2013年11月13日水曜日

年内活動休止します。

 先月あたりからちょっと、身辺が騒がしくなり、なんとか続けて創作していこうと思ってましたが、なかなかメドが立たなくなってきたので、とりあえず年内休止とさせていただきます。  書ける時には、書き溜めておいて、年明けにでもまとめて更新させていただきます。

2013年10月13日日曜日

「Nコン!」第9コーラス目「家族!」

読むための所要時間:約5分

「真湖、ご飯よー!」
 階下から母の呼ぶ声がする。
「はーい!」
 呼ばれて、居間に向かうとすでに父が食卓に着いて新聞を読んでいた。
「お父さんお帰りなさい」
「おう。ただいま。なんか、部屋で叫び声が聞こえたんだが?」
「うん、発声練習。合唱部に入ることにしたんだ」
「ほう、そうか。そう言えば、翔平も合唱部やってたんだったな。影響されやすいな、真湖は」
「真湖、部活なんかやってて、勉強大丈夫?」
 寛容な父に対して、スパルタママな母が最初に気にしたのはそこだった。
「大丈夫だよー。運動部みたいに、夜遅くまで練習するとかないし」
「そう? 紺上さんとこはもう塾に通い始めてるって聞いてるしねぇ……」
「灯と比較しないでよ。まさか、あたしが石東とか入れるとでも思ってる?」
「そりゃあ、岩東は無理にしても、行く高校ないとかなったら困るでしょ? 去年までは翔ちゃんに教えてもらえたけど、もう勉強みてくれる人もいないんだからね。しっかりしてよ。もう小学生じゃないんだし……」
「はいはい」
 真湖は適当に話を切り上げて、洗面所に逃げた。
「どこ行くの?」
「手ぇ、洗ってきますー」
「まったく……誰に似たんだか……」
 母は深い溜息をついた。真湖の両親は共に公務員の共働き。できれば娘も公務員にさせたいとは思っているのだが、真湖の小学生時の様子を思うに、このままだと、地元市役所だって危ない。いくら女の子とは言え、共働きが当たり前のこの世の中ではやはり学歴が大切だと母は思っている。
 逆に父は娘に甘い。もちろんできることならば公務員の方が安定はしているとは思いつつも、できれば、一人娘には伸び伸びと育ってほしいと願っている。あまりギスギスした性格になるくらいなら、多少学力がどうであろうと。今のところは父の思いが勝った育ち方をしているのだが、さすがに中学生ともなると、母の言い分が勝ってきており、自分に対する風当たりが強くなってきているのを真湖も感じてきているのだった。
「夜中にあんまり大声出すと、近所にも迷惑だからね、気を付けなさいよ」
 洗面所から戻ってきた真湖に母が苦言をおとす。
「大丈夫、隣、阿修羅だから、気にしないっしょ。いっただっきまーす」
 今晩のおかずは、真湖の大好きな肉じゃが。父も一緒に箸を付け始めた。


 一方、阿修羅の家。野球部の練習から帰ってきたばかりの阿修羅が居間に顔を出す。全身泥だらけである。
「ただいまー。今日のご飯なにー?」
「ちょっと、外でちゃんと服ほろってから入ってきなさいね! ユニフォームにまだ泥ついてるわよ!」
 妹たちにご飯を食べさせながら、母は怒鳴った。
「へーい」
「今日はとんかつだよ」
「やっほーい!」
「先にお風呂入ってきなさいね。用意できてるから」
「ほーい」
 阿修羅は言われた通りに、一度玄関を出る。母は苦笑した。
「本当に、お兄ちゃんったら、困ったもんでしゅねー」
 と、双子の妹達にご飯を順に食べさせる。阿修羅の妹たちは3歳になったばかりでまだまだ手がかかる。近所では肝っ玉母さんで通っているこの母も、ここ数年は妹たちの世話で手一杯だった。それでも、心優しい長男は手が空いていれば妹たちの世話を自主的に行うのがせめてもの救いだったのだが、野球少年の業というか、年中練習に明け暮れているため、夏の間はなかなか時間が取れないのが玉に瑕。なにより、洗濯物の量が年々増えているのが苦労の元であった。
 阿修羅は脱衣所で泥だらけになったユニフォームを脱ぎ、風呂場に飛び込んだ。ざっとだけ掛け湯をかぶり、湯船に浸かった。
「ふー」
 深い溜息をついた。練習の疲れもあったのだが、気になるのは合唱部の動向だった。いや、正直に言うと、真湖の動向というのか。いやいやいやと否定しようとも思うのだが、結局思い至るのは、あのハーフの転校生、塩利己翔(えんりこ しょう)なのだ。
「べ、別に、真湖のことがなんだっていう訳じゃねーから……」
 と、口では言ってみたものの、心の中では忸怩たるものがあった。阿修羅自身としては、幼馴染みを特別な関係とは思っていない。ただ、たまたま隣に住んでたってだけの話だ。真湖が好きとか嫌いとか、そういう次元でもないと自分では思っている。確かに真湖は良いヤツだが、それ以上の感情があったかというと自分でも分からない。あの時言った、『一応幼馴染み』という言葉は、そういった、自分の中でもまだはっきりしていない部分をさらけ出してしまった結果だった。けれど、自分たちが一緒に過ごした時間をすっかり飛び越えてこの輪の中にすっぽりと入ってきた翔のことを認める気にもなれない。そんな複雑な感情をまだ整理できずにいたのだ。


「ただいま」
 灯が塾から帰ってくると、すでに両親は寝床についていた。食卓テーブルの上にはいつもの様に夕食が置かれ、フキンが被せてあった。その上に走り書きで、『冷蔵庫にほうれん草のおひたしが入ってます』とメモがついていた。灯は制服を着替えもせずにそのまま冷蔵庫に向い、おひたしをとって、ご飯をよそった。灯の家の食卓は昭和のにおいのする畳敷きの居間で、正座して食事を始める。
 両親は共に農業に従事しており、陽が落ちれば就寝し、陽が昇る前に畑に出る生活を長年続けてきた。とは言っても、小作でしかなく、生活も豊かとは言えなかった。母が灯を産んだのは高齢出産と呼ばれる頃で、そのため、二人共に灯にかける期待は高く、幼少のころから学業には手をかけてきた方だった。灯自身も物心がつくようになり、他の子たちと比較して家が貧しいことに気がついた頃から勉強に打ち込むようになった。将来は自力でなんとかしなければならない、両親の面倒も自分が見なければならないと自然に考えるようになったのだ。
 小学校では神童と呼ばれていたが、けっして灯は天才肌ではなかった。例えば、真湖の従兄である翔平などと比べると雲泥の差で、ひらめきも思考の柔軟さもない。ここまでの成績はあくまでも毎日の努力で積み重ねてきたものだ。けれど、特に勉強が好きというわけでもない。年老いた両親が苦労しているところを何度も見聞きしているうちに、脅迫的に身についたものなのである。
 家計が苦しくても、自分の教育費だけには出費を惜しまない両親には感謝もしている。ただ、これ以上の負担はかけたくなかったので、札幌の中学を受験することは断念した。
 灯の最近の悩みは、中学に入る前あたりから徐々に成績が落ち始めていることだ。自分に才能がないことは分かっているだけに、時間をかけて覚えて予習復習をしても、難関校レベルの応用問題が解けないことが多くなってきていた。
 食事を終えると食器を台所に片付け、食卓テーブルの上で塾の宿題と翌日の予習を始めた。


 乃愛琉は両親が寝静まったことを確認すると、そっと階段を降りた。朝の早い両親の就寝時間より自分の方が遅くなり始めたのはいつからだろう。兄が中学にのぼった頃からだろうか。乃愛琉の兄は3つ上で今年高校入学したばかりだから、4年生の頃からだろうか。それでも、最初のうちは一旦寝たふりをしていたのだが、自然と両親の方が先に寝るようになった。
 居間につくと、そっとPCデスクの前に座り電源を入れる。真っ暗な部屋の中にぼぅっと液晶画面の灯りがともる。自宅のPCは居間にしかない。両親の方針から、子供達の部屋には置かないことになっているのだ。もともとこのPCは兄のものだったのだが、高校入学のお祝いにスマホをプレゼントされてから本人が使うことがあまりなくなった。そのため、最近はほとんど乃愛琉が使うようになっていた。
『こんばんは』
 PCが起動され、ブラウザが開かれると、早速乃愛琉はチャットを開始する。週に1度程度訪れるサイトだ。アニメとかラノベ小説とかのファンが集うサイトで、高校、大学生が中心のSNSだった。乃愛琉も高校生と嘘をついて参加している。今日は10人くらいがチャットに集まっているようだ。大学生が多いので、大体深夜にならないとメンバーが集合しない。すでにログインしている仲間達が一斉に挨拶に応えてくれた。まずは近況と雑談。合唱部を始めたことを報告すると、皆一様に驚きと称嘆のメッセージを送ってくれる。
 乃愛琉が参加しているルームは主に恋愛系のストーリー好きの集まりだった。男女比が圧倒的に男子の方が多いこのサイトでは女子はもてはやされる。元々おませな乃愛琉は、『翔んだ』女子高生を演じているため、特に人気が高い。今日も身近で起きた恋バナを演出をふんだんに添えて報告した。真湖に塩利己翔の告白、阿修羅の嫉妬、密かに阿修羅を想う灯との四角関係等をさもドロドロの恋愛劇のようにして2倍にも3倍にも膨らませる。もちろん実名が伏せるけれど。
『で、サンタちゃんはどうなのよ?』
 乃愛琉のハンドルネームを名指しされた。
『そっりゃあ、カレシとラブラブよ』
 と、創作された架空のカレシとの恋愛話をでっち上げる。どうせ出会うことなんてないんだから、多少の嘘だって、方便のうち。
 乃愛琉は男女間の心の動きに敏い。だから、真湖の気持ちとか、阿修羅とか、翔とか灯の関係は手に取るように分かるのだ。そのくせ本人はどの男子にもときめいたことがなかった。
 できる兄を持つとカレシができにくいなんていうラノベもあったけれど、確かに兄と比べると同級の男子はかなり見劣りするのだ。一時、自分はかなりのブラコンなのかと悩んだこともあったくらい。
 確かに自分たちは兄妹仲はいい方だと思うし、兄も男前で、中高では共にモテる方のようだし。しかし兄は所謂八方美人タイプで、誰にでも優しくする。もちろん妹には人一倍優しくはしてくれるけれど、兄妹以上の態度は取らない。乃愛琉もその辺の節度はわきまえているつもりだ。
 だから、背伸びしたがるのかも知れない。正直同級の男子と話をするより、大学生やそれ以上の男の人達とチャットする方がずっと楽しいのだ。
 しかし、チャットの中では自分が作り上げた架空の自分を創作しているだけであって、あくまでも自分は主役ではなかった。脇役に徹する。それが乃愛琉だった。リアルの世界でも、真湖が主役でその後ろにいつもついているのが自分だと、役回りを決めてしまっているのだ。


 その夜、真湖は夢を見た。それは自分のことではなく、翔平のことだった。いつか見た翔平の過去。イメージの中で翔平は西光中学の制服を着ていたので、それは中学生時代の翔平だったと思われる。コンクール会場での場面。一所懸命に歌う部員達。審査を待ち、そして発表の瞬間。抱き合う仲間達。断片的ではあるが、コンクールで優勝した時の記憶なのだろう。
 その時の翔平の気持ちを自分も味わいたい。そう思ったから、合唱部をつくろうと思ったのだろう。そして、コンクールの最後に会場全体で唄う、『大地讃頌』が心に響く。けれどその響きは翔平の心の響きでしかない。実際に自分の耳で聞いて感動したい。それが真湖の今の願いだった。


 そして、それぞれの夜が過ぎていく。

2013年10月2日水曜日

小説家になろうサイトにて、「人生こんなところで終わらせてたまるか!」連載中です

小説家になろうサイトにて、即興小説で書いた過去作から、
人生こんなところで終わらせてたまるか!
を、加筆訂正の上、アップさせていただいております。
これが意外にアクセス数を稼いでおりまして、昨日の時点で1日300PVを超えました。
嬉しい限りでございます。

こちらの方の加筆作業が終わりましたので、「Nコン!」の方をまた少しづつですが、進めていこうと思ってます。
「人生こんなところで終わらせてたまるか!」は、いずれこちらのサイトでも公開したいと思ってます。

2013年9月26日木曜日

「Nコン!」連載期間、かなりユルくなります。

 リアル事情的な理由もあるのですが、ちょっとここんとこ筆が進みません。
 もう一つの理由としては、今、プロットの再構成をしているというのもあります。
 あと、気分が乗らないというのも……。
 先は長いので、ここらで少し休憩というのもアリかなと……。
 続けて読んでいただいている方々には大変申し訳なく思いますが、まったりお待ちいただければ幸いかと。よろしくお願いします。

2013年9月20日金曜日

「Nコン!」第8コーラス目「発声!」

読むための所要時間:約5分

「じゃあ、腹式呼吸ってできる?」
「腹式呼吸って、なんですか?」
 『できるわよね?』と言おうとしていた現(うつつ)であったが、はっきりと否定され、がっかりだった。しょっぱなからこれでは先が思いやられる。実は三人が三人ともにド素人だったわけだ。あれだけ大騒ぎして合唱部を創るとしてきた煌輝(きらめき)でさえ、合唱、コーラスの基本中の基本である腹式呼吸さえ知らないのだというのだから。
「いい? 合唱の基本はまずは発声。声をどうやって出すかによって歌が全然変わるから」
 とは言っても、現自身きちんと指導を受けたのは、2年前に三越先生が亡くなるまでの期間だけ。人に指導できるほどのものはないと自分では思っているが、少なくとも、全くの素人相手であれば、自分の方が遙かに知識はあるはず。三越先生がどう言っていたのかを思い出しながら、話を続ける。
「腹式呼吸は、お腹から声を出すの。肺呼吸で声を出すには限界があるから。普通に、『あー』って出すのと、お腹に力を入れて『あー』って発声するのと、ほら、全然違うでしょ?」
 実際に実演してみせる。
「ぜんぜん違いますね!」
 明らかに後者の方が大きいし、迫力があるのが真湖達にも分かる。
「あなたたちもやってごらん?」
 同じように、『あー』と、3人揃って声を出してみる。が、当然のことながら、全くバラバラで現のような声は出ない。その時、現の目が瞬いた。
「エンリコくんだっけ? ちょっと、もう一回声出してもらえる? 同じ感じでいいから」
「はい? えっと。『あー』」
「じゃあ、わたしの音に合わせて、『あー』」
「はい。『あー』」
「もっと高く。『あー』」
 何度も何度も音程を上げていく。どんどんと上がっていき、現が苦しくなってきても、翔の声はまだまだ上がる。
「ちょっと、キミって、声変わりしてないの?」
「はい、まだ変声期はきてないみたいですね」
 確かに、彼の声は前に会った時から高いと思ってはいたが、ここまでとは。現は比較的女子としては低めの声なので、アルトパートではあるのだが、女子より高い声が出るのには驚いた。小学生の時にはクラスに1名程度男子でも高い声の子はいたが、中学生になってもとは。
 逆に、現は今度は低い声を試してみた。今度は翔の方が先に声が出なくなった。完全にソプラノ域である。変声期を過ぎていないということならば、いわゆるボーイソプラノだ。良く見ると、彼の喉の凹凸は同年齢と比較しても平坦であるし、ハーフの割には顔も童顔っぽい。他の男子に比べて成長が遅いのだろうか。彼の問題はいつ変声期を迎えるかだが、当座のところは女子パートを担当させることでこちらとしては問題はないだろう。
「じゃあ、あななたちは?」
 合わせて、真湖と乃愛琉にも声出しさせてみる。真湖はソプラノ域、乃愛琉は若干アルト向きのようだった。
 現在合唱部入部希望者は全部で10名。女子が現、如月、外園、真湖、乃愛琉の5名、男子が栗花落、保家、射原兄弟の4名にエンリコの予定だったのだが、男子パート4対女性パート6になってしまう。5対5を予想していたので、現には若干の失望感が漂った。
 ただ、現状だけの話としては、1年生3人ともに女子パートの練習だけで済むのだから、考えようによっては良かったとも言える。来週の勧誘会は、校歌で、混声二部合唱なので問題はなさそうだ。あとは勧誘で男子も同じように集まってくれるかどうかだ。概ね全国的にみて、合唱部は男子が集まりにくい傾向にある。
「じゃあ、思いっきり、お腹に力を入れて、大声を出してみて」
 現がそう指示すると、三者三様に大声を張り上げる。
「はいはい、それじゃ、ただのがなり声。しかも、お腹に力が入ってない!」
 しばらく考え込む現。三越先生に指導された時のことを思い出す。
「そしたらね、三人とも、そこに仰向けに寝っ転がって。それから、足をちょっとだけ上げて。5センチくらい浮かせる感じで……本当はそのまま90度上げるといいんだけ……ど」
 現の言う通りに、三人はその場に寝転がり足を上げる。が、真湖がその言葉通りに、ひょいと足を天井めがけて上げようとした。
「真湖ちゃん!」
 乃愛琉が気がついてすぐにその足を戻そうとしたが、時遅く、すっかりスカートがまくれてしまった。慌てて足を下ろさせる乃愛琉。栗花落の目を押さえる現。何事かと、驚いて起き上がる翔。ほんの少しの間時間が止まった。
「あ、ごめーん、スカートだったの忘れてたー」
 小学校の時は、特別な行事の時以外はほとんどジャージかパンツだったこともあって、いまだに動作がやんちゃな真湖であった。頭を掻きながら乃愛琉に謝る。
「縞パン……」
 すぱこーん!
 栗花落の言葉に、現のビンタが飛んだ。

「そしたら、明日から1年生は猛特訓だからね! 必ずジャージを持ってくること。それから家に帰ったら、さっきの練習を最低一時間はやること。いいわね?」
 現は、三越先生から教わった、腹式呼吸の練習方法を3人に見よう見まねで教え、帰宅後も復習するようにさせることにした。校歌については、2年、3年は間違いなく歌えるので、1年生3人にどこまで教え込むかが鍵となる。焼き付け刃になるのは致し方ないとしても、まずは声量の問題だけはクリアしておきたいと考えたのだ。かといって、今から腹筋を鍛えるとか、体力をつけるとかの長期課題は難しく、一番効果があるのが、腹式呼吸を「なんちゃって」でもいいから覚えさせることを最優先にすることにした。
「あと、これ、校歌を録音したCD。それぞれ貸してあげるから、明日までにコピーするかして、自分で毎日聴けるようにしてちょうだい」
 『石見沢市立西光中学校歌』と手書きされたCD-Rを三人に手渡した。
「うち、パソコンとかないんですよ」
 翔が残念そうに言い、真湖も頷いて、乃愛琉の方を見る。
「じゃあ、わたしがコピーしてあげる。うち、パソコンがあるから」
 乃愛琉がそう言って、現が差し出したCDの内、一枚だけを受け取った。
「CDプレイヤーとかもないの?」
「ないですね」
「あたしのとこは、プレイヤーはあったと思います」
 確か、真湖の両親の部屋に古いプレーヤーを置いていた記憶がある。
「じゃあ、煌輝さんには、これ貸してあげる。来週の発表まで持ってていいわよ」
「ありがとうございます」
「エンリコくんは、MP3プレーヤーとか、何かある?」
 乃愛琉がCDを鞄にしまいながら翔に尋ねる。
「ないなぁ」
 今時、音楽プレーヤーを持ってない中学生がいた。
「FSFとか、携帯ゲーム機とかは?」
「ゲームもやらないしなぁ」
「じゃあ、わたしのお兄ちゃんのiFodで使ってないのがあったはずだから、それ貸してあげる。シャッフルだけど、一曲だけなら、問題ないわよね?」
「シャッフル? よくわかんないけど、聴ければいいんじゃないかな? ありがとう」
「ううん」
 見た目だけだと、流行に聡そうな翔だったが、音楽プレイヤーどころか携帯ゲームも持っていないというのは珍しかった。真湖たちのクラスメートも、全員なんらかの携帯ゲームは持っていたはずだ。真湖も、『プリティチュア』のFSFを持っているので、乃愛琉からデータをもらえば、それで聴こうと思っていた。
「本当は登下校時にも聴いて欲しいくらいだけど、学校に持ち込みできないから、それは仕方ないわね」
 当然学校は携帯、ゲーム、その他の電子機器は持ち込み禁止である。チェックはさほど厳しくはないが、見つかれば没収だった。
「にしても、さっきの校長先生、あっさり部の創設認めてくれましたよね? あんなんだったら、最初からOKしてくれればいいのに」
 乃愛琉に持ってきてもらった自分の鞄を持ちながら、真湖が愚痴をこぼした。
「そうは言うけど……」
 と、栗花落が言いかけたが、現はなんでもないと打ち消した。実のことを言うと、昨日校長への直談判に2時間はかけた。現がかなり粘ったのを彼氏である栗花落が隣でずっと見ていたのだ。その苦労も知らないで、と内心では思うけれど、そう言ったことを表立って言わない現のことを栗花落は改めて好きだなと思った。
 ただ、校長が彼らの要求を飲んだ時も、奥歯に何か挟まっているような言い方をしていたのを栗花落は見ていた。合唱部創部には校長や教職員の事情も何かしらあるのかも知れないとは思わないでもない。けれど、とりあえず来週の勧誘会で10名集めることができれば、創部との約束を取り付けたことは大きい。
「じゃあ、また明日」
「ありがとうございました」
 3人が音楽室を出ていく。と、また真湖が扉から顔を出して、
「現先輩、本当にありがとうございました!」
 と、額が膝につくかと思われるくらい、深いお辞儀をした。ポニーテールが床についた。
「明日から頑張ってね」
 と返す。

