2013年8月6日火曜日

「竹取の」第22夜<二十二夜月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 幸いというか日頃の行いの所為なのか、晴天に恵まれ、遠くに富士山の雄姿が垣間見えた。こんなに間近で富士山を見るのは初めてだったかも知れない。普段から山間に住んでいるわたしたちからすれば、山を見るのは空気を吸うのと同じ意味で、逆に山のない風景は何か物足りないものを感じるくらい。けれども、富士山のある風景はまた違ったものだった。霊峰、富嶽とも呼ばれるその山は神秘的と言ってしまっては簡単すぎるくらい不思議な雰囲気を醸し出していた。わたしはしばらく富士山に見惚れていた。間もなく世界遺産に認定されるという話も聞くけれど、これは世界的にも価値ある自然遺産だとわたしにも確信がもてる。
 しばらく、富士山のパノラマを楽しんだ後、車は街中に入った。住宅街を抜けると、そのど真ん中に小さな森が出現した。
「ここが浅間大社だよ」
 『富士山本宮浅間大社』と書かれた石柱が立っていた。こんな住宅地の真ん中にあるんだ。富士山の麓と聞いていたので、もっと森林の深いとこにあるのかと思っていた。先生は車を駐車場に止めた。表参道に鎮座する大きな朱い鳥居の後ろに富士山が見える。確かに昔は森の中にあったのかも知れないなと想像できる風景だった。駐車場から参道にかけて、たくさんの観光客らしき人達がいた。
「ここが本宮になるんですね?」
「そうだね。本殿は徳川家康による造営らしい。そもそもこの大社の起源は第11代垂仁天皇の御代に祀られたのが最初ということになっているが、垂仁天皇自体存在が疑問視されているから、その辺はなんとも。最も史実に近いと言われているのは、坂上田村麻呂による造営だという話だ。ここに決めたのは富士山の神水が湧くからだそうだ。つまり、水の神様であるコノハナサクヤビメにふさわしい場所だとされたのだろうな」
 確かに大社の敷地の脇には湧き水によるものと思われる溜め池があった。透明度の高い、清らかな水が蕩々と湧き出ているようだ。
「建造は西暦806年、西暦800年に延暦大噴火があったから、それを鎮めるために建立されたとみるのが妥当かな」
 わたしたちは参道を一緒に歩いた。途中途中先生の解説が入りながら。
「それで、その富士信嗣という人は、確かにここの者だと言っていたんだよね?」
「はい、確かにそう言っていました」
 亮くんはそう言って頷いた。
「じゃあ、参拝した後、社務所で聞いてみよう。もし会えるようなら話を聞いてみたい」
「そうですね。ただ、気になるのは、富士氏というのは確かにここの大宮司の家系ではあるみたいなんですけど、第44代富士重本で途絶えているんですよね?」
「段逆くんも調べたんだね?そうらしい。だから、ボクもちょっと不思議に思ったんだ。ただ、もしかしかしたら傍系の者が残っているのかも知れない。とにかく聞いてみよう」
 わたしたちは本殿で揃って参拝をした。ここにコノハナサクヤビメが祀られているのか…。わたしは、わたしの中に眠る、サクヤヒメなのかかぐや姫なのか分からないけれど、その人達の為に祈った。
「瑠璃ちゃん、何か感じるかい?」
 参拝を終えて、本殿を離れると、先生はわたしにそう訊いた。
「いいえ。特には……」
 参拝の時にも特に異常は感じられなかった。あの儀式の後のような気持ち悪さなどは全く。
「そうか」
 先生は少し悩むような格好をした。それから皆で社務所に向かった。
「すみません。ちょっとお尋ねしたいのですが。こちらにフジノブオミさんという方はいらっしゃいますか?」
 社務所の受付の人は少し不思議そうな顔をしてから少しお待ち下さいと、奥の方に行き、しばらくして戻ってきてから、こちらにはそのような者はおりませんが、と丁寧に言った。
「いませんでしたね?」
「うむ……」
 亮くんと先生は残念そうで、狐につままれたような顔をした。
「あれは、嘘だったんでしょうか?」
「浅間神社も全国に沢山あるから、別の神社だったってことは?」
「浅間『大社』はここだけですよね? 確かに『たいしゃ』と言ってました。それに、彼が残した式神が『富士の麓にいる』って言ってましたし」
「そうなると、なんらかの理由でそういう嘘をつかなければならない事情があったとかなのか?」
