2013年8月13日火曜日

「竹取の」第29夜<残月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 太古の昔。ある男の神と女の神が恋に落ちた。男神の名をアメツチノオオワカミコといい、月の神であるツクヨミの子にして、月の王。女神の名をコノハナサクヤヒメといい、オオヤマミツの娘にして、葦原中国一の美貌をもつ者として高天原でも有名であった。オオヤマミツはそれを知って、姉のイワナガヒメと妹を月に嫁つがせる約束をした。アメツチノオオワカミコはツクヨミが月(天)と地を繋げる者として育てあげ、いずれは葦原中国をも統べるつもりでいた。しかし、天津のアマテラスが先に葦原中国を平定してしまったため、太陽が昼を司り、月がより黄泉に近い夜を司ることになってしまった。オオヤマミツは天津国の勢いを感じ、ツクヨミとの約束を破棄し、娘を見初めた天孫ニニギに姉も含めて差し出した。ところが、ニニギは姉のイワナガヒメが醜いことを理由に、オオヤマミツに差し戻した。オオヤマミツは、イワナガヒメの子は永年の寿命を享受できるであろうと申し出たが、ニニギは耳を貸さなかった。そこでオオヤマミツは婚約を破棄したアメツチノオオワカミコにイワナガヒメを再度差し出し、ツクヨミはそれを受諾した。
 コノハナサクヤヒメがニニギに嫁ぐ夜、人に隠れてサクヤヒメとアメツチ王は天の川で逢瀬した。親の勝手によって引き裂かれてしまった二人は、いつかまたどこかで巡り逢うことを信じて契りを交わした。しかし、その逢瀬は姉のイワナガヒメに見られていたのであった。サクヤヒメとニニギの婚儀の日、同じく月ではアメツチとイワナガヒメの婚礼の儀が執り行われた。誓いの儀を終えたイワナガヒメは初夜の伽の際にサクヤ姫との逢瀬についてアメツチ王に釈明を求めた。しかしアメツチは頑として答えることをしなかった。怒り狂ったイワナガヒメはアメツチ王に呪いをかけ、過去の記憶を消し、従者としてその位を落とした。それを知ったツクヨミはイワナガヒメを問責した。イワナガヒメは二人の「罪」について訴えたが、ツクヨミはそれを受け入れず、イワナガヒメを日本一高い山に封印した。それが富士山である。しかし、ツクヨミでさえ、従者に落とされたアメツチ王の呪い解くことができず、以来月に王が不在となる。
 時を同じくして、ニニギに嫁いだサクヤヒメは伽の翌日に子を孕んだ。ニニギはそれを怪しんだが、サクヤヒメは産屋に火を放って子を産み、その嫌疑を払った。しかしニニギはそれ以降もサクヤヒメを信用せず富士の麓に追いやってしまったのだった。富士山の麓に辿り着いたサクヤヒメはイワナガヒメの呪いに逢い、姫の記憶は封印され各地に飛ばされてしまった。
 それから何千年もの時の間ツクヨミはアメツチ王の呪いを解く方法を探していたが、どうやらそれはサクヤヒメとの関係ではないかと気づく。そこでツクヨミはサクヤ姫の魂を月に復活させ、イワナガヒメの言う「罪」を質すべく、竹の娘として地に落とし試練を与えた。成人した竹取の娘を迎える従者として、アメツチ王を向かわせてもみたが王の記憶は戻ることはなかった。その代わりに月に去る二人を目撃したイワナガヒメは嫉妬のあまり、富士山を噴火させたのである。ツクヨミはアメツチ王の記憶を取り戻すために何度もその試みを続けたが、何度やっても同じ結果にしかならず、結局は失敗に終わってしまう。その試みをする度に悲しい思いをすることになったサクヤヒメはアメツチ王に見つけ出されぬよう、地味に普通に生きていけるよう深く思った。その思いが作り上げたのが竹泉瑠璃という、別人格であり別の魂であった。サクヤヒメは自らを繭の中に封印しわたしの中に隠れた。

