。本当にありがとう! これでボクも肩の荷がおりたよ。これで、地球と月の危機が回避できるよ。本当にありがとう。心からありがとう」
 ちいちゃんとアメツチはお互いに抱きしめ合い、感動の場面を演出した。わたしだけが置いてけぼりな感じ。だけど、それをやるのは、わたしなんですけど。
「わかった、わかったわ。それで、わたしは何をすればいいのよ? わたしはそんなに大それたことはできないわよ?」
「キミには、ちょっとした儀式をやってもらえばいいだけなんだ。それについては、ゆっくりと説明をするね。それに準備も必要だから、また数日したらここに戻ってくるよ」
「儀式? 痛いこととかはイヤよ」
「大丈夫。痛くもないし、痒くもない。体力使うことでもないし、心配しなくてもいいよ。でも、とにかく、キミにしかできないことなんだ。竹泉瑠璃さん。そして、キミにもお手伝い願おうかな。京茅衣子さん」
「わたしの名前知ってるの?」
「まあ、その理由は追々。じゃあ、ちいちゃん、瑠璃ちゃんのことはよろしく頼むね。また会おうね」
 そう言うと、アメツチはちいちゃんの膝上からすっくと立ち上がって、窓まで飛んだ。
「あ、そうそう、今日のことは誰にも内緒だよ。ボクと会ったことも、約束した内容もね」
 もちろん言いませんとも。言ったらわたしたちが精神異常を疑われます。と内心で返事した。
 アメツチはそのわたしの心の中を読んだかのように、小さく笑い(笑ったように見えた)、手を振るような仕草をしてから、窓の外へ消えた。ちいちゃんは、その後ろ姿を追うようにして手を振った。


(作曲:てけさん)

