2014年10月18日土曜日

「Nコン!」第15コーラス目「創部!」

「灯?」
 如月に連れてこられ、扉のところで小さくなっているのは、まぎれもなく灯だった。
「灯、合唱部に入ってくれるの?」
 入学以来何度も入部を断られ続けてきた真湖が大喜びで灯に近づく。
「べ、別に、あんたのために入部するわけじゃないんだからね。如月先輩に、勉強教えてもらう代わりにっていう約束しただけなんだから」
 大喜びに沸く真湖に、灯は目を逸らしながらそう言い放った。なにやら頬がうっすらと紅いのはなんだろうと乃愛琉(のえる)は思った。多分、あれだけ拒否したのに、結局入部することになった後ろめたさからなのか。相変わらず素直じゃないなとは思う。
「おー。如月先輩やるぅ」
 あれだけ頑なに拒否していた灯を懐柔するとは、と、翔が感心した。
「まぁねー」
 そんな翔にVサインを向ける如月。
「じゃ、じゃあ、10人揃ったってことか! 如月、大金星だよ」
 さっきまでの心配をよそに、栗花落(つゆり)は万歳して喜んだ。
「じゃあ、早速みんな入部届書いてちょうだい。すぐに職員室に持って行くから!」
 現(うつつ)は慌てて、所定の入部届を取り出して、みんなに渡した。櫻と愛(まな)の分は櫻の母が記入した。音楽室の大騒ぎが一段落して、皆が氏名の記入に集中していた頃、神宮がふと手を止めた。
「ってことは、合唱部の創部は決まったってことだから、ボクは用済みってことでいいんだよね?」
 そう言うかと思うと、手渡された用紙をそのまま机の上に置いて、鞄を持って立ち上がった。
「神宮先輩、入部しないんですか?」
 驚いた真湖がすぐに立ち上がって神宮の裾を掴んだ。
「だって、ボクはあくまでも助っ人だし、新歓の時だけっていう約束だからね、現くんとは」
「え、そうなんですか?」
 真湖が振り向くと。
「まあ、たしかに、そういう約束だったわね。でも、Nコンの時も手伝ってはくれるんだったわよね?」
「ボクもいろいろと忙しいんでね。約束はできないけど、検討はしてみるよ。現くんのたってのお願いということだったらね」
 と、神宮は現にウインクしたが、現は躱した。
「えー、でも、せっかく一緒に歌ったじゃないですかー。一緒にやりましょうよー」
 神宮の裾をつかんだまま真湖はイヤイヤした。
「女の子を困らせるなんて、なんて、罪な男なんだろうね、ボクは」
 しかし、神宮は動じる様子もなく、そう言い、音楽室の空気を一瞬どんよりさせた。
「神宮先輩入ってくれないと、真湖困っちゃう!」
 しかし、さらにノリを間違えた真湖のせいで、さらに音楽室の空気は淀んだ。
「神宮先輩、なにか他の部活やるんですか?」
 乃愛琉が見かねて口を挟んだ。神宮の目が一瞬瞬いた。
「いや。でも、こう見えてもね、ボクは今年受験生なんだよね。勉学は学生の本分だしね。とは言っても、前にも言ったけど、君たちが、どーーーーしてもっていうなら、入部、考えないでもないんだけどね」
 神宮は深く深く伸ばした口調で言った。どう見ても演技である。
「どうしたら、考えてもらえるんですか?」
 やっぱり苦手だこの人と思いつつ、真湖のことを思うとつい口出ししてしまう。
「そうだねー」
 と、神宮は顎に手を当てて、なにやら考え込んでから、
「現くんにデートでもしてもらおうかなー。ああ、君でもいいけど。なんてね。冗談冗談」
 と、手をひらひらした。
「現先輩はダメです、カレシいますから。わたしならいいですよ」
「へぇ、いいのかい?」
「デートしたら、入部してくれるんですか?」
「まあ、考えても……」