「現先輩って、いい人だよねー!?」
 帰り道、真湖が陽気に叫んだ。
「そうだね。美人だしね」
「あら、エンリコくん、もう心変わり?」
「ううん。俺は真湖ちゃん一途だからね。あくまでも一般論」
 乃愛琉のからかいにも全く動じない翔。
 確かに、美人か美人でないかというと、現は美人ではあると言えるくらい、顔立ちは整っているし、田舎の中学生にしては垢抜けたところがある。クール系を少し通り越して、後輩達からすると少し怖いイメージを感じ取るかも知れない。
 それより、アンバランスなのは彼氏の方で、見るからに優柔不断で優男の栗花落が何故彼氏なのかが乃愛琉には不思議だった。真湖はあんまりそういうところに頓着しないので、多分自分だけそう感じているのかも知れないなとは思いつつ。
「ねぇ、エンリコくんは真湖ちゃんのどこが好きなの?」
「乃愛琉、そういうの止めようよー」
 突然自分に振られて、あわあわする真湖。
「んー? 縞パンなとこ?」
 一気に真湖の顔が赤くなる。
「み、見てたの? ばかばかばか!」
「だって、あれは、事故でしょ! あれだけめくれたら、見えるってば。」
 鞄で翔を叩くが、翔もあえて逃げはしない。
 今朝下着を選んだ時に、春先に母に買ってもらった新しいピンクの縞模様のを選んでいた。小学校の頃から履いているキャラクターもののじゃなくてよかったと今更ながらに安堵していたとかは内緒の話。
「ま、まあ、それは冗談として、真湖ちゃん可愛いじゃん。あ、もちろん、乃愛琉ちゃんも可愛いけど、真湖ちゃんは、積極的っていうのかな。思いっきりがいいっていうのかな。そういうとこが好き」
 さすが自分へのフォローも忘れずに加えるところが日本人離れしていると乃愛琉は思う。しかも、好きとかを恥ずかしげもなく言うのは相変わらずというか。
 真湖も自分も、美人とは言えないが、まあ、なんとか『可愛い』部類かとは思う。真湖本人はそばかすを気にしているけれど、それを除けば目鼻立ちはいい。女の子同士ではあるけれど、時々抱きつきたくなるオーラを持っている。それは、誰に対してでも発揮されていて、いつの間にか真湖が人の輪の中心にいることが多いのは、そのせいなのだろう。
「乃愛琉もそういうのやめようよー。もう」
 今度は、乃愛琉の陰に隠れる真湖だった。翔にそういうことを言われると、なんだか恥ずかしい。自分は全く可愛いとも思ってないし、むしろ、乃愛琉の方がずっと可愛いと思っている。乃愛琉はクラスではあまり目立つタイプではないけれど、男子に好かれるタイプだというのは真湖が勝手に思っていることだが、顔もそうだけれど、優しいし、思いやりがあるし、よく教科書に載っている『昔の貞淑な妻』にはぴったりだと思っている。
「じゃ、また明日ね!」
 真湖は、翔との分かれ道が見えてきた辺りで、乃愛琉の手を引っ張って、走り出した。完全に照れ隠しである。けれど、翔は微笑みで見送る。
「うん、じゃあまた明日ね!」

 帰宅後、3人は現に教わった通りに、発声練習を始めた。
 腹式呼吸を意識するためには、まず腹筋に力を入れることを意識する必要がある。よく、「腹で息をする」などと表現されることがあるが、実際に腹で息が吸えるわけではなく、そういうイメージを持つというだけの話である。ただ、全くの素人の場合、そのイメージは付きづらく、むしろ変な癖をつけることになってしまう。一番意識しやすい方法として、亡き三越先生が指導していたのが、彼らに教えたように、寝た状態で足を軽く上げならが発声をする方法だった。これだと、無理なく自然に腹筋に力が入り、意識をしやすい上、同時に腹筋を鍛えることができる。
「あー」
 真湖は現に言われた通りに自室で声を上げる。足を5センチくらい上げておくときついので、最初は足を上げ下げする方法をと薦められたので、足をあげては下げ、下げては上げる。足を曲げないようにと注意された。これを10セット。
「あたたた」
 単純に腹筋体操を10回やるよりキツイ。
「明日、筋肉痛になっちゃうよー」
 練習初日から、前途多難な真湖であった。

2013年9月15日日曜日

「Nコン!」第7コーラス目「呼出!」

読むための所要時間:約6分

「煌輝真湖さん、放課後、校長室に来て下さい。以上です」
 HRが始まってすぐに教壇に立った担任の英美佐恵(はなぶさ みさえ)[28歳独身]が気だるそうに言った。その単純明快で短いフレーズが終わると、少しの沈黙の後、教室中がざわめいた。入学式初日にあれだけの大騒ぎを起こし、それから2日と置かずに校長室に呼ばれるとは。主に男子からは賞賛の声、女子からは何があったのかとの詮索の言葉が漏れ聞こえた。中でもさっきまで沸騰していた阿修羅が再沸騰して、何か意味不明の叫び声を上げていたが、『HR中だよ』と、乃愛琉(のえる)に叱咤され、また宥められていた。その様子はまるで手綱を握られた暴れ馬のようだった。
「真湖ちゃん、今度はなにやったの?」
 隣の席の子が真湖にこっそり寄ってきた。真湖には心当たりが沢山ありすぎてどのことなのかよく分からなかった。ただ、昨日の今日のことなので、あの用務員が校長にチクった可能性もなきにしもあらずだったが、むしろこっちは被害者であり、呼ばれるならあの3年生であるべきで。さらには校長室に呼ばれるほどのことだったかというと、放送局ジャック事件よりかは派手な話ではなかった。あの時でさえ、担任からの説教で終わったのだ。
「さ、さあ……?」
 結局色々考えた結果、そう言うのが関の山。
 ざわめく生徒達を他所に、担任は淡々と出席を取り、連絡事項を生徒に伝える。授業は昨日から始まってはいたが、ほとんどが科目の説明であったり、先生の自己紹介であったりで、まともな授業はまだこれから。連絡事項も今後の授業の準備内容であったり、行事の説明であったりだった。しかしその内容については、すでに配られたプリントで一通り説明済みで、その再確認の意味でしかない。余計に担任の発言には注目度は下がっていた。
「以上です」
 HR時間いっぱい使って説明がなされ、チャイムの音と共にHRは終わった。

「真湖、何があったんだ?」
 真っ先に真湖の元になだれ込んできたのはもちろん阿修羅だった。
「さ、さぁ?」
 さっき隣の子に答えたのと同じ様に返すしかない。
「昨日のことか?」
「違うと思うけど」
「他に心当たりは?」
「さぁ? まあ、行ってみれば分かるっしょ」
「ホント、お前って、脳天気なんだから」
 乃愛琉と灯(あかり)も寄ってきて、一緒に何事かと考えるのだが、昨日の件とは関係ないだろうとの結論には変わりはなかった。
「多分、合唱部のことなんじゃないかな?」
 真湖の前の席に座っている翔が椅子に後ろ座りしながら、予想を挙げる。
「じゃあ、合唱部認めてくれるのかなー?」
 どんだけポジティブなんだよと阿修羅に呆れられても、真湖の期待が低減することはなかった。
「だといいよねー」
 翔は翔でそんな真湖を見ながらニコニコ笑っている。そんな二人を阿修羅は苦々しく思っている。そんな阿修羅の姿をじっとみる灯。
「ほら、席につけよー」
 気の早い理科の教師がチャイムが鳴る前に教室に入ってきた。それを散会のきっかけとして、生徒達はそれぞれに自分の席についた。

 昼食時の席配置は、入学3日目にしてほぼ固定化された。中央小組に翔が加わり、阿修羅と乃愛琉の席に集まるという具合だ。そして、何故か毎回翔と真湖の間に灯が割って入るという構図まで一緒だった。
「でもさ、校長っていうのが解せないんだよな」
 昼食時の話題はやはり、真湖の校長室呼び出しの件だった。阿修羅脳味噌温度は沸点からは下がったけれど、未だに高い温度を保っているようだった。
「それに、合唱部の件なら、乃愛琉とエンリコとかが呼ばれるのが当たり前じゃないか?」
「だったら、昨日の件だって、俺と乃愛琉ちゃんは一緒だったからね。同じじゃないか?」
「それは、その用務員が乃愛琉とエンリコのことを知らなかっただけかも知れないじゃん。真湖はもう有名人だからな」
「有名人じゃないし!」
「いや、少なくとも、職員室ではお前のこと知らない先生はいないはずだべ」
「でも、もし、怒られるんだったら放課後まで待つかしら? この前の放送室ジャック事件のように、その場で呼ばれるか、朝一番に呼ばれるんじゃない?」
「そうよね、そうよね?」
 灯の理屈が最も説得力があった。真湖は積極的にそれに同意する。
「だからと言って、いい話になるとは限らないけれどね」
 それでは何の呼び出しなのかというと今度はさっぱりな訳で、余計な期待を持たせないところが灯らしい。
 昼休み中色々話し合いしても結局は堂々巡りで結論は出なかった。ただ、結論が出たからと言って、状況に変化はないことは皆知ってはいたのだけれど。

 そうこうしているうちに、その実中身がオリエンテーションである午後の授業も終わり、ようやく中学での学校生活のスタートラインに着いたような心地を皆が持ち始めた頃、真湖は学校長に謁見するという大役に挑むべく心の準備を始めた。両の頬をぺちぺち叩くと、前の席の翔が振り返って微笑んだ。
「真湖ちゃんでも緊張することあるんだ?」
「そりゃそうよ。校長先生って言ったら、この学校で一番偉い人でしょ。緊張するに決まってる」
 小学校時代に学校長に直接面談されたことはない。何度か阿修羅の悪戯のせいであおりを食って教頭に叱られたのが記憶にある程度。昔から大人に対する免疫は多少あったため、職員室自体は嫌いではなかったが、校長室となるとまた話は別である。
「真湖ちゃん、鞄持ってようか?」
 乃愛琉と阿修羅がやってきて真湖の鞄を持った。灯もなんとなくその後ろに着いて来て、なんとなく5人揃って教室を出た。校長室は職員室の隣にあり、1年生の教室と同じ階だから、廊下をまっすぐ歩けばすぐに目に入る。右手が校長室でその向かいが音楽室になっている。入学式の日に見学で音楽室に来たときにも4人でここに来ていた。その時には向かいが校長室であることには気付いていなかった。
「真湖ちゃん、がんば」
 乃愛琉が気合いを入れた。これからオリンピックの大舞台に出るスポーツ選手のように、大仰なポーズで校長室の扉に向かい、期待と不安の混じった観客を背に扉を叩いた。
「失礼します」
 中から『どうぞ』という声がして、真湖は扉を開けた。扉を開けると真正面に少し恰幅の良い壮年の男性が座っている。入学式の時に挨拶していたので覚えがあるが、この人が校長だろう。その横に入学式の時にまさに音楽室で出会った老年の教師が立っていた。さらに、手前の席には栗花落(つゆり)と現(うつつ)が先客として座っていた。室内の人物配置は校長室前にたむろっている阿修羅達の目にも入った。
「あれ? あれって、栗花落先輩と現先輩……だよね?」
「うん」
 真湖が校長室に入り、扉が閉じられると、翔と乃愛琉が顔を見合わせて頷いた。ということは、校長室に呼び出されたのは確実に合唱部のことであることは間違いない。どんな話になるのか興味津々な阿修羅と翔は扉に耳をつけて中の様子を伺おうとした。
「ちょっと、やめなさいよ」
 灯が注意しようとするが、阿修羅は『しっ』と口に人差し指を当ててそれを制止した。

「煌輝真湖くん、すまないねここまで呼び出してネ。まあ、お座りなさい」
 校長は席に座ったまま真湖を現の隣に招いた。
「はい。……こんにちは」
 真湖の会釈に栗花落と現も応える。
「先輩たちどうしたんですか?」
「うん、まあ」
 彼らの囁き声に、校長は失笑のような息を漏らした。
「まあ、緊張しなくてもいいよ。あ、こちら、教頭。知ってるよネ?」
 校長は席を立ちながら、隣の老年の教師の肩を軽く叩きながらそう言った。現はすぐに頷いた。確かに入学式の時に司会をやっていた人。教頭だったのかと真湖は言葉を飲み込んだ。二人は向かいに並んで座った。
「実はね、ボクたちはこの学校の出身で同期なんだネ」
 どうみても教頭の方が年上に見える。白髪交じりで細身の教頭に対して、恰幅がよく肌の艶もいい校長では、とても同年代に見えなかった。
「ボクたちは、いわゆる『竹馬の友』というやつでネ」
 意味は理解できたが、もちろん真湖にも現にも竹馬に乗った経験はない。
 教頭は数年前からこの学校にいるのだが、校長は今年異動でこの学校に赴任したばかりだという。それは、栗花落と現も知っていた。
「入学式の時のキミの放送聞いたネ。すごく元気だネ。でも、この学校は自主的に部の創設は認めていないネ。担任からは聞いたと思うけどネ。昨日、キミの先輩達がボクのところに陳情に来たんだよネ。どうしても合唱部を創りたいってネ」
「え、そうなんですか?」
 まさか現たちが校長に直談判に来たとは思いも寄らなかった。真湖はそれを聞いて感激した。
 が、昨日と言えば、真湖があの3年生に脅されていた時のことだ。これでますます昨日のことは現には言えなくなったなと少し困惑もしてはいたのだが。
「わたしたちは、今年で終わりだけど、あなた達はこれから3年間あるのだもの。せっかくやるならずっとやっててほしいし、部員募集にいつまでもあなたの一本釣りに頼るわけにもいかないでしょ?」
「先輩……」
 本当は現はすごく後輩思いの、優しい先輩だったのだと。一時は酷い先輩だと思っていた真湖は自分を責めた。
「ただネ、だからと言って、すぐ部の創設を認めるわけにはいかないのが現実でネ。他の部をやりたい人だって沢山いるし、先生達を説得もしなければならないしネ。そこで提案があるのだけれどネ」
「提案ですか?」
 真湖たち3人が口を揃えた。
「そう。先ほど、現くんに聞きました。2、3年生合わせて今10名程度の入部希望者がいるそうですネ? 来週、各部活が新入生相手に勧誘をする会が開かれるますネ。それまで、『暫定合唱部』として認めることにしましょうネ。そして、そこでうちの校歌を歌ってくださいネ。その校歌を聴いて入部したいという新入生が10名以上いれば、正式な合唱部として認めるように先生方に相談することにしますネ。それでどうでしょうネ?」
 願ってもないことだった。勧誘会で1年生の前で正式に発表もできて、募集もできるなんて。
「本当にいいんですか? 是非お願いします」
 栗花落と現は即答した。もちろん真湖にも異論はなかった。
「ボクたちが在校生だった時もこの学校の合唱部は沢山部員がいてね。さすがに全国大会まではいけなかったけれど、活動は活発だったよ。またあの頃みたいになるといいネ」
「あの……それと、なんですが……」
 現が恐る恐る申し出た。
「指導担当の先生はどうすればいいでしょうか?」
「そこだネ」
 まさにそこだと言わんばかりに、校長は頷いて、教頭に目配せをした。
「しばらくは音楽の先生に担当をしてもらように手配はします。ただし、3年生は知っての通り、合唱の指導はできないけれど。少なくとも勧誘会までの間は自主的に練習してほしい。校歌だけであれば、無理は話ではないだろう?」
 校歌であれば、混声2部で済むし、少なくとも2、3年生は何度も練習しているから、1年生の指導だけすればなんとかなる。現はわかりましたと返答した。
「それ以降については、追って相談するよ。こちらにも考えがあるのでな」
 多少奥歯に物がつまったような言い方ではあったが、少なくとも悪いようにはしないと言う教頭の話を信じた。
「よろしくお願いします」
 3人はその場で立ち上がって、校長、教頭に頭を下げた。

「失礼します」
 校長室内から現の声が聞こえ、話し合いが終わった雰囲気を感じて、阿修羅達は扉からすっと離れた。その頃には、話を聞きつけてきたらしい、如月(きさらぎ)、保家(ほや)の2名が加わり、校長室の前はやじ馬の人だかりになっていた。二人は乃愛琉から簡単に事情を聞いて、どんな話になるのか興味を持ったので、話し合いが終わるまで一緒にいることにしていた。どうやら、現からは二人は何か聞いているようだと乃愛琉は感じていた。
 扉が開いて、中から現、栗花落、真湖の順に出てきて、3人揃って再度一礼してから扉を閉めた。
「おい、真湖、どうなったよ?」
「先輩、どうでした?」
 阿修羅と如月が同時に口を開いた。
 真湖と現が同時にVサインを送った。
「マジに、合唱部できんの?」
「すごいですね!」
 廊下はいきなりのヤンヤヤンヤの大騒ぎになった。
「ちょっと、ここ、廊下だから、とりあえず、音楽室入って」
 現と栗花落が先導して、皆を音楽室に押し込んだ。とりあえず、全員が音楽室に収まってから、現が順番に今校長室で話したことを皆に伝えた。
「『暫定合唱部』ですか?」
 聞き慣れない響きに数名が疑問符を投げかけたが、とりあえず、第一歩が踏み出せたと、ほぼ皆は喜んでくれた。
「よかったな、真湖。じゃあ、俺は部活行くから、この辺で」
「あ、剣藤くん、山咲くんにもよろしく伝えておいてね」
 現がそう阿修羅に申し伝えると、阿修羅は『うっす』と野球部式に返事をした。それに着いていくかのように、灯も音楽室を辞しようとした。
「灯ちゃん、ありがとうね!」
「別にわたしは何も……」
 手を振る真湖に、灯は照れるような顔で阿修羅の影に入って、そのまま教室を出た。
「さてと。とりあえず、暫定の部長はどうしようかしらね?」
 現が栗花落の方をチラリと見る。
「瞳空でいいべ」
 さらに栗花落が目で如月と保家に同意を求めた。
「現先輩にお願いします!」
 もちろん、真湖と乃愛琉にも依存があるわけもない。
「じゃあ、早速明日から練習始めるわね。ところで、1年生諸君」
 真湖、乃愛琉、翔にビシっと、指を向けて、
「君たちは、小学校で合唱どれくらいやってきたの?」
 と、問いただす。真湖たち3人はお互いを見合わせてから、
「音楽の時間と、校内のコンクールだけです」
 と、真湖が答えると、乃愛琉と翔もただ、それに頷くだけだった。
「それだけ?」
 まさか。と、現は再確認。
「それだけです」
 ケロっと返す真湖に現は頭を抱えた。栗花落も少し目を丸くする。
「じゃあ、全くの素人って訳じゃない。それでよく、全国大会とか言えたものね」
「あたし、頑張ります!」
 元気に返事する真湖に、若干途方に暮れた。

2013年9月14日土曜日

「Nコン!」第6コーラス目「障害!」

読むための所要時間:約6分

 真湖(まこ)がガラの悪い3年生3人に連れて行かれた後、乃愛琉(のえる)に手を取られて翔はようやく路上から立ち上がった。
「何とかしなきゃ」
「何とかって言っても……」
 乃愛琉はウロウロするばかり。
「学校に戻って、先生に」
 翔は乃愛琉の手をとって、回れ右、学校へと急いだ。あまりにも事前に翔が手をとったので、乃愛琉はそのまま手を繋いだまま翔を追いかけるようにして一緒に走った。
「ちょっと、待って」
 校門が見えるところまで走ると、さすがに乃愛琉が先にバテた。翔は手を離して、
「その程度で息が切れるようじゃ、合唱部大変だよ。先に行くね」
 と、一人で駆けた。その物言いに乃愛琉はちょっとカチンときた。小学校では徒競走では1番か2番で、さすがにリレー選手とまではいかなかったが、体力には自信があったからだ。小学生の時みたいに、ジャージとかで登校だったらこんなことはない。慣れないジャンパースカートが邪魔して走りづらかったからだと言い訳したかったが、今はそれどころじゃない。
「おっと」
「あ、ごめんなさい!」
 ちょうど、翔が校門を曲がりかけようとしたところに、向こうから出てきた人影にぶつかった。
「いや、大丈夫だよ。どうしたんだい? そんなに急いで」
「あ、あの、先生、大変なんです!」
 翔がぶつかった相手は大人の男性だった。歳の頃は30歳程度で、教師としては若干若い。入学式では見たことがないけれど、上級生担当の教師なのだろうか。それにしては作業着のような服を着ている。
「せんせ…ああ、まあ。どうしたんだい、大変って?」
 その人は一瞬躊躇ったようにして言葉を濁したが、翔の慌て振りを見て、すぐに事の次第を正した。
「あの、クラスメートの女の子が、3年生に連れて行かれたんです!」
「どこにだい?」
「こっちです!」
 翔は今来た道を走り始めた。その教師も一緒に駆ける。
「乃愛琉ちゃん、学校で待ってて!」
「ううん、わたしも行く! 先に行ってて」
 翔と男性教師が先に全速力で駆けていく。その後を、ゆっくりとだが、乃愛琉も追った。

