2013年8月3日土曜日

「竹取の」第19夜<寝待月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 宝永4年11月23日(太陽暦では1707年12月16日)、年の終わりも差し迫る頃、富士山の火口が火を噴いた。後に『宝永大噴火』と呼ばれる富士山三大噴火の一つである。その49日前、遠州沖を震源とする東海地震と紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生した。死者2万人以上に達した『宝永地震』と呼ばれる巨大地震である。
 その時お絹は江戸にいた。
 昼に始まった富士の噴火は、この江戸にも大変な影響を及ぼした。噴火とともに地震が発生し、住民を脅かした。二月ほど前にも大地震が発生し、その後も余震が続き、赤子は毎晩のように泣き叫び夜も安心して眠ることができない日々が続いた。また、東海道から紀伊国に遠戚があった者や身内の者が商いで遠出をしていて消息の分からない者がいたりで、遅々として進まない便りに毎日まんじりともせず夜を過ごす者も多かった。毎日のように瓦版が出てはいたが、人々の不安を煽るものばかりで、知りたい便りが含まれることはなかった。街角の辻辻では托鉢僧などが末世を叫び人々の恐れを否が応でもかき立てた。
 昼前から雷鳴が聞こえてくると、何度も有感地震が起こり、昼過ぎには白い灰が降り始めていた。夜には白い灰が徐々に黒色に変わっていった。
「もう、おやめくださいませ」
 お絹は真っ黒な雲に覆われた江戸の空を見上げながら力なく呟いた。雲間からうっすらとだけ月の欠片が覗いていた。
「これは自然の摂理でございます。姫がどのように思われようと、これを防ぐことは人の子には敵いませぬ」
 隣に付き従う従者が、膝を折りそのように言った。そこにはなんら感情もないかのように淡々と。
「わたしはコノハナノサクヤビメであるのですよね?」
 お絹は白い灰を浴びながらも、じっとして空を仰いだまま。
「は……。しかして、今は人の子として現示されたからには……」
「では、何故、わたしを起こしたのです? いえ、何故ご神体を起こしたのですか? 起こさなければこんなことにはならなかったろうに……」
「ツキヨミノミコト様の御心とあらば……」
「月読の一族なのですね……?」
「地と月は表裏一体であります故。これだけは姫のでありましょうとも、ツキヨミ様であろうとも変えられぬ運命でございます」
「月の者達のためにこのような所行が許されるとでも?」
「恐れながら。しかしながら、ここの平安が続けば、月の世に被害が及びます故」
「見つけたぞ!」
「浅間の者か……?」
 従者は立ち上がり、脇差しに手をやった。振り返ると、若い青年が立っていた。修行僧のような風体をしているが、全身ボロボロの格好だ。多分富士からここまで何日もかけて来たのだろう。
「そうだ。お主がアメツチノオオワカノミコじゃな? よくも我らの同胞を、ご神体を!」
「もう遅い。全ては終わった。後は姫を月へとお迎えするだけだ。お命を粗末になさるな」
 従者はあくまでも冷静に、ゆっくりと話をする。手は脇差しにかけたまま。
「仲間の敵を討ちに来た。そして、ご神体を返してもらう。姫、一緒にお越し下さいませ!」
「主に何ができる? その体、満身創痍ではないか。社に戻る前に死んでしまうぞ。黙って姫のお帰りを見送るがいい」
「富士殿……申し訳ございませぬ。此度はわたしにもどうしようもできませぬ。そのままお帰りくださいまし」
 お絹は富士から来たその青年を見ると、はらはらと涙を流した。そして、その場にうずくまってしまった。
「姫。わたくしと一緒に社にお戻り下さいませ。一刻も早く浅間の活動を止めなければ、被害がさらに広がってしまいます」
「だから、もう遅いと申しておる。ちょうど今夜は二十三夜。富士の活動は次の朔まで続くであろう」
 そう言うかと思うと従者はお絹を小脇に抱えた。その時長屋から一人の老人が出てきた。
「お絹! お絹をどうするつもりでぇ?」