「考えるだけならダメです。デートしたら、入部してください」
「はい、はい、わかったよ。じゃ、そうしようか」
「ダメに決まってるでしょ、そんなこと。人の弱みにつけ込んで。そんなんで入部するってなら、わたしがお断りよ」
 さすがに現が放ってはおかなかった。
「そーよ、そーよ」
 真湖が尻馬に乗る。
「別におつきあいするてわけじゃないですし。わたしから神宮先輩をデートに誘うってことではダメですか?」
「いや、そういう問題じゃなくって」
 毅然と反論する乃愛琉に現はたじろいだ。こんな子だったっけと。
「うん、わかった。合歓くんだったっけ、気に入った。君、かわいいだけじゃないね」
 そう言うと、神宮はまたさっきの机に戻って、さらさらを自分の名前をクラスを書いて、現に渡した。
「じゃ、入部よろしく。どっちにしてもね、今日は用事があるので、先に帰らせてもらいますね、部長?」
 受け取った現は苦虫を潰したような顔をした。そのまま黙って神宮が出て行くのを見送った。
「ちょっと、乃愛琉、何考えてるの?」
 真湖が詰問する。
「別にいいじゃない? 一度デートってものしてみたかったのもあるしね」
 珍しく真湖に反抗するような言い方をした。
「いや、だって……」
「だから、神宮入れるの反対だったんだよな」
「だけど、仕方ないって言って、蒼斗(ひろと)だって最後までは反対しなかったじゃん」
「もう、この話はやめませんか?神宮先輩は入部されたんだし。わたしがそれでどうするかとかは合唱部とはもう関係ないですから」
 これ以上部屋の雰囲気が悪化するのを、乃愛琉は必死で止めようとしているのだった。
「わ、分かったわ。じゃあ、みんな、入部届けに記入終わったらわたしのとこに持って来て」
 そうした乃愛琉の気持ちを読んでか、現がそう言うと他の部員も口出しをやめた。真湖もまだ言い足りないことがあったが、今はやめておくことにした。
 順々に入部届が集まり、全部で21枚が揃った。これが復活合唱部の最初のメンバーである。
「じゃあ、早速行ってくるね」
 そう言って、現と栗花落は向かいの職員室へと出て行った。
「うちの子、本当にいいですか? よろしくお願いしますね」
 現たちが職員室に向かった後も、櫻の母は部員達にペコペコと頭を下げていた。どうやら全員に挨拶するつもりらしい。当の本人は、すっかり気に入ったと見えて、真湖にべったりくっついていた。
 櫻の前でさっきの話を蒸し返すのもなんだと思い、真湖は櫻に問いかけた
「櫻ちゃんって、どんな歌が好きなの?」
「んと……」
 櫻は少し考えてから、
「お歌なら、なんでも……好き」
「そ、そう? じゃあ、最近で一番好きな歌は?」
「さい……きん?」
「そ、今、櫻ちゃんが一番好きな歌」
「こーか」
 と言ったかと思うと、またさっきのように校歌を奏で始めた。
「あ、すみませんね、気に入ると何度でも歌い出すんです」
 櫻の母が恐縮そうに言った。
「いえ、あたし、櫻ちゃんの歌が好きですから」
「す……き?」
 ふと、櫻の歌が止まった。
「ん?」
「まこ、さくらの……うた……すき?」
「もちろんだよ、さっきも、いまのも大好きだよ。櫻ちゃん、上手だもん」
「あり、がと」
 櫻はモジモジして、ふと真湖から離れて、母の元に戻った。
「……」
 戻ると、櫻は愛とこそこそ話を始めた。
「あー、何話してんのかなー、バカじゃんあいつとか言ってんのかなー」
「そんなこと言ってるわけないじゃない」
 不安げに呟く真湖に、乃愛琉がそう諭した。真湖と櫻、お互いに遠くで見つめ合いながら友人とささやき会話を続けるという奇妙な風景がしばらく続いた。
「出してきたよー!」
