2013年7月26日金曜日

「竹取の」第9夜<九夜月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 パパが運ばれたのは、近くの市民病院だった。駅前広場をまたいでちょうどうちから反対側のところにあった。わたしとママはとにかく、取るものも取りあえず自宅を出て走って病院に向かった。途中何度も息を切らせながら走るママを気遣いながら。何年か前までなら、わたしがママの後を追うのが常だったのだけれど、今はわたしがママを先導するようになっていた。そう言えば、ママの身長を抜かしたのはいつのことだったろうか。
「すみません、竹泉と申します、うちの主人は?」
 15分程走って市民病院に駆け込むと、すでに一般受付も外来も終わっていて、暗がりの中受付前にいた看護師さんに向かってママは叫んだ。
「救急の方ですか? ご家族の方?」
「はい、そうです」
「救急の受付はあちらになります」
 看護師さんは右手奥の方を指さして、わたしたちを案内してくれた。ママはすでに息を切らしていたけれど、懸命に歩を進めていた。わたしもそれに続く。『救急受付』と書かれた看板を頼りに進んでいくと、暗い廊下の先に明かりが見えてきた。救急担当の看護師さんらしき人が廊下に立っていて、わたしたちの方を見ていた。
「竹泉です。主人は?」
「ああ、竹泉さんですか。こちらに」
 その看護師さんは、のんびりとした口調でわたしたちを部屋の中に導いた。こんなに緊迫した二人に、アンバランスな感じのする対応だったのが気になったが、そんなことを言っている場合ではなかったので、とにかくその人について行く。
「こちらです」
 看護師さんがドアを開くと、パパがベッドで寝ていた。
「あなた!」
 ママは一瞬入り口で硬直したかのように立ち止まった。が、
「よぉ」
 と、パパが手を挙げて微笑むと、ママはその場にしゃがみこんだ。
「ママ、大丈夫?」
「おいおい、どうしたよ」
 パパは心配そうな顔をしてベッドから起き上がると、こちらに向かって歩き出した。
「パパ、歩けるの?」
 わたしもびっくりした。
「ただのかすり傷だよ。全然大丈夫。おい、立てるか?」
 そう言いながらも、パパは右手と左肘に包帯を巻いている。あと、鼻のあたまにもガーゼが当てられていて、それが痛々しく見える。
「だって……車にはねられたっていうから……てっきり……」
 ママは安心したせいもあってか、腰を抜かしてしまったみたい。腰を抜かすっていう表現は聞いたことあるけれど、実際に目の前で見たのはこれが初めてだった。
「しかし、警察もどんな言い方したんだ? まあ、はねられたというか、車がかすっていったというか。当たったことは確かだからな。結局ひき逃げ事故ということにはあなるらしい。警察の人もさっき帰ったばっかりだよ。」
「よかった……」
 ママは今にも泣きそうな顔をしてパパを見上げた」
「まあ、とりあえず、座れよ」
 パパは、ママを抱き寄せて、ベッド脇にある小さな椅子に座らせた。
「瑠璃も、そこに座りなさい」
 わたしもママの横に座った。
「とりあえず、用心のため検査はしてくれるらしい。だから、帰りは明日になる。だけど、頭打ってるわけじゃないし、ちょっと太もものあたりをぶつけたくらいなんで、心配することはない」
 パパはママに安心しろと言った。確かに話している様子からすると、たいした怪我では無いようなので私も安心した。
「本当に大丈夫?」
 安心しろと言われてもママはまだ心配なようで、何度か同じことを聞いた。パパはその度に、微笑みながらママの頭を撫でた。それからしばらく同じような応酬を続けた後、先ほどの看護師がやってきて、わたしたちに泊まっていくかどうかを尋ねた。パパは必要ないと断った。ママは少し不満そうな顔をしたけれど、もうしばらくここにいることを条件として承諾した。
「じゃあ私は先に帰るわね」
 わたしはママに遠慮して先に帰ることにした。
「遅いけど大丈夫か?」
 パパは少し心配したけれど、もう高校生だよ?とわたしが言うと、パパはそりゃそうだと頷いた。
「じゃあ、ママ、ごゆっくり」
「バカね」
 わたしはそう言って、救急の病棟を出た。さっきの看護師さんに会えば、よろしくお願いいたしますと会釈した。暗い廊下を抜けて、病院を出ると、街灯に照らされた街路樹がワサワサを葉音とたてていた。夜遅いと言っても、駅前だからまだ人は多かった。予備校帰りの学生か、会社帰りの会社員やOLさんか。みなそれぞれが家路についている。
「あれ?」
 ふと、足下を見ると、わたしは右と左と別々の靴を履いていたのに気がついた。いや、恥ずかしい。慌てて出てきたから、全然気がつかなかった。こんな格好して誰かに会ったらイヤだわ。
 わたしは、少し駆け足で家に向かった。
 できるだけ人のいない方にと道を選びながら。いつも使わない小道を抜けようと、建物の間に足を向けた時、わたしは誰かに腕を掴まれ、強く引っ張られた。
 (え?なに?)
