2023年9月25日月曜日

「Nコン!」第19コーラス目「憂鬱!」

「あ、あれ?」
 真湖が変な声を上げた。乃愛琉が真湖の指した方向を見ると、見かけたことのある顔が。
 その男子生徒三人は、間違いなくあの三人だった。特徴のある顔立ちなので、乃愛琉《のえる》でも記憶している。
「あ、あの人たち……。でも、変じゃない?あの制服、うちの中学のじゃないよ。多分……石農《せきのう》のじゃないかな」
 西光中男子の制服は詰め襟の学ランで、彼らが今着ている制服はブレザーなので、遠目に見ても違いははっきり分かった。

 石農とは、石見沢農業高校の略で、テレビアニメにもなった人気漫画のモデルとして有名な某道東の農業高校を遙かに凌ぐ、北海道で最も学生数の多い農業高校である。空知地区で酪農業を継ぐつもりの中学生はほぼ間違いなくこの高校を目指す。
 酪農業というと十勝というイメージは強いが、実のところ、空知地区も広大な農地を持つ、北海道の穀物庫であるのだ。
「うん、あれ、絶対そう。リーダーに、サンマに、マツコだよ。確かにブレザーだよね。うちのじゃない。でも、あの時はうちの中学の制服だったよね? バッジも3年生のだったし」
「うん、確かにうちの制服だったよ。どういうことかしら?」
 何となく真湖たち三人は彼らの後を追った。日曜日なのに制服を着ているところを見ると、部活の帰りなのだろうか。
 駅前を過ぎ、住宅街にさしかかった頃、周りから他に人影がなくなった。真湖は意を決して、彼ら三人に近づいた。
「あ、真湖ちゃん!」
 乃愛琉は、真湖を止めようとしたが、遅かった。
「すみません!」
 真湖は三人の前に立ちはだかって仁王立ちになった。
「あー?」
 リーダーはあの時と同じように、地響きするような低い声で真湖を威嚇した。
「ひっ!」
 真湖は思わず身を縮めた。
「なんだ、お前か。なんだっけ、キラキラ?」
 逆に驚いたのはリーダーの方だったらしい。目をきょとんとして、真湖を見つめた。
「ち、違います、煌輝《きらめき》です!」
「で、なした? なんか用か?」
 気の抜けた様子でリーダーが聞いた。
「なにか用って、用があったのはそっちだったじゃないですか!?」
 真湖は必死にそう叫んだ。追ってきた翔が真湖の前に立ったが、リーダー達は何も手出しする様子がなかった。
「あー、それな、もういいわ」
 リーダーはあっさりとそう言い抜けた。
「え?」
 真湖はすっかり脱力した。
「いい、って、どういう意味ですか?」
「いいって言ったら、いいんだって。もう気にすんな。用はそれだけか? じゃな」
 そう言って、三人はそこを立ち去ろうとした。
「よ、芳田、芳田瑞穂《よしだ みずほ》先輩に頼まれたんですよね!?」
 真湖はそれだけは確かめたかった。リーダーはふと振り返って、
「なんだ、知ってんじゃん。もうバレたんかい。まあ、じゃあ、もういいよな?」
 とだけ言って、また元の方向に歩いて行った。
「真湖ちゃん、大丈夫?」
 翔が前から、乃愛琉が後ろから真湖を支えた。この前のように腰を抜かしかねないと心配してのことだった。
「ん……大丈夫……」
 と、言いつつも、翔にもたれかかった。
「真湖ちゃん!」
 そのまま真湖は意識を失った。

 真湖の意識は混濁していた。それは、幾人かの記憶が混じり合った、マーブル模様。赤色、黄色、緑色、青色と茶色が混ざり合ったチョコレートのような。ぐるぐると回っては溶け合うチョコレートに流されながら、真湖はぷかぷかと浮いていた。真湖の耳から入り込んでくるチョコレートは時に甘く、時に苦く。
「耳から入ってくるのに、どうして味がするのかな?」
 真湖は不思議に思いながらも、その液体の味を味わっていた。ほろ苦い味の時は胸がぎゅっと締め付けられる気持ちになる。甘い時はトロトロになりそうになる。
 でも、大半は何も味のない茶色のチョコレート。やがて、チョコレートの流れは速くなっていき、ある方向へと導かれていく。流れが速くなるにつれて、どこかから声が聞こえてくるような気がした。いや、確かに誰か自分を呼ぶ声がする。
「真湖ちゃん、真湖ちゃん」
「乃愛琉《のえる》、もうちょっと待って。あと、五分、あと五分寝かせて」
 真湖はようやく夢うつつに、その声が乃愛琉だと気がついた。