 その頃、学校近くの公園の隅で、真湖は3年生と思われる上級生に囲まれていた。そこは周り三方を民家に囲まれた小さな公園で、大した遊具も揃っていないためか、子供の姿は全くない。雪解け間もないため、日陰になっているところにはまだ残雪が残っていた。公園の隅には小さな木々が生えていて、そこに立つと通りからは死角になる。
「な、なにか用ですか?」
「用があるから、呼んだんだろが」
 毅然とした態度で臨む真湖に、脅しをかける上級生。真湖はきっと目をつぶって、歯を食いしばった。膝がガクガク震えているのが分かる。相手は大柄な3年生男子3人。強がってはいるけれど、それは口先だけにしか過ぎなかった。
 ここに連れられてくる間も、隙をみて走れば逃げられたとは思うが、少し確認したこともあったため、黙って着いては来たものの、やはり3対1では分が悪い。
「なに、震えてるんだよ、こら」
 一人が、真湖のおでこをつついた。まるで小動物か昆虫を虐める小学生のように、おもしろがっているのが良く分かる。細面で笑うと前歯が出るので、真湖は心の中で『サンマ』と名付けた。
「やめてください!」
 手を振ってサンマの手を振り払ってから前髪を直した。
「煌輝って、卒業した煌輝の妹なんだろ?」
 リーダ格の男子生徒が翔平にいちゃんの名前を持ちだした。やはり、翔平にいちゃんのことらしい。ということは、現(うつつ)が気にしていた『絶対声かけちゃダメな人』は彼らのことなのだろうか。体は震えていたが、何故か頭は冷静だった。
「妹じゃありません。従妹です」
「どっちでも構わねぇ。とにかく、気に入らねぇんだよ」
「翔平にいちゃんを知ってるんですか?」
「知らねぇよ」
「バカ、黙ってろ」
 小太りの3年生が思わず真湖の質問に答えてしまい、リーダーがをそれを叱咤した。小太りは『マツコ』と命名。マツコはリーダーに平謝りに謝っていた。
(あれ? どうして、翔平にいちゃんのこと知らないのにあたしに絡むの? それに、リーダーが怒るのってなんで?)
「んなぁこと、どーでもいいんだ。とにかくな、合唱部つくんの止めろ。でないと、痛い目に逢うぞ。それだけだ、言いたいのは」
 リーダーが思いっきりドスをきかせて言い放った。
「どうして、合唱部つくっちゃダメなんですか?」
「どうしてもだ。とにかく、気に入らねぇからだって、言ったべ」
 『お前が余計なこと言うからだ』『すんません』と小声でやりとりがあり、リーダーがマツコを小突いた。少なくとも、マツコは翔平にいちゃんのことを知らないらしい。おかしい。
「あ、あそこです!」
「こらぁ! そこでなにしてる!?」
 そこにようやく翔と作業着姿の教師らしき大人が飛び込んできた。
「やべ、行くぞ」
 リーダーが合図して散会しそうになった。決死の思いで、真湖はリーダーの手を取った。
「待って! 誰に頼まれたの?」
 一瞬の間があった。その瞬間、真湖の脳裏にリーダーの記憶が流れ込んでくる。
(『芳田瑞穂(よしだみずほ)』先輩? 卒業生?)
「うるせぇ、誰にも頼まれてねぇよ! いいか、合唱部つくるんじゃねぇぞ。分かったな!」
 その手を振りほどいて、リーダーはその場を走り去った。
「大丈夫だったかい?」
 作業着の男性に声を掛けられて、真湖はその場にへたりこんだ。腰を抜かすという経験を初めてした。
「真湖ちゃん!」
 翔はすぐに駆け寄って真湖を支えた。
「大丈夫? 何か乱暴されたのかい?」
「ううん……大丈夫。ありがとう」
 真湖は精一杯強気を張ったが、極度の緊張の後の緩みで、なかなか体に力を入れることができなかった。やがて、遅れて乃愛琉も公園に到着した。
「真湖ちゃん大丈夫? なんだったの、あの人達?」
「今の、うちの学校の生徒だね? 職員室に届けよう」
「あ、あの……先生、なんか、人違いだったみたいで……。あの、大丈夫です、あたし。何もありませんでしたから」
 翔に支えられながら、ようやく真湖は立ち上がった。
「何もって……ああ、あのさ、ボク、先生ではないんだ。見た通り、『用務員さん』なんだ」
 確かに良く見てみれば、作業着を着ているし、言われて見れば、教師っぽくはないようにも思える。ただ、自分のことを用務員『さん』と呼ぶあたりが違和感がないわけでもない。
「あ、用務員さん、ありがとうございます。もう大丈夫です。何もありませんでしたから」
「でも、実際ボクが来たら、あいつら逃げ出したじゃないか?」
「それに、合唱部つくるなって……」
 翔が言い出しかけたのを真湖が目で制止した。
「合唱部?」
「ありがとうございます。でも、あの人達、勘違いだったって気がついて、それで逃げたみたいなんです。もう関係ないと思うんで、大丈夫だと思います。大げさにしたくないので、お願いします」
 その用務員が疑問を投げかけるのを阻止するように、真湖は少し強い口調を使う。少々荒っぽいやり方かも知れないけれど、とにかく大げさにはしたくなかったし、まだまだ彼らには聞きたいことがあった。
「そ、そうかい?」
 用務員の男性は、しぶしぶ引き下がった。あそこで翔が捕まえてきてくれたのが教師ではなくて本当に良かったと真湖は思った。もし、教師であればこんなに簡単に引き下がってはくれなかっただろう。スカートの裾をほろって(※)から、真湖は用務員に頭を下げた。
「じゃあ、帰ります。さようなら」
「ああ、気をつけて」
 その用務員は所在なげに手を振って、3人を見送った。

「真湖ちゃん本当に大丈夫だったの?」
「本当は……すっごい怖かったぁ。乃愛琉とエンリコくんが来てくれて良かったぁ」
 用務員の姿が見えなくなってから、ようやく真湖も本音を言えた。乃愛琉の両肩に手をやりながら、額を肩に当てた。大分収まってはいるけれど、今でも胸がドキドキしている。
「本当に、真湖ちゃんって、無茶すんだからー」
 真湖の頭を撫で撫でしながら、乃愛琉も内心ほっとしていた。一時はどうなるかと心配していたから。
「でも、どうして、ちゃんとさっきの用務員さんに報告してもらわなかったのさ?またあいつらに絡まれるかも知れないっしょ?」
 翔が二人の後ろについて、不思議そうな顔をした。路上でぶつかった時に煌輝の名前を名指ししていた上に、去り際に合唱部をつくるのを阻止するような言い草を放っていったのだ、人間違いな訳がない。真湖が何を考えているのかがさっぱり分からない。
「んー。ちょっとね。思うとこがあってさ。それに、何かあったら、エンリコくんが護ってくれるんでしょ?」
 現に向かって胸を張っていたあの時の台詞を取り上げて、茶化すようにした。
「いやー、お恥ずかしい。さっきの通りで、腕っ節には自信がなくってねー」
 ここにきてすっかり自信喪失の翔であった。
「それより、思うとこって?」
「あの人達、翔平にいちゃんのこと直接知らないのに、邪魔してきたのよね。どうしてだと思う?」
 公園での出来事をごく簡単に話した。もちろん翔には『芳田瑞穂』のことは内緒で。
「それだと、現先輩が言ってた、『絶対声かけちゃダメな人』である訳はないよね。煌輝先輩を恨んでいたって訳じゃないんだったら」
「それに、あの人達、合唱やるようなタイプに見える?」
「見えない」
 翔はきっぱり否定した。
「無理矢理Nコン出場させられたから恨みに思ってるっていう線はないと思うの。だとしたら…?」
「だとしたら、誰かに頼まれて、脅したってことかな?」
「あたしは、その線じゃないかって思うのね。だから、もう少し聞いてみたいの」
「しかし、真湖ちゃんって、恐れ知らずだよなぁ」
 翔は感心した。けれど、恐れ知らずな訳ではない。恐いものは恐いのだけれど、それ以上に疑問に思うことをそのまま放置できない性分で、それが一時の恐怖を押し留めることができる最大の理由だというだけだった。
「でも、真湖ちゃん、あんまり無茶しないでよ」
 乃愛琉はそんな真湖の性分を知っているので、止めはしないけれど、心配には思っていた。
「したっけ、俺、ここで。また明日」
 途中翔と別れて、真湖と乃愛琉の二人で家に向かう。翔の姿が見えなくなると、すぐに乃愛琉はお茶目とも心配深げともとれる顔をした。
「何か分かったんでしょ?」
「うん。ちょっとね。『芳田瑞穂』っていう先輩があの人達に頼んだみたい」
「よしだみずほ? 先輩なの?」
「先輩って頭に浮かんだから、あの人達の先輩って、ことは、卒業生じゃないのかな? うちの学校の卒業生だとしたら、どうやったら調べられるかなぁ?」
「図書館に卒業アルバム置いてあるんじゃないかな? あの人達が知ってるなら、3年以内の分調べれば分かるんじゃない?」
 さすが乃愛琉。その辺は頭の回りが早いと感心する。早速明日の朝図書館に寄る約束をして二人は別れた。

 翌朝、早朝から登校した真湖と乃愛琉は図書館にいた。3年前までの卒業アルバムを片っ端から調べた。とは言え、在校生350人程度の学校なので、その人は間もなく見つかった。
「いた。芳田瑞穂。2年前の3年2組の卒業生だね」
 眼鏡をかけた、生真面目そうな女子生徒だった。とても、昨日の3年生と関わりがあるようには思えない。しかし、人は見かけに寄らないというから、その辺は何とも言えないのだが。
「2年前の3年生ってことは、翔平にいちゃんが3年の時の1年生ね。なら、直接知っててもおかしくないわよね」
「でも、なんでこの人が真湖ちゃんを邪魔するのかなぁ? あ、もしかしたら、この人合唱部だったのかも?」
 乃愛琉はさらに2年前の年の卒業アルバムを取り出してページをめくって、部活動のページを調べた。合唱部は文化系のページにあった。まだ合唱部員が沢山いた頃だ。30人以上はいるだろうか。その中に翔平の顔を認めた。そして、その中に芳田の姿もあった。翔平3年、芳田1年の年だ。乃愛琉はまた元のアルバム、つまり翔平が卒業した次の後、芳田が3年になり、現たちが1年生時のアルバムを再度見返して、合唱部の写真を見つける。ところがそこには芳田の姿はなかった。
「あれ?」
 さらに翔平が卒業した後の、芳田が2年生の時のアルバムを見るも、芳田は合唱部にはいなかった。ということは、翔平が卒業した後は、芳田は合唱部にいなかった。何かがあったのだろうか。

 疑問が残ったまま、二人は教室に戻った。
「真湖! 昨日3年生に脅されたんだって?」
 教室に着くと、阿修羅がものすごい剣幕で真湖ににじり寄った。翔が喋った様子だった。
(いつの間にこの二人仲良くなったの?)
「いや、いや、大したことじゃないんだけどね、あははー」
 誤魔化そうとしたけれど、頭に血が上ると阿修羅は手が負えない。
「誰だ、そいつ? お礼参りに行ってやる」
 小学校時代にも、何度か中学生と揉めて喧嘩になったことがあるのを真湖は知っているので、阿修羅なら、本当にやりかねんと危惧した。
「わかんない。名前も聞いてないし」
「エンリコなら顔覚えるんだな? 乃愛琉も覚えてるか?3年の教室に行けば分かるだろ?」
「あっしゅ、ガッコーの中ではダメだよー」
「学校の外でならいいんだろ?」
「おーい」
 こうなると、真湖でも止められない。
「はーい。席についてー」
 グッドタイミングで担任が教室に入ってきた。真湖も早々に阿修羅から逃げて席に着く。阿修羅もしばらく沸騰していたが、乃愛琉に宥められて、仕方なしに席に着いた。
 HRが始まってすぐに担任の英美佐恵(はなぶさ みさえ)[28歳独身]から真湖に呼び出しがあった。
「煌輝真湖さん、放課後、校長室に来て下さい。以上です」
「へ?」
 いきなりの校長呼び出しに、クラス中がざわめいた。

※「ほろう」…北海道弁で「払う」のこと

2013年9月12日木曜日

「Nコン!」第5コーラス目「勧誘!」

読むための所要時間:約5分

 翌朝、真湖は乃愛琉を連れだって、2年生の教室に向かった。
「ねぇ? 真湖ちゃん、どうするの?」
「んーっとね。……あ、いたいた。せんぱーい!」
 入学早々上級生の階に迷い込んだようになり、不安を隠しきれない乃愛琉とは対照的に、真湖は元気いっぱいに先を急いでいた。明らかに1年生が通ると、2年生の生徒達は何事かと怪訝そうな目で二人を見る。乃愛琉は申し訳なさそうに、真湖に着いていく。真湖はキョロキョロと廊下を眺め、教室の中を覗いているうちに、お目当ての人を見つけたらしく、その男子生徒に向かって走った。
「保家(ほや)先輩ですよね?」
「は? んだけど? キミは?」
「あたしは、煌輝真湖(きらめき まこ)って言います。1年3組です。よろしくお願いします」
「きらめ……ああ、一昨日の全校放送だべ?」
「ですです。それで、保家先輩にも合唱部に参加してほしいんです!」
 乃愛琉はさすがにびっくりした。昨日現と約束で部員は募集しないと言っていたはずなのに。いや、思い返せば、真湖は約束はしていない。ただ、一方的に現がそう言っていっただけだ。けれど、あれだけ言われて、諦めていないとは、さすがの乃愛琉も真湖が何を考えているのか分からなかった。
「いやー。ボクはいいけど……。本当に合唱部つくれんのかい?」
「はい。絶対につくってみせます! だから、先輩には是非入部のお約束をお願いしたいんです!」
「まあ、Nコンの時期になれば、立候補はするつもりではいたけど……まあ、いいよ。ただ、ボクは実家の農作業ある時は練習でれねぇから。先に言っておくけど」
「はい、わかりました。じゃあ、よろしくお願いします!」
 真湖は深々と頭を下げた。
「また、来ますね」
 何事が起きたのか分からずにきょとんとする乃愛琉の手を引いて、真湖はさらに廊下の奥へと進んで行った。
「ちょ、ちょっと、真湖ちゃん、一体どうなってるの? どうして、あの先輩、あっさり入部してくれるって言ったの? 知り合いなの?」
「ううん、今日初めて会ったよ。保家寿(ほや さとし)先輩。パートはテナー。現先輩たちと一番仲が良かったみたい」
「あ。もしかして、昨日の?」
 乃愛琉はふと閃いたものがあった。昨日、現(うつつ)が音楽室を出る前に真湖の頭をぽんぽんと撫でて行ったのを思い出したのだ。
「そう。あの時、現先輩、去年のメンバーのこと思い出してたみたいなの。昨日、現先輩が『協力的な人もいた』って言ってたじゃん? 保家先輩はその協力的な人の一人みたい。実家農業やってるのは分からなかったけど。でも、協力してくれそうじゃん?」
 なるほど、それで、昨日の帰りに『一本釣り』という言い方をしたのだと納得した。
「で、残りの人達にも同じようにするつもりなの?」
「もちろん!」
「イヤイヤやってたって人もいるって言ってたじゃない?」
「それは、それでなんか考えるよ。とりあえず、良い感じの人たちから声かけてこうと」
 また行き当たりばったりかと呆れるも、今までの真湖を見てきた乃愛琉としては、何かやるのではないかという期待はあった。
「あ!また、いた!如月(きさらぎ)先輩!」
「はい?」
 ショートカットのその女子生徒は、真湖に呼ばれて、そのクリっとした目をさらに見開いた。
「如月友夏(きさらぎ ともか)先輩ですよね? あたしは、1年3組煌輝真湖っていいます。合唱部をつくりますので、入部してもらえませんか?」
「あら? あなたね? 全校放送の子。また元気な子ね。いいわよ、入っても。でも、顧問の先生とかどうすんの?」
「ありがとうございます! あ、えっとー、……それは、これから探します!」
 顧問については、まだまだアテはない。真湖は正直に話した。
「あら、そう。それは、頑張ってねー」
「はい! ありがとうございます! あ、あのー、外園(ほかぞの)先輩って、仲良いんですか?」
「諒子(りょうこ)ちゃん? うん、仲良いよ。もしかして、諒子ちゃんも誘いたいの?」
「はい、そうなんです。どうでしょうか? あと、他にも誰か合唱部に興味ある人いませんか?」
「まあ、わたしが誘えば、やるとは思うけどー。ごめーん。他は心当たりはないなぁ。大体みんな、仕方なくやってる人の方が多いみたいだしね」
「やっぱりそうですかー。じゃあ、外園先輩にだけ、声かけておいてもらえませんか?」
 如月は快く真湖の依頼を受けてくれた。真湖と乃愛琉は深々と頭を下げて彼女と別れた。
 陽気で明るく、快活なところが、ちょっと、真湖に似たようなタイプだなと乃愛琉は感じた。
「これで、3人ゲットだね。幸先いいわー」
 20人近くを集めなきゃならないのに、たった3人で幸先いいと言い切る真湖の脳天気さには乃愛琉も苦笑いするしかなかった。
 次に真湖が向かったのは、2年1組の教室。射原悠斗・悠耶(いはら ゆうと・ゆうや)の双子の兄弟を呼んでもらい、同じく合唱部入部をお願いしに行った。実はこの二人、真湖たちと同じ中央小学校出身で、近所でも有名な双子だった。両親が射原商店改め、現在のセイコーマート(※)を経営していて、真湖も乃愛琉もしょっちゅう買い物に行っている。小学校の時から面識があったので、話は早かった。

 結局朝のうちに、5名の入部確認ができて、ホクホク顔の真湖と乃愛琉がクラスに戻ってきたのは、ホームルームが開始される直前だった。
「遅かったな。どうしたんだ?」
 阿修羅が少し心配そうに乃愛琉に訊いた。乃愛琉は大まかな話だけした。もちろん能力の部分はぼかして、去年のメンバーを職員室で聞いたらしいくらいで言っておいたのだが。
「あのバカ……これ以上目立つマネしたら……いや、まあ、真湖らしいっちゃあ、真湖らしいんだけどな……。ただ、あんまり変なことにならなきゃいいんだが……」
 阿修羅の悪い予感が早速当たったのは、昼休みのことだった。

「ちょっと、煌輝さん!」
 昼休み突入と共に、1年3組に表れたのは、現だった。
「現先輩?」
 真湖はケロっとして、呼ばれるままに廊下に出た。
「2年生のとこに勧誘に行ったんですって? どうして、わたしの忠告聞いてくれなかったの?」
「だってー、やってみなきゃ分からないじゃないですか? で、どうしてもダメだったら、あたしも諦めますけど」
 現は手を目に当てた。なんて言ったらこの子は納得するんだろうかと真剣に悩んだ。
「あのー。先輩」
 そこに、1年3組の教室からぶらりと顔を出したのは、阿修羅だった。なんともやる気のなさそうな顔つきで現に声をかけた。現は怪訝な顔つきで阿修羅に答える。
「あなたは?」
「剣藤っていいます。こいつの幼馴染みで。こいつ、昔っから、思い込んだら徹底的にやらないと気が済まないタイプなんですわ。迷惑かけてすんません」
「あっしゅは引っ込んでてよ」
 真湖が阿修羅を教室に押し込もうとした。
「俺も、詳しくは聞いてないんでわかんないっすけど、何もしないで手ぇこまねいているより、とにかく色々やってみるってのもいいんじゃないですかね? 何もしなかったなら、何も起こらんでしょ」
 自分を説得するために出てきたのかと思ったら、現の説得を始めた阿修羅を見て、真湖は目が点になった。
「まあ、一所懸命すぎて困るとこもあるんですけどね」
 阿修羅はくすりと笑った。現は何と言っていいのか迷って、しばらく黙っていたが。
「分かった。わたしの負け。もう止めないわ。けど、3年生の誰かに声かけるなら、その前にわたしに言って。絶対声かけちゃダメな人もいるから。それだけはお願い」
「あ、いえ。その……あたしも、勝手なことして、ごめんなさい。でも、助かります。ありがとうございます」
 真湖もさすがに殊勝な顔つきで頭を下げた。
「ところで、どうして、如月さんとかが去年のメンバーだって、知ってたの?」
 現は、当然疑問に思うところを真湖に尋ねた。
「あ、あー。それはですねー。えっと、去年の活動日誌みたいなのを、図書館でみつけましてー」
 と、真湖は適当な答えで誤魔化そうとした。
「あ、そうなの」
 現はそれで納得したようだったが、阿修羅はひっかかりを覚えた。確か乃愛琉は先生に聞いたと言っていたような。しかし、取り立てて聞き直すまでのことでもないように思ったので、それ以上は詮索しなかった。
「先輩、早速ですけど、山咲先輩って、声かけてもいいんですか?」
「山咲くん? 野球部のってこと?」
「はい、そうです。3年生で、声掛けたいんですけど」
「山咲先輩も誘うっていうのか?」
 阿修羅も驚いた。
「山咲先輩も去年参加されてるんですよね?」
「うん、まあ。でも、本当に助っ人ってだけで、練習には全然来られないわよ、野球部と掛け持ちだったから」
 まさか野球部員に合唱助太刀する先輩がいたとは、意外だった。先日乃愛琉の家で調べた時、Nコンの予選時期は確か夏休み終わり頃で、野球部も秋の大会に向けて忙しい時期だと思っていたからだ。
「でも、人一倍大きい声ですよね!」
 真湖は阿修羅と一緒に野球部の下見をしに行った時のことを思い出していた。グランドの端から端まで響き渡る声の持ち主であったのが印象的だったのだ。
「まあ、たしかに。それなら、わたしから話しておいてあげるわ。彼は協力的だから」
 現はクスっと笑って請け負ってくれた。
「これで、もう13人になりましたよ!」
 真湖は、指折り数えた。真湖、乃愛琉、翔、現、栗花落(つゆり)、保家、如月、外園、射原兄弟、山咲と、数えてから、
「阿修羅と、灯。で、13名です!」
「だから、俺はやんねぇって……」
 阿修羅は真湖のポニーテールをグイっと引っ張った。が、真湖はめげない。
「あと、7人で20人ですよ!」
「剣藤くんのことは別として、12人ね。大変なのは、これからよ。そこから集めるの大変なの。……でも、あなたのことだから、やっちゃいそうだけど……」
 すっかりこの子のペースにはまってしまったものだと現は思ったが、何故か嫌な気分ではなかった。
「これから、1年生の勧誘を始めようと思うんです。きっと、歌うの好きな人いるはずですから」
 阿修羅のみぞおちに肘鉄を食らわせてから、髪を戻しながら真湖はそう現に言った。現はそこは任せると言い、とにかく3年生には気をつけるように付け加えた。真湖が2年生に勧誘に行ったことは現だけでなく、他の3年生にも伝わっていた。煌輝先輩の従姉と知れば、恨みに思う者もいるかも知れないのでと、しつこいくらいに言い残して、現は自分の教室に戻った。
「なしたの?」
 現が離れた頃、廊下のドアに立つ二人に翔が訊いた。