 だからわたしはサクヤヒメであり、サクヤヒメではない。サクヤヒメはわたしであって、わたしではない。

「ボクが月の王?」
 人の姿をしたアメツチ(姿は亮くん)が脱力したように膝をついた。
「姉上、イザナギ、イザナミに誓って申し上げます。確かにかつては王とわたしは愛し合った仲ではございますし、あの夜わたしたちは人を忍んで逢瀬をいたしましたが、一切の過ちはございません。親の勝手によって引き離された身とはいえ、神として恥じる行いはできませぬ。王を信じてください。そして、あなたの実の妹のことを。
 王にはいつかあの償いはしたいとは思ってはおります。いえ、だからこそわたしはここまで我慢できたのかも知れませぬ。この何千年もの間、何故かは分からないまま試練と思って耐えて参りました。しかし、全ての記憶を思い出した今となって思うのです。わたしだけではなく、わたしたち三人の単なる誤解が原因でこの地上の人々を苦しめることがあっていいのかと」
 イワナガヒメ(姿はちいちゃん)は、その場に伏したまま、きっとサクヤヒメ(姿はわたし)を睨み付け、
「そんなことはとうに分かっている! しかし、わたしはニニギノミコトが憎かった。そしてその子孫達も憎い。憎んでも憎みきれない。だから知っているのだ、全ては八つ当たりであると。ふたりに何もなかったことも薄々は知っていた。けれど、王はわたしの叱責に答えてはくれなんだ。あの時、わたしの言を否定してくれれば、どんなに楽であったか! しかし、それはわたしの我が儘であったことは自分でも分かっているのだ。こんな醜い者を愛してくれる者はいないということは、もうずっと前から……」
 イワナガヒメはそう言って号泣した。それを見て、アメツチ王は立ち上がりそっとイワナガヒメのそばに寄った。
「姫。姿はその人そのものではございませぬ。いつわたしがあなたのことを愛しておらぬと申しました? 確かにサクヤヒメとはご縁がありませんでしたが、それがあなたを愛さぬ理由にはなりません」
「王……思い出されたのですか?」
「姉上がため込んでいた気持ちを全て吐きだしたせいでございましょう」
 姉に向かってサクヤヒメが優しく呟いた。アメツチ王はそれに同意するように頷いた。
「王……。わたしを許してくれるのですか?」
 イワナガヒメは、アメツチ王にしなだれて、泣き崩れた。
「もちろんです」
 永く永く止まっていた時間がようやく動き出した瞬間だった。ようやくこの神達の神話が終わった、いや、それは新しい神話の始まりなのかも知れない。
「イワナガヒメ。わたしはあなたの心の裡を知っておりました。だからこそあなたがわたしに呪いをかけた時もそれを甘んじてお受けいたしました。それはいつかあなたの怒りや無念が解ける日が来るまで待とうと決心したからでありますよ」
「それを知ってでおいででしたと?」
「確かに婚儀の前夜わたしがサクヤ姫と逢ったのは事実でしたが、後ろめたいことはありませんでした。しかしあの時わたしがどんな申し開きをしようと、あなたはわたしを許すことはなかったでしょう。そして、ニニギノミコトによって傷つけられたあなたの心を癒すにはそれ相応の時間が必要だろうとわたしは思ったのです。さすがにここまで長い刻が必要だったとはわたしも思ってはおりませんでしたが」
「なんと……」
 イワナガヒメは目を見開いた。
「最初からわたしのことを見透かされておいででしたか……わたしは自分のことを恥ずかしく思います。わたしは姿だけではなく心も醜い外道として身を堕としてしまったのですね……」
「そんなことはありませぬ。ご覧なさい。月に照らされた貴女の今のお姿を」
 アメツチ王はイワナガヒメを抱き起こし、富士山の方向を指さした。それは、月明かりに照らされた富士山の姿であった。それは、まさに世界遺産登録を前にした絶景であり、世界も認める美しさであった。
「お顔を上げなさいませ。姿の美しさだけで言えば、今の貴女のお姿は葦原中国一でございます」
「わたしを美しいと仰っていただけると!?」
「はい。しかし、今の姫のお心ではわたしは貴女を愛することはできないでしょう。妹君をお許しなさいませ。そして、ニニギノミコトの子孫達もお許しなさいませ。その許しがあれば、きっとツキヨミはあなたをも許すでしょう」
「わかりました。ここまで待っていただいた、王を裏切るようなことはできますまい。
 サクヤ。わたしはあなたを信じましょう。あの夜二人には何もなかったことを。
 そして、あなたの姉を許しておくれ。たった一人の妹のことを信じられなかったこの姉を。そして、あなたに嫉妬してしまったこの姉のことを」
「もちろんですわ、姉上。そして、わたしの夫であるニニギノミコト、そしてその子孫達のこともお許しください」
「そうですね。わたしは皆を許します。そして、皆に許しを請うでしょう」
 二人は手に手をとって、お互いの積年の想いを解放した。イワナガ姫を包んでいたドス黒い障気のようなものがどんどんと晴れていくようだった。「お互いを許し合う」という心の和解が神にとってもどんなにか難しいことだったのか。
 サクヤ姫は姉の手を離し、再びアメツチ王の方へと導いた。
「月の王、アメツチノオオワカミコよ、わたしの悪行がこの程度で許されるとは思っておりませぬ。しかしできることでしたら、わたしのことを許してほしい。刻を戻すことは叶いますまいが、また一からやり直させてはいただけませぬか?」
 アメツチ王は、イワナガ姫の手を取り、優しく微笑んだ。
「はい。また一からやり直しましょう。わたしはすぐに月に戻り、ツキヨミを説得いたしましょう。どんなに時間がかかったとしても、あなたを再び月にお連れいたします」
 イワナガ姫はアメツチ王の元にしなだれて号泣した。
 号泣するイワナガヒメ(姿はちいちゃん)を抱き起こし、アメツチ王(姿は亮くん)は抱きしめた。
 (ぎゃー!)
 わたしはそれを直視できなかった。……はずなのに、サクヤ姫はこの二人を微笑ましく眺めている。だからわたしの視界にも入ってしまう。わたしは心の中で絶叫をあげるしかできなかった。
「姫、もう泣きなさるな。その度に地が騒いでしまう」
 それから、アメツチ王(姿は亮くん)は両の手でイワナガヒメ(姿はちいちゃん)の頬に流れる涙を拭い、