「そう言えば、アメツチは、富士さんのことを『邪教』って呼んでましたよね-? 同じ神道なのに、邪教って言うのって変だなーと思ったんですけどー?」
 先生と亮くんの会話を聞きながら、ふと、ちいちゃんが思い出したかのように言った。確かに、邪教って言ってたわ。
「それは、月読の一族から見てっていう意味で言ったんじゃないのか? コノハナサクヤビメの一派と争いをしているって言ってたから」
「コノハナサクヤビメの祀られてる神社って、他にないのー?」
「あるけど、全部九州だ。富士の麓には浅間神社しかないよ」
「そう、コノハナサクヤビメは元々九州の一族、隼人の一族だったという説が有力だからね。古墳も宮崎にある」
「それがどうして富士山に祀られているんですかー?」
 わたしたちは参道を駐車場に向けて歩きながら検討を重ねた。主にちいちゃんが質問係のような感じになっているけれど。
「コノハナサクヤビメには、『火中出産』の伝説があってね、火の神とされていて、父親であるオオヤマツミから富士山を譲られたと言われている。ところが、この大社ではコノハナサクヤビメは水の神として、富士山を鎮める神として祀られている。実はここに矛盾があるんだが」
「『火中出産』の伝説ってなんですかー?」
「それはね、コノハナサクヤビメが天孫ニニギに嫁いだ後に、子供を授かったんだが、別の男の子供ではないのではないかという嫌疑を受けたんだ。そしたら、コノハナサクヤビメは、『もしこの子供達が天から降りてきた神である貴方の子供なら、どんなことがあっても無事に産めるはず』と言って、自ら産屋に火を放ってそこで三人の子供を産んだっていう伝説だよ」
「うわー。疑いを晴らすために自分からー? すごーい。サクヤ姫って、すごい美人さんなんですよね?」
「そうだね、多分なんだけど、サクヤ姫が天孫に選ばれたのは、美人であったこともそうなんだけど、そういった毅然とした性格であったことも理由だったんじゃないかとは言われている」
「肝っ玉母さんってことですかねー?」
「まあ、今だと、そういう感じかもね」
 ちいちゃんの捉え方も独特で、故事もなんだかどこかのバラエティ番組のようにも聞こえてしまう。わたしは少し苦笑いした。にしても、サクヤ姫って、すごい神様だったんだなと、今更ながらにわたしは感心した。
「とりあえず、ここでの収穫はなさそうだ。まずはまっすぐ別荘に入ってしまおうか?」
「わーい! 海だ! 海だー!」
 ずっと海を楽しみにしてきたちいちゃんがいよいよテンションMAXになってきた。
 浅間大社を出て、さらに2時間に満たないドライブの末、着いたのは確かに海辺だった。先生の別荘は富士山の麓というより、それを大きく迂回して、半島に向かったところにあった。つまり、内湾を間にして海の向こうに富士山が見えるロケーションなのだった。あたしはてっきり、海と反対に富士山が見えるところだと思い込んでいたので、少し驚いた。
「きゃー素敵-! 綺麗ですねー!」
 ちいちゃんは到着するや否や、車を飛び出して海に向かって叫んだ。よっぽど楽しいのだろう。わたしも彼女を追って行く。別荘は少し高台になっていて、海辺に行くには階段を降りて行かなければならないらしい。高台からも十分富士山の雄姿を望むことはできた。陽はすでに傾きかけていて、凪いだ内湾をキラキラと照らしていた。
「女の子達は、しばらく外で遊んでいてくれるかな? 段逆くん、ちょっと手伝ってもらえるかい」
「はい」
「はーい! じゃあ、海に降りていてきてもいいですか?」
「いいよ。階段が急だから気をつけて降りてくれよ」
「はーい」
 ちいちゃんはそう言いながらも、すごい勢いで階段を降りて行った。わたしはゆっくりそれに着いていく。ちいちゃんは海に降りるとワンピースのまま海に入ってはしゃぎ始めた。裾は引いているけれど、明らかに濡れている。わたしはその様子を海辺から眺めていた。
「瑠璃ちゃんもおいでよー!」
 しばらくわたしはただ眺めているだけだったけれど、ついついちいちゃんにつられて足だけ海に浸かった。まだ海の水は冷たかったけれど、今日の天気が良かったので、気持ちがよかった。
「おーい。戻って来いよ!」
 30分くらいはそうして遊んでいたろうか。高台から亮くんが呼ぶ声が聞こえた。呼ぶ声に従って別荘に戻ると、下準備は終わったようで、先生はリビングでくつろいでいた。リビングは、海に面した大きな窓があり、内湾と富士山が一望できるようになっていた。白を基調にした部屋は普段ほとんど使われていないであろうことがすぐに分かるくらい新品で揃っていた。