 放課後、真湖、乃愛琉、翔の3人で下校の途についた。阿修羅は部活、灯は今日から塾だという。
「どうして、俺も呼んでくれなかったのさ?」
 今朝の顛末を聞いて、翔はむくれた。自分の能力のこともあって、乃愛琉だけを連れていったのだが、確かに数少ない合唱部員候補を一緒につれて行かなかったのは、ちょっと悪い気がした。
「ちょっと、今朝急に思いついたもんで。ごめんね。今度は一緒に誘うから。ね」
「絶対だよ。今度のけ者にしたら、俺と付き合ってもらうからね」
「しないから! エンリコも、しつこいなぁ」
「だって、そういう行動的な真湖ちゃんが好きなんだもん。また、さらに好きになったな!」
「あのね、あんまり、好き好き言うもんじゃないの。なんか、もう恥ずかしくなってきた……」
 真湖は、赤い顔して早足になった。
「え? そうなの? パパは、好きな人にはちゃんと好きだといいなさいって教えられてきたんだけど?」
 さすがイタリア人。
「日本人の男の子は、そんなに好き好き言わないよ」
 乃愛琉も苦笑い。
「あ」
 早足で先に進んでいた真湖が声を上げた。俯いたまま歩いていたため、他の学生にぶつかってしまったのだ。
「あ、ごめんなさい」
「お前、煌輝か?」
 少しガラの悪い男子生徒が3人、真湖を囲むようにして立っていた。ネームプレートははずされているが、どうみても3年生らしい。
「あ、はい、そうですけど?」
「ちょっと、顔貸せや」
「待って下さい! ぶつかったのは謝ってるじゃないですか?」
 翔が割って入ろうとした。
「お前は下がってろ」
 一人が、翔をど突いたため、その場に尻餅をついてしまった。乃愛琉が慌てて翔に手を差し伸べて起こした。
「すぐ終わるからよ。ちょっと付き合えや」
「わかりました。あの人達には手出さないでください」
 真湖は毅然として、そう答えた。けれど、手はブルブルと震えていた。
「真湖ちゃん!」
 路上に座り込んだ翔と乃愛琉を残して、3人は真湖を連れて公園の方へと歩いて行った。

 ※「セイコーマート」:北海道のみで展開されているコンビニのこと。愛称で「セコマ」とも呼ばれる。北海道でコンビニと言えば、セコマ。

2013年9月10日火曜日

「Nコン!」第4コーラス目「先輩!」

読むための所要時間:約6分

「わたしは、現瞳空(うつつみく)。合唱部はつくらない方がいいわ。これは、忠告……というより、お願いに近いかも知れないわね。つくらないでちょうだい」
「え?」
 真湖は先輩にいきなりそんなことを言われて、硬直した。
「ど、ど、ど、どうしてですか?」
 真湖は思いっきりどもりながら現に尋ねた。
「だって、Nコンに出たいじゃない。合唱部をつくったら、Nコン出られないもの」
「え? どういうことですか? あたしだって、Nコンに出るために合唱部つくりたいんです!」
 真湖は混乱した。Nコンに出たいから、合唱部つくらない方がいい? むしろ、Nコンに出たいから合唱部をつくりたかったのだ。
「合唱部つくっても、人は集まらないからよ。集まらなかったら、Nコンにだって出られないじゃない?」
「合唱部なかったら、Nコン出られないんじゃないですか?」
 現は、一息溜息をついて、
「あのね。担任から聞かなかった? あれだけの騒ぎ起こしたんだから、当然聞いてると思ったわ」
「え? 何をですか?」
「あのね、うちの学校は毎年、Nコン出場するために、各クラスから男女1名づつ強制的に集められるの。各学年4クラスづつあるから、合計で24名ね。それでNコンに出場するのよ。そうじゃなかったら、10名も集まらないわ。実際、わたしが1年生の時は、6人しかいなかったんだから」
 現が1年生の時というと、ちょうど廃部になる前だったのだろう。
「せ、先輩、合唱部だったんですか?」
「そうよ。あ……もしかして、あなた、煌輝(きらめき)先輩の……妹さん?」
「いえ、従妹です。翔平にいちゃん知ってるですか?」
「ええ。わたしが入学した時にはOBだったけど、時々指導に来てくれてたから。そっか……名前聞いてすぐに気がつけばよかった。でも、だったら、先輩からその辺聞いてないの?」
「翔平にいちゃんとは、Nコンに出場して全国大会に行くって、約束しました」
「あはは」
 現は思い切り笑った。
「先輩らしいわね。でも、煌輝さんには悪いけど、今のこの学校じゃあ、全国は無理よ」
「そんなのやってみなきゃ分からないじゃないですか!?」
「分かるの」
「どうしてですか?」
「あのね……」
 現は一息ついてから、
「中学校は、小学校と違ってね、先輩後輩っていうのがあってね。……わたしはそんなに気にしないけど、そういう口のききかたしたら、あなたこの先困ることになるわよ」
 と、溜息ついた。
「あ、すみません」
「わかったわ。じゃあ、今日の放課後、音楽室に来てちょうだい。詳しく話してあげるわ」
 最初は随分高圧的に見えた現も、今は温和な顔になっていた。いきなりの言葉に真湖が反発していたせいでそう見えていただけなのかも知れないが。
「あ……。わかりました。よ、よろしく、お、おねがいします!」
 真湖は使い慣れない敬語を使って、現に頭を下げた。現はふらりと回れ右して、廊下を去って行った。

「どした? 真湖?」
 席に戻った真湖に心配そうに阿修羅が訊いた。
「Nコンに出たいんだったら、合唱部をつくらない方がいいって。先輩が」
「なんで?」
「強制的になら集まるけど、そうじゃなかったら、人が集まらないからだって」
 それから、真湖は現と話した内容をかいつまんで皆に伝えた。
「強制的……? ああ、昨日の先生も言ってたな、そんなこと」
 阿修羅は、鮭を口に突っ込みながらそう言った。
「それ、どういう意味?」
 ただ一人、昨日一緒にいなかった翔が疑問符を投げかけた。
「それはね……」
 と、乃愛琉が昨日の出来事と、あの老教師から聞いた話を伝えた。
「確かにその先輩の言うことも一理あるね」
「なんか、大人臭い言い方ね」
 灯が変に茶々を入れた。
「詳しい話って、何だべな?」
「翔平にいちゃんのことも知ってたなら……それに廃部になったのが2年前っていう話だと、廃部になったいきさつなのかも……」
 乃愛琉がそう言うと、そういういきさつは翔平から全く詳しくは聞いていなかったことに真湖は思い至る。それとも、廃部になったことを翔平は知らなかったのだろうか。
「とにかく、放課後音楽室に行ってみれば分かるんじゃない? 3人で行ってみようよ」
「3人って、誰だよ?」
 聞き捨てならないといった風に、阿修羅は翔に突っ込みを入れた。
「もちろん、俺と真湖ちゃんと、乃愛琉ちゃんの、合唱部員だよ?」
「む……」
 阿修羅は返す言葉を失った。今日の放課後からは早速野球部の練習に参加しなければならず、自分は一緒に行くことはできない。が、翔が一緒に行くのはなんとなく納得がいかなかった。
「真湖、ちゃんと断ったんじゃないの?」
 灯が詰問した。
「あ、いや。……その……入部希望はね、断れないし……」
「交換条件とか持ち出すヤツなのに?」
 本人を目の前に、灯は容赦ない。
「あはは。それは、断られたよ。それ抜きで、合唱部入るって言ったんだよ」
 翔は全く堪えない風に灯に微笑みかけた。すっかり暖簾に腕押しだった。
「あ、でも、さっきの先輩優しそうだったから、心配ないよ。あっしゅも灯もありがとね」
 そこじゃないだろ、と阿修羅と灯は思ったが、それ以上口出すことは憚られたので黙ることにした。
「そういう先輩たちがいるんだったら、あんな風に騒ぎ起こす前にちゃんと話を聞いた方がよかったんじゃない?」
 その代わりに灯は真湖に苦言を呈した。
「あの騒ぎを起こしたから、先輩から来てくれたんだもん。よかったっしょ」
 暖簾に腕押し2号。
「まあ、でも、元合唱部の先輩が見つかってよかったよね。とにかく」
 結局最後には乃愛琉がフォローした。

 放課後。
「こんにちはー」
 現に言われた通りに、3人で音楽室を訪れた。音楽室にはすでに現と共に1人の男子学生がいた。
「えっと……」
「ボクは、栗花落蒼斗(つゆり ひろと)。瞳空(みく)と同じ3年生だよ」
 と、最初に少し内気そうなその先輩の方から自己紹介した。真湖たちはそれぞれに栗花落に挨拶した。
「まあ、座ってよ」
 栗花落は真湖たちにイスを勧めてから、自分達も座った。
「瞳空から聞いたけど、煌輝さんって、煌輝翔平先輩の従妹さんなんだって?」
「はい、そうなんです」
「そしたら、先輩から、合唱部が廃部になったことって聞いてなかったのかい?」
「ええ、まあ……」
「そうなんだ。じゃあ、その辺詳しく説明するね。これは先輩が卒業した後の話なんだけど、ボクたちが1年生の時を最後に合唱部は廃部になったんだ。その翌年、2年前からは合唱部という形の、任意の参加ではなくて、強制的に1クラスから男女1名づつを集めることになったんだ」
「え? そうなんですか? そういうことは一切聞いてなかったです」
「うん。ボクたちが1年の時、合唱部は6人しか集まらなかったんだ。2年生が1人、1年生はボクと瞳空。残りは3年生だった。それでも、なんとか臨時の合唱部員を足して、20名弱でNコンには参加できたんだけど、翌年春先に顧問の三越先生が亡くなって、さらに1年生が全然集まらなくて、結局廃部さ」
「現先輩からもそう聞きました」
「それから、結構大変だったんだ。部としては存続は厳しいけれど、Nコン不参加は避けたいってことで、先生方と直談判して、各クラスから2名づつ出してもらうことに決めたんだ。」
「合唱部つくったら、人が集まらないっていうのは、そういうことなんですか?」
「そう。少なくとも、今の2年、3年生で自主的に合唱部に参加しようっていうのは、ボクと瞳空くらいじゃないかな。去年Nコンに出てくれてた人たちも、本当にその時期だけしか参加できないって人ばっかりだったし」
「そうなんですか……」
 現実を突きつけられて、さすがの真湖も考え込んだ。
「それより、ボクが心配しているのは、煌輝さんのことなんだ」
「あたし……ですか?」
「実を言うと、ここだけの話なんだけど、強制的に参加者を募ることするっていうの、煌輝先輩の入れ知恵だったらしいんだ。もうすでにその時はOBだったから、本当は口出しできないのにね。だから、裏では結構槍玉にあがってたみたいんだ」
「槍玉?」
「つまり、先輩、結構裏で色々言われてたみたいなの」
 現が付け足した。
「え……。そ、そうなんですか」
「もちろん協力的な人達もいたけど、イヤイヤやってた人もいたしね。煌輝先輩も真面目だったから。むしろ、OBの自分が口出したことにして、一身に批判を受けるようにしたのかも」
「……」
 真湖は言葉もなかった。
「だから、本当のこと言うと、昨日の放送って、本当はヤバいんだよな。無理矢理合唱させるように仕組んだ先輩の従兄妹が、今度は合唱部つくろうって騒ぎ出したってなったら、去年参加した奴らがどう思うか。今の2年生はほとんど知らないと思うけど、3年生の一部にはその辺知ってる人もいるみたいなんだ。だから、煌輝さんが心配だったんだよ」
「あたしは、裏で何言われても気にしませんから」
「やっぱり、煌輝先輩の従兄妹さんね」
 現は感心するような、呆れるような表情でそう言った。
「真湖ちゃんに何かあったら、俺が護りますから」
 翔が胸を張った。
「あなた、煌輝さんのカレシ?」
 現が首をかしげた。
「ち、違い……」
「いえ、まだ立候補中です」
 真湖の言葉を翔が遮った。
「あら、そうなの?煌輝さんって、モテモテなのね。
 あ、蒼斗はわたしのカレシだから。よろしくね」
 現は冗談ともつかない言い方で、にっこり笑った。
「えー。そうなんですかー」
 さすが3年生。ススんでるな、と真湖は思った。乃愛琉はというと、美形と言える顔立ちの現に対して、見るからに内気っぽくって陰のある栗花落は釣り合いが悪いなと思っていた。翔は翔で、栗花落がどうやって現を口説いたのかに興味があった。もちろん3人ともに口にはしなかったけれど。
「話を戻すけど、とにかく、合唱部をつくるのは諦めて。で、多分、6月くらいにはNコン出場者をクラスで決めるはずだから、そこで立候補してくれればいいわ。
 もし、その前に練習したいなら、ここに来ればいつでも教えてあげる。部活動にはならないけどね」
「先輩たちは、いつもここで練習してるんですか?」
 乃愛琉が訊いた。
「そうね。ここか……内緒だけど、時々駅前のカラオケで練習したりしてる。これは先生たちには内緒だよ。一応、大人同伴ってことにしてるけど」
「わかりました」
 現に合わせて乃愛琉も微笑んで答える。一度はカラオケに行ってみたいと思っていたところだ。もしかしたら、この先輩達と付き合えば、近い内に行けるかも知れない。
「じゃ、そういうことで……」
 現と栗花落は音楽室を出ようとする。
「先輩、ちょっと待って下さい!」
「ん?なに?」
 真湖が二人を止めた。
「もし、もしですよ。もし、部員が20人以上集まるんだったら、つくってもいいってことですよね?」
「なかなか、諦めの悪い子だね、煌輝さんって」
 栗花落も少し呆れた顔をする。
「でもね、合唱って、人がいればいいってもんじゃないんだ。男女比だとか、パートのバランスとか、そういうのも大事なんだ。それに、何よりも、部ができたところで、指導どころか、顧問になってくれる先生がいない」
「え? じゃあ、Nコンの時ってどうしてるんですか?」
「一応、音楽の先生が担当になってくれてるけど、あくまでも随行してくれるってだけで、指導まではしてくれないんだ」
 栗花落が残念そうに言った。
「だから、言ったでしょ。今のこの学校では全国は無理だって。全国どころか今年は全道だって無理だと思うわ」
 手をバンザイして、現がお手上げというジェスチャーをする。
「でも、去年は銀賞でしたよね?」
 乃愛琉が昨日Nコンのサイトで見たのを思い出した。
「去年の3年生が頑張ってくれたのよ。運動部からも参加してくれて。大変だったわ。とにかく、そういうことだから、あなたたちでなんとかできる問題じゃないの。
 でも、勘違いしないでね。わたしたちは合唱好きだし、そういう問題がなければ、合唱部つくって、みんなでNコンに出場したいって思ってる。でも、どうしようもないの。意地悪したくって、こんなこと言ってるわけじゃないの。ホント、わかってね」
 現は真湖の元に戻って、彼女の頭をぽんぽんと撫でてから教室を出た。栗花落もそれに従って音楽室を出る。さすがに真湖もそれ以上は何も言えなかった。

「そりゃあ、仕方ないよね」
 帰り道、翔が真湖を慰めた。
「真湖ちゃん、元気出して?」
 真湖が学校から出て以来、一言も口をきかないので、不安になった乃愛琉が真湖の顔を覗き込むと、真湖は予想外に笑っていた。
「どうしたの、真湖ちゃん?」
「ふふふふ」
 ショックが酷くてついに気が触れたかと乃愛琉が心配するくらい、真湖は含み笑いをしていた。
「やるぞー!」
 突然に真湖が叫んだ。乃愛琉はひっくり返りそうになり、それを翔が支える。
「明日から勧誘するよ!」
「勧誘って……?」
「一本釣り!」
 真湖は乃愛琉にサムズアップして、いい笑顔をした。

2013年9月7日土曜日

「Nコン!」第3コーラス目「告白!」

読むための所要時間:約6分

「いいよ! どこに付き合えばいいの?」
 真湖はさらりと言った。翔は一瞬固まる。
「あ、いや、どこにって。……俺と付き合ってって言ったの。つまり、君がカノジョで、俺がカレシ。コイビトってこと。わかる?」
「カノ……ジョ? コ イ ビ ト……?」
 真湖の顔がみるみるうちに紅くなった。
「マジ?今のって、告白?」
「さすがハーフ、ススんでるよね」
「でも、なんであんな子?」
「わたし、超ショック。結構気になってたのに」
 クラスの中が瞬く間にざわめき始めた。
「そうそう。コイビト。俺は、君が好きなんです。付き合ってください」
 翔は満面笑顔でそう良いながら、真湖の手を振り続けた。
「えー!?」
 真っ赤になった真湖は、翔の手を思いっきり振り払って。
「無理、無理、無理、無理、無理、無理!」
 と、翔を両手で突き飛ばそうとした。が、その両手は翔にしっかり掴まえられていた。
「どうして無理?」
「だって、昨日今日初めて会ったばかりで、全然知らないのに」
「俺は知ってるよ? 煌輝(きらめき)真湖ちゃん。合唱が大好きで、合唱部つくる。ポニーテールの似合う女の子。違う?」
「そういうことじゃなく、中身の問題でしょ?」
「中身はお付き合いしながら、わかり合えばいいじゃないか?」
 と、二人で押し合いへし合いしているところに、横から力強く翔の腕を引っ張る者がいた。
「おい、いい加減にしろ!」
 さっきひっくり返った阿修羅だった。
「嫌がってるじゃないか、止めろよ!」
「剣藤くんか。君は関係ないじゃないか。カレシじゃないんだろ?」
「いいや、関係大アリだね。こいつは、『一応』俺の幼馴染みだからな。腐れ縁だけど。本人が嫌がってんだから止めるだろ、ふつー。男子女子関係なく」
「へぇ」
 翔は挑戦的な目つきをした。阿修羅もそれに目で応え、身構えた。一発触発のところで、
「はいはい、みんな、席についてー」
 と、間延びした声が壇上から聞こえた。担任の英美佐恵(はなぶさ みさえ)先生だった。
「ほら、そこ、固まってないで。みんな席についてよー」
 事情の分からない担任はただ、生徒達が固まってじゃれ合っているとしか見ていなかった。
「はいはい、もう小学生じゃないんだからねー」
 昨日の入学式の指導教員の言葉をそのままオウムのように繰り返した。生徒達は蜂の巣をつついたように、それぞれに自分の席に戻った。阿修羅も舌打ちして、自分の席に戻った。
「じゃあ、また後でね」
 翔は、飄々とした風で真湖にそう残して、やはり自分の席に着いた。
 ホームルームの最中は始終クラス内、こそこそ話。もちろん主に真湖と翔の話で盛り上がっていた。女子の一部では、止めに入った阿修羅との三角関係疑惑に花が咲いていたり。当の本人である、真湖は赤い顔が治らず、ずっと下を向いたまま。阿修羅は翔を睨んだままだったが、その翔はというと、変わらず飄々(ひょうひょう)とした顔で、隣の女の子と軽口を叩いていた。
 英美先生は時折、
「はいー、静かに-」
 と声は掛けるものの、淡々をホームルームのお知らせを読み上げて、時間通りに切り上げた。
 ホームルームの時間が終わると、今度は女子が真湖の周りに集まった。
「ねーねー、どうするの?」
「剣藤くんって、真湖ちゃんの幼なじみなの? カレシじゃないの?」
「ねー、どっちの方が好み?」
 と、ワイドショー並の取材攻撃が開始された。
「あ、いや、その……」
 赤い顔がとれずに、ただオロオロする真湖。超気になる気配をみせる阿修羅だが、今度は女子相手なので、手が出せずに遠目に見ながら、ヤキモキするだけだった。
 そこに、
「ちょっと、真湖、トイレ付き合って」
 と、灯が女子の輪に入って行って、真湖の手を引っ張った。
「ちょ、っと……灯ちゃん?」
 突然手を引っ張られて、真湖はびっくりしたけれど、されるがままに灯に連れられて、教室を出た。

「あんた、ばっかじゃない!?」
 トイレに駆け込んだ途端に、灯が真湖を罵倒した。それから、鏡に向かって髪を整えるフリをしながら続けた。
「なに、あんなヤツにへらへらしてんのよ!」
「いや、あたしは……そんなつもりじゃ……」
「だったら、ちゃんと断りなさいよ。そもそも、あんた隙だらけなんだから、昔っから」
 狼狽する真湖に灯は容赦なかった。灯はポケットから取り出した櫛で、腰まで伸ばした長い黒髪を梳いた。髪質は真湖とあまり変わらない、ツヤのある黒髪。ポニーテールにしている真湖と違って灯はそのままストレートにしている。顔立ちが通っていて美形なのだが、性格がクールすぎるため、小学校ではむしろ『怖い子』のイメージが強かったらしい。ただ、真湖は灯のことを怖い子とは思ったことはないのだけれど。
「そんなんだから、あんなヤツに変に声かけられるんだから。いい?ちゃんと断りなさいよ、合唱部に入るのも。
 大体、入部する代わり付き合えとかって、あり得ないから!」
「あ、そうだね……」
 灯にそう言われると、真湖の頭もかなり冷静になった。確かに灯の言う通り、入部する代わりにという条件付けなんかするあたり、彼の言うことはおかしい。
「そういうことに気付いてないんだから、本当にあんた、頭弱いんだから!」
 灯は櫛をポケットに戻すと、顔を伏せてから続けて、
「それからね、あっしゅにはちゃんとお礼しておくのよ!」
 と言った。
「うん」
 真湖は大きく頷いた。
「あ、灯ちゃん」
「なによ?」
「ありがとね」
 クラスの女子からの取材攻撃から抜け出せたのも、突然の出来事に頭が混乱しているのを冷静にしてくれたもの、灯のおかげだった。
「もう授業始まるから戻るわよ!」
 灯はそれには答えず、トイレを出て教室に向かった。真湖は鏡に向かって両の頬をペチペチと叩いてから灯の後を追った。

