2013年7月25日木曜日

「竹取の」第7夜<上弦の月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)


 それからしばらくの間、平穏な日々が続いた。あの自称月面人の奇妙な生物も現れなかった。奇妙と言えば、ちいちゃんがあの時の事をあまり覚えていない、いや多分覚えていないことだった。とても人前でできる話題ではなかったから、わたしからはその話題に触れることは避けていたのだけれど、二人きりの時にそれとなく触れてみても、ちいちゃんは何のことかわからないかのように反応していた。わたしはそれ以上触れないことにした。正直わたしもあまり思い出したくはないことだったし、あれから数日現れなかったので、やっぱり夢だったのかな…などと考えてみたり。つまりは現実逃避していたのかも知れない。
 そんなある日の放課後。わたしは一人で帰宅した。この曜日はちいちゃんが習い事の日なので、いつもわたしは一人で帰ることになっていた。学校帰りにふと本屋に立ち寄ろうと思い立った。確か好きな漫画の単行本が出る日だったはず。
 駅前の少し大きな本屋に入ると、帰宅途中の学生が数名雑誌を立ち読みしていた。わたしは雑誌コーナーを通り過ぎて、漫画の新刊が並ぶコーナーにまっすぐ向かった。
「あった、あった」
 わたしは目当ての漫画本を手にとって、そのままレジに向かおうとした時、
「竹泉」
 振り返ると、そこには亮くんがいた。
「あ……。こんにちは」
「あれ?ちいは?一緒じゃないの?」
 亮くんは参考書を片手に、そう言って店内を探す素振りをした。
「ちいちゃんは、今日は習い事だって」
「あ、そっか。まだやってるんだ?日舞?」
「うん、そうみたい。わたしもまだ見せてもらったことないんだけど」
「俺もまだないんだよな。まあ、別に興味もないんだが。……そう言えば、この前、お邪魔したな。ご両親によろしく伝えておいてくれ」
 亮くんとはクラスが違うので、学校ではあまり話す機会がない。それに最近は亮くんは放課後は予備校に直行らしいので、帰り道も逆の方向のせいもある。そう言えば、この前家に遊びに来たとき以来だったのか。
「ううん。また遊びに来てって、ママが言ってたわ」
「うん。竹泉の父さんって、楽しいのな。話合うし。なにせ優しいしな。うちのオヤジとはまるっきり正反対だ」
 少なくともわたしは見ていた間、パパはただ頷いていただけで、話が合うとかそういうレベルじゃなかったような気もした。亮くんは主に浦城先生と話をしていただけのようだったし。
「亮くんのお父様って、そんなに怖いの?」
「こええよ。何せ柔道3段の猛者だからな。あれ?知らんかったっけ?うちのオヤジ、警察官」
「え?そうなの?それは怖そう」
 わたしは笑って頷いた。まっすぐで真面目が取り柄の亮くんが警察官の息子だと聞けば、なんとなく頷いちゃう。
「あれ?ちいちゃんとは、お父様の方?」
「いや、母方。どっちもな。母方は元々商売人なんだけどさ、うちはオヤジが頑固一徹の警察官なもんだから、全然違う家風なんだ」
「そうなんだ」
 それで従兄妹同士でもこんなに性格が違うのかと納得した。
「何買うの?」
「あはは…漫画。いっつも買ってるシリーズの最新刊が出たんだ。亮くんは、参考書?」
「そそ。予備校でこれ買えって言われてさ」
「あれ?今日は予備校は?」
「急に休講になったんだ。先生が風邪ひいたらしい」
「そっか…」
 なんとなくそこで話が途切れた。わたしは何か話題がないかと焦った。
「どっかでコーヒーでも飲んでく?」
 わたしが脳内でワタワタしていると、なんと亮くんからお誘いを受けた。
「この前の晩飯のお返しと言ってはなんだけど、奢るよ」
 と言ってから、一呼吸入れて、
「そ、それに、連休のこともあるしさ。浦城先生の別荘の場所とか、聞いてなかっただろ?」
「あ……うん……」
「そしたらさ、俺、もう二、三冊買わなきゃならない本があるんだ。少し待てる?」
「うん、いいよ」
「じゃ、ちょっと、急いで選んでくるよ。その辺で立ち読みでもして待っててくれ」
 そう言うと、亮くんは参考書売り場の方に戻っていった。わたしは持っていた漫画を持って会計を済ませ、会計前にある小説の新刊が並ぶコーナーに目をやった。ふと目に入ったのが、『浦城光太郎新刊!』と帯に書かれた文庫本だった。帯には浦城先生の写真が印刷されていた。
「本物なんだ……」
