2013年8月12日月曜日

「竹取の」第28夜<二十八夜>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

「今度のは大きいぞ!」
 浦城先生が叫んだ。わたしたちもすぐさまテーブルの下に隠れる。さすがに今度は美貴さんもキッチンで小さな叫び声を上げた。食器が大きな音を立ててガチャガチャいった。
「富士山が噴煙を上げてます!」
 皆は激しい揺れに耐えながら、亮くんが指差した先を見た。夕日に照らされ、赤く染められた富士の山頂近くから細くはあるけれど、黒煙がたなびているのが見えた。その風景はまるで怒りに満ちた岩神姫がわたしたちに何かを訴えかけようとしているかのようだった。
「姫、これからどうすればいいんですか?」
 揺れが収まると、先生は姫にそう尋ねた。揺れは激しかったけれど、時間としては長くはなかった。
「姉上を鎮めなければなりません。裏浅間大社に向かってはいただけませんか? 富士殿に助力を求めなければなりません。恐らく信嗣さんの肉体は滅びてしまってはいるでしょうが、その魂の存在が大社の方向に感じられます」
「信嗣さんの魂があそこにあると? しかし、あの人は姫を襲おうとしたのですよ?」
「それも、本当のことを全て理解すれば必ず味方となりましょう。あの方はわたしの使徒でもあるわけですから」
「まあ、確かに。……分かりました。では、すぐに向かいましょう。段逆くんと、茅衣子ちゃんはここで美貴さんと一緒に待っていてくれ」
「いえ、俺も行きます!」
「わたしも!」
「しかし、キミたちをこれ以上危険な目に遭わせるわけには……」
 先生は珍しく躊躇した。
「俺は……その……竹泉と約束したんです。『必ず護る』って。……それに、先生一人では何かと不便なはずです。絶対に足手まといにならないうようにしますから」
「瑠璃ちゃんはわたしの親友です。わたしも必ず一緒にいます! 絶対着いて行きます!」
 わたしの心は感涙に咽んだ。もしこの時体が言うことをきいていれば、絶対泣いたと思う。何より亮くんの思いが嬉しかった。
「いいお友達をお持ちね、瑠璃さん……」
 そんな二人を見て、姫はそう呟いた。それを聞いて、先生は仕方ないなという顔をした。
「二人とも若いというか、青いな……。まあいい、分かった。けれど、二人はけっして無理はしないこと。特に段逆くんは昨日みたいな無茶はしないと約束してくれ」
「わかりました」
「はーい! よかった。ね、瑠璃ちゃん?」
 ちいちゃんは姫に向かってそう言った。わたしは返事したかったけれど、できなくてもどかしかった。
「瑠璃さんも喜んでますよ? ちいさん」
 姫はそう言って、ちいちゃんに微笑んだ。