 そんな時に、威勢良く現が教室に戻ってきた。
「受理されたんですか?」
 すぐに如月が食いついた。
「もっちろん」
 如月バリに現がVサイン。
「やったー!」
 音楽室中が大騒ぎになった。
「良かったね」
「やったね」
「よろしくな!」
 それぞれに感激の声を上げた。特に真湖は涙ながらに現に抱きついた。
「先輩ありがとうございます! ありがとうございます!」
「煌輝さん、よかったね。これからも頑張ろうね」
 二人は抱き合いながら、喜びを分かち合った。横で栗花落と乃愛琉が二人を温かい目で見つめた。今回の出来事で一番苦労したのは現だったはず。おかげで真湖はようやく夢の一歩を踏み出せたのだ。
 ただ、帰ってきた栗花落の表情が冴えないことに乃愛琉はなんとなく気がついていた。

「一緒に帰ろうぜー」
 真湖、乃愛琉と翔に声を掛けてきたのは同じクラスの小林だった。
「あれ、小林くんたちって、同じ方向だったっけ?」
 小林は美馬と一緒に玄関を出たところだった。
「方向は違うけどさ、すぐそこまで一緒じゃん。同じクラスなんだし、部活も一緒になったんだから、いいじゃん、一緒に出ても」
 確かに、小林の言うとおり、どの方向に家があったとしても、校門から大通りに出るまでは一本道で皆同じ道を辿ることになるのだ。
「小林くんたちって、西小? 北小?」
「残念、陽光小でした」
 陽光小は西北よりもっと遠い地域にあり、田園風景の広がるところだった。両方向を丘に囲まれているので、中学は西光中なのだが、直線距離としては、どの小学校より遠い。
「帰り時間かかりそう…」
 乃愛琉が言いかけたところに、小林が被せてきた。
「それよりさ、さっきの話さ、やっぱ、やめた方がいいんじゃね?」
 小林は、さきほどの乃愛琉と神宮のデートの件を言っているらしい。乃愛琉と二人きりになったら言い出そうと思っていた真湖は出し抜かれたかたちになった。
「もう、やめよう、その話」
「やめねぇよ。だって、合唱部のみんなのために、なんで合歓だけ一人犠牲になんなきゃなんねぇの?」
「犠牲とか、そんなことないし。だから、これ、わたしの話だから。いいでしょ」
「よくないって」
 小林が乃愛琉の手首に手を掛けた時、真湖が口を挟んだ。
「乃愛琉……。そ、そうだ、じゃあ、あたしも行くよ!」
「え?」
「だって、なんだっけ、ダブルデートとかってあるじゃん。あれなら、二人きりじゃなくても、デートはデートでしょ? なら、いいんじゃない?」
「な、何言ってんの。だとしても、真湖ちゃんは誰と行くのよ?」
 乃愛琉の脳裏には一瞬阿修羅の顔が浮かんだのだが。
「あ、それは……」
 しかし、真湖は即答できずに狼狽えた。
「ボクが一緒に行くよ?」
 早速翔が立候補。
「ちょ、待てよ、エンリコ、そこで出るか?」
 何かもの言いたげに小林が文句を言った。
 そこに、
「ダメだよ! そんなの、ダメだよ!」
 今まで黙って着いてきた、美馬が大声を出した。
「好きでもない人とデートとか、おかしいよ。ダメだよ!」
 普段大人しい美馬が叫んだことで、皆一瞬止まった。けれど、美馬から次の台詞が出ることはなく。
「で、でも、好きかどうか分からないし。べ、べつに嫌いってわけでもないし……」
 乃愛琉が言い訳じみた口調で言った。むしろ、乃愛琉にとっては神宮は苦手なタイプで、好きな方でなないことは確かなのである。
「じゃあ、好きなの? あの神宮って先輩が好きなの?」
 美馬は乃愛琉に迫った。乃愛琉もその勢いにタジタジになる。
「あ……ごめん」
 急に我を思い出したかのように、美馬はいつもの表情に戻った。