2013年7月20日土曜日

「竹取の」第4夜<夕月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)
 居間のドアを開くと、見知らぬ初老の男性がソファに座っていた。パパはその人の向かいに座っていて、わたしが部屋に入ると振り返って手を振った。
「おかえり。ああ……紹介いたします。これがわたしの娘で、瑠璃といいます。瑠璃、こちら作家の浦城光太郎さん」
「あ、いらっしゃいませ。初めまして。いつも父がお世話になっております」
 わたしは慌てて頭を下げた。浦城って今朝パパが言っていた文豪さん?
「どうも、お邪魔してます。竹泉さんの愛娘さんですね。浦城です。さっきからあなたのお話を聞いていたところですよ。可愛い娘さんだ。なるほど、これなら目に入れても痛くないはずだ」
 パパったら、一体どんな話をしていたんだろう。すごく恥ずかしくなった。さて困った。お客さん来てるんだったら、ちいちゃん達を通すわけにはいかないかも。と、躊躇していると、
「あらぁ?ちいちゃん来てたの?あら、そちらは?……」
 廊下から騒がしい声が聞こえてきた。ママだ。どうして、こんなに早く?
「いらっしゃいませ!遅くなりました。これから準備しますからね。あら…瑠璃おかえり。お友達連れてきたのね?英検どうだった?」
 ママは両手にスーパーのレジ袋を抱えて、嵐のように私の横を通り過ぎ、台所に駆け込んだ。
「あ……れ……」
「ん……? お友達来てるのかい?お通ししなさい」
 台風一過を見届けた後、パパは上機嫌な声でわたしにそう言った。
「あ……う……うん、いや、あの……お客さんがいるし……」
 わたしが戸惑っていると、浦城先生が気を遣って手を挙げた。
「ああ、ボクなら構わないよ。どうぞ。むしろ、急にお邪魔して申し訳ない」
「あ、いえ、とんでもない。ほら、瑠璃、お通ししなさい」
 わたしは廊下にいるちいちゃんと亮くんに目配せして、居間に通した。
「わたしの友達で、京さんと、だ、段逆…く…さんです」
「こんにちはー!瑠璃ちゃんのお友達の京茅衣子ですー」
「はじめまして、段逆亮と申します」
 なんだか、予期しない展開で慌てるわたしに対して、落ち着いていつものペースなちいちゃんと亮くんだった。そこに、ママがトレイにビールを載せて台所から戻ってきた。
「浦城先生、今晩一緒にうちでお食事をって、パパがお誘いしてきたの。よかったら、ちいちゃん達も一緒に食べていかない?って言っても、ほとんどうちのお総菜だけど」
「あ、いえ、お邪魔でしょう……」
 それに、遠慮しようとする亮くん。
「じゃあ、お言葉に甘えて、お邪魔しまーす」
 と、ちいちゃんが被せてきた。勢いはちいちゃんの勝ちの様子。
「おま……」
 劣勢の亮くんは、こそこそと、ちいちゃんに文句を言った。
「だって、楽しそうじゃーん」
 ちいちゃんは同じくこそこそと亮くんに言った。
「もしよかったら、一緒に話しでもしないか? ボクには子供がいなくってね。竹泉さんに高校生の娘さんがいるって聞いてね。是非お話させていただきたいと無理に頼んだのは、ボクのほうなんだ」
 浦城先生がすまなそうな顔をしてそう言った。じゃあ、元々わたしに会いにっていう意味かしら。文豪さんに何も話すことなんてないのに。
「いえいえ。最初にお誘いしたのはわたしですし。お気になさらずに」
 パパも、パパよね。そんなこと言われたって、わたし困るのに。とは口には出せず。いくら仕事とは言え、そんなことまで引き受けなくてもいいのに。
「じゃ、じゃあ……わたしママのお手伝いしてくるから、ちいちゃんと亮くん、座ってて」
 そう言って、その場を去ろうとした。
「じゃあ、わたしもお手伝いしまーす」
 と、ちいちゃんもわたしに着いてきた。残された亮くんはパパに勧められて、ソファに座った。最初浦城先生の隣を勧められたが、断って、パパの横に座った様子。
「ちいちゃん、亮くん大丈夫かな?」
 台所に入って、わたしは心配そうにそう聞いた。
「だーじょうぶ。本当は内心喜んでるはずよー。だって、亮くん、浦城先生のファンだもの。結構色々読んでたみたいよ」
「へぇ、そうなんだ。ファンなんだ? わたしは浦城先生の本読んだことないわ」
「わたしもないよー。映画を一つ観たかなー?おばさん、どこからお手伝いすればいいですかー?」
「あらぁ、助かるわ。じゃあ、これとこれを盛りつけしてもらえる?お皿はそこから出して」
 ママはてきぱきと準備をしつつ、ちいちゃんにも指示を出した。
「瑠璃はこれ持って行ってあげて……えっと……」
 ママは、ペットボトルのウーロン茶とコップののったトレイを指さした。
「段逆亮です。亮ちゃんでいいですよー。わたしの従兄妹なんですー」
「あら、そうなの? 道理で似た顔してるって思ったわ。ご兄弟なのかと思ったわ。従兄妹さんなの? じゃあ、瑠璃、亮ちゃんにそれ持って行ってあげて」
「う、うん……」
 なんかすっかりちいちゃんのペースだった。というか、こんな展開になるなんて思いもよらず、わたしは一人浮き足立っている感じだった。
「……そうか……それも読んでくれてたのかい。嬉しいね。ボクの読者は中高年が多くてね。まさか高校生でそこまで読んでくれてる子がいるなんてね……」
 わたしが居間に戻ると、浦城先生が嬉しそうに亮くんと歓談していた。
「先生のお話は造詣も深く、しっかりとした資料調査を元に豊かな想像力が加味されていて、意外性もあり最後まで飽きさせない展開を持続させる力があります。毎回楽しませていただいております。それに、先生の文体は比較的お若い。正直僕は、もっとお若い方だと思っていました」
 亮くんは、まるで大人のような言葉を操り、浦城先生と対等に話をしているようだった。なんか素敵。横でぽかーんと口を開けて座っているパパの方がまるで子供のよう。あたしは、二人の言葉を遮らないように、そっとウーロン茶の入ったコップを亮くんの前に置いた。
「あ、ありがとう」
「いえ……かえってごめんね」
「ううん、ぜんぜん。嬉しいよ、先生に会えて」
 近くで見ると、亮くんは緊張している様子だった。そりゃそうよね。
「そこまで褒められると、なんていうかこそばしいというか。でも、どうだい? 同年代の子でボクの作品を読んでいるような子っているかい?」
「……そうですね、正直言って、少なくとも僕のクラスにはいないですね。ただ、学校全体だったら……数名くらいはいるかも知れません。少なくとも図書館には先生の蔵書は山のように並んでいますから」
「だよね……」
 浦城先生は溜息混じりにそう言って、
「実は少し前から高校生を主人公とした作品を依頼されていたんだが、子供もいないし親戚にもそういう知り合いがいなくってね。また、作家家業って意外に交際範囲は狭くってね、たまたま知り合った竹泉さんが高校生の娘さんをおもちだと聞いてね。これに飛びついたのはホントなんだ」
 わたしは横でそんな話を聞いて、まるで人体解剖されるために、両手両足を縛られて、手術台に載せられているイメージを想像した。そんなことのためにこの人を連れて来たなんて。パパに文句の一つも言いたくなった。
