2013年7月20日土曜日

「竹取の」第4夜<夕月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)
 居間のドアを開くと、見知らぬ初老の男性がソファに座っていた。パパはその人の向かいに座っていて、わたしが部屋に入ると振り返って手を振った。
「おかえり。ああ……紹介いたします。これがわたしの娘で、瑠璃といいます。瑠璃、こちら作家の浦城光太郎さん」
「あ、いらっしゃいませ。初めまして。いつも父がお世話になっております」
 わたしは慌てて頭を下げた。浦城って今朝パパが言っていた文豪さん?
「どうも、お邪魔してます。竹泉さんの愛娘さんですね。浦城です。さっきからあなたのお話を聞いていたところですよ。可愛い娘さんだ。なるほど、これなら目に入れても痛くないはずだ」
 パパったら、一体どんな話をしていたんだろう。すごく恥ずかしくなった。さて困った。お客さん来てるんだったら、ちいちゃん達を通すわけにはいかないかも。と、躊躇していると、
「あらぁ?ちいちゃん来てたの?あら、そちらは?……」
 廊下から騒がしい声が聞こえてきた。ママだ。どうして、こんなに早く?
「いらっしゃいませ!遅くなりました。これから準備しますからね。あら…瑠璃おかえり。お友達連れてきたのね?英検どうだった?」
 ママは両手にスーパーのレジ袋を抱えて、嵐のように私の横を通り過ぎ、台所に駆け込んだ。
「あ……れ……」
「ん……? お友達来てるのかい?お通ししなさい」
 台風一過を見届けた後、パパは上機嫌な声でわたしにそう言った。
「あ……う……うん、いや、あの……お客さんがいるし……」
 わたしが戸惑っていると、浦城先生が気を遣って手を挙げた。
「ああ、ボクなら構わないよ。どうぞ。むしろ、急にお邪魔して申し訳ない」
「あ、いえ、とんでもない。ほら、瑠璃、お通ししなさい」
 わたしは廊下にいるちいちゃんと亮くんに目配せして、居間に通した。
「わたしの友達で、京さんと、だ、段逆…く…さんです」
「こんにちはー!瑠璃ちゃんのお友達の京茅衣子ですー」
「はじめまして、段逆亮と申します」
 なんだか、予期しない展開で慌てるわたしに対して、落ち着いていつものペースなちいちゃんと亮くんだった。そこに、ママがトレイにビールを載せて台所から戻ってきた。
「浦城先生、今晩一緒にうちでお食事をって、パパがお誘いしてきたの。よかったら、ちいちゃん達も一緒に食べていかない?って言っても、ほとんどうちのお総菜だけど」
「あ、いえ、お邪魔でしょう……」
 それに、遠慮しようとする亮くん。
「じゃあ、お言葉に甘えて、お邪魔しまーす」
 と、ちいちゃんが被せてきた。勢いはちいちゃんの勝ちの様子。
「おま……」
 劣勢の亮くんは、こそこそと、ちいちゃんに文句を言った。
「だって、楽しそうじゃーん」
 ちいちゃんは同じくこそこそと亮くんに言った。
「もしよかったら、一緒に話しでもしないか? ボクには子供がいなくってね。竹泉さんに高校生の娘さんがいるって聞いてね。是非お話させていただきたいと無理に頼んだのは、ボクのほうなんだ」
 浦城先生がすまなそうな顔をしてそう言った。じゃあ、元々わたしに会いにっていう意味かしら。文豪さんに何も話すことなんてないのに。
「いえいえ。最初にお誘いしたのはわたしですし。お気になさらずに」
 パパも、パパよね。そんなこと言われたって、わたし困るのに。とは口には出せず。いくら仕事とは言え、そんなことまで引き受けなくてもいいのに。
「じゃ、じゃあ……わたしママのお手伝いしてくるから、ちいちゃんと亮くん、座ってて」
 そう言って、その場を去ろうとした。
「じゃあ、わたしもお手伝いしまーす」
 と、ちいちゃんもわたしに着いてきた。残された亮くんはパパに勧められて、ソファに座った。最初浦城先生の隣を勧められたが、断って、パパの横に座った様子。
「ちいちゃん、亮くん大丈夫かな?」
 台所に入って、わたしは心配そうにそう聞いた。
「だーじょうぶ。本当は内心喜んでるはずよー。だって、亮くん、浦城先生のファンだもの。結構色々読んでたみたいよ」
「へぇ、そうなんだ。ファンなんだ? わたしは浦城先生の本読んだことないわ」
「わたしもないよー。映画を一つ観たかなー?おばさん、どこからお手伝いすればいいですかー?」
「あらぁ、助かるわ。じゃあ、これとこれを盛りつけしてもらえる?お皿はそこから出して」
 ママはてきぱきと準備をしつつ、ちいちゃんにも指示を出した。
「瑠璃はこれ持って行ってあげて……えっと……」
 ママは、ペットボトルのウーロン茶とコップののったトレイを指さした。
「段逆亮です。亮ちゃんでいいですよー。わたしの従兄妹なんですー」
「あら、そうなの? 道理で似た顔してるって思ったわ。ご兄弟なのかと思ったわ。従兄妹さんなの? じゃあ、瑠璃、亮ちゃんにそれ持って行ってあげて」