 わたしは一瞬恐怖を感じた。
「あの方を起こしてはならない」
 わたしの背後から、低い声がした。男の声。若い。でも学生っぽくはなく。
「これは序の口です。これ以上アレに関わったら、もっと酷い目にあうことになる。家族や大切な人を失いたくないのなら、これ以上は関わらない方がいい」
 痴漢やその類ではなさそう。けど、私の腕を掴む力は強く、後手に固定されたせいで背後を伺うことができなかった。
「だ、誰? アレってなに? 何のことを言ってるの?」
「あなたならお分かりでしょう。これはお預かりしておきます」
 その男は、わたしの右腕からあの紐を引きちぎった。
「痛い……。ダメ、それは!」
「いいですね、これは忠告です。これ以上は関わってはいけません」
 そう言うと、男はわたしの腕の閂を解いた。
「待って!」
 振り向くと、そこには誰もいなかった。
「え?」
 腕を解かれた後すぐに振り返ったはずなのに。いくら足が速くても、こんなに早く視界から消えるなんて、考えられない。
「おまわりさん……」
 一瞬警察に駆け込もうとかとも思ったけれど、特に痴漢にあったわけでもないし、逆に詳しい話を聞かれた時にどうやって答えたらいいのかが分からない。盗られたものと言えば、月面人にもらった不思議な紐で、これ以上関わってはいけないと忠告されたとか、全くもって意味不明なことばかりになってしまう。
「帰ろう…」
 わたしは、駆け足で自宅に戻った。

「ちいちゃん……ごめん、遅くに」
 自宅に着くと、すぐにちいちゃんに電話した。ちいちゃんは少し眠そうな声で返事した。
「ううん、大丈夫だよー。どうしたの?」
「パパが、車にはねられて……」
「えー!? だ、だ、だ、だ、大丈夫なの?」
 ちいちゃんのキンキンに高い声がさらに高くなってわたしの耳に響いた。
「それは、大丈夫なの。かすり傷ですんだから。それでね、病院にお見舞いに行って、あ、そう、パパは明日には退院できるっていうから、心配しないで。それで、病院の帰り道で、変な人に捕まって……」
「変態? 痴漢? だ、大丈夫なの?」
 わたしの説明がチグハグなせいもあって、ちいちゃんは何度も甲高い声を連発した。
「ううん、それも大丈夫だったんだけど、その人が言うのは、『これ以上関わるな』っていうのよ。わたしも何が何だかわからなくなって……」
「関わるなって、なにに?」
「わたしも、よく分からないんだけど、もしかしたら、あの月面人のことかも知れない」
 わたしはついに、あのアメツチのことを口にした。ちいちゃんは一瞬戸惑うように静まってから、
「月面人? 瑠璃ちゃん、何言ってるの?」
 と、うわずった声で言った。
「え? だから、この前ちいちゃんがうちに来たときに、わたしの部屋で見たでしょ? あれよ」
「瑠璃ちゃんの家に行った時に? 瑠璃ちゃんの部屋で? なんのこと?」
 やっぱり、ちいちゃんはあの時のことを覚えていなかった。一体どういうことだろう。
「あ、ごめん、わたしの勘違いだったかな……。あはは……、パパが事故ったりして、わたし混乱してるのかも……。あはは、ごめんねこんな遅くに、変な電話して……」
 わたしは慌てて電話を切ろうとした。
「瑠璃ちゃん……?」
「ん?」
「わたし、全然気にしないよ。瑠璃ちゃんが言うことなら、わたし何でも信じるから。その…月面人のことも。だから、相談したいことあるなら言って」
「あ……うん……。ちょっと、わたしの中でも混乱気味だから、ちょっと整理してから、相談するね。明日放課後時間もらえるかな?」
「うん、いいよ。もちろん、落ちついたら話聞くから、遠慮しないでね」
「うん。じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
「あ、ちいちゃん……?」
「うん? なあに?」
「ありがとね」
「ううん、気にしないで。おやすみ」
「おやすみ」
 ちいちゃんのおかげで少し落ち着いた気になった。
 ちょっと整理してみよう。まずはちいちゃんがアメツチのことを覚えていない。でも、あれは夢ではなかった。はず。さっきここにいたのは確かに夢ではなかった。そして、あの時ちいちゃんとわたしは一緒にアメツチノ話を聞いていたはず。でも、ちいちゃんはあの時も酔ったみたいな感じだった。催眠術とかかけられていたとか、そんな感じだったのだろうか?