 裏浅間大社は想像以上にひどい有様だった。元々が廃墟であったとは言え、残った残骸はほぼ瓦礫となり、元々の姿は見る影もなかった。大社だけではなく、その周りに多い茂っていた草木も悉くなぎ倒され、昨夜の争いがいかに激しかったかを物語っていた。唯一そこに大社があった痕跡としては、粉々になった木々や木っ端だけであった。それも大半は吹き飛ばされたのか、てんでバラバラになっていたのだけれど、その中に元は鳥居であったであろう部分が手前に落ちていて、それを目印になんとか裏大社を探し当てたところだった。日はかなり沈みかけていて、場所の特定に時間がかかったのもある。その間もひっきりなしに大小の地響きと揺れがわたしたちを襲った。
 姫は大社があったはずの場所に向かって膝を折り祈り始めた。三人とわたしは黙ってその様子を見ていた。
「歌? もしくは祝詞のようなものでしょうか?」
 亮くんは姫の口から奏でられる美しい旋律を耳にしてそう言った」
「そうだな。けれど、ボクも聞いたことのない言葉だ。これが神の歌なのかも知れないな」
 しばらく姫が祈りを続けると、地面からぽぅっと鬼火が現れた。昨日の夜見た、信嗣さんの光と同じだった。その火の玉はやがて地面に広がり、今度は縦に伸びていく。ちょうどわたしたちと同じくらいの大きさになると、人の形になった。それは、まるでホログラムのような透明な姿で、信嗣さん式神と同じ、若い男の姿だった。
「姫、お目覚めでございますか。昨夜は大変失礼をいたしました」
「いえ、使徒とは言え300年もの長い間ご苦労であった。今宵は何千年も続いたこの悲しい宿命を終わらせる。手伝ってはくれまいか?」
 二人は主と従者との関係がはっきり分かる立ち位置で相対峙した。信嗣さんは片膝を折り頭を垂れた。姫は立ち上がりそれに応えた。
「もったいないお言葉を。富士を鎮めるためでしたら、この身が滅びようとも、魂が黄泉の国に参ろうが、姫の御為に尽くす所存にございます」
「相すまぬ。では、姉上をここにお呼びすることはできるであろうか?」
「ここにでございますか? 寄り処がございますれば」
「寄り処が必要か……?」
「は、大社がこのような姿になってしまいました故。大変申し訳ございませぬ。大宮の大社に参りますれば、降臨も可能かとは存じますが」
「いや、それはそなたのせいではありませぬ。しかし、大宮まで行っている時間はありますまい」
 姫は少し困った顔をした。
「どうしたのですか?」
 姫の困った顔を見て、先生が訊いた。
「姉上を降臨させたかったのですが、この有様では無理らしいのです。それ以外の方法としては、人に降りてきてもらう必要があるというのです」
「人に降りて……つまり、誰かに憑依させるということですか?」
 姫は頷いた。
「じゃあ、わたしがー!」
 ちいちゃんが毅然とした態度で手を挙げた。
「いや、そんな訳にはいかない。ボクがやろう」
「いえ、先生はダメです。何かあったときに運転できる人がいなければなりませんから」
 亮くんの言葉にそれもそうだと先生は頷いた。
「では、お願いしてもよろしいですか?」
 ちいちゃんに向き合って、姫は最後の確認をした。ちいちゃんは多少への字口で大きく頭を縦に振った。両手は力強く握られていた。姫が信嗣さんに向かって目配せをすると、薄火に包まれた彼は一旦空に舞い上がったかと思うと、また舞い降りてきてちいちゃんを取り巻くようにその周りを回り始めた。その光の速度が上がっていくに従って、ちいちゃんの表情は変わっていった。力が篭っていた手が緩み、目を閉じた。火の玉が速度を緩め、また先程の位置に戻ったころには、ちいちゃんはまた目を開けた。
「お久しぶりでございます、イワナガの姉上」
 姫はその場に跪いた。
「何百年振りかの?」
「300年ほどでございます。しかしながら、サクヤとして全ての記憶を取り戻しての対面は数千年ぶりのはずでございます」
「そうか……。記憶の欠片を取りに奥宮まで参ったのか」
「はい、あのへこりぷたという天を舞う乗り物にて参りました。天の羽衣がなくても参ることができるようになるとは、時代も変わりましてございます」
 姫は平身低頭にて姉の憑依したちいちゃんに相対した。
「数千年を超えて、姉妹が再会を果たした場面に立ち会えるとは……」
 先生は興奮を抑えられないように呟いた。
「して、姉上。一つお伺いしたいことがございます」
 サクヤ姫が立ち上がって姉に目線を戻した。その顔は怒っているのか、若干憮然とした表情であった。
「何故わたしの記憶を封印なさったのですか? そして、月の王に呪いをかけましたね? 何故ですか?」
「そのようなこと、貴女の方がよく分かっておるではないか?」
「分かりませぬ!」
 まるでそれは、何世紀にも亘った姉妹喧嘩だった。
「ならば言おう。お主たちがわたしを謀ったからではないか。天孫と共にわたしを嘲り、そしてわたしの主たる王を誘惑し貶めた、貴女が憎かった! だから二人に永遠の苦行を与えたのです!」
「姉上!それは誤解でございます。サクヤは決して姉上を哂うことなどしませんでしたし、王を誘ったこともございません」
「嘘を申すな!」
 イワナガ姫はサクヤ姫の胸倉を捕まえて、その頬を平手打ちした。痛い。
「嘘ではございませぬ! 王に聞いてご覧なさいませ」
 サクヤ姫はそれでも動じなかった。わたしは泣きそうになったけれど。痛いのだけ共有されるとか酷い。ただ、その痛みから、イワナガ姫が本気で叩いたわけではないのはわたしにもとれた。つまり、イワナガ姫の懐疑は確証のあるものではなく、単に感情の縺れからこうなったのではないかと、わたしは直感的に感じた。
「王も同じことを仰せになられましたが、そんなことを信じられるわけもない!」
「では、ここに王を連れて参りましょう。長年の誤解を解くべき時が来たのです!」
「やめなされ! 王を覚ましてはならぬ!」
 イワナガ姫は胸元をさらに引いた。
「どうしてでございますか!?」
「それは……」
 一瞬イワナガ姫は口ごもった。
「いつまでも姉上が王を縛っていては何も変わりませぬ! それに、このままではわたしたちが諍いをするたびに葦原中原の者達は悲しい思いをするのですよ!」
 そう言うかと思うと、サクヤ姫はきっと、亮くんの方に顔を向け。
「お願いです、王の寄り処となってもらえませぬか?」
 亮くんは一瞬で意味を知ったらしく、すぐに頷いて、信嗣さんに向かって行った。信嗣さんも一つ会釈をすると、先程の儀式と同じく亮くんを光で包み込んだ。
「やめなさい!」
 イワナガ姫はサクヤ姫から手を離して亮くんの方に進もうとしたが、それをサクヤ姫が抱きついて止めた。そして儀式が終わるまで、サクヤ姫はものすごい力で姉を抱きしめた。わたしのどこにこんな力があったのかと思うほど。けれど、信嗣さんの儀式が終わりを告げる頃、サクヤ姫はその力を緩めた。それに呼応するかのように、イワナガ姫はその場に崩れた。
「王。お久しぶりでございます」
 サクヤ姫はその場に膝をついた。
「ここは……? 貴女はサクヤ姫なのでございますか? 王とは何のことでございますか? お戯れを。わたくしはアメツチにございます。貴女様の従者でございます。お直りください」
 どうしてアメツチ? わたしは一瞬混乱した。亮くん、いや、月の王に憑依された彼がサクヤ姫に手を差し伸べた。つまり、アメツチが月の王? え、一体どうなってるの?
 サクヤ姫は顔を上げると、懐かしいものを見るかのような表情をした。
「アメツチノオオワカミコ、月の王の魂を持つ者よ。今その呪いを解きましょう」
 そう言うと、サクヤ姫は右手を差し出した。その手から薄い光が発光し、やがて亮くんを包み込んだ。背後でイワナガ姫の叫び声が上がった。

(作曲:てけさん)

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