2013年8月7日水曜日

「竹取の」第23夜<下弦の月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 それはすでに神社という体をなしてはいない、ほぼ廃墟と言っていいほどの建物だった。ましてや「大社」とはとても言えない代物。しかし、富士信嗣と自称するその老人はこれを称して「裏浅間大社」と言った。
「ご存知の通り、我ら富士の一族は、富士山本宮浅間大社の大宮司を世襲にて継いで、コノハナサクヤビメをお祀りいたしてまいりました。その起源について今更お話する必要もございますまい。ただ、大社と富士一族との関係、そして大社<ここ>の存在については説明をせねばなりますまい。
 富士一族の始祖は孝昭天皇の後裔であり豪族の和邇部氏と伝わっておりまする。我ら富士一族の役割は、ご存知の通り富士山を鎮めることでございますが、それはもう一つ大切な役目が含まれておりました。それは、コノハナサクヤビメが転成する度にその魂を封印をすることでございました。そして、その封印を解こうとするのが、月読の一族でございます。我らは長年その対立を繰り返して来たと伝承にて受け継いで参りました。
 コノハナサクヤビメの魂は火を抱き、富士山の活動を活発化させると言い伝えられており、我々はそれを阻止する役割を担って参りました。例えば、竹取物語のかぐや姫もコノハナサクヤビメの示現であると言われており、その数年後には富士山が噴火いたしております。その魂を封印することで、コノハナサクヤビメを水の神として祀るのが浅間大社の役目でございました」
 ここまでの話は、亮くんが以前から信嗣さんから聞いた話とほぼ同じだった。そして、アメツチが言っていた話とも辻褄は合う。
「なるほど、本来は火の神であるところを、浅間大社の力で鎮め、水の神としたということか。ということは、月の一族は本来コノハナサクヤビメが持つ火の力を欲しているということになるのだろうか?」
 浦城先生がさっき矛盾と言っていた点だった。ここで合点がいった様子だった。
「わたくしもその辺は詳しくは存じませぬが、月そのものが地球の地脈に影響される故と、伝承では聞いております」
「月の引力により地球では潮の満ち引きがあるように、地球の火山活動が月に影響しているということなのか」
 先生は考えをまとめているように、目を瞑り考えこんだ。信嗣さんはそれを待つように黙り、しばらく沈黙が続いた。
「それともう一つ。先ほど、竹取物語の話が出てきたが、時代背景から言うと、あの物語は奈良時代、多分700年前後の話だと言われているが、延暦大噴火は800年、平安時代になる。実際、坂上田村麻呂が浅間大社を造営したのも806年だ。100年も開きがあるのはどうなんだ?」
「そこはわたくしも存じ上げませんが、そう言い伝わっております」
「まあ、そこはいい。で、ここが浅間大社であるという点は?」
「事は約300年程前に遡りまする」
 信嗣さんは枯れた声でそう続けた。300年前というとあの噴火の事なのだろう。わたしは、持ってきたポシェットに手をやった。
「わたくしは宝永の頃大宮司を務めておりました富士信時の甥にあたり、次代の信安の従兄弟となり申す。
 その時我らは姫の転生に気付くことができなかったのでございます。気がついた時にはすでに遅く、月の者に封印を解かれておりました。その結果、ご存知の通り富士山は大噴火を起こしました。宝永4年のことにございます。わたくしの兄が大宮司の使いとして江戸に渡り、姫の化身である方を探しました。しかし、姫を見つけたのもつかの間、すんでのところでまんまと月の者に連れ去られてしまいました。そして、兄は満身創痍のまま富士に戻り、事の次第だけ報告した後、絶命いたしました。
 この頃わたくしはまだ10代でございました。」
「ちょっと待て。その頃10代って言うと、貴方は300歳以上ということになるが?」
「左様でございます」
「にわかには信じられないが……」
 薄暗がりの中で見えずらいこともあったけれど、確かに良く見ると老人の域は超えていて、むしろミイラと言ってもいいくらいの風体であったことは確かだった。けれど、人間300年も生きられるものなのだろうか。
「わたくしは自ら修行して得た鬼道により、今まで命を永らえて参りました。それも全て今この時の為と言っても過言ではありませぬ。
