2014年10月19日日曜日

「Nコン!」第16コーラス目「顧問!」

「そっかー、よかったな」
 垣根の隣で阿修羅(あしゅら)がそう呟いた。
「まずはおめでと」
「ありがと」
 夕飯を終えた後、真湖と阿修羅はお互いの家の垣根を間におしゃべりをしていた。真湖と阿修羅の家は隣同士。ちょうど同じく南側に庭をもっている。
 雪の多い北海道では、縁側というのはない。その代わりに洗濯物を干したりできるように庭に向かってベランダがある家が多少ある程度。ベランダさえない場合も多いのだが、あっても、たいていはコンクリート打ちっ放しの庭に出るためのたたきの程度の物だった。
 庭にはそれぞれ1個づつ木製の椅子が置いてあり、それが真湖と阿修羅の指定席だった。昔から何かあるとここで夕涼みしながらお喋りしていた。最近は阿修羅も真湖も部活のせいで機会は減っていたが。
 まだ春先で寒い時期なので、二人ともにもっこりとヤッケ(※)を着込んでいた。
「それにしても、灯のやつ、ぜってー入んねーって言ってたくせに、それかよ」
「まー、助かったと言えば助かったし。灯ちゃんは灯ちゃんで事情あるんだろうから、あんまそういう言い方しないで」
 今日も部活が終わると、灯は仲良く如月と一緒に塾に向かった。
「やけに灯の肩持つな」
「べつに」
 真湖に対して灯はいつも厳しいが、大体は筋が通っていることが多く、真湖は灯のことは好きだった。この前の翔とのことだって、ああいってはっきり言ってもらえなければ、いつまでも断り切れなかったかも知れない。今日の小林のことだって、灯がいたら何と言っていたか。
「それよりさ……」
 真湖は思い切って、今日の乃愛琉と神宮先輩の話をした。下校時の小林と翔の話は少しオブラートに包んではみたが。
「はぁ? なにそれ。それ、ぜってー、乃愛琉おかしいだろ。それ以上にその神宮って先輩? 冗談にしても度が過ぎるぜ」
「そうよね、あっしゅもそう思うよね!?」
「あったりめーだろ、それ、現先輩の言うとおりだろ。そんな奴入れない方が今後もためだと思うけどなー。合唱部だって、チームワークだべ? それ乱す奴いたら、うまくいくものもうまくいかねぇよ」
 阿修羅の同意を得て、真湖は安心した。やっぱり、あれは断った方がいいんだと。
「で、灯は何か言ってたか?」
「灯ちゃん? その件では何も」
「へぇ、珍しいな。真っ先に言いそうだけどな」
 阿修羅は頭の上に手を回して手を組んだ。随分と日は長くなったがもう空は真っ暗だ。
「ところで、その、神宮って……先輩、そんなに上手なのか?」
「うん、すっごい上手。多分、うちの部の中では飛び抜けてる」
「そっかー。そうなると、なんとしてでもほしいって気持ちも分からなくもないなー」
「えー、だって、チームワークって言ってたじゃない」
「そもそも、目標高過ぎんじゃんよ。全国大会出場とか。おままごと程度でいいなら、要らんけど。全国ってなると……乃愛琉もマジなのかもな」
「あっしゅ、さっき言ったこととまるっきり逆」
「だからさー、俺個人としては反対だけど、乃愛琉の気持ちも分からんでもないってことさ」
「乃愛琉の?」
「あー、でも、その、ダブルデートとかってのはいいアイディアじゃないか。ふたりっきりにさえさせなきゃ、ただ一緒に外出してるってだけだしな」
「ま、まあね」
「その程度で入部してくれるってのなら、それもアリなのかなー?」
「あたしはヤだなー」
「おいおい、それこそ、お前だって、言ってること違うじゃねーかよ」
「んでも……」
「その、ダブルデート、現先輩に行ってもらえばいいんじゃね? 現先輩って、栗花落先輩とつきあってんだろ? だったら、二人に行ってもらえよ。しかも最初は現先輩指名だったんだろ? なら、いいじゃん」
「現先輩はダメよ。これ以上迷惑かけらないし」
「そもそも、神宮先輩連れてきたのも現先輩じゃないか。大体、お前、一緒に行くとしたら誰と行くんだよ?」
 阿修羅が少し前のめりになって、乃愛琉と同じことを聞いた。
「あ、あたしは……その……」
 真湖が躊躇していると、
「エンリコ翔か」
 と、阿修羅が直球を投げてきた。
「え、あ……」
 真湖の狼狽えぶりを見るに、図星だったようだ。
「ま、同じ合唱部だし、どうせお出かけ程度の話だろ。いいんじゃね。」
「あっしゅは、いいの?」
「いいもなにも、俺の口出しすることじゃねーし。どうせ土日だろ? 俺、練習で行けないし」
 阿修羅にしてみれば、何故自分に許可を求めるのか。真湖にしてみれば、何故自分に関係ないような言い方をするのか。まだ幼なじみという名前の二人の関係は徐々に変化してきているのか、思った以上に複雑で、双方にとって納得のいく回答を導き出してくれることはなかった。
 しかし、裏を返せば、阿修羅は自分が候補なのをつい口を滑らした結果になったわけで。真湖にしてみれば、それなら、時間さえ合えば行くの?と聞きたいところではあったが、それを聞く勇気はまだなかった。
「じゃあ、あっしゅは乃愛琉の意見に賛成ってことで、乃愛琉に言っておくわ」
「なして、そういうことになんの? だから、俺は個人的には反対って」
「もう、わかったもん」
「なにがわかったんだよ。よくわかんねー」
「おやすみ」
「はいよ、おやすみ。あー、さむ」
 阿修羅も呆れるような話の締め方をする真湖だったが、家に入る直前に振り向き、
「あっしゅ」
 と、阿修羅を呼んだ。
「んん?」
「ありがとね、話聞いてくれて」
 そう言って、手を振った。
「ん、ああ、したっけ」
 阿修羅もそれに応えて家に入っていった。