 1時間目の終わり、真湖は意を決したように立ち上がり、翔の元に向かった。
「エンリコくん」
「なんだい? 真湖ちゃん?」
 翔はにこやかな笑みをたたえながら、真湖に向かった。彼女が来るのを予測していたかのように。
「さっきの話なんだけど、ごめんなさい、お断りします」
 真湖は、勢いよく深く頭を下げた。ポニーテールが翔の鼻先をかすめた。
「えー。そうかい。残念だなぁー」
 と、全く残念がる様子もなくそう言った。
「じゃあ、仕方ないや、合唱部にだけ入ろうかな」
「あの……合唱部もできるかどうかまだ分からないし」
「でも、つくりたいんだろ? 協力はするよ」
「あ、あの……気持ちはありがたいんだけど……」
「合唱部やりたいってのは、本気(マジ)だよ? あ、もちろん、真湖ちゃん好きだっていうの本気だけどね。一部員として、部員集め手伝うよ。それならいいだろ?」
「あ、うん…」
「それとは別に、俺は真湖ちゃんのことは諦めないからね」
「だから、それはことわ……」
 翔は真湖に皆まで言うなと、手で制した。
「うん、今はね。今は」
 そう言って、翔は立ち上がり、
「次、教室移動だよ」
 教科書を持って教室を出た。
「いけすかねぇ野郎だな……」
 翔が出て行った後に、心配そうに阿修羅と乃愛琉がやって来た。
「あ、あっしゅ、さっきはありがとね」
「いや、別に……。次の教室行こうぜ」
「うん」
 阿修羅は照れ隠しに、踵を返して先導するようにして、教室を出た。
「真湖ちゃん、あの人大丈夫かな?」
「ん? エンリコくん? 悪い人ではないと思うんだけどなぁ……」
「それはそうだけど……なんか、部始まった後、もめ事にならなければいいんだけど」
「でも、あたしは来る者拒まず、去る者食わずだから」
「去る者追わずでしょ?」
「あ、そっか」
 二人して見合って笑った。
「それより、真湖ちゃん、どうなの? エンリコくんのこと?」
「どうって、だって、昨日会ったばっかりなのに、分かんないじゃん」
「まあ、そうだけどね。でも、ちょっと格好よくない?」
「え? 乃愛琉、タイプなの?」
「ううん。全然。でも、うちのクラスの女子は気にしてる子多いみたいよ。ほら」
 乃愛琉が指さす先に、翔が女の子たちに囲まれながら、廊下を歩いている様子が見えた。
「ねえ、エンリコくん、どうして、煌輝さんなの?」
 その時、翔は遠慮しない女子達に質問攻めにあっていた。けれど、全く動じる様子もなく
「俺はね、行動的な女の子が好きなんだ」
「ねーねー。札幌の小学校だったんでしょ?その時ガールフレンドいたの?」
「どうして石見沢に来たの?」
 行動的な子が好きと言われて、我先に自己主張しようとする女子達に、さらにもみっくちゃにされていく。
「けっ。なーにが、行動的な女子が好きだって」
 男子の一部は、エンリコのあけっぴろげな所に嫌気がさしていたし、その他の男子はただ呆気にとられているだけだった。どちらにしろ、もし彼と同じように気になる女子ができたところで、自らああいう風に、人前で告白しようなんてできやしないと思っているのだった。
 そういう意味では、今日の出来事は彼らには全くの新境地であり、アニメや小説で見聞きはしたことはあるが、まだ自分たちでは体験したことのない、青春の扉が開いた瞬間であった。

 そして、昼休み。
 阿修羅と乃愛琉が前後の席だったので、そこに真湖と灯が集まった。学生生活初のお弁当である。もちろん小学生の時も、何かの行事の度にお弁当をつくってもらったことはあったが、これからは毎日がお弁当になるのだ。真湖の母も今朝は早くから起きてお弁当作りに精を出していた。今日のお弁当は昨日リクエストしておいた、ハンバーグとウインナーが入っているはず。
「阿修羅のお弁当箱、おっきいね!」
 机の上に並べられた弁当箱は、阿修羅のが明らかに大きかった。その中で一番小さい、灯持参のお弁当箱の2倍はあったろうか。
「育ち盛りだからな!」
 阿修羅がわははと大笑いしながら、弁当箱を開ける。ご飯たっぷりの海苔弁当だった。
「ご飯、おっきいねぇ」
 と、そこに翔がやってきた。
「なんだよ?」
 阿修羅が敵意を見せる。
「一緒させてもらってもいいかい? なんか、みんな出身校で固まってるからさ。俺、行き先なくてさ」
 と、言いつつも、その翔の行動を見つめながらウロウロしている女子が数名いるのを阿修羅は見逃さなかった。
「向こうに、一緒に食べたがってそうなのがいるけどねぇ」
「そんなに邪険にしなくてもいいだろ? お邪魔します」
 修羅をすっかり無視して、隣からイスを持ってきて座ろうとした。
「こちらにどうぞ」
 灯が素早く移動して、乃愛琉と自分の間を開けた。翔は明らかに真湖の隣を狙っていたようで、一瞬止まってから、開いたところにイスを置いた。
「ありがとう」
 やっぱり変わらずの笑顔で、灯の隣に座った。
「えっと、あけび……ちゃんだっけ?」
「あかり。紺上(こんじょう)灯」
 灯は翔の顔も見ずにそう言った。ちょっと語気に力が入っていた。
「ごめん、ごめん、あかりちゃんね。あと、ノエルちゃんだったよね」
 翔は乃愛琉にも愛想を振りまいた。
「ノエル……これ、なんて読むの? がっしょう?」
 翔は乃愛琉の胸についた名前札を指した。
「合歓(ねむ)って読むの。合歓の木って知らない? 北海道では生えないけど」
「へえ。これでねむって読むんだ。でも、ノエルの方が覚えやすいから、ノエルちゃんでいいよね? 俺は、エンリコ翔。よろしくね」
 翔は皆と一緒に弁当箱を広げた。中にはサンドイッチが入っていた。若干不格好だが、あんまり見たことのないハムとかが挟まっている。
「わー。サンドイッチだー。いいなぁ。お母さんが作ってくれるの?」
 真湖がそれを覗き込む。
「そんなんで足りるのか?」
 阿修羅は顎肘ついてそう言った。
「足りるよ。これは、俺の自作。うち、ママーが働いてるからさ。朝時間なくて、自分で作ってる」
「そういえば、エンリコくんって、札幌から越してきたって?」
「うん。今はおじいちゃんの家に住んでる。3人暮らし」
 翔は相変わらずニコニコ顔で、サンドイッチに口をつける。
「おとう……」
「真湖!」
 真湖が口を開こうとして、灯が制止した。
「あ、全然気にしなくていいよ。そそ、パパはいないんだ。離婚してね、イタリアに帰っちゃった。だから、ママーと二人暮らしだったんだけど、地元に戻ってきたってわけ」
 少し沈黙が流れた。
「部活。剣藤くんは、なにやるのさ?」
 最初に翔が口火を開いた。
「あ、俺? 俺、野球部」
「あっしゅは、地元のリトルリーグでは有名だったんだよ。4番ショート」
 真湖が補足した。
「へー。道理で体格いいわけだ。あっしゅって呼ばれてるの?じゃあ、俺もアッシュって呼ぼうかな」
「どうぞ、ご勝手に」
 阿修羅と呼ばれるよりかはマシかと思い、それは断らなかった。
「あかりちゃんは?」
「わたしは、帰宅部」
「ノエルちゃんは?」
「わたしは……真湖ちゃんと、合唱部……の予定です」
「そっか、じゃあ、一緒だね!」
 翔はそう言って、隣の乃愛琉の手を取った。乃愛琉はすぐにその手を引っ込めた。
「そっか、じゃあ、もう3人までは決定なんだね。ところで、何人くらいいれば、合唱部できるんだろうね?」
「一応、10人くらいは集めたいなって思ってるんだけど」
 真湖は当座の目標をそれくらいで考えていた。それくらいいれば、先生にも交渉できるのではないかと思って。
「じゃあ、あと7人だね」
「煌輝さんっている?」
 その時、乃愛琉の後ろのドアから、声がした。みんなが振り返ると、一人の女子生徒が立っていた。胸元の名札を見ると、3年生のようだ。
「はい、あたしです!」
「ちょっといいかな?」
 その先輩は、真湖を手で呼びつけた。
「はい」
 真湖は箸を置いて、立ち上がり、廊下に出た。残りの4人はその様子だけ目で追った。
「入部希望かな?」
「かな」
 真湖が廊下に出ると、その女子生徒はまず名乗りあげた。
「わたしは、現瞳空(うつつみく)。3年2組。昨日の全校放送聞いたんだけど、あなたが合唱部つくりたいって言ってたのよね?」
「はい! そうです! 先輩も入ってくれるですか?」
 真湖は、満面に笑みを浮かべた。早速入部希望者が現れた!
「そのことなんだけど……」
 現はそこで息継ぎをした。
「合唱部はつくらない方がいいわ。いいえ、つくらないでちょうだい」
「え?」
 真湖は硬直した。

2013年9月6日金曜日

「Nコン!」第2コーラス目 「募集!」

読むための所要時間:約6分

「相変わらず無茶苦茶だなお前」
  職員室でこってりしぼられた後、4人は下校の途に着いていた。
 「ばっかじゃない。なんでわたしまで怒られなきゃならないのよ」
  阿修羅と灯が揃って真湖を責めた。
 「ごめ~ん。なんか、急に叫びたくなって」
  と、真湖は二人に謝るが、全く悪びれる様子はなかった。
 「しかも、なんで俺のマネするかねぇ……」
  と、阿修羅は遠い目をした。
  それは、ついさっき、真湖の肩を叩いた時に思い出した光景のこと。小学5年の時に阿修羅が友達数名と放送室を占領した時のことだ。悪戯心で放送室に忍びこみ、言いたい放題やったのだった。もちろんその顛末は真湖たちも知っていて、最終的に校長先生にこっぴどく怒られたのだが。
 「なんか、急にあの時のこと思い出しちゃってさー」
  確かに阿修羅もその時のことを思い出していた。そして、『全校放送で流しちゃえばいいんじゃね?』なんてことを軽々しく思ったことも確かではあった。だから阿修羅もそれ以上は真湖を責める気にはなれなかった。しかし、それはあくまでも妄想であって、実際にやるようなことではなかったはず。真湖が放送室に向かって走り出した時、嫌な予感はした理由はそこだった。
 「でもさ! これで、合唱部員集められそうじゃん?」
 「だから、合唱部は無理だって、さっき先生に言われたばかりだべ」
 

  担任からは、部活の新設は学生の自治ではなく、教職員の判断だと言われたのだ。
 『だって、よく、部活って、5人揃えばできるとか聞きますよね?』
  それでも、真湖は食い下がった。
 『それは、高校生とかの話でしょ? 少なくともこの中学校では、そういう規則はありませんから』
  と、やる気のなさそうな担任はけんもほろろにそう言った。
 

 「でも、やりたい!って人が沢山集まったら、先生たちだって止められないんじゃない?」
 「お前、どんだけポジティブなんだよ。入学早々あんな問題起こしておいて、そう簡単に認められるわけないじゃん」
  さすがの阿修羅も呆れた。
 「まあさー、とりあえず、4人は大丈夫なんだからー、あと5~6人くらい集まってくれないかなー?10人くらいいたら、さすがに先生もOK出すんじゃないかなー?」
 「4人って、誰のことよ?」
  灯が聞き逃さなかった。
 「えー、誰って、あたしと乃愛琉と灯とあっしゅ」
  指折り数えながら、真湖が当たり前のように言った。
 「だから、わたしはできないって言ったっしょ!?」
 「俺は野球部だっつーの」
  乃愛琉が苦笑いした。
 「いいじゃーん。頭数揃えるだけだからー」
 「お前、頭数の意味分かってないだろ?」
 「とにかく、わたしは合唱部なんて入らないからね」
  頭を抱える阿修羅の横であくまでも冷淡に灯が言い放った。
 「それに、掛け持ち無理だろ、ふつー」
 「なんとかなるっしょー」
  それでも全くめげないのが真湖流。
 「ところでよ、翔にいとどんな約束したんだよ?」
  阿修羅がさっき真湖が叫んでいた「約束」について尋ねた。
 「うん。翔平にいちゃんが合唱部にいた時にね、全道大会まで行ったんだって。でも、全国には行けなかったって。だから、あたしが代わりに全国行くって約束したの」
 「翔にいでも行けなかったの、お前でできるわけないじゃんよ」
 「そんなこと、やってみなきゃ分からないじゃない?」
 「お前、合唱舐めてるんじゃないか? さっきも言ったけどな、俺たちのチームだって、空知大会ではいいとこいくけど、全道になったら、全くレベルが違うんだぜ。全国なんて夢のまた夢なんだからな。大体、お前、その……NHKコンクールのこと、どんだけ知ってるんだよ」
  さっきの真湖の言葉から察するに、ほとんど知らないことは承知だった。
 「む……」
  これにはさすがの真湖もぐうの音が出なかった。
 「じゃあ、調べてく?」
  ちょうど乃愛琉の家の前に着いたところで、乃愛琉が真湖にそう告げた。
 「乃愛琉んとこ、パソコンあるんだっけ?」
 「お兄ちゃんの使ってるのが居間にあるから。今だったらまだお兄ちゃん帰ってきてないはずだし」
 「わたしは帰る。塾あるし」
  灯だけ先に帰ることに。
 「したっけ、明日な」
 「ばいばーい」
 「またね」
  3人は灯を見送ってから、乃愛琉の家に入った。
 「NHK……合唱……コンクールっね」
  乃愛琉は器用そうにパソコンのキーボードを叩いた。
 「やっぱ、あたしもパソコンほしいなぁ……」
  その様子を横で見ながら真湖が指を咥えた。
 「あ、あった。これね」
  乃愛琉が開いたページは、ウィキペディアのページだった。正式名称『NHK全国学校音楽コンクール』。1932年から続くNHK主催のコンクールで、今年2013年で80回目を迎える伝統的な合唱コンクールである。
 「80回もやってるんだ?」
 「だから、そんなことも知らないで出場するとか言ってんのかよ」
 「全国で1000校近くが参加ですって」
 「1000校!」
 「そりゃそうだべ、全国だもの」
 「公式ページ見てみるね」
  乃愛琉がマウスを動かして、ページを切り替えた。
 「北海道地方……空知地区大会……8/18日ね。市民会館ですって」
 「なんだ、夏休み中じゃん」
 「あ、ここに去年の結果が出てるわ」
  2012年の空知地区大会の結果一覧が記録されていた。
 「金賞、緑中。うちは銀賞ね。空知地区7校のうち2位」
 「銀賞って、全道行けるの?」
 「ううん、空知からは1校だけしか出てないみたいだから、金賞取らないとならないんじゃないかな?」
 「1校だけなの?」
 「だって、全道大会、13校しか出場できないのよ」
  去年の全道ブロックの出場校一覧が表示された。道内全9ブロックから13校しか出場できない。うち5校は札幌からだった。
 「去年、緑中って、全道大会で何位?」
 「えっと……」
  真湖の相次ぐ注文に乃愛琉の手がせわしなく動く。
 「奨励賞って、ほとんど参加賞じゃん。つまりゲッパ(※)ってことだべ」
  阿修羅がそれみろと言わんばかりに画面に指をつきつけた。
 「むー。でも、ちゃんとした部じゃなくっても、空知ではうちは2位だったんでしょ!ちゃんと頑張れば全道でだって金賞とれるかも知れないじゃん」
  真湖も負けてなかった。
 「でも、見て見ろ。全道大会、札幌の学校が上位占めてるじゃん。レベルが違うんだよ、レベルが」
  阿修羅も何度か遠征で札幌のリトルリーグと練習試合をしたことがあったが、その度に地方と札幌のレベルの差を痛感させられていた。
 「とにかく、全国なんて夢のまた夢。まあ、なんとか全道にはいけるくらいにはなるかもだけどな」
 「それでも、全国目指すんだもん!」
 「しっかし、諦めの悪いヤツだな」
  阿修羅は呆れながらも、それ以上は強くは言わなかった。
 「だって、翔平にいちゃんと約束したし」
 「にしても、翔にいだったら、どんだけ大変が分かってるはずなのにな。なんで、真湖にそんな約束させたんかね?」
 「それは、あたしが約束したから。全国大会行けたら、絶対すごいいいことあるって、翔平にいちゃんが言ってたの聞いて」
 「なんだ、真湖が勝手に約束したってことかよ」
  そうは言いながらも、もし万が一でも全国に行けるなんてことになったら、それはそれで素晴らしいことではあると、阿修羅は思った。そうなると、自分も負けていられないことになるなと自分の中にも熱が篭もってきた感じを受けた。負けず嫌いの性がむくむくと頭をもたげてきた。
 「真湖ちゃん、頑張ろうね!」
  乃愛琉は、ブラウザを閉じてから、そう言って真湖を励ました。
 「うん!」
 

  翌日、1年3組の教室。
 「いよ!大統領!」
 「入学初日から有名人だな!」
 「即、職員室に呼び出しだって?」
  真湖たちが教室に入るとやんややんやの大喝采を浴びる。声を掛けるのは主に男子だが。いまだ1年生の教室は小学校の雰囲気をのままを引きずっていた。
 「いやー、どうも、どうもー」
  真湖はおだてられたまま、頭を掻き掻き、壇上に上がった。灯は早々に自分の席に座り、知らない人のフリをした。阿修羅は、真湖が何を始めるのかと戦々恐々と壇上の横で待機。またヤバイことをしそうなら、止める算段。乃愛琉は、どうしたものかとオロオロするばかり。
 「というわけでー、合唱部つくりますので、入部希望者は、あたしのとこに来て下さいね!」
 「がんばれよー!」
 「応援だけはしてやるからなー」
  主に男子が囃し立てるだけで、入部希望者が申し出る場面はなかった。けれど、真湖はそれでも変わることなくそのまま壇上を下りた。阿修羅は拍子抜けした。
 「そんなんでいいのかよ?」
 「とりあえず、みんなが合唱部のこと知ってくれたらさ。少しづつでも集まってくれればいいかなーって。それにうちのクラスへの勧誘はいつでもできるしね。後回しでもいいかなって」
 「今日は随分と冷静なんだな」
  昨日の今日でまた何かやらかすのではと予想していた阿修羅はすっかり空振りだった。乃愛琉も二人についていくようにして自分の席に座った。
  真湖の周りには主にやんちゃ系の男子が群がり、最初に職員室に呼ばれた英雄(?)として絶賛の声を浴びた。反面、大半の女子からは「あれ、バカじゃない」という冷笑を受けていた。中には明らかに男子にチヤホヤされている真湖に対する嫉妬っぽいものも含まれているようではあるなと、乃愛琉はクラスの大体のグルーピングに興味を持って見ていた。
 「剣藤だっけ?」
  そんな中、真湖に興味を持っている雰囲気の男子の一人が、阿修羅に近づいてきた。
 「ん? そうだけど?」
  阿修羅はイスの後ろ足だけに重心を掛けながら、ぶらんぶらんとだらしなく座っていた。
 「あ、俺、塩利己翔(えんりこ しょう)。エンリコでも、翔でもいい」
 「エンリコ? 外人? 中央小じゃないよな?」
 「ハーフなんだ。イタリアとのね。ああ、札幌から越してきたんだ」
 「へぇ」
  ハーフにも、札幌にもあんまり興味がない様子で返事する。そう言えば、昨日入学式後の自己紹介の時間にそんな話を聞いたようにも思うが、ほとんど寝ていたので、よく覚えていない。確かにそう言われると、顔立ちも少し日本人離れしているところもあるし、目の色も若干薄いかも知れない。
 「なあ、一つ聞いていいかい?」
 「ああ」
 「剣藤って、煌輝(きらめき)さんと付き合ってんの?」
 「な! な、何バカな事言ってんだ、お前ぇ! ん、んな……んなわけないじゃん」
  阿修羅は驚きすぎて、コケそうになった。後ろの席の乃愛琉は目を見開いて驚いた。中1男子でこんなにおマセな男の子がいるのかと。さすが札幌。さすがハーフ。
 「おっと、気をつけてよ。そう? なんか良い感じに見えたんだけどね。違うならいいか」
 「お前が、驚かすからだべ。……いいかって、何がだよ?」
 「煌輝(きらめき)さんって、可愛いよね。ボク、立候補しようかなと思って」
 「立候補って……? 合唱部に入るってことか?」
 「うん、それも含めてね」
  そう言って、翔は阿修羅に手を振って真湖の座る窓際に向かった。
 「はーい、ごめんよー。通してー」
  真湖に群がる男子をかき分け、翔は真湖の前に出た。
 「煌輝さん、合唱部入ってもいいかな?」
  真湖は目をぱちくりさせた。さっきまで群がってくる男子は、真湖の奇行には興味は示しても、合唱部のことにはとんと触れてこなかったのだ。
 「もちろん! 誰でも歓迎だよ!」
  真湖は立ち上がって、翔の手をとる。廊下側では、阿修羅がさっきのままの姿勢で二人の話に耳を傾けていた。同じく心配そうに見つめる乃愛琉。
 「合唱部入部希望、第一号だね!」
  翔は真湖に握られた手に力を込めた。
 「その代わりさ……」
  翔はその手をブンブン振りながら、大きな笑顔で続けた。
 

