2014年10月15日水曜日

「Nコン!」第11コーラス目「部員!」

 入学式から怒濤の5日間が過ぎ、初めての土曜日。真湖は布団の中で深いまどろみの中にいた。
「まーこちゃーん!」
 夢か現か曖昧な境界線の中で、真湖の名前を呼ぶ声がしたような気がした。何とか返事をしようとするのだけれど、眠気には勝てなかった。元々朝の弱い真湖。昨日の夜にしっかりと土曜日は昼まで寝るんだ! と心に決め、目覚ましのベルもスイッチを切り、準備万端だった。閉じた瞼から窓の外の光を何となくは感じているような気はした。多分朝なのだろう。でも、まだ昼ではないなと勝手に予想。そう、今日は昼まで寝ると決めたのだから、初心貫徹、寝ると決めたら寝るのだ!
「まーこちゃーん!」
 ああ、この呼び方は、きっと、乃愛琉<<のえる>>だな。とは心の中で思いながらも、惰眠を貪る欲求には勝てなかった。だって、あの現<<うつつ>>先輩のシゴキを耐え、5日間を乗り越えたんだから。まだ腹筋がジジンする。きっと筋肉痛よね。足も何だかダルい気もするし。だから、今日は静養するんだから。そう、これは明日のため、Nコン出場のためなんだから。などなど、とにかく寝ていることを正当化する理由をあれこれ描いた。
 と、ドアのノックする音がして、乃愛琉の甘い声に変わって、母の厳しい声が響いた。
「まこー! 乃愛琉ちゃん、さっきから呼んでるでしょ! 早く起きなさい!」
「んー。もうちょっと寝かせてって、乃愛琉に言ってー」
 布団にくるまったまま真湖は答えた。乃愛琉も乃愛琉よね、何も土曜日のこんな早い時間に呼びに来なくてもいいのに。と、今度は乃愛琉に逆恨みだった。
「学校行くんでしょ? 乃愛琉ちゃん、制服着て来てわよ」
「え?」
 真湖は、血の気の引く音を聞いた。
「あ、あれ?中学って、土曜日、学校あるんだっけ?」
 がばっと、布団から起き上がって、ドアの向こうの母に聞いた。
「知らないわよ。あんた、学校で時間割もらってきてないの?」
 慌てて、真湖はベッドの上から勉強机に覆い被さるように飛びついた。学校に持って行っている鞄が載っていた。鞄からわさわさと学校のプリント取り出す。
「時間割、時間割」
 バサバサとプリントを投げながら、時間割を探す。あった。月曜日から……金曜日までの時間割しかない。次は、来週の月曜日の予定だ。月曜日は、朝からレクリエーションで……。
「あれ?」
 何度読んでも、今日は授業はない。別のプリントを見ても、土曜日日曜日は休みとはっきり書いてある。
「おかーさーん、今日って土曜日だよねー?」
「土曜日よ。とにかく、乃愛琉ちゃん、玄関先に待たせるのも悪いから、あがってもらうわよ」
「あー、うん。あ、うん」
 低血圧の頭に一気に血が上ったせいで、ぐわんぐわんしている脳髄のまま返事する。そのまま、しばらくぼーっとする真湖。
「おじゃましまーす」
 と、玄関先で乃愛琉の声がする。階段を上る音がなんとなくして、とんとんと、優しいノック。さっきの母のとは全然違う。
「まこちゃん、起きた?」
 なんとなく、控えめな乃愛琉の声。
「あー、うん。起きた。入っていいよ」
 明らかに寝起きの声で真湖が返答すると、乃愛琉がドアを開けて部屋に入ってきた。確かに制服を着ている。対して、ベッドから机に半分寄っかかったままの真湖はパジャマのまま。頭は寝癖で大変なことになっている。
「あれー?乃愛琉、なんで制服着てんの?」
「え?だって、学校行くなら、一応、制服着た方がいいんじゃない? 一応、ジャージは持ってるけど。ジャージのままの方が良かったかな?」
 ジャージの入っていると思われる大きめのポーチを指さしながら乃愛琉は遠慮がちに言った。
「え、だって、今日、学校休みだよね?」
 真湖は、手に取った時間割を乃愛琉に差し出した。
「え、うん、学校は休みだよ」
「じゃ、なんで、制服着てんの? なんで学校行くの?」
 惰眠を邪魔された恨み節も込みで。
「え? だって、合唱部の練習でしょ?」
「え?」
 真湖の目がまん丸に見開いた。


