2014年10月5日日曜日

「Nコン!」第10コーラス目「始動!」

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 翌日の放課後から1年生3名の特訓が本格的に始まった。真湖たちが集って音楽室に入ると、すでにジャージに着替えた現がいた。
「夕べ腹式呼吸の練習はちゃんとやった?」
 開口一番、現<<うつつ>>は昨日の復習の確認をする。
「やりましたー。もう腹筋が痛いですー」
 まだ制服のままの3人は声を揃える。
「すぐに慣れるわよ。それに、その程度で根をあげるようじゃ、全国大会どころか、地区大会だって出られないわよ」
「根はあげません!」
 真湖が即答で返す。それを見て、現も思わず笑みが浮かぶ。ここ数日で真湖の性格がだいぶんと分かってきたのだろう。
「じゃあ、さっさとジャージに着替えて。まずは、グランド5周走るからね」
 両手を腰に当てた現が仁王立ちでそう言った。
「え?走るんですか?」
「当然よ。合唱はね、体力が勝負なんですからね! グランド10周終わったら、腹筋100回……といいたいところだけど、今日は初めてだから、できるだけでいいわ。最低10回くらいはできるわよね?」
「腹筋100回ですかー?」
 思わぬ練習メニューに、真湖たちは目を回した。文化系の部活だと思っていた合唱部が、いきなり初日からグランド5周から始まるメニューを差し出されたのである。
「合唱部を文化部だと思ってもらったら、困るわ。歴とした運動部なんですからね!」
 これは、現が入部した時に最初に先輩から教わったことだった。当時はちょうど翔平たちOBが築き上げた伝統がまだ残っていた頃で、部員たちは真剣に全国 大会を目指して練習に励んでいた頃だった。それが、翔平たちが卒業した後に、練習の厳しさから一人辞め、二人辞め、そして新入部員も集まらず、廃部に至っ たのだ。辞めていった部員たちは、今の真湖たちと同じように、まさか合唱部の練習がそんなにも厳しくあるものと思わなかったのだろう。何より、翌年春に亡 くなった三越先生のいなくなった穴は大きかったのである。
 そんな回想をしながら、現は真湖たち女子を音楽準備室に呼び、そこで着替えをさせた。残る翔はそのまま音楽室で着替えを始めた。

「ところで、あの、野球部の子って、仲いいのね?」
 真湖たちが着替えしているところに、突然現が聞いた。
「あっしゅですか?」
 真湖の手がぴたりと止まったのを現は見逃さなかった。
「剣藤くんって言ったっけ?あっしゅって呼ばれてるの? 煌輝さんとは?」
 現は曖昧な聞き方をしてきた。現の意図を計りきれなくて真湖が言葉にするのを躊躇った。乃愛琉が代わりに答えた。
「幼なじみです。わたしたち、小1からずっと一緒のクラスで。煌輝さんのお隣さんなんです、あっしゅくん」
「へぇそうなんだ。中央小だっけ?」
「はい、そうです」
「じゃあ、近所なんだね。いいなぁ。わたし、元北小だから、通うの遠くてね」
 乃愛琉と現のやりとりを黙って聞いていて、真湖は少し安堵した。現の質問に対して変な勘ぐりをしてしまったのだと、自分に思いこませようとしていた。女 子としては恋愛に奥手気味の真湖だが、入学以来、翔の「好き好き攻撃」のおかげで、かえって阿修羅のことが気になり始めていた矢先だったからだ。
「栗花落<<つゆり>>先輩も北小なんですか?」
 すかさず乃愛琉が現のカレシを名指しした。恋愛ネタは乃愛琉のごちそうである。乃愛琉が話題を変えてくれたので、真湖はほっとした。
「蒼斗<<ひろと>>は西小だったみたいよ」
「じゃあ、いつからカレシなんですか?」
「んと、去年のクリスマス後だったかな」
「どちらから告白したんですか?」
「どっちだったかなぁ。よく覚えてないなぁ」
「じゃあ、相思相愛だったってことですね! いいなぁ!」
 ずけずけと聞く乃愛琉とあっけらかんと答える現に、真湖は心中タジタジだった。
「ほら、もう良いでしょ、制服そこ置いて。行くわよ」
 さすがの現も頬を染めて、ちょっと大声になった。実のところ、現と栗花落の付き合い始めたきっかけというのは、曖昧で「よく覚えてない」というのも嘘で はなかった。なんとなくどちらからともなく、そんな感じになったというのが正直なところで。相思相愛と言われるとかなりくすぐったい感覚を覚えた。
「はーい」
 恋バナを聞けて満足げの乃愛琉と、逆に恋バナから解放された真湖が声を揃えた。
「エンリコくん、着替え終わった?」
 音楽室から、「とっくに着替え終わってますよ」との翔の返事があると、現は扉を開き、3人で音楽室戻った。
「さて、行きますか!」
 現は照れ隠しとも取れる空元気っぽい、大きな声を上げた。意外にかわいいところがあるんだなと、乃愛琉は内心思った。初対面の印象は冷たいというか、 「クールビューティ」のイメージだったが、つきあってみると、案外中身はサバサバしていて、後輩の面倒見が良い。栗花落が何故カレシなのかが、少し分かっ たような気がした。このカップルは現でもっている、そう思うのだった。
「ね、何話してたの?」
 音楽室を出ると、翔がこっそりと真湖に聞いてきた。
「べ、別に。大した話してないよ」
「え。だって、結構かかってたじゃん。ボク、ずいぶん待ったんだよ」
「ふ、普通に、世間話してただけだよー」
「ふーん。そうなんだ」
 翔は、頭の後ろに両手を回して、いかにも納得してませんという顔つきをしたが、まーいいかと呟いてそれ以上は追求はしなかった。
 真湖にとっては、さっきの話を要約するほどの経験値を持っていなかったので、それ以上問われても返答に困るだけだった。あっさりと諦めてくれる翔がありがたかった。
(あっしゅだったら、しつこいくらいに聞いてくるんだろうなぁ…)
 思わず阿修羅と比較してしまう。そんな妄想を、真湖は頭をブンブンと振って忘れようとした。そんな姿を目の端でちょっとだけ不思議そうに見る翔だった。