 「俺と付き合ってよ!」
 

  一瞬、真湖の取り巻きが沈黙した。そして、皆一同に、真湖の方を注目する。
 

 「うん、いいよ!」
 

  阿修羅がイスから転げ落ちた。

  ※「ゲッパ」:北海道弁でビリ、最下位のこと。

2013年9月5日木曜日

「Nコン!」第1コーラス目 「合唱部!」

読むための所要時間:約8分

 『仰げば尊し』という言葉は今は昔。卒業という言葉はかりそめに。特にほぼ全生徒が同じ中学に進学する小学校では、児童の感動もいかほどか。ただ、感動するは親ばかり。ところが、ここに一人だけ感涙にむせる少女がいた。
 その名を煌輝真湖(きらめき まこ)という。苗字からしてDQNネームなのだが、これが本名なのだから仕方がない。何事にも感動しやすい性格なため、他の子達が壇上で誰かが挨拶をしているのを横目で見ながらクスクスと笑っているところに、真湖は一人ハンカチを離すことができずにいた。せっかく母親が大枚はたいてレンタルしてきた袴を着せてもらったというのに、馬子にも衣裳が台無しである。
「真湖ちゃん、大丈夫?」
 真湖の後ろに立つ合歓乃愛琉(ねむ のえる)が心配そうに声をかけた。乃愛琉は真湖の無二の親友である。普段から好奇心旺盛でどこでもチョロチョロする真湖に対して、比較的低学年の頃から落ち着いている乃愛琉は、どちらかというと保護者的な立場に近い。
「う゛ん……。大丈夫」
 とは言いながらも涙は止まらなかった。ついでに鼻水も。
「在校生からの合唱曲を送ります」
 在校生からの合唱曲での見送りは石見沢中央小の恒例だった。去年は真湖達も歌った。今年の送り曲はアンジェラ・アキの「手紙」。真湖も大好きな曲だった。前奏が始まったあたりから真湖の感動は最高潮になった。
「ぶえええぇぇん。どえるぅ…」
「はいはい」
 ハンカチを顔いっぱいに広げて泣きじゃくる真湖に乃愛琉は優しく頭を撫でてあげた。そう言えば、小学校に入学したばかりの頃もこんなことがあったような気がすると、乃愛琉は思った。どうして真湖が泣いていたのかが思い出せないのだけれど、確かに小学校の玄関前で彼女が泣いているのをあやした光景が目に浮かんだ。
「乃愛琉、変なこと思い出すね」
 泣いていたはずの真湖が赤い目を乃愛琉に向けた。乃愛琉は真湖に何も言ってはいない。ただ、その時の光景を思い出しただけだった。
「だって、あの時も真湖泣いてたじゃん。なんで泣いてたんだっけか?思い出せないのよね」
 それでも、乃愛琉は特に不思議にも思わない様子で答えた。
「なんかね、ひぃっく……、学校行きたくないって、ごねたような気がする……」
 真湖のこの不思議な感覚は、もう随分と前から乃愛琉は知っていた。最初は時々おかしなことを言うなと思った程度だったのだが、お互いに成長していくうちに、真湖が乃愛琉の心を読んでいることに気がついたのだ。もちろん他の子には内緒だし、真湖の両親も気づいていない、二人だけの秘密なのだが。
「そっかー。真湖ちゃん、昔から朝弱かったもんね」
「えへへ」
 真湖はまたハンカチで目の周りを拭いた。
 ただ、この真湖の不思議な能力は普段は発現しないもので、大抵の場合は、何かに感動した時とか、驚いたりとかで真湖の感情に起伏ができる時に、直接触れることができた人に限るということが最近分かってきた。だから、今日も卒業式というイベントに心を揺さぶられた真湖に触れた乃愛琉の心を読めたのだろうと、乃愛琉は思った。

「いやー! 感動したねー!」
 卒業式が終わり、卒業生が教室に戻る頃、真湖は大きな伸びをしながらそう叫んだ。泣いた烏がもう笑ったと、乃愛琉はくすり笑った。
「ばっかじゃねー、お前」
 と、後ろから剣藤阿修羅(けんどう あしゅら)が真湖の頭を小突いた。阿修羅は真湖の幼馴染みで家が隣同士の腐れ縁。
「あっしゅ! なにすんのよ!」
 真湖は小突いた阿修羅の手を掴まえようとして空振った。
「今時、小学校の卒業式で号泣するヤツいねーよ。ならま目立ってたぞ、お前」
 ちなみに、「なまら」というのは、北海道弁で「とても」とか「非常に」という意味の方言である。
「うっさい! 素直に感動して何が悪いのよ?小学6年間の思い出に浸ってたのよ」
「だってさ、別に学校バラバラになるわけじゃないし、6年間って言っても、お前低学年のこととかまともに覚えてないべ」
「そんなことないもん。それに、先生とはここでお別れじゃん」
「学校近くだから、なんぼでも遊びに来れるけどな」
「あっしゅには、女の子のセンチメンタルは分かんないのよ」
 真湖はあっかんべーした。
「わからなくて結構。俺は男だしなー」
 阿修羅はそう言って、丸めた卒業証書をくるくるさせて先に歩き始めた。
「おれーとかって、格好つけちゃって、もう」
 小学6年は丁度過渡期で、男子は「僕」から「俺」になんとなく変わる頃。先に「俺」と言えるようになった方が勝ちみたいな雰囲気が男子にはあった。女子からすると、昨日までの「ガキ」が背伸びしているようにしか見えないから、気に障るのである。
「ちょっと、止まらないで。後つっかえてるんだから」
 今度は紺上灯(こんじょう あかり)が真湖の背中を突いた。灯もやはり真湖と幼馴染みで近所住まいなのだが、ツン属性の灯とはあまり真湖は相性がよろしくないらしく、乃愛琉が見るにこの二人はいつもこんな感じである。かと言って、喧嘩するほど仲が悪いわけではなく、なんとなくつかず離れずいるのが不思議なのではあるのだが。
「あ、ごめん」
「小学生の卒業式でよく泣けるわね」
 灯も真湖に捨て台詞を吐いて横を通り過ぎた。
「散々言われたね」
 真湖は舌を出して苦笑いした。けれど、さほど効いた風はない。
「だって、実際目立ってたもの」
 多分、全校生徒の注目の的になっていたとまで言いかけたけれど、乃愛琉は気を遣ってそこまでは言わなかった。

 卒業式終了後、真湖たち4人はゆっくりと帰宅の途についていた。真湖と阿修羅は隣同士で、乃愛琉と灯も同じ方向なので、特に示し合わせているわけではないのに、いつもなんとなくこの4人で帰宅することが多かったのだ。小学校からの一緒の帰りはこれで終わり。
「ねえ、あっしゅは、中学入ったらやっぱり野球部入んの?」
 阿修羅は地元リトルリーグに所属していて、4番でショートを守っている。
「ああ、もちろん。真湖はなんかやんのか?」
「うん、あたしは合唱部入んの」
「合唱部?」
 阿修羅の声に合わせて乃愛琉と灯も意外そうな顔をした。
「翔平にいちゃんが中学の時合唱部だったんだ」
「へぇ、翔にいがね。意外」
 翔平というのは真湖の従兄で、同じく阿修羅もよく相手してくれた。乃愛琉と灯も面識がある。
「乃愛琉も一緒にやるよ。ねー?」
 乃愛琉には前々からそう誘っていた。二人とも唄が大好きだから。
「灯もやんない?」
「私は塾で忙しくなるから」
「なーんだ。つまんないの」
「灯、塾行くの? 中一から?」
 阿修羅が少し驚いた。
「学校だけの勉強じゃ足りないって。今の塾でもそう言われてるし」
 確かに灯は小学生のうちから塾通いしていた。一部では札幌の私立中学を狙うのではと噂されてきたが、結局は地元の中学を選んだらしい。
「石東(せきとう)狙うならね」
「灯、石東狙ってるんだ。すげーな」
 『石東』とは、石見沢東高校のことで、空知管内ではダントツの進学校である。東大、北大その他の国公立大学を志す者も多い。
「石東って、翔平にいちゃん今年卒業したとこだよ」
 と、真湖は軽々と言うが、その言葉の重みはまだ分かってない。
「翔にい、頭よかったもんな」
「じゃ、わたし、ここで。またね」
 最初に乃愛琉が自宅前で手を振った。
「したっけ。次は入学式か」
 阿修羅が卒業証書の筒を振って返事した。灯は黙って手を振るだけ。
「だね」
「乃愛琉、明日ね」
「うん、また明日」
 二人は明日中学の制服を一緒に注文しに行く約束をしていた。
 次に灯が角を曲がって別れ、最後は阿修羅と真湖だけになる。
「翔にいは札幌に行ったんだべ?」
「うん、先週」
 翔平は今年めでたく北大に合格し、つい先日札幌に旅立ったばかりである。
「すげーな、北大かぁ」
「だね」
 阿修羅と真湖からすれば、北大なるものは雲の上の存在である。
「真湖は、従妹なのに、なんで頭悪ぃんだべな?」
「うっせぇ、あっしゅに言われたくない」
 小6の成績でいうと、二人はドングリの背比べで、クラスの平均を超えることはなかった。翔平は親戚一同の中でも珍しく飛び抜けて成績が良かったから、むしろ突然変異は翔平の方だった。
「俺はできないんじゃなくって、やらないだけ」
「はい、はい。阿修羅様」
「その呼び方すんなって言ってるべ!」
 阿修羅は自分の名前が嫌い。だから、同級生には『あっしゅ』とあだ名で呼ばせるか苗字で呼ばせている。
「あ、じゃね」
 真湖は舌を出しながら玄関先に飛び込んだ。
「ああ、したっけ……。……あ、あのさ」
「ん?」
 阿修羅は少し躊躇う仕草を見せる。
「俺たち、中学生なんだな?」
 少し恥ずかしそうな言い方をする阿修羅に、真湖は特に気にしない様子で、
「そうだね。楽しみだね。じゃね!」
 手を振って家に入って行った。それを背後から眺めながら、阿修羅は深い溜息をついた。


 短い春休みを終えて、真湖達は中学校の入学式に臨む。
 真湖達が通うことになる学校は、石見沢市立西光中学(いしみざわしせいこうちゅうがく)といい、石見沢駅前に建つ中学校で、歴史も古い。全学年で353名。各学年4クラス。特別支援学級を含めると全校15クラスになる。陽光(ようこう)小、石見沢北小、石見沢西小、石見沢中央小の4つの小学校の学区が集まる中学である。但し、全校生徒が西光中学に編入されるのは真湖たちの在校していた中央小と西小だけで、他2校は学区によって別の中学に進学する生徒もいた。
「こらぁ! そこ喋らない! もう小学生じゃないんだぞ!」
 体育教師かと思われる、全身ジャージの先生が大声を張り上げた。校長の挨拶の最中である。
「なにあれ?」
「こぇぇ」
 中学最初の洗礼を受けてざわつく一年生を尻目に、上級生達は黙って校長の話を聞いていた。さすがに中学になると違うものだなと真湖は感心するばかり。新品の制服はまだ慣れないため、少し着心地が悪かったけれど、自然に背が伸びるものであると感じた。
 幸いというか、真湖たち4人はまた同じクラスだった。玄関前に張り出されたクラス編成表を見て、真湖と同じクラスだと気がついて灯はあからさまに嫌な顔をしたが、阿修羅もまた同じだと知って、また表情を変えた。その表情に気がついたのは乃愛琉だけだったが。
 そういうわけで、入学式では小学校の時と変わらず真湖の後ろは乃愛琉で、少し前に灯がいるという並びにはあまり違和感はなかった。
「1年3組担任、英美佐恵(はなぶさ みさえ)先生です」
 式が始まる前に教室で自己紹介していた先生が名前を呼ばれて一礼した。あまり冴えない感じの女の先生だなというのが真湖の第一印象だった。
「28歳独身、国語を担当します」
 教室ではそのように話していたが、28歳という年回りが、独身としてどうなのかは真湖はあまりよく分からなかった。ただ、あまりの気迫のなさに、若干先が思いやられそうな予感だけはした。
 入学式は滞りなく終わり、やっぱりなんとなく4人が固まる。
「あっしゅどうすんの?」
「野球部見学に行ってくるわ」
「じゃあ、あたしたちは合唱部見に行ってこようかなー? ね、乃愛琉?」
 乃愛琉は黙って頷いた。
「灯、どうすんの?」
 阿修羅がふと灯に振ると、灯は阿修羅と乃愛琉を見比べるようにしてから、
「帰る」
「えー。じゃあ、一緒に合唱部見に行こうよー?」
 と、真湖が無理に灯の手を引いた。
「すぐ終わるってば」
「あ。そしたら、みんなで野球部見に行ってから、合唱部見に行かない?」
 乃愛琉がうまいこと折衷案を出した。
「俺はそれでも構わねぇけど?」
 灯もそれならと頷いた。真湖だけはちょっと不満そうな顔をしたけれど、結局は全員で野球部の見学を優先することになった。
「よぉ。剣藤来たか」
「うぃっす! 先輩、お世話になります!」
 阿修羅は大声で挨拶して、深々と頭を下げた。相手の先輩のユニフォームを見ると『YAMASAKI』と書かれてある。阿修羅がしばらくその先輩と話をしている間、真湖たち3人は高台で野球部やその他の運動部の先輩達が練習している風景を眺めていた。
「ねぇ。なんで、合唱なの?」
 突然灯が真湖に訊いた。
「だから、翔平にいちゃんが……」
「じゃなくって、なんで、合唱なのって」
 語気を強めた灯の言わんとするところを掴めなくて、真湖は少し戸惑った。
「どうして、合唱部? じゃなくって、どうして合唱やりたいのかってことなんじゃないの? つまり、歌うこと?」
 乃愛琉が間をとる。灯はそれに軽く頷いて、真湖を見た。『なんでそんなことわかんないのよ、おばかさん』と目は訴えていたが、残念ながら真湖にはそれは届くことはなかった。
「あー、なるほどー。あのねー、翔平にいちゃんがここの合唱部にいた時に一度文化祭見に来たんだ。おばさんに連れられてー。その時聴いた曲がさー、超よくってさー。中学入ったら絶対これやろう! って思っててさー」
 真湖はタクトを振るフリをしてみせた。
「ふーん」
 灯は訊いておきながら、あまり興味のなさそうな顔つきをした。
「お待たせ。行こっか?」
 と、そこに阿修羅が戻ってきた。
「もういいの?」
 灯が気を遣って訊いた。
「ああ。いいんだ。もう春休みの内に話しついってっから。山咲先輩から顔だけ出せって言われてただけだったんだ。合唱部って、どこ?」
「音楽室じゃない?」
 真湖が即答。
「でもさ、文化系ってやってんのか? 運動系は大体出てるみたいだけど」
「行ってみたら、わかるっしょ」
 という真湖の答えに、
「相変わらず行き当たりばったりのヤツ」
 と阿修羅は溜息をついたが、困った顔するだけで、それ以上は言わなかった。
「じゃー、レッツゴー!」
 真湖は音頭を取るようにして先頭をきって玄関に入っていった。
「ここだー」
 しばらく校内図を見ながら迷いかけた結果、ようやく4人は音楽室を見つけた。
「静かだな。やってねーんじゃねーの?」
 明らかに室内には誰もいない雰囲気。
「あれー、おっかしいなぁ。合唱部だけは年中練習してるはずだって、翔平にいちゃんは言ってたのに」
「翔にいと話したのか?」
「うん、昨日ね。多分春休み中から練習してるはずだって」
 真湖は恐る恐る扉を開いてみた。音楽室の中には誰もいなかった。
「やっぱ、いねぇじゃん。まだ練習始まってねぇんだべ」
「どうしたい?」
 4人の背後から、老齢の教師が声を掛けてきた。入学式の時に司会進行を務めていた先生だった。
「1年生だね?」
「あ、はい。あの。合唱部って、まだ練習してないんでしょうか?」
 真湖が最初に返事をした。
「合唱部かい?」
 その教師は少し困った顔をしてから、
「合唱部は2年前に廃部になったよ」
 と、優しい口調で答えてくれた。
「え? えーーーーーーー!?」
 真湖の叫び声が、廊下の端まで響き渡った。
「廃部になったんですか?」
 その老齢の教師は、一瞬真湖の叫び声に驚いた顔をしたが、やがて落ち着いて、また元の優しい顔になった。
「ああ。なかなか部員が揃わなくなってな」
「じゃ、じゃあ、三越先生は?」
「三越先生は、合唱部が廃部になる直前にお亡くなりになったよ。それから、合唱部を指導する先生もいなくてな」
「え……」
 真湖は絶句して、声にもならなかった。
「ん? 三越先生って?」
「翔平にいちゃんがお世話になった合唱部の顧問らしいよ。わたしも今朝真湖ちゃんから聞いたんだけど」
 乃愛琉が途方に暮れている真湖に代わって阿修羅に説明した。
「ああ。三越先生がいらっしゃった時はここの合唱部が全盛の時でな。何度かコンクールに受かって札幌まで行ってたこともあったよ」
 その教師もその頃の事情はよく知っているらしく、そう説明した。
「君たちは、合唱部に入部希望なのかい?」
「あ、わたしと、真湖ちゃ……煌輝(きらめき)さんが」
「そうかい。でも、安心していいよ。合唱部は廃部になったけど、今でも毎年夏前になったら、各クラスから数名づつ集めて、仮の合唱部をつくっては、毎回コンクールに出場はしているから。多分、担任から説明があるはずだよ」
「コンクールですか?」
「ああ、NHK主催のコンクールだよ。毎年……確か夏頃に地区予選なんじゃなかったかな。先生は担当じゃないからそれほど詳しくはないんだが」
「それです!」
 真湖が急に復活した。
「NHKコンクール! Nコン!それに出場したら、いいことあるって、翔平にいちゃんが言ってた!」
「なんだ。そういうことか。じゃあ、良かったんじゃね? とりあえず、その…NHKのコンクールに出場はできるんだからさ。じゃあ、今日は帰ろうぜ」
 阿修羅は踵を返して、玄関の方に向かおうとした。灯もそれに着いていこうと……。
「違うもん! 出場するだけじゃダメなんだもん!」
 真湖はポニーテールをブンブン振り回しながら大きく首を振った。
「は?」
 真湖の迫力に阿修羅は振り返って呆気にとられた。
「Nコンで、全国に行くんだもん。翔平にいちゃんと約束したんだもん」
「全国ぅ?」
「さすがに、全国は無理だべな。三越先生の時でも、確か……全道大会出場が最高だったんじゃなかったかと思うぞ」
 詳しくはないと言っていたその老齢の教師でさえ、真湖の言葉には困惑した。
「そ、そうなんですか……?」
 真湖は困った顔をした。
「お前、調べもしないで、翔にいとそんな大層な約束したのか? 俺達野球部だって、全国に出るっつーたら、ほとんど無理だってーのによ。部活がない以上、無理じゃん?」
 真湖はがっくりとうなだれた。
「まあ、あんまりがっかりしなさんな。合唱が好きなら、さっき言ったとおり、夏にはコンクールも出られるし、校内の合唱コンクールは今年も予定されてるしな」
 あまりの真湖のがっかりさ加減に、その教師も同情をした様子だった。
「わかりました、ありがとうございます」
 灯はそう言って、その教師に礼をした。それから阿修羅と玄関に向かおうとした。けれど、阿修羅はそれに着いていこうはせず、
「ほら、真湖、行くぞ」
 と、一旦真湖の所に戻って、肩をポンと叩いて、促した。
「すんません、ありがとうございました」
 真湖がゆっくりと動き出すと、阿修羅は灯に倣って教師に礼をした。最後に乃愛琉も同じように挨拶してから4人で玄関に向かう。
「まあ、元気出せ。しょっぱなから夢破れたのは悔しいかもしんねぇけど、仕方ないじゃん」
「指導する先生がいないんじゃね」
「夏にはやれるっていうし、コンクールには出られるんだから。ね。真湖ちゃん」
 落ち込んだ風の真湖に、3人がそれぞれに声を掛ける。と、突然真湖が振り返って、さきほどさきほどの老教師に訊いた。
「せんせー! 放送室ってどこですか?」
「は? 放送室かい? この廊下をずっと行った右にあるよ?」
「ありがとうございました!」
 そう言って、真湖は走り出した。
「おい、真湖、どうすんだよ? 放送室? ……って、まさか、おい!」
 阿修羅は今一瞬頭に浮かんだ光景を思い出して焦って、真湖を追いかけ始めた。残った灯は再度教室に頭を下げて、彼ら3人の様子を伺っていた。
「ちょっと、真湖ちゃん?」
 乃愛琉は呆気にとられたけれど、真湖を追いかける阿修羅に着いて廊下を進んでいった。真湖は駆け足で放送室に向かった。言われた通り、放送室は右側にあった。
「失礼します!」
 真湖は勢いよく放送室のドアを開いた。中には数名の放送部員と思われる先輩方がいたが、皆一様に目を見開いて驚いた顔をした。
「マイクお借りしますね!」
 放送室にずかずかと入ると、真湖は見覚えのあるスイッチに手を伸ばした。小学校の放送室と同じ機器だったから、すぐに分かった。
「おい、真湖、待て!」
 続いてドアを開けた阿修羅が放送室に駆け込んだ時には、すでに遅かった。

「1年3組煌輝真湖です! 合唱部を作ります! 歌うの大好きな人集まってください! よろしくお願いいたします!」

 その声は、大音響で校内及び校庭にいる在校生と教員全員に響き渡った。

2013年9月1日日曜日

「竹取の」を「小説家になろう」「Pixiv」にて連載終了しました。

 「竹取の」ですが、「小説家になろう」「Pixiv」でも連載させていただいておりましたが、無事連載終了しました。お読み戴いた方々には感謝いたします。
 せっかく書いた作品なので、一人でも多くの方に読んでもらえるようにと、色々試行錯誤してみました。結果的には「小説家になろう」サイトはさすがに投稿数も読者数も多いようで、沢山の方に読んでいただけたようです。感想もほしいなとは思ってますが、まあ、そこはなかなか^^;
 特にここのサイトでは、プロを目指している方々が沢山投稿されているみたいで、評価数とかお気に入り数とか半端じゃない方々も大勢いますよね。あたしはあくまでも趣味なので、地道にやっていきますw
 そこで、次回作は、「小説家になろう」とこのサイトで公開していこうと考えてます。すでに書き始めてますが。ある程度プロットができて、少し書きためてから公開しようかな~と。
 あと、即興小説の方では短編を中心に書いていこうと思ってますので、お勧めできるものが書ければこちらにアップしていく予定です。

 また、今後ともよろしくお願いいたします!