 口づけをした。

 

 そこからわたしの記憶は途切れた。



 次に気がついたのは、先生の別荘のベッドの上。傍らにはちいちゃんが座っていた。
「瑠璃ちゃん、気がついた?」
 ちいちゃんは心配そうにわたしを覗き込んだ。外はまだ真っ暗だった。
「今、何時?」
「ん? 二時くらいかなー? 瑠璃ちゃんが起きなかったら、わたしも寝ちゃおうかなーって思ってたとこ。多分サクヤ姫に憑依されてて疲れただけじゃないかって、浦城先生が言ってたー」
 口調はいつものちいちゃんに戻っていた。
「で、どうなったの?」
 ベッドに起き上がって、わたしはちいちゃんに気になったことを聞いた。彼らはどうなったのだろうか。
「んー。わたしもよく分かんないんだけどー、ふたりともそれぞれのところに戻ったみたい。あれから地震もなくなったよ」
 ふたり?
「ちいちゃんは、どこからどこまで覚えているの?」
 ちょっと心配になって聞いてみた。
「ん? おイワちゃんが入ってから? あとは全然覚えてないなー。気がついたら、先生の車の中だったし。全部終わったって言われただけだし。詳しくは明日の朝説明してくれるって、先生がー」
 わたしはため息をついた。ほっとした。ちいちゃんの場合、憑依されている間の意識はなかったらしい。『ふたり』ということは、亮くんがアメツチに憑依されたことは知らないということみたいだし。わたしは胸をなで下ろした。どうしてわたしは安心したのんだろう? と、わたしは改めて思い出す。
「あ……」
 アメツチ王(姿は亮くん)とイワナガヒメ(姿はちいちゃん)が口づけをするシーンをはっきりくっきりと思い出した。
「ん? どうしたの? 瑠璃ちゃん?」
 ちいちゃんが心配そうに訊いた。
「ううん、なんでもないなんでもないの」
 わたしは必死に誤魔化そうとした。顔が火照るのが分かった。ちいちゃんがあの時のことを覚えていないことを認識した時に安堵したということは、つまりどういうことなのだろう? 憑依された二人が意志とは関係なくそういう行為に及んだことに対して、知らない方がいいと思ったのだろうか。それとも、嫉妬……なのだろうか。わたしは自分自身が恥ずかしかった。ちいちゃんは亮くんのことが好き。だけどわたしが亮くんを好きなのを知っているから、わたしたちが相思相愛であることが嬉しいと言ってくれた。翻って、わたしはちいちゃんと亮くんが口づけしているのを見て発狂しそうになった。二人はただ神様に憑依されていただけだというのに。こんなに心が広いちいちゃんと、心の狭いわたし。わたしは自責の念にとらわれた。
「そう? 瑠璃ちゃん、また寝られそう?」
「うん、大丈夫だと思う」
 と言ったのはいいけれど、さっきのシーンを思い出したせいで、なんだか目が冴えたような気もする。
「一緒に寝よっか?」
 昨日の夜と同じようにちいちゃんはそのまま私の隣に潜り込んできた。
「ここ数日、毎日がドキドキだったねー。でも、なんとか無事に終わってよかったね」
 ちいちゃんはなんとも感慨深くそう言った。
「わたしはもうドキドキどころじゃなかったよ-! もうこんなの二度とゴメンよー」
 わたしは少し冗談めかして言ったけれど、本気でこういう事件には二度と関わりたくはなかった。全部終わったと先生は言っていたらしい。となると、サクヤ姫ももうわたしの中にはいないのだろうか。できればそうであってほしいとは思う。
「そうね。瑠璃ちゃんは大変だったよね。頑張った、頑張ったー。いい子いい子ー」
 ちいちゃんはわたしの頭を撫で撫でしてくれた。こそばゆかったけれど、嬉しかった。
「わたしが瑠璃ちゃんの立場だったら、同じようにできなかったと思うよー」
「そ、そんなことないよ……わたしは何もできなかったし」
「ううん。多分わたしだったらあんなに我慢できなかったと思う。途中で放っちゃうよ。憑依されるって、あんなに大変だとは思わなかったもの」
 ちいちゃんも相当我慢していたんだ。
