2013年7月30日火曜日

「竹取の」第15夜<望月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「ひ……め……。ひ……め……さま……」
 誰かがわたしを呼ぶ声が聞こえてきた。その声は遠くから聞こえてきた。どこか馴染みのある声だった。懐かしくもあり悲しくもあり。遠い昔に聞いたような気もすれば、つい最近聞いたばかりのような気もする。男性の声のようにも思えるし、女性の声にも思える。
「ひめ……ひめさまは……いずこに……?」
 その声はわたしを探しているようにも思えるし、全くの別人を探しているようにも思える。遠くに聞こえたかと思えば、すぐ耳元から囁かれているかのようにも思える。けれど、その姿はいっこうに見える気配はない。わたしは目を閉じているのか開けているのかも分からない。闇の中にいるのか、それとも何もない真っ白な空間に佇んでいるのか。
 ただ分かるのは、その声の主がわたしを探しているということだけだった。

「瑠璃ちゃん…?る……り……ちゃん?」
 目を開けると、ベッドの横にちいちゃんが座ってわたしの手を握っていてくれていた。
「先生、気がつきました」
 ちいちゃんはわたしと目が合うと、すぐに振り返って、そう叫んだ。ここ…どこだろう? 保健室だと気がついたのは目を開けてしばらくしてから。
「ちい……ちゃん?」
「そうよ、わたしよ。分かる?瑠璃ちゃん、貧血だったみたい。先生の目の前で倒れたんだって」
「いま、何時?」
「んと……ちょうどお昼。授業終わってすぐに駆けつけてきたんだ。林戸さんが連れて来てくれたんだよ。覚えてる? 保健室に着いたらすぐに瑠璃ちゃん倒れちゃったんだって」
 わたしは記憶を辿っていく。確かに具合が悪くなって教室を出たところまでは覚えている。でも、その後保健室に辿り着いたところあたりから思い出せない。しかも、貧血? 倒れたんだ、わたし。
「竹泉さん、大丈夫? 気分はどう?」
「あ。も、もう大丈夫だと思います。まだちょっと頭がぼんやりしてますけど」
「救急車呼ぶところだったのよ。でも、瑠璃ちゃんが大丈夫だって言うからとりあえず寝かせておこうっていうことになったらしいのー」
「もし、まだ具合悪いようなら、病院に行った方がいいんじゃないかな?」
 保健師の先生はそう言って、心配そうにわたしを見た。
「さっきよりは大分いいです。少し寝て良くなったんじゃないかと」
 確かに、教室で感じたような吐き気はもうなかった。少し頭がクラクラするくらい。
「早退する? ご両親には連絡した方がいいかしら?」
 先生がそう尋ねてきた。さっきよりかは具合は悪くはないけれど、授業に出られるほど楽にはなっていない。わたしは早退することにした。
「じゃあ……今日は帰ります。母は夕方まで勤めなので、わたしがメールいれておきます」
「そう。じゃあ、担任の先生にそう連絡しておくわね」
「お願いします」
「じゃあ、わたし、教室から瑠璃ちゃんの鞄持ってくるわねー」
「あ、ちいちゃん、大丈夫。わたし自分で行けるから」
「大丈夫、大丈夫。瑠璃ちゃんはここで待っててねー」
 そう言うと、ちいちゃんは、保健室から駆けて出て行った。
「じゃあ、ここにクラスと番号と名前を書いて」
 先生は内線で担任に電話をしてから、早退届の紙をわたしに差し出した。わたしがその紙に書き終わった頃、ちいちゃんが戻ってきた。
「たっだいまー! 瑠璃ちゃん、はいこれ」
 と、その後ろから男子の影がついてきた。保健室には入らずにいたけれど、亮くんなのは分かった。ちいちゃん、亮くんを呼びに行ってたのか。それで……。
「ちいちゃん、ありがとう。先生、ありがとうございました。失礼します」
「あんまり無理しないでね。具合悪かったら、病院に行くのよ?」
「はい、わかりました」
 わたしは、後ろ手に保健室の扉を閉めた。
「竹泉、大丈夫か?」
 亮くんは、すぐにそう言って。心配そうな顔をした。
「うん、もう吐き気もないし。大丈夫」
「いや、そうじゃなくって……ちいから聞いたんだけど。何かおかしくないか?」
「聞いたって……」
 ちいちゃんの顔を見ると、ちいちゃんは片手を前に突き出してごめんの合図。
「おかしいって……何が?」
「何がじゃないだろ。明らかにおかしいだろ。急にそんな……告られるとか、ラブレター大量にもらうとか。しかも、昨日の今日だからな」
 ああ、そう言われてみれば、そんなこともあったかと我に返った。そうだった、気持ち悪くなる前にそんなこともあったんだった。生徒会長に告白され、下駄箱には沢山の手紙。教室でも男子生徒に囲まれて。おかしなことに、その辺の記憶がさっきまですっかり抜け落ちていた。
「いや、その……竹泉がモテないとか、そう言うことを言ってるんじゃなくって……その急に変だっていう意味でな」
 亮くんは何故か言い訳のような言い方をした。
「うん、そうね。おかしいわよね。急にこんなになるなんて」
「竹泉、昨日の夜、俺達が帰った後、アメツチは現れたか?」
「うん、来たよ」
「まさか、あの儀式やったのか?」
「やったけど……どうして?」
「しまった……。ちゃんと止めておけばよかった。いや、これは俺のミスでもある。いいか、確かに昨日あの男を追っ払ったのは、アメツチの式神だったが、だからと言ってアメツチが信用できるかどうかっていうのは別モノだ。しかも、昨日また儀式やった結果、こうやって竹泉の周りで変化が起きている。これがあの儀式と関係がないとは言い切れない。いや、むしろ、関係あると思った方がいい」
 そう言われてみると、胸が悪くなったり、吐き気がするようになったのは、あの儀式が始まったあたりからだった。関係ないどころか、それがきっかけだと言われれば、そうも思う。
「とにかく、もし、今晩アメツチが現れたら、具合が悪いとかそう言って、今晩だけは断れ。いいな?」
「う、うん……わかった」
 わたしはあんまり自信はなかったけれど、確かにこれ以上具合が悪くなるようなら困るし、一日くらいあの儀式がなかったところで、アメツチに支障はないだろうと思い、亮くんの言う通りにすることにした。
「今晩電話するよ」
 亮くんは、耳に電話を掲げるようなジェスチャーをした。
「うん」
「あ、それと……」
「ん?」
 玄関に着いて、下駄箱を開けた時に、亮くんがまた後ろから声を掛けてきた。
「帰り道気をつけて。……その……男の人にはできるだけ近づかないようにした方がいい」
「……?」
 わたしが意味をよく分からずにいると、
「その……俺もよく分からないんだが、その儀式の影響で、その……男性を誘うフェロモンっていうのか……そういうのが出てるような気がするんだ……」
「ふぇ……」
 男性を誘うとか、フェロモンとか、聞いただけで恥ずかしくなるような言葉だった。亮くんもなんとなく顔を紅くしていた。亮くんもそう感じるのだろうか。だとしたら、もっと恥ずかしい。
「分かったわ。気をつける」
 一応、亮くんの忠告は素直に聞くことにした。
「じゃあ、帰り気をつけてねー!」
 ちいちゃんが大きく手を振って見送ってくれた。わたしは誰もいない校門をくぐって、帰宅の途についた。学校からの一本道は誰もいなかったが、駅前に近づくと人影が見えてきた。わたしは気だるい足つきで歩いていた。時々、こちらをちらちらを見る男性が少し気になった。確かに亮くんが言うように、わたしに何かの変化があったのかも知れない。いつもなら、町の一風景として溶け込んでいるはずのわたしが今は人の目線を集め始めているみたい。やがて、明らかにこちらを凝視する男性が現れ始めたので、わたしは急ぎ足で駅前を抜けた。時々、通りすがりに声を掛けようとしてくる男性さえいる。
 確かに異常だ。亮くんに言われるまでもなく、わたしは今朝の時点でこの異常に気がついていたはずなのだ。なのに、さっき倒れてから、すっかりその部分が抜け落ちていた。
 駅前を過ぎて人が少なくなったあたりで少し歩を緩めた。せっかく保健室で休めたのに、また元通り。息は切れるし、動悸も高鳴った。わたしは急いで家に向かった。家に着くと、急いで鍵を出し、玄関に駆け込んだ。誰かに後を着けられてはいないはずだけれど、念のため二重に鍵をかける。
 わたしは二階に上がる気力さえなく、そのまま居間に転がり込んで、そのままソファに寝転がった。ママにメールもしないまま、わたしは目を閉じた。