2013年8月30日金曜日

短編「哀しき未亡人」アップしました。

短編「哀しき未亡人」アップしました。右のリストからどうぞ。 
これもオチとしては、及第点だと思う作品です。 お題、必須要素もうまく拾えたと思っています。

2013年8月16日金曜日

「竹取の」第31夜<あとがき>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 「竹取の」最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

 まだの方は、是非お読みいただいてから、あとがきをお読みくださいね(笑



 さて、この「竹取の」ですが、「即興小説トレーニング」というサイトで連作として書いたものを加筆訂正の上、こちらにアップしたものです。
 「即興小説トレーニング」とは、あるお題と必須項目(これは選べます)を元に制限時間(15分~4時間を選べるようになっています)内に即興小説を書き終えるという内容のサイトです。ここに投稿するようになったのは今年、2013年3月頃でした。それまでは、まともに小説なんて書いたことなく、某人狼ゲームでPR(ロールプレイ)する程度。あとは、チャットとかは好きでしたけど。人狼繋がりで、他の方がやっているのを見て、面白そうだな~程度で始めたのが、数ヶ月前です。
 そこで、何名か気に入った作者さんがいらっしゃって、その中のお一方が連作をやっているのをみて、ああ、こういう使い方もあるんだな~と、なんとなくマネしてみたのが、第一作目の作品でした。これは、追々こちらのサイトにもアップしてみようかなとは思ってますが、恋愛モノでした。二作目もなんとなく恋愛チックな、婚活ストーリーと銘打ってました。そして、三作目の連作がこの「竹取の」でした。実は、この作品、全くのノープランから始めて(前作2作もそうでしたけどw)、ここまできちゃいました。最初のお題が「死にかけの月」というものでした。さらに必須要素が「英検」なので、最初のシーンは英検前夜だったのです。さらに、月→かぐや姫→ファンタジー書きたい→月面人が現れる、みたいな感じで至ってシンプルに、「竹取の」と題して、第一話を書き下ろしました。
 ところが、です。改めて「竹取物語」を調べてみると、これが実に奥深い、かつ神秘的で謎の多い物語だということが分かったのです。ただのお伽噺だと思っていたのが、実は全くそんなことはなく、日本最古のSF小説であり、未だに沢山の謎に包まれた作品だったのです。さて、こんな大変なモチーフにしてしまっていいのだろうかと考え直してもみましたが、逆にネタとしておもしろいなと思いつつ、続けて話を展開していくことにしました。特に、小説内でもありますが、「竹取物語」の終盤には、帝が不死の薬を富士山に投げ入れるように指示したため、「不死の山」=「富士山」となったという伝説があります。あたしは今回この作品を書くにあたって、調べている内に初めて知った部分でした。意外に知られていないのではないかと思い、この部分をうまく使いたいという方針で序盤は進めました。
 また、太古の謎を調べていくうちに、古事記や日本書紀にもあたり、これは日本神話も混ぜていくと面白そうだなと。特に「竹取物語」に出てくる月の使者の属するお月様を司る神様「ツクヨミ」については、あまり記述がないようなので、この辺を膨らませてみることにしました。また、富士山の伝説繋がりで、「コノハナサクヤヒメ」を主軸にもっていくことに。実は、富士山伝説では、コノハナサクヤヒメ=かぐや姫は定説らしいのですね。
 しかしながら、この設定を後悔し始めたのは10話前後あたりからでしょうか。調べれば調べる程、日本神話体系や竹取物語の奥深さに打ちのめされました。こんな単純な発想でやってていいの?とか考え始めました。この辺で、一度挫折しかけまして、途中で打ち切ろうと思ったこともありました。けれど、毎回読んで感想を述べていただける方が数名いらっしゃいまして、なんとか挫折せずに済みました。本当にありがたいことです。おかげで、何とか無理やりにでもこじつけて話を進めることができました。最終的にはそれほど矛盾がでないようにはできたと思ってます。ただ、神話研究とかされている方からすると、突っ込みどころは満載だと思いますけど。まあ、そこは、ファンタジーなので、ご勘弁を。
 終盤にかけて、読んでくれている方から、「もふさん、なんか降りてない?」と言われるほどのめり込んでいた部分があったようです。特にサクヤ姫やイワナガ姫が頻繁に出てくるあたりだったかと思います。
 話の中にも出てきますが、イワナガ姫はサクヤ姫と姉妹なのですが、醜いという理由でニニギノミコトから拒否されるのです。これは、天皇の末裔が神の血族なのに、なぜ寿命をもっているのかという理由づけではあるのですが、それにしても、酷い逸話ですよね。しかも、イワナガ姫のその後については、古事記にも記述がないようなのです。そこで、このお姫様にもスポットを当てたいなと思って、こういう流れになったのです。もしかしたら、イワナガ姫がちょこっとばかし、あたしに降りたのかも知れませんね。イワナガ姫がその名の通り、「岩」を司る神様のようなので、そっくりそのまま富士山にもってきて、実は富士山はサクヤ姫ではなく、イワナガ姫そのものだったという結末に、この小説では収めてます。実際、サクヤ姫は水の神様なのに、何故か富士山信仰では火の神様になっているのです。
 今年、富士山は世界遺産に認定されましたね。世界に誇る美しい山が、実は大昔醜いと言われて突き返された神様だったという結末で、ハッピーエンドになればいいなとの思いも込めて。

 話は変わりますが、この物語のもう一方の主軸は、主人公の瑠璃ちゃん、ちいちゃんと亮くんの三角関係です。ちいちゃんと亮くんは従兄妹で幼馴染み。瑠璃ちゃんとちいちゃんは大の親友という関係。オーソドックスな恋物語の予定でしたけど、ちいちゃんの存在が意外に大きく、思ったよりは色々紆余曲折がありました。ただ、即興小説サイトで公開した時には、特にちいちゃんと瑠璃ちゃんの思いとか関係とかがあまり深く描けなかったため、ラストシーンが若干唐突な感じになってしまったのではないかという指摘もいただき、確かに自分で読み返してもそう思ったので、この辺はかなり加筆しました。特に別荘での夜にちいちゃんと瑠璃ちゃんの会話をさらりと流していた部分をかなり深く描写するようにしました。これで二人の思いが読者の方々にも分かるようになったのではないかと思います。
 あと、心残りがあるとすれば、亮ちゃんの心理描写がもう少しできたらなとは思いましたが、一人称で始めてしまったために、どうしてもここは描くのが難しかったですね。余裕があれば、短編で亮くん視点のサイドストーリーみたいなものを書ければいいなぁ~とは思ってますが。いつのことになるやら…(笑
 扉絵を描いていただきました、ららんさんと、OPED曲を作曲していただいた、てけさんには、感謝です!

 次回作は、今、即興で短編でいくつか書き始めてますが、中学生を主人公にしようと考えてます。今まではできるだけ登場人物を少なくして、キャラを分かりやすくすることに専念してきたのですが、今度は少しキャラを増やして、群像劇っぽくしたものに挑戦してみたいなと考えてます。ですので、三人称でチャレンジです。今回はプロットもそこそこきちんとして書くつもりなので、ここと、あと別サイトでの公開になるかも知れません。即興の方は、キャラ設定とか、サイドストーリーを束ねる役目にしようかと思ってます。題名だけはすでに決まってまして、「Ncon!」の予定です。えぬこん!と読みます。どんなストーリーになるかはお楽しみ。
 では、長々とありがとうございます。「竹取の」の感想など、本当に簡単なもの、一言でも結構ですが、残していっていただけると嬉しいなと思います。では、皆様にもコノハナサクヤヒメのご加護がありますように!

2013.8.16
もふもふ

(作曲:てけさん)

2013年8月14日水曜日

「竹取の」第30夜<晦日>(最終回)

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 そのままどうということない話を二人でお喋りしているうちに、いつの間にかまた眠っていたらしい。次に気がつくと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。隣にはちいちゃんが軽い寝息を立てながら寝ていた。軽いウェーブのかかった髪が朝日の光線を受けてにうっすらと金色に光る。鼻が高いなー。肌が綺麗だなー。なんて眺めているうちに、ちいちゃんが寝返りをうった。
「……朝?」
 目をうっすらと開いてわたしに訊いた。
「みたい。もう結構いい時間かも。起きる?」
「うん」
 二人で一緒に、せいので起きた。二人とも昨日の服を着たままだった。わたしたちは顔を見合わせて笑った。それから部屋を出てリビングに向かうと、すでに先生と亮くんが朝食をとっていた。
「おはよう。瑠璃ちゃん、大丈夫かい? もし具合が悪いようなら病院に?」
「いえ、大丈夫です。あの……先生、色々ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
 わたしは改めて謝罪した。結局先生には色々お世話になってしまった。
「全然気にすることないよ。瑠璃ちゃんのせいじゃないし。
 前にも言ったけれど、取材だと思ってるし。というか、実は今回のことを新しい作品にしようと思ってるんだ。……まあ、二人とも座りなさいな」
 わたしたちは二人揃って席についた。美貴さんがそれぞれに朝食のセットをしてくれる。
「あの……それで、どうなったんですか? わたしは途中から覚えていないし、ちいちゃんに聞いたら、全部終わったって……」
 その新しい作品とやらは気になるのだけれど、とりあえず、昨夜の顛末だけは聞いてみたい。
「うん、そうだね。先の話をするより昨夜の話をとりまとめなければだね」
 先生は胸元からいつもの手帳を取り出して、テーブルの上に置いた。
「これはサクヤ姫から聞いた話ではあるけれど……」
 と、前置きして、テーブルの上に置いた手帳を開くまでもなく話を続けた。
「イワナガヒメは富士山に戻り、アメツチ王も月に帰った。それぞれあるべき処に戻ったというところか。アメツチ王は月に戻ってツキヨミを説得すると言っていた。いずれツキヨミの怒りが解消することになれば、イワナガヒメも月に戻れるかも知れないと王は言っていたそうだ。それまでは富士山はしばらく活火山であり続けるだろうけれど、と」
「いつまで続くんでしょうか?」
「さあてね。100年なのか、1000年なのか。何せ神様の時間の流れはボク達とは桁が違うからね」
 確かに、神話の時代から永遠と続いてきたすれ違いがようやく解消したばかりなのだから、月の神様の機嫌が直るのにもまた永遠に近い時間がかかるのかも知れない。
「サクヤ姫は?」
 わたしは一番気になっていることを訊いた。
「まだキミの中にいるよ。サクヤ姫と瑠璃ちゃんは一心同体みたいなものだからね。ただし、自らを封印し前と同じように繭の中にいるから、一生出てくることはないとは言っていたけれどね」
「ああ……そうなんですか」
 姫には悪いけれどわたしはちょっとがっかりした。一心同体。確かに姫もそういうような事は言っていた。けっして切り離すことができない魂の関係なのだろう。何事もなければ、もう二度とあの繭から出てくることはないのか。
「そして、さっきのボクの新作の話なんだが。サクヤ姫によると、活火山である富士山の噴火を完全に止めることはできないけれど、ただ一つだけ、その活動を弱めるというか抑える方法があると聞いたんだ」
 亮くんが横で頷いた。さっきまでその話をしていたらしい。
「今の伝説によると、富士山はコノハナサクヤヒメの化身とされているけれど、実はそれはイワナガヒメだった。つまり信仰されるべき神が違うということなんだ。本来はイワナガヒメが祀られるべきところをサクヤ姫が祀られている。確かに水の神であるサクヤ姫が富士山、つまりイワナガヒメを抑える力はあるのだが、それは完全ではない。では、どうしたらいいか。それは、イワナガヒメが富士山にいるという信仰を信じる者が増えればさらに富士山の活動を抑えることができるということだった」
「それで、先生は新作でイワナガヒメにまつわる話を書いて出版すれば、ファンの人達に富士山に参拝に行かせるようなことができるんじゃないかって」
 亮くんは補足した。
「最近じゃ、『聖地巡礼』ていうのがあるんだってね。次の新作は前にも言ったけれど、中高生向けの作品になる予定なんだ。これが映画化とかアニメ化されれば、一気にそういうファンが増える可能性もある。実はイワナガヒメは美人だったなんて説だと、イマドキの子にはウケるんじゃないかと。これは、段逆くんのアイディアなんだけどね」
「さすが、厨二……」
 ちいちゃんはくすくすと笑って呟いた。
「こら、ちい!」
「いや、そのアイディアはいいと思ってる。例えば、今更『古事記』や『古今和歌集』の新解釈をボクが発表したところで学会では誰も信じる者はいない。かと言って、今回のことをそのまま世間に公表するわけにもいかないだろう。けれど今のボクの実力なら、新作を実写化にすることは無理にしてもアニメ化くらいならいけるんじゃないかと思ってる」
 軽くアニメ化とか言えるところがさすがに人気作家といったところなのだろうか。
「まあ、それでどの程度の人達がファンになってくれるかは未知数だが、ボクにやれることと言ったらこれくらいのことしかないからね」
「それ以上のことができる人なんていませんよ」
 亮くんは断言した。それはわたしもそう思う。
「という訳で、キミたちをモデルにした作品を書いて発表したいんだけれど、許可もらえるかな? もちろん名前も舞台もまるっきり変えるし、脚色も入れるし、ストーリーとしては全く異なったものになるけれどね。ただ、発想の元となったこの事件はキミ達が関わってきたことだから、一応は確認をと思ってね」
「それは……」
 これだけお世話になった恩人に断ることなどできるはずもなく。またそれで少しでも富士山の噴火が先延ばしにできるのであればいくらでも協力はすべきだとは思う。
「もちろん。わたしたちがどうのと言えることではありませんし」
「ぜんぜん、かまわないと思いまーす!」
 一瞬口ごもったわたしに対して、ちいちゃんはなんの躊躇もなかった。
「よし決まった。もうプロットはできてるんだ。あとは出版社との打ち合わせで、オッケーが出れば、早速執筆にとりかかるとしよう」
 先生は手帳を胸元にしまって元気に言った。
「じゃあ、朝食を食べたら出発しよう。帰るよ」
 それから先生のポルシェで帰宅の途についた。



 連休明けのクラスは全く以前の通りに戻っていた。まるであの時のことをみんな忘れてしまったかのように、男子は一様にわたしの前を空気のように通り過ぎていったし、告白してきた数名もすっかりわたしのことを忘れてしまったかのようだった。それに伴って女子からの意地悪もなくなり、それ以前の空気に戻っていた。

 その後、亮くんと話をする機会がめっきり減ってしまった。亮くんは毎日放課後は予備校通いだったし、もちろん夏休みも休みなく通っていたらしい、ということはちいちゃんからは聞いていた。どうやら志望している大学はわたしの思っていたよりずっと上のランクらしく、亮くんでさえかなり頑張らないと難しい難関校なのだという。ちいちゃんでさえ、滅多に会わないという。
「もうね、完全にレアキャラね、あれ」
「なにそれ」
 わたしはちいちゃんの言葉に笑った。けれど、少し寂しかった。どうもわたしには亮くんがわたしのことを避けているようにしか見えなかったから。時々見かけても、気がつかないフリをしているようにしか見えなかったし。もしかしたら、単なる被害妄想なのかも知れないけれど。でも、時々ちいちゃんが両親から聞いた話を元に状況報告してくれたりするのが支えだった。
「もしかしたら、卒業まで黙ってるつもりかも、あの唐変木」
 時々亮くんへの不満を漏らしたりしてるちいちゃんをわたしは微笑ましく見ていた。
「でも、瑠璃ちゃんのこと気にしてるから。わたしの勘は絶対だからね」
 と、わたしを安心させようとしてくれるちいちゃん。でも、さすがに秋を過ぎることになると、わたしも若干諦めかけていた。どの道、亮くんは進学で東京へ行くわけだし、わたしは地元の短大にほぼ決まりなんだし。
 それに、ちいちゃんが言うとおり少しでもわたしのことを想ってくれているなら、こんなに放っておくことができるものなのだろうかと思ったり。ちいちゃんの応援を受けてもやっぱり悲観的な考えにしかならない、悶々とする日々が続いた。時々学校内で亮くんを見かけても、こちらに視線を合わせてくれなかったこともさらに拍車をかけていた。

 それから数ヶ月が過ぎ、年末の声が聞こえ始めた頃、そろそろ志望校を決定しろと先生に迫られたり、模試を受けたりと立て続けに多忙な日々を過ごしていたある日。亮くんからメールが入った。
『浦城先生の本が出た。同時にアニメ化も決定したらしい』
 と、ごくごく簡単なメールだった。短いメールではあったけれど、わたしのこととか、あの出来事を忘れてしまったとか、そういうことではないことが分かって、少し嬉しかった。
 『お知らせありがとう』
 とまで返信を打って止まった。その後に色々聞きたいことが沢山あったはずなのに、なんて打てばいいのかが分からない。色々迷って、そのまま送り返した。ひどく素っ気のない返事で気分を害したのではないかと心配するくらいだった。ところが、その後にすぐにまた返信がきた。
 『クリスマスイブに会えないか?』
 また短文だった。わたしはドキっとした。これって期待していいことなんだろうか。いや、半年もまともに会ってない相手に何を期待しろというのか。わたしはまた悩んで、短い返事を送った。
 『いいよ』
 送り返してから、すぐにアドレス帳からちいちゃんの電話番号を検索して、電話をかけた。
「それ絶対、告白だから! 絶対OKするのよ!」
 ちいちゃんは元気にそう言った。電話の向こうでサムズアップする姿が想い浮かんだ。ちょっと後ろめたさもないわけではなかったけれど、あの夜二人で語った二人の想いに偽りはないと確信して。



 ────────そしてクリスマスイブの夜。

「あのことは、ちいには内緒なんだ……」
 亮くんは顔を赤らめながら、開口一番にそう言った。予備校が終わってから会ったので、すでに外は暗かった。
 わたしたちは、駅前のカフェで会った。外は昨夜降った雪がうっすらと路面を白く染めている。このカフェは以前に亮くんと一緒に来たことがあった。今度は奥のテーブル席に座っているところが違うけれど。
「あのことって?」
 わたしは最初何のことか分からなかった。
「竹泉、見てたんだろ?……その……俺とちいが……いや、アメツチ王とイワナガヒメの……キス……」
「え!」
 思わず大声が出てしまった。
「あ、ごめんなさい」
 わたしは俯いて黙った。顔が紅潮しているのが自分でも分かった。
「やっぱりか。見てたんだな…。実は俺もあの時意識があって。なかったのはちいだけらしい」
 あ、そうなんだ。ちいちゃんだけ? 亮くんは覚えているのに、ちいちゃんだけ知らないってこと、あるんだろうか。
「竹泉から言ったか? その話?」
 わたしは俯いたままブンブンと首を振った。実は言いかけたとかはここでは言えない。
「そっか。じゃあ、それはずっと黙っておいてくれ。なかったことにするっていうか」
 わたしはコクコクと頭を縦に振った。
「あ、今日話したいのはその事じゃないんだ。……その、サクヤ姫って、あれから出てくるか?」
「サクヤ姫? ううん。あれからは全然でてこないよ。夢にもでてこなくなったし」
「そっか。ならいいんだ……」
 わたしはちょっとだけ頭を上げた。亮くんはわたしから目線を外して、壁の方にやった。なんとなくそわそわしているように見える。
「あの……さ。……今言うべきことではないのは重々承知してるんだが……」
 一旦外した目線をまたわたしに戻して、亮くんは口ごもった。それから、目を白黒させて、思い切ったように口を開いた。