「う、うん……」
 なんかすっかりちいちゃんのペースだった。というか、こんな展開になるなんて思いもよらず、わたしは一人浮き足立っている感じだった。
「……そうか……それも読んでくれてたのかい。嬉しいね。ボクの読者は中高年が多くてね。まさか高校生でそこまで読んでくれてる子がいるなんてね……」
 わたしが居間に戻ると、浦城先生が嬉しそうに亮くんと歓談していた。
「先生のお話は造詣も深く、しっかりとした資料調査を元に豊かな想像力が加味されていて、意外性もあり最後まで飽きさせない展開を持続させる力があります。毎回楽しませていただいております。それに、先生の文体は比較的お若い。正直僕は、もっとお若い方だと思っていました」
 亮くんは、まるで大人のような言葉を操り、浦城先生と対等に話をしているようだった。なんか素敵。横でぽかーんと口を開けて座っているパパの方がまるで子供のよう。あたしは、二人の言葉を遮らないように、そっとウーロン茶の入ったコップを亮くんの前に置いた。
「あ、ありがとう」
「いえ……かえってごめんね」
「ううん、ぜんぜん。嬉しいよ、先生に会えて」
 近くで見ると、亮くんは緊張している様子だった。そりゃそうよね。
「そこまで褒められると、なんていうかこそばしいというか。でも、どうだい? 同年代の子でボクの作品を読んでいるような子っているかい?」
「……そうですね、正直言って、少なくとも僕のクラスにはいないですね。ただ、学校全体だったら……数名くらいはいるかも知れません。少なくとも図書館には先生の蔵書は山のように並んでいますから」
「だよね……」
 浦城先生は溜息混じりにそう言って、
「実は少し前から高校生を主人公とした作品を依頼されていたんだが、子供もいないし親戚にもそういう知り合いがいなくってね。また、作家家業って意外に交際範囲は狭くってね、たまたま知り合った竹泉さんが高校生の娘さんをおもちだと聞いてね。これに飛びついたのはホントなんだ」
 わたしは横でそんな話を聞いて、まるで人体解剖されるために、両手両足を縛られて、手術台に載せられているイメージを想像した。そんなことのためにこの人を連れて来たなんて。パパに文句の一つも言いたくなった。
「そう言えば、先生の作品には若い登場人物は少ないですね。『暴かれた宗教シリーズ』も大学生が主人公でしたね」
「そうそう……それで…」
 わたしはその辺で居間を辞した。台所に入ると、ちいちゃんとママは料理の盛りつけをしながら、楽しそうにお喋りをしていた。
「瑠璃。連休、一緒に遊びに行くんだって?いいわよ。行ってきたら?」
 いの一番に、ママからそんな言葉が飛び出した。ちいちゃんはわたしに小さくピースした。一体、どんな説得をしたのよ、ちいちゃん。
「パパには、ママから言っておいてあげる」
 そんな気前のいいママは初めて。だから、一体ちいちゃん、何を言ったの?
「あ、ありがとう……」
「じゃあ、これ、食卓の上に持って行って」
 ママは大皿に盛りつけたお総菜をわたしに手渡した。わたしはそれを受け取って、ダイニングのテーブルに置いた。続けて小皿や割り箸等を運んでいるうちに、大体の用意ができた。きちんと盛りつけられたお総菜は、意外にサマになっていた。ママのスーパーのお総菜コーナーは近所でも有名で、有名な割烹がテナントでも入っていた。
「大したものじゃありませんけど、ご飯の用意ができましたわ。どうぞこちらへ」
 用意が整うと、ママは居間の3人を呼んだ。パパはすでに結構できあがっていた。頬が紅い。亮くんも紅潮している様子だけど、これはお酒のせいではなく、浦城先生と話が盛り上がっていたからみたい。浦城先生と亮くんの話は途切れることなく、そこにパパが相の手をいれるようにして、そのままダイニングに集まった。
「……それで、『古事記』によると、ツクヨミノミコトが……」
「では、先生はどこまでが史実だとお考えですか……?……あ、すみません」
 席についてもしばらくそんな感じで話が続いていたのを、亮くんが話を遮った。このままだと、ずっと待たされることになりそうだった。
「では……そうだな……」
 パパは、今日の来賓の顔を見渡して少し考え込んでから、
「今日の出会いに乾杯」
 と言って、コップを差し出した。わたしにとってはなんとも奇妙な宴会が始まった。
 席は移動しても、会話の主なところは、浦城先生と亮くんで、やっぱりパパはそこに相槌を打つ役。よくよく聞いてみると、亮くんは浦城先生に質問を投げかけ、浦城先生はそれに答えるような感じの流れのよう。亮くんも高校生としてはかなり知識を持っていると思っていたけれど、さすがにベストセラー作家、浦城先生はその何倍もの知識量を誇るようだ。それでも、すでにパパは話についていけていない様子で、それについていける亮くんはすごいと思った。