 宝永4年の大噴火を止めることができなかった我らは、噴火で被害を被った浅間大社の改修作業と共に、ある計画を立てました。この頃江戸幕府からの介入が多く、表立てて姫の転生について対策を立てることは叶わぬ状態でございました。そこで、表立っては徳川家の崇敬を受けつつ、何年か後に来たるであろう次の転生に備えて、この場所にもう一つの大社を建立し、月読の一族との対立に備えることにしたのです。信安は公文・案主と争論の末、大社を去ることになったことになっておりますが、実はわたくしと共にこの大社にて様々な対策を立てておりました。
 あらゆる術を講じました。次に姫が転生しても、月の者には見つけられないようにするための施術、日本全てを覆うように結界を巡らせるなど。途方もない労力を注ぎ込みました。その効果であったのか、今の今まで300年、富士の活動は活発化しておりませぬ」
「鬼道……。卑弥呼が使っていたという伝説の呪術か。そして、コノハナサクヤビメを封印するためだけに造られた大社であるから、それで裏浅間大社だということなのですね? しかも300年も……」
「左様で。しかしわたくしたちも正直に言うと、300年もの間平穏が訪れるとは思ってもおりませんでした。信安も宝暦10年に亡くなり、仕えておりました者達も次々に亡くなり、唯一鬼道を修行したわたくしだけが生き残ったのでございます。あの時の、姫を取り戻すことが叶わなかった兄の悔しさだけが全てでございました」
 300年もの間、無念だけを頼りに生き続けてきたという。わたしは途方もない時間をこの人はどんな思いで今までを生きてきたのだろうかと思ったが、とてもわたしには想像することはできなかった。
「ですから、月の者によって解けかかった姫の封印をここで再度行わせていただければ、富士の噴火は防ぐことができるでしょう。これだけがわたくしの願いであり、今まで生きてきた理由でもあるのです」
「じゃあー、ここで封印してしまえば、もう瑠璃ちゃんの中から姫は出てこないということになるのー?」
 ちいちゃんが緊張感のあるこの場の雰囲気を少し和らげるかのように質問した。
「左様で」
「そっか-。よかったね、瑠璃ちゃん?」
「う、うん……」
 確かにそう言われれば、そう。富士山が噴火してしまうと、わたしたちにはいいことは一つもない。けど、何かひっかかるものがある。
「では、現世はいいとして、もし次の転生の時はどうすればいいんだ?」
 亮くんが信嗣さんに質問した。わたしがひっかかていたのはそこだったのかも知れない。
「残念ながら……。多分、この封印を行えば、わたくしの生命は途切れてしまうことでしょう。そして、この封印の術を継承している者は、今の浅間大社には残っておりますまい」
「それじゃあ、根本的な解決にはならないんじゃないか」
「でも、瑠璃ちゃんは助かるんでしょ? それでいいじゃない?」
「そうだな、後世のことは後世に任せて、今は今しなければならないことをするべきじゃないか」
 先生もちいちゃんに賛成のようだった。亮くんが少し不満そうではあったけれど、それに同意した様子だった。
「では、封印の儀を行いたく……」
「ちょっと待ってくれ。封印を行うと、貴方は……つまり、死ぬと……?」
「ははは……わたくしのこの状態を生きていると表現すべきかどうかも疑問でございます。むしろ、後悔を残して昇天するのではございませぬ。一片の悔いもござらぬ」
「そうですか。では、最後に一つだけ質問をよろしいですか? 一つだけ疑問を解いておきたい」
「どうぞ」
 先生は、わたしに手招きして、ポシェットの絵を出すように言った。わたしは、例の絵を取り出して先生に渡した。
「これは、貴方が江戸で邂逅した月の者の絵ではないですか?」
 先生が信嗣さんの目の前にわたしの描いた絵を差し出した。
「これは……?」
「この子が子供の頃に描いた絵らしいんですが。これは、雪ではなく降灰ではないかと。そして、この龍のようなものに載せられて昇天するのが、月の者かと」
「ふむ……。わたくしも遠い昔でございます故、記憶も定かではございませぬが、確かにそのように映ります」
「やっぱりそうか……。では、貴方の仰ることと、瑠璃ちゃんの前世の記憶は合致する可能性は高いな」