「そう言えば、先生の作品には若い登場人物は少ないですね。『暴かれた宗教シリーズ』も大学生が主人公でしたね」
「そうそう……それで…」
 わたしはその辺で居間を辞した。台所に入ると、ちいちゃんとママは料理の盛りつけをしながら、楽しそうにお喋りをしていた。
「瑠璃。連休、一緒に遊びに行くんだって?いいわよ。行ってきたら?」
 いの一番に、ママからそんな言葉が飛び出した。ちいちゃんはわたしに小さくピースした。一体、どんな説得をしたのよ、ちいちゃん。
「パパには、ママから言っておいてあげる」
 そんな気前のいいママは初めて。だから、一体ちいちゃん、何を言ったの?
「あ、ありがとう……」
「じゃあ、これ、食卓の上に持って行って」
 ママは大皿に盛りつけたお総菜をわたしに手渡した。わたしはそれを受け取って、ダイニングのテーブルに置いた。続けて小皿や割り箸等を運んでいるうちに、大体の用意ができた。きちんと盛りつけられたお総菜は、意外にサマになっていた。ママのスーパーのお総菜コーナーは近所でも有名で、有名な割烹がテナントでも入っていた。
「大したものじゃありませんけど、ご飯の用意ができましたわ。どうぞこちらへ」
 用意が整うと、ママは居間の3人を呼んだ。パパはすでに結構できあがっていた。頬が紅い。亮くんも紅潮している様子だけど、これはお酒のせいではなく、浦城先生と話が盛り上がっていたからみたい。浦城先生と亮くんの話は途切れることなく、そこにパパが相の手をいれるようにして、そのままダイニングに集まった。
「……それで、『古事記』によると、ツクヨミノミコトが……」
「では、先生はどこまでが史実だとお考えですか……?……あ、すみません」
 席についてもしばらくそんな感じで話が続いていたのを、亮くんが話を遮った。このままだと、ずっと待たされることになりそうだった。
「では……そうだな……」
 パパは、今日の来賓の顔を見渡して少し考え込んでから、
「今日の出会いに乾杯」
 と言って、コップを差し出した。わたしにとってはなんとも奇妙な宴会が始まった。
 席は移動しても、会話の主なところは、浦城先生と亮くんで、やっぱりパパはそこに相槌を打つ役。よくよく聞いてみると、亮くんは浦城先生に質問を投げかけ、浦城先生はそれに答えるような感じの流れのよう。亮くんも高校生としてはかなり知識を持っていると思っていたけれど、さすがにベストセラー作家、浦城先生はその何倍もの知識量を誇るようだ。それでも、すでにパパは話についていけていない様子で、それについていける亮くんはすごいと思った。
 対して、ちいちゃんとママは和やかに、「このお総菜はどこの割烹ですか?」とか、「ここの食材はいいですよね」とか、会話が弾んでいた。さすが将来家業を継ぐ覚悟を決めているちいちゃん。これはこれで尊敬に値する。
 わたしはわたしで、どちらの話にもついていけず、ただパパと同じようにどちらかの話にうんうん頷いているだけ。
 浦城先生と亮くんの話の流れは、古典文学から、SF、ミステリーと様々な分野に飛んでいた。亮くんは、まるで乾燥したてのスポンジのように、知識の泉をできるだけ多く吸収しようとするかのごとくに、必死に浦城先生に食いつき食らいついているかのよう。そして、その話にはわたしはさっぱりついていけなかった。
「……それでね、パパ。今度の連休なんだけど、ちいちゃんたちと瑠璃が海の方まで遊びに行きたいって言うんだけど。いいわよね?」
「連休? 誰か着いて行ってくれる人いるのかい?俺は連休中はダメだぞ」
「分かってるわよ。わたしも出勤。もうこの子達も高校生よ。大丈夫でしょ」
 両親の仕事のせいもあって、子供の頃から休日は一人で過ごすことがほとんどのわたしにとっては、両親が連休に一緒にいてもらえることは滅多になく、期待もしていなかった。
「ボク、が行きましょうか?」
 と、意外なところからボランティアの申し出があった。浦城先生だった。
「今度の連休は別荘で書き物の予定でね。ほら、編集部も休みに入るから、五月蠅いのもいないのでね。別荘も海の近くだし、みんなが泊まる部屋もある。場所柄、高校生が楽しいところかどうかはちょっと微妙だけど。ちょうどこの前買った車の馴らしもしたかったことだし」
「いやいや、先生、そんなこと頼む訳にはいきませんよ」
 そりゃそうよね、いくらお得意様だって、一応他人様だし。そんなこと頼めるわけないわよね。
「信用…されてませんか…?」
 浦城先生は突然悲しげな顔をした。
「いや、そういう意味じゃありませんよ。けっして」
「さっきも言いましたが、ちょうど高校生を主人公にした話を書かなければならないんですよ。お嬢さんとこちらのお友達なら、ちょうどうってつけなんです。しかも、段逆くんは、わたしの本を読んでくれている。きっといいアドバイスをしてくれそうだ。これは、ボクからのお願いです。一緒に行かせていただけませんか」
 浦城先生は、テーブルに手をついて頭を下げた。さすがにそこまでされたら、という様子でパパとママは呆れ顔でお互いを見た。
「いや、お…僕は、そんなアドバイスだなんて…荷が重すぎます」
 亮くんはいきなりの責任を背負わされてキョドった。
「そこまで言われたら……ねぇ……では、浦城先生、お願いします」
 最初に先生に頭を下げたのは、ママの方だった。
「あ……お願いします」
 パパもそれに習った。
「ありがとうございます」
 浦城先生はそう言って頭を上げた。笑い顔がまるで無垢な青年のように破顔していた。
「わーい。よかったね、瑠璃ちゃん」
 ちいちゃんはそう言って、両手を叩いて喜んだが、わたしは心中複雑だった。いくらパパのお得意さんだって言っても、全く知らない人だし。亮くんと一緒に旅行できるのは嬉しいけど、初めての遠出がお泊まりとか、恥ずかしくもあり。特に、わたしの意志と関係ないところでトントン拍子に話が進んでいくのがすごくイヤだった。イヤというより不安に近い感じ。まるで何か別の人の意志が働いてこんなことになってしまったかのように。考え過ぎなのかも知れないけれど。
「ね、ね。瑠璃ちゃん、ちょっといい?」
 そんなこんなで、連休に浦城先生の車で海に行くことが本決まりになったところで、ちいちゃんがわたしに小さく合図してきた。わたしたちは一緒に廊下に出た。
「どうしたの?」
「ちょっと話があるんだ……。できればみんなに聞かれたくないの」
「じゃあ、わたしの部屋に行く?」
「うん、ごめんね」
 わたしたちは、一緒に階段を上がり、わたしの部屋に向かった。
「瑠璃ちゃんの部屋に入るの久しぶりね」
「前と全然変わってないわよ」
「マツケンのポスターまだ貼ってるの?」
「それ、いつの話よ。もうないわよ」
「あれー?そうだったっけー?」
 なんて、どうでもいい話をしながら、わたしたちの部屋の扉を開けた。外はもうすでに暗くなっていて、月明かりが窓を照らしていた。部屋の照明をつけようとスイッチに手を伸ばそうとした時。
「なにあれ?」
 ちいちゃんが悲鳴にも似た声をあげた。それにつられて、わたしも窓を見た。そこには、夕べ見た夢の……いや、夢ではなかったのか、あの生き物、アメツチが昨日と同じように月明かりを背に、その大きな瞳をわたしたちに向けてじっと座っていた。