「俺と付き合ってくれないか?」

 わたしは、頭が真っ白になった。

 まるで宇宙空間にでもいるような、ふわふわした感覚。
 え、何? 今なんて言ったの? マジ? 信じられない。あり得ない。聞き間違い? 勘違い?
 わたしの頭の中を色んな考えが回り回って、考えがまとまらない。ちいちゃんに予め言われていたにもかかわらず、いざそう言われると、緊張して、何と答えていいのかが分からない。
「ダメか? そりゃ、そうだよな、こんな時期に。受験前だっていうのにさ。……分かってたんだ……ごめんな」
 わたしが黙っているのを否定ととったのか、亮くんは悲しそうな顔でそう言った。
 ブンブンブンブン。
 わたしは黙って首を横に振った。ダメなわけない。ダメはわけない。
「あ……あの…い、いいよ。ううん…お願いします」
 わたしは頭を下げた。
「そっか。よかった……」
 亮くんはほっとため息をついた。
「で、でも、何で?」
 何故わたしなのか、それが聞きたかった。
「だよな。何で今かって……その……俺は、サクヤ姫の魅力のせいで竹泉を好きになったのか、どうかってずっと悩んでいたんだ。そんなことないってずっと思ってた。でも、自信なくって。だから、時間置いて、それでも好きだったら、告白しようって思ってた。それに、あの時、護ってやるっていう約束果たせなかったから、今度こそ護ってやるって言えるようになったらって思ってた」
 わたしが聞いたのは、何故今かということではなかったのだれど。亮くんはそのまま続けた。
「俺の志望校さ、結構ギリギリで。あの事件があってから、ちょっと一時的に学力が落ちてさ……あ、それは竹泉のせいじゃないからな」
 そうだったんだ。わたしのせいって言おうとしたけれど、先を越されてしまった。
「それから、俺かなり頑張ったんだ。目標も設定して。夏休みもほとんど予備校に缶詰だったし。それで、今回の模試、かなり良かったんだ。ようやく合格圏内に入れそうだって、予備校の先生からもお墨付きをもらえた。それで、目標に達したら竹泉に告白しようと思ってた。その目標にようやく辿り着いたところだったんだ」
 真剣にわたしのことを想ってくれたということだけでわたしは胸いっぱいだった。
「それにもう一つ、今じゃなきゃならない理由があるんだ。竹泉、一緒に東京に出ないか? 東京だって、短大は沢山ある。そうしたら、遠距離じゃなくても済む。できれば一緒に住んだ方が経済的にはいいんだろうけど、さすがにそこまでは言えないしな。
 今ならまだ願書提出間に合うだろ?」
「え?」
 わたしは一面ピンクの世界にいた。いたような気がした。亮くんと一緒に東京。もう甘い将来しか想像できなかった。しかも、いきなり同棲とか、恥ずかしすぎる。
「そうだよな、急にそんなこと言われても、だよな。ごめん、なんか一足飛びな話で」
 そう言って亮くんはコーヒーカップを持ち上げた。若干カップが揺れていた。
 わたしはブンブンと首を振って、
「そんなことない!わたし一緒に行きたい。聞いてみる。パパとママにも。……さすがに一緒に住むのは……アレだけど……」
 わたしは俯きながら、そう言った。
「はは……そっか。よかった。必要なら、俺も説得に行くよ」
 亮くんと一緒だと、マズいと思う。絶対。あの優しいパパがどう豹変するか分かったもんじゃない。
「あの……ね、亮くん。一つ聞いていい?」
「ん? なんだ?」
「どうして、わたしのこと好きになってくれたの? いつから?」
 どうしてもここは聞いておきたかった。
「ん……ああ……。いつだったっけ。ちいの家に遊びに来ていた時さ。一度会っただろ? あれ、中学に入る前だったはずだな。竹泉がまだ三つ編みの頃だよ」
 え? 高校入る前に会ってたんだっけ? 全然覚えてない。しかも、亮くんわたしが三つ編みしてた頃知らないって言ってたのに。
「そん時は、それほどでもなかったんだけどさ、まあ、ちょっと気になるって程度かな。で、高校入ったときに、ちいの友達って、紹介された時かな。どうしてって言われても、分かんねぇ。好きなんだから、好き。……じゃダメか?」
 亮くんは照れた顔で、ぶっきらぼうにそう言った。
「ううん。ありがとう」
「あ、ただ、本当にサクヤ姫のせいじゃないからな。サクヤ姫が出てくるずっと前からだからな」
 続けて言い訳のようにそう言った。この点はこだわって引けない一線らしい。それはそれで嬉しかったけれど。
「それに……うちの高校選んだのは、そのせいもあるし……。もちろん近いっていうのもあるんだけどな」
 最後にボソボソとそう呟いたのを聞いて、わたしはむしろ恥ずかしくなった。そんな前から。しかも、一度会っただけなのに。恥ずかしさを紛らわすようにわたしはふと外に目をやった。
「あ」
 わたしのピンクに染まった瞳に、少し欠け始めた丸い月が映った。
「月、きれいだね」
 今頃、アメツチはどうしてるのかな。なんて思いながら。
「あ、ああ。そうだな」
 亮くんも頷いて、わたしに手を差し伸べた。

 月はまるでわたしたちのことを祝福しているかのように、目を細めていたように思えた。わたしは今遠い、富士山に月が重なる景色を想像しながら、亮くんの手を握った。

<Fin>

(作曲:てけさん)

2013年8月13日火曜日

「竹取の」第29夜<残月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 太古の昔。ある男の神と女の神が恋に落ちた。男神の名をアメツチノオオワカミコといい、月の神であるツクヨミの子にして、月の王。女神の名をコノハナサクヤヒメといい、オオヤマミツの娘にして、葦原中国一の美貌をもつ者として高天原でも有名であった。オオヤマミツはそれを知って、姉のイワナガヒメと妹を月に嫁つがせる約束をした。アメツチノオオワカミコはツクヨミが月(天)と地を繋げる者として育てあげ、いずれは葦原中国をも統べるつもりでいた。しかし、天津のアマテラスが先に葦原中国を平定してしまったため、太陽が昼を司り、月がより黄泉に近い夜を司ることになってしまった。オオヤマミツは天津国の勢いを感じ、ツクヨミとの約束を破棄し、娘を見初めた天孫ニニギに姉も含めて差し出した。ところが、ニニギは姉のイワナガヒメが醜いことを理由に、オオヤマミツに差し戻した。オオヤマミツは、イワナガヒメの子は永年の寿命を享受できるであろうと申し出たが、ニニギは耳を貸さなかった。そこでオオヤマミツは婚約を破棄したアメツチノオオワカミコにイワナガヒメを再度差し出し、ツクヨミはそれを受諾した。
 コノハナサクヤヒメがニニギに嫁ぐ夜、人に隠れてサクヤヒメとアメツチ王は天の川で逢瀬した。親の勝手によって引き裂かれてしまった二人は、いつかまたどこかで巡り逢うことを信じて契りを交わした。しかし、その逢瀬は姉のイワナガヒメに見られていたのであった。サクヤヒメとニニギの婚儀の日、同じく月ではアメツチとイワナガヒメの婚礼の儀が執り行われた。誓いの儀を終えたイワナガヒメは初夜の伽の際にサクヤ姫との逢瀬についてアメツチ王に釈明を求めた。しかしアメツチは頑として答えることをしなかった。怒り狂ったイワナガヒメはアメツチ王に呪いをかけ、過去の記憶を消し、従者としてその位を落とした。それを知ったツクヨミはイワナガヒメを問責した。イワナガヒメは二人の「罪」について訴えたが、ツクヨミはそれを受け入れず、イワナガヒメを日本一高い山に封印した。それが富士山である。しかし、ツクヨミでさえ、従者に落とされたアメツチ王の呪い解くことができず、以来月に王が不在となる。
 時を同じくして、ニニギに嫁いだサクヤヒメは伽の翌日に子を孕んだ。ニニギはそれを怪しんだが、サクヤヒメは産屋に火を放って子を産み、その嫌疑を払った。しかしニニギはそれ以降もサクヤヒメを信用せず富士の麓に追いやってしまったのだった。富士山の麓に辿り着いたサクヤヒメはイワナガヒメの呪いに逢い、姫の記憶は封印され各地に飛ばされてしまった。
 それから何千年もの時の間ツクヨミはアメツチ王の呪いを解く方法を探していたが、どうやらそれはサクヤヒメとの関係ではないかと気づく。そこでツクヨミはサクヤ姫の魂を月に復活させ、イワナガヒメの言う「罪」を質すべく、竹の娘として地に落とし試練を与えた。成人した竹取の娘を迎える従者として、アメツチ王を向かわせてもみたが王の記憶は戻ることはなかった。その代わりに月に去る二人を目撃したイワナガヒメは嫉妬のあまり、富士山を噴火させたのである。ツクヨミはアメツチ王の記憶を取り戻すために何度もその試みを続けたが、何度やっても同じ結果にしかならず、結局は失敗に終わってしまう。その試みをする度に悲しい思いをすることになったサクヤヒメはアメツチ王に見つけ出されぬよう、地味に普通に生きていけるよう深く思った。その思いが作り上げたのが竹泉瑠璃という、別人格であり別の魂であった。サクヤヒメは自らを繭の中に封印しわたしの中に隠れた。

 だからわたしはサクヤヒメであり、サクヤヒメではない。サクヤヒメはわたしであって、わたしではない。

「ボクが月の王?」
 人の姿をしたアメツチ(姿は亮くん)が脱力したように膝をついた。
「姉上、イザナギ、イザナミに誓って申し上げます。確かにかつては王とわたしは愛し合った仲ではございますし、あの夜わたしたちは人を忍んで逢瀬をいたしましたが、一切の過ちはございません。親の勝手によって引き離された身とはいえ、神として恥じる行いはできませぬ。王を信じてください。そして、あなたの実の妹のことを。
 王にはいつかあの償いはしたいとは思ってはおります。いえ、だからこそわたしはここまで我慢できたのかも知れませぬ。この何千年もの間、何故かは分からないまま試練と思って耐えて参りました。しかし、全ての記憶を思い出した今となって思うのです。わたしだけではなく、わたしたち三人の単なる誤解が原因でこの地上の人々を苦しめることがあっていいのかと」
 イワナガヒメ(姿はちいちゃん)は、その場に伏したまま、きっとサクヤヒメ(姿はわたし)を睨み付け、
「そんなことはとうに分かっている! しかし、わたしはニニギノミコトが憎かった。そしてその子孫達も憎い。憎んでも憎みきれない。だから知っているのだ、全ては八つ当たりであると。ふたりに何もなかったことも薄々は知っていた。けれど、王はわたしの叱責に答えてはくれなんだ。あの時、わたしの言を否定してくれれば、どんなに楽であったか! しかし、それはわたしの我が儘であったことは自分でも分かっているのだ。こんな醜い者を愛してくれる者はいないということは、もうずっと前から……」
 イワナガヒメはそう言って号泣した。それを見て、アメツチ王は立ち上がりそっとイワナガヒメのそばに寄った。
「姫。姿はその人そのものではございませぬ。いつわたしがあなたのことを愛しておらぬと申しました? 確かにサクヤヒメとはご縁がありませんでしたが、それがあなたを愛さぬ理由にはなりません」
「王……思い出されたのですか?」
「姉上がため込んでいた気持ちを全て吐きだしたせいでございましょう」
 姉に向かってサクヤヒメが優しく呟いた。アメツチ王はそれに同意するように頷いた。
「王……。わたしを許してくれるのですか?」
 イワナガヒメは、アメツチ王にしなだれて、泣き崩れた。
「もちろんです」
 永く永く止まっていた時間がようやく動き出した瞬間だった。ようやくこの神達の神話が終わった、いや、それは新しい神話の始まりなのかも知れない。
「イワナガヒメ。わたしはあなたの心の裡を知っておりました。だからこそあなたがわたしに呪いをかけた時もそれを甘んじてお受けいたしました。それはいつかあなたの怒りや無念が解ける日が来るまで待とうと決心したからでありますよ」
「それを知ってでおいででしたと?」
「確かに婚儀の前夜わたしがサクヤ姫と逢ったのは事実でしたが、後ろめたいことはありませんでした。しかしあの時わたしがどんな申し開きをしようと、あなたはわたしを許すことはなかったでしょう。そして、ニニギノミコトによって傷つけられたあなたの心を癒すにはそれ相応の時間が必要だろうとわたしは思ったのです。さすがにここまで長い刻が必要だったとはわたしも思ってはおりませんでしたが」
「なんと……」
 イワナガヒメは目を見開いた。
「最初からわたしのことを見透かされておいででしたか……わたしは自分のことを恥ずかしく思います。わたしは姿だけではなく心も醜い外道として身を堕としてしまったのですね……」
「そんなことはありませぬ。ご覧なさい。月に照らされた貴女の今のお姿を」
 アメツチ王はイワナガヒメを抱き起こし、富士山の方向を指さした。それは、月明かりに照らされた富士山の姿であった。それは、まさに世界遺産登録を前にした絶景であり、世界も認める美しさであった。
「お顔を上げなさいませ。姿の美しさだけで言えば、今の貴女のお姿は葦原中国一でございます」
「わたしを美しいと仰っていただけると!?」
「はい。しかし、今の姫のお心ではわたしは貴女を愛することはできないでしょう。妹君をお許しなさいませ。そして、ニニギノミコトの子孫達もお許しなさいませ。その許しがあれば、きっとツキヨミはあなたをも許すでしょう」
「わかりました。ここまで待っていただいた、王を裏切るようなことはできますまい。
 サクヤ。わたしはあなたを信じましょう。あの夜二人には何もなかったことを。
 そして、あなたの姉を許しておくれ。たった一人の妹のことを信じられなかったこの姉を。そして、あなたに嫉妬してしまったこの姉のことを」
「もちろんですわ、姉上。そして、わたしの夫であるニニギノミコト、そしてその子孫達のこともお許しください」
「そうですね。わたしは皆を許します。そして、皆に許しを請うでしょう」
 二人は手に手をとって、お互いの積年の想いを解放した。イワナガ姫を包んでいたドス黒い障気のようなものがどんどんと晴れていくようだった。「お互いを許し合う」という心の和解が神にとってもどんなにか難しいことだったのか。
 サクヤ姫は姉の手を離し、再びアメツチ王の方へと導いた。
「月の王、アメツチノオオワカミコよ、わたしの悪行がこの程度で許されるとは思っておりませぬ。しかしできることでしたら、わたしのことを許してほしい。刻を戻すことは叶いますまいが、また一からやり直させてはいただけませぬか?」
 アメツチ王は、イワナガ姫の手を取り、優しく微笑んだ。
「はい。また一からやり直しましょう。わたしはすぐに月に戻り、ツキヨミを説得いたしましょう。どんなに時間がかかったとしても、あなたを再び月にお連れいたします」
 イワナガ姫はアメツチ王の元にしなだれて号泣した。
 号泣するイワナガヒメ(姿はちいちゃん)を抱き起こし、アメツチ王(姿は亮くん)は抱きしめた。
 (ぎゃー!)
 わたしはそれを直視できなかった。……はずなのに、サクヤ姫はこの二人を微笑ましく眺めている。だからわたしの視界にも入ってしまう。わたしは心の中で絶叫をあげるしかできなかった。
「姫、もう泣きなさるな。その度に地が騒いでしまう」
 それから、アメツチ王(姿は亮くん)は両の手でイワナガヒメ(姿はちいちゃん)の頬に流れる涙を拭い、

 口づけをした。

 

 そこからわたしの記憶は途切れた。



 次に気がついたのは、先生の別荘のベッドの上。傍らにはちいちゃんが座っていた。
「瑠璃ちゃん、気がついた?」
 ちいちゃんは心配そうにわたしを覗き込んだ。外はまだ真っ暗だった。
「今、何時?」
「ん? 二時くらいかなー? 瑠璃ちゃんが起きなかったら、わたしも寝ちゃおうかなーって思ってたとこ。多分サクヤ姫に憑依されてて疲れただけじゃないかって、浦城先生が言ってたー」
 口調はいつものちいちゃんに戻っていた。
「で、どうなったの?」
 ベッドに起き上がって、わたしはちいちゃんに気になったことを聞いた。彼らはどうなったのだろうか。
「んー。わたしもよく分かんないんだけどー、ふたりともそれぞれのところに戻ったみたい。あれから地震もなくなったよ」
 ふたり?
「ちいちゃんは、どこからどこまで覚えているの?」
 ちょっと心配になって聞いてみた。
「ん? おイワちゃんが入ってから? あとは全然覚えてないなー。気がついたら、先生の車の中だったし。全部終わったって言われただけだし。詳しくは明日の朝説明してくれるって、先生がー」
 わたしはため息をついた。ほっとした。ちいちゃんの場合、憑依されている間の意識はなかったらしい。『ふたり』ということは、亮くんがアメツチに憑依されたことは知らないということみたいだし。わたしは胸をなで下ろした。どうしてわたしは安心したのんだろう? と、わたしは改めて思い出す。
「あ……」
 アメツチ王(姿は亮くん)とイワナガヒメ(姿はちいちゃん)が口づけをするシーンをはっきりくっきりと思い出した。
「ん? どうしたの? 瑠璃ちゃん?」
 ちいちゃんが心配そうに訊いた。
「ううん、なんでもないなんでもないの」
 わたしは必死に誤魔化そうとした。顔が火照るのが分かった。ちいちゃんがあの時のことを覚えていないことを認識した時に安堵したということは、つまりどういうことなのだろう? 憑依された二人が意志とは関係なくそういう行為に及んだことに対して、知らない方がいいと思ったのだろうか。それとも、嫉妬……なのだろうか。わたしは自分自身が恥ずかしかった。ちいちゃんは亮くんのことが好き。だけどわたしが亮くんを好きなのを知っているから、わたしたちが相思相愛であることが嬉しいと言ってくれた。翻って、わたしはちいちゃんと亮くんが口づけしているのを見て発狂しそうになった。二人はただ神様に憑依されていただけだというのに。こんなに心が広いちいちゃんと、心の狭いわたし。わたしは自責の念にとらわれた。
「そう? 瑠璃ちゃん、また寝られそう?」
「うん、大丈夫だと思う」
 と言ったのはいいけれど、さっきのシーンを思い出したせいで、なんだか目が冴えたような気もする。
「一緒に寝よっか?」
 昨日の夜と同じようにちいちゃんはそのまま私の隣に潜り込んできた。
「ここ数日、毎日がドキドキだったねー。でも、なんとか無事に終わってよかったね」
 ちいちゃんはなんとも感慨深くそう言った。
「わたしはもうドキドキどころじゃなかったよ-! もうこんなの二度とゴメンよー」
 わたしは少し冗談めかして言ったけれど、本気でこういう事件には二度と関わりたくはなかった。全部終わったと先生は言っていたらしい。となると、サクヤ姫ももうわたしの中にはいないのだろうか。できればそうであってほしいとは思う。
「そうね。瑠璃ちゃんは大変だったよね。頑張った、頑張ったー。いい子いい子ー」
 ちいちゃんはわたしの頭を撫で撫でしてくれた。こそばゆかったけれど、嬉しかった。
「わたしが瑠璃ちゃんの立場だったら、同じようにできなかったと思うよー」
「そ、そんなことないよ……わたしは何もできなかったし」
「ううん。多分わたしだったらあんなに我慢できなかったと思う。途中で放っちゃうよ。憑依されるって、あんなに大変だとは思わなかったもの」
 ちいちゃんも相当我慢していたんだ。
「その間何が起こったかは全然覚えてないけど、とにかく気持ち悪かったってことだけは覚えているのねー。なんていうかね、とにかくイヤなことばっかり思いついて」
「え? そうなの?」
 イワナガヒメの怒りや嫉妬、そんな感情がちいちゃんの心に逆流してきたのかも知れない。何千年にも及ぶ黒い感情はどれほどのものだったのだろうか。
「瑠璃ちゃん、ごめん」
「え? ど、どうしたの?」
 いきなりちいちゃんに謝られて驚いた。
「憑依されている間、わたし沢山のことを考えていたの。正直に言っちゃう」
「う、うん……」
 何を言われるのだろうかとわたしは身構えた。
「亮ちゃんのことね。わたしやっぱり好きなんだと思う」
 思いも寄らぬ言葉でわたしは一瞬目が泳いだと思う。ああ、やっぱり、という思いと、そんな昨日と言っていることが違うじゃない、という思いとが交錯した。
「ううん、好き『だった』かな。過去形なの。でも、その気持ちはまだ埋み火みたいに残っていて、それが悪い方へ悪い方へ考えが流れていって、どうしてわたしがこの気持ちを譲らなきゃならないのって、疑問になって、瑠璃ちゃんなんか大嫌いって思うようになって、でも、そんなこと言ったら、自分からそういうことを言ったんじゃないって、結局自分を責めることになって、もう収集つかなくなっちゃって」
 ちいちゃんがいつもとは違う口調でまくし立てた。イワナガヒメの気持ちがなんらかの形で影響しているのか、それとも、これが本来のちいちゃんの想いだったのだろうか。
「偽善者面してる自分が許せなくて。そんな気持ちが、逆に亮ちゃんも嫌い、瑠璃ちゃんも嫌いってなって。どんどん誰も嫌いになっちゃうの」
 そう言ったかと思うと、ちいちゃんがブルブルと震え始めた。わたしはちいちゃんの手をとって握りしめた。
「でもね、その気持ちを抑えてくれたのが亮ちゃんだったの。夢見てたのかな? 大丈夫だよって言ってくれた。それから、瑠璃ちゃんも出てきてね。二人して、大丈夫だよ、大丈夫だよって」
 急に震えが収まった。わたしはついに、それは夢じゃないの、本当にあったことなんだからとは言えなかった。
「で、結局わたしは三人でいることが一番居心地がいいんだって気がついたの。だから、この関係が崩れることが一番怖かったんだって。
 でもね、一瞬でも瑠璃ちゃんのこと嫌いになった、ってことを本当に謝りたかったの」
 なんて素敵な娘なのだろう。確かにイワナガヒメの影響で一時的に暗い感情に囚われてしまったのだろうけれど、それを正直にわたしに話してくれて、それでいて結果的に全てをはねのけてしまったのだから。
「そんなことない。そんなことない。わたしだって、ちいちゃんのこと嫉妬したり、何度もしたもの。お互い様だよ」
 お互い親友として付き合ってきたけれど、ここまで腹を割って話したことはなかったかも知れない。
「そうなの?」
「そうだよ。だって、二人で話している時なんて、まるで夫婦みたいに、あうんの呼吸だし、わたしなんて間に入れる隙間ないなんて思ってたし」
「夫婦みたい……だなんて。でも確かにそうかも。わたしって、亮ちゃんの近くに居すぎたのかも。だから恋愛感情にならなかったんだと思う。亮ちゃんも同じなんじゃないかなー」
 ちいちゃんはくすっと笑った。
「だから、昨日の夜ここでちいちゃんに、嬉しいって言われて、正直ホッとしたのよ。だけど、やっぱり本当かなって思ったりしてるわたしがなんかイヤだったの。でも、今、ちいちゃんの本当の気持ち聞けた気がしてる」
「あははー。ぶっちゃけちゃったもんねー」
 大笑いするちいちゃんにわたしももらい笑いした。もうちいちゃんの手は震えてはいなかった。
「あー、でもこれですっきりしたー」
 破顔するちいちゃんにわたしは和んだ。

(作曲:てけさん)