2013年7月31日水曜日

「竹取の」第16夜<十六夜>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「電話、誰から?」
 台所から出てきたママが晩ご飯の用意をしながらわたしに聞いてきた。
「りょ……段逆くん。なんか、参考書学校に忘れてきたから、貸してほしいって」
 わたしはとっさに嘘をついた。
「あら、お忘れ物? あんな優秀そうに見える子でも忘れ物なんかするのね?」
 ママは少し不思議そうな顔をしたけれど、それ以上は追求しなかった。それから5分しないくらいに玄関のベルがなった。
「わたし出るね」
 わたしは鞄を持って玄関に出た。扉を開けると、息を切らした亮くんがいた。
「ごめんな、遅くに。両親、大丈夫か? アレ出てない?」
「大丈夫。パパはまだ帰ってきてないし、ママには亮くんが参考書を借りに来たって、説明してあるから」
「あ、そっか。なら変に怪しまれることはないか。じゃ、手短かに話するけど、アメツチのことは信用するな。それからあの儀式も続きは絶対にやっちゃダメだ。いいな」
 亮くんは一息でそう言い切った。
「大変なことが分かったって、さっき言ってたわよね? それに何か関係あるの?」
「ああ、大ありさ。おい、来いよ」
 亮くんは、そう言って右手を挙げた。すると、門の影から人影が現れた。素早い動きで現れたその人は、小柄な男性で全身黒ずくめだった。わたしはピンときた。
「あなた、この前の?」
「先日は大変失礼をいたしました。わたくしは、富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)の富士信嗣(ふじのぶおみ)と申す者。以後お見知りおきを」
 その男の人は、わたしの前で片膝をついて深々と頭を下げた。
「そう、俺が例の式神で追っ払った奴だ。そして、多分竹泉を襲った暴漢その人」
「襲ったつもりは毛頭ございませんでした。確かに手荒なやり方ではございました。お詫び申し上げます」
 その黒づくめの男は額が地面に着くのではないかと思われるくらい平身低頭した。
「パパを襲ったのもあなたなの?」
「いえ、わたくしは……」
「その辺なんだよな……どうもアメツチの話と辻褄が合わないんだ」
「でも、家族を失いたくないならって言ったわよね?」
「わたくしはご忠告を申し上げたまでで……」
 と、言いかけた時、富士と名乗った男はおもむろに頭を上げ、口早に呪文のような言葉を呟いた。それに呼応するかのように、頭上で声がした。
「やはり、お前か」
 その目線の先を追って後ろを振り向くと、ちょうどわたしの部屋のベランダに、いつもの姿があった。ただ、少し遠くてその表情までは伺えなかった。
「その祓詞は富士氏の者だな……。そうやっていつもボク達の邪魔をする」
「あなたがアメツチノオオワカノミコですね? 人づてでは聞いておりましたが……」
「そうさな……前に対峙したのは300年程前のことだからね……」
 双方ものすごい殺気を放っていたのは、私たちでも十分に分かった。亮くんがさりげなくわたしの前に立ちはだかった。
「瑠璃ちゃんそいつの言うことを聞いてはいけないよ……」
「それは、こちらの台詞!」
 と言うが早いか、二人はお互いに何か鬼火のようなものを放った。赤と青の炎にも似たそれはそれぞれに交差して、相手の姿を飲み込んだ。
「ぎゃ!」
「うお!」
 相打ちだったのか、それぞれの姿は炎に包まれ、そして消えていった。
「な……なんだったんだ……?」
 亮くんは唖然としてそう言った。わたしも呆気にとられて何も言えなかった。
「コレデスウジツハアメツチノオオワカミコハアラワレナイハズデス」
 呆然としているわたしたちの足下から声がした。人型の紙人形だった。
「のぶおみさんですか?」
 亮くんがその紙人形に話しかけた。
「ソウデス。コレハワタシノホンタイデハアリマセン。ホンタイハマダフジサンノフモト。シキガミニミヲカエテアナタガタヲオマモリシマシタ。シカ……ガ……ニ……」
 カタコトの言葉でその式神がわたしたちにメッセージを残そうとしていたらしいが、その言葉の途中でその紙人形は青い炎に包まれて消えた。
「ただいまぁ……なんだ、随分賑やかだな?」
 緊迫しているわたしたちの前に、今度はやたらとのんびりとした口調で現れたのはパパだった。
「あ、お……おかえりなさい……」
「こ、こんばんは……」
 わたしたちは逢い引きを目撃されたカップルよろしく、挙動不審気味に挨拶した。
「やあ、君は……えっと、ダンダン……くんだっけ?」
「段逆です」
 パパったら、ダンダンって、どんな名字なの。とツっこみたかったけど、実はそんな余裕もなく。
「すみません。竹泉さんに参考書を貸してもらいに来ました」
「そうか……。こんなところじゃなんだから、上がっていけば?」
 パパはいつもの口調で亮くんにそう言った。
「いえ、もう遅いですし。竹泉さん、これありがとう」
 そう言って、亮くんは自分の鞄から参考書を取り出して、わたしに礼をした。
「ううん……また必要だったら言って」
「じゃ、お邪魔しました」
 亮くんは、パパに頭を下げてから門の方に向かった。わたしはその後ろ姿に手を振った。
「礼儀の正しい、良い子だな」
 パパは呑気に亮くんについてそんな感想を述べた。わたしはというと、さっきまでの異世界の者たちのバトルに引き続き、亮くんと二人きりでいるところをパパに見られて、心臓がバックンバックン言って、今にも口から飛び出しそうになっていた。
「う……うん、そうね」
「家入るぞ」
「あ、はい」