(作曲:てけさん)

2013年7月19日金曜日

「竹取の」第3夜<三日月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 英検のテストが終わった後、わたしたちは玄関先で再集合した。
「何食いたい?」
 3人が揃うと亮くんがまず聞いた。さっきは朝食をとったから大丈夫と返事をしたわたしだったけど、実は試験最中お腹がなりっぱなしだった。やっぱり昼を抜いたのはマズかった。試験会場が別々で良かったと心から思っていた。
「お好み焼きー!」
 いの一番にちいちゃんが手を挙げた。
「竹泉は?」
「うん、わたしもそれでいいよ」
「わーい。じゃあ、そうしよー」
 ちいちゃんは先頭を切って市民会館を出た。朝昼抜きなら、相当お腹が減っているのだろう。ちょっと駆け足気味ともとれる感じだった。特に普段ののんびり屋さんを見てるだけに、亮くんとわたしはお互い顔を見て苦笑いしてから、ちいちゃんの後を追った。
「竹泉は本当にお好み焼きでいいのか?」
「うん、いいよ。亮くんこそ、いいの?」
「俺は好き嫌いないから。ところで、竹泉、試験どうだった?」
 少し早足でちいちゃんの後を追いながら、亮くんはそう尋ねた。
「うーん。わかんないけど、とりあえず欄は全部埋めたって感じかな。亮くんは?」
「まあ、五分五分ってところかな」
「亮くんが五分なら、わたしはダメかも」
「そんなことないよ。この前の練習本、3人の中で一番良かったじゃん」
「たった一回だけじゃない。他は亮くんダントツだったし」
「俺、本番に弱いんだよな」
 亮くんはそう言って頭を掻いた。謙遜なのは明らかに分かる。
「はーやーくー!」
 だいぶん先に行ってしまった、ちいちゃんが振り返って、大きく手を振った。
「おーい。そっちじゃないぞ!ここ、右!」
 亮くんは交差点で立ち止まって、ずっと先にいるちいちゃんに向かって叫んだ。ちいちゃんはちょっと悲鳴にも似た叫び声を上げて、こちらに駆けて戻ってきた。亮くんは、それを待つでもなく、交差点を右に曲がった。わたしはちいちゃんを待ってそこにとどまる。すぐにちいちゃんがやってきて、息を切らせながら、
「もう、亮ちゃんてばー、もっと早くに言ってくれればいいのにー」
 と、ほっぺをふくらませて文句を言った。わたしは苦笑いしたままちいちゃんに並んで亮くんの後を追った。
「亮くんって、ちいちゃんには厳しいよね」
「そーなのー。昔っから、あんな感じー。お兄さん面してさー。誕生日2ヶ月しか違わないのにさー」
 厳しいながらに、ちょっとした気遣いがあるのはわたしは気づいていたけれど、表だっては辛口なことしか言わない。脇で見てる分には漫才コンビのようで面白いのだけれど、時々あ・うんの呼吸とかもあって、妬けちゃうこともある。だって、従兄妹同士って、結婚できちゃうんだもの。
 お好み焼き屋「神野」の前で、亮くんは待っていた。地元でもおいしいと評判のお店だ。お店のオーナーが広島出身だとかで、結構本格的な広島風お好みを出している。わたしたちが着くと亮くんは扉を開けてくれて、先にわたしたちをお店に入れてくれた。
「お腹ペコペコー」
 人気のお店だけれど、さすがに昼過ぎの店内はお客さんもまばらだった。ちいちゃんは手前の開いているボックス席にどっかり座り、早速メニューをめくった。よっぽどお腹が減っているのだろう。
「わたし、広島ミックスー!」
 店員さんが注文とりに来る前にもう注文を決めてしまった。早っ。わたしはちいちゃんの隣に座り、メニューを受け取った。とは言っても、わたしたちがここに来る時は、9割方「広島ミックス」を頼むのだけれど。
「俺も、同じので」
 向かいに座った亮くんは、メニューも見ずにそう言った。
「じゃあ、わたしも…。の、飲み物はどうする?」
 亮くんは向かいでも、わたしに近い方に座ったから、真っ正面から見つめ合う感じになって、わたしはドキっとした。
「ジンジャーエールー」
「俺、コーラ」
 ようやく奥から出てきた店員さんが、水とおしぼりを持ってきた。
「ジンジャーエールと、コーラと…あと、広島ミックス3つで? あと…?」
 店員さんはわたしたちの話を聞いていたらしく、素早くメモをとってからわたしを見た。
「えっと…。ウーロン茶でお願いします」
 店員さんは、元気に注文を繰り返して奥に消えて行った。わたしはメニューを元に戻すと、みんなにお箸やお皿を回したりしていたけど、正面を向くと亮くんに目が合うので、なんとなく目を逸らしてるうちにちいちゃんの髪の毛が気になった。ちいちゃんの髪はきれいなウェーブのかかったロングヘア。昔からの天然パーマ。しかもちいちゃんは学校一の美人さん。少々日本人離れした顔は、目鼻立ちがはっきりしていて肌は色白。それでいて、あどけない少女の部分をまだ残しているところが、女子にも反感を買わないところみたい。時々ハーフと思われるんだけど、ご先祖さんの話を聞く限りでは全く純粋な日本人らしい。
 そんなこともあって、うちのクラスでは男子からは一番人気。気にしている男子が何人もいるのは公然だった。亮くんがやっかみの対象になるのは勉強ができるってことだけじゃなく、このかわいい従兄妹と仲良くしているせいもあるんだとわたしは思っている。そういえば、亮くんも大和民族とは思えない、キリリとした顔つきをしている。ふたりとも黒髪ストレートヘアで地味目のわたしとは対照的。
「ちいちゃんの髪、綺麗だよね」
 わたしはなんとなくちいちゃんの髪を撫でてみた。
「ぜんぜーん綺麗じゃないよー。朝なんて手入れ大変だし、そのまま放っておくとボーンって膨らむし。瑠璃ちゃんみたいなストレートがいい。瑠璃ちゃんの髪は艶があって綺麗だよ。三つ編みしてたころなんて、かわいかったのにー」
「へぇ、竹泉って、三つ編みにしてたんだ?」
 向かいで頬杖ついていた亮くんが珍しく髪型に興味を示した。
「中学生まで、ずっと三つ編みだったんだよー。腰まで伸ばしてね。かわいかったよー!」
 ちいちゃんは、輝くような顔でそう言った。いや、かわいいという形容詞はわたしじゃなく、ちいちゃんにこそ相応しいと思うの。
「見てみたかったな」
「いやいや、ぜんぜーん、かわいくないですから。やめてよね、亮くん」
「今度卒業アルバム見せてあげるー」
「もう! ちいちゃんまで!?」
 どうしてこの従兄妹達は、こういう時には結託するのか。
「おまたせしました! 広島ミックス3つです」
 そこにタイミングよく、店員さんがアツアツのお好み焼きを運んできてくれた。テーブルの上の鉄板にお好み焼きをのせると、ジューという音と共に、香ばしいにおいが漂った。
