2013年8月4日日曜日

「竹取の」第20夜<更待月>

(扉絵:ららんさん)
(作曲:てけさん)

 ちいちゃんのメールの持ち物一覧に基づいて、あらかた荷物をキャリーバッグに納めた頃、階下で物音がして、パパとママが帰ってきたのが分かった。わたしは階段を下りて居間に入った。
「おかえりなさい」
「ただいま。今すぐにご飯の準備するからね。ちょっと待っててね」
「うん、大丈夫。さっきちょっと食べたから」
 謙さんの喫茶店『無頼人』でお菓子をご馳走になったのだった。
「で、急に旅行の予定前倒しになったんだって? どうしたの急に?」
「うん。放課後にね、みんなで旅行の打ち合わせしようって、ちいちゃんたちのイトコさんがやってる喫茶店で集まったんだけど、そこで偶然浦城先生に会ってね。先生の行きつけらしいの。時々そこで原稿書いたりもしてるんだって。それで、色々話しをしてるうちに、できれば連休前半の方が都合がいいらしいって話になって……」
「ふうん、そうなんだ」
 ママはさほど不思議そうには思わなかった様子だった。
「その喫茶店って、どこにあるんだい? パパも行ってみたいな」
 パパはそっちに興味がある様子。
「ダメよ。先生、秘密の隠れ家だって言ってたもの」
「そっかぁ?」
 パパは少し残念そうにそう言った。ごめんね。パパが行くと色々バレちゃいそうなので、教えられないの。
「わたしも手伝う」
 そう言ってわたしは皿を運んだりを手伝った。パパは早速ビールを開けて晩酌を始めた。テレビではプロ野球の中継が佳境を迎えているみたい。いつも通りの風景、いつも通りのパパとママ。全てがいつも通りだった。いつも通りの普通。こんな普通のことがこんなにも愛おしくて、大事で、大切で、本当は得がたい貴いものであることにわたしは初めて気がついた。人は普段は気がつかない、当然あってしかるべきものを、失ったもしくは失うと分かったときに初めてその価値に気がつくのかも知れない。
「どっち勝ってるの?」
 ママがパパにさりげなく聞く。パパの贔屓のチームが勝っているは見れば分かることなのだけど。
「ファイヤーズが勝ってるよ。2対1。このまま9回を締めれば勝ちだよ」
 パパが機嫌が良いとママも良いし、わたしも嬉しい。今ここで二人に『幸せ?』って聞いたらもちろん二人は頷くと思うし、わたしもそう思う。
「わたし、パパとママの子供で良かった」
 思わずわたしは心の言葉を吐露してしまった。
「どうしたの急に?」
 ママはちょっとびっくりした顔してわたしを見た。
「パパも、瑠璃がうちの子で良かったよ。なあ、ママ」
「もちろんよ。瑠璃、何かあった?」
「ううん、なんでもない」
 泣いちゃダメ。泣いちゃ……。そう思えば思うほど涙腺から溢れ出てくる幸せの泉。普通で幸せであることがこんなにも心を動かすものなのだろうか。わたしの感情を衝き動かすものが何なのかは分からない。けれどそれは不安からくるものではないことだけは分かる。何故なら、それは『わたし』がずっと昔から長いことかけて望んできたことだからなのだと思った。この『わたし』は誰なのか。『わたし』であって、わたしではない『わたし』。昔っていつのことだろう? いつからこの日を待ち望んでいたのだろう。儚い記憶がふつふつと沸いては消える。まるで汀の泡のように。
「何かあったの?」
 ママは優しく私の手に自分のそれを重ねてくれた。わたしは反対の手で涙を拭った。パパがオロオロするのを見て、わたしはできるだけ笑顔で返した。
「ううん。何もないの。なんかね、よく分からないけど、嬉しくなっちゃって。パパも元気になったしね」
「そ、そうね……。パパも何にもなくてよかったわよね。本当、わたしもあの時はどうなるかと思ったわ。瑠璃も今頃その時のショックがきたのかもね」
「あ……ああ、そういうことか。もう大丈夫だよ。これからはパパも気をつけるしな。瑠璃もな、気をつけてな」
 確かにそれも事実かもしれない。あの時パパになんかがあったとしたらと考えると。二人はそれで納得したようで、わたしに笑顔を向けた。わたしも笑顔で返事をする。
「明日から久しぶりのお泊まりでしょ? それで緊張してるのかもよ?」
 わたしが居間から出ると、ママはそっとパパにそう言ったのが聞こえた。
「高校生にもなってか?」
「女の子ですからね。いろいろあるのよ」
 パパはあまり納得した感じではなかったけれど、それ以上は何も言わなかった。わたしは階段を上がって自分の部屋に戻った。部屋に戻ると、カーテンを開いて窓を開けた。確かに月はいつもよりは大きいような気がする。とは言っても、35万キロが30万キロになったところで、わたしの目にはそれほど変わりはない。大きいと言われれば大きいような気もするし、小さいと言われればそう思うかも知れない。ましてや満月ではなく三日月の状態では違いはいかほどか。
 けれど、先ほど感じた哀愁というか悲哀は、月の大きさに由来するもではない。先ほど感じた過去の記憶のせいなのだろうか。わたしの中に存在する、あの繭の中にいる人はかつてあの月にいたのだろうか。その人の感じる郷愁がわたしに影響しているのだろうか。あの人は起こしてくれるなと言った。もし帰りたいのなら、そうは言わないのではないかとも思う。結局かぐや姫の帰郷も、帝の力をもってしても止めることはできなかったのだ。あるいは、その運命というか、業に対しての悲しみだったのかも知れない。
「姫……行ってしまわれるのですか?」
 ビクリとした。アメツチの声だった。わたしは即座に携帯を取り上げて周りを見回した。けれどアメツチの姿はどこにも見当たらなかった。
「ご安心を。ボクの姿は姫には見えません。富士の者の封印がまだ完全に解けてませんし、月があのようでは力も出せません」
 いつものような、甘えたような言い方とは打って変わって、まるで従者のような言い回しだった。
「アメツチなの?」
「ええ、そうですよ。声だけは聞こえるようですね。姫、お願いです。早く目を覚ましてくださいませ。もうかれこれ300年は眠られたままなのですよ」
「わたしはあなたの姫ではありませんよ。わたしはただの人間です。それに、あなたの姫は起こして欲しくないと言っています。放っておいてもらえませんか?」
「そうはいきません。それはわたしの役割であり、宿命でもあるからです」
「あなたは本当は何者なの? わたしの中にいる人は誰なの?」
「ボクはアメツチノオオワカノミコ……。月から来た使者。姫を覚醒させるために使わされました……」
 アメツチノ言葉は段々と弱くなってきた。
「ねぇ! 姫を起こしたら大変なことになるんじゃないの? 本当のことを教えて?」
「富士の者を信じてはなりませぬ……。彼らは……」
 それっきりアメツチの声は途切れた。