 確かに先日わたしの家に来た人と同じ人物だった。写真の方が若干若い感じがするが、少し前の写真なのか、それとも撮影の仕方のせいなのか。わたしは浦城先生の新刊本を手に取った。新作のミステリーのようだった。序文だけ読んでみようと最初のページを開いた。
 『夥しい量の雨粒がフロントウインドウを激しく叩きつけていた。台風の接近を告げるラジオの音声が車内に響く。彼の運転するポルシェは雨水をかっ切るかのように暗闇の中を疾走していた…』
 どうやら、いきなり序盤に事件は起きてしまう。しかも読者にはその犯人が誰だか分かってしまうスタイルのよう。ところが単なる交通事故かと思いきや、それはまた大きな事件の序章に繋がっていく。というような解説的な文章が帯にも書かれていた。わたしは、ペラペラとページをめくって、中盤のページに目をやった。結局はその交通事故自体は、血痕が証拠となって犯人は捕まることになるみたい。犯人は悔しそうにその血痕を証拠として決定づける探偵に膝をついた。ところが、事件は終わらなかった……みたいな。
 正直、ミステリーには全く興味のないわたしには、どこがいいのかよく分からなかった。その新刊本を元に戻して、その隣に置かれていた、浦城先生の他の本にも手を伸ばした。何冊か横に並べられた本の中に、『竹取の翁の謎』という本があった。パパが前に話をしていた、映画化もされたという話だったろうか。その本にも手を伸ばして、今度は解説の部分を開いてみる。日本の古典文学の権威らしき大学教授が寄稿していた。その教授は浦城先生の古典文学への研究熱心さと、さらに加えて斬新な発想を加えた本作を褒め称えていた。研究者をも唸らす作品らしい。もちろんSFだから、実際の古典文学の研究とはかけ離れてはいるけれど、という注釈も忘れられてはいなかったけれど。
 そう言えば、アメツチは『かぐや姫の従者の子孫』だと言っていたっけ。もし、それが本当なら、かぐや姫のお話は史実だったことになる。もしそのことが分かったら、すごい発見になるんだろうか。でも、それこそSFの世界よね。
「お待たせ。浦城先生の本かい?」
 わたしはぼんやりそんな事を考えてるところに亮くんが戻ってきた。
「ええ……わたし、先生の本読んだことないから、どんな話書いてるのかなって、気になって」
「それなら、俺持ってるよ。今度貸そうか?」
「そ、そうね……やっぱり、1冊くらいは読んでおかないと、失礼よね」
「あんまりそういうこと気にされる作家さんではないと思うけど、まあ、話に着いていこうと思うなら、少しは読んだらいいかもな」
「じゃあ、今度貸して」
 そう言って、わたしは浦城先生の本を元に戻した。
「隣のカフェでいいかな?」
「わたしはどこでもいいわよ」
「じゃ、隣行こう」
 わたしたちは本屋を出て、隣のカフェに入った。最近できたそのカフェは値段もお手頃なこともあって学生が多かった。亮くんが先に店に入ると、店内の女子高生と思われる数名がそちらを向いた。制服からすると隣の高校の子達みたい。やっぱり、目立つんだなぁ。
「何にする?」
「じゃ……カフェオレで」
 わたしは、周りの視線を気にしながら注文を頼んだ。視線が痛い反面、ちょっと勝ち誇ったような気になった。
 (釣り合わないんじゃない、あの二人…)
 これ見よがしにそんな事を言う子もいたけれど、わたしは聞こえないフリをした。そんなことは百も承知だもの。
「はい、これ」
 わたしは亮くんから紙コップに入ったカフェオレを受け取った。
「そっち」
 亮くんは、窓際のカウンターに座った。隣同士に座るようになっている。わたしはちょっと恥ずかしかったけれど、少し戸惑ってから、隣に座った。
「それでさ…」
 亮くんは、さっき見ていた浦城先生の本の話から始めて、別荘が富士山の麓の海岸線にあるとか、パパから買った車がポルシェだったらしいとか、そんな話をした。わたしは、周りが気になってあんまり話に集中できずにいた。
「あれ?コーヒー好きじゃなかった?」
 わたしがカフェオレに手を付けずにいたら、気にして声を掛けてくれた。
「ううん……あの……猫舌だから……」
「あ、そっか、そう言ってたな」
 理由はそれだけじゃなかったけど、亮くんは納得してくれたので、それでよかった。

 その時、外からわたしたちを見つめる視線があったことさえ、気がつかなかった。

(作曲:てけさん)

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