「すみませーん!遅くなりました!」
 真湖と乃愛琉が音楽室に飛び込んで来た時、そこには、現だけではなく、5、6人の姿があった。もちろん、エンリコ翔も先に来てにいた。
「おーそーい!」
 現の喝が入る。
「ご、ごめんなさい。あの、ちょっといろいろありまして…」
 いろいろというのは、つまり、真湖がすっかり今日の練習を忘れていたという話なのだが。確かに、別れ際には、翌日の練習の話はなかった。けれど、練習途中に、真湖が翔平のウケウリで「合唱部は毎日練習」みたいなことを言ったので、現が買った喧嘩のように、土曜日の練習を決めたのだ。それを、真湖に何度も念押ししたつもりでいたのが、真湖の頭の中には残ってはいなかった。
 乃愛琉が苦笑いでそんな真湖に連れ添った。
「あ、あれ? みんな…さん、どうしたんですか?」
 揃った顔に、真湖が改めて聞く。中には、見た顔が揃っている。
「そろそろ全体練習も始めなきゃだしね。昨日夜になってから招集かけたから、全員は揃ってないけど、まあ、主力選手は揃ったってことかしらね」
 そう言われて、改めて、揃った面子に目を向けると、現のカレシである、栗花落蒼斗<<つゆり ひろと>>、入学式の翌日に真湖が声を掛けに行った、2年生の如月友夏<<きさらぎ ともか>>、射原 悠斗・悠耶<<いはら ゆうと・ゆうや>>の双子の姿を確認した。如月の横に立つメガネの女子生徒は、外園諒子<<ほかぞの りょうこ>>なのだろう。如月と外園は仲がいいと、現からのイメージが思い出される。あと、翔と栗花落の他に男子生徒が一人。真湖は見たことはないような気がした。
「あなたたちの練習もとりあえずは及第点ってところだし、せっかく土曜日に練習するなら、全体練習にいい機会かなと思ってさ」
 実のところ、現は1年生4人の練習結果には満足はしてはいなかった。けれど、残り時間も僅かであるところから、真湖の「毎日練習」に触発されて、急遽昨日の夜招集をかけたという顛末だった。1年生の練習結果が彼女たちのせいなのか、それより自分の指導のせいなのかが自分でも分からないのがなんともモヤモヤしているということを栗花落に相談したところ、
「じゃあ、みんな巻き込んじゃえばいいじゃん」
 という、彼の言葉が最後の背中押しになったことも確かだった。
「うわぁ、なんか、部活って感じになってきましたね!」
 そんな気持ちも露知らず、真湖は一人はしゃいでいた。
「だね。頑張ろうね!」
 そんな真湖を温かく見守ろうとする翔。
「あんたねぇ……」
 呆れかける現に、
「まあまあ」
 と、宥める栗花落。
「じゃあ、まあ、練習始める前に、自己紹介といきますか。わたしと蒼斗はどっちも知ってるから、2年生からいきましょうか」
 そんなやりとりもここ数日で慣れっこになってしまった現はすぐに切り替えて、みんなに声をかけた。
「じゃあ、わたしから」
 と最初に立候補したのは、あの元気な感じの2年生。乃愛琉が、真湖に似てる感触を持った人だった。
「わたしは、如月友夏<<きさらぎ ともか>>。パートはアルト。好きな合唱曲は『fight』。歌うの大好き。去年は真っ先に立候補して、Nコン出場しました。今年もそのつもりだったんだけど、真湖ちゃんからお誘いいただいたんで、是非合唱部ができればいいなと思いました。まる」
 如月は最後にVサインを決めた。元々目立ちたがり屋なのだろか、ジェスチャーとかも交えて大仰に自己紹介を終えた姿を見て、乃愛琉は自分の初見を改めた。真湖とはまた違う快活さ。ある意味空回りしやすそうに思えた。
「じゃあ、次、諒子ちゃんね」
 そう言って、如月は隣の眼鏡の女子の背中を押した。
「あ、あの、外園諒子<<ほかぞの りょうこ>>です。よろしくお願いします。……あ、あの、パートはアルトです」
「諒子ちゃんは、わたしと小学校からずっと一緒なのよね。よろしくね」
 と、手短に済ませた外園に如月が補足した。快活な如月と内気な外園の組み合わせは、真湖と乃愛琉の関係を彷彿とさせていたが、一方的に走り回る真湖に比べて、外園をグイグイ引っ張っていこうとする如月は若干強引さも感じられた。
「じゃあ、次、俺たち?」
 双子が口を揃えて言った。セコマの二人だった。
「いつもお世話になっております、石見沢駅前、セイコーマート、射原商店でおなじみ、射原悠斗<<いはら ゆうと>>と」
「悠耶<<ゆうや>>です。パートは共にアルト。好きな合唱曲はってと…」
「『エール』かな」
「俺は『虹』かな」
 ばっちりのタイミングで自己紹介する二人。それでも、好きな合唱曲が異なるところあたり、それぞれの個性も垣間見える。
「あと、2年生の男子、もう一人いるんだけど、今日は家の手伝いで来られないって。保家寿<<ほや さとし>>くんね。パートはテナー」
 現が不在者の紹介をする。保家と言えば、勧誘に行った際に、実家の農業を手伝う時は参加できないと言っていたなと乃愛琉は思い出した。
「あとは、っと、3年生。わたしと蒼斗の他にもう一人。どうぞ」
 現が、真湖と乃愛琉が見たことのない男子生徒に手を出して、自己紹介を促した。
「神宮知毅<<じんぐう ともき>>。パートはバス。合唱は去年も助っ人として参加したんだけど、今年も手伝ってやらないわけでもない。現くんの頼みとあれば、もちろんね」
 そう言って、神宮は現にウインクを送った。それに栗花落があからさまに舌打ちした。現は見ないふりをしているのかそれとも気がつかないのか、
「じゃ、3年生は以上ね」
 と、上級生の自己紹介を締めた。
「ね、あの神宮って先輩、なんかキザだね……」
 珍しく、乃愛琉が真湖に耳打ちした。
「キザって……?」
 キザの意味がよく分からない真湖だったが、真湖の中でのイメージとしては、どちらかというと、道化っぽいイメージだったので、キザとはそういう意味なのかと思った。
「じゃあ、1年生ね。言い出しっぺの煌輝さんからいく?」
「はーい!」
 寝癖がまだ若干残ったポニーテールを揺らしながら、真湖が手を挙げた。
「煌輝真湖<<きらめき まこ>>です、よろしくお願いします。パートはよくわかんないですけど、多分ソプラノかな。歌を歌うのは大好きです。好きな合唱曲は『大地讃頌』です。Nコン優勝目指して頑張りたいと思います!よろしくお願いします!」
 Nコン優勝のところで、若干苦笑のようなものが聞こえた気もしたが、真湖は気にしなかった。
 間を置かずに乃愛琉も続ける。
「わたしは合歓<<ねむ>>乃愛琉です。真湖ちゃんとは小学生からずっと一緒の幼なじみです。小さい頃からピアノをやってることもあって、音楽は大好きです。パートはアルトらしいです。好きな合唱曲は『世界がひとつになるまで』です」
「忍たま」
 と、茶化すような、吹き出す男子の声が聞こえた。
「よろしくお願いします」
 乃愛琉は一瞬戸惑ったが、間を置いて挨拶を終えた。
「じゃ、次、ボクね」
 間髪入れずに翔が口をだす。
「塩利己 翔<<えんりこ しょう>>です。よろしく。パートは、ボーイソプラノって言うんだそうです」
 おお、という小さいどよめきのようなものが起こった。
「まだ声変わりしてないんです。声変わりしたら、多分テナーかな。んで、好きな合唱曲は『流浪の民』です」
「渋」
 また、茶化し声がする。
「神宮くん、しっ」
 現が制止する。さっきからのは全て神宮の声らしいことは分かった。
「札幌から転校してきたので、石見沢のことはよく分かりませんが、よろしくお願いします」
 翔は気にする様子もなく、自己紹介を終えた。
「んじゃ、まあ、まずはこの10人と、と、あと保谷くん入れて11人で合唱部始動ってことで、みんなよろしくね」
「よろしくお願いします」
 合唱よろしく、皆の声が揃った。