「わーい! いただきます!」
 早速ちいちゃんはへらを取り出して、自分のお好み焼きを切りとって口に入れた。熱そう。
「んー。おいしい!」
 亮くんも同じように鉄板からへらで食べている。おいしそうに食べるなぁ。わたしはわたしで、へらで切り分けてから一度お皿に盛ってからさらに切り分けて冷ましておく。二人がもう二口も三口の食べた頃にようやく一口目を食べ始める。
「もう冷たくなってんじゃね? 熱いうちに食べないとうまくないじゃん?」
「瑠璃ちゃんは猫舌だから仕方ないのー。いいじゃない、好き好きなんだからー」
「ごめんね、食べるの遅くて」
「瑠璃ちゃんが謝ることないよー。やけどしないように気をつけてねー」
「うん、ありがと」
 結局、二人が食べ終わった頃でも、わたしはお皿に半分くらい残った状態だった。瑠璃ちゃんはいつものことと慣れた顔をしていたけど、亮くんは少し退屈そうな顔をしていた。わたしは焦って、一所懸命に残りを片付けようとしていた。
「そういえば連休ってどうするのー? 何か予定入ってるー?」
 ジンジャーエールを飲み干してからちいちゃんがそう尋ねた。
「別に。多分、予備校通いかな。一応連休中も自習室開いてるみたいだから」
「えー、勉強するの? どっか行こうよ? 高校生最後の大型連休だよ!」
「おい、俺たち、受験生だぞ。大型連休ってったって、夏休みに比べたら短いじゃんよ」
「だって、夏休みこそは、お勉強しなきゃでしょ?」
「ちいは、夏休みは勉強するつもりなのかよ?」
「しないけどー」
 わたしは黙って二人の話を聞いていたけど、そういえば、二人の進路って、聞いたことなかったなと思って、
「ふたりは、もう受験する大学とか決めたの?」
「わたしは、大学行かないよー。花嫁修業するんだー」
「はなよめって……」
「相手はいないけどねー。うふふ…。なーんて冗談。卒業したら、うちの会社お手伝いするんだ。もう決めてるの」
「こいつん家、自営業やってんだ。食品関係の卸とか」
 自営業らしいのは知っていたけど、卒業したら家業継ぐってことまでは聞いてなかった。いつもちいちゃんの家に遊びに行くと、ご両親がいないので、共働きだっていうのは知っていた。
「じゃあ、亮くんは?」
「うちの親はサラリーマンだからな。俺は、大学行くよ。多分、東京かどこか。国立狙うよ」
「そっかー。東京かぁ」
 なんか寂しい気もした。
「竹泉は?もちろん大学行くんだろ?」
「うん。地元の短大とかかな」
 地元にも短大ならわたしの成績でも行けるところがいくつかあって、それのどこかに行ければいいと思っている。両親も特にそれでも文句はないみたいだし。
 ということは、卒業後は、みんなバラバラになっちゃうんだ。先の話なのに、ちょっと寂しい気がした。
「連休、どっか行こうよ?」
 わたしは、ちいちゃんに乗っかった。何か思い出というか、そんなのが欲しかったのかも知れない。
「マジか。竹泉までそんな事言うと思わなかったぜ」
 意外そうな顔をして、亮くんはわたしを見た。
「おおー、いいねー! 瑠璃ちゃんものってきたねー! いこーいこー」
「分かったよ。じゃあ、前半か後半どっちかだけなら、付き合ってやるよ」
 亮くんがついに折れた。
「ちょっと待ってろよ、予備校のスケジュール見てみるから」
 亮くんは鞄の中から小冊子を取りだした。予備校のパンフレットのようだった。駅前にある予備校の名前だった。全国にある有名予備校で、東大に何人、京大に何人とか外壁にたくさん張られているのをよく見かける。やっぱり、全然レベルが違うなぁ。
「それ、亮くんの通ってるとこ?」
「そそ……えっと。そうだな、後半がいいかな。4連休の大半は自習スペースのみ解放だし、前半は授業もあるから。5月に入ってからにしようか」
「それ、いつも持って歩いてるの?」
「あ? ああ、スケジュール立てに必要だからさ。授業内容とかも書いてあるし」
「じゃあさー、どこ行くー?」
「そんなに遠出はできないだろ? 近場でいいんじゃね?」
「海行きたいなー」
「海って…夏休みじゃねぇんだぞ。それに、日帰りじゃ無理じゃん」
「瑠璃ちゃんと一緒って言ったら、お泊まりでも許可下りると思うんだけどなー」
「俺が無理」
「じゃあ、亮くんも誰か男の子誘えばいいじゃーん」
「いねぇよ、そんなの」
「泊まりは、わたしがダメかも…」
 今までそんな話をしたことがないから分からないけど、パパが外泊を認めるとは思えなかった。いくらちーちゃんと一緒と言っても。
「えー、そうかなー。じゃあ、わたしが瑠璃ちゃんのご両親を説得するよー」
「泊まりはさー、また別の機会にして、他のとこにしないか?」
「やだやだやだやだ、海がいいのー!お泊まりがいいのー!」
 珍しくちいちゃんが駄々をこねた。
「分かった、分かった。検討するよ。俺も一応親には聞いてみるけど。でも、それでダメだったら諦めろよ」
「亮ちゃんとこのおばさんは問題ないよ。わたしが裏工作するから」
 裏工作って、どんなことをするつもりなんだろう。
「それより、瑠璃ちゃんのママには、わたしから言うよ?」
「ま、まあ、その…機会があれば…ね」
 わたしは、ちーちゃんの迫力に押され、背をのけぞらせた。
「今日行くもの。連休はもうすぐじゃない。今日、帰りに瑠璃ちゃん家寄っていく!」
「おいおい、ちい、そんな急に迷惑じゃないか?」
「遊びに来るのは構わないけど…ママも今日は仕事だし、パパも接待だから、二人とも帰りは遅いかもよ?」
 ちいちゃんがうちに遊びに来るのは珍しくはなかったけれど、急にそんな話になったら、二人はどういう反応をするだろうか。
「じゃあ、俺も一緒に行くよ。そしたら、帰り遅くても、俺がちいを送っていけるから」
 亮くんは、黒縁眼鏡を上げながらそう言った。なんだか話が急展開すぎて。しかも、亮くんがわたしの家に来るのは初めてなのに。わたしの胸が高鳴った。
「じゃあ、それで決まりね!」
 ちいちゃんは、鶴の一声というのだろうか、そう言って本決まりになってしまった。
 わたしが広島焼きに手こずってしまったのと、連休の話題に盛り上がってしまったため、お店はお客さんで混み始める時間になってしまった。わたしが全部食べ終わると、急いで会計を済ませて店を出た。
「一応、電話してみるね」
 多分この時間だとまだママは帰宅していないはず。もしかしたら、パパが帰ってきてるかどうかというところ。自宅の番号を選択して携帯で電話してみる。5コールくらい鳴らしてみたが、誰も出なかった。
「とりあえず、行ってみよう?」
 ちいちゃんはそう言って、先頭切って歩き始めた。
「ちいちゃん! 道逆! こっち」
 