 次に気がついたのは、外も薄暗くなってきた頃のこと。携帯の呼び出し音で気がついた。
「もしもし…竹泉か? 大丈夫か?」
 電話の主は亮くんだった。
「うん、今まで寝てた」
「そっか、寝られたならよかった。あ……ごめん、起こしたか?」
「ううん……そろそろ起きなきゃって思ってたとこ。ママにも連絡しておかなきゃならないし」
「まだ、アメツチは現れてないよな?」
「うん。まだ見てない」
「さっきも言ったけど、今日は絶対儀式やっちゃダメだぞ。今日少し調べたいこともあるし。また連絡するよ」
「うん。分かってる。あ……亮くん……」
 電話を切りかけた時に、
「ん?どうした?」
「ありがとうね」
「ああ。どういたしまして」
 そう言って、亮くんは電話を切った。わたしはそれからソファから起きて、ママにメールを送ろうとした。けれど、もうこんな時間。いまさら連絡しても、心配させるだけかも知れないなと思って、送るのをやめた。制服から着替えたいと思ったけれど、体が重いのと、部屋に上がるとアメツチがいそうな気がして、そのままソファに寝転がった。

「瑠璃……るり……」
 いつの間にかまた寝てしまっていたようで、ママがわたしの体を揺すって起こそうとしていた。
「こんなとこで寝てたら、風邪ひくわよ」
「あ、ママ、お帰り」
「どうしたの?しかも制服のままで」
「ん……ちょっと、眠くなっちゃって。今何時?」
「もう八時よ。パパももうすぐ帰ってくるわ。着替えちゃいなさい」
 ママはそう言って、台所に入っていった。
「あ、そうそう、玄関にあった薔薇、どこにいったか知らない?」
 ママは台所から顔だけ出してわたしに聞いた。
「知らない……」
 そう言いながらも、わたしはそのままソファに座り込んだ。テレビのリモコンを手にとって、テレビを点けた。テレビでは特におもしろくもないバラエティ番組をやっていた。わたしはなんとなく、ぼーっとそれを見ていたが、携帯の呼び出し音に、急いでテレビの音声を止めた。
「何度もごめん、俺。アメツチ現れたか?」
 また亮くんだった。今度は息を切らせている様子だった。
「ううん……。まだ部屋に上がってないんだ」
「そうか、よかった……。大変なことが分かった。これから出られないか? 5分でいい。玄関先でもいいから。直接話したい。今からそっちに向かうから」
「え、でも、もうこんな時間……」
「とにかく、アメツチに会う前に! すぐに行くから!」
 そう言って、亮くんは電話を切った。一体何があったのだろう。わたしは動悸を押さえきれないまま携帯を握りしめた。

(作曲:てけさん)

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