2013年9月15日日曜日

「Nコン!」第7コーラス目「呼出!」

読むための所要時間:約6分

「煌輝真湖さん、放課後、校長室に来て下さい。以上です」
 HRが始まってすぐに教壇に立った担任の英美佐恵(はなぶさ みさえ)[28歳独身]が気だるそうに言った。その単純明快で短いフレーズが終わると、少しの沈黙の後、教室中がざわめいた。入学式初日にあれだけの大騒ぎを起こし、それから2日と置かずに校長室に呼ばれるとは。主に男子からは賞賛の声、女子からは何があったのかとの詮索の言葉が漏れ聞こえた。中でもさっきまで沸騰していた阿修羅が再沸騰して、何か意味不明の叫び声を上げていたが、『HR中だよ』と、乃愛琉(のえる)に叱咤され、また宥められていた。その様子はまるで手綱を握られた暴れ馬のようだった。
「真湖ちゃん、今度はなにやったの?」
 隣の席の子が真湖にこっそり寄ってきた。真湖には心当たりが沢山ありすぎてどのことなのかよく分からなかった。ただ、昨日の今日のことなので、あの用務員が校長にチクった可能性もなきにしもあらずだったが、むしろこっちは被害者であり、呼ばれるならあの3年生であるべきで。さらには校長室に呼ばれるほどのことだったかというと、放送局ジャック事件よりかは派手な話ではなかった。あの時でさえ、担任からの説教で終わったのだ。
「さ、さあ……?」
 結局色々考えた結果、そう言うのが関の山。
 ざわめく生徒達を他所に、担任は淡々と出席を取り、連絡事項を生徒に伝える。授業は昨日から始まってはいたが、ほとんどが科目の説明であったり、先生の自己紹介であったりで、まともな授業はまだこれから。連絡事項も今後の授業の準備内容であったり、行事の説明であったりだった。しかしその内容については、すでに配られたプリントで一通り説明済みで、その再確認の意味でしかない。余計に担任の発言には注目度は下がっていた。
「以上です」
 HR時間いっぱい使って説明がなされ、チャイムの音と共にHRは終わった。

「真湖、何があったんだ?」
 真っ先に真湖の元になだれ込んできたのはもちろん阿修羅だった。
「さ、さぁ?」
 さっき隣の子に答えたのと同じ様に返すしかない。
「昨日のことか?」
「違うと思うけど」
「他に心当たりは?」
「さぁ? まあ、行ってみれば分かるっしょ」
「ホント、お前って、脳天気なんだから」
 乃愛琉と灯(あかり)も寄ってきて、一緒に何事かと考えるのだが、昨日の件とは関係ないだろうとの結論には変わりはなかった。
「多分、合唱部のことなんじゃないかな?」
 真湖の前の席に座っている翔が椅子に後ろ座りしながら、予想を挙げる。
「じゃあ、合唱部認めてくれるのかなー?」
 どんだけポジティブなんだよと阿修羅に呆れられても、真湖の期待が低減することはなかった。
「だといいよねー」
 翔は翔でそんな真湖を見ながらニコニコ笑っている。そんな二人を阿修羅は苦々しく思っている。そんな阿修羅の姿をじっとみる灯。
「ほら、席につけよー」
 気の早い理科の教師がチャイムが鳴る前に教室に入ってきた。それを散会のきっかけとして、生徒達はそれぞれに自分の席についた。

 昼食時の席配置は、入学3日目にしてほぼ固定化された。中央小組に翔が加わり、阿修羅と乃愛琉の席に集まるという具合だ。そして、何故か毎回翔と真湖の間に灯が割って入るという構図まで一緒だった。
「でもさ、校長っていうのが解せないんだよな」
 昼食時の話題はやはり、真湖の校長室呼び出しの件だった。阿修羅脳味噌温度は沸点からは下がったけれど、未だに高い温度を保っているようだった。
「それに、合唱部の件なら、乃愛琉とエンリコとかが呼ばれるのが当たり前じゃないか?」
「だったら、昨日の件だって、俺と乃愛琉ちゃんは一緒だったからね。同じじゃないか?」
「それは、その用務員が乃愛琉とエンリコのことを知らなかっただけかも知れないじゃん。真湖はもう有名人だからな」
「有名人じゃないし!」
「いや、少なくとも、職員室ではお前のこと知らない先生はいないはずだべ」
「でも、もし、怒られるんだったら放課後まで待つかしら? この前の放送室ジャック事件のように、その場で呼ばれるか、朝一番に呼ばれるんじゃない?」
「そうよね、そうよね?」
 灯の理屈が最も説得力があった。真湖は積極的にそれに同意する。
「だからと言って、いい話になるとは限らないけれどね」
 それでは何の呼び出しなのかというと今度はさっぱりな訳で、余計な期待を持たせないところが灯らしい。
 昼休み中色々話し合いしても結局は堂々巡りで結論は出なかった。ただ、結論が出たからと言って、状況に変化はないことは皆知ってはいたのだけれど。