 自宅に着いた頃には、陽がだいぶん傾いてきた頃だった。それでも確実に夏に向かっているのが分かるくらいだった。
「だいぶん、日が長くなってきたわね」
「だねー」
「瑠璃ちゃん家、ここだよー」
 ちいちゃんは、自慢げにわたしの家を指さした。
「何度曲がり角を間違えそうになった?ちい、何度も来てるんだろ、ここ?」
 亮くんもつっこみは忘れなかった。ちいちゃんはテヘヘと笑った。
「あ、パパの車……」
 自宅のカーポートには、パパの車が置かれていた。ということは接待から帰ってきたのか。あまりいいタイミングじゃないような気がした。
「へぇ、いい車乗ってるな。外車じゃないか」
「パパ、外車の販売してる人なの」
「そうなんだ?」
「かっこいいよねー、この車」
「どうぞ、入って」
 わたしは、ドキドキしながら、二人を家の中に招いた。
「あ」
 玄関には見慣れない靴があった。男性のものと思われる革靴。それに、リビングから、パパと誰か男性の声がした。
「誰だろう?」
 わたしは一抹の不安を抱えながら、家に上がった。

(作曲:てけさん)

2013年7月15日月曜日

「竹取の」第2夜<既朔>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

朝目が覚めると朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。わたしはベッドから起き上がるとそっと窓に近づいて、恐る恐るカーテンを開いてみた。はたしてそこには昨日の奇妙な生き物はもういなかった。
 夢だったのかな。……に、してもリアルな夢だったなぁ。とても幸福な夢とは言えない。
 時計を見るとまだ6時前だった。昨日半端に終わらせた、単語チェックの続きをしよう。にしても、昨夜のあれは何だったのだろうか。夢にしてはリアルすぎるし、わたしにその手の創作能力があるとは到底思えない。特にSF好きって訳じゃないし、発想力がある方ではない。
 翻ってあれが現実だったとしたら、ファンタジーすぎる。月面人とか言ってたような気がするけれど、つまり宇宙人ってこと?あり得ない。わたしは妄想を一蹴して、単語帳を開いた。
けれど、なかなか集中することができなかった。どうしてもあの生物の姿が脳裏から離れない。わたしは頭を掻いた。
「顔洗ってこよう」
 わたしは階下に降りて、洗面所に向かった。階段を下りると、パパに鉢合わせした。パパもまだパジャマ姿だった。ちょうど玄関から新聞を取りに行った帰りだった様子。片手に新聞紙を持って寝癖のついた天パーの髪をかしかし掻いていた。
「おお、瑠璃。おはよう」
「おはよう」
 わたしはそっけなさそうに返事した。パパは嫌いじゃないけど、思春期特有のアレというか、パジャマ姿で鉢合わせした恥ずかしさというか、そのまま洗面所に駆け込んだ。
「随分早いんだな」
 パパはそのまま廊下に居座った。新聞を広げる音がする。洗面所の扉は閉まったままだったので、籠もった声が聞こえてきた。それなりに娘に気を遣っているつもりなのだろうか。数年前までなら、そのままづかづかと洗面所に入ってきて、お喋りと続けただろうけれど、何年か前にわたしがここでキレたことがあって、それ以来、わたしの部屋にも無断で入ることはなかった。
「英検」
 それでも、別に仲が悪いという訳でもなく、わたしはフツーに返事をする。
「そっかー。日曜なのに、大変だな」
 わたしはカチューシャで前髪をまとめてあげ、蛇口を捻った。額のニキビが少し増えてきたのが気になる。昨日チョコ食べ過ぎたせいかな。さっきまで目覚ましに軽く水を浴びる程度にするつもりだったのだけれど、わたしは洗顔料を取り出して泡を立て始めた。駅前に新しくできたコスメショップで買ってきたばかりのもので、自然の成分だけですから肌にいいんですよとにこやかに応対してくれたお姉さんが勧めてくれたものだ。説明書の通りに液体を手に取り、両手で撫でていくとすぐにふわふわの泡になった。
「パパこそ、今日日曜日なのに早いのね」
 わたしは泡を立てながら、扉の外で新聞を読んでいるパパに聞いてみた。いつもなら日曜日は昼間で寝ているのが習慣だから、お互い珍しい光景ではあるのだけれど、特に何かの返事を期待していた訳ではないけれど、そこでウロウロしているということは、何か話したいことがあるのかも知れないと思って、話を合わせてみた。
「ああ。今日は接待ゴルフなんだ。7時には家を出なきゃならない」
「そう。日曜なのに、大変ね」
 大量の泡をせっせと作りながら、わたしはオウム返しに答えた。撫でれば撫でるほど泡が立つ。少し楽しくなってきた。
と、なんとなく作っていた泡が、まるで生き物のような形になって、夕べのあの月面生物のように見えてきた。
「ああん…もう」
 せっかく忘れかけてきたのに、またあの記憶が蘇った。わたしはその泡を両手で潰してそのまま顔に撫でつけた。
「ん?どうした?」
 パパの心配そうな声が聞こえたが、あわあわの顔では返事ができない。
「んーん」
というのが精一杯。
「大丈夫か?」
 と言ったきり、パパは黙った。愛娘が心配なのは分かるけど、こんなとこで何かあったりはしないから、あんまり心配しすぎるのも困ったもので。わたしは急いで洗顔料で顔を洗って、水で洗い流した。その間、廊下ではウロウロする家主の物音がしているのをわたしはイライラしながら聞いていた。
「もう、大丈夫だってば!」
 さっぱりと泡を洗い流してからわたしはそう言った。タオル掛けからタオルをとってさっさと顔を拭いてから、カチューシャをつけたまま洗面所の扉を開いた。
「どうぞ」
 廊下でウロウロしている熊のような巨体にそう声を掛けた。パパは背中を丸めながら、
「あ、ああ……」
 と言って、所在なげにわたしと入れ替えに洗面所に入っていった。歯ブラシを取り出して歯を磨く音がした。
「あら?どうしたの?」
 わたしの声を聞いてか、ママが居間から顔を出した。
「あら珍しい、こんなに早くに」
 パパがゴルフに行くので、ママも早くに起きたのだろう。エプロン姿だった。
「目さめちゃって」
 わたしはタオルで顔を拭きながら答えた。
「英検、何時からだっけ?」
「1時。12時半に駅前で待ち合わせしてる」
 英検の会場は駅前にある市民会館で行われることになっている。ちーちゃん達とは余裕をみて30分前集合にしていた。それにしても、早く起きすぎた。
「パパと一緒に朝ご飯食べちゃう?そしたら、ママ助かるなぁ」
 部屋に戻っても集中できそうにないし、そうしようかな。
「わかった。食べる。ちょっと着替えてくるね」
「さんきゅー!」
 ママは陽気にそう言って、また居間に引っ込んだ。今朝はベーコンかな。香ばしいにおいがした。
 階段を上がりながら濡れた前髪を拭いた。
 わたしの家はいわゆるオーソドックスな日本の一般家庭。サラリーマンのパパとOL兼業主婦のママとわたしの3人暮らし。パパは自動車販売の営業マンで、ママは近くのスーパーでパートだけれど、マネージャーを任されている。わたしは今年3年生になったばかりの高校生。身長158センチ、背の順だと丁度真ん中くらいで、勉強も中の中。英語がちょっと得意なくらい。得意って言ったって、学年で上位に入ったことはない。高校も地元では中レベル。1年、2年の成績も「3」が綺麗に並ぶくらい中程度。引っ込み思案ではないけれど、特に社交的ってわけでもない。容姿だって、お世辞にも美人とは言えないけど、ブスと言われた記憶はない。極端に太ってはいないと思うのだけれど、二の腕と太ももがちょっと気になる程度にはスレンダーとは言えない。中学まで三つ編みにしていた髪の毛も、高校に入ってからはロングボブにした。中学の頃から視力が下がってきたから眼鏡を勧められて、でもなんとか裸眼で頑張ってみたんだけど、ついに去年から両親から強制的に眼鏡を与えられた。
 つまるところ、日本中のどこにでもいるような、極々フツーの女子高生なのがわたし、竹泉瑠璃(たけいずみるり)。
 部屋着に着替えて居間に戻ると、パパは先に朝食をとっていた。今日はベーコンハムエッグ。わたしも食卓の席に着いた。そう言えば、3人揃ってゆっくり朝食なんて久しぶりかも。
「英検の準備はどうだい?」
 パパは新聞から目を離さずにそう聞いた。
「パパ、新聞逆さ」
 わたしは居間に入るときに慌てて新聞を取り上げたパパを目撃していた。さっき冷たい態度をとったから気にしてるのかしら。
「ああ…。そ、その…クロスワードパズルがな…」
 なんて、慌てて誤魔化したつもりみたい。
「どうかしら……あんまり自信ないけど。半々くらいかな。受かるかどうか。2級は高校卒業までにとれればいいって思ってるから、あんまり気にしてない」
「そうか。パパも、2級とったのは高校卒業してからだからなぁ。はっ、はっ、は」
慰めているつもりなんだろうか、パパは乾いた笑いをした。
「ママは高校卒業する前にとったけどね」
 二人とも学生時代は英語がそこそこ得意だったと以前から聞いていた。ただ、得意と言っても、他の教科に比べればという程度だったみたい。ただ、若い頃は海外旅行に何度も行っていたこともあって、日常会話とかには不自由しないらしい。子供の頃、旅行のアルバムを何度も見せられたのを思い出した。
「そう言えば、今日はどなたとゴルフなの?」
 所在なさげにしているパパにママは助け船を出した様子。パパは新聞をテーブルに置いてにこやかに笑った。
「先日、うちの最高級車を買ってもらった作家さんだよ。浦城光太郎っていう」
「ああ、あの文豪さん?」
 ママは喜んでみせた。そう言えば、今年の春に久しぶりに臨時収入が入ったからって、お小遣いを奮発してくれたっけ。その人のおかげだったんだ。
「そうそう。『教会の秘密は地下にある』で有名な」
「ミステリー作家だったっけ?」
 わたしもその題名は聞いたことがある。確かわたしが子供の頃に映画化されたような気がする。
「そうそう。でも、ミステリー以外にもSFも沢山書いていて、古典文学をモチーフにしたものとか有名だよ。『源氏の君』とか、『竹取の翁の謎』とか」
竹取の…。また嫌なことを思い出した。
「ああ、『源氏の君』は読んだことあるわ。舞台が未来で、光源氏が主人公のお話だったわよね? でも、結構昔の作品じゃない? 浦城光太郎っていくつの人なの?」
「それが意外に若いんだよ。そうだな…俺より5つくらい上くらいかな」
「ええ?そんなに若いの?わたし、確か高校生か大学生になったばかりの頃よ、それ読んだの」
「学生時代にデビューしたって聞いたことがある」
「へぇ、そうなんだ?」
「そんな有名人が、この近くに住んでるなんて、知らなかったわ」
「俺も来店の時は全然知らなくってさ、商談中に名前を聞いたら聞いたことあるなって調べたら、浦城光太郎だって分かって、驚いたよ」
 盛り上がっている夫婦を横目にわたしは、コーンスープを冷ましていた。猫舌のわたしにはちょっと熱すぎた。
「ねぇ。あのさ…竹取の翁…って、かぐや姫の話?」
 本当はそんなこと聞くつもりじゃなかったのだけれど、ついつい聞いてしまった。
「そうだよ。かぐや姫のお話だよ。ただ、あれは、SFだったからね、全然違う話だけど。瑠璃、興味あるのかい?」
 パパは嬉しそうにそう聞いた。
「ううん…べつに」
 ようやく冷めたコーンスープに口をつけながら、わたしは答えた。これ以上は触れない方がいい。
「『竹取の……』って、どんな話だっけ?」
 わたしがうっかりその話にのってしまったので、今度はママが興味を示した。
「確か……竹取のおじいさんがかぐや姫を追って月に行くとかそんな話じゃなかったかな。実はかぐや姫が置いていった不死の薬を飲んで、月面旅行ができる時代まで生きていたとか、そんな話」
「若返ったおじいさん役を、キムジュンがやってた映画だっけ?」
「そうそう、それ!」
「結構映画化されてるわね」
「人気作家だからね。印税も凄いんだろうよ。今回の商談でも、すぱっと、現金払いだったからね」
「そんな凄い人にゴルフ誘われたの?」
「いや、誘ったのはこっちだよ。さすがに断ると思ったんだけど、快諾だったのさ。ゴルフ好きだとは聞いていたけど、車の営業マンなんかの誘いを受けるとは思わなかったな」
「じゃあ、頑張って、2台目も狙っちゃえば!」
「いや、さすがにそれはないだろう。でも、まあ、うまいことこうやって関係切れなければ、何年か後には……もしかしたら……」
 パパは顎に手をやって考え込んだ。パパの会社は外車を扱っているお店だと聞いたことはあるけれど、そんな有名人が来るようなところだったとは知らなかった。
「さて、そろそろ出かける準備するか」
パパは意気揚々と立ち上がって。寝室に入っていった。
「パパ、ご機嫌ね」
 わたしはこっそり、ママに言った。さっき何か、物言いたげに廊下をウロウロしたりしてたり、食卓についてもそわそわしていたのは、その自慢をしたかったからなのかも知れない。それならそうと言えば良いのに。でも、自らそれを自慢しないパパは嫌いじゃない。
 わたしが朝食を食べ終わった頃、パパはゴルフバッグを背負って寝室から出てきた。体格がいいだけに見た目だけはプロゴルファーのようだった。スコアは知らない。
「いってらっしゃい」
わたしが声を掛けると、パパは嬉しそうに微笑んで玄関に向かった。わたしは珍しく誇らしげにしているパパを見たのは本当に久しぶりだったかも知れない。わたしもそんなパパにほだされたのかも知れない、珍しく玄関まで出て行って、パパを見送った。何年ぶりだろう。
「頑張ってね」
ママと一緒に手を振って見送った。