 翌日、放課後の音楽室は昨日にもましてどんよりとした空気が漂っていた。特に部長の現がなんだがげっそりしているように思う。
「先輩、どうしたんですか?」
 音楽室に入るなり、真湖が現に聞いた。
「どうもこうもないよ。今度は顧問だってさ。誰も受けてくれないっていうんだよ、校長」
 落ち込んだ現の代わりに栗花落が答えた。
「え? しばらくは音楽の先生がやってくれるって言ってませんでしたっけ?」
「それが昨日から入院したんだって。他の音楽の先生は全然無理って、とりつく島もないらしい」
「で、校長先生は何って言ってるんですか?」
「顧問いないと、創部はできないって」
「それじゃ、約束違うじゃないですか!?」
「いや、そうなんだけど、顧問いないと、どうしてもダメだっていうんだ」
「だって、校長先生、あの時、考えがあるって言ってましたよね?」
「あー、そんなこと言ってたかなぁ?」
「何か心当たりあるってことじゃないんですか?」
「そのことは言ってなかったな」
「あたし、一言、言ってきます!」
「おい、煌輝! 待て!」
 栗花落の制止も聞かず、真湖は音楽室を飛び出して、向かいの校長室に飛び込んだ。
「失礼します!」
 校長室の扉を勢いよく開くと、席には校長が、ソファにはどこかで見たことのある、うだつのあがらない風体の男性がいた。作業着を着ている。
「あれ? 用務員さん?」
「ああ、ちょうどいいとこに。君たちもそこ、座んなさいな」
 真湖の無礼にも気にせず、校長は真湖と追ってきた栗花落に席を勧めた。予想外の対応に毒気を抜かれた真湖は言われるがままにソファに座った。栗花落も扉を閉めて、真湖の隣に座った。
「こちらね、雅洋平(みやび ようへい)さん。うちの用務員やってくれてるのネ」
「あ、どうも、先日は……」
 真湖は、校長に紹介されてつい口からそう出てしまった。
「あ、いえ。ども」
「あれ? 二人、知ってるの?」
「あ、いえ、あの……この前、ちょっと道を尋ねて、教えてもらったんです」
 と、真湖は明らかに嘘と分かる嘘をついた。どう、対応してくるか、真湖は雅の様子を伺った。
「あ……、そ、そうだったね」
 雅は真湖の嘘に合わせた。校長の前で、学生同士のいざこざを報告すると、面倒なことになりかねないとでも思ったのだろうか。
「あの、それで、何故用務員さんとのお話で、ボクたちが……?」
「雅くんに、合唱部の指導をネ、つまり顧問になってもらおうと……」
「あの、校長、それはですから、何度もお断りしましたよね?」
 雅は慌てて訂正した。
「どうしてもダメなのかネ?」
「ボクでは、とうてい……」
 雅は頭を垂れた。
「あ、あの!」
 真湖が大声を上げた。
「合唱好きなんですよね? だから、この前も玄関先で声かけてきて! 新歓見てくれたですよね! そうですよね!?」
 真湖は直感でそう言ってみた。新歓の日に玄関先で声を掛けてきた時、『合唱部頑張って』と彼は言った。自分たちが合唱部であることを知っていた。多分新歓の舞台を見ていたのだろう。きっとこの人は合唱が好きなんだ。だから、隠れてあの舞台を見ていたに違いない。
「いや。ボクは、その……素人だから」
 合唱が好きということは否定しなかった。やっぱり、あの舞台を見てくれていたんだ。この人は合唱が好きなんだ。そう真湖は確信した。
「お願いします! 顧問になってください!」
 真湖はソファから降りて、土下座した。栗花落もそれを見て、慌てて隣で土下座した。
「お願いします」
 二人が土下座を始めると、雅はおどおどし始めた。
「いや、ふたりとも、そんな、こと、やめてください。起きてください」
「嫌です! 用務員さんが顧問になってくれるまで、やめません!」
 真湖は強情にそう言った。雅は立ち上がって、真湖の腕を掴んで、立ち上げさせようとした。
「起きてください。そうじゃなと、ボクは……」
 その瞬間、雅のイメージが真湖に流れ込んだ。