「真湖ちゃん、起きて、お願い起きて」
 寝言ながら、真湖の反応があったので、乃愛琉と翔は少し安心した。
「真湖ちゃん、真湖ちゃん」
 二人揃って真湖の名前を呼び続けた。
「ん……」
 真湖は朝いつもベッドから起き上がるかのように、ゆっくりと体を起こした。
「あれ? ここは?」
 すっかり自分の家だと思っていたら、どうもここは公園のベンチのようだった。
「近くの公園。真湖ちゃん、倒れたの覚えてない?」
「あれ……だったっけ? よく覚えてないなぁ。あれ、エンリコくんも一緒だったっけ?」
 どうも自分の記憶が曖昧だった。何か夢を見ていたように思うけれど、よく思い出せない。
「あれ、駅前であの三人組に出会って、それで真湖ちゃん、そこに飛び出していって……」
「あ、ああ。そうだったっけ」
 乃愛琉に言われて、ようやく思い出す。
「芳田先輩……だ。そうだね、やっぱり、あの人に頼まれたんだ、あの人たち」
「そう、そういう話だったけど……。で、あの人たちがいなくなった後に真湖ちゃん倒れちゃったんだよ」
「病院に連れて行こうって言ったんだけど、乃愛琉ちゃんが、ここで良いって言うから、とりあえず、ボクが背負ってここまで……」
 ああ、そう言えば、あの人達と話しているうちに、意識が朦朧としてきたんだっけか。と、真湖は徐々に記憶を取り戻した。そう言えば今日は色んな人の記憶を取り込んだので、すごく疲れてたんだった。
「うん、ごめん。でももう大丈夫だから」
 真湖はそう言って、ベンチにあげていた脚を下ろした。
「本当に大丈夫? 病院行かなくて?」
 翔は心配そうに真湖と乃愛琉を交互に見た。
「大丈夫だと思うよ。ほら、ちょっと貧血気味だったんじゃないかな。その……女の子ってさ、いろいろあるから」
 乃愛琉がそっと、翔に耳打ちするように言うと、翔は一瞬固まった後、紅い顔をして、
「あ、ああ! そっか、そっか、じゃあ、だ、大丈夫かなぁ」
 と、大げさに言った。
「ちょ、乃愛琉!」
 抗議しようとした真湖の口を乃愛琉が塞いだ。
「じゃ、ぼ、ボクは先に帰るね。もうこんな時間だし。じゃ、また明日ね」
 翔は慌ててその場を立ち去った。
「乃愛琉! あたし、まだなったことないし」
「うん、知ってる」
 乃愛琉はにしゃりと笑った。
「で、誰の見たの?」
 乃愛琉は極々簡潔に聞いた。
「えっと、新栄中のあの一年生と、雅先生と、あと、エンリコくん」
 真湖はすぐに乃愛琉の意図を汲み取って即答する。
「一日に三人も見るなんて、初めてじゃない? それは疲れたんじゃない? 多分そのせい?」
「うん、多分そうだと思う。帰りの電車の中でも眠くて、眠くて」
「道理で静かだと思った」
 思い返せば今日一日緊張の連続だった。初めての遠征、全国レベルの合唱、初めてのライバルとの出会い、そして、雅先生の語らない秘密。最後にエンリコ翔の過去。
 どれも他人には触れられたくはない記憶だったはず。それを一気に触れてしまったために、その記憶に飲まれてしまっていたのだろう。
「うん、あたしもびっくりした」
 まだ頭の中で整理がつかない。様々な記憶がイメージとして流入してくるため、一気に入ってくるとどれが自分の記憶で、どれが誰の記憶かが分からなくなってしまっていたのだ。
「それにしても、乃愛琉、さっきのはひどいんじゃない? あんな嘘」
「真湖ちゃん、まだかぐや姫が来てないのにって?」
「うーん! そういう言い方やだー!」
「よしよし、大丈夫もうすぐくるって」
 乃愛琉は真湖をなでなでした。真湖が中学生になってもお客さんがきてないことは乃愛琉も知っていた。多分クラスでもかなり遅い方なはず。色恋沙汰に不器用で奥手なのも、多分その影響もあるのだろう。
「だから、そういうことじゃなくって!」
 もしかしたら、真湖の能力はその裏返しなのかもとも思う。もしかすると、もうすぐそれはなくなるものなのかも知れない。けれど、それは乃愛琉の想像であって、本当かどうかは分からない。言葉にするのは躊躇われた。
「とにかく、早く帰って、休んだほうがいいよ。疲れたんだったら」
 乃愛琉は真湖の手を取って、立ち上がった。
「あ、うん……」
 真湖はされるがままに立ち上がって、乃愛琉の後をついて行った。
「そう言えば、乃愛琉、聞かないんだね、何見たか」
「うん。真湖ちゃんが言わないってことは、言いたくないのか、言わない方がいいと思ったのか。多分どっちかだからね」
「そっか、ありがと」
「ううん。必要になったら言っちゃえばいいんだし、言いたくなったら言ったらいいよ。わたしでよかったら聞いてあげるし」
 他人の心の裡を、秘密を覗き見ることの負担というのはどのくらいのものなのだろうかは乃愛琉には分からない。ましてや、自分で知りたくて知るのではなく、自分の意志とは関係なく見えてしまうのだから。時々真湖から相談事のように聞かされる時に感じるのはそういった、負の部分しか感じられない。多分、真湖のまっすぐな性格がそうさせるのだろう。
 そういった素直さが乃愛琉にとっては、真湖の良いところだとも思えるのだけれど。