 対して、ちいちゃんとママは和やかに、「このお総菜はどこの割烹ですか?」とか、「ここの食材はいいですよね」とか、会話が弾んでいた。さすが将来家業を継ぐ覚悟を決めているちいちゃん。これはこれで尊敬に値する。
 わたしはわたしで、どちらの話にもついていけず、ただパパと同じようにどちらかの話にうんうん頷いているだけ。
 浦城先生と亮くんの話の流れは、古典文学から、SF、ミステリーと様々な分野に飛んでいた。亮くんは、まるで乾燥したてのスポンジのように、知識の泉をできるだけ多く吸収しようとするかのごとくに、必死に浦城先生に食いつき食らいついているかのよう。そして、その話にはわたしはさっぱりついていけなかった。
「……それでね、パパ。今度の連休なんだけど、ちいちゃんたちと瑠璃が海の方まで遊びに行きたいって言うんだけど。いいわよね?」
「連休? 誰か着いて行ってくれる人いるのかい?俺は連休中はダメだぞ」
「分かってるわよ。わたしも出勤。もうこの子達も高校生よ。大丈夫でしょ」
 両親の仕事のせいもあって、子供の頃から休日は一人で過ごすことがほとんどのわたしにとっては、両親が連休に一緒にいてもらえることは滅多になく、期待もしていなかった。
「ボク、が行きましょうか?」
 と、意外なところからボランティアの申し出があった。浦城先生だった。
「今度の連休は別荘で書き物の予定でね。ほら、編集部も休みに入るから、五月蠅いのもいないのでね。別荘も海の近くだし、みんなが泊まる部屋もある。場所柄、高校生が楽しいところかどうかはちょっと微妙だけど。ちょうどこの前買った車の馴らしもしたかったことだし」
「いやいや、先生、そんなこと頼む訳にはいきませんよ」
 そりゃそうよね、いくらお得意様だって、一応他人様だし。そんなこと頼めるわけないわよね。
「信用…されてませんか…?」
 浦城先生は突然悲しげな顔をした。
「いや、そういう意味じゃありませんよ。けっして」
「さっきも言いましたが、ちょうど高校生を主人公にした話を書かなければならないんですよ。お嬢さんとこちらのお友達なら、ちょうどうってつけなんです。しかも、段逆くんは、わたしの本を読んでくれている。きっといいアドバイスをしてくれそうだ。これは、ボクからのお願いです。一緒に行かせていただけませんか」
 浦城先生は、テーブルに手をついて頭を下げた。さすがにそこまでされたら、という様子でパパとママは呆れ顔でお互いを見た。
「いや、お…僕は、そんなアドバイスだなんて…荷が重すぎます」
 亮くんはいきなりの責任を背負わされてキョドった。
「そこまで言われたら……ねぇ……では、浦城先生、お願いします」
 最初に先生に頭を下げたのは、ママの方だった。
「あ……お願いします」
 パパもそれに習った。
「ありがとうございます」
 浦城先生はそう言って頭を上げた。笑い顔がまるで無垢な青年のように破顔していた。
「わーい。よかったね、瑠璃ちゃん」
 ちいちゃんはそう言って、両手を叩いて喜んだが、わたしは心中複雑だった。いくらパパのお得意さんだって言っても、全く知らない人だし。亮くんと一緒に旅行できるのは嬉しいけど、初めての遠出がお泊まりとか、恥ずかしくもあり。特に、わたしの意志と関係ないところでトントン拍子に話が進んでいくのがすごくイヤだった。イヤというより不安に近い感じ。まるで何か別の人の意志が働いてこんなことになってしまったかのように。考え過ぎなのかも知れないけれど。
「ね、ね。瑠璃ちゃん、ちょっといい?」
 そんなこんなで、連休に浦城先生の車で海に行くことが本決まりになったところで、ちいちゃんがわたしに小さく合図してきた。わたしたちは一緒に廊下に出た。
「どうしたの?」
「ちょっと話があるんだ……。できればみんなに聞かれたくないの」
「じゃあ、わたしの部屋に行く?」
「うん、ごめんね」
 わたしたちは、一緒に階段を上がり、わたしの部屋に向かった。
「瑠璃ちゃんの部屋に入るの久しぶりね」
「前と全然変わってないわよ」
「マツケンのポスターまだ貼ってるの?」
「それ、いつの話よ。もうないわよ」
「あれー?そうだったっけー?」
 なんて、どうでもいい話をしながら、わたしたちの部屋の扉を開けた。外はもうすでに暗くなっていて、月明かりが窓を照らしていた。部屋の照明をつけようとスイッチに手を伸ばそうとした時。
「なにあれ?」
 ちいちゃんが悲鳴にも似た声をあげた。それにつられて、わたしも窓を見た。そこには、夕べ見た夢の……いや、夢ではなかったのか、あの生き物、アメツチが昨日と同じように月明かりを背に、その大きな瞳をわたしたちに向けてじっと座っていた。


(作曲:てけさん)

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