「そう言えば、あなたたち、好きな歌とかある?いわゆる合唱曲じゃなくって。歌謡曲でも、ボカロ曲でも、アニソンでもいいけど」
 玄関で靴を履き替えた後、グランドの手前で準備体操をしながら、現が思いがけないことを聞いてきた。真湖たちも、合わせて体をほぐしながら聞いていた。
「好きな…曲ですか?」
 合唱曲ではなく、との条件付きだと、すぐには出なかったが、
「IKB48の曲なら、大体好きですけど」
 と、乃愛琉が少し控えめに言うと、
「IKB48なら、わたしも知ってるー」
 真湖も合わせた。
「IKB48って、何?」
 ところが、翔が目を点にさせながら、そう聞いた。
「IKB48知らないの? 今や国民的アイドルの頂点と言われてるんだよ?」
「ああ、ごめん、ボク、テレビとか見ないんだよね」
 翔は頭を搔きながら苦笑いした。
 今ドキ、ゲーム機も持っていない、音楽プレーヤも持ってない小学生はほとんど稀だった。しかも、翔は田舎出身ではなく、ここよりずっと都会の札幌から来 たのだから、さらにテレビも観ないとなると、家にいる間何をして遊んでいるのかと、3人はさらに不思議に思った。けれど、翔の屈託のない笑顔を見ると、そ こはつっこんでいいところなのかどうか、3人共に躊躇った。
「あ、ああ…そうなんだぁ……」
 と、現が相づちを打つのが関の山。
「あ、じゃあ、この曲は知ってる?」
 乃愛琉は、IKB48のある曲を口ずさんだ。それは、昔ヨーロッパで流行った曲のカバーだと言われている曲で、一昨年のレコード大賞でも、IKB48が 受賞曲として歌った曲だった。翔の父親がイタリアの人だと聞いていたのと、テレビは観ていなくても、街角やスーパーでもよくかかっていたこともあるので、 もしかしたら思い、選曲してみた。
「あ、なんか聞いたことあるかも」
 翔が反応したのを聞いて、乃愛琉はさらに歌うのを続けた。サビの部分に入ると翔も何となく口ずさみ始めた。
「よし、じゃあ、その曲でいこう!」
 現が指を鳴らした。
「この曲がどうしたんですか?」
 真湖がこれからグランドを走ろうというのに、どういうつながりがあるんだろうと訝しんだ。
「その曲を歌いながら走るのよ」
「え?」
 当然のように答える現に、3人は驚きの声を上げた。
「好きな歌を歌いながら走るのは、楽しいわよ!」
 これも三越先生の受け売りだった。もちろん高齢だった三越先生が生徒と一緒に走ることはなかったが、どうせ走るなら楽しい方が良いだろうと、昔から続け てきた指導方法だったらしい。現も最初は周りに珍しがられるのがイヤだったが、周りも慣れてくると、誰も気にしなくなっていた。確かに何もしないでただ走 るよりかは楽だった。
「じゃ、行きましょう。合歓<<ねむ>>さんが歌い出しお願い。で、みんなで一緒に歌いながら走るわよ。サンハイ!」
 4人は、現を先頭に走り出した。現のペースはかなり遅いものだった。言われた通り、乃愛琉はさっきの曲を歌い出し、真湖と翔が続いたが、先頭を走る現にさえ聞こえないくらいの小さな声だった。
「聞こえない! もっと大きく!」
 現は振り返って、乃愛琉に向かって叫んだ。さすがに経験者だけあって、声が響く。グランドで練習中の他の部員達の数名がこちらを振り返った。
「あ、はい…」
 そうは言われても、やはり、周りの目が気になる乃愛琉。なかなか大きな声が出ない。
(まあ、仕方ないか。わたしも最初はこんなんだったしな)
 とは、思いつつ、一応先輩、いや、臨時ではあるにしても部長なのだから、きちんと部員達には指導しなければならない。
「はい、もっと大きく!」
 自らも歌いながら走る。そして、言われれば言われるほどに、乃愛琉の声は小さくなっていった。
 その時、
「YA YA YA YA! 恋の波打ちぎわに~!」
 翔がいきなり大声を上げて歌い出した。思わず現も振り返るくらいだった。時折、英語なのかイタリア語なのかよく分からない歌詞も交えて。確かに曲は合ってるが、もしかしたらカバー曲の元曲なのかも知れない。
「Hey Hey Hey Hey!」
 それに続くように、真湖が大声を張り上げた。ちょとハチャメチャにも聞こえるアイドル曲が、二人のデュエット曲かのように、グランドいっぱいに広がった。
 乃愛琉がびっくりした顔で翔と真湖を見た。そして、笑顔でそれに続いて一緒に歌い始めた。負けじと現も続く。声量では3人個々には現には全く敵わないが、3人寄ればなんとかで、彼らの声はグランドの端から端まで響き渡った。