 朝食を片付けると、ママはスーパーに出勤するために準備を始めた。わたしは自室に戻って昨日の続きを始めた。夕べのことは忘れたわけじゃないけど、少し気持ちに余裕ができたような気がして、単語帳に見入った。それから11時過ぎまでそこそこ集中できた。ママが出て行ったのさえ気がつかなかったくらい。朝から順調な滑り出し。意外に今日はいけるかもって思ってた。
けれど、部屋着からお出かけ着に着替えるまでに時間を要した。今日は私服であの人と会うと思うと、なかなか組み合わせを決めるのに手間取った。別にデートなわけじゃないから、そんなにおめかししていくわけにいかないけど、その辺のコンビニに行く時のようなラフな格好でも困る。できるだけ派手にならずに、でも嫌われない程度に。派手目は避けて、でも地味にならないように。元々派手ではないタイプだから、地味すぎると存在感がなくなっちゃうから。結局迷いに迷って、水色のブラウスにデニムのハーフパンツにした。快活さを出しつつ、清楚な感じを残したつもり。
 気がつけば、12時を少し過ぎたところ。お昼ご飯を食べてる時間はなさそう。ダッシュで向かえばなんとか間に合うくらいかな。急いで鞄に筆記用具と単語帳を詰めて、あ、っと、日差しも強そうだから、帽子も被って。急いで階段を下りようとして、一つ段を飛ばした。危ない危ない。お気に入りのローヒールパンプスを履いて、急いで鍵を掛けて家からダッシュした。
ちーちゃんと亮くんはすでに駅前に着いていた。
「ごめーん、遅くなった」
「全然。まだ3分前だよー。わたしたちも今着いたばっかりー」
ちーちゃんこと、京茅衣子(けいちいこ)はわたしの姿を認めると、手を振りながらいつものように間延びした言葉遣いで返事した。
「初めから余裕で集合だからな。そんなに急がなくてもよかったのに」
亮くんこと、段逆亮(だんざかりょう)は、トレードマークの黒縁の眼鏡を左手の中指で押し上げながら、いつものようにクールに言った。クールで端的な言葉だけれど、どこかで優しさがにじみ出ていた。わたしが額に汗をかいて来たのを見て、そう言ってくれたみたい。
「そもそも、女の子が遅刻してくるのは当たり前だし」
「えー、そんなことないよー。わたしはそんなに遅刻したりしないよー」
「ちいは、遅刻しない代わりに迷子になるからな。人一倍目的地に着くまでに時間がかかる」
「それでもちゃんと時間通りに着くからいいじゃなーい」
 ちいちゃんと亮くんは従兄妹同士。同じ年だけれど、亮くんの方が2ヶ月早生まれなのと、性格的にお兄さん役みたい。わたしはちいちゃんとは小学生の頃から仲良しで、高校までいつも一緒の大の親友。中学は隣の学区だったのが、高校が一緒だったこともあって、それからはいつも3人で行動することが多い。亮くんはうちの高校ではトップクラスの優等生で、どうして上のクラスの高校に行かなかったのか不思議なくらい。
 前にその質問をしてみたら、
「近いから」
 というのが理由だと言う。
「受験票持ってきたか?」
 亮くんは、わたしたちにそう聞きながら、自分の受験票を差し出した。今日2級を受験しようと言い出したのは亮くんだった。もちろん彼は余裕で受かる範囲だった。わたしもちいちゃんも英語は嫌いじゃなかったし、受験勉強にもなるからと二つ返事で応じた。特にわたしは、亮くんが受験の為に一緒に勉強しようと言ってくれたから、断るわけにはいかなかった。つまり不純な理由で本日の受験日を迎えたわけで。
「うん、持ってきた」
 わたしは、筆記用具の入ったケースに入れてあった受験票を取り出して亮くんに見せた。
「もちろんあるよー」
 ちいちゃんも、同じく鞄から票を取り出した。
「じゃあ、行くか」
 亮くんは踵を返して、駅前から市民会館に向かった。わたしたちもその後に着いて行く。まばらだけれど、高校生か大学生らしき男女がわたしたちと同じ方向に向かっていた。ある人は単語帳を眺めつつ。ある人は耳にイヤホンをしながら、ブツブツと英語らしき言葉をつぶやきながら。
「ねー、試験終わったらさー、帰りにミッシュハウス寄っていかない?」
「いいねー」
 ミッシュハウスというのは、駅前にあるアイスクリーム屋さんで、わたしとちいちゃんのお気に入りのお店だった。
「おいおい、もう試験終わった後のことかよ?」
 亮くんは振り返って呆れた顔でそう言った。
「だってー、頭いっぱい使ったら、糖分消費されるんでしょー?消費されたら、補充しなきゃー」
「糖の種類が違う。脳で消費されるのは、炭水化物から変化した糖質であって、砂糖の糖類じゃねぇ。砂糖取るだけじゃ、ただ太るだけだぞ」
「えー、そうなのー?」
 亮くんはとっても物知りだ。学校のお勉強もできる上に、雑学にも詳しい。でも、それを偉ぶらないことろが、好感度高いの。学校の生徒達は、いつも偉そうにしてるように言うけど、それは学年トップをひた走る亮くんへのやっかみであって、亮くんが他のみんなに偉そうにしている所はみたことがない。むしろ、普段学校では控え目なくらい。言葉が少ないってこともあるから、少し誤解されやすいってこともあるけど。
「まあでも、どうせ二人とも昼飯食ってないんだろ?どこかで昼飯食っていくか」
「そーそー。そうしよう。で、デザートはミッシュハウスでね」
「竹泉も弁当持ってきてないんだろ?」
 亮くんは、わたしの薄っぺらい鞄を見ながらそう言った。
「うん、でも、朝ご飯はちゃんと食べてきたから、終わるまでは全然大丈夫だよ」
「そうそう。朝ご飯大事。朝からブドウ糖がちゃんと脳内を駆け回れば、試験もばっちり。な、ちいもちゃんと見習えよ。お前、また朝昼抜きだろ?」
「えー、なんで知ってるのー?」
「昼前におばさんに電話したら、まだ寝てるって言ってた」
 そんな話をしている内に、わたしたちは市民会館に到着した。受験票を受付で提示して、会場図を渡された。残念なことに、3人ともにバラバラの部屋になっていた。
「じゃあ、また後でねー」
 わたしたちはそれぞれの部屋に移動した。