 従者はそれには構わず、お絹を抱えたまま軽々と長屋の屋根に飛び上がった。
「待て!」
 富士の青年はそれを追おうとしたが遅かった。
「いってぇ、どうしたんで? ありゃあ、どいつだ? どこへいきなさる?」
 老人は一体何が起こったのか分からず、オロオロするばかり。
「では、ごめん」
 従者の姿はすでに人間のものではなかった。龍か麒麟かと見まごうばかりの巨大な生き物に変化した。
「なんでぇ、ありゃ?」
 老人は腰を抜かして、その場にへたり込んだ。若者はなすすべもなく呆然とそこに佇んだまま。
「おっとっつぁん…」
 それがお絹の最後の言葉だった。天に昇るに従い、お絹であった記憶も消されていく。
「姫……」
 先ほどまで従者であったそれは、初めて悲しげな表情をした。

 
 目を覚ますと、わたしはベッドに寄りかかったまま寝ていたようだ。何故か瞳が潤んでいた。何か夢を見ていたような気がするけれど、どんな内容だったかがうろ覚えだった。真っ白な雪降る場所で何か大変な事が起こっていたような気はするのだけれど、具体的にどんなことだったのかが記憶の彼方だった。
「……寝ちゃってたのかな……」
 ふと外を見ると大きな三日月が窓の外に見えた。心なしかいつもより大きな気がした。脇には鞄と携帯が投げられていた。携帯のLEDが点滅していて、着信を知らせていた。携帯を開いてみると、ちいちゃんからのメールだった。明日の準備について細かく書かれてあった。洗面道具一式は全て用意、バスタオルも持参のことと。あれからわたしは先に喫茶店を辞して一人家に帰ったのだった。注意事項があれば後でメールするとちいちゃんから言われていたのを思い出した。
「相変わらず、ちいちゃんは細かいなぁ」
 見かけによらず、ちいちゃんは細かい人だった。まるで修学旅行に行くためのしおりのように、シャンプー、歯ブラシ、歯磨き粉のはてまで書かれてあった。予定は三泊二日になっていて、連休の前半をめいっぱい使う予定になっている。
「これは思ったより荷物多くなりそうだなぁ……」
 去年修学旅行に行ったときに使ったキャスター付きのキャリーバッグがあったはず、と押し入れを開いた。
「確かここにしまったはずなんだけどな……」
 押し入れの中を探していると、中に赤いキャリーバッグが見つかった。それを引き出そうとすると、隅にある段ボール箱が引っかかって一緒に出てきた。
「あれ? なんだろこの箱……」
 見覚えがあるようなないような。子供の頃に使っていたような気もする。箱を開いてみると、わたしが卒業した小学校の校章のマークとわたしの名前が見えた。卒業アルバムのようだった。
「懐かしい……」
 とは言っても、まだ5年くらい前のことでしかない。なのに、とても懐かしい気がする。わたしは卒業アルバムを取り出して中を眺めてみる。クラスメートの中にちいちゃんもいた。とても可愛いお人形さんのようだった。わたしはまだ三つ編みの頃で、思ったより地味目で自分で探すのさえ一苦労だったりして、自嘲気味な笑いが出てしまった。
「なんだろう、これ……」
 卒業アルバムを箱の中にしまおうとして箱の中を覗いた時、中に見覚えのないケースが目に入った。表面には県の紋章がプリントされており、中に小型の額縁のようなものが入っていた。どうやら賞状のようだった。
「賞状なんてもらったことあったな?」
 中を開けてみると確かに賞状だった。小中通してなんとか賞等というものに縁のないわたしのはずなのに、と中を見てみると、確かにわたしの名前が書き込まれた賞状であった。学年が1年生になっているので、小学一年生の頃のものだろうか。県主催の絵の展覧会に入賞したらしい。どんな絵だったのだろうと思いつつ、賞状の入った額縁を取り出すと、額縁の下から一枚の絵が出てきた。クレヨンか何かで描かれたと思われる絵は、四つに畳まれて一緒のケースにしまわれていたらしい。わたしはその絵を開いてみた。
「……!!」