「何やってんだ、あれ?」
 外野で球拾いしていた阿修羅が何事かと、合唱部4人がグランドを走っているのを眺めていた。
「ああ、懐かしいな。現、あれ始めたんだ」
 同じく外野で柔軟体操をしていた主将の山咲が阿修羅に声をかけた。
「1年の頃、合唱部毎日ああやって走ってたんだ。名物だったぜ。なんでも、ああやって走って、声量をつけるんだとさ」
「はぁ、そうなんすか」
 阿修羅からみると、ただはしゃいで走っているようにしか見えなかったが。
「ほら、球きたぞ」
「はい!」
 山咲に言われて阿修羅は慌てて飛んできたボールに向かって走った。

「ね? 楽しかったでしょ?」
 5周を走り終え、現が3人に聞いた。さすがに運動部とは違ってスローペースではあったが、すでに3人の息は切れ上がっていた。
「いや、たしかに……思ったほどは苦しくはなかったですけど……なんか、恥ずかしかったです」
 最初に答えたのは、真湖だった。元々活発な方の真湖は体育の比較的得意な方で、この程度のペースであれば、ついていけないこともなかった。
「あれもね、実は、舞台の上であがらないようにって意味もあるみたいよ」
 三井先生直々ではないが、先輩の一人から聞かされたことである。確かに、毎日この練習をしていると、ある意味、羞恥心が緩和されるという感じはした。
「これ、毎日やるからね」
「マジですか」
 翔ががっくりと肩を落とした。走ることに疲れたというより、この先、どれだけの流行曲を覚えなければならないのかと、ちょっと違う方向でのがっかりさだったのだが。

 それから、揃って音楽室に戻り、腹筋数回を経て、校歌の練習を始める。昨日渡された曲データはすでに3人ともに聞いていて、さらりとだが、合わせること はできた。もちろん全員が女子パート。翔がソプラノだったのは意外であったが、現が思った通り、練習指導はしやすかった。
 そして、現が感心したのは、経験がほとんどない真湖と乃愛琉がなかなか筋のあることだった。元々歌の巧い乃愛琉は幼い頃からピアノを習っていたこともあ り、音感はほぼパーフェクトだった。真湖も、性格的に声を出すことにあまり躊躇がない。うまく指導すれば、二人ともかなりいいところまでいきそうだと、現 は手応えを感じていた。しっかりとした練習さえすれば、2年後には、今の自分を遙かに超える実力を出すこともありえないことではない。いや、むしろ、そう でなければ、Nコン全国なんて夢のまた夢なのだ。
 一方、翔の方はお世辞にも上手とは言えないものの、ハーフとして親から受け継いだものなのか、多少日本人離れした声を持っていた。体の中で音を反響させることができている。これをうまく上達させるといい声が出そうだ、という感触があった。

「はい、今日はこれでおしまい!」
 現のかけ声に合わせるかのように、3人はその場にへたり込んだ。
「おつかれさまでしたー」
 現の指導が巧いのか、3人共に声を枯らすようなことはなかったが、グランド5周に、腹筋運動、初めての校歌練習と、緊張もあったのか、3者3様に疲労を感じていた。ただ、イヤな感じの疲れではなかった。今晩はぐっすり眠れそうだな、と真湖は思った。

(でも、あまりゆっくりもしてられない)
 そんな3人を見ながら、新入生の勧誘会まであと5日に迫っているのだと、現は焦りを感じながらも、この先の合唱部の可能性に期待を持った練習初日であった。

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