「その間何が起こったかは全然覚えてないけど、とにかく気持ち悪かったってことだけは覚えているのねー。なんていうかね、とにかくイヤなことばっかり思いついて」
「え? そうなの?」
 イワナガヒメの怒りや嫉妬、そんな感情がちいちゃんの心に逆流してきたのかも知れない。何千年にも及ぶ黒い感情はどれほどのものだったのだろうか。
「瑠璃ちゃん、ごめん」
「え? ど、どうしたの?」
 いきなりちいちゃんに謝られて驚いた。
「憑依されている間、わたし沢山のことを考えていたの。正直に言っちゃう」
「う、うん……」
 何を言われるのだろうかとわたしは身構えた。
「亮ちゃんのことね。わたしやっぱり好きなんだと思う」
 思いも寄らぬ言葉でわたしは一瞬目が泳いだと思う。ああ、やっぱり、という思いと、そんな昨日と言っていることが違うじゃない、という思いとが交錯した。
「ううん、好き『だった』かな。過去形なの。でも、その気持ちはまだ埋み火みたいに残っていて、それが悪い方へ悪い方へ考えが流れていって、どうしてわたしがこの気持ちを譲らなきゃならないのって、疑問になって、瑠璃ちゃんなんか大嫌いって思うようになって、でも、そんなこと言ったら、自分からそういうことを言ったんじゃないって、結局自分を責めることになって、もう収集つかなくなっちゃって」
 ちいちゃんがいつもとは違う口調でまくし立てた。イワナガヒメの気持ちがなんらかの形で影響しているのか、それとも、これが本来のちいちゃんの想いだったのだろうか。
「偽善者面してる自分が許せなくて。そんな気持ちが、逆に亮ちゃんも嫌い、瑠璃ちゃんも嫌いってなって。どんどん誰も嫌いになっちゃうの」
 そう言ったかと思うと、ちいちゃんがブルブルと震え始めた。わたしはちいちゃんの手をとって握りしめた。
「でもね、その気持ちを抑えてくれたのが亮ちゃんだったの。夢見てたのかな? 大丈夫だよって言ってくれた。それから、瑠璃ちゃんも出てきてね。二人して、大丈夫だよ、大丈夫だよって」
 急に震えが収まった。わたしはついに、それは夢じゃないの、本当にあったことなんだからとは言えなかった。
「で、結局わたしは三人でいることが一番居心地がいいんだって気がついたの。だから、この関係が崩れることが一番怖かったんだって。
 でもね、一瞬でも瑠璃ちゃんのこと嫌いになった、ってことを本当に謝りたかったの」
 なんて素敵な娘なのだろう。確かにイワナガヒメの影響で一時的に暗い感情に囚われてしまったのだろうけれど、それを正直にわたしに話してくれて、それでいて結果的に全てをはねのけてしまったのだから。
「そんなことない。そんなことない。わたしだって、ちいちゃんのこと嫉妬したり、何度もしたもの。お互い様だよ」
 お互い親友として付き合ってきたけれど、ここまで腹を割って話したことはなかったかも知れない。
「そうなの?」
「そうだよ。だって、二人で話している時なんて、まるで夫婦みたいに、あうんの呼吸だし、わたしなんて間に入れる隙間ないなんて思ってたし」
「夫婦みたい……だなんて。でも確かにそうかも。わたしって、亮ちゃんの近くに居すぎたのかも。だから恋愛感情にならなかったんだと思う。亮ちゃんも同じなんじゃないかなー」
 ちいちゃんはくすっと笑った。
「だから、昨日の夜ここでちいちゃんに、嬉しいって言われて、正直ホッとしたのよ。だけど、やっぱり本当かなって思ったりしてるわたしがなんかイヤだったの。でも、今、ちいちゃんの本当の気持ち聞けた気がしてる」
「あははー。ぶっちゃけちゃったもんねー」
 大笑いするちいちゃんにわたしももらい笑いした。もうちいちゃんの手は震えてはいなかった。
「あー、でもこれですっきりしたー」
 破顔するちいちゃんにわたしは和んだ。

(作曲:てけさん)

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