 大ホール。
 石見沢では見たことないくらいの大ホールだ。
 そこには数え切れないほどの大勢の生徒たち。その中に彼はいた。まちまちの制服の生徒達は一斉に同じ曲を奏でていた。何千人という生徒たちが同じ歌を歌っているのだ。何千という声が渾然一体となって大ホールに渦巻く。
 それは以前、従兄弟の翔平から受けたイメージにそっくりだった。
 そして、その曲は……。


 腕を掴まれたまま、真湖はされるがままに立ち上がった。
「あそこに連れて行ってください!」
 立ち上がったと思うと、雅にそう行った。
「え?」
 雅は呆気にとられた。
「あの場所に行きたいんです。お兄ちゃんが教えてくれたんです。全国に行ったら、すごい体験ができるって。用務員さんも、行ったんですよね? あそこに?」
「え、全国って、Nコンってことかい?」
「そうです。Nコンです! あそこに行って、みんなで『大地讃頌』を歌うのが夢なんです!」
 雅は一瞬言葉を失った。
「Nコン全国ときて、大地讃頌ですか。参ったな……」
 雅は真湖の腕を掴んだ手を離した。
「君、いいとこ突くねぇ。
 あれはね……」
 雅は黒縁眼鏡をきゅっと上げてから、ふふっと笑った。自虐の笑みとでも言うのか、悲しみの含まれた笑いだった。

「……泣くよ」

 そう言って、雅は真湖に微笑んだ。


 音楽室に戻ってきた真湖と栗花落を、部員は固唾を呑んで迎えた。
「で、どうだったの?」
 現がまず口火を切った。
「それは……」
 と、栗花落が言いかけた時、真湖が如月バリに、Vサインを出した。
「おお!」
 と、音楽室がどよめいた。
「ご紹介します!あたしたちの合唱部の顧問で、雅先生です!」
 調子に乗って、そのまま真湖は自分たちに着いてきた雅を手招きして、皆に紹介した。
「あ、あれ? この前の用務員さん?」
 乃愛琉だけは知っていたが、他の人は知らなかった。
「こんな用務員さんいたっけ?」
 上級生達も知らなかった。それもそのはず、
「雅くんは、今年から用務員としてこの学校に来たばっかりだからネ。こう見えても、教員免許も持ってるから、教師もできるんだよ。まあ、いろいろ事情があって、今はこうしてるけどネ」
「ああ、それで……」
 上級生からはそんな言葉が。
「あ、あの、ご紹介にあずかりました、雅洋平です。この子たちには言いましたけど、どこまで指導できるか分かりません。でも、全国大会出場という大きな目標を立てたって聞いてます。ですから、ボクもできるだけのことはしますし、厳しいこと言うかも知れませんが、一度乗った船ですから、一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願いします!」
 雅はそう言って、丁寧にお辞儀をした。
「よろしくお願いします!」
 部員も倣って深くお辞儀をした。

 ようやく、西光中合唱部は本当の意味での第一歩を踏み出した。


※ヤッケ……北海道では外套のことをヤッケと呼ぶ

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