2013年8月9日金曜日

「竹取の」第25夜<二十五夜>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 翌日の朝、ちいちゃんとほぼ同時に起きたわたしは、まずカーテンを開けて外の天気の様子を見た。外は快晴で、朝から富士山が綺麗に見えた。
「ちいちゃん、富士山が綺麗だよ」
「ほんとだー!」
 わたしたちはふたり揃ってしばらく美しい山の形を堪能した。昨日寝る前にずっとわだかまっていた事をちいちゃんに全部話したおかげでわたしは何だかすっきりした気分だった。
「ちいちゃん、ありがとうね」
 わたしの口から自然に出てきた言葉はそれだった。
「うん」
 ちいちゃんはそれだけ返事して微笑んだ。それ以上は何も言わなくてもちいちゃんとはきちんと通じ合っているような気がした。それからゆっくりと着替えてリビングに向かう。リビングでは、浦城先生が電話をしながら、部屋の中をウロウロしていた。
「だから、頼むよ。そう、そう……。そう……、分かってるって。責任はこちらで取る。もちろん必要な物があるならそちらで用意してくれ。……もちろん。……そう、2倍でも3倍でも払うから。……頼んだよ。手間かけさせて申し訳ない。この埋め合わせはいつかするから。よろしくお願いいたします。じゃ」
 と、先生は電話を切ってわたしたちの方を向いて笑顔を見せた。
「やあ、おはよう。朝ご飯食べるかい?」
「おはようございます。……あ、はい」
「ミキさん、この二人の分もお願いします」
 と、先生は電話機を置きながら、台所に向かって言った。台所には、見知らぬ女性が立っていた。
「はい、かしこまりました。お二人はトーストと卵料理でよろしいですか?」
 先生よりずっと若い、ミキと呼ばれた女性はエプロン姿で、わたしたちにそう訊いた。年の頃は30代かその前後。美人の部類に入ると思われる、端正な顔立ちと清楚な雰囲気。奥様? というより、秘書に近いイメージ。
「ああ、ミキさんは、うちのお手伝いさんなんだ。今朝遅れて到着したんだ」
「そうなんですかー。お世話になっております、京茅衣子です。こっちは、竹泉瑠璃ちゃんでーす!」
「布畑美貴(ぬのはたみき)です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
 美貴さんは丁寧にお辞儀をした。さすが人気作家先生。お手伝いさんを雇ってるのか。しかも、美人で若い。秘書のイメージだったのは、そのせいもあった。
「お二人は、卵はどのような調理がお好みですか? あと、コーヒーと紅茶がございますが?」
「わたしはスクランブルでお願いしまーす。あと、紅茶で」
 ちいちゃんは元気に注文した。
「じゃあ、わたしは、目玉焼きでお願いします。コーヒーでお願いします」
「かしこまりました」
 美貴さんはフライパンを取り出して調理を始めた。パンはトースターに仕込まれた。
「とりあえず、ヘリの手配はしてみた。季節的に山頂は厳しいとは言われたけど、なんとかしてくれって頼んでる」
 マジにヘリコプターの手配してくれたらしい。わたしは面食らった。わたしは、ちいちゃんに肘突きして、小声で囁いた。
「ちょ、ちょっと、ちいちゃん……ヘリコプターって、一体いくらくらいするのかな?」
「さぁ? 亮ちゃんに訊いてみたら?」
「さっき、2倍とか3倍と言ってなかった?」
「言ってたわよね……」
 わたしたちは全く想像つかない状態。ただ、高いであろうということだけしか想像がつかない。
「富士山って、ヘリコプターで登れるもんなんですかー?」
「静岡に、それ専門でやってる航空会社があってね。知り合いのカメラマンが御用達なんだ。登れるのは間違いない。ただ、季節だとか、気象条件だとかによっては、ホバリングが難しいとか、着地が難しいとかがあるし、通常は何ヶ月も前から予約してチャーターするのが普通らしいんで、急遽となると難しいとは言われたんだがね。それで、今なんとかしてくれって、そのカメラマンに交渉を頼んでいるところだ」
「ぶっちゃけ、いくらくらいかかるんですかー?」
 うわー、ちいちゃん、それ聞いちゃう?