 札幌遠征から帰宅した夜、真湖は夕食もそこそこに自室に入った。
 たった一日だったのに、なんだか色々なことが起こって、頭の中がいっぱいいっぱいだった。
「疲れたー」
 部屋に入るなり、ベッドになだれ込んだ。けれど、頭ははっきりしていて、全く眠い感じはしない。ただ、頭の奥底でジンジンするような、痺れるような感覚が続いていた。帰りの電車内でウトウトしていたのとは正反対だ。
「何だったんだろ、あれ...」
 乃愛琉に話た通り、何故か今日は三人もの人の心の中を読んだ。読んだと言っても、今回は皆イメージみたいなものだった。現《うつつ》の心を読んだ時のように、具体的な人の名前や顔を思い出す心の中を読むのとは違っていた。人の気持ちや、過去の漠然とした内容だと、とても抽象的なイメージにしかならないのだ。しかも、三人の持つイメージが混ざりあってしまっていたため、もう真湖には誰が何を考えていたのかを区別することができなくなっていて、さっきさっき気絶していたときに見たイメージがそれだった。

 ただ、新栄中のあの一年生のイメージはドス黒く、多分、言っていた言葉と気持ちが違っていたのだろう。つまり彼女は嘘をついていたことになる。
 雅先生のイメージも何か奥底に秘めた思いがあったように見えた。過去に新栄中の顧問や、あの先生達と何かがあったのかも知れない。だとすれば、その過去を押して無理してでも、自分たちをあそこに連れて行ってくれたのかも知れない。
 あと、エンリコ翔。札幌に残してきた記憶。「パパのこととか思い出しちゃう」と言っていた。その気持ちに繋がるようなそんな寂しい気持ち、だったような気はする。
 乃愛琉にも伝えなかったのは、皆それぞれに持った過去であり、あまり触れてほしくはないと思われたからでもあったが、彼らの複雑な気持ちの塊をなかなか言葉にすることができなかったという理由もある。
「なんかなー」
 なかなか寝付けないというのもあったが、心の中のモヤモヤが増えていくことに、何かしらの不安が募っていった。
 おもむろに、真湖はベッドから立ち上がり、カーテンを開け、窓越しに隣の家を覗いた。阿修羅の部屋は電気がついていなかった。もうすでに寝たのか、それともまだ居間にいるのか、風呂にでも入っているのか。多分、こんな時に話したい相手は阿修羅なのだろう。もちろん、詳しい話はできないけれど、言いたいこと言って、気分を晴らせるとすれば彼しかいないのだった。
 五分位、そのまま待ってみたけれど、電気がつく気配はなかった。真湖は諦めて、またベッドに潜った。