「おかえり。楽しかったかい?」
「はーい! 楽しかったですー!」
「はい。ありがとうございます」
 ちいちゃんはワンピースの裾を濡らしたままリビングに入ってきた。
「おい、ちい、ダメじゃないか、その辺濡れちまう。着替えろよ」
 亮くんはどこからか雑巾のようなものを持ってきて床を拭いていた。
「お風呂場で着替えたらいいよ」
 先生はソファに座りながら奥の方を指さした。ちいちゃんと亮くんは二人で荷物を運びながら、そちらの方に向かった。
「さて、さっき、車の中で言っていた、絵っていうのをちょっと見せてもらえるかい?」
 リビングで先生とふたりっきりになると、そう促され、わたしはさっき亮くんに見せたように、ポシェットから絵を出して先生に渡した。
「ふむ……降灰の図ってことか……。 これを小学生の時に?」
「わたしは覚えていないのですが、両親に訊いたら、そんなこともあったかも? って。両親のうろ覚えみたいでした。ただ……」
「ただ……?」
「昨日それを見つける前に、うたた寝していた時に見た夢がそれに似た感じだったんです」
「夢? どんな夢だい?」
 わたしはその夢の記憶を朧気ながらに説明した。それと、その後にアメツチが現れて、声だけしたことも一緒に説明した。
「300年……降灰……地震……。なるほど。それは、宝永大噴火のことかも知れないな」
「ほうえい……だいふんかですか?」
 さっき浅間大社でも聞いたような気がする。
「富士山三大噴火のひとつで、江戸時代、元禄の頃に富士山が大噴火した時のことだよ。わたしもあまりその頃のことは詳しくはないんだが、後でちょっと調べておくよ。確か、ちょうど300年くらい前になるはずだ。となると、多分この絵はその時の記憶から描いたものの可能性は高い。
 転生の場合、幼少の頃の方が転生前の記憶が強く残っているという研究者もいる。つまり、脳がきちんと発達していない頃だと、前世の記憶が出やすい。逆に脳が完全に育ってしまうと、脳が現世の記憶に埋め尽くされてしまい、それを思い出しにくくなるということらしい。
 しかし、富士山噴火の絵が描かれていないところをみると、富士山の近くにいたわけじゃなさそうだな。江戸でも降灰の記録があったらしいから、もしかしたらそこかも知れない」
 つまり、小学生1年生のわたしは、その江戸の頃の記憶を元にこの絵を描いたということなのだろうか。
「そうなると、その、アメツチという月面人が300年前に姫とやらを覚醒させたことがある。そして、覚醒させた結果、富士山の噴火が起こったということか。そして、それは月と地球の距離にも関係してくると……。ふむ……」
「富士山三大噴火っていうことは、あと二回噴火してるってことですか?」
 先生は懐からメモを取り出して、ペラペラとページをめくった。
「さっき、大社でも言ったけれど、延暦大噴火。そして貞観大噴火の二回だね」
 ああ、さっき言っていたのは『延暦』の方か。
「延暦大噴火は800年、貞観大噴火は864年。800年代に二回も大噴火している。宝永大噴火が1707年だから、それから1000年近く何度か噴火はしているんだが、大規模なのは起きていないことになっている。小噴火は、999年、1033年、1083年、1435年、1511年、1704年。1707年以降は噴火らしい噴火は起こってない。分かるのは、周期と呼べるようなものはないようだってことくらいかな。ただ、800年代以降300年間も全く噴火がないのは今だけだ」
 詳しくないと言いながらも、すでにかなり調べているのは明白だった。さすが人気作家だけあるなぁと。
「ところで、これはなんだろうか?」
 先生は、その絵の中に描かれている、長い紐状のものを指さした。
「わかりません……けど、龍みたいななにか……?」
 わたしは自分が感じたそのままを伝えた。
「龍は神の使い、もしくは蛇の化身、水の神だとも言われているからな。そっちの方なのかな?」
「どうなんでしょうか……」
 わたしも記憶が定かではないのでなんとも言えなかった。
「その富士氏の情報がもう少し欲しいところだな…。大社に行けば何か分かるかと思ったんだが、その辺が計算違いだったな」
 先生は左手で髪をくしゃくしゃと掻いた。
「戻りました」
 亮くんと、着替えが終わったちいちゃんが戻ってきた。