 そうこうしているうちに、その実中身がオリエンテーションである午後の授業も終わり、ようやく中学での学校生活のスタートラインに着いたような心地を皆が持ち始めた頃、真湖は学校長に謁見するという大役に挑むべく心の準備を始めた。両の頬をぺちぺち叩くと、前の席の翔が振り返って微笑んだ。
「真湖ちゃんでも緊張することあるんだ?」
「そりゃそうよ。校長先生って言ったら、この学校で一番偉い人でしょ。緊張するに決まってる」
 小学校時代に学校長に直接面談されたことはない。何度か阿修羅の悪戯のせいであおりを食って教頭に叱られたのが記憶にある程度。昔から大人に対する免疫は多少あったため、職員室自体は嫌いではなかったが、校長室となるとまた話は別である。
「真湖ちゃん、鞄持ってようか?」
 乃愛琉と阿修羅がやってきて真湖の鞄を持った。灯もなんとなくその後ろに着いて来て、なんとなく5人揃って教室を出た。校長室は職員室の隣にあり、1年生の教室と同じ階だから、廊下をまっすぐ歩けばすぐに目に入る。右手が校長室でその向かいが音楽室になっている。入学式の日に見学で音楽室に来たときにも4人でここに来ていた。その時には向かいが校長室であることには気付いていなかった。
「真湖ちゃん、がんば」
 乃愛琉が気合いを入れた。これからオリンピックの大舞台に出るスポーツ選手のように、大仰なポーズで校長室の扉に向かい、期待と不安の混じった観客を背に扉を叩いた。
「失礼します」
 中から『どうぞ』という声がして、真湖は扉を開けた。扉を開けると真正面に少し恰幅の良い壮年の男性が座っている。入学式の時に挨拶していたので覚えがあるが、この人が校長だろう。その横に入学式の時にまさに音楽室で出会った老年の教師が立っていた。さらに、手前の席には栗花落(つゆり)と現(うつつ)が先客として座っていた。室内の人物配置は校長室前にたむろっている阿修羅達の目にも入った。
「あれ? あれって、栗花落先輩と現先輩……だよね?」
「うん」
 真湖が校長室に入り、扉が閉じられると、翔と乃愛琉が顔を見合わせて頷いた。ということは、校長室に呼び出されたのは確実に合唱部のことであることは間違いない。どんな話になるのか興味津々な阿修羅と翔は扉に耳をつけて中の様子を伺おうとした。
「ちょっと、やめなさいよ」
 灯が注意しようとするが、阿修羅は『しっ』と口に人差し指を当ててそれを制止した。

「煌輝真湖くん、すまないねここまで呼び出してネ。まあ、お座りなさい」
 校長は席に座ったまま真湖を現の隣に招いた。
「はい。……こんにちは」
 真湖の会釈に栗花落と現も応える。
「先輩たちどうしたんですか?」
「うん、まあ」
 彼らの囁き声に、校長は失笑のような息を漏らした。
「まあ、緊張しなくてもいいよ。あ、こちら、教頭。知ってるよネ?」
 校長は席を立ちながら、隣の老年の教師の肩を軽く叩きながらそう言った。現はすぐに頷いた。確かに入学式の時に司会をやっていた人。教頭だったのかと真湖は言葉を飲み込んだ。二人は向かいに並んで座った。
「実はね、ボクたちはこの学校の出身で同期なんだネ」
 どうみても教頭の方が年上に見える。白髪交じりで細身の教頭に対して、恰幅がよく肌の艶もいい校長では、とても同年代に見えなかった。
「ボクたちは、いわゆる『竹馬の友』というやつでネ」
 意味は理解できたが、もちろん真湖にも現にも竹馬に乗った経験はない。
 教頭は数年前からこの学校にいるのだが、校長は今年異動でこの学校に赴任したばかりだという。それは、栗花落と現も知っていた。
「入学式の時のキミの放送聞いたネ。すごく元気だネ。でも、この学校は自主的に部の創設は認めていないネ。担任からは聞いたと思うけどネ。昨日、キミの先輩達がボクのところに陳情に来たんだよネ。どうしても合唱部を創りたいってネ」
「え、そうなんですか?」
 まさか現たちが校長に直談判に来たとは思いも寄らなかった。真湖はそれを聞いて感激した。
 が、昨日と言えば、真湖があの3年生に脅されていた時のことだ。これでますます昨日のことは現には言えなくなったなと少し困惑もしてはいたのだが。
「わたしたちは、今年で終わりだけど、あなた達はこれから3年間あるのだもの。せっかくやるならずっとやっててほしいし、部員募集にいつまでもあなたの一本釣りに頼るわけにもいかないでしょ?」
「先輩……」
 本当は現はすごく後輩思いの、優しい先輩だったのだと。一時は酷い先輩だと思っていた真湖は自分を責めた。
「ただネ、だからと言って、すぐ部の創設を認めるわけにはいかないのが現実でネ。他の部をやりたい人だって沢山いるし、先生達を説得もしなければならないしネ。そこで提案があるのだけれどネ」
「提案ですか?」
 真湖たち3人が口を揃えた。
「そう。先ほど、現くんに聞きました。2、3年生合わせて今10名程度の入部希望者がいるそうですネ? 来週、各部活が新入生相手に勧誘をする会が開かれるますネ。それまで、『暫定合唱部』として認めることにしましょうネ。そして、そこでうちの校歌を歌ってくださいネ。その校歌を聴いて入部したいという新入生が10名以上いれば、正式な合唱部として認めるように先生方に相談することにしますネ。それでどうでしょうネ?」
 願ってもないことだった。勧誘会で1年生の前で正式に発表もできて、募集もできるなんて。
「本当にいいんですか? 是非お願いします」
 栗花落と現は即答した。もちろん真湖にも異論はなかった。
「ボクたちが在校生だった時もこの学校の合唱部は沢山部員がいてね。さすがに全国大会まではいけなかったけれど、活動は活発だったよ。またあの頃みたいになるといいネ」
「あの……それと、なんですが……」
 現が恐る恐る申し出た。
「指導担当の先生はどうすればいいでしょうか?」
「そこだネ」
 まさにそこだと言わんばかりに、校長は頷いて、教頭に目配せをした。
「しばらくは音楽の先生に担当をしてもらように手配はします。ただし、3年生は知っての通り、合唱の指導はできないけれど。少なくとも勧誘会までの間は自主的に練習してほしい。校歌だけであれば、無理は話ではないだろう?」
 校歌であれば、混声2部で済むし、少なくとも2、3年生は何度も練習しているから、1年生の指導だけすればなんとかなる。現はわかりましたと返答した。
「それ以降については、追って相談するよ。こちらにも考えがあるのでな」
 多少奥歯に物がつまったような言い方ではあったが、少なくとも悪いようにはしないと言う教頭の話を信じた。
「よろしくお願いします」
 3人はその場で立ち上がって、校長、教頭に頭を下げた。