 先生がその絵を戻そうとした時、ぽうっと、その絵から光が散った。
「先生!」
 わたしは思わず叫んだ。
「ん?」
 次の瞬間、その光はぱぁっと広がり、この廃墟ごと包み込んだ。わたしはまぶしさに目を瞑り、両手を目の前にかざした。
「ははははは………!」
「アメツチ!?」
 亮くんが叫んだ。確かにこれはアメツチの声だ。
「信嗣、ようやく見つけたぞ! 姫は封印させぬ!」
「なに?」
 まぶしさに、何が起こっているのかが分からなかった。
「竹泉! 下がれ!」
 わたしの耳元で亮くんの声が聞こえたかと思うと、抱きかかえられた。抱擁を受けたまま、わたしはそのまま後ろに倒れ込んだ。
「亮……くん? 何があったの?」」
「よく分からんが。もしかしたら、あの絵にアメツチが隠れていたのかも知れない。もしくは、あの絵をきっかけにここに現れるようにしたのか。ともかく、逃げた方がいい」
 あの絵から? 亮くんの咄嗟の判断だったようだけれど、その直後にもの凄い激突音がした。そして、頭上からバラバラと何か木のようなものが舞い落ちてきた。
「ちいちゃんは?」
「わたしは大丈夫ー! 先生大丈夫ですかー?」
 ちいちゃんは、先生に庇われたみたい。そして、激突音はどんどんと大きくなっていく。
「あれは……」
 耳元で亮くんが呟いた。わたしは少しづつ目を開いた。空中でまぶしい二つの光が、高速でぶつかり合っていた。元々廃墟であった社が完全に破壊されていた。
「とにかく、ここを出よう!」
 先生がわたしたちに声を掛けてきた。亮くんは私の手をとって立ち上がった。半分抱きかかえられたままわたしは一緒に社を出た。亮くんの手が濡れていた。よく見ると、赤い血がついている。
「亮くん、怪我!?」
「大丈夫だ、ちょっとしたかすり傷だ」
 亮くんは頭に手をやった。わたしを庇ったときに怪我をしたみたいだった。
「しまったな……。ボクのミスだ。あの絵に仕掛けがあったとは……。申し訳ない」
 車の所まで戻ると、先生がわたしに謝った。
「いえ、わたしはあんな物持ってきたから……。それより、亮くんが怪我を!」
 亮くんは頭を抑えたままだった。
「ちょっと待ってろ。とりあえず、これを当てておけ」
 そう言って、先生はポケットから取り出したハンカチを亮くんに渡した。
「あれ? 亮ちゃん、靴は?」
「さっきあそこで脱げた。サンダルだったからな」
「あきれた。なんでサンダルなんか履いてきたの…?」
「んなの、いいだろどうでも……あ、ありがとうございます。多分、ちょっと切っただけなので。大丈夫だと思います。……あれって、アメツチと信嗣さんでしょうか?」
 空中でぶつかり合う光の玉を指さして亮くんは聞いた。
「そうとしか考えられないな。あれが、月の者なのか」
 やがて、光の一つが徐々に球体から伸びていき、蛇か龍かという形になった。
「あれが、絵に描いてあった、龍か?」
 先生がそう叫んだ時、球体の光が叫んだ。
「兄の敵!」
「うぬ、これ以上邪魔をするな!」
 龍もそれに負けてはいない。幻想の戦いが私たちの眼前で行われていた。何度も何度もそれらはぶつかり合い、衝突を繰り返した。時折、龍がその胴体に巻き付けるかのように球体を締め上げるが、球体はするりと抜けだし、また反撃を行う。
「信嗣さんがんばれー!」
 ちいちゃんはプロレスを見物するかのように声援を送った。先生と亮くんは呆然としつつも、目はそれらの動きを一瞬たりとも見逃さないようにというかのように釘付けになっていた。
 しばらく組んず解れつしているうちに、球体の信嗣さんの方球体が光り方を落としてきた。そして、二つの光が同間隔で対峙し、膠着状態が続いた。
「くっ! ならば仕方が無い……」
 そう、信嗣さんの声がしたかと思うと、光は一直線にわたしたちの方に向かってきた。
「大変残念だが、封印を解かれるくらいならば、いっそのこと!」
「待て!」
 それを龍が追った。しかし、それは遅かった。わたしたちを光が包み込む。わたしはその場を動くことができなかった。
「竹泉!」
 亮くんがさっきと同じようにわたしを庇おうとした。光がわたしたち二人を包み込んだ。
「……姫、申し訳ない……」
 わたしは、全身の感覚を失う瞬間に、信嗣さんの囁くような、その声を聞いたような気がした。

(作曲:てけさん)

0 件のコメント:

コメントを投稿