 そして、今日さっきわたしを襲ってきた男。『アレに関わるな』というアレとは、アメツチ以外に考えられない。しかもアメツチから渡された紐を盗っていったのだから。あの男は、『あの人を起こしてはならない』とも言っていた。起こす? 誰を? ここは全く分からない。
 問題は、これをアメツチに話すべきなのかどうか。単純に考えて、あの月面人とさっきの夜盗の男は敵対していると考えた方がいい。その話をそのままあいつに話していいものか。月を助けるという手助けはすることにしたけれど、いまだにあの月面人が何者なのかもよく分からないし、信用したわけでもない。ただ、単純に早く終わらせたかったから、言うことを聞いているだけ。かと言って、あの夜盗の言うことも信用できるわけもなく。
「ああん……どうしたらいいのよ……」
 やっぱり、明日ちいちゃんに相談することにした。さっきの様子だと、ある程度のことだったら、理解してくれそうだし。これがある程度のことなのかどうかは疑わしいことだけれど。かと言って、とても一人で解決できそうにないし。
「ただいま」
 とかなんとか、一人で七転八倒していると、玄関からママの声がした。わたしは階段を急いで下りた。
「ママ、おかえり。パパ、どうだった?」
「大丈夫だっての一点張り。追い出されちゃったわ」
 そう言いながらも、ママは笑顔で答えた。
「ご飯食べちゃわないとね」
「あ、そうだった。途中半端だった」
 わたしもすっかり晩ご飯のことは忘れていた。
「すっかり冷めちゃってるわね。チンする?」
「うん」
 オムライスを2度目のレンジにかけて暖める。
「あら? 瑠璃、さっきのミサンガ、どうしたの? つけてたわよね?」
 ママは、自分の右手首を指さして、わたしに訊いた。さっき、気がついていたんだ?
「あ、ああ……その……」
「それ、どうしたの? 赤くなってるわよ?」
 自分の右腕を見ると、さっき夜盗に掴まれたところが少し赤くなっていた。わたしは慌てて、
「あ、さっき、帰り道で転んじゃって。それで、あれも取れちゃったのかも?」
「まったく、ドジなんだから。パパの事故の後なんだから、気をつけなさいよ」
 ママはあっさりと納得してくれた。よかった。
「ミサンガって、取れたら願いが叶うっていうのじゃなかった? もう願い叶うのかしらね? 何か願ったの?」
「ううん、別にお願いしたってわけじゃなく……その、友達がくれたから、つけてみたってだけなんだ」
「あら、そうなの?」
 ママは少し不思議そうにしたけれど、それ以上は追求しなかった。
「それより、さっきの電話。酷かったわよね。警察の人、どんなこと言ってたの?」
「交通事故にあって、市民病院に運ばれましたって言うんだもの。そりゃあ、びっくりするわよね」
 びっくりはするだろうけど、多分、その警察の人はその後に容態とか言うつもりだったんだろうなとは思った。だって、ママったら、話も途中で、凄い形相して電話の子機を叩きつけてたもの。そそっかしいところがあるのよね。
「そうね、そりゃ、びっくりするわよね」
 一応同意しておいた。
「あ、ママ。明日お昼外で食べてもいい?半日授業なんだ、明日」
「いいわよ。なに?お小遣いほしいってこと?」
「かわいい娘に愛の手を」
 わたしは頭を下げて、両手を差し出した。ママは溜息をついてから、お財布から千円札を取り出して、わたしにくれた。
「もう、こういう時だけ。でも、あんまり遅くならないうちに帰ってきなさいよ。パパも退院するんだし」
「へへー。わかりましたー」
 明日は、ちいちゃんとどこかおいしい物食べながら、今日のことを相談することにしよう。少し不安もあったけれど、さっきの電話でちいちゃんに救われたような気がした。

(作曲:てけさん)

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