「失礼します」
 校長室内から現の声が聞こえ、話し合いが終わった雰囲気を感じて、阿修羅達は扉からすっと離れた。その頃には、話を聞きつけてきたらしい、如月(きさらぎ)、保家(ほや)の2名が加わり、校長室の前はやじ馬の人だかりになっていた。二人は乃愛琉から簡単に事情を聞いて、どんな話になるのか興味を持ったので、話し合いが終わるまで一緒にいることにしていた。どうやら、現からは二人は何か聞いているようだと乃愛琉は感じていた。
 扉が開いて、中から現、栗花落、真湖の順に出てきて、3人揃って再度一礼してから扉を閉めた。
「おい、真湖、どうなったよ?」
「先輩、どうでした?」
 阿修羅と如月が同時に口を開いた。
 真湖と現が同時にVサインを送った。
「マジに、合唱部できんの?」
「すごいですね!」
 廊下はいきなりのヤンヤヤンヤの大騒ぎになった。
「ちょっと、ここ、廊下だから、とりあえず、音楽室入って」
 現と栗花落が先導して、皆を音楽室に押し込んだ。とりあえず、全員が音楽室に収まってから、現が順番に今校長室で話したことを皆に伝えた。
「『暫定合唱部』ですか?」
 聞き慣れない響きに数名が疑問符を投げかけたが、とりあえず、第一歩が踏み出せたと、ほぼ皆は喜んでくれた。
「よかったな、真湖。じゃあ、俺は部活行くから、この辺で」
「あ、剣藤くん、山咲くんにもよろしく伝えておいてね」
 現がそう阿修羅に申し伝えると、阿修羅は『うっす』と野球部式に返事をした。それに着いていくかのように、灯も音楽室を辞しようとした。
「灯ちゃん、ありがとうね!」
「別にわたしは何も……」
 手を振る真湖に、灯は照れるような顔で阿修羅の影に入って、そのまま教室を出た。
「さてと。とりあえず、暫定の部長はどうしようかしらね?」
 現が栗花落の方をチラリと見る。
「瞳空でいいべ」
 さらに栗花落が目で如月と保家に同意を求めた。
「現先輩にお願いします!」
 もちろん、真湖と乃愛琉にも依存があるわけもない。
「じゃあ、早速明日から練習始めるわね。ところで、1年生諸君」
 真湖、乃愛琉、翔にビシっと、指を向けて、
「君たちは、小学校で合唱どれくらいやってきたの?」
 と、問いただす。真湖たち3人はお互いを見合わせてから、
「音楽の時間と、校内のコンクールだけです」
 と、真湖が答えると、乃愛琉と翔もただ、それに頷くだけだった。
「それだけ?」
 まさか。と、現は再確認。
「それだけです」
 ケロっと返す真湖に現は頭を抱えた。栗花落も少し目を丸くする。
「じゃあ、全くの素人って訳じゃない。それでよく、全国大会とか言えたものね」
「あたし、頑張ります!」
 元気に返事する真湖に、若干途方に暮れた。

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