 と、玄関の扉を開いて待っているパパを追いかけた。わたしは門を出た亮くんが気になったけれど、振り返ることはしないで、玄関に入った。
「おかえりなさい。あら? 彼は?」
 居間に入るとママが晩ご飯の支度を終えてわたしたちを待っていた。
「ああ、もう帰るって。段逆くんっていったっけ?」
「そうそう。あら、もう帰ったの?」
「ただ参考書取りに来ただけだもの」
 わたしは焦って、そんな言い訳をした。
「二人とも、手洗って、着替えてらっしゃい。晩ご飯の用意できてるわよ」
「はーい」
 わたしとパパは一緒に仲良く返事した。わたしはそのまま居間を出て、後ろ手に扉を閉め、深く溜息をついた。怒濤の一日だった。最後におまけまでついて。わたしは頭の中がグチャグチャになっていて、収拾がつかなくなっていた。少しそのままでいると、携帯が鳴った。メールだった。亮くんからだ。
 『さっきは遅くにごめん。とりあえず、これから数日はアメツチは現れないらしいので安心してもいいと思う。もし現れたらすぐ電話くれ。絶対に儀式はやっちゃダメだよ。また明日』
 結局、センゲン大社のことはほとんど説明を聞けないままだったけれど、とにかく結論は数日先延ばしできたということなのだろうか。わたしは恐る恐る自室に上がった。部屋の中の気配を伺ったけれど、特に物音はしなかった。そっと扉を開けてみる。そこにはあの姿はなく、いつも通りのわたしの部屋だった。
「よかった……」
 わたしはまた大きな溜息をついて鞄を机に置いた。
「疲れた……」
 そのままベッドに潜り込んでしまいたかったけれど、ご飯の用意もできているみたいだし、このまま下りないとパパが不審がるかと思い、着替えを始めた。制服をハンガーに掛けていると、また携帯が鳴った。今度はちいちゃんだった。
「瑠璃ちゃーん、大丈夫ー?」
「うん、大丈夫。昼はありがとうね」
「それより、亮ちゃんから聞いたよ。なんか大変だったみたいだね?」
「なんか、わたしももうよく分からなくなってきた」
「わたしもー。完全に頭がウニー!」
「でも、とにかく、部屋にはアメツチいなかったから安心してって、亮くんに伝えてもらえる?」
「ラジャー! 亮ちゃん、瑠璃ちゃんに謝っておいてって言ってたわよー」
「謝る? どうして? わたし亮くんに助けてもらったんだよ」
「遅くに行ったし、お父様にも勘違いされたかもって、心配してたわよ」
「だって、それはわたしのためだし……パパは何も気にしてなかったわよ」
「そう? ならいいんだけどー。とにかく今日はゆっくり休んでね。明日学校出たら、連休だからさ。あと一日頑張ろー?」
 そっか、もう連休に入るんだ。
「そうね。頑張るね」
「じゃあ、また明日ー」
「うん、また明日」
 わたしは電話を切ってから部屋着に着替え、部屋を出て一階に向かった。
「ねぇ、パパ、センゲンタイシャって、何か知ってる?」
「センゲンタイシャ?」
 食事中にわたしはさっき聞いた、聞き慣れない言葉をパパに聞いてみた。ママはわたしの言葉を復唱して首を傾げただけだった。
「センゲン…ねぇ…。大社っていうからには、神社のことかな?」
「富士山なんとかセンゲン大社って……」
「富士山ってことは……ああ、浅間神社のことかな?」
「浅間って、浅間山のことじゃなく?」
「浅間山じゃなく、富士山の信仰のことを、浅間信仰っていうはずだな……。あさまじんじゃとか、せんげんじんじゃっていうはずだな。瑠璃、なんでそんなことを興味持ったんだ?」
「へぇ……センゲンって、富士山の信仰のことなんだ……。んー……テレビで言ってた言葉が意味分からなくって」
「そっか。瑠璃も色々興味を持つようになったな。……浅間信仰と言えば、浦城先生の小説でも、浅間信仰を扱う作品があったはずだな……」
 浦城先生と言えば、連休後半に一緒に海に連れて行ってもらえることになっていたなぁと朧気に思い出した。だけど、こんな状態だったら、とてもそんな観光気分になれないかも知れないとわたしは思った。もし断るなら、早いほうがいいのかな。
「浦城先生、今日も店に来てたぞ。来週楽しみにしてるって」
 パパはなんだか嬉しそうにそう言った。わたしはそれに合わせて笑顔を返したけれど、少し引きつっていたかも知れない。
「おー。今日も勝ったな! このルーキー、優秀だな」
 と、パパはテレビの野球結果を見て話題が変わった。わたしはこの話題についてこれ以上は触れないようにした。

 食後、わたしはパソコンで少し富士山本宮浅間大社について調べてみた。
 『浅間神社富士山に対する信仰(富士信仰、特に浅間信仰)の神社である。……富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と見てこれを祀る神社である。……富士山南麓の静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社が総本宮とされている』とあった。大昔に富士山が大噴火した時、それを鎮めるために祀られたのが起源らしい。

「月と、富士山……かぁ……。どうして、お月様と富士山が喧嘩するんだろう?」
 わたしの頭にはこの二つが全く結びつかなかった。そのうちに、眠気が襲ってきてわたしはベッドに潜り込んだ。久しぶりに深い眠りにつけそうだった。
 この時のわたしは、この数日の異変がもっと深刻な事態に繋がる、単なる序章でしかないということを全く予想もしていなかった。

(作曲:てけさん)

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