 そこには、真っ黒な夜空の中、真っ白い雪のようなものが降ってくる中を、一人の少女と不思議な生物が天に昇っていく姿が描かれていた。不器用な絵ではあるが、龍のような生き物に女の子が乗っている、もしくは抱きかかえられている様子が窺えた。そして、闇が広がる空には黄色い半月のようなものが浮かび、点々と白い粉雪のようなものが浮遊している。
「……」
 わたしは目眩がした。ついさっきこの夢を見たような気がした。それは雪ではなく灰だったように思う。何故かそう思った。
 ブイーン。
 その時、わたしの携帯が鳴った。わたしはビクっとした。音を消してあったので、バイブレーション音だけが部屋の中に響いた。
「もしもし?」
「あ、竹泉か?俺だ、段逆。今、テレビ観られるか?」
「あ…いま、部屋なの。下に降りるね」
「月見たか?」
「ん? 月……?見たよ。三日月だった」
「アメツチは?」
「今日はまだ出てないよ」
「そうか、それならいいんだが」
「どうしたの? ……着いたよ。テレビつけた」
 居間に着いたら、すぐにリモコンの電源ボタンを押した。
「10チャンネル。今、ニュースやってるんだが……」
 わたしはすぐにチャンネルを10チャンネルに合わせた。ニュースキャスターではなく、解説者らしい人が話をしていた。テロップでは、どこかの大学の教授らしい。
「……ですが、通常の軌道でいきますと、再来月の23日に最接近する予定だったのです。その場合で月と地球の距離は約35万7,000キロメートルの距離になるのですが、すでに現在、35万キロメートルを切っており、常識では考えられないことになっております」
「通常月と地球はどのくらい離れているのですか?」
 キャスターの男性が質問を投げかける。
「通常、月は楕円軌道を描いておりまして、一番離れている時で40万メートル前後、最接近で36万キロメートル弱です」
「それが先日の地震に何らかの影響を及ぼしているという噂もありますが?」
「月や太陽の地場や引力の影響によって、地球の天変地異が起こるという説もありますが、それについてはまだ実証はされておりせんので、なんとも言えません」
「ありがとうございました……では、次の話題です……」
「聞いたか?」
 亮くんが電話の向こうで溜息をつきながらわたしに聞いた。
「うん。……これって……?」
「もしかしたら、だけど……封印が解けてきたせいもあるのかも知れないと思って。だって、アメツチは、遠くなっていた月を戻すために封印を解くんだって言ってたんだろ?」
 亮くんの言葉は少し焦りを感じた様子だった。さすがの亮くんでさえ、天体をも動かす力がわたしの中にあると思えば、恐ろしくもなるのだろう。わたしは、少し躊躇したけれど、さっきの夢の話をしようと思った。
「あの、亮くん……わたし、何か思い出したかも知れない」
「何?何を思いだしたって?」
「なにか分からないけど……灰が降っていたの。それから、地震。すごく揺れてた。ずっと昔のことだと思う」
「灰? ずっとって…?」
「多分、生まれるずっと前」
「転生前の記憶を思い出したっていうのか?」
「わからない。でも、さっき、夢の中に出てきて。今、小学生のころに描いた絵が出てきたんだけど、それがその時のことにそっくりなの」
「ん……分かった。その絵、明日持ってきてもらえるか? 何かのヒントになるかも知れない」
「うん、わかった」
「あと……な……」
「うん?」
 亮くんは一呼吸置いてから、
「安心しろ、俺が護ってやるから」
 と、短く言った。わたしは一瞬ドキっとして言葉を失ったけれど、
「うん。ありがとう」
 天をもひっくり返すかも知れないこのわたしの中の力を知ってもなお、そう言ってくれる亮くんが素敵だった。ものすごく嬉しかった。涙が出そうになった。
「じゃあ、明日な」
「うん、じゃあ、また明日」
 そして、わたしは電話を切った。
 窓から外を見ると、確かにいつもよりは大きな三日月がこちらを眺めていた。何故だかとても悲しそうに見えた。

(作曲:てけさん)

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