 その夜わたしはまた夢を見た。
「姫、それは誠にございますか?」
 その男は驚きを隠さずに叫んだ。
「ええ……。先日笠沙の岬にてお会いした方でございます」
「天津から使わされた御人でございますな?」
「父はそう申しておりました。高天原から参られた方であれば、お断りすることも敵いますまい」
「しかし、すでにお父上にはこちらが先にお許しを頂いたはずではありませぬか?」
 その男は納得いかぬ様子で、地団駄を踏んだ。
「葦原中国平定以降、天津国の勢いは増すばかりでございます。ましてや天照のお孫様とあらば、なおのこと。お父上は、わたくしとお姉様を嫁がせると」
「姉上までも? お父上は正気か? この国ごと売り渡すつもりか?」
「この国もさらに栄えるであろうと喜んでおりました」
「天孫と言えども、葦原中国に下ったものであろう? 儂ら月読国とは格が違おう?」
「豊葦原中国において天津の力はすでに強大になっております。我ら国津の神ではもはや敵いますまい」
「嘆かわし事じゃ」
「お父上の気持ちも何卒お察し下さいませ」
「それで姫はよろしいのか?」
「それが、お父上のご意志とあらば」
 二人はそれからもしばらく抱き合い、互いに慰め合った。お互いの立場、境遇から叶わぬ恋と知りながら……。
「この償いは、いつか……必ず……」
 波の音がこの言の葉を載せ、言霊として二人を呪縛していく。それは、永遠(とわ)かと思うほどの永い永い時間───────。

(作曲:てけさん)

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