「ねーねー。エンリコくんって、ハーフなの?」
 練習開始前、休憩時間に如月が翔に声を掛けてきた。
「そうですよ」
 翔はいつも通りに微笑みながらそれに答える。
「へー。何人なの?お父さん? お母さん?」
「パパーがイタリア人。ママーは日本人ですよ」
「へー。イタリア人なんだー。それで、エンリコっていうの? すごい、インターナショナルって感じねー」
 と、翔と如月が盛り上がっている時、神宮が乃愛琉のところにやって来た。ちょうどその時、乃愛琉は真湖の寝癖を直すために、真湖を座らせて、髪を梳いてポニーテールをし直しているところだった。
「合歓さんって言うんだ?」
「はい? そうですけど」
 乃愛琉は微笑みで返した後、すぐに真湖に向かった。できるだけ先輩に対して失礼にならない程度の応対だった。第一印象が最悪だったのと、さっきの茶化しが乃愛琉にそうさせた。
「合歓さんって、かわいいね。あ、煌輝さんもだけど」
 なんともとってつけたような感想に、乃愛琉も真湖も何と言っていいものか分からず。二人が黙っていると、所在なげに神宮が付け加えた。
「君たちが最初に言い出したんだって? 合唱部作るの?」
 入学式の時の全校放送のことを知らないのだろうか。昨日今日初めて聞いたような言い方だった。
「はあ、真湖ちゃんが……ですけど」
「君たちがどうしてもっていうなら、ボクも協力するからね。いつでも言ってくれたま…」
「はいはい、練習始めるわよー。全員グランド5周ね!」
 神宮の言葉を遮るかのように現がみんなに声を掛けた。はーい、という返事と共に、ぞろぞろと音楽室を出て行く。
「あいつね、あんまり相手にしなくていいからね。誰にでも声掛けるんだわ」
 教室を出ようとした真湖と乃愛琉の後ろから現がそっと耳うちした。
「でも、ああいう奴だけど、歌だけは上手いんだわ。あんまり声はかけたくはなかったんだけど、まあ、この際だから、背に腹は代えられないし、仕方ないわね」
 たった11人で始まった合唱部。そんな中にも不安要素を入れなければならない事情を乃愛琉は感じ取った。
「お疲れ様です」
 現は、乃愛琉の慰労の言葉に、二人の肩をぽんぽんと叩いて応えてみせた。
 なんとも前途多難な旅立ちだが、とにかく確実な一歩は踏み出せていると、実感をした乃愛琉だった。

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