(作曲:てけさん)

2013年7月12日金曜日

「竹取の」第1夜<朔日>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 満月の夜、それは突然わたしの目の前に現れた。
 わたしは翌日英検2級を受験するために自宅で最後のチェックをしていた。ある春の夜、昼間は久しぶりの陽気で温かく気持ちよかったので、めずらしく窓を開けていたところに、それがちょこんと座っていたのだ。それは生物であることは確かなのだけれど、猫でも犬でもない、なんとも比喩しようがない生き物だった。四つ足で立つ姿勢は犬猫に似ているが、毛がなく、露出した白い肌は、たとえばスフィンクスのような、生物にありそうな皮膚のようなテクスチャを感じない。月明かりを反射させる、つるつるした表面は爬虫類のような鱗や甲殻とも違う異質なもののよう。固くもなく、柔らかくもない。強いて言うならば、プラスチック素材のような見た目であった。そして、哺乳類としては異様なくらい大きな目を持ち、こちらを見つめている。しかしながら、その異様さはわたしに恐怖を与えるどころか、むしろ安心感を与えるというのか、ほんわかした印象だった。まるで生まれたばかりのヒヨコが、刷り込みされた親を見るかのように。
「お月様を助けて」
 その生き物は、言葉を話した。
「……え」
 わたしは絶句した。人間以外の生き物に話しかけられるのは生涯初めてだった。小学生の頃にお友達が九官鳥を飼っていて、言葉を喋るということを聞いたことがあったけれど、結局その九官鳥に会えないまま卒業を迎えてしまった。その後、テレビで一度だけ九官鳥が喋る場面に出くわしたことがあるけれど、あれは喋るというより、鳴き声がなんとなくそう聞こえただけ、としかわたしには感じられなかった。
 ところがである。わたしの目の前に現れたその生き物は、きちんと言葉を話したのである。NHKのアナウンサーばりに正確な日本語で。オツキサマヲタスケテ。イントネーションも正確で、感情も籠もっていた。その瞳からは今にも涙が溢れてきそうな悲壮感さえ漂わせ。もし米アカデミー賞に生物部門があれば、必ずや今年の受賞はこの子であろうと確約できるくらいの表情だった。
 わたしはなんと返すべきかを悩んで悩んで、多分3分程度はそのまま硬直していたと思う。わたしとその生き物はその間、眼をそらすこともなくお互いを見つめ合っていた。わたしが何も答えずに黙っているのにしびれを切らしたのはその個体の方であった。
「あれ?日本語通じないのかな? Do you understand Japanese? 日本語話せますか? ニーホエシュオハンユイ? ハングゴル ハル ス イッスセヨ? ……」
 流暢な英語の後、何語だか分からない言葉を話し始めた。どうやら、各国語でその言葉を話せるかどうかを尋ねているようなのだけれど、わたしにはさっぱり分からない発音が続いた。その言語が、推定で50言語を超えたあたりで、わたしは口を開いた。
「日本語、日本語。日本語ハナセマス。英語モチョットデスケド」
 と、何故か日本人のわたしがカタコトで話す羽目に。
「ああ、よかった。じゃあ、この言葉で話すね。お月様を助けてください。お願いします」
「えっと……お月様って……あの、お月様でいいのかしら?」
 わたしは窓の外で煌々と光っている月を指さしてその方にお尋ねした。
「そう、お月様。月、ムーン。地球の衛星。日本では古来より、ツクヨミが神格とされ、『古事記』では黄泉の国から戻ったイザナギが禊を行った時に右目を洗った際に生まれたとされる。そのお月様」
 その方は、日本の故事よりの引用を用いる等してわたしに説明を施したが、高校生のわたしは『古事記』を歴史の教科書の一行でしか知らず、ツクヨミどころかイザナギでさえ知らない時分で、さっぱり言っている意味が分からない状態。
「え…っと…そのお月様を助ける…の? わたし…が?」
「そう、君が。君がお月様を助けるの」
「えっと、ごめんね、ぜんぜん意味が分からないんだけど。わたしがどうしてお月様を助けるの? っていうか、お月様を助けるとかぜんぜんムリだし」
「大丈夫、君ならできるから」
「いや、ごめん、ムリムリムリ。わたし、明日英検2級の試験なの。まだ単語覚えなきゃならないのあるし、明日いつもより早い電車に乗らなきゃだし、今晩は早く寝なきゃならないし」
「大丈夫だよ。すぐに済むからさ。そうだな…現実世界で3分もあれば、終わる話だよ。ボクが時間を止めている間に済ませてくれればいいんだ。君の体感時間だと、少しかかるかもしれないけれど、明日の試験には差し障りないようにするからね」
「時間…を止める?ちょっと、ごめん、理解不能。ってか、そもそもあなたが喋るところから、わたしわかんないって言うか、パニックっていうか」
 わたしは頭に両手を当てて頭を振った。なにこれ、夢? 誰か夢だと言って!
「そうだね、順を追って説明しなきゃならないかな。ボクはアメツチノオオワカノミコ。今はこんな姿をしているけれど、ちょっと事情があってね、これは仮の姿。『竹取物語』は知ってるかい?いわゆるかぐや姫のお話なんだけど、そのかぐや姫をお迎えに上がった従者の子孫なんだ。つまり、現代風に言うと、月面人ってことになるかな」
「月面人…?」
 わたしの脳みそはついにパンクした。オーバーフローっていうのか、両方の耳から脳髄がダラダラでまくっている感覚。竹取物語? かぐや姫? 英検のプレッシャーでついにわたしは頭がおかしくなったのかしら?
「そう、月面人。あそこから来たんだ」
 そう言って、アメツチ…なんとかは、器用に前足を月に向けた。
「ちょっと、タンマ。ストップ。タイム、タイム。現在この電話は使われておりません。他の方に当たってください。本日の営業は終了いたしました。またのお越しをお待ちしておりません。さようなら」
 わたしは、立ち上がって窓を閉めた。窓の外に鎮座しているアメツチは、悲しそうな目をこちらに向けたが、わたしは容赦なくカーテンを閉じた。
「寝よう…」
 わたしは、ベッドに飛び込んだ。きっと、夢だ、これは夢なんだ。

ED曲
(作曲:てけさん)