 やっぱり、寝付けないなと思いつつも、やはり疲れたのだろうか、いつの間にかすーすーと寝息を立てて、深い眠りについた。

 翌朝。
 珍しく、阿修羅が真湖を迎えに来た。
「どしたの?」
「いや、別に」
 と誤魔化した阿修羅だが、実は昨日の夜、乃愛琉から真湖に内緒でと連絡があり、朝迎えに行ってやってほしいと言われてたのだ。昨日の今日で乃愛琉はちょっと心配だったのだが、ここは阿修羅の方が良いだろうとの乃愛琉の機転からだった。阿修羅は何も言わなかったが、真湖には何か感じるものがあった。
 もちろん、先生たちの記憶を読み取ったことは阿修羅には内緒だった。
「で、どうだった、翔とのデート?」
「デートじゃないし。遠征だし。見学だし」
「はいはい、遠征ね。どうだった、全国レベルの見学結果は?」
「うん、全然上手かった」
「だろうなぁ」
 阿修羅は鞄を背負いながら空を見上げた。自分も果てしない上の上を見てはいるが、多分そこに届くことはないだろう。
「だから、言ったじゃん、全国って甘くねぇぞって。ホントお前って、世の中舐めてるからな」
 と、散々な言い方をしても、真湖からの反論がなかった。いつもの手応えがない。
「どした? よっぽどショックだったんか?」
「ん。まあ、たしかに、あっしゅ言う通り。いかにあたしが色んなこと知らないかってのは分かったし」
 どうやら図星だったらしい。珍しく殊勝な言い方をする真湖が阿修羅には意外だった。なるほど乃愛琉が心配になった理由がようやく分かった。
「まあさ、まだ合唱部も始まったばっかだし、コンクールのある夏まではまだ時間あるし、あとは頑張って練習するしかねーんじゃね?」
「だよねー」
 ただ上の空に相槌をうつ真湖。歩きながらぽんぽんと鞄を蹴りながらのんびりを登校する。小学生からずっと一緒だったが、こんなしおらしい真湖は初めて見た。そう見てみると、真湖もまんざらでもなく。いつもは走り回ってばかりいる印象が強くて、あまり落ちついたところを見たことがなかったが、クラスでも、顔立ちは良い方なんだよな、などと思いつつ。
 しかし、一瞬で我に返り、首を振って、
「あー、何考えてるんだ、俺」
 真湖に聞こえないように呟く。
 しかし、エンリコ翔が真湖に告白した一件も思い出したり、クラスの小林が真湖のことを気にしているらしいなんていう風の噂もあったりで、どうしても気になってしまうのだ。
「あっしゅ、あのさ。嫉妬ってしたことある?」
「はぁ!? なんだ、急に」
 まるで心の中を読まれたようなタイミングで問われ、阿修羅の心臓が飛び出たようになった。
「ねぇよ、そんなの。ある訳ないだろ?」
「だよねー。あたしもわかんないんだー」
「おまえ、何言ってんだ、訳わかんねー」
「わかんないよね。ホント、大人って難しいわぁ」
「おとな? はぁ?」
 いよいよ真湖が何を言いたいのか分からなくなってきたところ、前を歩いていた真湖が急に振り向いてぶつかりそうになった。
「!?」
「あんまり考えるのヤメタ! 悩んだって、前に進まないもんね!」
 かろうじて衝突を回避した阿修羅は面食らった。真湖はいつもの表情に戻っていた。
「ようし! 今日から練習頑張るぞ!」
 真湖は阿修羅の心の裡を知ってか知らずか、必要以上に元気な声を出して、エイエイオーした。
「まあ、いいんじゃね」
 阿修羅は一つため息をついてから、真湖に頷いた。
「残り走っていこーぜー!」
 と言ったかと思うと、真湖は一人さっさと走り出してしまった。
「お、おう」
 阿修羅は後を追いながら、やっぱり、真湖は元気な方がいいと思った。

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