「通常のチャーターが200万円くらいらしいね。もちろん条件にもよるけれど」
 また、先生もさらりと言っちゃってくれる。それの3倍払うってことは……。
「あ、あの……わたし、そんなにお金出せませんが……」
 わたしは怖くなってきた。いくらなんでもそこまで世話になるわけにはいかない。けれど、わたしがそんなお金出せるわけもなく。
「心配しなくっていいよ。瑠璃ちゃんに出してもらおうなんて思ってないから」
「でも、そんな金額出してもらうわけには……」
「取材費だよ。……つまり、ボクもその現場を観てみたいし。昨日のアレだって、ボクの想像を遙かに超える現象だったからね。あんなものを見せてもらえるなら、いくらでも払う。いや……いくらでもは言い過ぎか」
「しゅ……ざいひですか……」
「そうだよ、ボクたちはプロだからね、どんな作品を書くにも、相当な費用をかけて取材や資料を集める。だからこそ、素人には書けないような大作を書けるんだ。ちょっと海外にロケハンしようものなら、ン千万なんてあっという間だよ。いい作品を書こうと思ったらね。沢山の人達に読んでもらうためには、それだけの投資も必要だってことだ。
 だからね、心配しなくてもいい。これはある意味、バーターだ。キミたちはボクにネタを提供してくれる。それにボクは取材費としてかかる経費を払う。ドゥー ユー アンダースタンド?」
 その時のわたしたちにはまだ理解できていなかったのだけれど、先生は先生なりに、わたしたちが負担に思わないようにとの配慮からの発言だった。ただ、その時のわたしはまだそこまでの理解力はなく、なんとも複雑な心境であった。つまり、最初のこの話をもちかけられた時と同じように、自分がネタにされるということに対する被害者意識が先行してしまっていた。かと言って、この問題を自分達では解決できないことは十分分かっていたので、異論を述べる隙間さえなかったのは確かであったのだけれど。
「わかりました。すみません、よろしくお願いいたします」
 わたしの言葉は少し棘があったかも知れないが、先生は全く気にしていない様子だった。
「おはようございます」
 遅れて亮くんがリビングにやってきた頃には、わたしたちの朝食が運ばれてきていた。
「亮くん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
 亮くんはあまり機嫌のよくない顔でそう言った。わたしはわたしで、昨夜ちいちゃんとの会話のこともあって、上手く顔を合わせることもできなかった。
「段逆くん。美貴さんが救急セット持ってきてくれたから、あとで包帯巻いてもらいなさい」
「ミキさん?」
「お手伝いさんなんだってー」
 ちいちゃんはいつも通りに振るまっていた。
「布畑美貴です。よろしくね」
 料理を載せた皿を運びながら、美貴さんはさっきと同じように亮くんに向かって丁寧にお辞儀をした。
「あ、段逆亮です。よろしくお願いします」
 亮くんは、少し驚いた様子で頭を下げた。それから亮くんはスクランブルエッグとコーヒーを頼んで、わたしたちと一緒に食卓に座った。ちょうどその頃電話が鳴って、先生はまた話を始めた。今度は短い返答で終わった。
「よし、なんとかチャーターできた。朝食を食べたら出かけるぞ」
「え? チャーターって……もしかして、ヘリですか?」
「そう。ヘリで富士山頂に登る。今日の天気であれば、なんとかいけそうだと。まあ、奮発もしたからな」
「マジですか。すごいな……」
「あ、但し、段逆くんと茅衣子ちゃんは、残念ながら飛行場で留守番だ」
「え……」
「山頂はまだ冠雪してるから、色々装備が必要らしい。急遽だったんで、その装備は2人分しか用意できないんだと。それに、段逆くんは、その怪我があるからね。無理は禁物。と言うわけだ」
「わかりました……」
 かかっている費用のことを考えると、わたしたちに異論を挟む余地はなかった。亮くんもおとなしくそれに従った。
「ごめんね、亮くん。わたしのせいで怪我したのに……」
「いや。気にすんな」
 と言いつつも、亮くんはとても残念そうではあった。

 朝食後、亮くんの処置も終わると、わたしたちはすぐに出発した。ヘリポートは静岡の郊外にあり、別荘からは高速道路で1時間半程度のところだった。
「先生、急に酷いっスよ。なんとかしましたけどね」
 そう言って迎えてくれたのは、郷多と名乗ったカメラマンだった。
「サンキュー助かるよ」
「どうしたんスか? こんな急に富士山だなんて?」
「急にね、インスピレーションが沸いたんだよ。今じゃなきゃダメなんだ」
「そうっスか。作家先生も大変ですね」
「まあね」
 若干嫌みが入っていると思われるカメラマンの言葉も、先生は気にしていない様子だった。
「で、どちらの方がお乗りになられるんですか?」
 ヘリ会社の人が聞いてきた。
「ボクと、この子が乗ります」
 と、先生はわたしを指さして言った。
「……え? えっと……未成年ですよね?」
 わたしは頷いた。
「そうなりますと、保護者の同意書が必要なんですが……」
「ボクの娘ですから。ボクが書きます」
「あ、そうですか。それは失礼しました。では、こちらで手続きをいたしますので、どうぞ」
 ヘリの係員が先導していく。先生は振り返って、わたしにウインクした。まあ、娘がいてもおかしくはないお年ですけど。
 先生と係員が事務所で受付を済ませている間に、他のスタッフらしき人がわたしに装備一式の説明を始めた。ほぼ雪山装備そのものの衣服と、かなりの重量のあるリュックを渡された。万が一ヘリが戻ってこられない、もしくは着陸した後に離陸ができない等の事態に備えてのことだという。