「ごめん、帰る……」
 それだけ言って、美馬は校門から出て、表通りに駆けて行った。
「おい、待てよ!」
 小林は追いかけようとして、思いとどまった。それから、また振り返って、美馬に聞こえないように気遣ったのか、小さい声で、
「ごめん、美馬さ、合歓のこと、好きらしいんだ。それで、あんな……」
 謝るようにして、小林がそう言った。
「え……?」
 乃愛琉は一瞬硬直した。そんなこととは露知らずあんな言い方を。
「あ、今の、俺が言わなかったことにしてくれないか? 美馬も、俺には何も言ってないし。ただ、俺が気がついたっていうか。悪い」
「うん。分かった」
 乃愛琉もかなり動揺していた。そう言うのが関の山で。
「それに、俺も……さ」
 急に小林の滑舌が悪くなった。
「俺、も。なにさ?」
 翔がツッこんだ。
「いや、なに……その、エンリコも、人が悪いやつだな……あのな……」
 それに、小林が紅くなって、翔の耳元に内緒話をした。
「そっかー! 小林くんも真湖ちゃんが好きなんだね!」
「こらー!エンリコ、それじゃあ、内緒話の意味ねーじゃねぇか!」
 小林は、翔の首根っこを腕でがっしりと捕まえて、ネックホールドの体勢。
「ちょ……」
 今度は真湖が紅くなった。
「そ、そっかー、じゃあ、またライバル増えたね!」
 翔は小林にがっしりと掴まれたまま、そう言った。
「また?」
 小林の力が少し抜けた。
「あれ? 知らないの? 真湖ちゃん人気あるんだよ」
「誰よ?」
「剣藤阿修羅」
「ちょ、エンリコくん! あっしゅは違うって!」
 慌てて真湖は否定した。
「え、剣藤って、野球部の? あれが、煌輝の? うわー。マジー? 強敵ー!」
 小林は冗談とも本気ともつかない言い方をした。
「違うって、違うって。あっしゅはただのお隣さんだし!」
 真湖は両手をブンブン振って、全力で否定しようとする。その反応で小林も悟ったらしい。
「そっかー」
「でも、いいんじゃなーい。みんな真湖ちゃん好きなんだし。オープンでいこうよ? 人を好きになるって素晴らしいことじゃないか。何故隠すことがあるんだい?」
 翔は軽くそう言った。
「もう、なに言っての、本当にもう! オープンとか、もうやめてよね。告白って、そんな簡単にするもんじゃないでしょ?」
 美馬の乃愛琉への想いが小林からバラされたかと思うのと、今度は真湖へ、小林からの激白だったり。乃愛琉も真湖も心の中で右往左往していた。
「まあ、とにかくさ、そんなことだから、今の美馬のことは多目にみてやってくれないか?」
「で、でもさ! それって……」
 真湖がいきなり冷静になった。
「つまり、乃愛琉に気があったから、合唱部に入ろうとしたってこと? 下心あったってこと? それじゃあ、神宮先輩のこと言えないじゃない?」
「そんなんじゃねーよ。俺たち確かに歌は好きだし。ただ、そこにおまえ達がタマタマいただけって話だよ。バカにすんなよな。じゃ、俺、美馬追っかけるから。したっけ、明日」
 そう言って、小林は美馬の後を追いかけた。
「なんなの一体?」
「小林も素直じゃないなー。じゃ、ボクも空気読んで先に帰るね」
 そう言って、翔も小林を追いかけるようにして大通りを先に曲がって行った。
 すっかり、ドタバタの中に取り残された真湖と乃愛琉だった。

 そんな風に真湖たちが甘い春の入り口を経験している時、石見沢西光中学校の職員室は重苦しい雰囲気に包まれていた。
 黒板に書かれた議題は「合唱部の創部について」だった。

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