「何か話は進展しましたか?」
「300年前にも同じようなことがあったらしいということまでかな。ただ、これだけでは過去と関連性が薄いんだよな」
 先生は今度はペンを加え始めた。
「それより、腹減ったな。何か食べようか」
「わたしもお腹ペコペコです!」
「この近くにおいしい魚を食べさせてくれる店があるんだ。少し早いけど、多分やってるんじゃないかな」
「腹が減っては戦はできないって言いますしね。じゃあ、先に荷物を片付けてきます」
 わたしちは、それぞれに与えられた部屋に荷物をしまいに行くと、すぐに戻って車で町の方に戻った。先生のお勧めの店は、まだ開店前で準備中だったけれど、先生が声を掛けると店に入れてくれた。先生の言う通り、お魚が新鮮で、刺身も焼き魚もどれもおいしかった。みんなでお腹いっぱいになる頃には、空もようやく薄暗くなってきた頃だった。
 全員お腹いっぱいになって、お見せを出て駐車場に戻ろうとした時の事だった。
「姫。お待ちしておりました」
 先生のポルシェの横に人の姿があった。あの黒づくめの男だった。薄暗がりに紛れて見落としそうになるくらい存在感を消した状態だった。
「信嗣さん!?」
「彼が、富士信嗣かい?」
「はい、わたしが富士信嗣です。こちらは?」
 信嗣は亮くんに、先生のことを尋ねた。
「こちらは、小説家の浦城光太郎さん。俺達をここまで連れてきてくれたんだ」
「お初にお目にかかります。富士信嗣と申します。姫をここまでお連れいただき、ありがとうございます」
「富士信嗣さん。早速だけれど質問していいかな?」
 先生は、わたしたちを庇うように彼の前に出た。
「はい、なんなりと」
 信嗣さんは腰を折って答えた。
「さっき、富士山本宮浅間大社に行ってきたんだが、富士信嗣という者はいないと言われた。これはどういうことなんだい?」
「それについては、少々ご説明が必要かと。できましたら、皆様を私共の社にお連れしたいと考えますが。実はこの姿も、式神によるもので、わたしの本体は社にあります故」
「社というのは、富士山本宮浅間大社ではないのか?」
「大宮の社という意味でしたら、否。私共の社は、この近くにございます」
「この近く?ここは、富士ではなく、沼津になるんだが?」
「はい。それをご存知でこちらにいらっしゃった訳ではないのですか?」
「いや、偶然だ。本当にこの近くに、その…本体がいるっていうんだな? しかも社に?」
「はい。車であれば、5分もしないところにございます」
「先生、どうします?」
 亮くんが先生の背後に回って小声で訊いた。
「このために来たんだからな。虎穴に入れずんば虎児を得ず。行ってみよう」
「では、この式神が先導いたします」
 私たちは車に乗り込み、空中を浮遊するかの如くに前を先導する式神を追った。式神が言う通り、5分ほどで止まった。先生の別荘と同じように高台にある海に向かって建っている、小さな鳥居があるだけの小さな神社だった。石柱さえなく、神社の名称が分からないほどの。
「こちらでございます」
 わたしたちが車から降りると、式神がさらにその先を先導した。社の本殿と思われる建物はかなり古いものと思われ、所々朽ちて壊れていた。
「ここが、大社だと言うのか?」
 亮くんは堪らずそう言った。式神は何も答えずにその先を進んだ。わたしたちは、式神に誘われるように、本殿にあがった。そこには一人の男性が座っていた。さきほどの式神と同じ顔つきで、しかしながら服装は黒づくめではなく、いわゆる神主の格好をした者だった。しかし、年の頃はすでに青年とは言えぬ、老齢、いやもうすでに鬼籍に入ってもおかしくなさそうな、よぼよぼの老人だった。いや、むしろはっきり言うのなら、ミイラそのものだった。
「このようなところまでお越し戴き、誠に恐縮でございます。が、何分にもこのような状態でございまして、姫のところまでお伺いすること叶わぬ身なれば、何卒ご容赦くださいませ」
「あなたが富士信嗣さんでいらっしゃる?」
「左様で。まずは、何故ここが富士山本宮浅間大社であるかをご説明差し上げましょう。このようなちいさな宗教施設と相成ってしまいましたが。正確には、裏浅間大社とでも呼ぶべきなのでしょうな……」
 富士信嗣はそう前置きをしてから説明を始めた。

(作曲:てけさん)

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