「念のため、自分も一緒に参りますので。ご安心を」
 と、そのスタッフが言った。彼も同じような装備をしていた。
 事務所から戻ってきた先生も同じような装備を渡された様子で、重そうにしながらこちらに戻ってきた。
「いやー、大層なことになってるな」
「万が一に備えてですから」
 スタッフの人が再度そう説明した。
「じゃあ、気をつけてねー!」
 ちいちゃんが両手を振ってわたしたちを見送った。亮くんはというと、出がけに先生から渡された、古代神話に関する分厚い資料を戻るまでに読んでおくようにと先生に言われていて、車の中で必死にその資料を読み込んでいた。
「じゃあ、行ってくるね」
 わたしは、先生とスタッフに着いて一緒にヘリコプターに乗り込んだ。人生初めてのヘリコプター搭乗だった。
 ヘリコプターは思ったより快適だった。ほとんど揺れないし、シートも広い。ただ、騒音が酷くて中ではほとんど会話はできない。ヘリは静岡上空を経由して富士山に向かった。上空に上がると、天気が良いせいもあってすぐに富士山の姿が見えた。
「普段はこんな天気のいい日はないんです! ただ、山頂はどうか分かりませんが」
 同乗したスタッフが叫び声をあげて、そう説明した。
 やがて、富士山がどんどんと近づいていく。山頂は説明の通り、雪がまだまだ積もっているのが分かる。富士山を真横から見ることができるのは滅多にないだろう。滅多にない貴重な時間なのだろうけれど、その時のわたしは緊張のあまりそんなことさえ考えられる余裕はなかった。富士山が近づいていくに従って、心臓の音が激しくなってきた。
 スタッフが心配していた山頂の天候状態は大変良く、ヘリは無事に山頂に到着した。わたしたちは、順次ヘリから降りた。何度かヘリが離着陸した形跡がある場所だった。足跡や物を運んだ跡も見える。雪は緩みかけてはいたが、そのおかげなのか、さほど雪に足をとられずに歩いて行けそうだった。
「珍しいです。こんなに無風に近い状態は滅多にないですよ」
 そのスタッフは驚いたようにそう言い、先の方を指差した。
「奥宮は許可なく入れないので、その辺までしか行けませんが。建物は、あれです。見えますか?」
 遠目にしか見えないけれど、雪に埋もれた建物が見えた。
「瑠璃ちゃん、わかるかい?」
 先生がわたしの傍らについて支えてくれた。それから二人で少し先の方に進んだ。スタッフとパイロットはその場に残った。
「はい、わかります。何故か、はっきりと」
 雪に埋もれているはずの建物が手に取るように分かった。これは姫の力のせいなのだろうか。
 と、わたしの手の中が急に暖かくなった。
「なんだ……?」
 手の平からぼうっと白い光が瞬き始めた。その光はどうやら奥宮の方から少しづつ集まって来ているようだ。
「何か、集まってきている?」
 光の元を見つめながら先生がそう呟いた。わたしたちはしばらくその様子を眺めていた。3分から5分くらい続いただろうか。その光がわたしの手の平いっぱいになった頃、急にわたしの口が勝手に動き出した。
「わたしが探していたのは月の王でした。今思い出しました」
「王……? 瑠璃ちゃん?」
 先生はびっくりした顔をした。声のトーンがわたしのものとは違うことに気がついたのだろうか。
「先生。ありがとうございます。これでわたしも全て記憶の欠片を拾い集めることができました。感謝いたします。これで十分です。戻りましょう」
「い、いいのかい?」
「はい。できれば急いでお戻りください。姉上がお起きになる前に」
「姉? ……もしかして、瑠璃ちゃんじゃないのか?」
 わたしは、自分が何を言っているのか分からなかった。そして、自分の言葉を並べようとしても、言葉にならない。まるで躯が別人に操られているかのようだった。
「はい。わたしは瑠璃さんではありません。……早くお戻りください。姉上がお起きになると、やっかいなことになります故」
「相分かった。すみません、すぐ出発できますか?」
 ヘリの横でわたしたちの様子を伺っていたスタッフとパイロットに向かって、先生が大声で叫んだ。すると、それに呼応するかのように周りで雪煙が舞い上がり始めた。それを見て二人は慌てた。
「すぐですか? もう良いんですか? 分かりました。すぐに準備します」
 パイロットが急ぎヘリに戻る。スタッフがわたしたちを誘導して、ヘリに乗せた。ローターが回り出す。風は勢いを増してきた。それはヘリの風圧によるものだけではなかった。
「風が出てきました! 少し揺れるかも知れませんから、しっかりつかまっててください!」
 スタッフが慌てて大声を出した。さっきまで無風だったはずなのに急に風が吹き出したのだ。慌ててもおかしくはない。ヘリは急上昇を始めた。ヘリは横風に大きく揺さぶられた。ローターの音がさっきとは全く異なる音になり、機体がギシギシ鳴った。計器のいくつかが赤いランプを灯していた。
「なんだこれは!?」
 パイロットもかなりの慌てている様子だった。
「これが、姉上の仕業なのか?」
 先生が私の耳元で叫んだ。
「多分、そうかと思います!」
 サクヤ姫はそう言った。先生にもそれは聞こえた様子。
 機体の異音はさらに激しさを増した。左右上下に揺さぶられ、わたしは吐き気を催してきた。
 計器がエラー音を発し始めた。パイロットが何か大きな叫び声を上げた。
 そして────────── 

(作曲:てけさん)

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